ーーむかしむかしのおはなしです。
それは
心のどこかでつまらないと思う日常は続いていきます。
ですが、唯一の変化を得たといえるとすれば……、それこそ最初で最後であり、安物の劇場でありがちな話でありながら、暴君にとってはようやく“幸福”を噛み締められるものでした。
ーーむかしむかしのおはなしです。
これは、未来で従者となる暴君と、過去に従者であった少女のはなし。
まるで雛鳥のようにその少女はうしろを付いて回ってきた。
しかし女ーーアネットにとって鬱陶しいことこの上なく、しかしピーピー鳴く声は、やはりこの時もしつこいほど自分の名を繰り返す。
「アネット様! ちょっ、まってくださいアネット様! 聴こえてますよね、無視とかよくないですよね? ね? ヘイッ、聴こえてますかアネットさーーぼふぁ!?」
「うるさい馬鹿」
この時は腰まである紅の長髪を払いながらアネットが振り返った。
少し離れた場所には、彼女の裏拳でぶっとばされた金髪の少女が涙目で転がっている。少女は小さな金髪をまさしく尻尾のように振りながらガバッと立ち上がった。
「ひ、ひどくないですか!? あなたの血は何味ですか!? アネット様にしかぶたれたことないのに!」
「ならいいじゃないの。叩けばもっとマシになると常日頃から思ってるけど、もうこの際ぶっ壊れてしまってもかまわないわよ、この粗大ゴミ」
「そんなご無体な。しかも叩けば治るって、やっぱジュネレーションギャップですよねー」
「どうしてやろうかしらコイツ」
ため息を吐きたい衝動をこらえ、アネットが少女を見据える。
そして己の唯一の従者の名を呼んだ。
「……ラティア」
「はいっ、なんですか」
ラティアは澄み切った笑顔で返事をする。
「アタシ言ったわよね、宮で大人しくしてろって。その空っぽの頭で理解できるよう何度も。なのに、ど・う・し・て、こんなトコまでアタシを追っかけにきたワケ?」
「それはもう、わたしがアネット様の従者だからですよ。それなのにこの生活スタートからの命令が犬にするように“待て”だけなんて……。少しは従者っぽいことしたいんです!」
「で、本音は何よ」
「テヘッ、宮でぐうたら昼寝だけってのも飽きてーーぼっふぅ!?」
蹴りで吹き飛んでいったラティアを心配する素振りすらみせず、アネットは靴音を響かせながら先に進んでいく。
自分が適当に選んだ従者はバカだった。二言で表すならバカでアホだ。
しかもクソ弱い。ためしに犬のクッカプーロと戦わせてみたが、アネットが一瞬目を離した隙に敗北を喫しており、うつぶせに倒れてボロボロなラティアの頭の上で子犬が勝利の雄叫びを上げる図が出来上がった。むしろ頭でさえ劣ってるのではないかと思った。
だというのに、ラティア本人の性格は歪みがないくらいに非常にポジティブ。
得体の知れない眩しいもののように思えて、ひねくれまくっていたアネットにとって何よりその性格こそが苦手だったのだ。
「
「殺すつもりでやったんだけどしぶといわね」
「パワハラ、パワハラですよ。あのおしゃれ隊長見た時から予感してましたけどブラックすぎますもんね。でもわたしは屈しない! そんなパワフル・ハラスメントに健気に
気が極端に短い部類であるアネットはそのよくまわる舌に案の定キレた。
右手でラティアの首を掴んで強引に引き寄せる。苛立たしさを隠すことなく犬歯をむき出しにして、至近距離から獰猛に威嚇した。
「いい? アタシがアンタを選んだのはただの気まぐれ。これから殺そうが陵辱しようが、それすらもアタシの気まぐれになるってことを忘れない方がいいわよ。解ったのなら、その足りない頭でよく考えろ」
苦しげに顔を歪ますラティアがギブアップとでもいうように主人の腕をぺちぺち叩いた。解放してやるとその場に崩れ落ちて少女がむせこむ。その姿を見て多少溜飲は下がった。最後に
暴君の歩みを遮る愚者などいないはずだが、
「……なんで付いてくるのよ」
そのうしろにはラティアが当たり前のように追従している。
従者は苦笑いしながら言った。
「いや、そのぅ、わたしってアネット様の従者ですし。戦いもからっきしで、多少
「それって侮辱かしら? アタシのどこが危なっかしいのよ」
「さっきだって、グリムジョーと殴り合ってたとか……。そんなの、危ないですよ」
「あんなカスにやられたりなんかしないわ」
アネットの憮然とした物言いに、ラティアが早口でまくしたてる。
「でも、無鉄砲すぎるんです! わたしはこれでもあなたより前からココに居ました。自分は大丈夫だ。俺強いから。そう言って死にに行った仲間のことは多く見ています」
自分はそんな安っぽい奴らとは違う。ハッキリ言ってやろうとラティアの顔を見やり、自然と視線を少し下げた。少女の首にはくっきりと締めた跡が残っている。当たり前だ、息をさせないくらい強くやったから。
それなのに気にした様子もなくラティアはアネットの心配ばかりしてくる。
しかも笑顔で。
そこだけが、理解できなかった。
空白に被せるようにしてラティアが言う。
「前に、仲の良かったヒトが死んでるんです。わたしはそのヒトが死ぬとは思ってませんでした。それくらい強かったのに、でも死んじゃって」
情けなさそうに少女が眉を下げた。しかし声がブレることはない。
「わたしは自分の命なんて惜しくはありません。そりゃあ、痛いのは嫌ですし、怪我はしたくないですけど。それでも盾にされることに文句も言いません。だけどせめて、せめてあなたを“止める”ための選択肢を言う従者として置かせてください。……お願いですから」
ここでラティアを殺すのは容易い。言葉が過ぎると、炎を通路一杯に叩き込めば、いくら運がいいだけの少女でもすぐさま灰となる。
けれどこの純粋という物質だけで創られたような塊のか弱い生物を消した時、アネットは理由も知らぬ敗北感を得ることになるだろう。
そして他の
ーーったく、醒めたわね。
本心とは違う言葉で毒づきながら、アネットが小さく吐き捨てた。
「……勝手にしろ」
顔を輝かせた少女を直視することなくアネットは歩き始める。
この時からだっただろう。
孤高の暴君の背を、なんの力もないはずの従者が追う姿が見られるようになったのは。
ーーーーーーーーーー
「見てくださいアネット様! どうです、似合いますか。無断でアネット様の服を拝借して着てみました! さすがにあなたほどのないすばでぃではないのでちょいアレですけど、これでペアルックの仲いい主従に見えませんかね!?」
「脱げ」
目の前に現れたアホの子にアネットが即答した。
「ぬ、脱げだなんて、こんな公共の場所で……」
「顔赤らめるな。だったら宮に戻って着替えて来い。そうでなくても、隣に立って欲しくないってのに」
ペアルックという言葉に天啓でも受けたような眼帯優男がどこかに走り去っていく。それ以外には誰もいないが、こんな場面を他の誰かに見られたら本当にペアルックだと思われるだろう。そうなれば、ソイツを殺すしかない。
しかしラティアは最近、こういったことを繰り返す。
なんとかしてひねくれたアネットとコミュニケーションを取りたいのだろう。それを知っているからこそ、アネットは素っ気ない態度をとり続けている。
仲良しこよしなど必要ない。
主人と道具。それだけの関係が築ければいいとアネットは考えていた。
それなのに、時折この天下の往来を
だが意地でも認めたくはない。ーーラティアが隣にいないときの退屈はいつもより重いなど。
「ねーねーアネット様、聞いてますか?」
「ん、そうね。たしかアタシがアンタをぶっ飛ばしてもいいって話だったかしら。でも困るわね。頭叩いて今さらアンタの頭が正常になるって」
「いやそんな物騒なヤツじゃないですよ!? ただほら、前にも言いましたけどわたし今日、ネリエル様に誘われて夜ご飯を一緒にするんです。それを先に報告しておこうかなって思って」
「…………」
それを聞いて、言葉にすることのできないなぜか面白くない感情が胸に浮かんだ。
アネットが柳眉をひそめる。
「……行かなくてもいいわよ」
「えー、どうしてですか。だいじょうぶですよ、ネリエル様は人格者ですし別に毒入れられたりなんてされません。それにドンドチャッカのつくる料理はおいしいんですよ」
「主人はアタシでしょ。それにご飯なんて、
「けど、前に行った時は勝手にしろって二つ返事でーー」
そこではたと気づいたようにラティアが目を見開いた。それからラティアのくせに訳知り顔でにんまりと笑い、どことなく嬉しそうな顔をして主人の顔を見上げる。
「もしかして、
「…………ッ」
アネットは目元がヒクつくのを自覚した。
「~~~~!」
言葉が喉の奥から飛び出そうとするのに突っかかり、何度か無意味に口を開閉させるだけで終わってしまう。それを繰り返したあとにゆっくりと深呼吸し、やや上ずった声で答えてやった。
「ーーそんなんじゃないわよこの自信過剰従者がッ!!」
ーーーーーーーーーー
グズグズと涙する少女がアネットの豊かな胸に飛び込んできた。
「あーもう、泣くな馬鹿。服が汚れるでしょうが」
「だって、だってぇ」
結果を見ればアネットの圧勝だ。終わった時はロクな怪我もない姿で平然としている。だがしかし、傲慢と慢心のせいで手痛い反撃をされたことも事実で、それによってアネットが倒されてしまったと勘違いしたラティアが子供のように泣いてしまった。
心配してしつこいくらいに体を触って無事を確かめてくる。
それが歯がゆいような、こそばゆいような、持て余すような感覚。ひねくれ者には毒のように思えてしまう。
いまだにえぐえぐと抱きついてくるラティアを引き剥がすと、アネットはフンと鼻を鳴らした。
「惜しかったわね」
「え?」
「アタシが死んでればアンタは晴れてまた自由の身でしょ。これで暴力振るわれたりゴマ擦らなくてもよくなる生活に逆戻りできたはずだけど……。だから、残念ね」
「…………」
本当は言う必要もなかった。言いたくもなかった。ラティアを突き放すために、無意識のうちに口にした言葉だ。
しばらく無言のまま押し黙ったままのラティアだが、ついに顔を上げる。
感情豊かな彼女には似合わない、初めて見る能面のような無表情だった。
「それ、本気で言ってるんですか? ブラックジョークとか、ドッキリとかじゃなくて、
「……そ、そりゃあそうよ。死んでも死にきれないカラダだけど、アタシは生きていないほうがいい。アンタだって、本心じゃそう思ってるんでしょ」
引くに引けなくなってしまいアネットが返す。
しかしラティアはさっきまでも涙がどこへやら、ひどく冷めた表情をして頷きながら『そうなんですか、そう思ってるんですか、へぇ~』と繰り返しており、表面こそ憮然としながらもアネットは内心であたふたと慌て始めた。
本意の言葉ではなかったと撤回したい。すぐに謝罪の言葉を吐きたかった。
しかし、ひねくれまくった性格と見栄以外の何物でもないプライドが喉の奥で邪魔をして、声らしい声を上げられずにいる。
ウ~っと唸ったラティアが額をぶつけてきた。鎖骨にぶち当たったたいして痛くない頭突きをアネットは甘んじて受ける。そしてラティアは軽い体重をもたれかからせてきた。
「そんなこと、言わないでください。自分は死んでもいいとか、不謹慎すぎますよ」
「……皮肉で言ったつもりだったんだけど。アンタを侮辱する言葉も聞こえなかったのかしら? でもどうせ、アタシが本当に死んだところで喜ぶ奴しかいないわ」
弱々しく駄々をこねるように少女が首を振る。
「わたしは悲しいですよ」
「まさか」
「泣きます。いいですか、天下の往来でいい歳した女の子が人目もはばからず大泣きするんですよ。そんなの見たいと思いますか?」
「嫌ね」
「じゃあ死なないでください」
ラティアは頑なに、主人の死を拒む。
理解できない。
理解したくない。
なぜこうまでしてラティアは自分勝手なアネットに死なないで欲しいと願えるのだろう。嘘を吐けるほど器用ではない少女は今もまた、放すものかとアネットを抱き続けた。見返りも何もない純粋な好意。それがアネットにとって何よりも苦痛だった。
「……アタシは、アンタを殺すかもしれない」
「しませんよ」
「するわよ」
「じゃあどうして、そんな苦しそうな顔をするんですか?」
言葉に詰まる。一瞬の空白。噛み締めるようにしてラティアが言った。
「わたしはあなたの傍にいても消えませんから。だからーー怖がらなくてもいいんですよ」
アネットがわざわざ目に見えるように暴力を振るうのは、他人を自分に近づけないため。
彼女の炎は無差別になにもかも
「怖がってなんか、ないわよ」
「ええ、解ってます」
「……アンタがそんな言葉を言ってくれるのは、前に言ってた仲のよかった相手にアタシを重ねてるから?」
「前まではそうでした。でも何時からか、なんてことは解りませんが、わたしは
弱くなってしまったと、アネットは思った。
ーーまあ、でも。これでいいか。
ようやく憧れていた弱さを手に入れることができたから。
ーーーーーーーーーー
巨大なソファの上に二人はゆったりと腰掛けている。アネットは身をラティアにもたれかからせ、無防備に甘えるようにして従者の肩に頭を乗せていた。たまにラティアが主人の髪を手櫛で
「ふふ、そんなこともあったわねぇ」
「ですねー」
ふと思い出した昔話で談笑しながらのんびりとした時間が過ぎていった。
財宝や美食といったものなんかより、アネットにとってはこういった時間こそが至宝そのものである。それを何かに代えるつもりはない。どれだけのモノが積まれようが、この一秒の“幸福”にさえ釣り合わないだろうから。
密着している側の手を重ねて指を絡ませる。それを相手もかすかに笑みを漏らしながら応え、互いの温かさで手を馴染ませた。
「思い返してみればいい思い出ですよ」
「アタシにとっては忘れたいの間違いなんだけど。あんな生産的じゃない時間を過ごしてたと思うと、今のほうが断然いいわね」
「わたしと過ごしてた時間も含めて?」
「……まあ、悪くはなかったかも」
満ち足りた表情でアネットは過去を懐かしむ。
このまま腐って腐って
いまは温もりがあった。かけがえなの無い存在があった。
自分を受け入れてくれる、少女がいた。
「最後の命令、してもいいかしら」
己が従者として接する最後の会話。そしてこれからは対等に、いつまでも愛し合うために必要な言葉。
「ずっと、ずっと、この時間を終わらせないために…………一緒にいてほしい」
ラティアは目を見開き、なにを言われたか理解すると、すぐに満面の笑みで答えた。
「はい、いつまでも!」
幸せが似合わない者などこの世にはいない。
だから。
コレはなにかの間違いだ。
ただ嫌にリアリティがあるだけの悪意に染め上げられた夢のはずだ。
紅色の女が泣いていた。
「ーーラティア!! どこ? どこにいるの? 返事、してよ。ねえッ! ラティア! ラティア!!」
けれど想い人は見つからない。消えた。消えてしまった。
女が宝のように抱きかかえた、右の細腕だけを残して。
アネットは狂いそうだった。だが狂えるならばどれだけよかっただろう。なまじ
だから心の傷を少しでも吐き出そうと叫ぶ。
喉が裂けて血が溢れた。どころか、心の痛みはわずかたりとも収まらない。むしろさらに苦しくなっていく。
これが弱さの代償だった。
あっけなく壊れてしまった幸せのあとに残されたのは、壊れかけの小さな存在。
「ぁ、……あぁ…………ぁ」
よろよろとアネットが顔を上げると見覚えのある他の
一瞬にして頭が
百では足りず千にも万にも届く呪詛が己の内側で暴れまわる。
それを舌に乗せ、斬魄刀である鉄扇を砕かんばかりの力を込めて振るう。
「ーー
そこからの記憶は途切れ、気づけば灰だけで彩られた雪国のような世界にアネットはぽつりと立ち尽くしていた。
手の温もりは、いつの間にか消えていた。
ーーむかしむかしおはなしです。
暴君は初めての涙は、従者のために流されました。けれどその涙はありきたりな大団円のハッピーエンド、あるいは飽食された王道物語のように奇跡を呼ぶことはありません。どれだけ悲しかろうと、暴君にとって価値のないものでした。
この時暴君は、ようやく弱さなど必要の無かったモノだと悟ります。
“幸福”が消えて悲しいならば、つくらなければいいのだと気づきます。
ーーむかしむかしのおはなしです。
これは、未来で従者となる暴君と、過去に従者であった少女のはなし。
ーーーーーーーーーー
暗闇の中でアネットが目を見開いた。
いまは従者である女が幼い主人を見下ろし、ため息。
手のひらで顔を覆い天井を見上げた。
焦がれるような色合いのせいで燃えているかのような双眸で、指の間からどこか遠くを見つめる。
顔を覆っていた手を宙へと伸ばし、そしてなにかを取ろうと握る動作をして、空を切った。
「ーーラティア」
ささやき声が闇に消える。
作者は各キャラを書くにあたり、サブキャラも含めてキャラシートを作成しております。原作キャラも今作において役割も変わりますので、彼ら彼女らも同じ感じでしょうか。
設定上のラティアさんの能力は物の弾みで生まれた『自分への不運を幸運に逆転する能力』でした。
弱いけども面倒な能力のため藍染さんも秘密裏に排除しようとしました。しかし三度ほど外的要因で邪魔され、五度ほど罠が故障し、ついに自身が出ようとしたら13キロさんの差し入れ饅頭を食べた直後に腹を下し、さらには調子が出ずに黒棺の詠唱で舌を噛んで悶絶しリタイア。結局のところ、『自身への不運を相手の不運に変える』能力だとようやく知ったため、事故で死ねば御の字とアネットさんに押し付けたりしてます。
この作品の藍染さんはシリアスシーンを除くと、なぜか影で貧乏くじを引かされてるキャラ設定になってました。