Fate/deep diver ~天月の逆杯~   作:幻想の投影物

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人形のように操られるのならば、それでいいと笑っていよう。
だって、その糸はバンダースナッチが噛み切った。
アカ・マナフの算段は、ダエーワ達を解き放つ。
油断して、今度こそ振り返るな。
正義の剣が背中に迫っている。
しかし、その剣を握りし者は―――?


Alone girl & lady

「ウサギさん、行って!」

 

 右手に纏った白い冷気が、敵の喉元を切り裂く鋭い耳を持った白ウサギとなる。慌て錯乱したかのような不規則な軌道でアリーナの全方位に散らばった八体の兎は、ありすの「雪の野の白きウサギ」という魔術がどれほど応用に富んでいるかを証明しているかのようだった。

 ただ、そうして本来特定の形を持つべきでない魔術を理に適った形として発動させたからだろうか。彼女はアリーナの壁に寄り掛かると、反動で疲労と熱気の生じた額から流れ落ちる汗を白いハンカチで拭い取り、再び走り始める。彼女の表情からは、明確な焦りが読み取れるだろう。

 

「あとは、ワニさんの口を閉じて行けば……きゃっ」

 

 しかし、彼女の言葉は一旦そこで閉ざされることになる。赤い光芒が立ち上り、敵がド派手なスキルか何かで対象以外のエネミーを蹴散らした衝撃がアリーナ全体に響いたのだ。決して小さくは無い揺れに彼女の足は耐えきれず、鼻から地面に突っ込んで擦った箇所を赤くする。

 酷い痛みに涙目になる彼女だったが、決して涙は流すまいとこらえた。アンリに首をちょん切られた時に比べれば何ともない。そう自分に言い聞かせ、最初に見つけたワニの口だけが動いているような奇怪な攻性エネミーに何処からともなく取りだしたフライパンを振りかぶり、思いっきり地面に投げつける形で通過する。

 すると、キャスターの炎もかくやと言わんばかりの炎柱が立ち上り、そのエネミーは消し炭にされてしまったではないか。取りだしたフライパンはアンリの「意志を通じて形を変える泥」であり、彼女がそれを扱えると言うのは、実質上はアンリの幾多に内包する魂の一つであると言う照明になってしまっているのだが、今のありすにとってはそれはありがたい事だった。

 彼の力を借りているとはいえ、自分の手で何とか相手に上回ることが出来る。相手そのものに勝つ事は出来なくとも、決して叶う事は無いと知っていても、こうして小さな自分でも妨害くらいは容易いのだと実感できるからだ。

 

「えぇーいっ!」

 

 また一匹。大口を開けて襲いかかってきたが、逆にその口の中に氷のウサギを滑り込ませることで、内側から貫く氷針千本の餌食にする。普通ならマスターがエネミーを相手取ると言うありえない事象は、「不思議の国のアリス」から託されたアリスの断片を持つ彼女にとっては容易い事。圧倒的な魔術の威力と、ステータス詐欺と言われる程の魔力を以って相手を撃滅。

 威力任せの、子供が不釣り合いな実銃を振りまわしているようなものだ。それでもエネミーを倒せてしまうと言うことは、子供と言えど適切な使い方を知っているからに他ならない。

 

「……! ………っ」

 

 良い調子で三匹目を探し出した時、上り坂で見え辛かったのだが向こう側から特徴的な赤毛と、それを見せつけるような長身の二人組が見えてしまった。このまま遭遇してしまえば、此方に来ているのはマスターではなくごく小さな力しか持たない自分だと気づかれてしまう。

 そう思い、気付かれないためにもありすは口を手で覆い、なるべく息を殺して岩陰に隠れた。低身長で幼い身だったのが幸いして、何とか全身を隠すことが出来たものの相手は目標の「狩猟数勝負(ハンティング)」対称のエネミーを狩る最中であり、まだ此処に留まっているという現状だ。

 だが、それも早々に終わりを告げる。敵ランサーの血染めの槍がエネミーの口を上から串刺しにし、地面を陥没させるまでの衝撃で槍にくっついていた体を屑データの一部へと葬り去ったからだ。

 当然―――その衝撃波は、ありすの元にも伝えられる。

 

「っ! …………」

「アレ、イマナンカイナカッタ?」

「我が妻よ、どうなされたのだ。おぉっ、まさか、まさかまさかまさかぁ!! 奴らであるのだなそうなのだなァッ!? おのれ、忌まわしき悪の呪を肌に刻みし愚者よ! 素直に捧げられることを至上とすべきであるはずの貴様がこそこそと隠者の如く振舞うとは、神に等しき我が妻の前で何たる無礼! 何たる冒涜! 必ずやこの槍で我が信仰すべき妻へと捧げてくれようぞ! さぁ―――出てくるがいい!」

「ランサー、チョットウルサイカナ」

 

 一見漫才の様な様子にも見えるが、探りを入れられている彼女にしてはたまったものではない。しかし無情にも、ランルー君は目ざとくありすを見かけた方向に真っ直ぐと歩いてきてしまっていた。仮面の下にはぎらついた瞳。ぬめりとした視線の先に在った岩の向こう側へと、

 

「ダーレカナァ…?」

 

 ヒョイと覗きこんだ。

 

 

 

 

 その頃、マイルームでは余りの騒がしさに個室を与えられていたラニが何事かと暖簾をくぐって居間に出てくる羽目になっていた。一体何事かと、この一件に関してモノ言おうかと思った矢先、ラニにとっては信じられない光景が広がっていたのである。

 

「ご主人様ったら起きて下さいってば! ありすちゃんがアリーナに取り残されたままなんですよっ。貴方の一部を持たせてあるなら、分かっている筈でしょう!? ああもう、一体何が起こってるんですか!」

 

 キャスターがアンリの胸倉を吊り上げ、暴力こそ振るってはいなかったが耳元で非難するように叫んでいたのである。当のアンリと言えば気絶したようにその瞼を閉じたままであり、キャスターの言葉が聞こえていないのは一目瞭然だ。

 確かに彼の魂がここにあるはず、とキャスターのつぶやきを拾ったラニはアトラス院の魔術師としての視点から、奇妙なことに気がついた。同じく、その珍しい現象に対して彼女も言葉をポロリとこぼしてしまう。

 

「……魂はここにあるのに精神だけが剥離している? キャスターさん、彼の状態はどのようにしてなったのでしょうか?」

「精神がないって……いえ、驚いている場合じゃありませんね。実は―――」

 

 ラニがいることに気付いたキャスターは、今朝方のアンリの身に起こったことを、自分の分かる範囲でまとめて話して見る。すると、情報を一瞬で脳内で処理したラニは一考するように頬杖をついた。

 

「星辰は通常のもの、しかし恒星だけが彼の元あるべき場所にない。…これが意味するのは、彼自身の意思で魂と肉体を置き去りに、果てしなく0に近い実体である精神のみでこの電脳世界のどこかにダイブしているのではないでしょうか。それならムーンセルもバグを引き起こす訳でもなく、はたまた攻撃を仕掛けるプログラムだと判断は下せないでしょうから、ある意味ムーンセルを欺くには最適の状態だと推測できます」

「そんな、ダイブできる場所なんて何処にあると」

「それはわかりません。私は彼の違法行為によって命を繋ぎとめることこそしましたが、実際に彼と行動を同じくしたことは少ない。このマイルームの中でしか行動していませんからね。ですが、常に共に居る貴女(サーヴァント)なら何か思い当たる場所はあるのでは? …一応、保護されて消滅を回避している立場としてもそうですが、私の持てる力によって知ることができる限度はここまでです。ご検討をお祈りしております」

 

 それではごきげんよう。

 まったくマイペースにもそう言った彼女は再び自らの部屋に戻っていくと、今度は防音の結界でも張ったのだろうか、パキンッと硬質な音が向こう側から聞こえてくる。だが、全力を尽くしてくれたという点は評価してやってもいいだろうと、キャスターはラニの言葉からいくつかの憶測を立て始めた。

 そうした中で思い出したのは、この四回戦が始まって最初の日のこと。あの空間の裂け目の中に初めて料理をした時の自分が分量を間違えた砂糖のようにドバドバと投入していた大量のアンリの泥。確かアレの役割として、この聖杯戦争から勝たずして脱出するため、聖杯が存在する中枢部に直接アクセスが可能な道を探るというものがあったはずだ。

 その結果が出たのは何時だったか? 記憶を遡るのは1・2日前。彼の言葉に、確か―――「ようやく目途はついた」というようなことを寝る前に言っていたような気もする。

 ここまでをまとめる、となると。彼はその目途のついた場所に態々精神を飛ばして何かを行っており、ここにいるのは肉体と、いくらでも分裂可能な万国吃驚ショーもかくやという宝具の効果の一つで残っている魂の断片ではないのだろうか。

 

「…そうなれば、今のご主人様は完全に肉体はフリー…!? ジュル……じゃなくてぇっ! え―――と、そう。戻ってくるのは少なくともご主人様が何かを終えてからになるということ。その間、ありすちゃんは……無防備…」

 

 現状がどのようなものかを理解して、キャスターは顔を青ざめさせた。

 これまでは、別にアンリの助けた「ありすがどうなろうと知ったことでは無い」というスタンスを持っていた彼女だったが、最近は少し心変りもしていた。自分は、もはや英霊という存在に押し上げられ、死人であるからして、子をなすことは許されない。そこからありすの事を我が子の代替えのようには見ていたものの、現状、我が子同然の存在として認識していた事は否定できない。

 そうして生まれた情は、簡単に消し去るどころか今このように、自分の意志をありすのために動かなければならないと思うようにまで変えてしまっている。

 だが、現状「アリーナから一度戻ってしまった」彼女では、もはやどうすることも出来ないのだ。「アリーナに行けるのは一日一度まで」というムーンセルの敷いた原則がある限り、セラフはそれ以上のアリーナへの潜行を許すような甘い管理者ではないし、また自分たちサーヴァントのプロフィールを四六時中監視していることがまた憎たらしい。こちらがサーヴァントとしての役割をあまりに大きく逸脱してしまえば、セラフそのものがキャスター組を消しに来る「作業」が始まってしまう。

 キャスターの魔術や技量でもって今までの感情の誤魔化しは効いているのだが、ありすを救助することはマスターそのものの利益とはならない行為。セラフが目ざとくその行動に目をつけ、いちゃもんと言う名のデリートを始めるだろう。

 従って、キャスターが今可能なことはマイルームで主人の精神が戻ってくるまで、残された肉体と魂を守護することが最優先事項となる。それ以外の行動はサーヴァントとして相応しく無いとして、適切な「判断」が下されてしまう。ラニを頼みの綱としてアリーナに行かせることもできるが、その指示を行える権限を持つのも、やはりマスターであるアンリ以外の人物はいない。

 

「あーもう、四面楚歌どころか八方塞がりじゃねーですか!」

 

 そう叫んでみても、現状が改善する要素はないどころか自分のイライラが増すばかり。まったく目の覚める様子のないアンリを見下ろしたキャスターは、深く、とても深いため息を落とすと、ただ祈りを捧げ始めた。安全なマイルームでは敵の襲来も無く、今はこうすることでしかセラフの監視を逃れる術は無いのだから。

 

 

 

 

 向こう側を覗けど、そこに在ったのは広がる海底洞窟の景色と、ステージに組み込まれている岩の山々のみ。行動制限先に行くことは不可能であると知識の上で走っているランルーくんは、食べれなかった残念さと共にランサーへ視線を戻した。

 

「……ランサー、イナカッタヨ」

「これはまた、勘違いであったか。だが! その旺盛な過食の意気込みはまさしく我らが快進撃となるであろう! さぁいざ行くぞ我が妻よ、この槍の先に我らが道は必ずや指し示されんッ―――」

「ダカラ、ミミイタイッテ」

 

 飄々かつのらりくらりと体を揺らして消えていくランルーくん。その後を追うようについて行ったランサーが遠ざかると、彼女が覗きこんでいた岩陰の向こう側。そこに在ったもう一つの岩(・・・・・・)がぐらりと揺れ、驚くべきことに、その景色ごと岩の姿はありすへと変化してしまった。

 その彼女の横に居たのは、何とも不思議で有り得ない猫。この猫を見た人曰く、ニャーと鳴いた所など見たことが無いと断言できそうなソレの正体は、ありすもよく知る物語のソレ。

 

「ありがと、チェシャ猫」

 ―――ニィィィ……

 

 ニッタリとしたアンリ顔負けのニヤニヤ笑いを残したピンクと青のストライプ柄をした猫は、頭上に白い帽子を乗せながら空中でくるりくるりと回ったかと思うと、首だけになって最終的にパっと消えてしまった。

 これもありすのアリスから託されたスキルの一つ、恐るべき怪物ジャバウォックを召還した時と同様になせる技である。そうして召還したチェシャ猫の協力を得て、ランルーくんとありすの間に「岩の景色」に化けたチェシャ猫を配置することで見つからないように息をひそめていたのだ。

 だが、良くも悪くもチェシャ猫というのは気まぐれなもので、とある物語では「帽子屋(mad hatter)」の帽子へ「ああ、我が愛しの帽子」と言いながら執着する様子も見せていたこともある。そんな訳でして、代価として求められたのはゴシックロリータ調のありすが唯一差し出せる、銀髪をまとめて入れていた小さな小さな帽子だった。

 それが無くなったことで少し残念さと頭の重量感の寂しさを覚えたが、帽子の一つや二つでチェシャ猫が動いてくれんたのだから、これほどラッキーなこともそうそうないだろう。スキップステップるんるんるん。軽やかな気持ちでありすは歌えてしまうかも。

 

「あたしはウサギを追いかけて、穴に落ちたら何フィート? 緯度や経度も見当たらないって、嘯き囁き小瓶を一つ。でも欲しかったのは小さなパン。大きく大きくとっても大きく、あたしの足へ靴下をはかせることもできやしないの。だったら大きくなったまま……」

 

 解かれた長い月銀の髪を揺らしながら、ゆっくりと彼女の右手は上げられた。

 女王に意見を却下されたときのように、どこかのアリスがヴォーパルの剣を手にした時のように、掲げた右手はさっとささっとささささっとおろされる。

 ―――当然魔力のおまけつき。

 

たまごおとこ(ハンプティ・ダンプティ)も落としましょ」

 

 同時、アリーナの各部で巨大な竜巻が生じた。ワニ型のエネミーを狩ろうとしていたランサー組も、そんな大魔術に等しい神秘の成せる人工の竜巻の前には身を竦め、風に巻き込まれないようにランサーはランルーくんを後ろへ下がらせた。

 生じた竜巻が狙っていたのは当然、今回の討伐目標である残りのエネミー。先ほど放っておいた白氷ウサギが全ての目標を見つけた事を感じとり、遠隔操作で極低温による空気の圧縮を起こしたのである。絶妙なバランスと魔力の流れに沿って行われた低温爆発はアリーナ内の気流に乱れを生じさせ、見事竜巻を起こさせた。ありす自体にもアンリの一部となったことで偏ってはいるがそれなりの「知識」は持っていたし、こう言った超常現象は物理的な力なのでサーヴァントは耐えられてもマスターにとってはエネミーと同じ、いやそれ以上の脅威となりうる。

 ありすも見かけは子供、頭脳は大人を素で行くことが出来るのだ。だが、決してバーローと言ってはならない。

 

「……やった…」

 

 だが、まあ。それだけの魔術の精密操作に精神がやられないと言う訳でもない。幸いにもランサー組は目標がいなくなったこと、そして何故起こったのかもよく分からない竜巻――海の中がモチーフであるから渦巻きにもなる――に危険を感じ、ランサー自身から撤退を行っていたからだ。

 これで彼女を脅かすものと言えば、数分程度で復活するエネミーとアリーナのどこまでも無機質で生命のいない孤独感のみ。下手をすれば精神をやられてしまう最悪の状況ともとれるだろうが、またここで幸運は引き起こされていた。

 

「…………」

 

 極度の疲労と、ランサーと言う殺気を正面から吐き出す様なサーヴァントの存在がいたことによる恐怖と緊張。そんな恐怖の権化にひと泡吹かせてやったと言う達成感が彼女の張り詰めていた気をぷっつりと切り取ってしまい、自己防衛本能のために深い眠りへと追いやられていたのである。

 それに加え、彼女が倒れた場所はエネミーも徘徊ルートとして設定されていない岩陰の一角。これで、どんなにマスター達に襲いかかろうと執着するエネミーも見つけることは出来ない。結局アリーナに残されてしまった事を幸運と呼ぶべきかもよく分からないが、とにかく彼女の身が無事であることを喜ぶべきなのだろう。

 

 

 

 

 暗い、黒い、星の海。

 地球だけでは無い。地球に向けた、ウサギの持ち月とも女性の横顔とも言われる表面以外にも、球形である月は星々が輝く宇宙の側も観測している。その観測結果からは時折来る流れ星など位しか検出されないが、こうして風景ぐらいはリアルに再現することが可能だ。

 そんな孤独な死の宇宙を模倣した世界を彷徨う、小さな黒い光が一つ。言葉も発する事は出来ず、自由に何かを手に取ってみる事も出来ない矮小な存在ではあるものの、確固とした自我と言う物を持ちながら、この孤独の中を何ともないように進み続ける事は出来る。そんな究極なまでに精神が悟りの手前にあって尚、全盛期の様に情緒が激しい不可思議かつ不可解な存在。その名を、アンリ・M・巴と言った。

 

 ――――……

 

 ただ、今回ばかりは何時もの様にスキル:ひょうきんEX並みの言葉をベラベラと吐き出し続ける道化でも無い。悪を背負うと言いながら、その実悪意によって夜な夜な魘される泣き言を叫ぶ愚者でも無い。確固たる聖杯戦争の脱出と言う目標をこの空間を進み続ける糧としながら、彼は只管無言に全ての方向に目を作り、目を見張って観測を続けていた。

 …先ほど、これを黒い光だと言ったが、あの表現を訂正させて頂こう。黒い、と見えたのは1ミリ程度の大きさしかない目が、ボール状の物から余すところなくびっしりと敷き詰められていたからだ。畏怖とおぞましさを込めて皮肉を送るならば、これこそまごう事無き「目玉」であると言えるかもしれない。

 

 ずりゅ、ぎち ぞぞぞぞ……

 

 その「目玉」は、とある場所に停止すると不快な奇音を立てながら、ただ只管に嫌悪感しか抱けない変形を始めた。ゆっくりと棒状の物が四本突き出て来て、それらの先に五本の指が出現。胴体部に当たる球は脊椎に相当する管を残して真っ二つに割れ、その断面から胴体を生やして行き、中心で結合。頭蓋骨から筋肉繊維と言った順番で顔面が中空より作成され、首根っこと両鎖骨の間がねぢょ、と音を立てながら癒着する。

 ごぎん、ポキポキ。嫌な音と、軽快な音を交互にならしながらソレは人型を作ると、最初からそうした方が目にも良いのに、一瞬で作りだした腰布と黒い包帯を体の至る所に巻き付けた。

 

 ―――………

 

 そのただ二つだけ残った「目玉」の名残は、眼球となり、瞳を形成して視覚情報を精神へ送り込む。それが見ていた景色は、どうにも不思議な柱が乱立し、その中央に神秘を感じさせる巨大なオブジェが鎮座しているというものだった。

 その柱の人が座れるような形状の場所には、見慣れない男の姿が一つ。はて、何処かで見たことのある様な。そう思った時には、既にその男の黒いグローブを装着した手が視界を覆い隠していた。

 

「…おや、君の様な辿り着き方をしたのは初めて見たね。だけど、ここは神聖な選定の場。私も見込んだ君ならば出来るだろう。そして君は素晴らしい意見の持ち主だともいえる。でも、まずは選定を潜り抜けてから、此処に来ると良い。私はいつまでも待っているとしよう」

 

 それはどう言った意味で。

 疑問と、相手が声を出せることへの驚き。そして伝わってくる死者の感触を頭にしながら、アンリの精神は小突く動作で再び漆黒と暗黒の無限の世界の中へ押し戻された。離れて行く世界の亀裂がとても尊いものの様に見えて、決して自分は持っていない、請われた聖杯の上をいく美しさに見惚れて、憧れて、その「手」を伸ばす――――

 

 伸ばす。

 掴んだ。

 何を。

 柔らかい。

 ……オイ、待て。やわらかい?

 

「やん、ご主人様ったらダ・イ・タ・ン♪ さぁさ、ご主人様も目覚めて早々私の事が恋しくなったのでしょうから、こちらの襖の奥でめくるめく愛の宴を―――」

「待て待て待てぇ!?」

 

 結局こう言うオチかと、慣れ親しんだ此処に在って無い肉体の、不条理で不快でもある奇妙な感覚を再び味わいつつ、ババッとキャスターの元から飛び退いた。あまりに突然のことで久しぶりに戻ってきた肉体の構成を間違えて足が一本もげてしまったが、床から代用品の泥を取り入れてなんとか形成をし直す。

 息も荒く、こちらを(性的な意味で)血走った目をしながら眼光を飛ばすキャスターに最大限の注意を払いつつも、彼は宝具の発動を意味する言葉を発した。

 

無限(アンリミテッド・)の残骸(レイズ・デッド)!」

 

 部屋の家具や壁、そして床だった泥が変形し、幾百もの槍と、剣と、矢となりてその穂先を向けキャスターのひらひらした衣装を壁に縫い止めんと殺到するが、それらは彼女が盾にしたちゃぶ台によって防がれる。大量の武器が突き刺さった日常の象徴を投げ捨てた彼女は、勝ち誇ったように宣言を言い放った。

 

「ふふん、ご主人様のその宝具は何度も目にしました。もうその手には乗りませんよぉ!無駄無駄無駄む―――アイタぁっ!?」

「不意打ち、これ最弱故の基本也―――だっつの」

 

 そう言う事で、キャスターが建っていた天井自体を巨大なハリセンに変化させた一撃が彼女の頭上に落下し、某有名な吸血鬼っぽく「ハイ」って奴になってた所を冷水をぶっかけた時のように落ちつかせた。

 目覚めて早々何でこんな漫才が必要なんだと、自分の境遇のひどさにさめざめと男泣きをしつつも、一切涙が出てこない自分の肉体に哀しさを感じてとりあえず我に返る。その頃には、向かい側に居たキャスターも先ほどのノリは何処に行ったのやら、鋭く真面目な目つきでアンリの事を見つめていた。

 

「報告します。ご主人様が朝、突然倒れられてからアリーナに向かったのですが…私の判断が浅はかでした。ありすちゃんがアリーナに潜ったままこうして“夜”まで返って来ていません」

「……こっちの方でも位置は確認完了っと。どうやら代理マスターとしてありすを登録、んでその付き人(サーヴァント)としてお前さんが入ったみたいだが…最近アイツもくすぶってたからなぁ、見栄も張りたくなるお年頃ってか」

「言ってる場合ですかッ!」

「さっきまでふざけてたやつの言う事でもねぇだろ」

「うぐっっ」

 

 痛い所を突かれ、ビシッと固まるキャスター。そう、この聖杯戦争は決してギャグの身で構成された様なお笑い番組でもなければ、お涙頂戴の展開が少なからず繰り返される救済と感動のドラマでも無い。

 そこに日常と言う仮初こそ存在するが、基本は戦いと情報の探り合いによる心理戦と肉体格闘を主とした戦闘。戦術を極め、共に闘うパートナーと意気投合しなければ、どんなに強かろうと、力だけでは最後まで勝ち抜く事も出来ない奇策、概念が渦巻く聖杯戦争の中であるのだ。

 先ほどまでムーンセルの記録深層域に侵入していたアンリは無言だったが、それは喋れなかったからという訳ではない。いつ来るやもしれぬ削除の波を警戒しての時にしか見せぬ真面目さを押し出していたからに過ぎぬ。今回ばかりは、キャスターのシリアスブレイカーの名は仇となってしまったようだ。

 

「で、でもご主人様も態々天井をハリセンに変えるとか、ちょぉーっと無駄があると思いますけどぉ~? しかも人の胸をいきなり揉みに来るなんて…」

「ぐがっ! んな、アレは向こう側に居た奴が――――……いや、もう止めとこう。ここでわめいたところでありすが戻ってくる訳でも無いってな」

「あー…最大の問題を忘れてました……」

 

 逆にいえばその程度でありすの事を忘れるくらいこの二人は薄情であると言い変える事も出来るのだが、それは二人とも棚にあげておかなければ再び意味の無い言い合いが勃発するだろう。一旦息を合わせて深呼吸をした二人は、魔力とパスを同調させ、程良い悪意の頭痛を両者に流すことで自分たちの立場を見直し、喝を入れる。

 そうしてある意味いつも通りの真面目な思考に戻り、ありすの事について話し合おうとしたところで彼女がボソッと呟いた。

 

「にしてもあの褐色娘、少しは手伝ってくれればいいのに」

≪私は貴方の抱える問題へ既に解決策を提示しました。現状それが役に立ったとは言いきれませんが、現に最優先事項は解決したと思われますが≫

「おーい、会話筒抜けですかいラニ嬢」

 

 突如として会話に参加してきた彼女に多少驚きつつも、流石は熟練の正規ハッカーであると、その実力に称賛を含めながらアンリが笑う。

 

≪少しばかり、この部屋に私なりのアレンジを加えさせていただきました。無駄に使われ、偏った余剰魔力を利用して私の専用端末に繋げただけですが、何か問題でも?≫

「…オレの魔力を使った? 頭痛とか、精神分裂起こしてねぇよな?」

≪あの精神汚染トラップなら別の物に負担させることで回避しました。ですが、一見無駄に見える余剰魔力の利用を防ぐと言う点でアレは有効な物ですね。巴アンリ、流石と言いましょうか≫

 

 魔力の使用時、人類総意の若干両ながら悪意が漏れ出たことに関して、ラニが下したトラップと言う結論はまったくもって見当違いに等しいのだが、普通の魔術師からしてみればデフォルトで悪意が添付、そして魔力の持ち主自身は更に酷い悪意に晒されるという馬鹿馬鹿しい行為は常識で考えて有り得ない。そのリスクに対するリターンさえ無いのだから、尚更これがアンリの性質とは考えないだろう。

 だからこそ、そう言った意味の相違に関して面白さと苦笑が滲み出る。

 

「まぁこの観察カメラはぶっ壊しておくとして」

≪ああ! 映像がとぎれました……このような高度な全体把握能力を持つとは…≫

「いいから、羞恥心もクソも無いカーディガン女は黙っていてください。それでご主人様、ありすちゃんの持っている泥の破片、もしくはありすちゃん自身に相転移とかできませんか?」

「結論から言って不可能だな。ありすが“仮マスター”としてアリーナに入った以上、その陣営は一度アリーナに潜ったという事実が残る。このまま日付けが過ぎればアリーナの……なんつったか、“狩猟数勝負(ハンティング)”? のエネミーリセットも兼ねて再侵入権利が復活するだろうが、流石に一英霊に過ぎない身じゃ、…なあ?」

「やはり、そうなりますか……」

「そっちの方がムーンセル経験者として先輩だろうに。…まぁ、様子を見るぐらいなら十分視覚共有可能だ。いましがた確認したが、上手い事エネミーの徘徊ルートから離れてるようだな。奴らの姿も見えねぇし、ありすはやり遂げたって言えるさね」

「むしろやっちまった、と言いたいところですけどねー」

「カッカッカ、そう思いきる所に連れてったキャスター、お前も悪いがチョイと頑張り過ぎたオレも同罪だな。なぁに、悪神サマの陣営なんだ、誰も彼もが悪いっつぅことでこの話は終わりだ」

 

 パタン、と本を閉じるように両手を重ね合わせた。掌が打ち合う音が響き、静寂のマイルームに短音のボディパーカッションが反響する。

 

「とりあえず、明日の朝にアリーナ突入。それと…多分こうなったのも外的な言葉の原因があるんだろ? だったらソレを教えてくれ。オレが出来るのは、最悪でも言葉にして話してもらう内容しか分からねぇからな。心をそのまま読むなんて、覚妖怪ぐらい明確な読心は出来やしねぇからなぁ」

「ああ……実際いますけど、ものすごい一つ目のオッサンですからねぇ。ご主人様と被せたくないビジュアルしてるんで、寧ろ悟れます、とか言われなくてホッとしました。まぁESPで無い限り対魔力で読心はガードできますけど。おや、話がそれましたか」

 

 コホン、と息を整える。

 

「まぁ、明日はありすの捜索しに行くか。こっちで位置は確認するから、すぐに見つかるだろうけどな」

「そうですねぇ」

 

 えい、えい、おーと言いながら、キャスターは尻尾と耳をピン張った。やる気に満ち溢れる姿は頼もしく、こんなナリでもサーヴァントだと言う事をアンリに再確認させてくれた。なにはともあれ、手が出せない以上自分達は相手に出会った時の事を考えて、コンディションを整えておく必要がある。

 さっと布団を敷いたアンリ達は、英気を養うため早々に眠りにつくのだった。

 

 

 

「……どうにも、測りかねます。感情の振れ方、行動と言葉の矛盾。一時観測で魔力計が振り切れるほどの数値を出すにもかかわらず、一小節以上の魔術さえ使わない物理的効果の発露…? やはり、彼の星は黒い靄につつまれている」

 

 低く、一瞬の音で彼女の前に乱立していたモニターは姿を消した。

 本来なら膨大な量の処理を並列で使用可能な月の中でモニターと言った視覚情報を扱う情報処理は必要ないのだが、実際に数値やグラフとして見ない限り分からない情報もある。そうしたスタンスからラニはアンリから計測する事の出来た分を数値化していたのだが……

 

「計測不能、感情の支配、悪意と言った怨嗟の立ち込める魔力。このような状態では精神状態はとっくの昔に破壊されつくしていると断定。…ですが、現に彼は正気を保っている。狂気を取り繕っているようにも見えない。一体、何が作用してこの効果を及ぼしているのか」

 

 興味深い観察対象だと、感心する一方で英霊の一言で片づけられる筈も無い負の方面を扱いきれている彼を恐ろしいと感じた。負の感情を理解し、操作できると言う事は、己と言う自我を完全に管理できると言っても差支えは無い。

 なのに、やはり此処で不可解な点が発生する。アンリの情緒は不安定だ。癇癪に頼ったり、すぐにクールダウンはするものの、先ほどの言い合いの様にヒートアップも激しい。まったく、自分の感情を管理できているとは思えない。

 

「…………」

 

 同時に、そうした疑問全てを振り払う。

 此処に居るのは師の言った者を探す為。そして、師の為に、アトラス院の為に聖杯を持ち帰るため。アンリは「探している人物」としては何もかもが違うと、心のどこかで理解している。自分に心と言う不安定なモノがあると信じるならば、という前提がつくが、知識面からもアンリは探している人物とは言えない。

 だが、自分はデジャブを感じている。それはアンリではなく、キャスター。そして、何故か最優のサーヴァント、セイバーや弓兵のサーヴァント、アーチャーの名前も浮かんでくる。

 一体、この既視感はどこから湧いているのか。ソレを探る術は―――無い。

 

「聖杯。ムーンセル・オートマトン。識天の杯。彼はそれを欲していないからこそ、聖杯戦争の脱出を目指している。外部協力者、三鼓綾乃というマスターの存在も確認。……成功確率、0%」

 

 自分の出した答えは、何度シュミレートしても間違ってはいない。

 アンリがまだ何かの能力を出し渋っていたとしても、それが世界の条理を捻じ曲げるもので無い限りはこの全てを管理された世界から抜け出すことはできない。それは、これまで消滅してきた幾多のマスター、これ以前の聖杯戦争で月にアクセスし、帰った者はいないと言う事からも伺える。

 では、一体? 彼が成功を確信しているのは、何なのか。

 

「……いいえ。ここでメモリの使用をすることは無駄ですね。私は私の目標を果たすだけ。そのための借りは、既に返し始めている。その後は、私も“聖杯戦争に復帰する”だけ」

 

 ラニは窓の外を見上げる。

 疑似的な月の光、それが照らしだすラニの端末。

 そこには、こう書かれていた。

 

 ――ラニ=Ⅷの戦線復帰権限。アンリ・M・巴の脱落、及び排除が起きるようであれば、補充用マスターとして参加権の復帰を検討。以降、戦線復帰に備えてサーヴァント及びマスターの管理状況を報告されたし。

 

 




いつのまに
かいわの回は
いつもそう
 陰謀渦巻く
 悪意なるかな

……あれ? なんでこんな展開に?
自分の予定では、あのままありす探しにラニも無駄な行為ですとか言いながらモニターになって、なんかいい感じでヴラド公に真正面から当たるつもりでしたのに……

何故だろう、ラニが裏切り、フラグ立て。

……わ、私は悪くない!
私達は、私達は…単にありすをpr(黒い靄がこびり付き、データが破損している)

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