Fate/deep diver ~天月の逆杯~ 作:幻想の投影物
――白ウサギの後を追え
チェシャー猫はニヤニヤ消えた
――猫のないにやにや笑いだなんて!
時の先に―――
ジャバウォックは打ち倒された
――ヴォーパルの剣が刻み狩り獲らん
名無しの森は伐採された
――ちょっとほっとした
お茶会にはご招待されなかったけれど
7歳のありすを追いかけて、鏡の国へ飛びこんだ
――もう一人のあたし
75回のherself
――あなたもわたしもわからないわ
さあ、夢の担い手は誰でしょう――?
赤い王様、いらっしゃい
夜が明けたが、結局一睡も出来なかった。睡眠そのものは必要と言う訳ではないのだが、柄にも無くこの身には緊張と言うものがあったらしく、それが原因なのかもしれないと頬を引き攣らせ、口では三日月を描いて笑った。不気味に、どうにも、この先の出来事が面白可笑しくて。
そうして昇っていたのが、いつもの屋上にある給水塔の横。流石の遠坂凛もこの日ばかりはマイルームに籠っているらしく、その姿を見る事が出来ない。そんな時だからか、彼女の代わりと言わんばかりに、昨日も現れた黒い影がアンリに忍び寄って来ていた。
「準備はとどこおりなく順調かね?」
言葉そのものが手術用のメスであるかのように、心を切開して行く。そうしてバラバラになった心は自然と元通りになるが、まるでこの男だけにはずっと心の内を知られているのではないかと言う錯覚に陥りそうなプレッシャーを与えられる。
それが、言峰綺礼という男の在り方そのものかもしれない。今更ながら、NPCにそんな感情を抱いていた。
「最悪で、最高の気分さね」
肩をすくめてそう返せば、そうかと神父は押し黙った。
此処にいるのは言峰綺礼ではなく、言峰神父というNPC。だからこそ、こんなにも人間味に溢れた受け答えをするのだろうか。
「ふむ、それはよかった。それでは、後で一階に来ると良い。君が何を成し遂げようと言うのか、それは私もセラフから知らされていない。――だが、監督役として見届けさせて貰おう。君もまた、セラフの記録に値するマスターの一人なのだから」
「お勤め御苦労。そんじゃまた昼に」
「そうだな」
0と1の記号が神父を包み込み、鈴の音と共にその姿がかき消える。
本来ならこうした監督役権限でのみ使う事が赦される自由転移。それを成し遂げている、自分の対戦相手…いや、遊び相手である不思議の国の少女が脳裏に思い起こされ、思わず重ねてしまった像に何を馬鹿な、と振り払った。
相手は年端もいかぬ幼子。だというのに、あの様な神父と見比べてしまうとは、と。
「さて―――」
魔力を滾らせ、自分と言う存在を悪意によって覆い尽していく。足元から頭部まで、浸食するように這い上がった泥は、纏う衣を黒き現代から紅き神秘へと。彼は、どこか何時になく「負の感情」という己自身に身を包んでいた。
己の覚悟を、姿を、正体を全て塗り替えて、英霊として赴くために、彼はおぞましくも頼もしく、それでいて荒々しい姿へと変貌する。そんな彼の名は、どこか聞き慣れているかもしれない。
英霊「
戦いに臨む準備は万端だと、彼の従者も悟ったのだろう。背後に突如質量を持った気配が現れ、振り返れば見慣れた桃色の髪が揺れ、金色の瞳が此方と同じ高さで此方を射抜いていた。
「それにしても、ご主人様も選択肢を自作するのがお得意なようで」
彼女がそう言ったのも、きっと彼自身の選択によるものか。
言峰がいなくなってから、決意を固めたアンリに問いかけるようにキャスターの言葉が響いた。しばらくの沈黙の後、そっと目を閉じて彼女の言葉を頭の中で反響させる。
「そうかも、な」
「そうして運命を打ち破っちゃうご主人様素敵ですー! ……なんて、今は言える筈もありませんよね。とにかく、どうあろうとも私からご主人様の為に言えることは一つしかありません。私の方からもセラフの介入はなるべく止めて見せるつもりですが―――事を成される場合、どうかお気をつけくださいまし」
此方を見続ける瞳の奥で揺れる、主人に対する心配の感情。読み取らなくても、分かる。そうした想いを受け止めたアンリは、それでいて、にっかり笑った。その身は不死身であり、失敗のしようが無いからこそ、挑んで見せるのであると。
悪神と言うその道化の様な性質上、虚ろ言葉ばかりを繰り返してきた彼であるが、ここぞと言う時に戦況をひっくり返されるようなヘマは絶対にしない。
有言実行。シンプルに、彼は此れを突き通すだけ。やはり笑って、それを受け入れた。
「……さあて、ありすの水鏡に映ったナルシッソスを引き剥がしに行くぞ」
「はい。私たちは、声だけ残ったエコーじゃありませんもの。ちゃんと手と足を持って、彼女に触れてやってくださいね。ですから、今は…」
キャスターはアンリの手を取り、呪いの犇めく肌を握る。
呪詛は同じく、祝いの様に呪を吐こう。
「
「願ってもない幸運さ。
繋がる手と手に、空きは二つ。
間に在るとするならば、其れはやはり――――
「ところで、先ほどの会話、夫婦の呼びかけみたいでしたよね」
「そこに突っ込むたぁ…通常運転で安心したよ。二重の意味で」
サーヴァントを伴って運命の扉へ近づけば、神のみもとに最も近いその門のもとで神父が待ち受けていた。その瞳に光は灯ってはいないが、人の心を鏡の様に映す濁った瞳がそこに存在している。在り方は、また。
「ようこそ、決戦の地へ。扉は一つ、再びこの校舎に戻るのも一組……いや」
定型文を区切って、神父は微笑みかける。
その背後に控える扉に絡まる鎖。それは封印ではなくて、まるで罪人を縛るかのよう。
「君が何をしようとしているのか、私には見当もつかない。だが、覚悟を決めたと言うのなら、
トリガーが懐から飛び出し、物置の扉をいつもの様にエレベーターへと変化させる。
「ささやかながら幸運を祈ろう。
無言で彼の横を通り過ぎ、固く扉は閉ざされる。
静かに目を閉じ、神父は請うた。
「―――光あれ」
その願いは、誰がために―――
エレベーターが下るにつれて、段々とその姿が露わになってきた。
白と黒と、相反する同一の存在。鏡映しの子供たち。自分と言う存在は、その頭の中ではどのように扱われているか、など。そこまで考えてこれから訪れるであろうことに想いを馳せる。
白の少女は、待ちくたびれたかのように空気を音で震わせる。
「お兄ちゃん、いらっしゃい」
「きょうもまた遊べるね」
いかにも待ち遠しかったと言わんばかりに瞳が輝いている。
だが、その奥には諦観というおおよそ見た目の年には似つかわしくない負の感情。例えサイバーゴーストであろうと、元はひと出会ったには違いない…か。
「…残念だが、遊びは終わりだ」
「どうして?」
「えー?」
赤い衣を身に纏い、紅き血潮を滾らせ、
彼の言葉から滲み出る闘気は、おおよそ子供に向けるべきではないそれへと段階を踏まずに変貌して行き、殺気と相成った。それをただ怖いと認識したか、白い少女はその小さな体躯を震わせる。目の前の青年は一体何に対して怒っているのかと。
だが、其れを言葉にする事は出来ようもない。恐怖に唇は閉ざされ、見据える人物の親しさに言いたい事は頭の中で霧散する。今までと同じなら、一緒だったのに。やっぱり特別だったんだ。そんな事ばかり、頭の中で思い浮かべては、消して。
そうして、彼がまた、言葉を紡ぎ始めた。
「こんな戦いはあるのかどうか」
「?」
「それすらも曖昧な中、オレ達は確かにその道を歩いてきた」
「お兄ちゃん?」
「縛り縛られ、互いに依存を強めて、お前たちはそうして生きて来たんだな」
「何が悪いの?」
「
ねえ、
「
ね? お兄ちゃん」
「…………」
彼の従者は事の全てを傍観する。
これは、己が主人の始めた問題。幾度となく行われてきた、サーヴァントへの我が儘の現象の一つに過ぎないのだから。
―――嗚呼、ならばなぜ、私の胸はこうも苦しいのでしょうか。
それでも、主人が答える事は無い。所詮は他人。されど他人。言葉が無ければ分かり合えない。それが人と人との始まり。それでも、目の前にある二つの存在は、なんとも甘美で……残酷なのだろう。
相手の事を、全て知り得た――――恐怖が湧き、己を閉じ込めてしまう。
相手と同じ、姿と形と魂は――――ドッペルゲンガー、相手は死ぬの?
全てを真似た、自動人形と――――それだけじゃ人間は孤独でしかない。
―――ああ、そうか。私は悲しんでいるのですね。憐れんで、でも、羨ましい。
己の主人がそちらへ気を向け続けている。散々に主張してきた自分と言う存在は、所詮はていの良い手段の一つに過ぎないと言うのか。だが、其れはあり得ないと心の中で否定する。
こんなにも優しい心を持った主人が、今まで本当の意味で自分を相手にしなかった事は無かっただろうか、いやある筈がない。ずっと、信頼関係を築ける程度には関わりを持っていた。
ならば――見守りましょう。
目の前に、夢の国への切符を手に入れた子供がいる。
だが、アンリはその切符を汚い物としてはたき落すように、言った。
「なぁ
「ゲームでダメだった人は、首をちょん切られちゃうの。それが真実」
「じゃあ
「もっと、いっぱい、…遊べるんだよ、ね」
「……ああ、そうとも。命のかかった、遊びをな」
「っ……」
「
「でも
「そうね、
乖離する。
見世物小屋が建てられた。これより一幕舞いますは、異国の神と狐の送る喜劇なり。
さぁ、此処から始まってしまうのだ。だからこそ、ここぞとばかりに声を上げ、神の主従は高らかに―――其れを宣言するのである。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。これよりお送りいたしますは、我らが悪神の奇妙にも戦場を駆ける物語。その中で出会った少女とお送りする一幕にございます」
「私、狐がご提供いたしますは、この世の真、理を映せし札を使った呪術の舞。場を盛り上げるために尽力させて頂きましょう」
「この身、悪神は演劇の役者を全て担当させて頂きます」
エレベーターから吐き出され、気付けば二組は向かい合う。
レディース&ジェントルメン。氷の城のお遊戯会はこれにて開幕にございます。危険ですので、観客の皆さまは―――決して、湧き出る「泥」に触れぬよう、ご用心くださいませ。
…おっと、それより先に、立役者のお
「ありがとう。約束を守ってくれて」
「パパもママも約束やぶりだものね」
「
「だから、これでおしまいよ」
ありがとう。少女の唇がそのように形を成せば、黒き男はニヤリと返す。
場は整ったようでございまして、そう二組が理解すれば、自ずと魔力がこの場に満ちる。凍った城をも溶かしつくすような、荒々しくも温かな炎を身に纏いて!
「「“さてさて今宵は無礼講、魑魅魍魎をも客招く。開演時間は過ぎ去った”」」
「「“あわれで可愛いトミーサム、いろいろここまでご苦労さま。でも冒険はおしまいよ”」」
横並びに縦並び、比較するのは即興歌。
「「“今宵の踊り手、人に在り。人を愛した獣が送る。愛し愛され、意識も堕ちる”」」
「「“だってもうじき夢の中。夜のとばりは落ち切った。アナタの首も、ポトンと落ちる”」」
「「「「“さあ―――”」」」」
四人の息は、ここで
「「“嘘の様な
「「“嘘みたいに殺してあげる。
―――呪相・炎天
―――火吹きトカゲのフライパン
はっきりと現実に引き戻される一手は、両者ともに豪炎を纏った魔術による競り合い。接触と同時に弾け飛んだ火の子は氷の城を溶かしながら相殺され、爆炎の残留を残しながら周囲の魔力と溶け込んで行く。だが、その中を突っ切ってアリスの氷柱が火によって先を鋭く溶かして彼らを襲った。ひらりと青と赤の衣をはためかせながら回避した二人は、目くばせすると各々が行く先を別つ。
「おにごっこ?」
「それじゃ
鈴の音。それが響けばありす達の姿が一瞬で消えさり、全く違う場所に転移していた。
「お兄ちゃん、ありすはこっち」
「お姉ちゃん、アリスはこっち」
城の中を決戦場に使う。そう言わんばかりに二人は最上階と一階のエントランスから顔をのぞかせ、バルコニーに取り残されたアンリとキャスターへ笑顔を残して顔を引っ込める。あくまで遊びのように、と言う事らしい。
「呼ばれた方にそれぞれ行くか」
「白い方はお願いしますね」
言葉も少なく、二人もまた別方向へ。
アンリは最上階にいる方を目指して階段を上へ、キャスターは一階にいる方を目指して階段を下へ。普通ならばマスターが戦うと言うありえない事態も、この時ばかりはどちらも英霊である事が功を成したと言えばいいのか。
互いに、この聖杯戦争においては最弱のクラス、前英霊の中で最弱の英霊。されどこの時ばかりは、その強さという肩書に頼らずとも良いのであろうか。道を分かった二人に残された連絡手段は、その双身を繋げるパスしか残っていないのだが。
階段を駆け抜けていくアンリは、昇る途中で氷とはまた違った白色を発見する。棚引く様に取り残された笑い声だけが後を追う手掛かりだが、其れを追いかければ追いかける程術中に嵌められているような気がしなくもない。
それでも、そんな闘争劇に終わりは訪れる。追いかけて来たというよりは、誘導されたと言った方が正確なのだろうが、待ち受けていたありすの姿を目にした瞬間それらの過程はどうでもよくなった。
「いらっしゃい、お兄ちゃん」
「……で? どうするんだ」
「お兄ちゃんが望むなら、そのおかしな剣で切ってもいいわ。でも」
「……なぁ、ありす。話をするか」
ジャグリングの様に剣を弄びながら、アンリは彼女へ近づいていく。
その部屋は、城から伸びた一本の塔の最上階に位置する部屋で、王族の姫などが好みそうな場所に建造されていた一室だった。広さはおおよそ十畳ほど。円形の床と壁に囲まれている中、おあつらえかもしれないと自嘲する。
炎劇が入り乱れて場を熱せば、氷宙が浮かんでその場を冷やす。魔術が飛び交う部屋の中、黒い少女と金の少女が争い続けている。氷でできたエントランスは急激な温度変化を繰り返すうちに原型をとどめず、唯のできそこないの氷のオブジェの様相を示していた。
「其方の魔術はどうにも火力不足のようですね。先ほどから打ち負けてばかりのご様子で」
「品の無い炎ばかりを飛ばす貴女が言える義理かしら。ほら、まだまだ遊び相手は此方にいるのに」
アリスが小さな歩幅で踏みしめるように歩けば、その場所からゆらゆらと空間を傾けてトランプの兵士が湧いた。それらはどう見ても戦う事に適さない形状で在りながら、普通の人間を遥かに凌駕する速度でキャスターに各々の得物を突きたてようと突進をかましてきた。
だが、それらを避けようともしない彼女は両手の指に溢れんばかりの札を握ると、目の前でバツ字を切るように札の群れを投げ放つ。
「烈!」
彼女の指の動きに合わせて札が飛び交い、普段は障壁として使用する壁をトランプの兵士の真正面からぶつけ、丸ごとアリスに押し返す。圧倒的な物量を伴って襲い来る波の中、アリスが空間転移を行い、かろうじて形を残す階段の上に降り立った。
「…すごいのね。とてもキャスターとは思えないわ」
「さっきから本性だだ漏れですけど、貴女のマスターの真似をしなくてもいいんですか? どうにも、余裕がないようにも思えるのですけど」
「口の減らないサーヴァントね。その質問に応えるなら、映そうとしても映せないだけなんだけどな」
「……成程、マスターが分かれ始めたのが原因、ということですか」
「察しがいいのね。このままじゃ勝負はきっと、貴女の勝ちで終わるんじゃないかしら」
アリスがそう告げれば、キャスターは覚めた瞳で彼女を見つめる。
「…負けを認めている、と言う訳でもない癖に」
「それはそうよ。だって―――」
アリスはおもむろに、その場で両手を合わせて瞼を閉じた。
負けを認めると言うのではないなら、この行動は助けを請う祈りではなく何らかの意味が在る筈。とにかく止めた方が良さそうだと悪寒を感じ取ったその時、アリスは高らかに宣言した。
「おいで、ジャバウォック」
「ヴォォォオオオオォオォオォォオオォ!」
「んなぁっ!?」
先ほどのトランプの兵士と同じように、揺らめいた空間から紅き死の巨大な怪物――ジャバウォックが出現する。その存在感は初めて目にした時と変わらない、ヴォーパルの剣で弱体化させられる前の魔力に溢れた原型であった。
「そんなのアリってマジふざけてんじゃねぇですよコラァッ!」
「だって、此れは聖杯戦争なんでしょ? だったら、
「……くうっ」
巨大な怪物は再び咆哮を放ち、それだけでキャスターをその場に縫いとめた。
今、残ったヴォーパルの剣はアンリが持って取り込んでいる。それを
そのたくらみは見事成功と言っても良いだろう。キャスターのうろたえ具合が其の何よりの証拠。そう思ったアリスは、歪んだ笑みを口の端に浮かべていた。
「初めて、本当の
「ヴォァアアアアァァァアァァアアァアアッ!!」
雄たけびを上げ、周囲の電子空間を歪ませながらキャスターに突進する異形。いかなキャスターと言えど、普通の英霊でさえもひと捻りで潰してしまうような怪物には、英霊として呼ばれている以上は絶対に勝つことはできない。
だが、弱体化していれば話は別だ。だが、その術を持っていないからこそ獲れる。アリスは、無意識のうちにそう
キャスターの口が、下弦を描くまでは。
「――――それって」
「…お話してくれるの?」
「そうとも。悪い事をしたくなる気持ちを食べてしまう、そんな面白い神さまの冒険さ」
「聞かせてほしいな」
「言われずとも。…それでは、この身が金色の砲撃少女と出会ったお話から―――」
氷の城の一室。そこに置かれていたソファーの上に、二人は肩を並べて言葉を交わす。下の殺伐とした空気とは正反対の、争いなど見当たらない、仲のいい親子が過ごすような安らかな時間が緩やかに過ぎて行った。
かいつまんでではあるものの、幾つかの世界を語り終えたころには驚きの表情で彼を見つめていた。それは、持っていたアンリへの憧れがこの話で無くなってしまったからかもしれない
「…お兄ちゃん、みんな食べちゃったの?」
「どうしようもない時はなぁ。星を覆い尽すほどの怪物がその手を広めた時や、どこぞの馬鹿がやらかした宇宙から来た神を起こす大魔術を使用した狂信者がいた時。そう言う時は、人類が絶対に死んじまうって分かってたから、
「その人たち、どうなっちゃったの?」
「オレの中にいるのさ」
「中…?」
首をかしげたありすと向かい合うと、左手を元の泥の姿に戻した。人の形がいとも簡単に崩れた事に彼女は小さな悲鳴を上げるが、その中に含まれている物をその目で見たのか、言葉を詰まらせるようにあ、と呟いた。
「此れがオレ。人の形をとってんのは、あくまでオレの中にいる人間の魂が“悪”と認識するのが人間だっていう認識が強いからだ。もし、全ての人間が恐ろしい龍が悪者だと思ってたら、今頃オレは竜の形をしてるだろうな。ま、意識はオレのままだろうが。んで、ありすが見たのはオレの中に在る魂の煌めき。数百億の人間の魂だ」
その全てが、自意識を持ってこの泥の中で平和に「暮らしている」。
そう吐き捨てるように言って、また視線を合わせる。ありすから見た真っ黒なアンリの瞳は、良く見れば数えきれない程の色が混ざり混ざった末の「黒」である事に気がついた。そこに、人間らしい器官としての働きなどは無いと言う事も。つまり、彼の体はあくまで概念で構成されている。そんな自分よりも不安定なものであると、言葉は思いつかずとも自ずと悟っていた。
「分かったろ? お前はまだ、人の形を保ってるだけ“己”がある。その体は電子で構成されたものだとしても、お前自身の魂は、精神は、確かにそこに存在しているんだ」
指さされた自分の小さな胸を見て、そこに、とても大事なものが在るように思えて体を抱きしめる。目を閉じ、耳を澄まして聞こえて来たのは自分の―――
「どくん、どくんって、聞こえるね」
「命の証だ。お前は死んでいるが、魂は光り輝いて生きている。オレにみたいに、キャスターに行く絵に重なった魂の中から探してもらうまでもなく、自分で実感できるぐらいに近くにあるんだよ」
「……うん。よくわかんないけど、大切なんだね」
「大切だな。なんたって、お前自身だ」
自分自身。そう言い聞かせると、ありすは満面の笑みを浮かべた。
「あたし、此処にいたんだね」
「鏡に映す必要もない。少し、自分の内側を目を閉じて“観れば”、すぐ分かるだろ?」
「うん。
「そうだ。お前はありす。お伽噺にいた子の原型と同じく、生きた子供」
「あたし…あ、あたし……」
「もう悩むな。死んでる事を自覚して、その魂を命に輝かせろ。なんにせよ、ありすが此処にいる事は疑いようもない事実だろうが」
「うん…! うん……!」
そして、彼女は泣きだした。
ずっと一人だった、と言う事は変わらないだろう。だが、自分をようやく掴む事が出来たのだ。今までサーヴァントを見ることでしか、己の存在を知覚できなかった。自分自身の偶像に頼ることしか思いつかなかった。
だが、ここでようやく自分の死を自覚する。それはこの場所にいる理由を理解すると言う事。この場所で、己は一体どういう扱いなのかを知る事。確かに、サイバーゴーストとして出現したありすは幼い思考のまま。だが、生来の聡明さが理解させる。
「オレに言われるまでずっと逃げてたってわけでもあるまいに」
「でも、……さびしかった。さびしかったんだもん! みんな戦ってるから、お話もできないんだもんっ。でも、でも、応えてくれたのは、アリスとお兄ちゃんだけだったから…ほかのみんな、あたし見て、騒ぐだけだったから……」
「まぁ、普通戦争やってる奴や一回戦敗退しそうな気の軽い奴らはそうだよなぁ……気の軽さでは人の事言えねえけど」
喰った魂の奴らに確かにいるなと確認すると、それはユリウスにやられていた生徒の中の一人だと言うい事にも気付いた。まぁ、当のありす自身の事は珍しかったという感想一言しかないのが少し腹が立つが、今となってはありすより救われないアンリマユに囚われた魂の一つである。
「……んじゃ、もう大丈夫か? ちゃんと前向けるのか」
「お兄ちゃんと話していると、頭の中すっきりして来るから。…うん。もう、あたしも逃げたくないよ…でも、消えたくもないよ……」
「ありす…」
確かにその通りだ。
こうしてアンリが彼女の自己を気付かせたが、このままアンリと戦っても今までのようにサーヴァントとは一体化していないので、強力な力は発揮できずに最弱のキャスターのサーヴァントとしてアンリ達に倒されるしか、この場所から出る方法は無い。その場合、消滅と言う子供には残酷なオプションもつけられてしまうのだ。
だから、悪神はニヤリと笑って手を差し伸ばす。「代償」をその手にした人間の手を取る、悪魔の様な頬笑みで。
「……じゃあ、ちょっとだけ痛いのに耐えられるか?」
「痛いの?」
「ちょっとだけ。もしかしたら、熱いかもしれねえ」
「鉄の兵隊さん来た時みたいに、すっごく熱いの?」
「ずっとお日様に当たってた時くらいだ。すぐに終わるさ」
「…ホント?」
「嘘はつかないさ。なんたって、オレは神さまだからな」
「そっか!」
そうしてありすは、アンリの手をとった。彼の手はとても泥でできているとは思えない程に―――
「お兄ちゃんの手、あったかいね」
「氷のお城だからな、ちょっと寒かったろ?」
「うん、ちょっとだけ。でもお兄ちゃんと狐のお姉ちゃんがいるからがまんしてたの」
「よしよし、そんじゃこれからの事もちゃんと我慢できるな?」
「うん、あたしがんばる!」
「よぉーしその意気だ!」
ありすを所謂お姫様だっこで抱きかかえると、アンリは部屋の窓に足をかけた。獣様に俊敏にそのまま屋根に上ると、しっかりつかまってろとありすに伝える。そして、背中に力を入れるとボキボキボキッという音が彼の背中から響き、その肩甲骨の真ん中あたりから偉業を生やし始める。
形態変化を終えた先には、人二人を抱えるには十分な程巨大な、蝙蝠の様な羽が二対も出現していた。
「さぁーて舌ぁ噛むなよ!」
答えの代わりに首に手を回したありす。その事をしっかりと確認したアンリは、数十メートルはある城の天辺から歪な翼を広げ、飛び立った。
凶悪な殺気をだだ漏れに近づいてきたジャバウォックに向かって、キャスターは札でぐるぐる巻きに封印した何かを取り出した。ジャバウォックが影になってアリスは見えていないようだが、其れを取り出した瞬間のキャスターが笑っている事にも、当然ながら憎しみばかりを向けて気付いていない。
接触まであと数メートル、その距離になって札で巻かれた何かがジャバウォックに接触する。瞬間、指を立ててキャスターが印を切った。
「解! んでもって烈っ」
何枚もの札が散開し、中からアンリの体の一部――言わば「泥」が出現してジャバウォックに付着して同化するように溶け込んで行く。それと同時に泥を覆っていた札が空中で裏返り、ジャバウォックの四肢に張り付いた。
「な、何この紙きれ―――」
「ヴ、ヴぁアぁああ…アァアァァァァ………」
「ジャバウォック!?」
「案外効くもんですね。さっすが我がご主人様! って、言えちゃいましたよこれ」
アンリの体の一部…すなわち、取り込んだヴォーパルの剣の効果が発揮されたのだろう。目に見えて怪物の動きが悪くなったかと思うと、前にヴォーパルの剣を使った時よりも弱体化の効果が表れているようにも見える。
「驚いてばかりで良いんですか~?」
だが、キャスターはここで攻撃の手を休めるような真似はしなかった。
怪物には札の何枚かが張り付いたまま。そして、アリスはその札が何かしらのジャバウォックを封印する手助けをしているかと思っていたが、そうではない。彼女の笑みが最大限まで深まると、魔力の波動でその部屋は満たされた。
「氷、天ッ!」
「ゴォォオオオオオオオオオッ――――」
四肢に張り付いた札の先から、氷の城の一部を吸収しながら氷が怪物を閉じ込めていく。浸食の速度はそれこそあっという間の出来事。アリスが単にその光景をジャバウォックが危ないと認識した時には、氷漬けになった怪物に一枚の鏡が飛来していた。
ぱりぃぃん、と鏡が砕けるような音が響き、氷共々怪物の姿は塵と化した。あの最凶の怪物がなすすべなく一体のサーヴァントに手玉に取られたまま、その役目を終えて消え去ってしまった。
そんなアリスは気付く。外に、
「ありす!?」
「あっ…逃げた!」
空間転移を行って、アリスはキャスターの目の前から姿を消した。途端、キャスターにアンリからの外に出て来いと言う旨の念話を受け取った。
≪ついで、
「…了解しました」
ついにやるのか。そう思って、懐に忍ばせていた特上の魔力を込めた八枚の札を両手の指に通す。セラフを欺くための効果を持った強力な固有空間を作り出す術式を書き込んであるが、それが果たして本当にできるのかどうか……。
いや、
キャスターがエントランスを抜けた先。前庭に広がっていた光景は、ある意味予想通り。
ありすと共にいるアンリ。それを見て、たたらを踏んでいるアリス。
唯一つ予想外の事があるとするなら、アンリの持っている歪な逆手短剣がありすの首に掛けられ、今にも彼女の首が引き裂かれそうな一点か。
「…あなた、ありすの味方じゃないの? だから、
「……違うよ、アリス。お兄ちゃんはあたしを殺そうとしているじゃなくて、ちょっと痛い思いするだけだって言ってたよ」
「それは死ぬまでの僅かな間だよ! あなた、騙されてるのよ!?」
「やっぱり、あたしと貴女は違うんだね。
「…………っ」
「キャスター」
「…まったく、予想外ばっかり。だから楽しいんですけどね」
アンリの魔力をパスを通じて受け取って、自分に残さないように札に直接通す。黒ずんだ札は願望機の一部を実現して、霊体であるキャスターが触れたことで願いと言う名の使用目的を明確に魔術として叶える。
四方に二つずつ。何時かのマイルームの時のように札が張り巡らされ、正方形の結界が作られる。そして、四人は完全にセラフの監視下から逃れる形となった。
「あなた…一体何を…!?」
「ねぇ、アリス」
「…ありす」
首に刃を掛けられたまま、ありすはアリスに語りかけた。
ありすのサーヴァント。彼女から聞いた「ナーサリーライム」という英霊は、鏡映しにしかその存在を確立できないのはありすと同じであるらしい。だから、ありすと違って自分を見えていない彼女の姿は、少しずつずれて来ているように見えた。
「ありがとう。ありすはずっと幸せでした。でも、あたしも夢から覚める時がきたみたい」
「……本当に、彼の言う事に従うのね」
「ごめんなさい。あたしは新しい赤の王が作った夢に行くの。でも、そこは夢みたいな本当の世界。物語が終わった、あたし自身の人生だって。分かったから」
「……ねぇ、
「なにかな、
アリスは泣いていた。だが、ただ涙を流すだけ。
泣きじゃくってはいない。それは―――鏡でしかないサーヴァントだから。本当の気持ちを持ち合わせていないから。
「
「………ごめん」
「いいの。だって、あたしはサーヴァントだから。……ねぇ、お兄ちゃん…ううん“アンリ”さん」
「何だ」
精一杯微笑んで、アリスは言った。
「この子を、しあわせに……お願いします」
「……任された。おまじないは、そうだな―――
そして、彼は―――
―――あたしはArisu、あなたはAlice…
―――
首を引き裂き、鮮血が舞う。
こうして、ありすの敗北がここで死を持って証明された。
エレベーターを上ると、既に日が沈んだ宵闇に包まれた校舎がアンリを出迎えた。霊体化したキャスターは何も此処に来るまで何も喋らず、沈黙のままに彼に従っている。
そんな二人を出迎える人物はやはりいたようで、朱い制服を着た少年がエレベーターから出て来たアンリを視線で射ぬいていた。
「…おや、死体を残すとは。セラフのデリートから逃れる術を持っていたのですか」
「……まぁ、な」
「ウィザードとしての腕は僕としても疑っていたのですが…杞憂だったようですね」
「そりゃどうも」
「……成程。流石は異世界の魂を持つお方だ。僕達ハーウェイの導きは必要ないと言う事ですね。だけど―――待っていてください」
少年は騙った。
いずれ、全ての無意味を無くすために王になると。調停を行うために此処に来た、この自分にこそ全てを任せればいいと。
「ひっどい勧誘もあったものね。よくもそんなに人の心に踏み込めるものだわ」
「チッ」
「何に対しての舌打ちよソレ! とにかく、アンタはさっさと行きなさい。そんな首を両断された
「…わーったよ。レオ坊、いっこ忠告だ」
「なんでしょう?」
階段に歩いて行きながら、アンリは語る。
「人間を管理ってのは、誰も救われない。
変化のない人間は、人間じゃない。
進歩のない人間は、人間じゃない。
それは――――ただの、
「……成程、心に留めておきます」
それっきり、その場の会話がどうなったのかは分からない。
ありすの流血も止まった死体をその場に置くと、流れ出る血を自分の変形させた泥の腕に吸い取らせた。まるで死体を貪るグールのような行為だと思いながらも、流血の泊まったありすの首をくっついているような位置に置こうとして、ぐちゃぐちゃと不快な音を立てていく。
ようやく、定位置の定まった死体から手を放して見下ろすと、余りにも安らかな其の死に顔に、今もただ寝ているだけなのではないかと錯覚する。首に入った、断裂痕さえなければ、の話ではあるが。
「ご主人様」
「ああ。これで全て整った」
「……傍から見ると、凄い絵面ですねぇ。コレって」
「だろうな。だがまぁ、そう言う奴らがいてもお前は判断を変えるか?」
「まさか」
「だろ?」
それに、今日はもう寝よう。
疲労に包まれた体を休ませる為に、ありすの死体と同じ布団に入って眠った。人体の中身の匂いがアンリにとっては丁度いい睡眠のスパイスとなり―――そこで、彼らの意識は閉ざされるのだった。
今回、最長でした。
ハーメルン換算で一万六千字。なるべく色々カットしてこれですから、どうせならもっと描写細かく書いた方がよかったのでしょうか?
というか、別に人に説教したことも少ないので何かいてんのかよくわからない支離滅裂な文章になってしまったような……
とまあ、こんな感じでありす編は終了です。
皆様は決して、幼女を救うために殺してはいけませんよ。死体をどうこうなどもってのほかです。
どの口が言うかと。
ネクロフィリアまではいきませんが、そのような描写を不快に思う方がいらしたら、次からは少し自重しようかと思います。