Fate/deep diver ~天月の逆杯~   作:幻想の投影物

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どうも、今回は珍しくただの戦いです。
つづるべき信念も、重要なことも何もありません。
ちからなく、ただ人が死ぬだけの戦いです。
がなりたてる様なわめき声も無く、
正しいと強要することもなく、
しずかにおわる。
いいかげんな、ただの終焉。
? ---おや、私は何を話していたのだったか。


Clown Crown Sugar

「しかし、少し早まりました」

 

 眼鏡を押し上げ、困ったようにラニは言った。

 

「?」

「ええ、Ms.ありす。貴女にくだらない幻覚を見ていたと指摘される前までに、私は貴女の同居の方たちに魔術を施してしまっていた。殺す気で放ったものですから、解呪も考えていない代物。下手をすると、それが原因で負けてしまうかもしれません」

「え、ラニお姉ちゃん!?」

「私もヤキが回っていた。反省すべき点でもあり、後悔すべき事ですが此方からはどうする事もできません。祈るしかないのでしょうね」

 

 ラニは聖杯戦争への執着で見ていた幻覚。それによって持たしてしまった破壊工作の非を認めながらも、その事は何ら問題ないかのように振舞っていた。単純に考えてみれば、あの二人がこんなチンケな工作に引っ掛かっている姿を予想すらできない。ちょっと何かがあったかもしれないと、気に留めることすらないかもしれない。

 事実、イメージとしては間違っていないだろう。彼は直前に起きる事象には反発しようとするが、起きてしまった事象は必ずや受け入れる。その上で、敵対する相手にとって最悪を目指して突っ走る性格なのだから。

 だが―――ラニは、己の力量を低く見過ぎていた。呪の強弱はともかく、それだけは知っておくべきであっただろう。だからと言って、事実が変わるわけでもないのだが。

 

 

 

 

 ぎょろりと、仮面の下から覗く大きな瞳がこちらを覗きこんでいる。こんなに近くに立っているにも関わらず、その目はようやく探し出した大切な物を見るかのようだ。

 じっとり、たっぷり、ずぅっと。本当に穴でも開けるつもりかと疑われそうなほどにアンリの事を見つめ続けている。対し、視線を受ける彼は、ランルーくんを舞台を見ているオーディエンスの一人であるかのように、当然であると受け止め笑っていた。場違いな事にもその手に、熱々の湯気を断ち上らせるシチューが乗せながら。

 

「愛した物しか食えないって言っていたのを思い出したんだよ。其方さんのお眼鏡に適ったオレが作ってきた粗末なもんだが…食うかい? 愛する人の手料理は美味しいってな」

 

 かつての槍を扱う赤毛の少女を思い出しながら――とはいっても雰囲気も何も赤毛以外の共通点は無いのだが――アンリはすっと皿を差し出した。

 

「ゴメンネ。ソレニハ食欲湧カナイヤ」

 

 視線は微動だにせず、対して体をゆらゆらと揺らしながらランルーくんはアンリの料理に首を振る。アンリはやれやれと肩を竦めてこう言った。

 

「ソイツは残念。じゃ、処理するか」

 

 言うや否や、彼の手は巨大な皿をも飲み込むカバより大きな口に変化させる。ぱっ、と支えを失った料理は皿ごと口の中に放り込まれ、その全体は口が閉じられることで全く見えなくなってしまう。

 しばらくの間皿ごと噛み砕く咀嚼音が響き渡ると、彼の右腕は満足そうにシチューのなれの果てを呑み込み、元の手の形に戻った。奇怪な人間の変形そのものは、この場の誰もが見慣れたもの。ようやく終わったか、とでも言うかのようにランサーの眉が吊りあがる。

 

「ふん、呪われし体を晒す生き恥。それを何とも思わぬ悪魔めが我が妻をたぶらかそうとは笑止千万なり。我らが絆は城壁よりも破り難しと思え」

「逆に言えば、城壁ブチ超えることしたら壊れるってことですか? もろい愛の形ですね~。ま、私達の絆はどんな物でも例えようがないほど固く結ばれていますけど」

「はっ、その澄ました醜き獣の面皮、我が剥いでスープにして献上しよう。その折には、貴様の愛しき主とやらと同時に煮詰めてやる。我が恩情を胸に抱きながら、潔く首を差し出してやれば苦しみは与えんぞ?」

「ランサー、駄目ダヨ。彼ハボクガ大切ニスルンダカラ。ランルーくん、マタ見ツケレタンダ! ヨウヤク、ヨウヤク美味シイモノ食ベラレルンダ」

「ああ、すまなかった。このヴラドとしたことが、愛しき妻の言葉をあまつさえ、無視しかけてしまうとは…!」

 

 三文芝居より酷い猟奇芝居。腐肉と臓物が飛び散りそうなほどにうんざりしたランルーくんは、いい加減にこの騒がしくも愛おしいサーヴァントがどうにかならない物かと、仮面の下でニッタリと笑った。

 

「ネェ、君ガ一番好キナモノッテ、ナニカナァ?」

「好きなもの…そうだな、オレは何よりも好きなモノってのが見つからなかったんだが……強いて言うなら、キャスター」

「へ?」

 

 キャスターは思いがけない言葉にかたまるが、彼はすぐに次の言葉を繋げていく。

 

「それに、ありす。マミやシャルとか…他にもたくさんいるが、オレの家族。見知らぬその他大勢でも、この世界に存在する全ての人々が、オレのもっとも好きなものだ。モノ、と言っちまうのは忍びねぇが」

「なんだ…私だけ(オンリーワン)じゃないんですか……」

「ん? 何か言ったか」

「いいえー? べっつにぃー?」

 

 これまた、三流の日常風景の様な物を展開した彼らは、次に響き渡ったランルーくんの喜劇的な笑い声によって視線を集中させることになった。

 

「クスクスクス…ソウダヨネ! ランルークンノベイビー、ランルークンノパパトママ! ベイビーハ小サクッテ柔ラカクッテ、パパトママハ優シクテ大キイヨネ! 皆大好キ! ……ダケドモウ、ダァレモ居ナイ。ゴチソウノナイ世界ナンダ。デモ、ランルークンハ悪イ子ダカラ、皆ヲ好キニナレナイ……」

 

 哀しいんだ。悲しいんだと目を見開く。

 充血しきった瞳には、ありありとランルーくんの心の内が覗きこむ。

 

「ダカラ、聖杯。聖杯デミーンナ好キニナレルヨウニオ願イスル! 食ベキレナイクライ、ゴチソウイッパイ! ステキナ世界ダヨネ?」

「…誰もを愛する事が出来る世界か。犯罪者でも、お前の家族を殺した奴でも好きになれる世界にするんだな?」

 

 ちらりと話の真偽を問うようにカマを掛けてみたが、彼女の興奮はさめやらぬ。家族を食ったのか、はたまた家族を殺されたのか、彼女の様子を見ても分からない。だが、都合の悪い部分以外の後半は聞こえていたのだろう。一つ、彼女はしっかりと頷いた。

 

「ウン。ランルークン、ドウシテモ、スキキライシチャウ。デモ、イッパイランルークンモ愛シテ欲シインダ。君ハ、ランルークンノコト、好キ?」

「ああ、お前さんが人間である限り、オレは等しく愛を与える。オレは等しく願いを叶えよう。オレはそう言う存在だ。聖杯に似たり寄ったりの、だが破壊と滅亡を以って、その願いに応える。お前の場合は特に――叶いやすいだろうな」

 

 決して否定はしない。ただあるがままを受け止め、彼女と言う人間に等しく愛と言葉を投げて行く。それが戦場で無ければ、ランルーくんと名乗るこの女性も拠り所の一つを見出したかもしれない。

 だが、戦場。此処は戦いによって各々が自己を表現する命の洗い場。その言葉はランルーくんの心にひどく突き刺さり、彼女に感類の涙と並々ならぬ高揚感を見出させることとなった。

 

「ウレシイナ、ウレシイナ。本当ニ愛シテクレルノガワカルヨ。コンナニウレシクナルナラ、アリーナノ前デ、アノ時食ベテオケバヨカッタナァ……」

「キヒヒッ……おっと、思わずだが下品な笑い方で失礼っ。とはいえオレも、孤独なお前さんには精一杯、できるだけの愛を捧げたかったさ。特別なものじゃない、万人向けのレクリエーションかも知れんがな」

 

 どうだと手を広げ、ランルーくんでなくとも、全ての人間を包み込むかのように受け入れる体勢をとったアンリ。だが、彼らの乗るエレベータの間には薄く、強靭な防壁が一枚二枚三枚と連なって圧縮されている。ランルーくんの輝いた目と共に差し出された右手は、その防壁にコツンと当たって静寂を作りだした。

 そんな様子を見たキャスターはくすりと笑い、袖で口元を隠す。

 

「あらら、ムーンセルは貴女がご主人様に触れる事を良しとしなかったようですねぇ。貴女には、万人への愛さえ届かないという事かも知れません」

「ガッカリダナァ。デモ、ウレシイナ。ズットウレシイナ」

「…貴様らの無償の愛、そして我が妻に捧げた恩情を越えた本心には敬意を尽くそう。なればこそ、その気高き心臓に流れる血潮をこの身に浴びる時が待ち侘しい。貴殿の幼子を屠った時は少々気が昂ぶっていたようなのでな、此処で詫びを述べさせて貰おう。

 ―――しかし、である。これより待ち受ける至極のひと時! 快楽の交差する戦場が待ち受けておると思えば、この槍もまた貴様らへ向ける花束の如く扱おう! そして貴様の死に際を、我が愛する妻の為に捧げさせてもらう。正々堂々、我らが死力と精力を絞り尽くして、この地を温かな命の躍動で穢すことを誓おうではないか!」

 

 どこまでも響き渡る宣言は、このエレベーターの中にどっしりと意志を反響させた。

 ワラキア公ヴラド三世は、その逸話故に吸血鬼(反英雄)としてブラム・ストーカーに綴られた一方、ルーマニア独立のために戦った確かな英雄としてその名は評価されている。小国であるワラキアを大国オスマン帝国との戦いで有利に進めるために自治国の領土を焼き払う冷徹とも取られる焦土作戦を用いる事も多かったが、軍歴は上記のとおり英雄として称えられるほどの功績を残している。

 そのルーマニア全土を沸き立たせるかのような快進撃に、宗教派閥が違う筈のローマ教会の関係者からも称えられるほど、ある意味で宗派を問わないキリスト教へと導いた人物であるとも言えよう。それ故に、残虐な行為や性格はともかく戦いに関しては何かしらの敬意を持っていたとも考えられる。現にランサーの瞳は狂気の中に清純な輝きがあり、敵対した物を圧倒するような威圧が隠しきれない程に滲み出ているのだから。

 

 彼の言葉の反響がようやく終わった時、エレベーターのカメの歩みはようやく終わりを告げる。サーヴァント同士が対界宝具を撃ち合っても、決して聖杯戦争の大本には影響が及ばないようにするためのアリーナ最深部。視覚的には近くに見えて、電子的には最奥の間。ようやく、各人が滾る力を発する機会が訪れたのだった。

 

「妻よ、ここに下がっておれ。アナタが見初めし相手との戦いが熾烈となる事は必須。オレが愛した、かつての失った姿をマスターとなった貴女に見出し、改めて愛を誓った。望むままに、我が戦をアナタに捧げると今一度誓いを立てようぞ」

「オナカ減ッタ。ランサー、ヨウヤク愛セタ彼ヲタベタインダ」

「…分かっていた。アナタの愛がこの身に届かぬことなど。だが、それでもオレは愛と勝利と美食を捧げる。この槍に誓うべきアナタの名を聞く事は終ぞなかったが―――嗚呼」

 

 あちらも準備をしているようだ。そう言ったランサーは、まだ戦闘を許さない壁がある内に話し合っているらしいキャスターの主従を見た。この決戦の前でさえ笑っている、彼らの姿はキャスターの真名を知った今となっては敬意を表したい。

 目を伏せ、次の瞬間には血流を巡らせた眼光を敵と定めた彼らへ向ける。ランサーが握り直した槍の感触は、嘗てないほどに昂ぶっているとも感じられた。

 

「本能と理性によって食を行う者が、アナタの足下に及ぶべくもない! おお、その身を創られしマスコットと偽りながらも、その曇りなき心に一切の虚飾無き我がマスター。アナタが、こんどこそ我が身に愛を捧げる日を待ちわびて突き進もう。オレでさえ吐き気を催すその食を好んだ姿には、身の内から湧き上がる恋慕を募らせずにはいられない。

 狂えし英傑としてこの身を捧げられぬことが―――かようにも苦しいとは思わなんだ」

 

 台詞の直後、彼らを阻む無粋な虚構の防壁は音を立てて砕け散った。

 最後に一度だけランルーくんの方に目を向けると、迷いを振り切った瞳で彼は跳ぶ。

 

「ぬぅぉぉおおおお!」

 

 ランサーは右手を奪い取った相手――アンリ達の元へ飛び込み、キャスターの間合いの一歩手前で着地する。鎧の硬質な音と共に永遠に乾く事の無い鎧上の血液が飛び散り、ランサーの立ち位置を赤いスポットライトの様に彩った。そこから漂う臭気に、ずっと嗅覚の鋭いキャスターは鼻を曲げる。

 

「悪趣味ですねぇ。外見(そとっつら)だけでもどうにかならないでしょうか」

「ほう、そこな東洋の狐精のみを遣わしたか」

「貴方の愛より清純な愛を捧げるご主人様の手を煩わせるまでもありません。片腕を失った相手は私一人でも十分ですので」

 

 呪符を指の間にはさみながら、その符にキスを落としてキャスターは不敵に笑う。

 冷たい視線で以ってそれに応えたランサーは、改めてその残っている左手に槍を握る。

 

「真名を見抜いたのならば知っておろう? 我が戦は窮地によって始まった。この程度で低く見積もるとは…後悔の暇さえ与えぬぞ」

「その前に懺悔を聞いてやるよ。そのまま首を落とすかもしれねぇがな」

「懺悔などない。悔い改めるべきは貴様らのみ」

 

 そーかいと気楽に返答する彼は、まったくと頭を押さえて笑った。

 実を言えば、二日を通した宝具の三種発動とありすの再生によってアンリの疲労はピークに達していた。肉体的な面はともかく、精神が大きく彼の存在の根幹だというのに、依然として弱さを見せないその姿勢は…いやはや、脱帽すべき点であろうか。そんな状態でありながら、何時でも飛びだせるよう歪んだ熱と乾きの剣を握ったアンリは、キャスターへ全力を出せと目で語る。キャスターが当然の様に頷くと、ランサーはギラリと殺気の籠った視線を光らせる。

 

「謝肉祭は此処に在り。稀人が集いし奇っ怪な戦に臨みし者どもよ……いざ!」

「魔術師に過ぎない英霊ながらこの私、正面から相手を務めさせていただきますっ!」

 

 最初に動いたのは、その俊敏のステータス差からキャスター。

 

「えぇぇええええい!」

 

 如何なる摩訶不思議な呪法を扱ったか、彼女の飛ばした鏡に張り付けられた呪符はこれまでよりも勢いを増した炎を発し、さながら妖怪火車(かしゃ)が空を飛び回っているようにも見える。骸を持ち去る妖怪の如き炎は、死者でありこの世の稀人であるランサーを骸と定めたか、一直線にその懐に向かって着弾。そして炎柱を立ち昇らせる。

 煉獄の炎が撒き散らされるなか、ランサーは重厚な鎧とクラススキルの対魔力で炎を凌いだかのように見えたが、彼女の作りだした魔術は物理現象と同義と言う特性を兼ね備えている。それは、如何に対魔力を施そうともその括りから外れた威力がそのまま伝わってしまうと言う事。ランサーは彼女の真名を看破しつつも、英霊としての能力を知っていた訳ではないので一撃をまともに受けてしまう。ただ、彼にとって好機だったのは――

 

「むぅ、ぬぅぁぁぁ!!」

「遅…いや、速っ!?」

 

 その炎が、苦痛と共に己の「右腕」を焼いてくれたこと。

 

 少し話が変わるが、ランサーがランルーくんにマスターとしての技量を求めた事は一度たりともない。ただ、ランルーくんという存在は桁外れな魔力をその身に宿しており、それをランサーが何よりも効率よく、固い主従の結束によって引き出しているだけ。故に、ランサーが右腕を失った時、ランルーくんは普通のマスターなら出来るような応急措置が出来ていなかった。

 だが、この超温度の炎によって彼の傷口はあぶられ、火傷として切断面がふさがったことで鎧にまで染み出していた出血がせき止められる事になった。火であぶられると言う痛みはあったが、英雄にとってその程度のダメージは苦にもならない。それどころか、激しい運動で出血を気にする必要はもう無くなるという利をもたらしてしまったのだ。

 それ故に、彼の歩みは最早留まるところを知らない。ランサーは槍を振り上げ、左腕に全ての体重を掛けた。

 

「受けぇぇい!」

「呪相・黒天洞!」

 

 その調子のまま、重き剛槍が振りぬかれる。彼の全体重が乗せられた一撃を魔術師(キャスター)のクラスである彼女が受けてしまえばひとたまりも無いことは明白。そのような判断を下し、ここぞとばかりにスキルを使用した彼女は弾き飛ばした敵の槍から魔力を吸い上げ、懐に忍ばせた呪符へと魔力を流す。察知したランサーは新たな槍を召喚する事で壁を作ったが、敵の魔力を利用した魔術は元々の持ち主へと風の牙を剥いた。

 暴風と魔力を乗せた刃は槍の間をすり抜け、ランサーの体をつむじ風となって駆け抜けていく。その置き土産として、当然ながら傷を残していくわけであるのだが、黒き鎧に身を包む強靭は不敵に笑うのみ。生半可な風は聞く筈がないだろうと、そう言わんばかりに型を竦めてさえ見せていた。

 

「ああ、もう…ランサーにしては遅い癖に、城壁並みの防御力とかギリシャの重装備兵かっつーの!? なけなしの対魔力(クラススキル)も微妙にこっちのペースを乱してくれやがりますしぃ!」

「この程度、帝国の者共と比べれば痒いものだ。さぁ、とくと味わえ、裁きの槍を!」

「なっ、いきなり宝具…!?」

 

 彼女が感じたのは多大なる魔力のうねり――即ち宝具の神秘。

 龍脈が流れる様を彷彿とさせる魔力が地面に浸透すると、大地から土筆のように突きだしてきた槍がキャスターの動きを阻害する。空に逃れる事も難しいそれら剣山の様な大地を掌握するためか、ランサーは大跳躍によって月を背に。槍の先端には目を圧縮された魔力が集結し、非常に鋭利な山の軌道を描いて彼はキャスターへと落下してきた。この様な上からの攻撃は黒天洞で防ぐには方向の問題があり、下手に防御態勢をとればそのまま結界ごとあの血染めの鉄槍で貫かれることは請け合いだろう。

 だが、彼女は一人で戦っているわけではない。突如として声が響き渡り、ランサーが支配した筈の地面は反逆を起こしたかのように槍を押しのけながら盛り上がっていたのだ。

 

「キャスター、備えろ!」

「了解です!」

 

 後方からの力強い声と共に、アンリの泥が彼女の周囲を完全に掘り返した。地割れが起こったかのように地形は変形し、突きだしていた槍は支えるべき土が掘り起こされたことで横向きに倒れて行く。地面の割れ目から噴き出した漆黒の泥は落下してくるランサーの横腹に殴打を繰り出すと、更に二段控えていた後方の泥が風を切って襲いかかる。

 ランサーは叫び、この程度の茶々で良いように殴られた己を叱咤しながら槍を握った。この程度、いなせずして空の技(ジャンプ)は持たないのだと。この行動こそが予定調和であると確信した眼光と共に槍が大振りに薙がれ、彼に迫っていた泥の鞭群は呆気なく煙の様に掻き消されてしまった。だが、このまま一度溜めてしまった槍の魔力を単に放出するわけにもいかない。ランサーは己の手に持った得物を最大限まで引き絞ると、弓の様に体をしならせて地面の接触、その際に生じる足下からの衝撃を全て腕にまで集結させ、合力の威力で投擲を行った。

 

「これぞ、我が串刺城塞(カズィクル・ベイ)であるッッッ!!」

 

 ガガガガガガガガガガガッ!

 ケルトの大英雄、クー・フーリンにも劣ることはない見事な投槍。禍々しい吸血鬼と言う負のイメージを付け加えられた史実が闇の威力を呼び、空間を削り取り、大地を引き裂きながらながらキャスターへ飛翔する。彼女はもうそんな物は見慣れていると言わんばかりに目を細めると、何事か呪詛を呟き符陣の多量展開。此れまでとは打って変わって、形の整えられていない奇形の札ばかりが彼女の周りに散らばると、世にも不思議なことが起こった。

 

「む…!?」

 

 ガタ、ガタガタガタガタガタガタガタッッ!

 宝具として繰り出されたランサーの槍は不意に空気抵抗でも受けたかのようにぶれ始め、遂にはキャスターがいた場所とは見当違いの場所を破壊したのである。一見すると攻撃側(ランサー)のミスにさえ思えるこれは、決してランサーの奇抜な投げ方が原因であるからではない。

 ただ、「キャスターの運が限定的に底上げされた」だけである。別の何とも表現のしようがない幸運が(・・・)

 たったそれだけで、「槍は一定箇所に必要以上の空気抵抗を受け」、「偶然キャスターの居ない場所に狙いを反らしてしまった」。しかし結果を選んだ側のキャスターは、不敵にも敵を前にして余裕を見せて笑った。

 

「ふふ、少々工夫を凝らした私らしいスキルなんですよ。…そうですね、名付けるなら“風水結界”なんてどうでしょう?」

 

 妖艶なる露出の多い巫女服を着た狐耳のサーヴァント・キャスター。

 彼女が持つスキルの内に「呪術」と呼ばれるものがある。そのクラスはEXと規格外に思えるのだが、これは神代の魔術師がキャスターとして呼びだされても習得した物はほとんどいない程。そも、規格外(EXTRA)という時点で人間には到底不可能な段階である。とある所詮のライダーとて、そのスキルは幸運関係であって技術では無い。

 さて、話を戻そう。その呪術の元となった思想の中には、「風水」と呼ばれる「物の位置によって気の流れを制御する方法」があった。前述したとおり、呪術のスキルがEXである彼女にとっては呪術の基礎となった思想(風水)から新たな結界陣を組むことなど造作も無い事。

 故に、彼女は宝具に集まった気の流れをあの一瞬の下りで看破し、もっとも効率よく魔力を分散させる陣形を見出した。その結果が、あらゆる「力」を中途半端に失った槍の暴走。キャスターの結界範囲内に入った槍は、絶妙なバランスで保っていた魔力の流れを乱してしまったと言う訳である。

 彼女自身、過去の失態を深く反省しており、地位や財産、権力者の運命でさえも簡単に弄べてしまう呪術に関して多大なる反省と嫌悪の心があった。だが、彼女自身もいつまでも過去に目を背けていてはいられない。そうでなければ、夢である「主人に仕えること」はおろか、聖杯戦争で勝つ事すらできないから。

 迷いを引きずっていては、自分よりずっと弱い筈の主人に追い抜かれる。それだけは、させない。自分が主人を引っ張って行く気兼ねであり続けたい。ちっぽけな理由だが、彼女が決断するには十分な思いなのだ。

 

「奇怪な…! 高潔な戦場に幸運を操る呪法を用いるとはな。やはり、魔術師と言うのはいけ好かん連中だ」

「そもそも“運も実力のうち”ですしぃー? 戦いの場では卑怯も何もありませんよ。ああ、あの遠距離攻撃を連発出来るならどうぞご勝手に。今の私に、貴方の様な魔力付加系統の技は通じませんのであしからず」

「その身が優位と称すか、傲慢な女よ。なれば我が槍を味わうが良い!!」

 

 サーヴァントとしては鈍足の、されど普通の人間にとっては目で追う事すら難しい速度でランサーが肉薄する。濃密な殺気と戦場をその槍で駆け抜けて来た威圧は幻覚として彼の体を大きく認識させ、得物が震えあがっている間に一突きで殺すことも出来よう。まさにその未来が貴様だと目で語るランサーがキャスターに突撃すると、またもや乱入の一手が割り込んできた。

 その正体は、言わずもがな悪神アンリマユ。実力の違いも、真正面から近距離~中距離を得意とする三騎士・ランサーを相手取ると言うのに、そんな物は関係ないと言わんばかりにキャスターの間に二本のねじれた刃が差しこまれ、ギロチンの様にランサーの武器を挟みこんだ。勢いの殺されていない槍は接触した武器と火花を散らし、甲高い金属音を撒き散らしながら、正確に、しかしゆっくりとその軌道を反らされていく。

 まるでランサーの想いがランルーくんに決して届かないかのように、のらりくらりと言葉を交わされるかのようなデジャブを覚えさせられたランサーは、止められたことで突きの勢いが失われないうちに力づくで乱入者―――アンリの脳天へとその槍を突きたてようと更なる力を加えた。

 アンリは冷や汗を流すことはできないが、それに似た雰囲気を放ちながらズズズと押され、地面に足の跡を残しながら後退させられる。筋力と地力の差で勝っている相手なのだから、こうなることは明白だったはずだ。だというのに、彼は笑いながらその状況を維持しようと踏ん張り続けている。

 

「かぁッ…! 流石は吸血鬼の特性持ち、怪力が厳しいもんだ!」

「このオレを無辜の怪物として見るのならば、そのまっこと無礼な恐怖を胸に抱きながら死んでゆけいっ! その魂を供物とさせて貰おうぞ! おぉぉおぉぉおおお!!」

 

 ランサーは槍を握る手を持ちかえ、力の入れる方向を変えた事であっさりとアンリの脆い量産の剣を砕きながら弾き飛ばした。基本的なステータスで全体的に負けているアンリは、その抵抗を抑えきれる筈も無く、壊れた武器の虚で手を泳がせるのみ。

 対するランサーが攻撃の手を緩める事は無い。幾度再生しようともその首を狙って槍の一つ気が彼の体に食い込み、想像を絶する死の痛みがアンリの体を何度も何度も貪り尽くす。脂汗と、ある筈の無い心臓の動悸が激しくなる中で、しかし彼は笑みを浮かべた。

 

 ―――さて?

 

 アンリはこの窮地において、己の勝利を確信している。こうして武器が壊されるのも想定内、自分(マスター)の排除に躍起になる事もすら想定内であるのだと。そうしてランサーをミスリードに導いたのは、自分の後ろに控えるキャスターが次の攻撃へと繋げるための時間稼ぎ。自分はこのまま刺されながら「攻撃が有効なフリ」をして腹に穴を開けて回避する。騙し切るため、フェイクの()は油断を誘わせるように傷モドキの穴から立ち上らせてさえある。こうなれば、後は大振りな攻撃を受けた振りをして吹き飛ばされた後にキャスターが術を発動。彼女作、氷のヴラド公を見つめるのみであると思っていた。――のだが、ここで一つの問題が発生する。

 

 ―――?

 ―――!

 

 ほんの、ほんの一瞬の間。たったそれだけの間に、サッカーから戦争問わずの戦闘に置かれた者同士は目で会話(アイコンタクト)を行う事が出来る。だからこそ、彼はキャスターに後は任せたと目で語ったのだが、相対する彼女はごめんなさい、無理なのですと視線で語っていた。

 よく見てみれば、彼女は不自然な体勢で固まり、呪符を握るべき指を痙攣させている。腕を動かそうとして必死に力を入れているようだが、それも「サーヴァントであるが故に」不可能だと言う事が伝わった。そして何より、彼女の眼はこう語っていたのだ。

 

 ―――体が、麻痺しています。

電子霊装(コードキャスト)――――!?」

 

 一体何故。アンリには理解できなかったが、これはまだ勝利を諦めていなかった時のラニが設置した時限式の罠。キャスターとの会談を行っていた時にラニが施したものであり、その魔術の意味は「サーヴァントが一定数以上のスキルを使おうとしたら体が固まる」というもの。

 持続力は特定の相手との戦闘中だけ、と一見短く感じるものの、この一対一の決戦の場において魔術(スキル)の使えないキャスターなどでは勝ち抜ける筈も無い。彼女もそれが分かっているからこそ、この様な場でこの様なコードキャストが我が身を縛り始めたことに対する憤慨と、アンリの足手まといになることの申し訳なさが心を覆い尽した。

 対する敵は、この異常性に気付いてしまったらしい。ランサーの目は爛々と輝き、目前に訪れた勝利の采配を手にしたのだと笑みを作っている。

 

「おお、これこそ我が神が遣わした奇跡! 妻よ、オレはようやく捉えたぞ!! 貴様らも此処で終わる。その肉体に流れる血を以って、妻よ! 喉を潤したまえ!!」

「くそ、しまっ」

 

 上機嫌な声色で、躊躇し固まっていたアンリをフォークで刺したケーキの様な軽さで振り上げる。穂先に貫かれていた彼の体は一瞬の浮遊感を味わうと、今度は自由落下によって地面と衝突の未来を創りだす。アンリは歴戦の者たちとは違って地面へ衝撃を受け流す術を知らない。故に、それが大きな危機を作り出し、キャスターをも危険にさらしてしまっている最悪の状態だと認識。

 ならば! そう叫んだアンリは手を一対の大翼に変形させると、ハーピーや翼竜の様に風を受け流しながら正しく空を滑空して落下を逃れていた。悠然と空から見下す彼の姿は、正に悪が愚民を見下す様子と重ねてみることが出来るかもしれない。

 対し、これには流石のランサーも予想外であった。待ち受けていた筈の得物が未だに空にとどまり続ける様子を見て、なんと常識外れな身体であるかと感嘆と怒りの声をもらす。しかしそのうろたえであってもランサーは油断も慢心も無かったと言うのに、その一瞬が再び戦局を覆し始めるきっかけとなってしまったのだ。

 

 アンリが危機を脱した事を確認したキャスターは思考を巡らせた。自分が魔術などのスキルの使用で固まってしまうのなら、と早々に結論を下すとアンリの落下待ちだったランサーに対して熾烈なハイキックを喰らわせた。身体能力が無ければ英霊と渡り合う事すら問題外のキャスターであるが、逆にそれほど強化で斬れば英霊には攻撃が通じると言う事。だが―――

 

「ぐぬぅ…!」

「っし、当たっ―――足いったぁ……」

 

 いくら英霊と言っても、鉄を蹴り飛ばす程のキックをすればそりゃ痛い。そんな痛みに耐えた報奨か、ランサーはハイキックで直撃した頭部へのダメージが残っているようで、目の焦点が定まらないままにフラフラとその場を一、二歩ほど歩いてしまう。ようやく我に返った頃には、いつのまにやら己の眼前に迫る場違いに装飾過多な鏡の姿。黄金をあしらった装飾の部分がランサーの残った左腕を強打し、骨にまで染みる衝撃を拡散させていった。

 だが、ここまでのダメージがたまればランサーにも可能な技は発現する。不敵な笑みをこぼした彼は、短槍に持ち替えるや否や、すぐさま五日目の時の様にその槍を胸に突き立てた。

 

「供物は天高く掲げ、飾るべし! 味わうが良い、私と同じ苦しみを!!」

 

 それは自傷と焼き写しの呪。

 アンリと違って宝具化にこそ至っていないが、彼の持つスキルとしては強力な部類に入る。その自国の領民だけで十万もの人間を屠りきったヴラドは、オスマン帝国と言う巨大な国を相手とするため生き残っている僅かな兵士を用いた作戦で見事奮闘した。それと同じく、ランサーは窮地であれば窮地である程、己の力が増してくると言う事だろう。

 空に逃れてから何処に行ったかは分からなかったが、キャスターのマスターが居ない現状、これを防ぎきれる方法は無い。黒天洞の防御スキルも使えない現状、ランサーの思惑と共に赤い血の様な光が瞬くことが赦されてしまい、キャスターは己の胸元に表れた赤い呪いをまとも受けてしまった。

 

「ご、ふ………」

 

 口から血が漏れ、現実の事象として反映こそされなかったが、その痛みだけで一瞬心臓が止まりかけた。キャスターは胸を抑え、先ほどのランサーの様子を焼き移すようにヨロヨロと膝をつく。闘志は消えていないが、体の内部への同時攻撃だ。その痛みは我々の想像を絶するものに違いない。

 

「我が身も心臓を無くせば死に至る。だが、吸血鬼とまでは言われぬ狐精程度の貴様の首を落とすには、この痛みだけで十分であろう?」

「く…」

「しからば、去ねぇい!」

 

 処刑鎌の如く大きく振り上げた槍がキャスターの首を狙い、勢い良く振り下ろされた。

 絶体絶命の中、追撃が分かっていた彼女は無言のままに口から垂れる血を袖で拭うと、左手の袖にスキルが使えなくなる前に仕込んでおいた黒天洞の簡略結界を発動。如何なる攻撃も絶対不可侵の漆黒の盾は彼女の鏡を中心として展開し、ランサーの持つ武器の威力を弾き返すように圧し折ってしまう。

 ランサーは跳ねかえってきた振動にのけぞり、その一瞬の隙に活路を見出したキャスターはある程度の距離を保つために後進。砂を巻き上げながらほぼ平行に地面と足を擦らせ、その砂煙にまぎれてランサーの後方へ回った。

 

 手段としては古臭い方法であるが、現実において視界を潰すこの方法は近く手段を持たない相手にとって鬼門となる。常人は気配を読むなど大それた技術を習得できる筈も無く、姿が見えない相手には恐怖さえ抱く。場合によっては姿を見せない、と言う点におけるキャスターのいる場所は独壇場ともなりうるのだ。

 だが、ランサーとて英霊。目が使えないのならと耳に意識を集中させ、僅かな敵の動悸をも聞きとらんと暗闇の世界を作り出す。そしてその耳は、確かに凛とした女性の声を拾う事に成功していた。

 

「片腕で頑張りましたし、こちらもアクシデントで手こずりましたが……」

「そこか!!」

 

 ぶわん、と砂煙の全てを吹き飛ばしたランサーは、目の前に広がっている光景に愕然とした。見渡す限りの呪符の大地は、アフリカで撤去前の地雷原を彷彿とさせるほどにギッチリと詰められ蠢いている。これがランルーくん以外のマスターなら何かしらの脱出方法を思いついたのだろうが、ここまで見事に罠に掛けられたランサーにその術は思い浮かばないし、ランルーくんとて今は何をしているかも分からない。ただ、ぼうっと事の結末を見つめているだけだ。

 

「これで貴方はチェックメイト。…申し訳ありません、ご主人様。もう少しあのコードキャストの逆算が速ければ、あの様に無様な槍をご主人様(マスター)が食らう事もなかったのに」

「問題ねぇって。コードキャストの効果も今は切れてるし、ちょいと誤魔化すには骨が折れたが結果良ければすべてよしってな」

 

 そう言って「地面から生えて来た」アンリは、ランサーの上下左右の周囲十メートルを埋め尽くす「符の檻」を興味深げに観察する。配置と調律が完璧な調和の元に成り立っており、ランサーはこの中では吸血鬼としての淀みある魔力を用いる事も出来ない。正に、敵に囚われ行き恥をさらす捕虜となってしまったわけだ。

 

「…………」

 

 敗北である。完全にランサーはその事を悟り、腕を力なく垂らして槍を手放した。

 カランと硬質な音が空しく無音の戦場に鳴り響き、そのすぐ後にひたひたと体重の軽い人物の足音がランサーに近づいてくる。その仮面の下に、読み取れない感情を貼り付けて。

 

「ランサー、負ケチャッタネ」

 

 事の成り行きを見守っていたランルーくんは、アーアと文句を口からこぼしながらも、どこか悟ったかのように笑ってランサーを茶化した。狂気を宿していた筈のランサーは、その言葉に心底申し訳なさそうに首を振ってこたえる。

 

「妻よ、この地に来てはアナタの命まで…いや、この身が朽ち果てる時は我が妻もまた同じ命運を辿るのみ。……よもや消滅の猶予を相手の手によって握られようとは、やはり怪物と記されし我が身は―――無情な消滅を迎えるのか」

 

 悟ったかのように、ランサーの狂い捻子曲がった瞳に理性ある光が宿る。

 彼は顔をアンリ達に向けると、騎士のたたずまいで膝をついて懇願した。

 

「勝者よ、我が命を握ると言うのならば幾ばくかの猶予を。オレの想いを我が妻に届けるだけの時間を頂きたい」

「言うと思った。オレからは手を出さねぇし好きにしな。…キャスター、トドメのタイミングはオレの指示で」

「分かりました。怪物たちの二度目最期くらい、花を持たせようって奴ですね」

 

 ある意味いつも通りの主人の様子に息を突きながらも、決して油断も隙も見せないよう、この二人の邪魔をしないためにゆっくりと結界から足を遠ざける。ランルーくんは符の牢屋に囚われたランサーを紙格子越しに見つめると、オナカスイタナァと息を吐いた。

 

「ふ、腹を空かせたと言いつつも、決して相手のマスターを喰らう事は無かった拒食の女。その終わりが狂えし男と共にあるなど…嗚呼、実に哀しいものだ!」

「哀シイネ。デモ、ランサー…食ベナイト」

「ああ、そうだな。食わねばならん。…今はその食事時ではないがオレの前ではそのような仮面を外してほしい」

「……」

 

 彼の手が格子の間から伸び、彼女のピエロの面をはぎ取ろうと迫る。彼女は抵抗しようともせず、甘んじてその行為を受け入れた。伸ばされた面を彼の手が掴み、カランとその面が地に落ちる。

 

「実に美しい……そなたは正気を失いながらも、あの悪神との会話の折に正気を取り戻し始めていた。その最後が―――この、顔」

 

 ランルーくんは、彼女は何も言わない。

 そのやせ細りながらも、美しさを醸し出す、決して色あせない彼女の母であり、妻でもある女性の表情をしたランサーのマスターは、無言で彼の濁った瞳を見つめ続けていた。時折、そのダボダボの袖の中に在る手で腹をさすりながらも、彼女はランサーを、ヴラド三世を見つめ続ける。

 

「オレもアナタの事をとやかく言える立場では無い。オレとてあの悪神に狂気を貪られ、スキルの下に隠されていた正気を引っ張りだされたのだからな」

 

 全ての元凶はアンリであるが、そのアンリには感謝をささげてもいいと、彼は言った。最後の最後で、怪物として呼ばれながらに人間を取り戻すことが出来たのだ。

 

「その点、アナタは食の狂気を宿しながらもずっと人間であり続けた。…なのに、なのに! 何故このような仕打ちを我らが神はたった一人の人間に押し付けるのか! 人間を愛するのが神ではないのか!? このような終わりは望まなかったと言えば嘘になるが、この様な所でオレはともかくアナタが終わってしまう事は許されざることであるのだ!」

 

 嘆きが迸る。

 ヴラドの目からは大粒の涙が零れおち、彼の妻と称したマスターへの非情な現実を呪うかのように地面に突き刺さって行く。それは、彼がランサーとして呼ばれたが所以か、はたまた。

 

「神よ、我が身は地獄に落ちても構わぬ。だが、我が父に今こそ願いを捧げたい! (ドラクル)の化身よ、この憐れな女に新たな角を与えたまえ!」

「ランサー」

 

 天に懇願しながら伸ばされた腕は、彼のマスターに掴まれる。

 

「ランサー、美味シイ?」

「……我が身は貴方に捧げるには余りにも穢れ過ぎている。それに、アナタに見出した真なる妻の姿を、オレは見れただけで満足だ。故に、偽物の影を重ねてみていた記憶をアナタが喰らう必要は無いのです」

「ソッカ、残念ダナァ……」

 

 手を放すと、ヴラドは再び天に懇願する事も無くゆっくりと立ち上がった。

 彼のマスターは、その光景を茫然と眺めてからアンリ達の方向へと向き直る。

 

「モウイイヤ。デモ、イイヨネ、コノ檻。君ノ愛ガタ~クサン、アルノガ分カルンダ。

 ボクハ君達ミタイニ愛ガナカッタケド、オナカモ空イテタケド、皆ヲ愛シタカッタノハ本当ダッタカモネ」

 

 エヘヘ、と笑った仮面の下の表情は、ぎらついた目が細められて照れくさそうにも見えた。やせ細ってなお、繊細なガラス細工の様な彼女の顔はしっかりと自分のサーヴァントであるヴラドを捉えている。彼女はその場に座り込み、呪符の檻の中に居るヴラドに何やら話しかけると期待したような目で彼を見つめ始めた。

 

 そして、ヴラドは手首を呪符の側面で切り刻み、血を噴出させる。

 

「これが、アナタに捧げられる清き竜の血。我が肉体は硝煙と死で穢れておりますが、これこそがアナタにさし上げられる命と愛を繋いだモノでございます」

 

 彼女に跪き、ヴラドは己の左腕を差し出した。

 溢れる流血の一部を空中で裾に染み込ませた彼女は、その赤く染まった部位をチロリと舐めて顔を綻ばせる。

 

「アー……美味シイ、ノカナ? ソレジャ、バイバイ」

 

 轟。

 ランルーくんの満足気な言葉を引き金に、キャスターは為に溜めていた呪符の魔力の全てを爆発させる。太陽の如き灼熱が場に溢れ、清浄なる清めが怪物のサーヴァントと化け物のマスターを焼き殺す。魔女狩りに捕えられた無実の者共の様に、されどそれが運命であると受け入れた一組の聖杯戦争の参加者は、安らかな顔で炎の中に包まれ―――消滅した。

 後には何も残らない。殺したアンリ達が見たのは、ただの物語の終焉。

 

「おや、結局相手の魂は回収なさらないのですね」

「アイツは最後の最後で満腹になれたんだ。ああも献身的な愛を捧げられる奴がずっと傍に居れば、そりゃあ満足だっただろうよ」

 

 ―――本当は不味くて飲めたものじゃ無かったとしても、な。

 

 彼の呟きは、キャスターの耳だけに残されていく。

 これにて、彼らの四回戦は終わりと相成った。

 





ランルーくんに対するヴラドの嘆き。
アンリのせいでどちらも「負」を吸い込まれ、戦うたびに、出会うたびにその狂気を削り取られ、正気に押し上げられてしまう。それは、狂いたかった者たちに対して何よりも苦痛であるのでしょう。
彼はそれを知って、あえて苦痛を強いました。
だって、相手はどうせ死ぬのだから、悩んで苦しんで――解決した方が浮かばれるのだから。

ただ長いだけの、最長16000文字でしたが、これにて四回戦は閉幕です。

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