記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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評価ポイントの平均を表すメーター(?)っぽいのが初めて赤くなっておりました。
ハーメルン様で地道に投稿をしていく上での目標の一つでしたので、達成できて嬉しいです。
恒例となりましたが、このような作品に評価ポイントを投票していただきありがとうございます。
読者の皆様に感謝を。


逆鱗は何処にあるか

 暗闇の中でもまた、ひとつの戦いが終結していた。

 

「まァ、油断しなけりゃこんなモンか。いくら強くなったつっても、オレには届いてねえしな」

 

 アーロニーロ・アルルエリ。彼は能力の一つによって姿を変えており、いまはとある死神の青年の姿となっている。

 志波海燕(しば かいえん)という名の死神であるが、とある(ホロウ)に肉体を乗っ取られた彼をさらにその経験や記憶ごとアーロニーロが捕食し、喰虚(グロトネリア)の能力によって発現させている。それによって海燕の始解『捩花(ねじばな)』を使うことも可能であった。

 今のアーロニーロの手にもその三又の槍が握られている。

 

「悪く思うなよ。こっちにもこっちの事情があるんだよ。具体的には、オレが少しでも怪我しちまうとチビが騒ぐんでな。ああ、愛されてるってのは辛いなぁ。だからソッコーで終わらせたことは大目に見てくれ」

 

 アーロニーロが語りかけているのは、捩花の刃に腹部を貫かれて頭上にぶら下がっている女の死神。強い意志の光が宿っていた目は虚ろな眼差しで、なにも映していない。

 彼女については海燕の知識から理解している。

 朽木ルキアという死神だ。海燕のことは、上級貴族の養女という身分と、その優遇措置ゆえに周りの疎外感を抱いていたルキアの心の支えになっていたことで慕っていたらしい。そして(ホロウ)に体を乗っ取られた海燕をその手で殺した。 

 ほぼ海燕本人となったアーロニーロを前にして動揺したところを仕掛ける。隙も与えずに相手の心の傷を言葉でえぐっていき、そして動きが止まったところをチョイ、だ。なんの面白みもない戦いだった。 

 けれど油断していれば負けていたかもしれない。それだけこのルキアという死神は、昔よりも成長していた。 

 しかし変わったのは彼女だけではない。

 アーロニーロは慢心や油断で痛いほど痛い目を見ることを、小さな少女から教え込まれていた。たとえ一年にも満たない時間であり、そして地力はさほど変化していなくとも、戦い方を変えるだけで驚くほど楽に戦闘が運ぶ。

 ーーアイツには一応、感謝しとくか?

 ーー今度、ほかの奴らよりもデカイ菓子の大袋でも与えたほうがいいな。

 頭ではそんなことを考えつつ、槍を横薙ぎに振るう。

 ヒトの形をしただけの人形のようにルキアは床を転がっていく。

 

「特別戦いを楽しみたいってワケでもないしな。前と違って、簡単にケガしてられなくなったんだよ」

 

 誰にむけるとも違う、独り言。

 影響を受けた大きさに苦笑する。甘くなったつもりはない。けれど、実際のところ緩んできているとは自覚している。要は認めたくないだけかもしれない。

 

「で、久しぶり(・・・・)じゃねえかよオイ。先輩に挨拶も無しか?」

「生憎、(けい)のことは存じぬ。他者の姿を騙る醜悪なもののけ風情としかな」

 

 アーロニーロが振り返ると、そこには、痩躯で、肩にかかる程度の長さの黒髪をもつ白皙の中性的な容姿の男が立っていた。隊長格を示すように白い袖のない羽織を着ている。

 六番隊隊長、朽木白哉(くちきびゃくや)

 予想よりも早い到着にアーロニーロが眉を上げた。

 

「随分と早い到着だな。藍染様は援軍が来るにしても、まとめて何人か向かってくるって予想してたってのに」

黒腔(ガルガンダ)の安定にはまだ時間がかかるはずだった。しかし、今の虚圏(ウェコムンド)の危険性は想定以上。それでは先に向かった者たちの負担が大きくなる。ゆえに、代表して私が先行してやって来たまでのこと」

「おーおー、それで真っ先に、危なくなってる養女のトコに飛んできたってか。さすがは権力使ってまで危険から遠ざけてただけの溺愛ぶりだな」

 

 海燕と白哉の交流はさほど深くはなかった。養女として迎え入れたルキアをほぼ放任主義で貫き、そのため直接的な対面はほぼないに等しいと記憶してある。

 だから死神の真似をするのも効果はない。

 海燕の顔のまま素を出し、アーロニーロは軽薄に笑った。

 

「で? いま虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいる隊長格はお前だけってワケか。なかなか無用心すぎやしないか」

「どういう意味だ」

「お前ら死神が想像してるよりずっと、こっちの戦力は上だぜ?」

 

 たった一人のチビのおかげでな。

 そこまでは言うこともなく、そしてわざわざ教えるつもりもなく、アーロニーロは右手の親指で胸を叩く。

 

「オレは第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)アーロニーロ・アルルエリ。お前は?」

「答えるまでもない。私の正体はただ一つ。ーー(けい)等の敵だ」

「そうかい朽木白哉。つれないトコはぜんっぜん変わってねえな」

 

 そんなことはどうでもいいとばかりに、白哉が部屋の端に転がっているルキアに目をやる。

 

「一つ問いたい。あれ(・・)と戦ったのは、(けい)か」

「答えなくてもわかってんだろ」

「そうか」

 

 白哉が斬魄刀を持ち上げた。

 ーーこりゃあ……。

 ーー参ったな。

 内心で深く息を吐くアーロニーロ。朽木白哉についての情報ならば、海燕の記憶などによって把握している。

 アーロニーロの一番変わったところは、互いの戦力差を本当に(・・・)理解することであった。それを元に作戦を立てて攻略していく。パズルのようなそれは存外、アーロニーロに合った戦い方でもある。もとは修練時にニルフィになめてかかり、痛い目を見たからこその反省点。

 それゆえに、勝率なども、無意識のなかで計算できる。

 

「もしかしても怒ってる?」

(けい)には関係のないことだ。だが案ずるな。貴様が敗北するのはその(おご)りのためではない。ただ単純に、格の差だ」

「まさに強者のセリフだな。大きくなって大きく出たもんだ」

 

 今ならまだいい。しかしもっとも厄介なのが白哉の斬魄刀の能力で、それこそが彼を隊長格に押し上げたものであるとわかってしまう。卍解『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』。これがキツイ。乾いた笑いが出そうだ。

 だが、

 

「それにしてもよ、ーー勝てないって誰が決めたんだ?」

 

 最初から負けるつもりで戦うはずもない。

 槍を独特な高い構えで持ち直し、片手首を主軸に回転させる。風がそれに巻き込まれた。白い死覇装が、アーロニーロの戦意を表すかのように舞い上がる。

 退()くという考えは頭にない。以前ならば多少の臆病さは持ち合わせていたが、いまは撤退することなど、それこそ……。

 ーーああ、クソ。

 ーーまたアイツのことが頭に浮かびやがる。

 雑念を消してアーロニーロが前方を見据えた。

 刃の先を白夜に突きつける。

 

「いくぜ」

 

 踏み出す。それは白哉も同時だった。首を狙ったアーロニーロの槍は、(みね)に手を添えた白哉の刀に防がれる。

 さらにアーロニーロは体を回転させながら風車のごとく刃を奔らせた。

 金属のぶつかり合う音が幾重にもこだます。

 舞うように槍術を繰り出すアーロニーロ。それをことごとく白哉はいなす。

 しかし防戦一方となっているのは白哉だ。リーチも威力も、アーロニーロが勝っている。刀でいなすのにも限界があるだろう。

 槍が振るわれ、薙ぎ、突き出される。一度の停滞もなく回避にのみ専念する白哉を追いすがる。変幻自在な技の数々に、槍の相手などさほど経験はないであろう白哉が目を細めた。

 遠心力の乗った攻撃を嫌って白哉が上へ飛んだ。それを追う。自分ではなく、刃が。手の中で柄が回転する。即座に方向を変換して白哉に牙を剥く。

 それを瞬歩で大きく後方に跳ぶことで白哉が回避した。

 

「散れ『千本桜(せんぼんざくら)』」

 

 能力解放と共に刀身が目に見えないほど無数の刃に分裂する。それにより対象を、いまはアーロニーロを刻むのだろう。

 だが、知識から予想していた攻撃だ。

 アーロニーロは即座に槍を振り上げ、振り下ろす。巻き上げられたのは水。これこそが『捩花』の能力だ。水は瞬時に波濤(はとう)となり、自分に迫るであろう極小の刃の群れを押し流した。

 さらに接近する。斬魄刀をもとの刀に戻した白哉に槍を打ち据える。これも頭上で防がれた。だが、次。再び波濤が生まれ、死神を圧殺・両断する。

 

「破道の八十一」

 

 断空(だんくう)

 

 鬼道によって生まれた壁に阻まれた結果にーー笑う。予想通りだ。どう止めるのか、知識から引き出せるゆえの戦略が組める。

 壁に激突して散った波濤を目くらましとして白哉の背後を取る。

 そして鮮血が床を汚す。

 

「チッ、いまのを避けんのかよ」

 

 離れた場所に白哉が立っている。さっきの攻撃で仕留めるつもりだったが、槍がえぐったのは左腕の肉だ。心臓からはほど遠い。そしてアーロニーロも、薄く脇腹を切られている。

 

「で、どうだい。格下相手に傷つけられんのは」

「その姿は紛い物ではないな」

「そりゃそうだ。そうじゃなきゃ、そこに転がってるソイツを楽に倒せなかったよ」

「…………」

 

 軽口は叩けるが、アーロニーロとしては先の一撃で倒すつもりだったのだ。

 姿を惑わすだけの相手と思う油断。槍の一撃はそれまで吹き飛ばしてしまった。

 ーークソッ、ついてねえな。

 アーロニーロの見ている先で、白哉が逆手に持った斬魄刀を離し、地面に向かって落とす。

 

「ーー卍解」

 

 『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 刀は地面に吸い込まれるように消え、同時に足元から巨大な千本の刀身が現れる。直後それらが一斉に舞い散り、始解時を遙かに上回る数の刃と化す。暗闇の中で光を反射する様は、まさしく桜のようだった。

 桜色の濁流とも捉えられるその無数の刃を縦横無尽に操る事で、攻防一体・死角皆無の完全なる全方位攻撃が可能となる。それこそが『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』の恐ろしいところだった。

 ゆっくりとアーロニーロは周囲を見回した。 

 囲まれ、包まれている。これに耐えられる十刃(エスパーダ)がいかほどいようか。

 最初から分の悪い戦いだったのだ。

 

「姿を騙るだけのもののけではないようだ。それならば、こちらも相応の力を使わせてもらう」

 

 細長くアーロニーロが息を吐く。肩から力を抜き、槍を下げた。

 

「ハッ」

 

 そして笑う。絶望や無力感など、それこそ最初から皆無だった。

 逃げる? それは嫌だ。

 助けを乞う? 論外である。

 そんな惨めな姿をある一人に見せるくらいならば。

 

「ーー喰い尽くせ」

 

 『喰虚(グロトネリア)

 

 アーロニーロの姿が膨れ上がった。下半身が巨大な蛸のような姿と変わる。表面が不気味にうごめき、側面についた巨大にすぎる口から大気を震わせる咆哮が響いた。

 今まで喰らった(ホロウ)三万三千六百五十の顕現。それがこの能力である。

 

「お前の使う刃は数億だったか。けどよ、たった一枚で(ホロウ)が殺せるワケじゃねえんだろ?」

 

 数の上では数字ほどの不利ではない。そうやって自分を奮い立たせ、アーロニーロが叫ぶ。

 

「あんま図に乗んないほうがいいぜ、死神? 慢心ってのは必ず身を滅ぼすんだよ!!」

 

 喰虚(グロトネリア)のあらゆる表面から(ホロウ)の顔が生まれた。

 

 虚閃(セロ)

 

 数百を超える極太の光線が包囲してくる刃の花弁を押し戻す。

 それは分厚い包囲網が穿ち、外の闇をアーロニーロの目に焼き付ける。

 喰らった獲物の能力、霊圧を我がものとするからこそできた。絶え間なく虚閃(セロ)を放ちながらどこか冷静な思考がある。

 ーーったく、誰でもいいから頼むぜ。

 そしてべつの行動に一瞬だけ頭を割く。この戦いには関係のない布石だ。あとは誰かがやってくれるはずだと、心の中で願った。

 掲げられた槍が、突き出される。その先には死神がいる。ならば倒そう。倒さなくてはならない。

 自身も凶暴に笑いながら咆吼し、進む。

 無謀で絶望的で最悪の戦い。万と億の戦いだ。

 それでもなお、前へ、前へと手を伸ばした。ただ一つの与えられた言葉を守るために。

 やがて、その姿は花弁の中に埋もれていった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣から脱出し、第7宮(セプティマ・エスパーダ)へと向かっていたニルフィとドルドーニ。霊圧を探知しながらの移動であったが、気になっていた戦いのうち二つが終わったことにニルフィは気づいた。

 

「あ、チルッチさんとガンテンバインさんのほうは逃げられちゃったみたいだね。痛み分けかも」

「ううむ、黒星をあげたのは吾輩だけか。いや、負けて欲しかったというわけではないのだが、釈然とせんな」

「オジさんは相手が悪かっただけだよ。侵入者のなかで一番強かったのがクロサキさんみたいだからね。すごく頑張ったと思うよ」

「…………」

「どうしたのオジさん?」

「……む、いや、なんでもない。それよりも、回道というもので少しばかり楽になったが、吾輩の傷はさっさと癒しておきたいのでな。休める場所に早く向かおうではないか」

 

 一瞬だけドルドーニが立ち止まったのだ。

 取り繕うような言い方にニルフィは首をかしげる。

 

「なにかね」

「オジさん、嘘ついてる。……ううん、嘘っていうより、隠し事かな」

 

 目に浮かんだわずかばかりの動揺さえ押し殺し、ドルドーニが安心させるように笑みを浮かべた。

 

「心配のないことだ」

「ねえ、なにを隠してるの?」

 

 再度、ニルフィが訊く。さっきまでなかったドルドーニの不審な様子。それは足を止めた瞬間なにかに気づいたようであり、実際にそうなのだろう。しかしニルフィはドルドーニよりも探査回路(ペスキス)が優れていた。だからその時、ドルドーニ自身が動揺するような出来事はなかったと言い切れる。

 しかし今、アーロニーロが何者かと戦闘を再開し、そして裏付けもなくニルフィが訊いた。

 

「……アーロニーロの『認識同期』でなにか伝わったの?」

 

 アーロニーロの能力の一つである『認識同期』なら、情報を同胞の頭に直接報せることができる。

 ゆえに、ドルドーニが情報を受け取ったのであろう様子も説明がついた。アーロニーロが帰刃(レスレクシオン)を使ったタイミングとも一致していたから。

 

「あ~、うむ。そんなところだ。しかしさほど重要でもない情報だったのだよ」

「どういうのかな」

「もとの侵入者の一人、朽木ルキアという死神を第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)が討ち取ったとな。そして、虚圏(ウェコムンド)に最初の侵入者以外の者が紛れ込んだらしい。その警戒にあたれという報せだ」

「そっか。嘘はついてないね。じゃあ今度は、言ってないことも教えてよ」

 

 見るからにドルドーニの顔色が悪くなる。この実直な紳士は、よくもわるくも隠し事には向かなかった。

 なにより、それだけの情報をなぜアーロニーロがニルフィにも教えなかったのか。

 嫌な予感で背筋が凍るようだった。

 

「…………」

 

 ドルドーニは押し黙ったままだ。

 

「もういいよ。オジさんは私の宮に向かって。これだけ近くに来たら追っ手がいてもグリーゼたちが出てくれる。私はアーロニーロのトコに行くよ」

「待ちたまえ、お嬢さん(ニーニャ)

「どうして?」

「どうしてもだ」

 

 不安そうにニルフィが眉を下げた。

 ドルドーニが進路を阻むようにして動いたからだ。そしてついに隠すことなく、さきほどまで濁していたことを話す。

 

「たしかに、第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)が戦っている相手は隊長格の死神だ。そして、劣勢に追い込まれるであろう(むね)も伝えられた」

「なら、どうして!? 早く助けに行かないとアーロニーロが!」

「もう一つ伝えられていたからだよ」

 

 鋭い目つきのままドルドーニが静かに言った。

 

「何者も、ニルフィネス・リーセグリンガーを第9宮(ヌベーノ・パラシオ)周辺に近づけるな、と」

 

 顔つきを厳しくさせたのはドルドーニだけではない。

 

「そんなの、おかしいよ。どうして、どうして私だけ……!?」

「わからんかね」

「わかんないよ! こんなときのために、私は力をつけたのにッ」

 

 大切な仲間が少しでも傷つけられるだけでその相手を殺そうとする少女だ。頭の中は焦燥と悲哀で占められている。目の前にいるのがただの木偶(でく)であればすぐさま壊してでも先に進もうとしただろう。

 それを吹き飛ばすつもりでドルドーニが声を張る。

 

お嬢さん(ニーニャ)に伝えなかったのは、仮に教えれば必ず行くだろうからだ。……それは当たり前のことであったな。だからこそ、第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)お嬢さん(ニーニャ)の身を案じ、そしてそれが自らのためになると判断したのだよ。助けの言葉などただの一つも無かったというのにだ!」

 

 それだけ危険ということだろうか。いかにニルフィといえども万が一はある。

 しかしそれがアーロニーロの拒絶のように感じられて虚しさがこみ上げた。

 けれど、

 

「ーーそんなことで私が止まる理由なんかにならないッ!」

 

 ニルフィが足を踏み出した。

 敵が強い? 来るなと言われた? たったそれだけの理由で立ち止まる安い覚悟なら、そもそもドルドーニを助けはしなかった。

 それは彼にもわかっているはずだ。

 

「どう言われようと、もう私は行くよ」

「本当に止まるつもりはないのかね?」

「……目の前で大切な相手を守れなかったヒトを、知ってるから。でもね、同じ後悔をするなら、それから目を逸らしたまま生き続けるなんかよりもマシだよ」

 

 ドルドーニはそれ以上なにも言わなかった。

 少女はすぐさま響転(ソニード)を使って姿をかき消し、砂漠の宙を駆ける。

 その速度は並みの破面(アランカル)では気配にすら捉えられないものだった。しかしそれでも、ニルフィには限界速度がひどく遅く感じた。

 ーーだいじょうぶ。

 ーーゼッタイにアーロニーロが負けるはずなんかないもん。

 ーーだから……。

 時間の感覚が曖昧だ。ただ一心不乱にアーロニーロの霊圧のあるであろう場所を目指す。

 そして、とうとう宮が見えた。巨大な塔の形をした、鬼道の練習などのために何度も足を運んだ親しみのある場所だ。

 

「はやく! はやくッ」

 

 あともう少しで到着する。助けられることが可能になる。わずかに、ニルフィの心が緩んだ。

 その時だった。

 

 吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 見る。宮の最上階が内側から破裂したかのように吹き飛んだ。

 

 オオオオオォオォォォォォォ…………ッ!!

 

 内部が晒される。すさまじく巨大な存在が偽りの青空の下で雄叫びをあげている。

 それはアーロニーロの喰虚(グロトネリア)が解放された姿であり、そして巨大であるからこそその惨状が余すところなくニルフィの目に飛び込んできた。

 

「あ、ぁあ…………」

 

 絶望の込められた声にならない音が喉から出た。

 喰虚(グロトネリア)の全身が切り裂かれており、血が噴水、あるいは滝のように流れていた。それは赤い洪水かと見間違えるほどだ。溢れた血が宮の壁をつたって遥か下に垂れていく。 

 雄叫びかと思ったものは断末魔だった。天敵ともいえる日光の下に(さら)され、そして戦闘の続行など到底不可能な傷によるダメージによって、だんだんと細くなっていった。

 死神らしい霊圧は健在。勝敗はすでに決したようだ。

 

「ーーーーッ!」

 

 ニルフィがソレ(・・)に気づいたのは単なるまぐれだ。神というものが本当にいるのならば、偶然をよそおった必然のはずである。

 視界の端を落下していくソレを見た瞬間、少女は飛び出し、腕にあまるソレを抱き抱えた。

 させぬとばかり、死神が追撃を仕掛けてくる気配がある。そちらへ向かって幻光閃(セロ・エスベヒスモ)を放って十数秒の足止めを仕掛ける。その間にニルフィは砂漠へと降り立ちながら素早く手陣を切った。

 

「縛道の七十三」

 

 倒山晶(とうざんしょう)

 

 四角すいを逆さにした形で、周囲から中が見えない霊圧の結界を出現させる。

 そこでようやく、少女が腕に抱えていたモノをゆっくりと結界の床に置いた。

 切り裂かれてちぎれたのだろうか。ソレは、上半身だけとなったアーロニーロの変わり果てた姿だった。死覇装はボロ切れと化して触手が無理やりヒト型をとったような姿をさらけ出す。絶え間なく小さな噴水のように血が噴き出していた。

 首から上の薄紅色の液体で満たされたカプセルには無数のヒビが無念を表すかのように目を引く。

 すぐそばにニルフィがかがみ込んだ。

 

「……なんで、来やがった……」

「まって、だいじょうぶ、大丈夫だから!」

 

 過呼吸でも起こしそうなほどニルフィの呼吸は薄く早い。手に暖かな光を宿して、回道のチカラで仲間の傷を癒そうとする。だが、小さな手を胴に触れる寸前で止めた。

 どこから癒せばいいのかわからないほどアーロニーロの体は破壊し尽くされていた。

 抱えてきたためにニルフィの死覇装の前面は隙なく赤くなるほどで、無事な部分を探すほうが難しく、素人目にも致命傷という言葉が頭に浮かぶ。

 

「ぅ、あ…………」

 

 視界がぐちゃぐちゃになってわけもなく手がガタガタと震える。

 そのまま手をあてもなく傷口に添えようとして……、異形の右腕にそっと押さえられた。力なく、ニルフィの手が下ろされる。

 

「自分ノコトクライ、自分ガヨク分カッテルヨ」

「だ、だいじょうぶだって! オリヒメさんならきっと治してくれる! だからそれまで」

「俺が持たないって、ことくらい……わかってんだろ?」

 

 ポツリ、とうつむいていたニルフィが呟いた。

 

「苦しくないの?」

「ッ! 苦シイ。苦シイヨ」

「けどみっともなく泣き叫べるワケねえだろ」

 

 弱々しく持ち上げられたアーロニーロの右手のひとさし指が少女の目尻を軽くはじく。水滴が宙に跳ねた。そこでようやくニルフィは、枯れていたと思っていたのに、自分の大きな眼に厚い涙の層ができていることに気づく。

 

「泣き虫のお前が、こんな我慢してるってのによ」

 

 蚊の鳴くような声でニルフィが訊いた。

 

「なんで……なんで、最初から呼んでくれなかったの」

 

 自分がすぐそばにいればここまで傷つかなかった。

 今にも泣き出しそうな少女の声に、アーロニーロがヒビの入ったカプセルの奥から遠くを見る。

 

「なんで、か……。なんでなんだろうな……。……いや、わかってんだよ、理由(ワケ)なんてよ」

 

 なあ、とアーロニーロが聞き返す。

 

「最初に会ったときのこと、覚えてるか?」

「うん、おぼえてる」

「その時、お前は俺に言って……」

「ダカラ、ダヨ。コンナ、カッコ悪イ姿ヲ見ラレタクナカッタ。ツマラナイ、意地ダッタ」

「私が、縛ってたの?」

 

 最初に二人が出会ったとき、ニルフィはアーロニーロのことを『かっこいい』と評したことがある。それをアーロニーロは一瞬たりとも忘れたことはなかった。だからだ。彼はニルフィにとって『かっこいい』人物であろうとしてくれた。

 逃げも負けもしない、そんなヒトに。

 少女に否はないんだと否定する。

 

「お前が、はじめてだった。オレを見て心の底から笑いかけてくれるヤツは。今だって、こんな、バケモノを前にしてるってのに、悲しんでる、だけ、で……」

 

 声をすぼませていく。

 ニルフィが小さく柔らかい両手で異形の右手を包んだ。血で汚れることも(いと)わず、絶対に放すものかと握りしめる。

 命の欠片が手の中からこぼれ落ちていくことを感じながらハッキリと言い切る。

 

「キミは、バケモノなんかじゃないよ」

 

 自尊心を守るためだった、などという建前はニルフィにとって無いものに等しかった。

 少女を気遣ってくれたのならばそれは優しさゆえだ。ちゃんと心があったから、ニルフィを大切に扱おうとしてくれた。だからバケモノじゃない。誰が否定しようともニルフィが認める。

 

「……ッ。お前は、本当にお人好しだなァ」

「約束シテヨ」

「生きてくれ。お前は、まだこっちに来んなよ。からだ張ってやった意味、ねえだろうが。なぁ……ニルフィ?」

 

 (すが)るようにして、二つの球体状の頭がニルフィを見据えた。

 

「オレは」

「僕ハ」

「ーーお前の仲間でいれたか?」

 

 何度もニルフィは頷く。けっして泣くまいと、最後に見せてやれるのが笑顔であるべきだと思いながら、今にも崩れそうな微笑みながら頷いた。

 アーロニーロも孤独だったのだ。その異形ゆえに忌避され続けていた。

 彼が心を開いてくれたのはニルフィが仲間として接して、知らずのうちに孤独を癒したから。まったく違う境遇でも、本当のところは似た者同士だったのかもしれない。

 

「……アーロニーロ?」

 

 蝋燭(ろうそく)の灯火が消えてしまうように包んでいた手が滑り落ちる。

 頭部のカプセルが静かに割れ、流れ落ちた赤い液体のなかに二つの物言わぬ頭が転がった。皮肉交じりの軽口も、それとなく気にかけてくれるうれしい言葉さえ、もうニルフィは聞くことができない。

 十刃(エスパーダ)、残り九名。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 音もなくニルフィが第9宮(ヌベーノ・パラシオ)の最上階に姿を現した。

 表情の抜け落ちた顔のまま、ゆっくりと周囲を見回す。まず足もとにはニルフィに与えるつもりであっただろう菓子の袋が破けて中身をぶちまけてた。端のほうにはアーロニーロが仕留めたであろう女の死神が寝かせられている。

 そしてその横に、(くだん)の隊長格である死神がいた。背には六の数字。おそらく朽木白哉だろう。

 言葉では表現できない感情が胸の内であばれるが、不思議とそれを吐き出すことはなく、ただマグマかエンジンのようにぐるぐるとまわっていく。

けれど静かだ。口から出たのも、いつも以上に平坦な声だった。

 

「キミが、アーロニーロを殺したヒトなのかな?」

「答えずともわかっているだろう」

 

 おもむろに白哉は斬魄刀を引き抜いた。

 黒い死覇装の至るところが破け、負傷とも見える傷さえ負っている。どうやらアーロニーロはただでは負けなかったようだ。

 

「ねえ、訊いてもいいかな。大切な人を傷つけられたときに感じる感情って、なに?」

「……怒りだ」

「へえ、そっか。これが怒りかぁ。案外、激情ってほどでもないね」

「私には貴様が怒り狂っているかのように見えるが」

「さぁどうだろ。……よくわかんないや。もしかしたら悲しいだけかもしれないし、苦痛が辛いのかもしれないしね」

 

 ふと、ニルフィがとてもいい名案を思いついたかのように、ほれぼれしそうな微笑をたたえて両手を胸の前で組んだ。

 

「あ、そうだ! ビャクヤさん。提案なんだけどさ、これから戦わないで、黙って手足を折られてくれないかな? 私が飼ってあげる。誰にも殺されないオモチャにしてあげるよ?」

「是と返すつもりないことを理解しているだろう」

「それでもだよ。……これが私にできる最大の譲歩なんだけど、さ」

()せぬな」

「なにがー?」

「それは、これから刃を交えた結果、貴様が勝つことを前提としたものだ。十刃(エスパーダ)の実力というものがたかが(・・・)さきほどの相手程度(・・)ならば、7という貴様もさほど変わるまい」

「…………」

 

 少女が目を細めたとき、フッと白哉の姿が掻き消える。

 瞬歩だ。そして背後。白哉の斬魄刀がニルフィの背を切り裂く。しかしそれは残像だった。白哉のさらに背後を取ったニルフィが三人に分裂した。一人、二人と白哉はそれらを斬り捨てる。さらに側面を手刀で狙ってきた少女の顔面を貫いた。が、それも束の間のこと。さらに少女が四人へと増えて死神を取り囲む。

 霊子の刃をまとわせた右腕で、白哉の体を穿った。

 しかし、

 

「ッ!」

 

 ニルフィが目を見開く。貫いたのは白い隊長羽織だけだ。

 

 隠密歩法“四楓(しほう)”の(さん)空蝉(うつせみ)

 

 相手に自身を倒したと思い込ませるほどの残像を見せる瞬歩を繰り出した白哉。彼はニルフィの背後を再び取ろうとした瞬間移動中にーー吹き飛ばされた。いや、かろうじて右腕を防御にまわしたようだが、無数の蹴りを一度に受けたことで、その腕は使い物にならないほどスクラップにされている。

 

「それ以上、仲間を侮辱するような言葉を吐かないでよ。虫唾(むしず)が走る」

 

 無表情のままニルフィが蹴りを放った脚を下ろす。完全に後手でありながら、響舞(カリマ)を使用し、あろうことが瞬歩によって移動中の白哉に強烈な蹴りを叩き込んでいた。

 たしかに白哉の瞬歩は速い。破面(アランカル)たちの響転(ソニード)でも対抗できるものがどれほどいようか。

 しかしいくらニルフィは速いという情報があっても、この理不尽な速度は想定していなかっただろう。あるいは自分の瞬歩ならば対処できると思ったか。だからこその傲慢から生まれた油断。奇しくもアーロニーロの言い放った言葉が現実味を帯びてきた。

 あまりにも単純に、誰であろうと速さでニルフィに敵わないというだけで。

 利き腕を破壊された白哉が千本桜を展開する。それを重光虚弾軍(バラ・インフィニート)の弾幕で迎え撃ちながら白哉に肉薄。極小の刃が二人のあいだで壁となる。しかし瞬歩で距離を稼ごうとした白哉にまた蹴りが襲いかかった。迂回し、差を付けられても、それでは少女を引き剥がせない。

 まるで機械のように次々と打撃を死神に叩き込む。

 ニルフィを前にすれば誰でも勘違いするものだ。

 死神は彼女のことを数字の通り七番目に強いと思っていただろう。もしかしたら、というよりはたしかに通常時ならばその程度の力しか使わない自制心がある。だが、それはあくまで通常時に限った。

 

 第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー。

 (つかさど)る死の形は『依存』。

 彼女にとって心の()り所であるモノを破壊した場合にのみ、その凶悪な牙が剥かれる。

 

 破面(アランカル)化をした時点で第0十刃(セロ・エスパーダ)候補となっていた、所詮は『7』という数字も間に合せのものだ。その理由も当初は、力を十全に出し切ることができるか、また制御ができるかが不安であり、勝率は十割とはいかないと予想されていたから。

 しかしいまはその問題点は無い。

 逆鱗を撫でられたのならば、もはや抑えておく必要がないからだ。

 

「ーー卍解『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

 

 桜の大吹雪に囲まれながら、ニルフィは仲間の血で赤く染まったパーカーの死覇装を脱ぎ捨てる。

 彼女の上半身を覆うのは薄皮ほどしかない黒いインナーだ。

 両肩及び背の布が付いておらず、白い肌が剥き出しである。ほぼありのままの姿だ。首から鎖骨、それに肩にかけては稀代の芸術家が彫り上げた聖母の像のように美しくしいラインを描き、しなやかな細腕は氷の彫像のようだった。

 そして、それら無機質に感じるほどに美しい体の中ほどにある二つの控えめな隆起が妙にイキモノ臭さを漂わせ、生物としての劣情を否応なく煽るほど蠱惑的だ。

 右上腕には『7』の数字。左上腕には(ホロウ)としての証である孔がある。

 ゆっくりと息を吐き、目を閉じた。

 生きる、と約束した。けれど戦うなとは言われていない。ならば、戦って負けない限りならなにをしてもいいはずだ。

 仇の首を死者に捧げるくらいなら、この怒りという感情も収まるかもしれない。

 そうしてニルフィは虚無感を胸に仕舞い込みながら、ぎらつく金色の双眸で桜吹雪の奥にいる死神を射抜く。

 

 瞬鬨(しゅんこう)

 

 高濃度に圧縮した鬼道を両肩と背に纏い、それを炸裂させることで鬼道を己の手足へと叩き込んで戦う白打の最高術を発動させる。

 怪物として本性を十全に発露した少女。

 彼女は相変わらず無表情でありながら、たしかに泣きながら(わら)った。




主人公のリミッターが解除されました。

それと、っハンカチ

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