Fate/deep diver ~天月の逆杯~   作:幻想の投影物

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Similia similibus curantur!

 あれから二日目の朝。最後の猶予期間を全て準備に費やしたキャスターの陣営は、アーチャーのマスターである綾乃、ランサーのマスターである凛を含めて全員が視聴覚室前に集まっていた。凛も綾乃もアンリとは対戦の予定が違っており、同日に決戦となる事は無かった。凛は既に前日の内にさっさと対戦相手を倒してきたというのだから驚きだ。

 ラニがバーサーカーと共に視聴覚室に入り、他の全員もアンリに対戦で必ず勝つように言い残して扉の向こうに消える。これからキャスターと共に戦ってくる間、三人のマスターは聖杯への道を強制的に開くためのハッキングを始める予定。無理だ、と並みの魔術師なら吼えるだろうが、アンリと言う前提がある以上は成功確率に大きなプラスが生じる。それこそ、オーセブン(0.0000001)が1になるくらいには。

 

「後は皆さんに任せて、必ず勝ちましょう。私の呪符にもご主人様の影響を受けてパワーアップした物もありますから、火力面でも心強い味方は出来ましたし」

「勝つ…なぁ? 何とも奇妙な感じだ」

 

 何を以って勝つと言えるのであろうか。そんな哲学的な考えはあるが、目先の勝利を掴むというならユリウスの撃破と言う事になるのだろう。悪神であるアンリにはユリウスの抱えている「問題」をそれとなく感じ取れていたが、今から踏み潰す相手に手を指し伸ばした所であの男の進む道に無駄な傷をつけるだけである。

 人間とはかくも美しく、複雑な作りをしているものだ。当たり前のことを考えながら、アンリはドロドロの不定形な自分を見やってアホらしいと息をついた。

 

 

 

 

 エレベーターが降りて行く景色は既に5度目。幾何学模様のプログラムと言う名の結界を突き抜けて、映しだされていたアリーナの場外へと落ちる感覚は何とも不思議なものだ。凄まじい速度で落ちて行くエレベーターの中にいて、浮遊感は感じないのに落下するという認識だけが無い。在るべき物を再現しようとして欠けてしまった、そんな不完全さを感じたのは、ユリウス・ベルキスク・ハーウェイという男を前にして初めて感じ取った違和感だった。

 それほどまでに、この男はどうしようもなく「欠け零れている」。あった筈の望月を、このユリウスは誰かの手によって傷つけられているような印象を受けるのだ。

 

「なぁユリウス。なんつーか、つまらないよな」

「その点に関しては同意しよう。貴様の遊戯に付き合う此方としても、決まり切った道を進むほどくだらない事は無い」

「違ぇよ。テメー自身がつまらないつったんだが?」

「……何?」

 

 アサシンは瞑想しているのか此方に口出ししてこない。ただ、悪神から流れる泥の濁流がユリウスと言う巨大な浸食したせいで、彼は少しばかり饒舌にさせられていた。能力の有無など関係無しに、ここまで粘った相手と言うだけ。それでも濁流は、勢いを増した。

 

「家族…とかはどうでもいいか。それ以外でよ……たとえば、一人で満足できるような事とか、趣味とか、何でもいいから与えられた事以外に自分で熱中する事は無かったのか? 不機嫌、仏頂面、命令と言う名の逃避……どれをとっても、逃げてるようにしか見えねぇ。死ぬと分かってても、魔術師やってて魂ぐらい本当にあるって事を分かってんならよ……もう少しでいい。来世に繋がるような碌な生き方を目指せなかったのか」

「魂? 結局は記憶を無くし、何処とも知れぬ生物の中で生きつづけるだけだろう。俺の境遇はあくまでこうして生きて来ただけだ。……貴様に口を挟まれるいわれは無い」

「おお、言うねぇ……その割には後悔した表情見せてるが?」

「何…?」

 

 ポーカーフェイスを貫くユリウスだったが、悪神の口出しはその心の奥底に潜む物をハッキリと見ていた。心を読む。それに近しい所業をされて嬉しい人物などこの世に居ない。人間は確かに情報や感情を共有するだろうが、それと同時に秘密や己だけが秘めておきたい事を持ち合せる生物である。

 その琴線に触れるような輩は、何人たりとも赦される事は無い。

 

「……下らん。手も足も出なかった貴様らが精神攻撃程度で覆せると思ったか」

「呵々、ユリウスの言うとおり。実力の程は既に見極めた。儂に倒せぬ相手でも無い」

「らしいな?」

 

 これまでと比べ、ユリウスのアサシンは超接近戦で言うなら最強クラスのサーヴァント。彼の言ったことは間違いでは無く、タマモとアサシンの間には埋まる事の無い程に広く深い渓谷が暗闇を覗かせている。

 

「ハッ、勝算が無けりゃ来る筈もねーだろうが」

「確かになぁ…と言いたいところだが、この戦いを避ければ其方が死ぬ。この聖杯戦争の前提を覚えておらねば、当然とは言えぬがな」

「フォローサンキュー。だがまぁ、圧倒されてくれや」

 

 妙な自信を以ってアンリは言い放つ。手の中でくるりと逆手短剣を回すと、瞬く間に彼の衣は戦闘装束へと変わっていた。腰布を残し、それ以外は泥で細い筋肉として編まれた体が露わになる。表面で浮く模様は、泥沼の上に浮かぶ砂の白い線のようにも見える。そんな雨上がりのどこにでもいそうな存在は、己の相棒へと目で合図を送った。

 同時にエレベーターが到着し、その後は無言で両者ともに戦場へ出る。別の運命に出てきた正義の味方志望の少年で無ければ耐える事も出来ないサーヴァント同士の戦闘に、マスターが出るという前代未聞。しかし、猶予期間中にそれに慣れてしまったユリウスと言う強敵を前に、魔術師主従は哂い合う。

 

「ご主人様…始めましょう」

「合点承知!」

 

 アンリの手が丸ごと刃となり、ワニの様な凶顎を横開きにする。

 この戦いで人間を求める事は不要。しかし、楽しさと言う物は忘れてはならない。かつて無い程人からかけ離れて行く主人の姿を見ながら、タマモの瞳は変わらない無垢な人間の魂の輝きを見抜いていた。

 

 

 

「第一プロテクト突破。セキュリティランクSへ到達」

「馬鹿みたいに順調ね。校舎からのアクセス権限を生徒会権限へ擦り変え完了っと。元の端末を辿っても、多分この生徒会NPCが消されるだけで済むわ」

「逆探知とルール違反についてはこっちで誤魔化したよ。ありすちゃん、“夢”の中はどんな感じ?」

「えっとね、真っ暗な中で数字がいっぱいチカチカしてるよ。まだ光とか青いのとかは見えなーい」

「現状報告理解しました。…第二プロテクト改竄。NPCの権限を利用してフリーパスを取得しました。いつでも巴さんを此処まで持って来れます」

「分かったわ。じゃあ次に校舎の外のリソース使って自動化しましょ…そうね、綾乃さん。弓道場の持ってる?」

「そう言うと思って探しておいたよ。ほら端末」

「オッケー。これで何個かの処理はセミオートでいけそうね」

「効率上昇率18%確認しました。ミス・ミツヅミ、ありがとうございます」

 

 黙々と機械の様に作業をこなすラニと、情報を統括しながら手綱を握る凛。それら二人のサポートやセラフ側からの行動を逐一監視する綾乃の三冠は、類稀なる聖杯戦争中での完全協力を約束した同士。戦う事だけが己の目的であるサーヴァントはその様子をぽかんと見つめるばかりで、秒単位でこなされていく万にも上るデータ処理数には圧巻の息を漏らす者もいる。

 凛一人の時はつまらなさそうに見ていたランサーですら、その目まぐるしく変化するウィンドウと文字列の変化には一種の芸術的な感覚を感じ取らざるをえなかった。

 

「暇だ暇だと思っていたが…どこの聖杯戦争も魔術師ってのは面白ぇ。こう言うの見てると流石はマスターだって感心しちまわぁな」

「ふむ、綾乃はそこまではっきんぐとやらに秀でておらん筈だが……周囲の二人に引っ張りあげられておるな。そのまま追いすがる形で三人共に成長を続けている。学び、慣れ、自然と高みへ足を上げると言ったところか」

「和の国の英雄さんよ、随分な観察眼があるようだが…アーチャーか?」

「如何にも。共に闘う同士となれば隠す恥も最早不要。私はアーチャーのサーヴァント、那須与一と申す者だ」

 

 右手でしっかりと握手を交わす。信仰の証のほかに、武器を持つ腕を預けるというのは武人にとっては深い意味を持つからであろう。

 

「ランサーのクーフーリンだ。しかし、独力であの平家の扇に快中を誇った人物と会えるとは思わなかったぜ。お、そういやアレをやった時はどう思ったんだ?」

「何も。ただ中る光景が見えていれば中るだけの話。動くもの…それこそ、ランサー殿の速度すら射られぬならば……弓道の師としてはかくや、我が武士としての弓の道はまだまだ完成されてはおらぬ。まして、あの式の羅列を負いきれぬ私など、まだまだ……」

「そうだよな。俺も自分の武に誇りはあるが、確かに満足するまでは行ってねぇ。んー…強ぇやつと戦えりゃあ満足だったが…マスターが言うには地上も紛争が絶えねぇって話だ。受肉して戦いに生きるのも良さそうだ」

「ほう、稀人がこの世への現人(あらひと)へ舞い戻るか。よいやもしれん」

 

 だが、と言葉を区切ってアーチャーは三人娘の方を見た。誰もが真剣な表情で指を絶え間なく動かし、更に更に深い所へと己の掌握する網を張って行く様子は、効率を考えて趣向を凝らす巣をつくる蜘蛛の様であった。

 

「我がマスターを生かして返してこその話、我らも全力を尽くそうではないか」

「だな。既に死んでる俺らより生きてる奴らの方が最優先だ。それに、付いて行きゃプログラムだろうがセラフの隠し玉だろうが、ヤベぇ敵が出てくる可能性だってある。ソイツと戦えるなら、本望だ」

「それもまた良し。なぁ、そうは思わぬか? 中華の剛き武人よ」

「…………」

 

 ラニのサーヴァント・バーサーカーへと話を振ったが、微動だにしない姿はアーチャーの言葉は届いているのかすら分からない。狂戦士はこんなもんだ、と妙に慣れたランサーが近くの椅子によりかかれば、そのような物かと納得を見せた。

 そんな中、サーヴァントも友好を深めていながら進んでいた時間は、確かな手掛かりを此処にいる全員につかみ取らせるには十分だったらしい。様々なコードを頭に繋げたありすが、嬉しそうな声色で言い放ったのだ。

 

「あ、白ウサギさんが見えたわ。これで夢の国からおさらばね!」

 

 時計を持ったウサギは急ぐ。慌てて追いかけ、光明はすぐさま広がり―――

 

 

 

 

「オオオオォォォオォォオオオォオオオォォォラァァァァァァァァッッ!!」

 

 駒の様に回りながら、鳩尾・額・乳様突起・脊椎・肝臓。人体の急所に当たる箇所を正確に腕の中にいくつも存在する眼球で見切りながらに攻撃する。鞭のように自在にしなり、刀の様な裂傷をつける攻撃はヒット&アウェイの要領で行われ、近づいていたアサシンの命を刈り取らんと迫る。サーヴァントと言えど、内臓や外見は人間そのもの。こうした急所を狙った攻撃は効果的でない筈がない。

 

「素人が武芸者に急所を狙うか? 勝機はそれしかないのであろうが、ちと未熟に過ぎる」

 

 しかし、アサシンはその全ての動きを見切り、風に揺れる柳の枝の様にひらりと避けて行く。生前に挑戦してきた格闘家の方が拳も気迫もずっと早かった。そんな落胆にも繋がる薄暗い感情を抱きながら、アサシンはアンリの右腕に当たる箇所をトンと付いた。瞬間、泥となりながらに繋がっていた魔力路線が断ち切られ、捌かれたマグロの頭の様に右腕が中空で泣き別れた。

 これは不味い。右腕ばかりではなく、囮として左腕を破棄したアンリはそれを泥の生命体に変えながら、アサシンの足止めを命じて距離を取った。その際、ある程度の場所から泥から作り出した針を数本投げつけるも、その峰を正確にアサシンの裏拳が弾いて行く。これまでどのサーヴァントにも下手な飛び道具は通じなかったもんだと、アンリは笑いながらにその光景を見ていた。

 

「ご主人様! 準備整いましたっ!」

「でかした! っしゃぁ、やれ!」

 

 言葉を言い終えないうちに、タマモが投げた呪符の束が群れとなり、アサシンに殺到する。たかが紙幣とあなどれない、岩さえ切り裂く飛び道具の大軍はアサシンを包み込むと、竜巻が意図的に物を砕こうとしているかのごとく彼の体の周囲で回り続けた。このまま折に入っていてくれれば恩の字。だが、現実はそんなに甘くない事は承知の上だ。

 アサシンのいるであろう場所に術式の陣が浮かび上がると、突如として操作するタマモに手ごたえの無さが伝わって来た。ユリウスが何らかの方法で令呪を使わず空間転移させたのだろうと辺りをつけ、どちらにせよ戦法の変更が必要になると知った彼女はすぐさま提案を念話で伝える。受け取ったアンリは頷く代わりに両手の指から伸びる形で武器を作り出すと、アサシンのいるであろう方向に向かって思いっきり横薙ぎに振り払った。

 その結果はすぐさま表れ、敵が潜んでいたと思われる、何もない場所から硬質な攻撃を弾かれる音が響き渡った。

 圏境の境地。その完全再現はアンリ達の策略によって不可能になったものの、気配その物を殺しきる事は造作も無い事。だというのに、この男は自分の位置を大雑把であろうと確かに見抜いたのだ。アサシンの口元が嬉しそうに、それでいて凶悪な表情に歪められ、隠密業として顕現した己も顔なしだな、と喜色を隠さずに言い放った。

 

「先はどう見抜いた。気配は沈め切ったと思ったのだがなぁ」

「お前の溢れる感情は漏れ出てたぜ。純粋な人間で、交じりっ気のない英霊なら感情察知はオレの十八番っつー事だ」

「それは良い事を聞いた。ならば、小手先の技術も必要なかろう……正面から行かせて貰おう、太古の悪神!」

「オーゥケェェイイィィィイ!」

 

 叫びはこの舞踏への歓喜に溢れている。ソレは愉しそうに、口元まで裂けた笑みを張り憑かせながら、アンリはアサシンへの攻撃の軌道上にタマモの呪符群の中に片腕を突っ込みながら斬りかかった。呪符の中に仕込まれる幾つかの「炎」の呪は、敵が多用する得意な術だと思い至ったユリウスはすぐさまプログラムへの干渉を始める。

 

「まるで主従が逆転しているようだな」

 

 コンマにも満たない速度で完成したプログラムは、皮肉めいたユリウスの言葉と共に放たれる。そのまま真っ直ぐに向かった呪はアンリを貫くかと思いきや、呪符の裏を縫ってダミーを撒き散らしながらタマモへ直行。防御性能の一切を無効化させるサーヴァントの霊子結合を緩める術式は、しかし、それらは偶然にも彼女の手前にあったジャングルの葉に向かってしまい、そのまま霧散してしまった。

 

「…いやぁ、此処の所お世話になりっぱなしですねぇ」

「風水結界…と言ったか」

「ご名答! ご褒美です、こちらを食らいなさいなっ」

 

 指に挟まった呪符が投げられ、舞うようなタマモの動作に連動するかのような軌道を描いてユリウスへ向かう。途中で発火した炎が蜃気楼を作り出し、距離感を掴めなくしたところで彼女は更なる追撃の符を放つ。しかし、それらは人間の中でも飛びぬけて軽い身のこなしで避けられると、ユリウスの凍結術式によって封印を喰らって地面にボトリと落ちた。

 アサシンへ再度の特攻を図ろうとしていたアンリはその事に気付き、呪符の炎熱作用で燃え上がった己の左腕を、激痛に耐えながらもまたもや切り離す。まるでブーメランのように固めたソレを二等分にすると、新たに生やした左を含め両腕に使いなれた逆手短剣として顕在させた。

 ロンドを踊るかのように斬りかかりながら、アンリとアサシンの舞踊は始まる。拳にしてはありえない、されど極限まで鍛えたからこそできる武器との打ち合いをアサシンは行って見せ、あまつさえは隙をついて何撃もの内側へと浸透させる拳を抜き放った。直撃によってしか攻撃を受けられないアンリは血反吐ならぬ黒靄を吐きだしながら、その猛攻の痛みを無視して好機を待つ。それでもアサシンの猛攻には、馬乗りになった相手の様に隙が見当たらない。

 

「チィィ……!」

「中々に丈夫な作りをしている。全ての痛みに耐える体をしておるのか……」

「一応悪神は騙っちゃいるものの…生贄として捧げられた一般人の再現何で、な。悪神への貢物ほど、ロクなもんもねぇだろうさ」

 

 感心したような表情のアサシンだが、反対に押されに押され、遂にアンリは自らの体を更に変異させる事を決意した。右足がぐねりとうねったかと思えば、裸足だった足の爪は剣の様に鋭くなってアサシンの股間を狙う。男性体の急所としてもよく知られるその箇所への攻撃は、逆に蹴りによる小足の技で爪の全てを折られる結末となった。

 爪を根元から上に蹴り飛ばされた彼は、まさしく生爪をはぐような痛みを感じて動きを止めそうになる。それでもここで止まってしまえば待っているのはあの魔拳による一撃粉砕。気を溜めさせる時間こそ与えていないが故に今は耐えられるが、宝具級の技「二の打ち要らず」を打たれれば、アンリは今度こそ何とも分からぬ黒い靄となって「一回休み」にされてしまうだろう。

 だが、ここで既に彼はありすからの考えを思い浮かべていた。念話によってタマモと連絡を取れば、それこそ当たり前です。という根拠のない自信に満ち溢れる声が聞こえてっ来た。

 

「キャスター!」

「はいっ!」

 

 ならばここで代わるのが役目。ありすの助言通り、本当の主従の形に戻った瞬間にタマモは生前の狐から持ちこした素早さを活かし、アサシンの間合いへとはいりこんだ。しかしこれは相手にとってもこれ以上は無い好機。ユリウスが魔術を飛ばしてタマモの行動範囲から岩石がせり出てくるような術式を打ち込むと、隆起したフィールドの岩が一時的な「アリーナ改装プログラム」に従わされて場違いな工芸品を作りだした。

 紙に描いた絵を後ろから押し上げたような、そんな造り物らしい違和感を残しながらにアサシンの猛攻は止まる気配がない。最早万事休すか。そう思われた矢先に、打ち合わせ通りだと邪な笑みを浮かべるタマモの姿をアンリは見た。

 

 散々説明したかもしれないが、元来キャスターと言うクラスは遠距離戦と敵英霊を知り尽くした上での策謀によって圧倒的な勝利を収めるためのクラスだ。決して辛勝やかろうじてという言葉は当てはまらず、そのような段階に陥ったキャスターのサーヴァントはこの日までに全員消えてしまっている。

 それでも彼女が前線に出た理由は一つ。ありすの提案を飲んだからに違いない。

 いい加減アサシンも戦法も無視した相手の動きに業を煮やし、拳をタマモに叩きつけようと正拳を繰り出そうとフォームを取った瞬間、彼女の野生のカンがこの一瞬に決めろと囁く。誰でも無い己自身に従い、彼女は服の袖から取り出した針の様な長い武器をアサシンの体に突き刺した。

 不思議なことに、そのたった一瞬だけだったが、アサシンの動きが止まる。一瞬の間をついて伸ばした泥の縄でタマモを縛ると、力の限りに引いて受け止めた。同時に、振り下ろされたアサシンの拳が地面へ陥没し、珍しく焦りを見せた敵の顔がアンリの目に映る。

 すぐさまヨロヨロとふらつき始めたアサシンの様子は尋常では無く、ユリウスが異変の原因に気付いて声を荒げた。

 

「まさか…死因の毒殺か? だがアレは不明瞭な史実に過ぎん…何故こうも」

「ぐ……毒を以て毒を制す…か? こうも死因が様々に語られておれば……弱点を突かれるも自明の理、か」

「何を納得した様な声をしている。まだ戦えるのだろう」

「応とも。だが、ネギを喰わされた犬コロのようだ。これは中々に響くぞ」

 

 軽く言い放った言葉だったが、現実に起きている事は彼の言ったそれとほとんど変わらなかった。アサシンの体では刺された針から流れ込んだ相反する独立した魔力が暴れ回り、数日前のキャスターと似たような現象を引き起こされている。またもや、アンリらしい不意を打った弱点の攻めが此処で功を成し、当の加害者はタマモの不穏な魔力を感じてその場から一気に飛びのいていた。

 跳ねあがる魔力はその道に通じていないアサシンですら背筋をゾクゾクと震わせる程。その強大な力を前に、アサシンは動けぬ体にワザと命令を送らなかった。

 

「タマモ、見せてくれ」

「――――御意に、此処へ御魂映せし陽光の真髄を御見せ致しましょう」

 

 タマモの鏡がゆっくりと、神秘的なまでに真っ直ぐと天へ昇る。

 鈴、黒金。此れ鳴りて澄み渡りしは荒御魂生ずる祈祷に他ならぬ。

 

軒轅陵墓(けんえんりょうぼ)、冥府より尽きることなく……」

「…宝具」

 

 ユリウスの呟き、驚愕に満つ。されど致し方無し。是より魅せる呪は、何人として目に触れる事叶わぬ黄泉路巡る大妖狐が手にせし神の宝。己が御魂を封ぜるは太陽神にて天照。映し身移し身写し身へ、継がれ開くは高天の路。

 

「出雲に神在り、魂に息吹を、山河水天に天照らす」

 是自在にして禊ぎの証、名を玉藻鎮石(たまものしずいし)、神宝宇迦之鏡也」

 

 (まわ)れ、(まわ)れ、(まわ)れ。森羅万象この世遍く者共よ。

 鏡は万象一切を映し、魂の形をその身に魅せる。

 知れ、無知故の単なる(みこと)よ。

 己が知は母なる太陽にて照らされる事を。

 

「水天日光天照八野鎮石……。蔓延る魘魅(えんみ)邪魅(じゃみ)(これ)より生れし我が一端。禊ぎ払うは我を封ずる玉藻鎮石。陰陽一対の真髄は此処に在り」

 

 場に満つ陰と陽の通り道、俗界神域を隔てし鳥居が囲むは愚かな四つの愛しき命。闇が満ちては光明が差し、億にも至る存在の塊はたった一つの異界へその身を費やした。鏡は遥けく全を照らし、神の御前に曝け出す。欲望、過去、心、意志、命、体。偽り無き浄瑠璃の演目は神の為の語り物。

 嗤う。嗤う。赤き武人の従者は声高らかに。

 

「呵呵呵呵呵呵――ッ!よもや妖狐ではなく、神仏の類とは思いもよらなんだ! 好いぞ、我が身が神へ届くや否や―――試させて貰おうかッッッ!」

 

 痛みを覚えたとして、この李書文の前では何のタガにもならぬ。かの武道家は筋肉を収縮させ、痛格を無視して十全の力を以ってタマモへ魔拳を握る。英霊となった時より、その身に刻まれし「二の打ち要らず」が彼の称号。九字を刻みし禹歩の如き対極を鳴らし、李書文の体は陽の流れに従いタマモへ接近。

 到達点はかの者の眼前。引いた拳が放つは気の領域!

 

「全身全頸、陽気を巡らす―――憤ッッ! 覇ァァァッ!!」

 

 風を置き去りに、自然と通じた剛の極意はタマモを襲う。されど彼女は余裕を崩すことなく、何ら自然な動作で近づく彼の姿を目に捉えていた。接触の瞬間が直後に訪れ、タマモの腹へと見事に埋められる。

 気と頸絡を歪める魔拳は、一度打ち込まれればそれにて勝敗を決する。だが、彼女は敢えて打ち込ませた。通常は宝具の核となる鏡で防いでいる筈のそれを。

 

 だが、アサシンが捉えたのは――――

 

「……呵、呵呵呵! これでは乱しようも無いものよな…!」

「残念無念。いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花」

 

 拳が打ちぬいたのは彼女の体ではなく、地面に散らばっていた筈のアンリの体の欠片。

 魔術師の主は従者の後方にて、哂って命を下す。

 

「タマモ。これで締めだ」

「ヒガンバナセッショウセキ!」

 

 李書文を人間の陽とするなら、玉藻御前は妖の陰。御身を封じられしその時より発し始めた、万の命を犯す瘴気の猛毒は、問答無用で李書文の身体へ浸食する。中枢神経そのものを麻痺させ、死と同義を与えるヒガンバナの毒になぞらえたソレは、ユリウスの介入すら許さずアサシンの体全てを覆い尽していくのであった。

 

 

 

 タマモの展開した鳥居の囲む空間。SE.RA.PHすら介入の難しいこの結界神域を、アンリは魔力と命令でずっと維持させていた。そのせいか、障壁は降りていても暗殺者主従の消滅は延々と長引いている。黒いロストデータの浸食は、未だ足先で留められるほどに。

 

「毒殺に続き、またも毒殺。いっそ清々しい程の搦め手よな。……あぁ、その程度で倒れる俺こそ情けなし。だが、これにて勝負あったか」

 

 最早感覚すら無い筈なのに、何の因果が働いたか。武による圧倒も叶わず倒れ伏した赤毛の偉人は、愉快そうに笑っていた。

 

「なぁユリウス。我らの姿はどう見えた? 派は違えど、最後を神の御前で逝けるのだ。ここいらで腹を割るのも悪くなかろうて」

「……負け、た…?」

「応とも。負けた、負けた。……ふっ。生涯敵なしと謳われようと、儂は他の伝承へ語られるような英傑を知らぬ井の中の蛙。これでは我が魔拳が負けるも道理よ。幸いにも毒のおかげで体だけは何一つ傷ついておらん。勝者の計らいもある故、多少の長話も許されよう」

「…………」

 

 ユリウスの体躯は足元から分解され始め、バランスを取れずに彼は倒れ込んだ。暗殺者と呼ばれたその虚ろな目には、生への足掻きの色すら見えない。此れが死。これが消滅。分かっていた筈の痛みは、レオの前でも耐えきれる事が出来ただろうか?

 いや――――

 

「オレは…まだ……!」

「そうか。おぬしの本音はまだ生きていたい。…だが、その生に何を掴むかも分からぬか。やれやれ、問い掛けられた折の沈黙は己が虚構故にとはな。だがユリウス、まだ我が問いには答えておらぬだろう?」

「……戦う姿、とやらなぞどうでもいい…! まだ、まだ死ねんのだ!!」

 

 彼の目は狂気に染まり始めようとしていた。だが、悪神に下されたことによって無理やり正気へと引き戻され、数十人分に匹敵する悪意は全てアンリの好調を支える魔力として吸収されていく。その一端から感情を読み取り、ハッ、と吐き捨てたアンリへと。アサシンの問いが飛ばされた。

 

「…悪神殿。こ奴が何故ここまで足掻くか…分からぬか?」

「勝手に暴いちまったがな」

 

 何とも面倒だ。とアンリはありふれた悲劇とやらを解剖する。

 

「ソイツはたった一人との約束の為に動いてたみてぇだな。レオ坊繋がりで在る事は確からしいが……まぁ、レオ坊ならオレらと違って無事に地上に生還するだろ。こうなっちまったら、正規の方法で生き残った奴らも月から排出されるだろうしな」

「脱出、とやらか。……堅苦しい考えはいけすかんが、そうか…こやつも“約束”を原動力にするだけの心はあったか。ならば、良いではないか」

「いい、だと? 此処で死ねば、レオを見届けることなど出来る筈がない! そしてアンリ・M・巴。貴様は―――」

「もういいじゃねぇか」

「貴様、は……」

 

 地に伏したユリウスを見れば分かる。見る者を圧倒するような殺気と、全身を覆い尽す黒ずくめの服は彼のボロボロな身体と心を隠す為のものだったのだと。アンリだけでなく、タマモもその異様なほどに擦り切れた魂の在り方は見えている。

 敗者となった瞬間に全てをさらけ出されるなど、これほど相手をよく知れ、なおかつ相手を侮辱する方法も無いであろうに。

 

「お前さんの言う“見届ける”とやらがどんな約束なのかまでは知らねぇさ。けどよ、ここまでやって来た姿をその約束した誰かに伝えるんじゃダメなのか? テメェの言い様からして既に死んでるようだし、もしかしたら輪廻待ちの場所で会える可能性だってある。戦場で死んだ兵士が仲間達の近くで蛍になったみてぇに、案外ソイツもレオ坊の事を近くで見てることもある。勿論、任せようとしたお前にもな」

「…………そんな事、ある筈が」

「無い、とも言い切れねぇさね。人だけじゃない。全ての生命が思いを馳せれば、いつしか必ず届くのがこの世の道理だ。届いた所で変化があるかどうかは、ソイツら次第だがよ」

「だが、もうオレには時間は無い。届ける手段すら、ない」

 

 悪神の甘い言葉によって固く結んだ精神を無意識化でほどかれたユリウスは、項垂れるように本音を零す。そんな彼を見て、アンリが表情を変えた事をタマモはみやった。

 またいつもの事ですか。

 

「……しゃあねぇな」

 

 アンリがユリウスの傍に歩み寄る。絶対的な障壁が行く手を阻むが、彼はその直前で立ち止まった。まだほとんど消滅していないユリウスは彼の姿を見て、神に縋る民の様な衝動に駆られた。

 馬鹿馬鹿しいとは思っている。だが、この不条理を手にした男なら何かできるのではないのか、とも。懲りもせずにそう思ったのだ。

 

「届かせろ、信仰せし神の醜形(タローマティ)

 

 言葉と共に、彼の持つ最後の宝具が開帳される。

 月を越え、地球を越え、宇宙を越えたアンリのアンテナが響き渡り、今この瞬間、この宝具にとって存在するべき「距離の概念」という条理を背かせた。即ち、一の距離もゼロに。億の距離もゼロに。ユリウスはそんな宝具の効果など知らない。ただ、彼は消されかけた体を引きずってアンリと壁越しの距離まで辿り着いた。

 たったの一言、喉を絞り、希望を託して言い残した。

 

「奴は、立派になった」

 

 ユリウスの体が崩れ落ちる。

 

「アルヤーマー・イシュヨー」

 

 終わりを告げる鐘のように、彼の声が舞台の幕を引く。

 瞳の奥から生の光を消し去りながら、ほんの僅かばかりに口角を歪めてユリウスは倒れた。後に残るは空っぽの体。

 

「…いや、恐れ入ったぞ。妖孤のマスター」

「よせって。オレはアイツに死ぬための口実を与えたに過ぎねぇ。面倒だからさっさと終わらせてやりたかっただけだ」

「だがユリウスは、最後まで己を蝕んでいた蠍の毒を克服した」

「そーかい」

 

 義理堅いもんだ。そう言って、アンリはタマモに目で合図を送る。

 宝具の副次効果で作りだされた結界は消え去り、元の熱帯雨林にも似た岩場のあるフィールドが姿を表し、敗者は壁の向こうに残される。

 己が主の遺体を横に、稀代の武道家も口元に笑みを残して消滅を選ぶのだった。

 

 




タマモの愛も変わらず決戦になるとこのクオリティ。
いや、上の文はダジャレですよ?なんちゃって。

自分達なりにユリウスどうしようかな、と考えた結果、やっぱり悪神アンリくんには安楽死という選択肢をとらせてみました。下手に生き残るよりこっちの方がさっぱりするでしょうし。それに友達とか今のアンリくんには重すぎて潰れます。
それにしても洗脳描写が増えてきてしまった。どうしましょ。

とにかくこれで五回戦もとい、第五章も終了。
次回より完全オリジナル「脱出編」です。原作ぶち壊しちゃってごペンなさい。

あ、そういえばアンリ君の宝具データおいておきますね。開帳分だけですが。

信仰せし神の醜形(タローマティ)
ランク:A レンジ:∞ 最大補足人数:1人
由来:ゾロアスター教「背教」の悪神
 もうひとつの効果は、「世界の条理を背かせる」と言う効果。その効果は魔術や攻撃には転用できない物の、声や映像など実体を持たないものなら距離を超えて指定した者に届かせる事が出来る。ただ、一方通行の通信手段であり、世界を欺くと言う大事に魔力はかなり消費されるので、恐ろしく使い勝手が悪い。燃費で言うなら、優れた魔力を持つ魔術師三人は魔力を吸い尽してしまうほど。
 「アルヤーマー・イシュヨー」という呪文を言ってしまうと、なんの魔力のあるなし問わずに宝具の効果が強制的に解除される。自分でもいいし、他の人が言っても、術者が認識できて入ればそれでよい。

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