いまを生きられればいい。
それがコロニーにいる者たちの総意であり、自分たちからは他のコロニーを襲うこともせず、時折やって来る周辺の中規模コロニーの攻撃を撃退するくらいしか戦いはしない。
そんな場所にも統べる者は当然存在する。
昆虫じみたデザインの鎧を着込んだかのような姿のグリーゼも、『彼女』の前で膝を突いていた。
コロニーの奥にある一室に作られた壁と同化している横に長い椅子に座ってくつろぐ、女の
姿は人間そのものだろう。顔は目の部分だけ鋭く切り抜いたようなのっぺらぼうの仮面に覆われており、額から伸びる二本の刃のような角が鬼を連想させた。体つきは均整の取れたスレンダーなもので、仮面の奥の顔も、
彼女の名は、クシャナ。
グリーゼの最初の主人の名だった。
クシャナは切れ長の瞳を物憂げに伏せ、しばらくそうしていると、横の壁にくり抜かれた穴から見える満月を眺め始める。それもまたしばらく時間を置くと止め、色香のある所作でため息をつく。
仮面さえなければ、絶世の、と
そしてクシャナは、ボソリと零した。
「ーーつまらん」
その言葉にグリーゼが反応するよりも先に、ここにありはしない何かに当り散らすようにクシャナが叫ぶ。
「つまらんつまらんつまらん!! ーー退屈!
ジタバタと子供のように椅子の上で手足を暴れさせる主人に、グリーゼは趣旨をハッキリさせようと尋ねた。
「……退屈、というのは?」
「五年? くらい前に、妾たちにねちねち小蝿のように攻めてきたコロニーがあったじゃろ。覚えとるかや?」
「……俺と
「そう、おぬしと潰した場所じゃ。いや、いまはどうでもいい。それからな、ぱったりと他のコロニーの攻撃が無くなっておる」
はて、とグリーゼは内心首を傾げた。
「……それで良かったのではないのか?
「妾のことを惰性の権化のように言うな」
ムスッとしながらクシャナがグリーゼを軽く睨む。
正直に言うならば、怖さとは無縁だ。戦闘力こそここらの
そしてクシャナとは
まあ、それが周囲のコロニーに舐められる原因でいままで攻められて来たのだが。
「たまにはな、攻めて来てもいいと言っておる」
「……なぜ?」
「いや、たしかに妾はあ奴らが邪魔じゃと言ったが、来るなとは一言も言っておらんぞ? いつも同じ料理のなかに、別の一品が混じる。するとどうじゃ、その一品がいかにも美味となるじゃろ」
「……そう言うのなら、そうなんだろう」
「でじゃ。昼寝続きの日々もいずれは飽きが来る。それを打破するために、小競り合いでもよいからと血がうずいてくるでありんす。だからどこでもいいから、妾たちのコロニーを襲撃して、そして返り討ちにしてやりたい」
ここで合点がいった。どうやらこの小さな主人は、五年前に鬱陶しがっていた戦いがご所望らしい。
しかしグリーゼにはその欲求を満たしてやることができない。
「……それは、あと数十年は不可能だろう」
「む? それはなぜじゃ」
「……その五年前に俺が、少し前にここら一帯のコロニーを潰したからだ」
「ーーは?」
「……
グリーゼの言葉を聞き終えると、クシャナはワナワナと肩を震わせ始める。
『た、た、た……』と唇のわななきのせいで言葉にならぬ声を喉から響かせていたが、一分ほどしてついに、椅子から立ち上がると同時に爆発する。
「たわけッ! な、なにをしとるんじゃおぬしは!?」
「……だから、周囲の敵になる相手を一掃したと」
「今時の正義の味方でさえ悪はキャッチ・アンド・リリースじゃぞ!? それを、よりにもよって潰した? しょ、正気かや、おぬし」
「……必要だと思い、つい」
「つい、じゃないわ阿呆! 驚きすぎて開いた口が塞がらぬ!」
しばらくガミガミとグリーゼを叱り続けるクシャナ。
沈まぬとはいえ動き続ける
呆れ果てたようにため息を吐くと、クシャナは椅子に疲れたように座り込む。
「それで、どうだったかや?」
「…………?」
「どういう気持ちでそやつらを掃除したと訊いておる。妾のために怒って? それとも、褒められたくてでもやったのかや?」
グリーゼはすぐにクシャナが何を言いたいのか理解し、頷くと答える。
「……何も。ただ必要だと思ったから潰したまでだ」
膝を突くグリーゼの頭上から深いため息が降ってくる。
しばらくクシャナが喋らなかったのは、呆れて声も出ないということを体現していたからなのか。
月が動いたかと思う頃になって、ようやく女主人が口を開く。
「せめてな。せめて、戦いを楽しむくらいのことはしてみよ」
顔を上げると、どことなく寂しげな瞳と視線が交わった。
「おぬしはいつもそうじゃ。なにも欲さぬし、行動を起こしたところで目的はすべて妾絡みのことだけ。それなのに主人として持ち上げられている妾はこのカラダ以外なにも与えられぬが、それでもおぬしは欲さぬじゃろう?」
「……命令であればどのようなことでもするが」
「たわけ。そこは嘘でも頷くかするものじゃろう」
「……俺は、嘘をついたようだ」
「ーー。ああ、そうじゃな。おぬしはそういう奴じゃ」
見えもしないクシャナの表情は、どこか悲しげだった。
ーーーーーーーーーー
「げっ」
「……また、現世に行っていたのか」
「い、いや。妾は、これが初めてで~」
「……俺どころかこのコロニーの全員が知っているぞ。もう何度も現世とこちらを行き来しているだろう。それを真似て下の者が死神に殺されないとは限らないんだ、止めはしないが控えて欲しい」
クシャナがツンとそっぽを向く。顔が仮面で隠れているというのに唇を尖らせていることまでわかるとは、ここまで来るといっそ清々しい。
ここ最近のクシャナはお忍びで現世に行くことが多い。
周辺のコロニーが消えたことで自分が残って守る必要性も無くなり、さらには娯楽のベクトルも方向性を迷わせていた頃、彼女の興味は現世へと向いた。
いくらお忍びとはいえ、毎回毎回死神に気づかれてもいるだろう。
彼女ならばおいそれとやられはしないだろうが、それはグリーゼが楽観できる要素になりはしない。
「こんな
隠す気はもはやないのだろう。
いままで溜めいていた言葉が吹っ切れたことと共に溢れ出し、クシャナは身振り手振りで目にしてきたことをグリーゼに語る。
そんなに嬉しそうな顔をされてはグリーゼに止めることも出来るはずがない。
仕方なく彼女を床に下ろした。
ここまで明るく笑うクシャナは久しぶりだった。最近は
ようやく一段落ついてすっきりした頃になってクシャナは目を白黒させ、グリーゼになにか言いたいことがあったんじゃないのかと尋ねる。
「……最近入ってきた新入りのことだ」
「ああ、久しぶりに仲間になったあ奴か。犬のと蛇のとに世話を任せておいたが、なにかやらかしたりでもしたのかや?」
「……いや、そういう訳じゃない。むしろこの場所に馴染んでいるくらいだ」
「では、なんじゃ?」
言おうか言わまいか迷いつつ、結局、グリーゼは言うことに決めた。
「……厄介な芽にならない内に、刈り取ったほうが無難だと判断する」
機嫌が良さそうだったクシャナが鼻白む。
「して、なぜそう思った」
「……以前から
「まあ、妾も知っておる。バラガン翁と戦ったこともあるとかなんとか、話題になっていたからの」
「……これは言わなかったことだが、以前潰したいくつかのコロニーのうちひとつは、俺がたどり着いた頃にはすでに崩壊していた」
そのコロニーでは全員が捕食されていた。血と臓物が散乱し、時折戦う中で覚えた顔もいくつかあった。
それからグリーゼは周辺を探索していたが、下手人の姿は見つからなかった。
情報を集めるものの、その
そして唐突に現れたこのコロニーの新入り。
関連付けるなというほうが無理だ。
「つまり、なんじゃ。妾の下に庇護を求めてきたそやつを、殺すべきだと?」
「……そこまでは言わない。だがこの場で戦えるのは、俺や
「そこまでじゃ」
クシャナが有無を言わせぬ口調で遮った。
「この小さな領域は、誰のものか分かるかや?」
砂に水を含ませるような口調で尋ねるクシャナに、ほどなくしてグリーゼが答える。
「……
「そう、妾こそが頂点。あらゆる意味で弱いおぬしらが勝手に祭り上げ、いつのまにか城の主にまでなっていた、それが妾。異論は無かろう?」
「……ああ」
「これは責めているのではありんせん。妾もそれはわかっておったし、バラガン翁のように野心もなくアネットとかいう火の鳥ほど暴れたがりではない、そこらにいる者と同じ寂しがりの妾は、好きでおぬしたちのような戦いを忌避する者を受け入れた。グリーゼ、おぬしも含めてな」
切れ長の双眸を細めさせることで、クシャナはさながらカミソリのような眼光を湛える。
「妾が自分に課した義務は、曲がりなりにも自分の意志で引き込んだ仲間を途中で放り投げないこと、ただそれだけじゃ。……妾は長く生きすぎた。足元にはいつも、力を手に入れるために喰らった奴らの死骸が積まれておる。寂しさを紛らわせたい、そのためだけに巻き込んだ力のない仲間にできるせめてもの贖罪じゃからの」
そのことはグリーゼも知っていた。それでなお止めろと言ったグリーゼにクシャナは怒っているのだと思った。
甘んじてそれを受け入れようとしたグリーゼを、クシャナが仮面からさらにキッと睨む。
「たわけ。妾がなぜこうして怒ったのか、分からんじゃろ?」
「……俺が
「ーーッ! なにも、おぬしはなにも分かっとらん!」
いつも我が儘を見せる時も、ここまでクシャナが口調を荒げたことはなかった。
「妾がなによりも許せないのは……! おぬしは、妾のことしか案じておらん! 戦えない仲間たちは瞬く間に屠られるだろう? こんな、こんな時だけ有象無象にしか思っていなかった者たちを『仲間』として、妾を守るためだけの理由として扱うな!」
「……ならば。……ならば、俺が全員を守りきって見せる」
「のう、グリーゼ。妾は、自意識過剰ではないと自負しておる。じゃがな、その口にした言葉の理由も、妾が悲しむから言ったに過ぎないんじゃろ?」
沈黙こそが答えになったようだ。
クシャナは泣きそうだった。
どうすれば泣き止むのか過去の経験を記憶から引っ張り出し、道化のような滑稽な演技をする、体を動かさせて気分転換させる、仲間たちを集めて騒ぎ立てるといったものが思い浮かんでくる。
そこに正解があろうとなかろうと、グリーゼは自分自身の考えで答えを出せない。
グリーゼの行動原理に彼自身が介在することはない。
常に上の者にとってプラスになるような仕事しかせず、マイナスになるものを排除するだけのプログラムのようなものだ。
だからわからない。自分の行動の何がクシャナにとってマイナスになったのか。
「……
答えに瀕した従者がやっと絞り出せたのは、彼自身、本当に知りたかった解答ではなかった。
「…………」
俯いたままのクシャナが額をグリーゼの腹にぶつける。
思えば、ここまで身長差がついたのはいつからだったか。
「のう、グリーゼ。もういいじゃろ。妾に、おぬしのことを見せてくりゃれ?」
初めて、主人の命令をこなすことができなかった。
ーーーーーーーーーー
主人とややぎこちない関係となってから、それから幾ばくかして、
彼女の心を少しでも理解できればいい。それくらいの考えで、
クシャナの言っていた通り、晴天の下の海にはいくつもの小さな船が魚を取るために網を動かしている。
白い砂漠に慣れた身としては、新鮮で綺麗だと素直に思えた。
だが、それだけ。
クシャナの語っていたように心が軽くなるわけでもない。
存在に勘づいたらしい死神が近づいてきた頃になり、グリーゼは落胆しながら
どうにかしてクシャナと以前までの関係を取り戻したい。
そのことに頭を悩ませながらコロニーの前に降り立ったとき、なにかの手違いで別の場所に来てしまったのかと思った。
蟻塚のような形の家は半ばから倒壊し、グリーゼが他のコロニーを壊滅させたときのようにいくつもの死骸が散らばっている。動く存在の気配もなく不気味な雰囲気であったが、この場所がグリーゼたちの家であることはすぐに気づいた。
急かされるようにグリーゼは駆ける。
中央にある吹き抜けの空間。
そこが最も破壊痕のひどい場所であり、疑いもなくそこにクシャナがいるであろうと確信していた。
「む? おお、遅かったの、グリーゼ」
巨大な瓦礫の影に背を預けて、グリーゼに左半身を向けるようにクシャナは座り込んでいた。
この惨状に似合わぬほど軽い口調。
それに安堵しながらグリーゼが歩調を緩めた時、月がわずかに動いたのか、影になっている部分が明るみに出た。
「……
「ああ……。こんな姿、見せたくはなかった。おぬしの忠告を、いつもの我が儘で聞かなかったせいじゃな」
自嘲するように笑うたびに、クシャナの右肩から下にかけて喰いちぎられた断面から血が溢れ出す。
「……止血を……ッ」
「いや、……もう、いい。こっちに来てくりゃれ」
命令だ。
あくまで機械的にグリーゼは従い、クシャナのそばに膝を突くと、彼女の思ったよりも小さな手がグリーゼの顔あたりを触れる。
「……なにがあった?」
「さあ、の。……わからぬ。あの新入りが突然暴れだして、妾が止めに入った時には、戦えぬ者はすでにーー」
駆けてきた廊下に転がっていたいくつもの死骸がグリーゼの脳裏に浮かぶ。
「なんとか、犬のと蛇のとだけは……逃がせた。おぬしならもっと上手くできたはずなんじゃがな。……妾には、それが精一杯じゃった」
「……なぜ、アレを殺さなかった?
クシャナの自嘲が深くなる。
「さて、な。……あ奴と妾は、どこか似てた。たとえ同胞を殺そうとも、それは変わらぬと思っておった。……心のどこかで、妾のように、仲間としての言葉で止まると思ってた」
妾がたわけ者じゃったな。
そう続けて無理に明るく笑うクシャナに、グリーゼはなにも返すことができない。
「……まだ、時間は経っていないはずだ。アレを追いかければ、俺が」
「おぬしは、最初からそうじゃ」
「?」
「妾のことだけを見ていたながら、内側までは目を向けてくれなかった」
泣き出しそうなクシャナは最後の我が儘として、仇討ちのような真似をするなと言った。仲間であった者たちが進んで殺し合いをするのが見たくないとも。
グリーゼはなにか胸のつっかえが生まれたのを感じる。
それを形として表すには、その方法を男が知らなかっただけのこと。
「ああ。……寂しい。おぬしとは、もっと話をしたかった」
片腕でグリーゼの手を握るクシャナ。
「おぬしは、妾が消えることを悲しんでくれるかや?」
「……俺は」
同じだ。現世に行って綺麗な風景を見たときのように、なにも揺れ動かない。
たとえこんな場面でも“感じること”のできない苦しみだけしか、残らない。
だがクシャナは、彼を安心させるように穏やかに目を細めた。
「ーーおぬしはちゃんと悲しんでおる。なにしろ、泣いておるからの。それが妾には、この生の中でもっとも嬉しいことじゃ」
最初の主人は、最後にそう言い残した。
ーーーーーーーーーー
「グリーゼって、ずっと前に私と会ったことあるっけ?」
ある日ふと、ニルフィにそんなことを訊かれた。
ちょうど彼女のおやつの時間だった。手作りのチーズケーキを切り分けて紅茶も淹れたあと、ニルフィがフォークを握る前に言ったことだ。
グリーゼは少女の顔を見る。
穢れのない、何色にも染まっていない無垢な表情。
「……いや、無い」
「そっか」
表情を動かすこともなく答えると、ニルフィが素直に頷いてケーキを崩しにかかる。
「……記憶が戻ったのか?」
「ううん、ただ、ひょっとしたらって。キミは辺境の出だってこの前言ってたでしょ。だからよく辺境を移動してた私と接点があると思ったんだ。……グリーゼ?」
「……いや、なんでもない」
グリーゼがはぐらかすとそれだけでニルフィは納得したのか、あとはおいしそうにチーズケーキを食べ始めた。
しかし従者は主人に嘘をついた。
本当ならば、過去にニルフィと出会ってる。名前も姿もなにもかも、いまのニルフィと共通点は皆無であるのだが、たしかにグリーゼは彼女のことを知っているのだ。
「……知りたくはないのか?」
「なにがかな?」
「……たしかに俺は辺境で生きてきた。
グリーゼの問いに、ニルフィは紅茶を飲み干してから答える。
カップが下げられると、困ったような、いつだかに見た笑みが刻まれていた。
「私はさ、自分がどういう存在か少しは自覚してるつもりだよ。それでわかるんだ、私にはこの場所しか無いって。私、寂しいのは嫌いだからね。後悔もあるけど、ちゃんと満足もあるんだ」
その顔にクシャナのものが重なる。
あの最初の主人も同じで、長い時間のなかでの孤独に耐えられずに周囲を巻き込み後悔と充実を手に入れた。
彼女たちの似た歩みをグリーゼは最初から目にしている。
それに追い詰められる苦悩も。
「もう少し、もう少しなんだ。仲間がいるってことのホントの意味を、あとちょっとで理解できる気がする。そうすればさ、私は、誰も傷つけなくなれるんだ。私のせいで泣く人も、いなくなると思うんだ」
いまにも崩れてしまいそうなほど不安定な笑顔のままニルフィが言った。
長い月日を経て、ようやく少女は答えを出せそうなのだ。かつてのクシャナでは及ばなかった形の無い正解を掴み取れる可能性が顔を出した。
ならば守るしかない。
この少女だけが、クシャナの残した遺産のようなものだから。
ニルフィに彼女の面影を求めていることも否定できないが、なによりもこれ以上ニルフィが壊れてしまえば一生答えにたどり着けない気がする。
答えが知りたかった。
なぜあの時クシャナが怒ったのか、それを理解したかった。
ーーーーーーーーーー
皮肉にもグリーゼは、やっと答えを見つけられたのだろう。
アネットが身を
全部が全部、ちゃんと答えを見せていたではないか。
ーー仲間だから。
たったそれだけで十分な理由だった。
集団の心理。突発的な心の波。利害関係の一致。
いままでグリーゼは仲間というものを論理的にか捉えていなかった。
仲間だから守る。仲間だから体を張れる。仲間だから、それだけ大切なのである。
ニルフィたちと過ごすうちに抱えていた不快ではない不可思議な感覚は、すべてこれに起因していた。
ただそれだけで覚悟が生まれる。
これ以上、壊させまいと死に物狂いであがくことができる。
すでにそれをニルフィでさえ理解していた。
だから。
こんな悲劇など、誰も望んでいないのならばーー。
ーーーーーーーーーー
斬り伏せて崩れ落ちたグリーゼを見下ろし、藍染が斬魄刀の血糊を払う。
結果のわかっていた戦いだった。
更木剣八との戦いでグリーゼはすでに重傷を負っており、藍染との戦いでさらに傷は増え、もはや動けるほどの血も残っていなかったのだから。元からそうなるように仕向けたのも藍染であり、全快であればグリーゼは勝利の道をたぐり寄せることができた。
それだけに残念だ。
アネットもグリーゼも十分なチカラを有していながら、自らの意志に従って藍染に歯向かう。
ーー意志、か。
反逆者として処断した男に背を向け、ヤミーと戦っているであろうニルフィを見据えた。
藍染は、彼女が策謀などで
だから思う。
グリーゼの指摘したニルフィと藍染の違いが、嫌に目に付く。
だからかもしれない。
藍染が意識を思考に持っていったのは、彼が戦いの終結が訪れたと判断したから。
それが、彼らしからぬどうしようもないほどの隙だった。
「ーーなに!?」
藍染の背後でグリーゼが立ち上がった。
ありえない。もう彼は動けないはずだ。強制的な死を与えたはずだ。
振り返る藍染の斬魄刀を握らぬ左腕が万力のような力で掴まれ、指先の鋭い爪が突き立てられた。
視線が交錯する。
甲冑の奥のグリーゼの目は光を失っていない。
それと同じだけ強く光る霊子が大剣に纏い、空を突くように掲げられた刃が藍染へと振り下ろされる。
衝撃。
核爆弾でも落とされたような破壊の波が
「…………」
砂煙が晴れると、わずかに息を乱した藍染が立っていた。
大剣の刃を右手の斬魄刀で防ぎ、袖あたりの布地が消し飛んでいる。
少し離れた場所には自らの攻撃の余波で弾き飛ばされた従者の姿。砕けた大剣の破片が散らばり、鎧の隙間から止めどなく滝のように血が流れている。
もう、騎士は動かない。
あれが本当の最後の一撃。そして唯一、藍染に届いた一撃だった。
斬魄刀を鞘に戻した。
藍染が自分の左腕を見る。回道で治癒できるものだが、たしかに穴が開けられていた。
藍染が自分の右腕を見る。至近距離の爆発によって火傷を含めたいくつかの傷がある。
動揺を押し殺し、藍染はあらぬ方向に声を掛けた。
「ギン、なぜグリーゼを止めなかった?」
「いやぁ、隊長だけで対処できそうやったから。実際、どうにかなりましたやろ」
内部からの霊圧を遮断して存在を消す黒い外套を剥ぎ取り、最初からこの場にいたギンが肩をすくめる。
「止める気はなかったと?」
「せやけど、藍染隊長。隊長も、最後のあの剣、避けようと思えば避けられたんちゃいます?」
「…………」
自らの体に傷を作った相手を藍染が一瞥し、
「油断は、していなかったはずなんだがね」
今度はギンが沈黙する番だった。
彼の内面を伺うような視線を無視して、服の襟を正した藍染が宣言する。
「予定通り、これから現世への侵攻を開始する。我々は
藍染にとってはめぐるましく移り変わる舞台すらも、すべては予定調和にしか過ぎない。