Fate/deep diver ~天月の逆杯~   作:幻想の投影物

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HERO? time over

 長い長い後悔の果てに、己の願う夢は人間が人間である以上は不可能であるのだと、ようやく思い知った男がいた。それまでに犠牲にした来た人間の数は数えることすら億劫な、一つの都市すら築けそうなほどの人数。それでも、悪を囁く神は言う。生き延びて恥を見せろと。

 

 かつてより人は言う。

 力を持ち過ぎたものは破滅を齎すと。

 力を持った人は言う。

 己こそが真実であると。

 大衆の正義、個人の正義。それがすれ違った時にこそ、悪が生まれる。

 つまりは、力を持ち過ぎた人間を屠る英雄譚こそが、正義の対象。

 正義とは大衆のためではなくてはならない。

 

 衛宮切嗣と呼ばれた人間は、そうして悪と断じられる人間に属していた。だが、贖罪も何もせずに、悪神はただ生き延びろとだけ言い続ける。死んだ人間は輪廻に飲み込まれ、魂や怨念がその場に残らない限りはその魂が「人間」として持っていた精神もが消滅する。よって、死んだ人間を振り返るのは悪いことではないが、引きずりすぎるのは今を生きる者として不適当である。それが、かの悪を自ずから謳う物の言葉。

 なら、どうしてみればよいのだろうか。考えて、投げ出して、それでもまた引きずられて、何気ない言葉に不意を打たれて、ようやく決心した。体の不調など言い訳にしかならない、死徒狩りには万全な状態で臨めたことなど少ない。それでも、ほぼすべてにおいて優位な状況を覆されなかったからこそ、今ここにこの命はある。足りないのは心であったのだ。

 雪を踏みしめる。寒さで打ち震えそうになる温帯気候の人種である身に、極々簡易的な魔術礼装(カイロモドキ)を施して、寒さを僅かに和らげる。ライターが頬を照らし、口に加えた草の加工品はもくもくと白い煙を立ち上らせた。

 

 ―――いよう、偽善者。お守りくらいは持たせてやるよ。

 

 精神を落ち着かせるように、害毒な嗜好品を嗜んで。衛宮切嗣はまっすぐと歩く。

 血と後悔に塗れた手で我が子を抱く決心を固めて。

 

「イリヤ……」

 

 

 

 日本、某県冬木市。

 切嗣の旅立ちからおよそ1週間ほど経った頃だろうか。あれから一度の便りもなく、また初めての遠出であるためか、幼い士郎はアンリから見て少し不安げに見えた。

 最初の一週間はまだ気丈に振舞っていたが、手をつくして介護同然に親身な人として触れ合っていた人間がいなくなったというのはなかなかに堪える。8日目にはそわそわとした態度を隠せなくなり、夜にはアンリが近くで寝るのを見守ってやる日々が始まっている。

 小さな子供の相手は、ありすと一緒に過ごした日々から慣れていたものだったが、あの霊子的電脳空間にいたころとは違って、生身の士郎には便意もあるし、幼いながらの本当の不安定さがある。そうした英霊としての日常とは程遠い、生ぬるい時間を過ごしながらに、そろそろ時期も時期かと考えをまとめあげていた。

 これはそんな日々の10日目。その夜に起こった出来事だ。

 

「なぁ」

 

 いつものように布団を敷いて、さぁ眠ろうとした時だった。いつもは軽薄な笑みばかりを浮かべていた、反面教師として最適な大人であるアンリが表情を引き締め、士郎に話しかけたのだ。

 

「切嗣の野郎が何をしに行ったか、気になるか?」

「……どうしたんだよアンリ」

「いや、あいつの許可ももらったしそろそろ頃合いかと思ってな」

「頃合い…?」

 

 疑問を上げる士郎。だが、その内心は突如として目的も告げずに旅に出ると言った切嗣との別れのシーンが想起されていた。あまりのも唐突で、明け方であったために、記憶ははっきりとしているくせに呂律が回らずいってらっしゃいとしか言えなかったあの日。

 やはりとは思っていたが、今更になって教えてくれるらしいアンリへと警戒はあったが、それよりも、やはり人恋しさが打ち勝った。すでにアンリへ向き直り、話を聞こうとする準備は終わっている。

 

「ん、じゃあ話すかね」

 

 まずは、と一呼吸おいたのは士郎を落ち着かせるためであろう。

 ピンと指を立てて彼は言う。

 

「あいつは、自分の娘さんを取り返しに嫁さんの本家へ殴りこみに行ったんだよ。血のつながった実の娘さ」

「えっ……親父の、子…?」

「まぁ絶望しなさんな、お前さんを置いて行ったのは捨てたからじゃぁない。むしろ巻き込まないために安全な場所にいて欲しかったんだろうさ。オレみてぇなボディガードもいることだしな」

 

 あくまで、置き去りにした目的は士郎のためであるとはっきりさせておく。大人びている雰囲気があるが、士郎はあくまで子供。一つひとつ、事実を告げるが優しい真実をも捕捉しなければ癇癪を起こす可能性がある。

 そして、そうやって優しさを振りかざして―――擦りこもうと画策するのだ。

 

「んで娘さんは、この世には一般に知られていない……魔法みたいな力を本当に使える連中に捕まってる。しかも、場合によってはいじめられることが優しいとすら思えるような最悪な環境かもしれない。だから、お前の親父は助けに行ったんだ。自分もその魔法の一部が使えるからな。でも、親父さんも、娘さんがとらわれてる連中のほうも、そんな魔法の世界で命をかけた戦いばかりをするようなやつだ。とてもじゃないが、危険に過ぎる」

 

 言葉を選んで話す様は、実に己へ陶酔するような演技を交えたもの。

 ただ、無言でそのアンリの騙る「シンジツ」を飲み込んでいく姿に満足そうに眼を細めて彼はつづけていく。

 

「そこで、だ。坊主、オマエは親父さんを助けたいか? オマエにはその力を扱う素質があり、そしてその力は容易く人を殺せる。まるで英雄のように、切嗣を襲おうとする相手を殺せるぜ。殺すことを分かっても、その力で切嗣を助けたいか?」

「こ、殺すって……それは」

「そうだ、思い出せ。オマエが拾われたあの時の記憶を。人が死ぬってのはああいうことで、オマエはあれを創り出せるかもしれねぇ可能性を持つ。自分がやろうと思わなきゃ大丈夫だろうが、そうだ、可能性は間違いなくある」

 

 肩に手を置き、あの光景を思い出した士郎へ無理やり視線を合わせる。逃避など許さないかのように、今この場で決断を急がせようというのだ。

 

「なぁ、だけど……その力は隠さなきゃならねぇんだ。隠して、傷つけて、それでも自分の大切な人を助けられる“かも”しれない。そんな僅かな可能性のために自分の平和のひとかけらを壊せるか? それとも、ただ守られるために何もせずに今を生きるか? 頭のいいオマエなら、意味が分かってるはずだよなぁ? でも、大丈夫だ。オマエなら、全然大丈夫なんだ。ちゃんと分からないところをオレや切嗣に聞いて、そうしていけばいい。隠さなきゃならない以外は勉強と一緒だ。オマエがずっと頑張ってる勉強と、まったく同じ。できそうな気がするだろ? 実際にできるんだ、そりゃ簡単だわな」

 

 一つひとつに、感情をこめて、わずかな可能性を強く言って、夢を見せる。

 自分だけでやり遂げなければならないわけではない。自分以外に頼ってもいい。甘美な響きは、少しずつ、幼くまだ固まっていない「エミヤシロウ」の前提に罅を入れていく。原初に打ち込まれた心の荒野に、罅は侵犯し地割れとなっていく。

 するりと、彼は宝具であり、己の能力でもある負の感情を吸い取る力で彼の決断を「イイホウコウ」へ導いた。誰にとっての、など考えるまでもない。助けるようで、己のために一人の人間の人生を捻じ曲げていく。それを悪と言わずして何と言おうか。

 だが、哀れにもこの目の前の人形は人間となってしまった。希望を胸に抱いた人形は、絶望を知らしめることとなる人間へと、その第一歩を踏み入れたのだ。スタートラインを切ったレースは、ゴールに着くか事故が起きるまで終わることはないとも知らず。

 

「……る。やってやるよ、俺ならできるんだよな」

「おお、おお。いいねぇ。その言葉を待ってたぜ」

「どうせ無理にでも教えようと今の今まで引っ張ってきたんだろ、そこまで言うならやってやる」

「ったく可愛げのないガキだなぁオイ」

「アンリの言うこと、わかるように丁寧に教えてくれたのはアンタじゃないか」

「……ま、そりゃそうだ」

 

 いつか訪れる日のために、アンリは己の幼稚な策を講じた結果、事前に一般的な語彙や言葉の意味を次々と士郎に教え込んでいた。ほんの数か月程度ではあるが、一度記憶や思い出がまっさらになった士郎は、アンリが嫌な奴だと気付くまでに様々な知識を吸収している。

 その結果が、結局のところは今回も回りくどく自分を乗せただけであると気付いたが故の返答だ。だが、その考えは士郎自身嫌ではなかった。隠しごとというのは誰もが持っているとアンリは教えたし、切嗣は実際そうであると気付いてしまっている。そして、その共有する秘密が父親と一緒だとしたら、少しうれしいと思ったのも事実だからだ。

 

「おーし、じゃあ鉄板に擦りつけられながらぶんなぐられる程度の痛みからやってくぞ。ああ、実践じゃなくて魔法使うための最初の処置な」

「……え?」

「オマエなら耐えれるだろ。で、いつの間にか繰り返してるうちに慣れる慣れる。あのクソ切嗣(やろう)もやってるんだ、乗り越えられずして何が男か」

 

 選択するには早かったかもしれない。

 幼いながらに、早々に後悔という感情をより一層身近に感じてしまった士郎は半ばあきらめながら、アンリの教えに従って「魔術」の道へと足を踏み入れることとなった。そうして、その後一ヶ月間、衛宮邸からは外に聞こえはしないものの、苦しむような声と怨嗟を飛ばすような怒号が飛び交うこととなるのは、お約束というべきか。

 ただ、切嗣にも念を押されていたように、その教えは並みの魔術師が最も安全を図るがごとく進められていった。元々、人間の魂などわけのわからない汚染を傷一つなく回収可能な魔力の操作が可能な彼だ。漏れ出した士郎の魔力が士郎自身を傷つけないよう、余分な物を食らって安全を図れたのは当たり前と言ってもいいだろう。もっとも、死に至る者にのみそういった作用を与えただけで、魔術師が魔術を行う際に生じる「痛み」として与えられるものは一切手を出さなかったが。それもまた、当たり前の処置というものだ。自身で痛みを知らなければ、士郎だけではない、この年頃の子供はどうとでも曲がってしまう。

 

 そうして、切嗣が出発してから二週間目。ようやく魔力というものの流れを士郎が理解し始めてきた頃に、切嗣自身はドイツの本家へと到着していた。正確には、本家というのは彼の妻であったアイリスフィールの実家であって、苗字を共にせずとも婿養子として入った切嗣の実家ではない。もちろん、皆はご存じであろうが。

 そうして感慨深げに思うのが普通の感性なのであろうが、生憎とその妻を亡くしたばかりでこのアインツベルンから言いつけられたことすら守れなかった切嗣という存在は、当たり前のようにアインツベルンの「身内」から外れていた。

 強力で、他者を一切寄せ付けようとしない認識阻害は機械すらも遠ざける。航空の写真を撮っても近くの景色と同化するようになっている、古めかしい遺物でありながら現存の技術すら凌駕する隠蔽された結界。されど、城として聳え立つのはアインツベルンの積み上げてきた歴史の表れか、その自信の表意か。少なくとも、我々の想像する域をはるかに超えた根拠でもって建てられたのは間違いないであろう。

 そんな難攻不落の巨大な城に拒まれ、切嗣は目の前にあるはずの城をその目で認識することを許されてはいなかった。記憶のうちでは確かにこの道で合っている。だが、その他大勢と同じように弾かれてしまっている現状に、切嗣は当たり前だね、と何度目かになるタバコの煙を吐き出した。

 

「それで……正面切ったのは流石に合わなかったかな」

「お久しぶりです、衛宮切嗣様。それでは死んでくださいませ」

 

 切嗣が誰かの気配を感じたのと同時、彼の周囲には無機質なばかりで人らしさを希薄なまでにしか残されていないような人造人間(ホムンクルス)たちに包囲されていた。魂という物の物質化を目指し、形成することを極めるアインツベルンの根源への到達過程によって生じた傑作。戦闘能力においてはその一体一体が死を恐れぬ突貫、人間を遥かに超える膂力、人工的に調整された情報処理能力と共有化によって並みの魔術師では歯が立たぬような無類の強さを誇る。

 多勢に無勢、もともと正面切っての戦闘はさほど得意ではなく、自分に有利な場を作り出してからそこにおびき寄せ、そして策を講じて不意を打って勝利をつかむタイプの切嗣には最悪の場であるとも言えよう。

 トマホーク、ハルバード。外見だけは見目麗しいホムンクルス共は人間では両手ですら振り回すのが限界の獲物を、まるで木の棒で指揮を執るかのように精密かつ桁外れの怪力で振りかざし、迫ってくる。雪に紛れる白い体色、白い髪、されど獲物を殺す際に見せる紅玉の瞳はなんと恐ろしいものであろうか。

 されど恐れなど抱いている暇はない。切嗣は、片手にぶら下げていた重火器、MG3を、魔術によって強化された身体能力で振り回すように乱射する。一発一発が肉体を食い千切る威力を持つ弾丸がホムンクルスに当たれば、紅い華を散らして地に還る者や、至らずとも着弾の衝撃で全方位の最前列はその勢いを減らしていった。その間を縫い、仲間の死体を乗り越えて無情なまでに武器を振り下ろしてくる重金属の塊が振るわれる。全弾撃ち尽くしたMG3を目くらまし程度にぶん投げ、切嗣はすぐさま己の一家相伝魔術「固有時制御」を発動した。

 

「Time alter ――― double accel」

 

 その瞬間、切嗣という人間の認識速度、神経伝達速度、情報処理速度は二倍。生体の成長速度もその一瞬だけ二倍。認識するだけではなく、その生物としての時間が二倍となり、外界と切嗣という人間そのものが時間の流れを分かつ。

 あれだけ早かったホムンクルスたちの一糸乱れぬ壁も、スローモーションと見えてしまうため、通常ではまず見つけることは出来ないであろう隊列の「綻び」を認識、われらの視点で言えばその一瞬で理解まで己の意識を持っていき、針孔を潜り抜ける糸のように彼は動き出した。

 固有時制御の限界が来る前に、このホムンクルス包囲を抜け出し、さらにはこの認識阻害という名の他者を排除する結界を潜り抜け、要塞という名の怪物と化しているであろう城の体内を走り抜け、娘に何も気概も罠も仕掛けられていないということを確認しつつ、彼女を背負って外へと抜ける。

 客観的にいえば不可能に近い。もはや肉体的な年齢は全盛期も過ぎ、機動力を上げるために持ってきた重火器の類は先ほど投げ捨てた重マシンガンと正面突破用のグレネードが数個程度。すでに残されたのは愛用のトンプソン・コンデンターと僅かな目晦まし程度にしかならないサブマシンガン。検知用の魔導具。そして胸ポケットにある、士郎と写った写真のついた「お守り」だけ。

 人間では走ることすら困難な深く積もった雪上を、胡桃の芽を見つけに来たイリヤとの思い出の森を踏み荒らすように駆け抜ける。ザクザクと足をとられて、しかし、そもそもの速度が通常の人間の二倍を保つ彼はさほど体重をかけることなく雪という障害物を上手い具合に躱せていた。

 

 結界らしき魔力の源流を辿り、事前にアインツベルンの術式を埋め込んだ魔道具の示す方向へと駆け抜ける。迂回するように行かねばならないというのは、こうして侵入が知られている以上イリヤの身に何かがあるのではないかと不安でならなかった。

 だがその焦燥をも押し殺して、目の前の外敵、障壁、ありとあらゆる壁を乗り越えていかなければ、この命もイリヤの真実も消されてしまうだろう。こんな時だからこそ、サーヴァントという圧倒的な戦闘力を持つ「アレ」がいれば心強いと思ったが―――人に刃を向けるのは「アレ」では荷が重い。清廉潔白、騎士道精神を地で行く「アレ」では余計な問答でもしてしまい、時間が消えるだろうとすぐさま余計な考えを押しやった。

 襲い掛かるホムンクルスを退け、サブマシンガンで正確に脳天を狙って壁を取り崩す。死体を踏み台にして飛距離を稼ぎ、面制圧を意識して向かってくる鉄塊と刃を僅かにその身に受けながら、出血箇所が寒さで急激に凍えていく危険信号を無視して尚進む。

 

 そうして血のレッドカーペットを敷き詰めた末に、衛宮切嗣の眼前には、かつては安全の居城であった―――今は立ちはだかる魔王城でしかない―――とらわれの姫が置かれた建造物が姿を現した。

 

 

 

 城の実験施設には防音結界などが張り巡らされているが、逆に素のまま石造りの古めかしい古城で大きな音が反響するというのはよくあることだ。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。切嗣の敗北、いや裏切りの一報を受けたアインツベルンは即座にイリヤを「スフィール」の称号にふさわしい調整を施し、そして次回の60年後に開催されるであろう第五次聖杯戦争に備えて積み重なる施術を行った。不安定なホムンクルスと人間のあいの子であるイリヤは、まだ寿命に関する問題は残っているものの比較的安全に小聖杯としての機能が、将来的に令呪を受け取ることを約束させる。

 しかし、まだ状況はついていけていない。幼いホムンクルスの彼女は、現状を理解しながらも納得はできていなかった。従来のホムンクルスとは製造時に刷り込みが行われるが、そういった施術なく生まれたイリヤスフィールにはまだ親に裏切られたと教えられたことによる精神的動揺が残っていたからである。それが、納得できずに迷う理由。

 

 そんな最中であったのだ、魔術のような流れる力を感じない、無機質な破壊の衝撃波を感じたのは。それは魔術を用いない爆発であると幼いながらには理解できたし、そして彼女自身このような現代技術の塊を惜しげなく使用する異端者の存在を知っていた。

 だからこそ、疑心暗鬼は広がる。この城に攻撃を仕掛けてきたのは、やはり父親が裏切ったから、その裏切りに乗じてこの城を壊し、自分の存在すらなかったことにするのではないかと。

 破壊、破裂。そしてついに彼女のいる、古城の中でもファンシーさが色濃く残る部屋の窓が割れた。近くで起こったのは、場内において5度目の爆発だった。扉が血塗れのホムンクルスだったものによって突破され、その死体をイリヤから一瞬で隠すように熱波を伴った爆裂が洗い流す。

 圧倒的な暴力だった。寿命が短く、機能を果たすまでは人形同前のホムンクルスの血を引くイリヤは、人一倍死という終わりに対して敏感で、人間としての恐怖の感情を湧き立たせる。その場にうずくまり、ぬいぐるみを抱く力が強まった瞬間――彼女は力強い男性の腕に捕まえられ、地から足が離れるのを感じた。

 

「いやぁああああああ!!」

 

 ものを言わぬその腕は、叫ぶ彼女の唇を指で優しく縦一文字に抑えると、少しの間立ち止まった直後に城の窓を割って飛び出した。黒いコートに包まれるようになったため、その男の顔は見えないが、足元ははっきりと見える。魔術の詠唱もそれらしい準備もなく、イリヤの高い階層の部屋から飛び降りる雪の地面は、とてもではないがこの高さで衝撃を吸収してくれるほどではない。

 高さにしておよそ20メートルだろうか。飛行魔術がノータイムで使えるか、重力に干渉する高度な魔力制御技能がなければ生き残ることはできない。イリヤの脳裏に、一瞬だけ幸せだった両親との暖かな時間の光景が映し出されると同時―――力強い羽音が彼女の耳に届いた。

 ばさ、ばさッ。空気を蹴り飛ばすように、巨大な翼とバランスを取る尾翼がその男の背後のあたりに生え、自立で稼働している。単体として人間を空へ飛ばすことが可能なそれは、魔術でもなければ科学技術による滑空でもない。もっと不思議な超常現象を敷き詰めたような何かだった。

 そして、自分をつかんだ力強い腕は、いつの間にか決して落とすものかと両腕で優しく抱えてくれている。つりさげられているにも関わらず、ほとんど体勢の窮屈さがない。不器用だけれど、確かな温かさを感じるその腕は、イリヤの記憶の中に存在していたものとそっくりだった。

 

「あの悪人面め、これがお守りだなんてどれだけ人間をバカにしてるんだ……」

 

 ぼそりとつぶやかれた声も、いつか自分へと語りかけてくれたもの。

 暖かな、自分が知るたった二人の男性の声の中でも、好きだったもの。豹変して、恐ろしくも甘美な魔術の世界を教えてくれたおじいさまとはまた違う。本当の親愛なる……

 

「キリツグ……?」

「ごめんねイリヤ。僕は」

 

 返答は謝罪だった。だけど、そんなのは関係ない。

 ただただしがみついた。どうして、今までなにをしていた、聞きたいことが山ほどあって、自分が今まで何をしていたのか。それを話したかったのに、そんな言葉は吹き飛んでいた。

 会えなかったのもほんの数か月。でも、親というのがこんなにも愛おしく求めたのは初めてだったかもしれない。裏切りなんて言葉はもう頭から抜け落ちて、会うことができた喜びに打ち震えて涙が流れる。イリヤの精一杯の感情表現に、キリツグは抱きしめる力を少しだけ強める。誰かのための正義ではなく、自分のための偽善として。

 一人の、父親として。

 

 

 

 

「やれやれ、とんだ寸劇ではないかね。日本ではこれを茶番(チャバン)といったか」

「一枚噛んでくれた上に、自慢の研究成果の一部を使いつぶすような演技までするそっちにゃ負けるさ、アハト翁(・・・・)殿」

 

 望遠魔術のかかった水晶が、望遠限界を超えて黒い小さな点になっていく衛宮親子の姿を見送っていく。右手を振って魔術を解除したユーブスタクハイト……現アインツベルン家当主は、自分を見上げる蛮族のような恰好をした男へと冷たい視線を送った。

 

「第三魔法への手がかり。方法は大きく違えど、結果にたどり着くには確かに大きな前進であった。その対価と考えれば易い、易い」

「そう言っていただけるとは恐悦至極。まったくもってうれしい限りでありますなぁ」

「薄ら寒い世辞はやめろ。異界の怪物めが」

「まぁ、これでギアスによる契約も終わったしな、後は勝手に魔法だのなんだの目指してくれや」

 

 血液と本人の了承を経て名が書かれた羊皮紙を丸呑みにする彼は、この寸劇で衛宮切嗣の成功を補助するために第三魔法についての取引をしていた。魂という存在を物質世界へと降ろし、その階梯を超えることによって不老不死、万能の力を下位世界であるこの世において発揮できるという第三魔法「魂の物質化」。

 その手がかりとなるような世界を彼は知っており、その世界の改変にも関わったためにある程度の「やり方」を入手している。その方法が、地球産ではないにしても科学技術の発展による結果の一つであるというのは、魔術師にとってどれほどの意表を突かれたか。当然、この男もその真実を知って狼藉するこの老人の姿を眺め、楽しんでいたのは言うまでもない。

 なにせ、彼はもともとのアインツベルンの失敗が再現されたような存在でありながら、異界を渡る異物。巴アンリであるのだから。

 

「まぁ、万が一聖杯ゲットできたらそっちに渡しに行くさね」

「無論だとも、それこそが我らが契約だ」

「じゃ、また十年後な。爺さん」

 

 ドロ、と形を崩していく泥人形のように、彼の姿はドロドロと地面に滴り、その痕跡すらなくすようにして消滅した。本体でありながら分身であり、その精神は幾重にも分裂しながらすべてが同一のものとしてつながっている。分体として生命があるそれは、いつぞやに聞いた死徒の一体「タタリ」のようでもあるとアハト翁は不気味がる。それは、人間として目指す第三魔法とは程遠い歪なものであるからだ。

 そもそも、人間である定義とは一体なんであるというのか。世の魔術師に聞いてはいけないような疑問をこの場に残して―――今宵の茶番劇は、破壊の爪痕を残す形で幕を閉じるのだった。

 




最近更新遅い。
ごめんなさい、なんか書くの楽しいのに時間取れないです。

ご感想とかありましたらどんどんどうぞ。人の声あった方が書くの捗るます。

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