記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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社畜への道

 あまりにも巨大すぎる構造物である虚夜宮(ラス・ノーチェス)、その中にはこれもまた巨大な構造物がいくつも存在し、影では藍染でさえすべて把握しているのか怪しいと囁かれているほどだ。

 偽りの青空の下、それぞれの十刃(エスパーダ)は与えられた宮殿でその日々を過ごす。

 力に磨きを掛ける者。怠惰を貪る者。趣味嗜好に没頭する者。

 個性豊かであることが自然となった十刃(エスパーダ)であるため、その過ごし方も十通りとなる。

 その中の一つ、第3宮(トレス・パラシオ)。その名前のとおり、第3十刃(トレス・エスパーダ)を主とする宮殿だ。

 宮の中ほどから外に飛び出した、広場といって差し支えない場所に人影があった。

 現在の破面・No.3(アランカル・トレス)であるティア・ハリベルは、宮の屋上で腕組みをしながら立っている。

 金色の髪と褐色の肌が特徴的な女性の破面(アランカル)だ。腹部から胸の下までもが露わになった白い死覇装から覗く腰や腹部はすらりと引き締まり、顔の下半分がファスナーで隠れてはいるが、真っ直ぐに前を見つめるその翡翠色の両眼には強靭な意志が宿っている。 

 気高く、美しい女性だった。

 気まぐれで風に当たってこようと思い、ハリベルは外に出てきている。特に変わり映え無い風景。それは理解しており、この城に来てから何度も見ている光景だ。

 つまらない、とは思わない。彼女自身気にしていないだけでもある。あるがままだと認識しているし、ハリベルにとって生きているうえで最も重要なことは他にあるのだ。

 なので、こうして外に出ているのは物思いにふけっているからかもしれない。

 

「......これは」

 

 探査回路(ペスキス)に引っかかった霊圧にハリベルが意識を浮上させた。

 覚えのない霊圧だ。それが凄まじい速さで一直線に、螺旋状に回転しながら宮に迫ってくる。どこかの十刃(エスパーダ)の襲撃かと思ったが、この時期に来るような馬鹿はさすがにいないはずだ。それに十刃(エスパーダ)同士で会うのも藍染の召集以外ではあまりない。

 そうしている間に謎の物体はハリベルに向かってきた。

 しかし、すぐに様子がおかしくなる。

 物体は途中で力尽きたようにひゅるひゅると情けなく、空気を吐き出し終わりそうな風船のように飛んできた。ハリベルが右手を伸ばしてガシッと軽く掴めたほどだ。

 少女だった。跳ねまわった鴉の羽のような髪が目に入り、次にその小柄な体躯がぶらりと垂れ下がる。腹部で開いたパーカーのような珍しい死覇装を着ていた。

 アイアンクローをする形で少女を掴んだハリベルは首をかしげる。

 

「どうした。藍染様からの遣いか何かか?」

 

 そう問うも、少女は答えない。

 そこでようやくハリベルは少女がぐるぐると目をまわしていることに気づいて床に降ろす。座ることも出来ずに少女は倒れ、手から新品の地図がこぼれ落ちた。

 

「.........ぃ」

 

 蚊の鳴くような声だ。

 ハリベルは膝をついて耳を少女の口元に寄せた。

 

「おなかすいたよぉ......」

 

 非常にひもじそうな声音がなんとか聞き取れる。

 どうすればいいか迷うものの、ハリベルはこの少女が藍染の言っていた新人だと思い至った。まさかこの広大な虚夜宮(ラス・ノーチェス)で、教えられたその日に出会うとは不思議なものだ。

 藍染からは良くしてくれと言われている。

 こうして空腹で目をまわさせてしまっている以上、そして同じ女型の破面(アランカル)として見捨てられない。

 仕方なく少女をお姫様抱っこで抱えたハリベルは、自分の宮へと入っていった。

 

 

 ----------

 

 

「おいしい、おいしいよぉ!」

「泣くほど喜ぶとは思っていなかった」

 

 少女が持てば一抱えはあるパンにかじりつく姿を、ハリベルは膝の上に乗せながら眺めている。

 宮にあるハリベルの私室で、小さなテーブルを二人は前にしていた。ハリベル個人の部屋なので、椅子は一つしかなく、持ってこさせるほどでもないとニルフィを膝にのせている。

 少女はニルフィネス・リーセグリンガーと名乗った。是非とも、と言うので、ハリベルは少女のことをニルフィと呼んでいる。

 そのニルフィは、ハリベルが下に用意させた現世の食物を口にしていた。(ホロウ)を食べることを忌避するハリベルはもしかしたらそれを用意しないと慌てたが、ニルフィは腹が膨らめばなんでもいいらしい。ペットを初めて飼ったような姿だと、ハリベルの部下は密かに思った。

 

「食うのは構わないが、口を拭け」

「モフッモフッ」

「どうせならこれも食え。余るようにあるからな」

「ハムッハムッ」

「酒というのもある。私の従属官(フラシオン)もこれは好物なんだ」

「コクッコクッ」

 

 食べる速度はそれほど速くない。小さな口に詰め込める量は限りがあり、リスのように膨らませてもさして変わりなかった。テーブルの上の皿にはまだ菓子類などが山ほど残っている。

 

「ーーンクッ......。ふぅ、ありがとうハリベルさん。死ぬかと思ったよ」

「構わない。それにしても、これくらいでいいのか?」

 

 ニルフィはとてもおいしそうに食べていた。同じものを口にしたハリベルでさえ、ニルフィの食べているものだけが特別に作られたのではないかと思うほど。それでもさして広くないテーブルに乗せられた食べ物だけで、ニルフィは満足したようだ。

 自分の従属官(フラシオン)達が食べるとしたら何枚も皿が積み重なる様子を見ているので、ハリベルはニルフィのどこか体調が悪いのかと心配した。

 

「うん、もう平気。この体になると、直接食べる量が少なくても大丈夫みたい。とりあえず、これで十分満足なんだ。それにスゴクおいしかったしね」

 

 照れくさそうにニルフィが笑う。

 

「こんなにおいしいのって初めて食べたから、私には新鮮だった。初めて破面(アランカル)になってよかったって思うよ。(ホロウ)を食べるより、こっちのほうが好きかもしれない」

 

 一段落したところで、ハリベルがニルフィの落とした地図を差し出す。

 

「これはお前の物で間違いないな?」

「うん。最初はアーロニーロさんの所で貰ったんだけどさ、いろいろあって燃えちゃってね。少し前にバラガンさんの所でコレを用意してもらったんだ」

「あの二人の所に行ったのか」

「そうだよ。私って方向音痴でね。ウルキオラさんの所に行きたいんだけど、地図を見ても別の所に辿り着くの」

「......それは、逆に持っていたからかじゃないか?」

「え、嘘!? って、あぁ! ホントだ!」

 

 今頃気付いたらしいニルフィに、ハリベルが珍しく呆れのため息を吐いた。

 なんというか、拍子抜けなのだ。あの藍染が注目している割には。

 同じ女型の破面(アランカル)ということで最初はどんな人物かと考えたものだ。良い方向にも、悪い方向にも。ネリエルのような人物だったら好ましいとまで思って出会ってみれば、コレ(・・)なのだ。反りの合わない破面・No.8(アランカル・オクターバ)ザエルアポロのような性格ではないだけマシだが、空振りもいいところだった。

 

「どうしたの、ハリベルさん?」

「いや、考え事をしていただけだ」

 

 小首を傾げながらクッキーを頬張るニルフィに、ハリベルは安心させるように目を合わせる。

 

「私、分かるよ。ハリベルさんがなに考えてるのか。全然さ、私って強そうじゃないでしょ?」

「ああ、正直に言えばそうなる。探査回路(ペスキス)で感じ取れる霊圧も不安定で、強さには連想しない。お前と戦うのならばその不自然な霊圧にしか、誰だって注意しないだろう」

「だよねー。最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になってもこんなモンだよ」

最上級大虚(ヴァストローデ)だと?」

「そうだよ。昨日の今日で藍染様からスカウトされてね、私でもよく分かんないけど番号も貰わないまま自由行動をしてるの」

 

 事もなげに言っているが、ハリベルはニルフィのことを警戒しなければならない。

 最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になるものは、例によって強力な個体となる。バラガン然り、ハリベル自身でさえ元は最上級大虚(ヴァストローデ)だった。

 そもそも容姿は強さに起因しないのだ。ハリベルだって格下の巨漢を殴り倒せる自信もある。

 霊圧の不安定ささえ戦闘能力として意味があるように思えてしまった。ニルフィを構成しているものが、よく考えれば出来すぎているのだ。相手の油断を知らずのうちに誘うような、そんな疑似餌のように。

 

「バラガンさんが言うにはさ、昔の私ってもう悪鬼羅刹みたいだったんだって。嘘を言ってるようには見えないけど、今の私を考えると、ね」

 

 暗い影が落とされるように、事実を受け止める。

 

「それに......」

 

 ニルフィは体を前後に揺らして、柔らかさとボリュームのある二つのたわわなそれに頭をうずめた。

 そしてニルフィはカップをソーサーに置くと、さわさわと自分の胸辺りを撫でまわし、ガクッとうなだれる。

 

「こんな姿にはなりたくなかったよ」

 

 なんと言っていいか分からず、ハリベルは微妙な顔をして黙ったままだ。

 ニルフィは溜まった鬱憤を晴らすように、見かけに比例した幼い様子でブンブンと腕を振り回す。

 

「だいたいさ、私だってもう少し威圧感のある姿が良かったんだよね。もしくはハリベルさんみたいに凛々しくて、綺麗で、グラマラスでさ! アーロニーロさんには貧乳って言われるし、ウルキオラさんなんて絶対に私のことネコか何かだって勘違いしてるよ!」

 

 聞けば、ウルキオラに宮を追い出されて3ケタ(トレス・シフラス)の巣に向かったそうだ。そこから二人の十刃(エスパーダ)と出会い、こうしてハリベルと会っているという。

 ハリベル自身はあまり話す方ではない。

 小さな破面(アランカル)の冒険譚を聞きながら、ゆっくりと時間が流れていく。退屈しないのはニルフィの懸命な説明が微笑ましいからか。

 

「でね、その紳士のオジさん、えと、ドン・パニーニって人でね、すっごく優しい人だったの」

「ドン・パニーニ......? そんな名の十刃(エスパーダ)がいたのか」

 

 おいしそうな名前の人物だと、かつて同僚でもあった男を別人に置き換えて、ハリベルは思い浮かべた。

 

「うん、それでね。その人に訊いて......。あ、そういえばハリベルさんにはまだ訊いてなかった」

 

 とても重要なことだ。知っておきたい、そんな焦燥も交えて。

 

「これは私が出会った強い人たちに訊いてるんだけどね。ハリベルさんにとって、力ってなにかな」

「どうしてそれを知ろうとする」

「......私はさ、自分で弱い弱いって言いながら、分かってるんだ。ホントは力を持っているって。でも記憶がないから今までどうやってこの力を使ってたか知らないし、ふとした拍子で思わず暴力を振るうことだってあったの」

「お前が言うのなら、それは不可抗力ではないのか?」

「そうかもしれない。だけどさ、ポウって人がちょっかい掛けてきたとき、無意識でその人を殴って、それで昏倒させてた。......無意識にだよ。襲われたことにビックリするんじゃなくて、怖がったり怒ったりする前に、無意識で襲い掛かってたの。それで分かっちゃったんだ。ああ、私はバケモノなんだなって」

 

 ハリベルはニルフィの小さな体が震えていることに気が付いた。

 

「気にしないようにしてたんだけど、私は何人も(・・・)同じヒトだった存在を、食べて、食べて、食べて! ......最上級大虚(ヴァストローデ)になったの。それで力を付けて、前の私はそんなこと気にしないでまた食べてた。それで強くなっていったの」

 

 (ホロウ)には栄養ともなりえない、ただの趣味嗜好である先の食事を、ニルフィは好きだと言った。つけ加えるならば、ただそれだけで生きていきたいと渇望するほどに。

 それに、記憶がない。

 それならばこの少女は、突然凶悪な暴力を手に入れてしまい、どうしていいか不安になっているのだろう。

 

3ケタ(トレス・シフラス)の巣にいる時も、グリーゼさんとかオジさんはともかく、他の襲って来た人たちのことを殺そうとしちゃったときもあるの。首を()ねればいいなとか、四肢をもげば面白そうとか、そういうのが頭に浮かんでくるから、怖くなってずっと逃げてた」

 

 少女は体を細腕で抱き、しかし震えはひどくなっていって。

 

「バラガンさんの所にいる時も、誰も私に危害を加えなかったのに、私の中の誰かさんはシャルロッテさんたちを殺せってうるさかった」

 

 おそるおそる肩越しに、ニルフィは金色の目をハリベルの顔に向けた。

 ちかちかとくすぶるように、その目の奥に欲求とも取れる光が瞬いている。

 

「今だって、ご飯を食べさせてくれたハリベルさんのこと、殺せって言ってる」

 

 吐息のように、切なさそうにニルフィは零す。

 好印象を持った大切な人に限って、ニルフィの中の暴虐性は激しいのだ。

 

「ただ普通に生きようって思ってた。だけど、私はーーホントは生きてちゃダメなの?」

  

 ただの破面(アランカル)ならば気にもしないことで、少女が押し潰されようとしていた。

 そんなニルフィを、ハリベルはそっと抱きしめる。

 震えが少しだけ、ほんの少しだけ収まったようにハリベルには思えた。

 

「強さというのは、犠牲という(いしずえ)の上に成り立っている。少なくとも私はそう思う」

「ふぇ?」

 

 先に答えを出した三人とは毛色の違う言葉だ。ニルフィが首をかしげ、興味を持つ。

 ハリベルは少女の頭を優しく、硝子細工を扱うように撫でながら、ゆっくりと続けた。

 

最上級大虚(ヴァストローデ)へと至るためには、最下級大虚(ギリアン)から中級大虚(アジューカス)に進化するよりもより多くの(ホロウ)を喰わねばならない。いや、最上級大虚(ヴァストローデ)に限らず、目に見える力を手に入れるには喰らうことしかないんだ。ここまではいいな?」

「......うん」

 

 何を今さら、とでもいうような視線に、ハリベルはあるかなきかの微笑みを返す。

 

「たしかに、我々は元はヒトだ。その記憶が霧のように曖昧なものと化しても、それは変わらぬ事実。そして(ホロウ)となり、進化を繰り返すごとに理性を取り戻した。そのせいでお前は悩んでいるのだな」

「そうなるかも」

「その過程の中で、私は他の大虚(メノスグランデ)を喰らう犠牲を強いて自身が強化することを望まずにいた」

「どれくらい、そうしてた?」

「さあ、どうだろう。時間は曖昧だ。私の従属官(フラシオン)をしてくれている仲間も、その時に出会ったことだけは覚えている」

 

 自嘲が、空気に混ざる。

 

「あの時の私は慢心していた。見逃した相手が、破面(アランカル)となって私の命を奪いに来たんだ」

「......最上級大虚(ヴァストローデ)でも?」

「そうだ。その時に藍染様に命を拾われた。力を得れば犠牲を生むことは無い、そう仰ったあの方の下に私は付いたんだ」

「そっか」

「私はあまり口が上手くはない。これは受け売りとなるが、理性を得た者が戦うには理由が必要となる。いや、必要とせねばならない。本能のみで戦うのは戦士ではなくただの獣だということだ」

「それが、今の私なんだ。ショックだよ」

「そうではない。我々は特に、犠牲がなければ強くなれない種族だ。この力は、背負っている命は、そのたびに重くなっていく。だからそれらが消えることがなくとも、犠牲の上で獲得した自らの力となる。だからーー怖がるな」

 

 らしくもなく長広舌になったことにハリベルは襟で顔を隠す。

 前の第3十刃(トレス・エスパーダ)ならば、もっと上手く話せたはずであり、武芸一筋の自分をここまで呪ったことはない。

 しかしニルフィは非難もせず、ただ微かに頷いていた。

 

「そう、そんな風に考えられるんだ......」

 

 だんだんと尻すぼみになっていく言葉が途切れると、糸の切れた人形のようにコトリとニルフィの体から力が抜けた。......おそらく、空腹が満たされて、今さらながら疲労の波が緩やかに彼女の意識を覆っていったのだろう。

 少しばかり困ったようにハリベルが肩をすくめると、彼女はニルフィを抱き上げながらそっと立ち上がった。

 

 

 ----------

 

 

 鍛錬、と呼べば聞こえはいいが、彼女らのしてきたことは過剰にすぎる内輪もめ以外の何物でもない。

 ずかずかとあまり品のない歩き方で廊下を進む、オッドアイで左目の周りに隈模様があり、額に角のような仮面の名残が付いている女。エミルー・アパッチは、同僚にやられた左腕の傷をしきりにさする。

 

「クソ、痛ってぇ! てめえはゴリラ並に馬鹿力が過ぎんだよ、ミラ・ローズ!」

「あァん? こちとらお前の不意打ち虚閃(セロ)で右足が痛いったら......」

 

 不満たらたらに、高身長かつ筋肉質で、かなり露出の高い服を着ている女がギロリと獅子のようにアパッチを睨みつけた。アパッチと同じく、ハリベルの従属官(フラシオン)の一人、フランチェスカ・ミラ・ローズである。

 

「あら、私の記憶ではお二人はそんな傷なんて翌日で治っているはずでしてよ。まぁ、同時に昨日のことなどさっぱり忘れてるでしょうけど」

「「スンスン、てめえ!」」

 

 アパッチとミラ・ローズは残る一人の従属官(フラシオン)、シィアン・スンスンに噛みついた。

 長髪で、アオザイの様な袖の長い服を着ている女だ。彼女は口元を袖で隠しながらさらりと流す。ちなみに、彼女はわき腹にドロップキックを喰らっており不機嫌だ。

 

「それにしても、ハリベル様は何処に。この時間では珍しく私室におられるとか」

「そういう時だってあるよ。なんせ、これから死神どもとやり合おうって時期だ。あたしらじゃ及ばないほど大変な仕事だってあるさ」

「まあ、戦いとなったらその分あたしらがちゃっちゃと片してやろうぜ」

「そうさね。今からでも腕が鳴る」

「......悲しきほどに脳筋、ですわね」

「「聞こえてんぞ、スンスンおらぁ!」」

 

 いがみ合いながらでも彼女らが気ままに暴れようとしないのは、ひとえに主であるハリベルのためだ。

 何よりも優先すべき事柄であり、それにためらいはない。ハリベルが侮辱されたらその侮辱した相手を潰すし、もし捨てられそうになってもどこまでも付いていく。

 まだ彼女たちが中級大虚(アジューカス)である時に拾われてから、ハリベルには尽きることがない恩義を受けているのだ。そうそう他の従属官(フラシオン)に忠誠心では負けはしない。

 

「おっ、着いたか。ハリベル様ー、アパッチです!」

「ああ、入ってくれ」

 

 許可をもらい、三人はハリベルの部屋へと普段は見られないかしこまった態度で入っていく。

 敬愛してやまない、主君がいるから。

 そして三人が三人とも、絶句した。

 

「ハ、ハリベル様......?」

 

 だれが、彼女の名を呼んだのだろうか。それすら分からぬほど三人は動揺していた。

 ハリベルは寝台の上に頬づえをつきながら寝っ転がっていた。それはまだいい。ハリベルは主であり、そのままでも無礼ではないからだ。

 ただ一つ、原因があるとすれば。

 

「その......少女は?」

「ああ、コレか。ニルフィネス・リーセグリンガー。最近、新しく入った破面(アランカル)だ。お前たちも仲良くしてやってくれ」

 

 違う。そうではないのだ。

 そのニルフィネスという小柄な少女は、ハリベルと一緒に寝台で寝ていた。

 三人が訊きたいのは、なぜ新人の少女にハリベルが添寝をしているのかとか、それがかつて一度もしたことがない自分じゃないのかとか。そんな由々しき事態に対してだ。ちなみに、少女は熟睡しながらハリベルに抱き着き、豊かな胸元に顔をうずめている。とても気持ちよさそうな可愛らしい寝息が漂う。

 

 ギリィッ!!

 

 三人の奥歯が砕けんばかりに噛み締められる。

 

「ハリベル様、そのガキを寄越してください。これからさっそく仲良くして(殺って)きますから」

「アパッチ、馬鹿言うんじゃないよ。ここはあたしが仲良くして(ぶっつぶして)きますから」

「あらあら、お二人ともはしたない。こういう可愛らしい娘は愛でる(シメル)に限るのに」

「--殺気!?」

 

 ただならぬ空気を感じてニルフィが飛び起きた。

 それとなく至福な夢から醒めれば、眼前には凶悪そうな顔をした女が三人迫っている。小心者の彼女に驚くなというほうが無理だ。

 ささっとニルフィがハリベルの背後に隠れ、フルフルと震える。ヒシッとニルフィがハリベルの背中に抱き着くのを見て、獣たちは更に興奮するようにヒートアップしてきた。

 

「お前たち、ニルフィが怖がっているだろう」

 

 ハリベルは起き上がると背中からニルフィを引きはがし、あぐらをかくようにした足の中に少女をぬいぐるみのように収めた。意識しているのか曖昧だが、優しく頭を撫でることも忘れていない。

 ハリベルがこの場にいなかったら、ニルフィはたちまち襲われていただろう。

 ほおを引くつかせたアパッチがずいっと顔をニルフィに近づける。

 

「よぉ、おチビ。これからあたしらと楽しい楽しいお遊びをしねえか? 天にも昇りそうなほど楽しませてやっからよ」

「い、いやだ! それにハリベルさんとご飯食べたばっかだもん。しばらく運動したくないかなっ」

「あァ!? ハリベル様とご飯? てめえ今、一緒にご飯って言ったな、アァ?」

「ひぐっ......。とってもおいしかったよ。ハリベルさん、あ~んしてくれたし」

「あはははは! やっぱあたしらと遊ぼうや。ガキってのは外で遊ぶもんだって相場が決まってるんだよ」

「そんな相場の株価なんて急激に落ち込んじゃえ!」

 

 話すたびにドツボにはまっていた。殺気の濃度も窒息してしまいそうなほどだ。

 逃げられない。そう悟ったニルフィは、礼儀に反すると分かりつつも、命惜しさにやることを決める。

 

「ハリベルさん、ありがと。ご飯おいしかったし、キミのおかげで心が軽くなったよ」

 

 冷静な女性の、わずかに驚いた気配。

 それに満足したニルフィが立ち上がると、ぎゅっとハリベルを抱きしめる。ぎこちなく、ハリベルも少女の細い胴へと腕をまわす。

 外野から獣の咆哮のようなものが空気を震わすも、あえて無視。

 困ったような顔をするハリベルにニルフィはいたずらっぽくウインクした。

 そのまま右手を掲げ、振り下ろす。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 白い光が部屋を支配し、今度はなぜかファンファーレにも似た音が一緒に響いた。

 

「じゃあね! 時間があったらまた来るよ!」

 

 声が流れ、気配は緩やかに消えていく。

 同時に、光の幕がゆっくりと晴れていった。

 

「クソッ、あの餓鬼を逃がしちまっ、た......」

 

 ミラ・ローズはしばしばする目をこすりながらニルフィの姿を探そうとした。しかし、眼前の光景に声を失う。それは残った誰しも同じだった。

 部屋を覆うようにして、薄く小さな桃色の花弁が踊るように舞っている。品種は桜だろうか。それが際限なく降り注ぎ、けして下品とは感じさせないように優雅にくるくると回りながら落ちていく。頬に当たると柔らかく軽い感触が伝わり、これがただの映像なのではないと如実に伝えてくる。

 粗野なところが目立つアパッチやミラ・ローズも毒気を抜かれたかのように立ち尽くし、この光景に見入っていた。スンスンも軽く腕を広げ、花弁のシャワーを一身に受けている。

 ハリベルが一枚をつまむと、花弁は彼女の手の中で霊子の光を散らしながら、儚く空気に溶けた。

 ただの景色だ。そう割り切るには、この光景はあまりにも幻想的すぎた。

 

「これがせめてもの礼のつもりか......」

 

 硝子の繊細な小道具が割れたような、シャンと澄んだ音と共に、花弁の群れは霊子となって散っていく。

 ハリベルが可笑しげに目を細め、桜の仄かな香りの残滓を吸い込んだ。

 

「戦わずとも、道があるかもしれないな」

 

 

 ----------

 

 

 そこは虚夜宮(ラス・ノーチェス)の内部にしては異質な部屋だった。

 光が入り込まない暗闇の中では、壁にいくつもの機械類が埋め込まれており、黒い空間の中でポツポツと光を浮かび上がらせる。

 時折明滅を繰り返し、盤石にある丸い画面が切り替わっていた。

 そこをのぞき込むように、二人。

 

「なんや、ここでも何もないんかい」

 

 そのうちの一人、市丸ギンが肩の力を抜く。表情は曖昧なものだ。彼の狐のような細目からは感情が伺えない、拍子抜けしているようであり、失望を含んでいるようであり、はたまた単純に楽しんでいるようだった。

 ギンの胸の内に生まれた感情は、彼にしか分からない。

 

「一応は予期していたことだ。それに相手も分かっているのだろう。戦いとなれば厄介ということをな」

 

 もう一人、東仙要は常時と変わらない声色で答えた。盲目の彼が視えている(・・・・・)かは不明だが、東仙もまた画面に顔を向け、終始腕組みを解かずに静観していた。

 

「せやけどボク、もう何もないんちゃう思うんやけど。あのコ、本気で戦う気ィないみたいやし」

「内に秘める暴虐性は見えるのだが......。やはり、穏便な手段では駄目か」

 

 画面の中では、ニルフィは響転(ソニード)を使いながらウルキオラのいる宮に移動中だ。

 東仙たちの当初の予定より、あまりにも何もなさすぎた。

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣ではほとんど戦闘らしい戦闘もせずに切り抜け、出会った十刃(エスパーダ)とは陰険どころかむしろ好印象寄りの評価で送り出された。

 荒くれ者の集う虚夜宮(ラス・ノーチェス)を舐めてるのかと思うほど、ニルフィは戦っていない。

 

「このままでいいんちゃいます? ニルフィちゃんはやる気もないし、無理に立てて噛みつかれるのは御免やで」

「だが本質は(ホロウ)であることに変わりない。彼女も戦いの因果からは逃れられないさ。実力者と戦わせて失われた記憶を喚起させる。その方法が手荒になっても仕方がない」

「ホントにこのコが十刃(エスパーダ)並なんて、思えへんなぁ」

「戦闘方法は能力寄りだ。その力は藍染様と似た素養を得ている」

「うひゃあ、隊長とやなんて、悪質やねぇ」

 

 ハリベルの宮で見せた桜の幻影。五感を見事に(あざむ)くそれは、戦いに応用されれば厄介極まりないだろう。......そうなればどんな戦闘となるのか見極めるためにこの二人がここにいるのだが。

 

「......あら、そういえば東仙サンは、ニルフィちゃんの中級大虚(アジューカス)の姿、知ってはるん?」

「そういえばお前は見たことがなかったな。以前、藍染様と共に捕獲に乗り出したんだ。今でこそあの姿だが、初めは私も信じられなかった。狐につままれるとは、まさにあのようなことを言うのだな」

「はぁ......?」

「彼女の本質はあの幻影ではない。アレはあくまでーーーー」

 

 そこまで言おうとしたところで、部屋の扉が音もなく横にスライドした。

 廊下の明かりが差し込み、扉を開けた人物の影が二人の足もとまで伸びる。

 

「準備が整いました」

「あら、ウルキオラクン......?」

 

 与えられた宮にいるはずのウルキオラがさも当たり前のようにいた。

 首をかしげたギンが画面を再度のぞき込んだ。ニルフィは嬉々として空中を駆けており、ウルキオラがいないと分かればどのような切ない顔をするのだろう。部外者のギンでさえ気の毒に思う。

 

「ニルフィちゃん、君のこと探してるみたいやけど。宮にいなくていいん?」

「リーセグリンガーが目指しているのは第4宮(クアトロ・パラシオ)じゃない」

「なんやて?」

 

 では、どこにニルフィは向かっているのか。

 画面の中では、知識のある者ならばすぐに理解できる場所が映った。

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)

 

 

 破面・No.7(アランカル・セプティマ)ゾマリ・ルルーを主とする宮殿だ。

 これだけならばニルフィの方向音痴が再発したと思えるが、しかし地図の通りに彼女は進んでいる。

 ウルキオラがギンの疑問を解いた。

 

「藍染様は当初、リーセグリンガーを第0十刃(セロ・エスパーダ)に据えようとした。しかし予定していたものと違いーー記憶を失っていたんだ。俺たち(アランカル)にとって記憶とは経験。どこまで奴が戦えるかを見極めるのが、今までの期間だ」

 

 マシンガンを携えた一般人と、ナイフを手にした歴戦の兵士が戦えばどうなるか。

 状況にもよるが、運の要素も作用するだろう。

 力の使い方を忘れているかもしれないニルフィがまさに前者であり、本気のヤミーと戦えば偶然の一撃で命を落とすかもしれなかった。

 マシンガンを使える兵士に戻すのが目的なのだ。

 

「しかしリーセグリンガーを相手にするには、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)ではそもそも足止めすら望めない。妥協策として、釣り合っているような実力者を当ててやることしか、戦いを実現できない。生かさず殺さず。強引に記憶を呼び覚ます方法に刺激は必要だろう」

「なんや、君、あのコと仲良かったみたいやけど」

「アレが勝手にまとわりつくだけだ。俺には塵にしか見えん」

「その割には今もあのコ、子犬みたいに付いて行こうとしてはるけどね」

「............」

 

 何も言わずに背を向けたウルキオラをギンが呼び止めた。

 

「なら、一緒に見ていかへん? 心配やろ?」

「俺には関係のないことだ。アレが死んだのならば、ただの塵だったというだけだ」

 

 それ以上は話さず、報告だけを済ましてウルキオラは去ってしまう。

 面白そうな玩具が無くなってしまったかのようにギンは落胆し、宮を目前にしたニルフィの映る画面を見た。心にもないことを、あからさまに吐き出す。

 

「まったく、そないな熱血みたいな方法でニルフィちゃんの記憶が戻るんか、心配やわぁ」

 

 他者へ力を振るう怪物ならば、最も慣れ親しんだ行動で目を覚ますかもしれない。

 転機となるか、終点となるか、はたまた茶番へとなり下げるか。全て、少女の出す手によって、決まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? なんか寒気がするよ?」

 

 ぶるっと、ニルフィは身を震わせたらしい。


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