記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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重さと価値は比例しないらしいよ

 待ち合わせ場所となった広間にニルフィがグリーゼを引き連れてやって来た。

 集合時間まではまだ時間はあるが、他の面々はすでに集合している。ルピ、ワンダーワイス、グリムジョー。それにいまやって来た二人を含めた五人が、現世へと行くこととなっている(・・・・・)

 

「グリムジョー」

「なんだよ」

 

 トテトテと駆け寄ってきたニルフィを呆れたようにグリムジョーが見下ろす。久しく会っていないとはいえ、その態度は今までと変わらないように見えた。

 鋭さのある視線に堪えた様子もなく、ニルフィが胸の前で両手を握る。

 

「私、頑張るよ。ちゃんと戦ってちゃんと勝って、それで、負けたりなんかしない。殺せそうだったら殺すし、キミの満足できる結果を残すよ」

「......そうか」

 

 グリムジョーの顔の苦さが増した。それがどうしてかニルフィにはわからない。別に褒めてもらいたくてこの任務を成功させるわけではないが、グリムジョーの反応の意味がニルフィには察せなかった。

 何気なく隻腕に目をやる。なにかを耐えるように握りしめられている。

 自分はなにかの粗相をしただろうか?

 青年の顔色を窺うように下からのぞき込んでも、目を逸らされた。

 

「集まったんなら早く行こうよぉ。どうせ五分も十分も変わらないだろ?」

 

 痺れを切らしたルピが空間を叩き、黒腔(ガルガンダ)を出現させる。虚圏(ウェコムンド)にも劣らぬ霊子がそこから噴き出した。

 待つことすら面倒とでもいうようにルピが空間の割れ目へと入って行ってしまう。ワンダーワイスも体を揺らしながら歩いて行き、危なっかしい彼を追ってニルフィに断ってからグリーゼも闇の奥へ消えた。もしかしたらグリーゼは気を遣ってくれたのかもしれない。

 亀裂の前には少女と青年がいる。

 いざ入ろうとする前に、グリムジョーが言った。

 

「なぁ、てめえはどうして修練の真似事なんてやってたんだ?」

「え?」

「今まで......いや、あの時(・・・)までそんなことやってなかっただろ。なんであんな事してたんだよ」

 

 グリムジョーの言葉を噛み砕き、そしてニルフィは意味すら理解する。それに要した時間は一秒にも満たない。現実の時間では即座ともいえる速さで答えた。

 影一つない笑顔で、言った。

 

「もちろん、キミのためだよ」

「......ッ!」

 

 グリムジョーが奥歯を砕かんばかりに噛み締める。

 それを見て、ニルフィが慌てて言い募った。

 

「だ、大丈夫だって! ちゃんと私だって戦えるよ? 何度も何度も何度も何度も、ずっと戦って経験積んだし、技術だって最初の頃よりもぐんと上手くなったから。たった一か月だっていっても質に気を付けたし、ひどい怪我した時もあったけど、諦めたりなんてしなかった。殺せって言うなら殺しに行けるし、キミのためなら私はなんでもしてあげられるーー」

 

 焦燥によって止まらなくなりそうな言葉の羅列が押しとどめられた。

 グリムジョーがニルフィの頭を乱暴に撫でる。それ以上、ニルフィは何も言えなかった。

 

「これが終わったんなら、もうそんなこと、言うんじゃねェよ」

「----?」

 

 一言ずつ区切るように染み込ませるような声音。

 どういう意味かを尋ねる前に、グリムジョーは足早に黒腔(ガルガンダ)の中へと歩いて行ってしまう。

 

「............」

 

 なにがいけなかったのだろう。グリムジョーにとって悪い部分は無かったはずだ。話したことはすべて本心だし、心に仕舞う思いはそれ以上の強さを秘めている。グリムジョーのためになら何だって捧げられるという意思を、彼が気付かなかったはずがない。

 

「まだ足りないのかな?」

 

 悩んでいるうちに亀裂が閉じようとする。

 慌ててニルフィはその間に滑り込み、先に行った面々を追いかけた。拳ほどの簡易すぎる足場を次々と造りだす。野兎のようにその上を飛び跳ねていき、幸いにもすぐに追いつく。

 グリムジョーを問い詰めようかと思ったが彼の表情を見て止めておく。考えるような表情で歩いていたから。

 そしてそうするよりも前に、最初に先頭を進んでいたルピがニルフィの隣にやって来た。

 

「なぁに話してたの? 愛の誓い?」

「べつに」

「うわ、つれないなぁ。ほらほら、ボクに媚びてみなよ。それで今までのことを水に流してあげるよ」

 

 ルピが服に隠れた『6』の数字を見えるようにする。

 隠す気もなくニルフィが軽蔑の視線をルピに投げかける。

 

「媚びてなんかないし、なによりキミとは仲良くなりたくない。私は、私の大切な人を馬鹿にする相手が嫌いだから」

「なにそれ。むしろその大切な人がキミのこと馬鹿にしてるかもよ?」

「それならそれでいいよ。私のことをいくら貶しても、それでみんなに害がないなら別にいいからさ」

 

 とことん自分に無頓着なニルフィは頬に掛かった黒髪を後ろに流す。

 他人を優先するあまり、彼女はあまりにも空虚だった。自分の体にすら価値を見いだせていないだろう。むしろただの有能な道具として見ている節すらある。

 だから気が付かない。普通なら見えることも、ニルフィには目の前にあるのに理解すら困難であることを。

 

「ああ、くっだらない」

「キミが勝手に価値を付けないでほしいな」

「いや、ホントにくっだらないよ。ゾマリも大概だったけど、キミの『愛』ってのも重すぎる。第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ってこんなんばっかなのかなぁ、まったく」

 

 ルピが首を振りながら言った。

 重い? それはどういうことだろう。ニルフィはただみんなと仲良くなりたいだけだ。そこに差なんて無いし、相手が望むのなら自分の肢体ですら捧げるつもりだった。さっきのグリムジョーに言ったように。

 自分から離れないでいてくれるのなら、文字通りなんでもするつもりだ。

 それを聞くと、ルピが嘲りを込めて口の端を吊り上げる。

 

「それが重いって言ってんだよ馬鹿。でもなるほどねぇ。グリムジョーが未練がましくキミを手放さないのは、そのなんでもするって言葉に(すが)ってるからなのかなぁ? もしそうならクソ変態じゃん。家畜小屋にいったほうがいいんじゃない? そのほうが生産的だろ」

「......黙れ」

「ん?」

「もうそれ以上、くだらない言葉を吐かないで。耳障り」

「言わせてんのはキミだろ」

「言葉を並べてるのはキミだけどね」

 

 太陽のような色でありながらどす黒く濁ったような瞳でルピを射抜く。

 面白くなさそうに鼻を鳴らしたルピは、すぐに前に進んでいった。

 ニルフィはドロドロとした心を落ち着けながら思考を巡らせる。あのルピの余計な言葉のせいで、胸の中に棘が刺さったようなむずがゆい感覚がある。

 望んだものを得られるのがなによりも大切なことではないのだろうか。

 それをニルフィが与える側となり、どちらも幸せになる。......なにかその考えに違和感があった気がするが、それを知る前に黒腔(ガルガンダ)が再び裂けた。

 記憶に鮮明に残っていた空気がニルフィの頬を撫でた。

 その穴の前でニルフィはグリムジョーの隣に立ち、彼の顔を見上げる。目は合わせてくれない。どうやら答えを得るのは時間が掛かりそうだ。

 

「......死神か」

 

 グリーゼが地上を見下ろしながら呟く。 

 そこでニルフィは気づいたが、どうやら以前出た時のような上空ではなく、すぐ下に森が広がっているようだった。

 そして人間ではありえない霊圧の高い存在が数人。

 どうやらドンピシャな場所に出てきたらしい。

 

「へえ、あれぐらいの霊圧の奴なんて虚夜宮(ラス・ノーチェス)にもいるけどねぇ。けどアレが6番さんの言ってた『尸魂界(ソウル・ソサエティ)からの援軍』じゃないの? ね?」

 

 確認するようにグリムジョーを見たルピだが、すぐに笑いながら言い直した。

 

「ア・ごめーん。“元”6番さんだっけ」

 

 ニルフィがその物言いに眉をひそめた。

 しかしグリムジョーが顔色ひとつ変えなかったため口を閉ざす。

 

「あの中には居ねえよ。俺が殺してえヤローはな」

「あっ、グリムジョー!?」

 

 言うが早いか、グリムジョーは即座にある方角を目指して空気を蹴った。

 追うかどうか迷ったニルフィだが、グリーゼが目で静止してきたためにかろうじて踏みとどまる。自分の目的のためにはここを離れる訳にはいかない。

 名残惜しそうに幼い顔を悲しみに染める。

 そして上げかけていた腕を下ろしかけたときーーーー凶刃がその細首に迫った。

 

 

 ----------

 

 

 黒腔(ガルガンダ)が突如として虚空に現れたことに、現世にやってきていた死神たちは動揺を隠せなかった。

 十一番隊第五席、綾瀬川弓親(あやせがわゆみちか)が目を見開く。

 

破面(アランカル)......!? そんな、早すぎないかいくらなんでも......!?」

 

 藍染が本格的に動き出すのにはまだ時間があるはずだ。

 日番谷は亀裂の中にいる人数を数え、そして考える。

 --五人......。

 --仮に十刃(エスパーダ)でもまだ半分。

 --斥候か?

 考えていても始まらない。

 

「確かに早すぎるが......。理由を考えているヒマはなさそうだぜ」

 

 むこうは日番谷たちを認識すると、各々が反応を見せる。すぐに立ち去らない所を見るとここで交戦するつもりだろうか。しかしすぐに行動はせず、なにやら話している。

 その隙に日番谷が周囲に指示を出す。

 

「松本は尸魂界(ソウル・ソサエティ)に連絡を入れろ。綾瀬川と班目は......」

「すぐに()るんでしょう? 準備万端っすよ」

「ああ、それでいい」

 

 死神の姿となった十一番隊第三席、班目一角(まだらめいっかく)が好戦的に三白眼をぎらつかせた。

 同じく日番谷と弓親も死神としての姿を晒し、それぞれが始解を済ませる。

 まだ破面(アランカル)たちは戦闘態勢に入っていない。

 右から、童女の姿をした破面(アランカル)、そして不良風の青年と中性的な男となり、次には大剣を背に引っさげた少年と偉丈夫だ。

 偉丈夫には覚えがある。なんだか残念さがひどい美女と一緒に、シャウロンたちの討伐を邪魔されたのだ。しかしあの美女と同等、もしくは阿散井恋次を一撃で戦闘不能にした手腕から、実力的には上の存在かもしれない。

 --つってもな......。

 日番谷は一番右へと視線を動かす。

 黒崎一護と交戦したらしい少女がその先にいる。

 幻影と光による攪乱(かくらん)で場を引っ掻き回すらしい。能力の厄介さでいえばこちらが上だ。相手の容姿に何も思わないわけではないが、一番最初に仕留めたほうがいいだろうと判断する。

 ここまで一秒。

 不良風の破面(アランカル)はどこかへと行ってしまった。それを止める余裕はない。これで数が同じになったことを先に喜ばねば。

 手早くほかの面々に指示し、構える。

 日番谷は飛び立ち、すぐさま肉薄。相手はこちらへ目を向けてすらいない。

 他の破面(アランカル)は一角たちが止めるだろう。

 好機として斬魄刀を突き出す。射し込めれば、あとは凍らせてどうとでもできる自信があった。

 その距離があと十センチになった時ーーーー壁が現れた。

 正確には幅広の大剣の腹。

 顔の下半分を蟲の(あぎと)を模した仮面に覆われた男が、少女の背から腕を回して日番谷の斬魄刀を受け止めていた。

 その偉丈夫の足止めとして向かっていった一角。彼が下の地面に墜落した音が耳に届く。

 

「そう上手くいくとは思ってなかったけどな。--十番隊隊長、日番谷冬獅郎だ」

「......名乗るのなら斬りかかる前に名乗れ」

 

 まるで枝きれのように大剣が振り回された。

 弾かれるようにして日番谷は距離を取り、わずかな間のにらみ合いとなる。

 グリーゼ、と以前呼ばれていた破面(アランカル)だ。先ほどまで少女とは反対の方向にいたというのに、彼女が襲われたとみるや真っ先に動き、そして守った。まるで騎士のように少女の後ろで控えている。

 従属官(フラシオン)というのが本当ならーーあの少女、ニルフィネスとグリーゼは主従関係になるのだろう。

 幸い一角は斬魄刀越しに叩き落されただけのようで、すぐに戦線に復帰した。

 

「大丈夫かい、一角?」

「ああ、問題ないぜ」

 

 藤孔雀(ふじくじゃく)を手にした弓親に一角が頷く。

 

「どぉする? 一人に相手一人付けるの?」

「......さあな。(あるじ)はどうする」

「適当でいいんじゃない? あの人たちが自分から相手したい人いるみたいだし。危ないから、ワンダーワイス、だよね? 一緒に少し遠くで見てるよ。私の相手の人はグリーゼがやっちゃって」

「......承知」

 

 破面(アランカル)たちが空間の裂け目から出ると、黒腔(ガルガンダ)がゆっくりと閉じた。

 

「おいで、ワンダーワイス」

「マー......アウー......」

「なんだよソイツ。ボクが話しかけても何も反応しなかったくせにさぁ」

 

 金髪の少年の姿をした破面(アランカル)がニルフィネスの言うことを素直に訊いたことに、中性的な男は不服そうだった。

 その鬱憤を晴らすためのように、自分の前に現れた一角と弓親を見据える。

 弓親が尋ねた。

 

「君も、十刃(エスパーダ)か?」

「そーだよ。名前はルピ。階級はNO.6(セスタ)

 

 破面(アランカル)、ルピは腰辺りの服をずらし、『6』の数字を見せつける。

 一方、日番谷と、合流した乱菊はうかつに動けなかった。大剣を携えた巨漢が背後の子供たちを守るようにして立ちはだかったからだ。

 --俺たちが悪者みたいじゃねえかよ。

 構図的には間違っていないだろう。

 しかし、しばらく睨み合いが続いたまま事態は進展しない。グリーゼの背後で子供たちが飛んでいる蜻蛉(とんぼ)を捕まえようと躍起になっているのが、なんとも戦場とは思えない空気を醸し出していた。

 

「攻めてこねえのかよ?」

「......その台詞をそのまま返そう。こちらは侵略者なんだろう? その排除に動かなくていいのか?」

「簡単に言うなよ。この前の奴らとお前の実力が一緒なんて思ってねえからな」

「......だが、そちらが攻撃しない限り、こちらから攻撃する意味はないぞ」

「どういう意味だ」

「......言葉は銀。沈黙は金。俺からは特に言うことが無いな」

 

 このまま睨み合いを続けてもいい。しかし少しでも相手の底を見極めるのがいいだろう。

 己の副官に呼びかける。

 

「松本」

「なんですか?」

「援護しろ」

 

 返事を聞く間もなく日番谷がグリーゼとの距離を縮めた。それを困ったような顔で見たグリーゼが、仕方なくとでもいうように大剣を動かす。

 だが、

 

(うな)れ『灰猫』」

 

 突如として下方から襲い掛かって来た灰の奔流に片眉を上げる。

 乱菊の始解である。あの灰に触れれば、その部位を切り裂くことができるのだ。

 

 甲霊剣(インモルタル)

 

 霊子の刃を構成させた大剣が灰へと振り下ろされる。斬撃ではない。剣風が暴風のように荒れ狂い、灰を散らす。

 その結果に日番谷は内心驚くものの、隙を晒した相手を待つつもりもない。コンビネーションは完璧。相手が大剣を振り下ろしたタイミングを見計らい、今度は猛烈な冷気をグリーゼに放つ。 

 振り払おうとしたグリーゼだがもう遅い。

 

「......氷か」

 

 秒刻みに氷の像と化し、遂には固まってしまった。直接攻撃系と『氷輪丸』はそれなりに相性がいいのだ。すでに限定解除も済ませている。卍解ではないとはいえ、十分な威力を込めたと日番谷も思っている。

 ワンダーワイスと蜻蛉の見せ合いっこをしているニルフィネス。彼女に対して日番谷が言った。

 

「どうする。お前も戦うのか?」

「--? どうしてかな。私が戦う必要性なんて、これっぽっちも感じてないんだけどな」

「なんだと」

「私はね、キミたちの相手をグリーゼがするように言ったんだよ」

 

 ビキリ、と音を立てて氷像にヒビが入る。それはだんだんと大きくなっていき、10センチほども厚みがあったはずの氷の層が剥がれていく。

 半ば予想していた。しかしさすがに、従属官(フラシオン)レベルが無傷で出てくるとは思っていなかった。

 

「ねえ、なんですぐに抜け出さなかったの?」

「......空中に浮かぶ大男の氷像というのも、なかなかユーモアがあるように思わないか?」

「全然」

「............そうか」

 

 素で返されたことで若干グリーゼが落ち込んだ。体を張った芸がウケないと堪えるのはどの世界でも一緒のようだ。

 破裂音がしたことで日番谷はそちらを見た。

 弓親がルピと戦っており、そしてどうやら押されているようだ。額から血を流している。

 

「だーからァ、一対一じゃ勝ち目ナイって言ってんじゃーん。わかんないの?」

「......うるさいッ」

 

 ルピが傍観を決め込んでいる一角を促す。

 

「キミからも何か言ってやんなよ。そろそろホントに殺しちゃうよ?」

「二対一は趣味じゃねえ」

「あァっそ! めんどくさァ」

 

 彼にとって歯ごたえがないものはつまらないのだろう。

 呆れた物言いのルピは、ある意味で拮抗となっている日番谷たちに目を付け、グリーゼに提案した。

 

「グリーゼ! そっちの子たちもボクに譲ってよ! こいつらウダウダめんどいからさ、一気に四対一でやろーよ。--ボクが解放して、まとめて相手してあげるからさ」

 

 そうしてルピは、左わきに挟まれた鞘から、己の斬魄刀を引き抜く。グリーゼは主人に意見を伺い、是と返ってきたことで傍観に徹することにした。

 それよりも、日番谷はルピの行動に頭の中の警報が大音量で鳴るのが感じらた。

 斬魄刀解放。

 かつて、シャウロン・クーファンも使った奥の手である。ルピの動きからシャウロンのような最下級大虚(ギリアン)より上の存在だとわかる。なにより十刃(エスパーダ)だ。それが解放をおこなったら、勝てる保証はあまり無い。

 

「させるか!」

 

 覚悟を決め、解放させるのを止めようとする。

 出し惜しみは無しだ。

 

「ーー卍解」

 

 大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)

 

 日番谷の体に氷で構成された、竜のような羽と尾が生まれた。速度が一気に加速する。

 しかし間に合わない。

 

(くび)れ『蔦嬢(トレパドーラ)』」

 

 ルピから噴き出した霊子の奔流が日番谷の視界を遮った。攻撃方法を変えるために斬魄刀の構えを直そうとする。その時、煙幕を貫いて木の幹のような物体が現れる。

 かろうじて、それを羽で防御する。すぐに勢いは止められずに背後へ強引に後退させられるが、止められないほどではない。

 

「......どうした、こんなもんか? 解放状態のてめえの攻撃ってのは」

「ハハッ! よく防いだね!」

 

 煙の奥のルピの声は挑発されたにも関わらず明るい。

 

「......でも正直止められるとは思ってなかったな。ちょっとショックだよ。意外とやるもんだね、隊長クラスってのは」

 

 シルエットが浮かび、そして晴れていく。

 歪んだ口元がその隙間から覗いた。

 

「でもさ、もし今の攻撃がーー八倍になったらどうかなァ?」

 

 そこにあったルピの姿は、上半身が鎧のようなものに覆われ、背中に八本の触手が生えた円盤が形成されていた。

 その異形とも呼べる姿に動揺を隠せなかった日番谷。殺到した残り七本もの触手が体を打ち据え、日番谷の体は森の中へと墜落していった。

 

 

 ----------

 

 

「ほら、これが飴玉。あーんして」

「......うー」

 

 素直に口を開けたワンダーワイスに飴を与え、自分も小袋から取り出したものを口に含む。蜜柑味だ。柑橘類の爽やかな香りが鼻を通り抜けるようだった。

 ちらりと、戦闘区域に目をやる。

 最初に自分に斬りかかって来た少年が落ちていくところだ。

 

「言ったろ? 四対一でいこうよ・ってさ。......ア・ごめーん。四対八、だっけ」

 

 自らの力に悦に入ったルピが触手と共にそう言い放った。

 どうやらあの触手は限界はあれど伸び縮みし、しなやかな強靱さがあるようだ。けれどなんというか。ニルフィはアーロニーロも同じような技が使えることを思い出す。たしか彼の場合は八本どころが数百は一度に操れると自慢していた。解放すれば三万の(ホロウ)の力を使えるという宣伝文句は伊達ではない。

 ニルフィはグリムジョーの行ってしまった方向を見やる。

 情けないとは思うものの、眉が下がってしまうのは止められなかった。

 グリムジョーは向こうで黒崎一護と交戦しているようだ。そして霊圧の揺れ方からして、戦闘での高揚と一緒にケガをしていることも知れる。一護の異常な霊圧の高まりの結果だろう。

 

「......大丈夫、かな?」

 

 こんな心配をしてはグリムジョーに失礼だ。そう思っても、グリムジョーが傷ついていることがどうしようもなく悲しかった。

 そしてそれをやった相手に、怨恨にも似た殺意を覚える。

 

「っと、冷静に冷静に」

 

 ニルフィは首を振って邪念を振り払う。ここは戦場だ。一時の気の乱れで、容易く首が飛んでしまうかもしれない。

 ......それもまあ、護衛者(ボディーガード)顔負けの完璧さで守ってくれるグリーゼがいるから大丈夫に思えるが。

 

「......(あるじ)

「うん、わかってる。自分の感情だけであっちに行ったりしないよ」

 

 安心させるように微笑む。それを見て、グリーゼは言葉を連ねなかった。

 

「マー」

「どうしたの、ワンダーワイス?」

 

 ワンダーワイスの頭を撫でながらニルフィが優しく尋ねる。彼はニルフィに懐いてくれたようで、戦っている場所に入っていくなとか、そういった忠告に頷いて素直に守ってくれていた。

 

「......ウ~、ラー......」

「おー? うー?」

「イアー。......クゥオー」

「みゅー、みゃ~」

 

 子供同士にしかわからない謎の会話をし始める。

 事前に藍染から、ワンダーワイスは知能などそういったものが欠落していると教えられていた。どうすればそうなるのか分からないが、どうやらワンダーワイスは藍染からしてみればとっておきらしい。もしかしたら言動はこうでも最上級大虚(ヴァストローデ)かもしれない。

 とはいえ、ニルフィにとって精神年齢が自分よりも下の存在と出会うのは初めてだった。

 背伸びしたがりと笑われてもいい。ちょっとだけ姉の真似事をして、ワンダーワイスの世話をしていた。

 それを片手間に戦況を確認する。

 ルピが背中の円盤を回転させて、触手を竜巻のように振り回していた。それによって残った三人の死神たちは押されているようだ。まだ戦えそうだが、その結果にニルフィはがっかりする。

 

「なんだ、話んなんないね。キミたちホントに護廷十三隊の席官? つまーん、ないっ!」

 

 そして一方的な甚振りが再開された。......ように見えて、それは違うとニルフィは森の中へと目を向けた。

 空気中の霊子がだんだんとある一点から塗り替えられていく。

 それは奇しくも、否、必然的に日番谷が落とされた地点からだ。ルピは初撃で仕留めたと思っているようだが、優秀な探査回路(ペスキス)を持つニルフィはまだ日番谷が行動可能だと分かる。

 そしてやりたいことも、おそらく予想通りだ。

 

「あはっ」

 

 ニルフィの口から楽しげな笑い声がひとつ漏れた。

 それに気づいたグリーゼは黙認し、ワンダーワイスは不思議そうに少女の目をのぞき込む。

 戦況はそこで急展開を迎えたようだ。

 三人の死神が触手によってついに捕えられた。

 ルピは乱菊という女の死神を目の前に持ってきて、まさに悦に入ったネコなで声で話しかける。

 

「おねーさんさァ、やーらしい体してるよねぇ。いーなあ、セクシぃだなあ。......ボクの同僚なんてあんなぺったんこなのに」

「余計なお世話だよっ」

「......たとえ成長の見込みが砂粒ほどなくとも、その言葉は失礼というものだぞ、ルピ・アンテノール」

「せ、成長するもん! アネットやハリベルみたいになるもん! グリーゼの馬鹿!」

 

 泣き声に近い言葉を発する外野を無視し、ルピが乱菊を捕えている触手を思わせぶりに近づかせる。

 

「ああ、もう。死神さんのこと」

 

 触手の先端から、万遍なく鋭い棘が生えた。

 

「穴だらけに、しちゃおっかなぁ~~~~」

 

 待ったを掛ける暇もなく凶器が乱菊へと振るわれーーーーその触手が紅の斬撃によって半ばから断ち切られた。

 空気からにじみ出るようにして彼は現れる。

 現れたのは着流しに下駄、目深に被った帽子と、それとなく胡散臭さを上長させるアイテムを身に着けた男。

 

「いやァ~~~~、間に合った間に合った。危なかったっスねえ~~~~」

「----。......誰だよ、キミ」

 

 興が削がれたことでルピが不機嫌そうに男を睨む。

 しかしニルフィはその男のことを知っていた。そしてその登場にかすかに笑みを零す。

 飄々とした様子で、男が軽く頭を下げる。それとなくフレンドリー、しかし右手に斬魄刀を持っていなければなお良し。

 

「あ、こりゃどーも。ご挨拶が遅れちゃいまして。--蒲原喜助(うらはらきすけ)。浦原商店でしがない駄菓子屋の店主やってます。よろしければ以後、お見知りおきを」




古来よりアカシックレコードには、『胸は揉むと大きくなる』と記されているという。
(by神)

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