記憶の壊れた刃   作:なよ竹

45 / 53
評価ポイントが4500ptを突破しました。
お気に入り登録、評価をしてくださった皆様、誠にありがとうございます。
読者の皆様に感謝を。


終わる者、立ち上がる者

 ヤミーの乗ってきた乗り物から、コロンと転がり出る毛玉がひとつ。

 クッカプーロだ。ヤミーに気づかれずにくっついてきたのだろう。

 

 なぜそうしたのかはクッカプーロにしかわからない。そこにどんな感情があるのかも、クッカプーロの胸のなかに仕舞われる。

 短い足を懸命に動かして蟻地獄のような坂を登りきり、クッカプーロは見た。

 光を反射することのない黒い球体を。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

(こわ)せ『無貌幻魔(イルシオン)』」

 

 少女が唱えた直後、その矮躯を黒い帯が包み込んだ。

 静かだった。

 ノイトラや他の十刃(エスパーダ)の時のような圧倒的な霊圧が放出されることもなく、そよ風ひとつ起こらない。むしろ、元から空気のようだったものが、さらに希薄になってしまったと言ってもいい。

 

 球体となった帯の頂点にヒビが走る。そしてまるで孵化するように、その球体は砕け散った。

 破片と一緒に、少女が音もなく砂漠に降り立つ。

 ーーなんだ、ありゃあ?

 構えていたノイトラはその異様な姿に内心首を傾げた。

 

 刀剣解放をしたニルフィの姿は、普段の死覇装ではなく、拘束具か革下着(レザーインナー)のような肢体を浮き立たせて締め上げるような背徳的な服装となっている。

 首にはチョーカーとも思えぬ無骨な首輪。

 仮面の名残であった角が消え、彼女自身の変化といえばそれくらいのものだ。

 

 問題は、その惜しげもなく晒された背中。

 そこに寄生するかのように、また腰あたりから体を分たれたように、上半身だけの怪物がへばりついていた。

 見てくれは骨と皮だけとも言おうか。ちょうどその頭部をニルフィの頭上に被さるように伸ばし、節くれた腕は地面について余るほど長く、また手も巨大な盾のように広がっている。

 さながら二人羽織のようにして、ニルフィを守るようにその奇獣は覆い被さっていた。

 奇獣の頭部からは巨大な角が後方に伸び、象徴(モチーフ)は山羊か、羊か、はたまたーー悪魔か。

 その奇獣にも無骨な首輪が付いており、鎖がニルフィの首輪と繋げている。

 

 ーー飾り、ってワケでもねェよな。

 その奇獣は自らの意思があるかのように、首をカクカクとせわしなく動かしている。対して、ニルフィは先の狂乱が嘘のように、魂が抜け落ちたかのような表情で微動だにしない。

 

 このような帰刃(レスレクシオン)は過去になかった。

 多くはノイトラのように自分の体を変化させるもので、そこは人型も獣型も千差万別だった。また、アーロニーロのように己の肉体を別生物に変えるようなものがあっても、あれらはあくまで本体が本人であるとハッキリしていた。

 だがこれはどうだ。

 奇獣のほうが、少女の肉体を操っているかのようではないか。

 

 しかし、少女が足を踏み出したことでノイトラの思考は中断した。少なくとも足だけはニルフィのものだ。彼女が動けることに不思議ではない。

 視線を上げる。視線が、底なし沼のような少女の瞳と交わった。

 

 そこでノイトラの本能が『次の瞬間に自分は死ぬ』という警鐘を響かせ、それが現実になるような光景が広がった。

 ニルフィの周囲に数十の霊子の砲門が現れ、そのすべてから破壊の奔流が溢れ出る。

 

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 その攻撃は虚圏(ウェコムンド)の空を駆け、それに合わせて空間がひしゃげていった。

 辛うじて響転(ソニード)で回避したノイトラだが、それだけで攻撃が止む気配がない。どころかノイトラを追尾してマシンガンのように連射され、ついには、十を超える王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)の直撃を受けてしまう。

 

「ガ、ァ……ッ!」

 

 ーーンだよ! 聞いてねェぞこんなの!!

 防御にまわした四本の腕は根元から消滅しており、帰刃(レスレクシオン)をしたばかりだというのに、ノイトラはすでに満身創痍だった。

 彼の掲げる歴代最硬の鋼皮(イエロ)というのは、自称であっても詐称ではない。限りなく事実だ。

 それが意味を成していないのが最大の誤算である。

 

 超速再生で腕を生やすヒマもなくニルフィが眼前に現れた。

 それに蹴りで対処しようとするノイトラ。

 しかし長い脚を振り上げることもできずにノイトラは盛大に吐血した。

 彼の腹には、いくつもの螺旋状の痕がある。もうすでに瞬閧(しゅんこう)による攻撃を受けたあとだと気づいたのは、脳に浸透する衝撃を顔面に受けてからだった。

 

「こ、のーーガキィイイイイイイイイ!!」

 

 背中から倒れそうになるのをプライドだけで防ぎ、瞬間的に再生させた四本の腕の貫手をニルフィの急所に叩き込んだ。

 それを甘んじて受けるようにする少女。

 消えないのなら幻影でもない。

 仕留めたと確信したノイトラは、その手応えに(まなじり)をわななかせる。

 

 わずかに後退させども、貫手がニルフィを傷つけることはなかった。

 なにしろその手応えは、彼女の鋼皮(イエロ)は以前までのような紙装甲ではなく、十刃(エスパーダ)最硬であるノイトラの模倣されたものということを伝えてきたからだ。

 

 コイツは遊んでいる。

 そのようにノイトラは感じた。

 

 いまこの瞬間まで、ニルフィは何度ノイトラを殺せる機会があったのか。

 それをあえて少女は見逃している。いつぞやのルピのように、いたぶり尽くし、徹底的にノイトラを潰すために。

 大きく飛びずさり、男が怨嗟の声を上げる。

 

「ッ、クソ、クソ、クソッ、クソがァッ!!」

 

 侮蔑、軽蔑、差別。それらがノイトラの頭の中から消えていき、最後に残ったのは三白眼に宿る明確な敵意だけだった。

 自分が、負ける? 今まで卑下してきたメス相手に? 

 

 奥の手でもあった残り二本の腕を生やし、計六本の腕に大鎌を握って振り回す。

 迫り来る刃をそよ風に揺れる木の葉のようにニルフィが躱していく。まるでノイトラの攻撃を、受ける価値すらないとでも言うように。

 逆に彼女の放つ霊子の刃は、さながらバターに差し込んだナイフのようにノイトラの鋼皮(イエロ)を切り裂いた。同時にノイトラの誇りやプライドもズタズタに引き裂くおまけ付きだ。

 

 六本の鎌を一斉に投げる。相手も霊子の刃を飛ばし、迎撃。

 ノイトラ、舌を突き出し虚閃(セロ)を撃つ。当たらない。ニルフィはノイトラのすぐ下にいた。気づくよりも先に少女の掌底がノイトラの顎を打ち、舌を噛み切らせる。

 

 男がすべての腕で掴みかかった。それを奇獣が受け止め、逆にノイトラのことをねじ伏せる。パワーが桁違いだった。腕をもがれ、息をつまらせた瞬間、ノイトラは巨大な両手に無造作に掴まれて砂漠に頭から叩きつけられた。

 

 起き上がろうとするノイトラを虫の標本のように霊子の刃が地面に縫い付ける。

 奇獣の細さに釣り合わぬ豪腕によって顔面が潰された。ニルフィの手が迫り、鼻をパーツのように顔からむしり取られた。最初に股間を踏み潰され、次第に上へと上がっていき、最後には顔面を奴隷のように蹴られる。

 

 こんなモノは戦いではない。

 自分は戦いのなかで死にたいのに、いや、それが相手も分かっているからこそこんなことをしているのか。

 

 そこで脳裏に浮かび上がったのは過去の光景。

 かつて敵視していた女の十刃(エスパーダ)をザエルアポロとの闇討で葬った、そのあとのことだ。

 他の十刃(エスパーダ)たちは何があったのかを勘づいていたのだろう。それは第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)であったアネットも同じであった。葬った女となにかしらの交流があったのだと漠然に覚えている。

 その時、従属官(フラシオン)であった少女を連れた彼女とすれ違いざまに目が合った。

 どんな取り乱し方をするのか。怒りか? 悲しみか? 内心ほくそ笑みながら考えていたノイトラの思考は、次の瞬間停止する。

 

『ーーやっぱりアンタって、雑魚ね』

 

 そこにあったのは無関心だった。

 もはや格下どころか存在を認めることもない目をしていた。

 そんな目が、ノイトラ自身、見ようともしなかった事実を見ているようで、訳もわからぬ激情に支配されたノイトラはアネットを殺しにかかった。

 

 実際に、殺されかけたのはノイトラの方だ。

 死ななかったのはただ、アネットがノイトラに殺す価値を見出すことがなかっただけのこと。半殺しにしてそれで終わり。

 ボロ布のようになってしまった死覇装の奥に隠れていた体には、今でもその時の醜い傷跡が残っていた。

 

 まだ自分は道半ばなのである。それを強制的に終わらせられるのか? こんな、今まで卑下してきた子供に?

 

 そんなこと、許せるはずもない。

 自分は戦いのなかで死ぬのだ。こんな少女の玩具になって、子供のような無邪気さで破壊されるためにいるのではない。

 

 ノイトラの奇声じみた咆哮が喉からほとばしる。

 突貫。それしかない。いまのノイトラにとって、それだけが生き残る術だと疑いもなく信じられた。

 腹に突き刺さった刃を引き抜き、爆笑するかのように震えまくる脚を叱咤する。

 すべての腕の鎌を構え、さながら重戦車の装甲のごとき姿となりーー駆け出す。

 

 そして無様に顔から砂漠に突っ込んだ。

 

 突貫するための両足が膝の下から消え、少しばかり後方に転がっていた。生まれた激痛に歯を食いしばる。その歯も、蹴りを入れられたことで残っていたものも砕けた。

 

「ブッ……、ハァッ、ハァッ……」

 

 歯の破片の混じった血を口から吐き出す。

 ここでようやく、内蔵欠損のダメージがやって来た。最初の咳をきっかけに、おびただしい量の血がポンプのように口から流れ出す。ニルフィがノイトラの腹を無造作に蹴り上げる。辛うじて腹に原型を留めていた残りの内蔵が破裂し、死に際の蟲のようにノイトラがもがいた。

 

 ここまで、ニルフィは能力らしい能力を使ってすらいない。単純なチカラを見せつけることでの圧倒的な立場であることを印象づけているのだろう。

 見下ろす金色の目は、潰れた羽虫を映している。

 

「……の、ゃ……ろ……」

 

 ノイトラの右目が破裂する。激痛にのたうち回りながら、ノイトラは暗闇しか見ることができなくなった。

 自分は最初から勘違いをしていたのではないのだろうか。

 

 この少女はたしかに強い。それとまともに当たるのが面倒だからと心を壊してから潰す算段であった。しかしそれがどの程度まで強いのかを測りかねていたのだ。

 異常だ。

 素のチカラでここまでだということを、はたして、他の十刃(エスパーダ)は把握しているのか?

 

 そのせいでこんな、戦いの舞台にも上がれずに、自分は死ぬのだろうか?

 

「ガ、キーー」

 

 細くとも叫ぼうとした喉を引きちぎられる。

 笛のような音だけが、空気と一緒に新しく開いた穴から漏れ出していった。

 

 “絶望”がノイトラを支配する。

 

 ーーオレが、オレがこんな、こんな……!

 

 その時、ノイトラの腕が、勝手に動き出した。

 

「……ッ!」

 

 それらはノイトラの首へと達し、彼の意志とは関係なく爪を立ててえぐろうとしてきた。なにが起こっているのかがわからない。視界が潰されて、いつのまにか鼓膜も破裂させられ、舌も無残に噛みちぎったあとだったから。

 ただ分かることは。

 ニルフィはとことんノイトラに屈辱的な死を、すなわち『自殺』を強要していることだ。

 

 これでは戦士としてでも獣としてでもなく、ノイトラが今まで殺してきた凡百の敵のように消えてしまう。

 考えうる限りではもっとも選びたくもない死である。

 

 ーーなにが、なにが……。

 ーーこんな死に方でオレが終わるのか?

 ーー許さねェ! 許さねェぞこのガキ!

 ーー首、が……ッ。

 ーーやめろ、やめろ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめ

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ノイトラが自分の腕で自分の首を引きちぎり、操り手のいなくなった人形のように砂漠に倒れ伏す。

 右腕のひとつに握られた彼の頭部に浮かぶ表情は、おそらくこの世のすべてを憎むようなものだったのだろうが、生憎にもニルフィの解体を受け続けたせいで、もはや誰のものだったのかもわからなくなっていた。

 

 それを無表情のまま見下ろすニルフィ。

 背の奇獣が腕を伸ばし、ノイトラの遺骸を無造作に掴む。まず首を手に取ると奇獣が口に放り込み、数度ほど咀嚼したあとは、体のほうも一気に飲み込む。

 節くれた体が膨れることもなく、ノイトラがいたであろう痕跡は彼が撒き散らした血だけであった。

 

 ヤミーは戦いの一部始終を見ていた。

 なぜノイトラが自殺まがいのことをしたのか。そんなことは彼にとってどうでもよく、そしてこれからの行動を決めるために、(たたず)む少女に声を掛ける。

 

「おい、ニルフィ」

 

 そしてすぐに、少女が意識を取り戻すなりしていた場合のことを考えていなかったことに気づく。

 ヤミーはニルフィを殺すように藍染から命令されていた。

 ノイトラが死んだからといって、それは変わらない。ならばなぜ名を呼んでしまったのか。答えは、見つからない。

 

「なあ……。それが、オメエの答えかよ?」

 

 逆にニルフィは答えを出しているようで、ヤミーは声を重くする。

 ヤミーの右肩の切断面から勢いよく血が噴出した。少女の放った霊子の刃がこの結果を生み出したのだ。

 

 いまだにニルフィの金色の双眸は焦点が合っておらず、どこを見ているのかすらわからない。少なくとも、ヤミーの姿が目に入っていないことだけはたしかだ。

 彼女の意思があるとか関係ない。

 すでに少女は壊れきっているようだった。

 ーーああ、ああ、(いら)つかせてくれるぜ。

 自分を傷つけたことも含め、なによりもニルフィがここまで狂ってしまった現状に、ハラワタが煮えくり返るような怒りがふつふつと大男のなかで沸き出てくる。

 

 他の保護者面していた十刃(エスパーダ)破面(アランカル)はなにをしているのだろう。

 そんな八つ当たりじみた激情が浮かぶと同時に、思う。

 ーー俺も、何も出来てねえじゃねえかよ。

 難しく考えることは苦手だ。

 

 だからヤミーは、余計な命令とか要因を頭のなかから消して、彼らしく、己の直感に従うだけの行動に移る。

 どれだけ矛盾があろうと、理に適っていなかろうと、力尽くで、強引に、彼らしい選択で。

 

「仕方ねえ。仕方ねえからよ。せっかく寝まくって喰いまくって溜めに溜めた霊圧でよォ……。ーーオメエのことを無理やり正気に戻してやろうじゃねえかよ!!」

 

 ボコン、とヤミーの肉体が隆起した。筋肉が風船のように膨らんで上半身の死覇装を弾けさせる。

 (あらわ)になった左腕の上腕部には『10』の数字。

 彼はそのまま右腕で斬魄刀を一気に引き抜いた。

 

 

「ブチ切れろ『憤獣(イーラ)』」

 

 

 刀身が爆発を起こして爆風を噴き上げる。

 その爆風は『10』の数字の一部を徐々に削ぎ落としていき、ついには『0』へと変わった。

 第10十刃(ディエス・エスパーダ)から、第0十刃(セロ・エスパーダ)へと。

 

 それはあまりにも巨大にして強大だった。

 肉体も変化して、腰には赤い前垂れが出現し、下半身が計十六本の足を持つサソリの様な姿になり、尻尾の部分がハンマーの様な形状となっている。さらに頭部の角らしき隆起がより強く顕在化し、背骨に沿って柱に似た角が生え、下顎にあった仮面の名残が完全に定着していた。

 なによりもその大きさだ。

 もともと小山のようであったものが、本物の山へと変わったようである。

 

 大顎の隙間から蒸気する息を吐き出し、対比すれば豆粒ほどしかない少女を見下ろす。

 

「ぶっ叩きゃあ直るだろう、なァ?」

 

 そう言うとヤミーは巨塔のような右腕を振り下ろした。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「おーいおいおい。もうヤミーと()りあってるぜ、あの嬢ちゃん」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の屋上の一角を陣取って、蛇男が額に手をかざしながら砂漠の奥を見ていた。

 かなりの距離があるというのにヤミーの巨体だけはハッキリと見えており、霊圧も咆哮もこちらまで届いている有様だった。伊達に十刃(エスパーダ)最強の『0』の数字の持ち主をやってない。

 

「そりゃ別にいいけどよ。俺ら、ここで油売っててもいいのかよ」

 

 ニルフィとヤミーの戦いを見る価値もないとでもいうように、犬男のほうは早々と背を向けている。

 

「たしかに油は売るほどないんだ、オレだってすぐに行くさ」

「なら急げばいいだろ。下じゃあ、グリーゼと藍染が戦ってンじゃねえかよ。邪魔されないのも今のうちだろ」

「まあ、そうだな。グリーゼもそれがわかって藍染を止めてるだろうし。けど、めぼしいヤツらには声を掛けてやったんだ。あと数人が増えようが増えまいが、さして変わりもしないと思うけどな」

 

 どことなく焦りを帯びる犬頭に対し、蛇男のほうは能天気そうな声で返す。

 

「それにさ、あの嬢ちゃんはノイトラを遊び半分で殺せるっつーイカレた強さを持ってんだよ。昔のザエルアポロ並か、それ以上だろうな」

 

 かつてのザエルアポロは最上級大虚(ヴァストローデ)であり、初代にして元第0十刃(セロ・エスパーダ)でもあった。数十発の王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)を撃てるのは当たり前であり、主人としていたバラガンでさえ止めるのが非常に難しい存在でもある。

 

 ハッキリ言って、帰刃(レスレクシオン)状態のヤミーを凌駕しているだろう。

 それと同等のニルフィが戦った場合、たとえヤミーであろうと勝機は薄くなる。

 

「ならなんで見てんだよ。結果のわかりきった戦いほどくだらねェもんはねェだろ。……それにオレらがやってることだって、本当は無意味なんだろ?」

「まあ、そうだな。ヤミーで止められないなら詰み確定だ。いや、もうすでに詰んでる状態だよ」

「ならなんで……」

「変わったって、思わないか?」

「はあ?」

 

 犬頭が胡散臭そうな顔で腐れ縁の破面(アランカル)を見やる。

 しかし蛇男は苦笑とも呆れともつかない表情を浮かべているだけだった。

 

「ノイトラは変わらなかった。他の奴らは変わった。ヤミーはちょっとばかし変わった。……だから俺は、この戦いを最後まで見るのさ。たったそれだけの要素で、あの嬢ちゃんと同じ舞台に上がれるかどうかを見極めるためにな」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 豪腕が砂漠に叩きつけられると同時に、虚圏(ウェコムンド)が震撼する。

 そのパワーは自然災害の地震に通じるものがある。衝撃波によって砂の噴水が空へと昇り、霊圧によって内側からはじけ飛ぶ。

 

「チィ、どこ行きやがった」

 

 巨体ゆえに細かい動作ができないヤミーが首を巡らせる。

 そしてすぐに、自分の周囲が霧に包まれていることに気づいた。

 

 瞬閧(しゅんこう)

 

 打撃の嵐。

 それらがヤミーの体に満遍なく襲い掛かり、次々と肉を打っていく。白哉とノイトラを容易く追い詰めた技によって倒れるかと思いきや、彼の分厚い筋肉と脂肪によって打撃の振動が通らずに無効化されていった。

 

「ぺちぺちぺちぺちウゼえんだよォ!!」

 

 ヤミーが咆哮する。

 霧が吹き飛び、その中からニルフィの姿が現れた。

 そこへ技術もなく、しかし力強さという点において十刃(エスパーダ)最高の威力を実現させる虚弾(バラ)を出す。拳とともに出現する高速の霊子の攻撃は、戦艦の一斉掃射のように連発された。

 

 攻撃がニルフィに当たった。

 しかし虚弾(バラ)を一発受けるとすぐに消え、次々と現れてはもぐらたたきのようにヤミーが潰していく。

 

「コマけえな、オイッ!」

 

 (らち)があかない。

 そう思ったヤミーは、尻尾の鎚で放つ虚弾(バラ)を砂漠に打ち込んだ。

 すると天地が逆転するかのように、周囲一帯の砂が空へと昇る。

 

 数十体いた幻影はかき消され、本物らしい一体をヤミーが視界に捉えた。

 

 虚閃(セロ)

 

 すかさずヤミーが口から閃光を放つ。巨砲ゆえに範囲も広く、空中を落下するニルフィを捉えた。

 だが、奇獣が首を前方に伸ばしてガパリと口を開く。

 

 重奏虚閃(セロ・ドーブル)

 

 ヤミーの虚閃(セロ)がすべて奇獣の口に吸い込まれた。

 

「なにィ!?」

 

 ニルフィの姿が掻き消えると、驚愕に目を剥くヤミーの眼前に現れ、奇獣の口から先ほどの虚閃(セロ)に自分の霊圧を上乗せしたものを吐き出させる。

 その攻撃を受け、ぐらりとヤミーの巨体が傾くかに思われた。

 しかしすぐに両目を見開き、両腕からの虚弾(バラ)でニルフィを追い払う。

 

「痛ェ……。痛たいぜえ、効いたぜえーーなァ!!」

 

 叫び、次々と拳を振るうヤミー。ニルフィは幻影と分身を使って躱していき、彼の苛立ちを煽っていく。

 しかしその戦闘被害はノイトラ戦との比ではなく、並みの破面(アランカル)が足を踏み入れたが最後、文字通り消滅させられる。

 

 ヤミーが大口を開け、ニルフィが手をかざした。

 

 虚閃(セロ)

 

 二人の十刃(エスパーダ)の放つ光線が激突する。

 ヤミーのものにも劣らぬ大きさのニルフィの虚閃(セロ)だが、ぶつかった瞬間にすぐさま優劣が分かれた。

 ーー俺が、押されてんのか!?

 少女の閃光は巨大な獣の顎のようにヤミーの虚閃(セロ)を食い破ってくる。

 さらに奇獣が腕を横に伸ばし、開いた二つの手に、黒い球体状の砲台を生み出す。

 

 黒虚閃(セロ・オスキュラス)

 

 すべてを飲み込む漆黒の光が放たれた。

 ヤミーは舌打ちすることさえ惜しみ、両腕に溢れ出る霊圧を凝縮させ、二つの黒い虚閃(セロ)を迎え撃とうとする。

 ぶつかればタダでは済まない。余波だけで、地形が変わる攻撃。

 そんなことはヤミーにもわかった。

 

 だからこそ。

 

 この激戦のなかで生まれる轟音において、その鳴き声が聴こえるはずがなかった。

 だが聴こえたのだ。

 それは鳴き声の主とよく遊んでいた目の前の少女も同じはず。

 だというのに、少女は攻撃を止めない。むしろさらに砲台を数十に増やし、なにもかも消し飛ばそうとする。

 

「……!」

 

 喉の奥にまでヤミーは言葉が出かかっていた。

 それを奥歯で噛み殺し、迎撃に使おうとした両腕を防御にまわして、自らの背後に衝撃を一片たりとも逃さぬ構えを取る。

 

「ーーッ、ラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 来た。

 自分の肉体の前面が消滅したのではないか。そんな風に思わせる衝撃はいったいどれほどぶりか……ヤミーは一瞬だけ意識が切れたのに気づいた。

 霊圧が(きし)む。全身が震える。衝撃が全身と意識を貫いていく。

 ヤミーは雄叫びを上げながらそれに耐えた。

 

 だが、退くわけにはいかない。

 彼のプライドと、これ以上少女が壊れぬようにするという無意識の意志が、ヤミーをその場に押しとどめた。

 

「……グッ、ガッ……! ァ……!」

 

 集中砲火を(しの)ぎ切ったヤミーは、崩れ落ちるのを腕で支えることで辛うじて防ぐ。

 

「キャン! キャン! キャン!」

「……なんでついて来てんだよ……、バカ犬が……」

 

 背後で心配そうに鳴き続ける子犬のクッカプーロ。

 ヤミーはうめきながら吐き捨て、荒れ果てた砂漠に降り立った少女を睨みつける。

 

「……おい、オメエ。なに、してんだよ」

「ーーーー」

「この、バカ犬が……。死ぬトコだったぜ」

「ーーーー」

「……ッ、ただ、死ぬのならどうでもいいけどよ。……てめえ、この俺様をよォ、この戦えねえ犬ごと……殺そうとしたよな?」

「ーーーー」

「ニルフィ。……オメエのことは、ちょっとは、認めてたんだぜ? けどな、けどな?」

 

 溜めに溜めた怒りが、ついに解放された。

 

「俺が認めたのはよォ、ーーいまのオメエみたいなヤツじゃねえんだよ!!」

 

 過剰であった筋肉が損傷部分まで回復させながら、余剰と言えるまでに膨れ上がる。

 それは留まることを知らず、ついには当初の帰刃(レスレクシオン)の二倍にまで体積を増やした。

 背中に巨大な二本の角が生え、再び二本足になり、四本角の鬼のような顔となった。

 怒りにより、際限なく強くなる。

 それこそが『憤獣(イーラ)』のチカラだ。

 

「これ以上、俺をムカつかせんじゃねえよ」

 

 ヤミーらしからぬ静かな口調であったが、それが彼の腹のなかにあるマグマのような怒りを際立たせる。

 

「…………」

 

 少女が口を動かした……気がした。

 声が小さすぎたのか、なにを言ったのかまでヤミーには聞こえなかった。ただ、ニルフィの顔は、何度か見た泣きそうな弱々しいものをしていたと思う。

 

 ニルフィが体を捻りながらヤミーの腹部に蹴りを放つ。

 そこまではいままで見せた体術と一緒。

 違うのは、少女の脚に風がまとわりついたことだ。

 

 『暴風男爵(ヒラルダ)』 単鳥嘴脚(エル・ウノ・ピコテアル)

 

 狂嵐の(くちばし)が、ヤミーの巨体を穿(うが)った。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 立ち上がらなければならない。

 視界の端で砂嵐が空へと巻き起こったのを見ながら、グリーゼは脚に力を込める。

 目の前の死神を倒すには剣が必要だったが、そばに落ちているそれをいくら右手で探そうが手に取ることができない。それは右手首から先が切り落とされているからだと気づいたのは、すぐあとのことだ。

 

 鎧の隙間から血が流れ続け、意識に(かすみ)が掛かる。

 

「もう、()めにしないか?」

 

 片手に斬魄刀を下げる藍染が言った。

 

「たとえここで君が私を倒したとしても、その体の君ではニルフィを止めることはできないだろう。もとより、更木剣八から深手を負わされていたんだ。たとえ話が現実になるより先に君は果てる。君ほどの人材を失うのもまた、私には惜しいんだ」

「…………」

「諦める、という選択肢は悪いものではない。その上で聞こう。私と一緒に来る気はないか?」

「……断る」

 

 グリーゼの答えを予期していたかのように、藍染は表情を変えない。

 

「これは勧誘ではない。命令だ。それでもかい?」

「……そうだからこそだ。命令は、(あるじ)たる者がすることだ。……俺は、お前のことを一度も主人と思ったことはない」

「さあ、どうだろう。私は上に立つ者であると自覚しているが」

「……ただの独りよがりだ。誰も、お前を見ていない。誰もな。東仙もゾマリも、見ていたのはお前の偶像に過ぎなかった」

 

 吐き捨て、グリーゼが左足を支えとして立ち上がる。甲冑に包まれていて外からは見えないが、少し前にその部位も切り落とされているせいで中身は空洞だった。

 

「……お前が下と思っている相手は誰も、お前のことを主人とは認めないだろうな。配下を軽んじる主人ほどくだらぬものはないからだ」

「それは君の持論だろう」

「……ならばなぜ、十刃(エスパーダ)たちがお前よりもニルフィに入れ込んだか分かるか?」

「ーーーー」

「……それがお前とあの少女の違いだ」

 

 しばらく押し黙っていた藍染は薄く笑っていた口を引き締め、グリーゼに尋ねた。

 

「なぜだ? 君は(ホロウ)だった時、ニルフィに会っているだろう。その時の主人とコロニーを彼女のせいで失っているはずだ。彼女が最初に3ケタ(トレス・シフラス)の巣に現れたときに剣を振るったのも、てっきり仇討ちのためかと思っていたけどね。それだというのになぜ、立ち上がるんだ?」

 

 たしかにそうだ。

 

 幼い少女の纏っていた霊圧は、覚えのあるものだった。その時の彼女が覚えていなかろうと、グリーゼが忘れるはずもないものだ。

 仇討ちはいつでもできた。 

 しかし最初に刀剣解放した時も、全力を出せば戦いの術を知らぬ少女を屠ることなど赤子の手を捻るよりも容易いことだ。その時だけじゃない。ニルフィの十刃(エスパーダ)就任の際に、藍染から従属官(フラシオン)になるように指示を出されており、さらにいつでも殺して構わないという許可まで貰っていた。

 

 だが出来なかった。

 

 その時の主人から仇討ちは無駄なことだ、と言われたからでもあったが、野心も欲求もないグリーゼには、殺意を抱くこともできないこともできずに手を下すことができなかった。

 それゆえに最初の邂逅の時点でわざと見逃してしている。

 

 しかし、それからはどうだ。

 

 少女が死のうが死なまいがどうでもよかったはずだというのに、こうしてグリーゼはあがこうとしている。

 命令されなければ動くこともない自分が、なぜ?

 そうやって自問し続けて、茶番を引き起こすアネットの言葉で、答えがわかった。

 

「……約束、してしまったんだ」

 

 いつだって、少女はグリーゼに命令したことはなかった。

 すべて、可愛らしいお願いや、約束の範疇だけで。

 

「……みんなで帰ると、……約束したんだ。だから俺は、帰るべき場所を守らなくてはならない。それが叶わぬ夢だろうとーー絶対に」

 

 脳裏に映る、三人で過ごした何気ない日常。

 

 もう、取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。

 ひょっとしたらこの行動もすべて無意味なのかもしれない。

 だが、それでも。

 これ以上ニルフィが傷つき、壊れていいという理由にはならないではないか。

 

 グリーゼが右手の甲冑の中に霊子の義手を作り、ひび割れた大剣の柄を強く握る。

 

 くだらないと言いたげに藍染が目を細める。

 

「叶わないなら諦めるのが賢明なはずだ。そして、妥協する必要がある」

「……諦める、か。それがいままで軽い気持ちでできたのが懐かしいな」

 

 グリーゼが雄叫びを上げながら前へ突き進む。

 周囲の物質すべて霊子に還元しながら、愚直なまでに、この先には掴むべき未来があるのだと信じるように。




原作でヤミーさんが負けたのはクッカプーロを庇ったため、という説に作者は一票。剣八さんがつまらない戦いだったと言ってたのも、戦いに無駄なことを持ち込んだから、とか。

活動報告を更新しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。