アーロニーロから貰った地図を手に、ニルフィは空中を駆けている。地図の方向通りに彼女は従っていた。
この時のアーロニーロの間違いは、彼がニルフィに付き添わなかったことだろう。もしくは、地図の正しい使い方を教えなかったことだ。
その手に持っている地図の持ち方が逆とも知らずに、ウルキオラの宮があるであろう方向に高速移動中だった。
「うんうん、なるほど。......合ってるね、さすがアーロニーロさん」
いや合ってないから。そうツッコミを入れるものはこの場にはいない。
巨大な誰かの宮が見えてきたとき、ニルフィは適当な塔の上に着地する。地図とにらめっこし、その方向にウルキオラはいないと思うことなく、目的地を見定めた。
直後、閃光がニルフィめがけて放たれる。
「うわっ!?」
何人かがあとを追ってきているのは知っていたが、まさか攻撃してくるとは思わなかった。避けなくともいい威力に惑わされ、ニルフィの回避行動はギリギリまで遅れる。
「待て、チビ助」
ニルフィと同じ高高度に浮かぶのは、虚ろな表情をした巨漢。顎に仮面の残骸がある。異様に長く大きな腕をしていた。
そちらには目も向けず、ニルフィはプルプルと体を震わせながら、手の中の物を見つめている。
巨漢がゆっくりとした口調で言った。ニルフィの手にある地図の成れの果てのことには気づいていないようだ。
「バラガン様がお前に会いたがテルヨ。早く来るイイネ」
「......が」
「うん?」
「アーロニーロさんの地図が!」
巨漢が気づいたときには、ニルフィはその頭頂部の上に姿を現す。その男、破面・No.25チーノン・ポウは訳も分からないまま目を見開くばかりだ。
「なにがーーゴポォッ!?」
その頭頂部に、小さな拳が振り下ろされた。
弾丸として放たなくとも拳に霊圧を纏わせた、
ポウには一撃に思えたかもしれないが、実際には両手を使って八発は殴られている。
頭部が首に陥没させられながら、ポウが眼下の地面に墜落した。その衝撃で白砂が噴水のように吹き上がる。
それを冷たく見下ろしていたニルフィはハッと我に返った。
「......あ、やっちゃった!」
思わず殴り落としたことに少女は口元を手で覆う。その隙間から灰になった紙の欠片がこぼれた。
自分の致命的な方向音痴を自覚しているニルフィには死活問題であり、命綱である地図を燃やされるのは、殺されることと同意義なのだ。やりすぎかと思うかもしれないが、地図を持っていても迷う特性は筋金入りだった。
パンパンと、この場には不釣り合いな拍手。
「これは驚きだ! まさかあそこまで躊躇いなく攻撃態勢に入るとは思わなかった」
顔の殆どを仮面の名残で覆われた長髪の男だ。
その余裕のある物言いにニルフィがむっとする。
「私を試したの?」
「
「さっきの人って仲間なんでしょ。殴り倒した私が言うのもなんだけど、心配してあげたら?」
「平気だ。ポウはバラガン陛下の
長髪男がいぶかしげに砂煙をあげる地面を見下ろす。
風が吹き、そういった煙幕は消え去った。
クレーターの中心で仰向けに倒れているポウは、潰れて息のあるカエルのように痙攣している。
「あ、そうだ。あの人の急所に一発ずつ拳を打ち込んで霊圧を乱したから、すぐには起き上がれないと思うよ。ダメージはそんなにないから治療すればすぐに治ると思うな」
「......ふむ、どうやら俺たちは君の実力を量り兼ねていたようだ」
「そういうキミもそんなに霊圧がないね。隠し玉?」
「まあ、そんなところさ」
右手に付いた刃を長髪男が吹くと、どこからか大型の
「いや、なに。悪かったね。俺はバラガン陛下の
「さっきから陛下陛下って、ここのラスボスって藍染様じゃないの?」
「我らにとってはあの男ではなく、バラガン様が主人であり神だ。そこを間違えないようにしてほしい」
「ふぅん、そっか」
フィンドールと会話をしながら、先程から引っかかっているバラガンの名に考えを巡らす。
「もしかして、そのバラガンさんって私と知り合い?」
「面白いことを言う。陛下は君に何度も傘下に入るように仰られていたのに、それを無下にしてきたのはどこの誰なのだろう」
「そうなの?」
「その通りさ。今じゃ
「............」
そういえばと、記憶の片隅に積もる埃のような手ごたえがあった。この
「流石の陛下も君のようなじゃじゃ馬は扱いきれないと、諦められたのだがね」
「質問、いいかな?」
「ああ、どうぞ」
「そのバラガンさんって、
「
「そっか。そんな偉大な人が、私みたいなニューピーに会いたがってると。断ればどうする?」
「力ずくになってしまうな」
フィンドールは肩をすくめた。
ニルフィの過去についても何か知っているかもしれない。
それに、
「分かった、付いてくよ」
「そうか、それはよかった」
「代わりにさ、さっきのポウって人が台無しにしてくれた地図の代わりがほしいんだけど」
「いいだろう。すぐに下の者に手配するよ。そうと決まれば行こうか、陛下も首を長くして待ってるだろうしね」
頷くと、二人は
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バラガン・ルイゼンバーンは、大帝の二つ名を持つ豪胆な態度の老人である。『虚圏の神』を自称し、さらに、かつての『虚圏の王』であるため、
「意外と素直に来たのだな」
そんな彼は、自分の宮の玉座へと続く道をゆっくりと歩いて行く。
藍染から面白そうに与えられた情報では、かつて傘下へと何度も勧誘しながら、しかしなびくことがなかった存在が
あの狂犬のような存在がどうなったのか楽しみだ。
時にはかつての
藍染が
それが単に、エサのある
今さらどうしようなどという狭量はバラガンにはない。
かつての意趣返しと戯れにポウを差し向けてみれば、返り討ちにされたらしい。しかしポウは死んでいなかった。かつてのあの化け物なら、ポウは消滅なりさせられていた。
「さて、楽しみだ」
そう言って、配下の者に扉を開けさせると、玉座の間にバラガンが入る。
彼の玉座は一段と高い所に設置され、他のものを見下ろせるようになっているのだ。
いつもここは配下が静かに控えている。しかし今回ばかりは違ったようだ。
「
「
何かいた。
小さな存在は腰だめにした腕をぶんぶんと精いっぱい振りながら、バラガンの配下であるアビラマ・レッダーと張り合っている。アビラマが暑苦しいのに対し、少女の叫びは子犬の威嚇ほども怖くない。
「ハッハァッ! それにしてもいい叫びじゃねえかチビ助! ここまで
「ふふん、肺活量は自慢なんだよ。私にチビなんて言うアビラマさんには負けないさ」
「オゥ! 言ってくれんじゃねえか!」
バラガンの見覚えのない小さすぎる影は、今度は別方向に駆けていく。
そこにいるのは頭部にカチューシャ状の仮面の残骸を残し、紫色のエキゾチックな髪をした、厳つい容姿をしたオカマ。バラガンでさえ、実力を知っていなかったら絶対に拾っていない濃い存在だ。
「どうだった、シャルロッテさん!」
「あ、らぁ~ん、ニルフィちゃん。女の子があんなにはしたなく叫んじゃ、ダ・メ・ヨ」
バチコーン! という擬音がしそうな凄まじいウインクをかましながら、むさいオカマもとい、シャルロッテ・クールホーンが屈みこむ。少女と目線を合わせるにはそうしないといけない。
「シャルロッテさんみたいに優雅にしてないといけないってこと?」
「そうよ、分かってるじゃない! 最近の男どもなんて、私の美しさを一片も理解できなくてね~。ホント、ニルフィちゃんのことを見習ってほしいものだわぁ」
「顔が悪くなっちゃうから、そんな顔しないで」
「もう! 優しいんだから!」
「あははは~」
このニルフィという少女は一言も、シャルロッテのことを『可愛い』顔とは言っていない。無垢な表情ながらえぐい一面を笑顔のまま見せている。
シャルロッテもやんやと担がれて悪い気はしていないようだ。
「......どういうことだ、これは」
「へ、陛下! 申し訳御座いません!」
玉座のそばにいつも控えさせている二人の側近は、慌てて膝をついた。
「ニルフィネス・リーセグリンガーを確かに連れてきました。ですが、ここに連れて来た時、ポウを倒したという報告からアビラマが突っかかりまして。そして彼の叫ぶ儀式(笑)にあの少女が初めて付き合ったことから意気投合。擁護していたシャルロッテも、ニルフィネスが煽りに煽って、こちらも意気投合し......」
「お前たちでは収束が付かなくなったということか」
「誠に、誠に申し訳ございません!」
二人の側近たちの服はボロボロで、止める努力はしたのだろう。
それには言及せずに、バラガンが大きく咳払いをした。
騒ぎまくっていたアビラマとシャルロッテは一瞬だけ固まり、すぐに自分の持ち場に
ドカリと玉座に座り込んだバラガンは、ぽけっと突っ立つ少女を見下ろす。
「貴様が、あの化け物だとはな。とても信じられん」
「お初にお目にかかります、バラガンへーか。ニルフィネス・リーセグリンガーです」
「初めて会うわけでもないだろう」
「いえいえ、私には
ほおにかかった濡れ羽色の髪を後ろに流すように礼をしながら、ニルフィが言った。
その言葉にバラガンの
驚愕、好奇、興味、恐怖。
「新しい
「ちがうよ。だって数字もまだもらってないし」
外周はいぶかしげにニルフィを見るも、バラガンはあえて無視する。
「そうか、しかし
「さあ、どうだろうね?
「貴様は昔、我が配下を何体も喰らっているのだ」
「それは、えっと」
気まずそうにニルフィは目を逸らし、過去を辿った。少しだけ思い出せそうだ。バラガンなんたらと言っていた
これをそのまま言ってはダメだ。
「......おいしかったです?」
言ってから、ニルフィは逃げ出したくなった。バラガンだって自分の配下をお菓子代わりに喰われ、さらに感想まで聞かされてはたまったものではないだろう。
しかし予想に反し、呆れたため息が返って来た。
「やはり、その姿になっても変わっておらんな」
ニルフィは一歩前に出た。
「バラガンさんは、私の過去を知ってるの?」
「ああ、知っておる。おそらく今の貴様よりはな」
「教えてくれるかな?」
「見返りもなくやれんのぉ。どうだ、ニルフィネス。この際、儂の傘下に入らんか? 下につけとは言わん。必要なのは力だ」
「......私の間違いじゃなければ、それは藍染様を引き摺り下ろすってことかな」
「頭の回転が早いな」
ニルフィは笑顔の奥で考える。
バラガンの重厚な自信は、おそらく彼の能力によるものだ。それでも藍染に勝つには心もとないのだろう。ニルフィが入ったからといって変わるとも思えないが、バラガンは見たこともない今の彼女の力に自信を見出している。
だが、
「ごめんね。それだと私は受けられないよ」
少しだけ悲しげにニルフィが呟く。
「あの人には勝てない。それだけは確かさ」
「お前が儂からの頼みを断るには、それ以上の相応の理由があるのであろうな?」
バラガンが肘掛に乗せた指で先端を叩くと、はめられていた髑髏が割れる。この玉座の間に集まっていた彼の配下が霊圧を高め、空気が鳴動していく。アビラマとシャルロッテは乗り気ではないようだが、この二人がいようがいまいが数の上では大差ない。
ニルフィは本当のことを言おうかと思うものの、それでバラガンは納得するか微妙だ。
適当に流そうと思う。
ポッと白い頬を染め、ニルフィがもじもじしながら答えた。
「だって、私の体は全部、藍染様の物なんだ。こうして
『なに!? なにがあったの!?』
「散々
『なに!? 本当にナニがあったの!?』
外野が騒ぎ立てるのを手で制してバラガンは厳かに口を開く。
「つまり、断ると」
「そうだね。さっきのは悪ふざけだよ......半分」
『半分、だと!? 藍染様はこんな小さな子になにを!』
「ええい、黙っとれ馬鹿ども! 騒ぐ奴はここから出ていけ!」
やはり、このニルフィといるとどうもバラガンの調子は狂う。今も、昔も、変わらない。
勧誘の件はもしくは、といったぐらいの提案だ。断られるのも見越していた。
「儂からはこれ以上ないぞ」
「そっか、じゃあ一つ訊いてもいいかな」
「昔話なぞ話すこともないわ」
「ううん、違うの。これはアーロニーロさんとか、強い人に会ったら訊こうと思ってるんだけどね」
パーカーのような死覇装のフードを揺らめかせ、ニルフィがバラガンの前に現れる。
それにバラガンの側近二人は動きかけるも、主の静止でしぶしぶ腰を落とした。
少女は笑う。
「バラガンさんにとって、力ってなに?」
それをバラガンが哄笑する。
「ハッ! 小娘、それを儂に問うか。決まっておるわ。力とは儂の『老い』こそが、この世界で絶対唯一よ」
「......無駄に歳くってるってこと?」
「違うわ馬鹿者」
嗤った。それを見たニルフィは背筋が凍るのを感じ、姿をその場からかき消す。
「ほお、今のを避けたか」
「なに、さっきの」
ニルフィがバラガンのいる玉座より少し低い位置から見た。さっきまでニルフィがいた床が、塵へと還る。
バラガンは『老い』と言った。ならばこれは、時間が経ち風化してそうなったのだと分かる。
あれをまともに食らっていれば、ニルフィは骨と化し、さらに消え失せるだろう。改めて、昔の自分はよくこんな化け物にちょっかいを出せたと、変なところで感心する。
「ああ、小さい小さい。死神も人間も
自らの力を部下に改めて宣言するように、バラガンは声高らかに謳った。
「だからこそ、この力以外の事柄は、すべて等しく小さきこと」
バラガンがゆっくりと指をニルフィへと向ける。彼は
「拮抗する力の中に、平等は生まれぬ。儂のこの
どこかでこの人物のことを侮っていたかもしれないとニルフィは思い、自分を
ようやくニルフィはハッキリとバラガンを思い出す。
あの骸骨の大帝の姿を。
「そう、ありがとう。キミの答えはよくわかったよ」
「下々の望みを叶えるのも王の仕事だ」
「それだったら過去のこと教えてくれても......」
「なにか言ったか?」
「なーんでも」
フィンドールがニルフィのそばにやってくる。頃合いを見計らっていた彼は、ニルフィの手に新しい新品の地図を握らせた。
礼を言うと、ニルフィはバラガンに背を向ける。
「行くがよい、小娘。縁があればまた会うだろう」
「縁なんて誰にでもあるよ。会うはずのない人にだって繋がってるんだからさ。私の記憶はないけどさ、こうしてキミと会うのは、なんか懐かしい気がする」
「言いよるわ、小娘が」
あと一つ、と
「その絶対の『力』に、キミ自身は逆らえるのかな?」
「どうであろうな」
王としての姿を崩さないバラガンを見て、ニルフィは小さく笑うと、今度こそ姿を消す。
失礼だと分かりつつも、フィンドールがバラガンの前で小さく零した。
「それにしても、不思議な少女でしたね」
「不思議、か。それだけで済めばよいがの」
バラガンは集まった配下たちを見下ろす。かつてバラガンの配下として早くから仕えていたものほど、ニルフィが去ってから荒い呼吸を繰り返して、普段は見せることもない動揺を表に出していた。中には気絶しているものもおり、ニルフィが過去に残した傷跡は深い。
ニルフィの正体が『アレ』だと理解したことで、ただそれだけでこのザマだ。
「ーーしかし、ああして言葉を交わらせると、冗談も言えるとはな。昔はあのような可愛げがあるなど、思いもしなかったわ」
「......
「逆に喰われるだろうな」
「それは」
「馬鹿者。あれは見かけだけだ。それで舐めてかかった痴れ者の末路を、そこで気絶しておる者にでも聞け。儂には分かる。見間違うはずもない。間違いなく『アレ』だ。こうしているが、最後に我が配下に引き入れられなかったのは痛いぞ」
ここまでバラガンが評価するのは珍しい。
フィンドールは興味が湧くものの、バラガンが直々にニルフィへの観察以上の干渉を禁じるとの命令を下した手前だ。諦めるしかないだろう。
配下たちを戻し、一人玉座に座るバラガンは、誰もいなくなった空間を見つめた。
「さて、はて。今度は誰が『アレ』の犠牲になるのやら」
記憶がないと言った、黙っていれば深窓の令嬢のような少女。
彼女の記憶が戻った時にどうなるのかを想像し、バラガン
もしかしたら、この『老い』の力で、消滅させてやる未来を想像して。
道中、ニルフィは背中に寒いものを感じたとかいないとか。
次回は三番さんのところに迷い込みます。
ガールズ・ラブのタグが力を発揮する時かもしれない......。