記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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思惑なんて黒いもの

 藍染からの招集を受けたニルフィが、集められる部屋を目指してトコトコ歩く。渦巻き模様の棒付きキャンディを片手に、廊下をちびちび進む。

 その後ろをグリーゼが付き添い、主人が三回に二回は間違える道順を正す。

 

「やっと今日が来たよ。待ちくたびれちゃった」

「......ひと月が長かったか?」

「ーーうん。長かった。この日のために私は強くなろうとしてたからね」

 

 渦巻きキャンディを舐めながらニルフィの目には待ち焦がれる色があった。その間だけ見せた表情は、恋にいじらしさを感じる乙女のようであり、あるいは獰猛な猟犬のような鋭さを見せている。

 少女が道を進みながらくるくると回る。艶やかな黒髪が祝福するように舞った。

 

「今日だけ。私は今日だけのために、ここ一か月ずっとみんなと戦ってたからね。......ま、軸のウルキオラは失敗しないから、私は私で頑張るけど」

「......無理をして目的を見失うな」

「うん、わかってるさ。そういえばグリーゼってこの前、死神さんと戦ったんだよね。どうだった?」

 

 クルリと振り返り、後ろ歩きしながら己の従者を見上げる。

 グリーゼはフム、と息を吐き、自分の考察を交えながら話す。

 

「......俺が戦ったのは副隊長格の死神だったらしい。しかし卍解を習得していたな。副隊長でも実力は上だろう。ーーが、十刃(エスパーダ)に比肩するかと問うならば、否だ。隊長格とどの程度力量が開いているか不明だがな」

「グリーゼはその人を倒したの?」

「......殺しはしなかった」

「ああ、ちゃんと約束守ってくれたんだ」

 

 その時の報告は忙しくて聞いていなかったため、なるほどと納得する。

 あまり殺傷をしないようにニルフィは従属官(フラシオン)に言い含めてあった。彼らが暴れればシャウロンの起こした被害などつむじ風もいいところになる。救援係が火種を大きくしてどうする、というのがニルフィの弁だった。

 

「他には?」

「......残留した霊子からの推測だ。エドラドを倒した相手も、おそらく卍解を使ったはずだ。だがアネットのほうにも姿を見せなかったのを考えると、よくて相討ち。あの時現世にいた死神で卍解を習得していたのが少なくとも三人いた。だが脅威に成りえるのは隊長格だったという一人だろう」

「あー、たしかアネットもそんなこと言ってたね。『褒めて褒めてっ!』って抱き着いてきたから覚えてるよ」

「......十刃(エスパーダ)と比べての判断というだけで、従属官(フラシオン)ならば倒せる力があるとみていい」

「ふぅん。そう、なんだ」

 

 ニルフィの中で大体の死神の強さが分かった気がした。藍染が警戒しているのは死神全体ではなく、おそらく特定のごく少数の死神だろう。その時に十刃(エスパーダ)が必要になるのかもしれない。

 相手が弱いとは思わない。

 しかし従属官(フラシオン)を倒せるレベルならば、こちらの被害も覚悟しなければいけないだろう。

 

「......なに、こちらもただで殺される奴などいない。(あるじ)はドンと構えておけ」

「そんなに威圧感のない容姿だけどね」

「......俺たちが後ろから盛大に殺気を振りまくさ。(あるじ)が『怖いか?』と相手に聞けば、相手は否が応でも頷くだろう」

 

 その光景を想像し、ニルフィは噴き出した。たしかに自分がその相手なら即座に怖いと言う自信がある。

 ただ、その冗談のおかげで少し心が軽くなった。

 

「まぁ、そうだね。こんな言い方ってヒドイけど、たしかにただで死んでくれる人って、ここにはいないよ」

「......ああ」

 

 ニルフィは小さくなってきた渦巻きキャンディを噛み砕く。口の中に甘さが広がるのを感じながら棒を虚弾(バラ)で焼却する。力とは、使い方次第で結構便利な代物だ。

 --そういえば、皆はこの戦いが終わったら......。

 --どうするんだろう?

 藍染の計画が仮に成功した時、破面(アランカル)は今後、どうやって生きていくのだろうか。

 そんな疑問が、ふとニルフィの頭に浮かんだ。

 バラガンは虚圏(ウェコムンド)の王の位を返してもらえるだろうか。スタークたちはまた孤独にならないだろうか。ハリベルは忠誠心の高さゆえに藍染に付いて行くのだろうか。

 他の面々のことが頭に思い浮かぶ。

 そして結論は、その時になってみなければ分からないということだ。

 

「このままが、いいなぁ」

 

 自分の願いが口からこぼれる。

 単なる我が儘。叶わないような願望。絶対に変わるというのに、今というものがいつまでも続くことを望むのは、果たして無意味なことなのか。 

 

「......全ての戦いが終わっても、主は一人にはならないさ」

 

 かすかに驚きを顔に滲ませ、ニルフィがグリーゼを見上げた。

 一番怖かった未来を否定してくれたからだ。

 

「ほんとうに?」

「......ああ、本当だ。勝とうが負けようが、その未来だけは保証する」

「キミも、アネットも、グリムジョーも、リリネットも、ハリベルも、アーロニーロも、バラガンさんも、スタークさんも、えっと、他にも......みんな一緒?」

「......願いというのは欲張るようなものじゃない」

「う、うん。分かってるよ、それくらい」

「......だが欲張るからこその夢だろう。自分の力でそれを掴むために、強くなったんじゃないのか?」

 

 たしかにグリーゼの言う通りだ。もう好きな人たちが死んで欲しくないから鍛錬に力を注いだ。時には盛大に血を流すようなこともあったし、新技を使おうとしてそばを歩いていた東仙に誤射したこともある。

 ほんの少しの自信は付いた。

 

「ありがとうね、グリーゼ」

「......考えて結論を出したのは主だ。俺は適当なことをのたまっただけだ」

 

 自分には出来すぎた従者だとニルフィは思う。

 そうしているうちに目的の部屋に辿り着いた。天井ほどまでありそうな、無駄に高くて大きい扉だ。

 

「......俺はそこら辺を散策している。終わったなら呼んでくれ」

「うん、ありがと」

 

 扉がひとりでに道を開けた。

 主従は頷くと、それぞれ進むべき方向に足を踏み出す。

 ニルフィは入ってすぐの階段を下りながら、隣の相手の表情を見ることすら難しい暗闇に眼を凝らした。中央には藍染が立っており、人の形をしたような石像に結界を施している。

 

「来たね、ニルフィ」

「遅れちゃった?」

「少し早いくらいさ。もう少しだけ待っていてくれ」

 

 藍染を囲むようにあらゆる形の四角に切り取られた石材が置かれていた。ニルフィはまず最初にグリムジョーを探すと、予想通り後ろの高い所を陣取っている。そこに行こうかと思ったが、ふと視線を感じてそちらを見る。

 見覚えのない破面(アランカル)がいる。十刃(エスパーダ)ではない。その従属官(フラシオン)もここへは入ってこれないから、そうでもないのだろう。

 中性的な少年の容姿をしている。じろじろとニルフィのことを無遠慮に眺め回してくる。軽く会釈するとそれを無視してその男はそっぽ向いた。

 その反応に若干傷つきながら、ニルフィは適当な高い位置にある石材を選んで腰かけた。

 来ていないのはウルキオラとヤミーだ。

 足をブラブラさせながら待っていると、近い所にいたハリベルが声を掛けてきた。

 

「久しいな」

「うん、そうだね。最後に会ったのって三週間くらい前だっけ?」

「噂は聞いているが......。遠慮せずとも、いつでも私の宮に来ていいんだぞ。修練にならばいくらでも付き合ってやる」

「えっと、この前だっていきなり押しかけちゃったから」

「だから遠慮はいらない。私でいいのなら力になるさ」

 

 なんだろう、このイケメン。

 

「あはは、ありがと。じゃあ今度行かせてもらうね」

 

 ハリベルが目元を緩ませる。

 

「最初は驚いた。いきなりアヨンと戦わせてほしいとはな」

 

 アネット経由の情報で、ニルフィはアヨンの存在を知った。ハリベルの従属官(フラシオン)たちの左腕を使って現れる怪物は、それ単体で並の従属官(フラシオン)を凌ぎ、むしろペットと称されながら飼い主よりも強すぎた力があった。それがアヨンだ。

 技術もへったくれもないバケモノだったが、あれはあれで圧倒的な力に対抗する術を学べたのだから有意義だっただろう。

 

「おかげで私も多少強くなれたかもしれないね」

「多少、か」

 

 ハリベルが呆れた口調で続けようした時、扉が再び開かれる。

 ウルキオラとヤミーがそこに立っていた。

 

「......来たね、ウルキオラ、ヤミー。--今、終わるところだ」

 

 そう言った藍染が目の前の結界の上に『崩玉』を置く。崩玉によって破面(アランカル)となったニルフィだが、いつ見てもそれはうす気味悪い気配を発していると思う。

 まるで、この世にあってはいけないような。 

 ウルキオラが階段を下りながら藍染に訊いた。

 

「崩玉の覚醒状態は?」

「五割だ。予定通りだよ。尸魂界にとってはね(・・・・・・・・・)

 

 突如として崩玉から超高密度の霊圧が立ち上る。

 

「当然だ。崩玉を直接手にした者でなければ判るはずもない。そして恐らく、崩玉を開発して()ぐに封印し、そのまま一度として封を解かなかった蒲原喜助すらも知るまい」

 

 なんだか結構重要なことを口にした藍染だが、彼はあろうことが、崩玉へと己の指を寄せる。

 崩玉は黒い糸のようなものを藍染の指に触れさせる。

 

「封印から解かれて睡眠状態にある崩玉は、隊長格に倍する霊圧を持つ者と一時的に融合することでーー」

 

 部屋を異常なまでに高められた霊圧が震わせた。

 発生源は崩玉。十刃(エスパーダ)たちもわずかながら反応を見せるほど。

 

「--ほんの一瞬、完全覚醒状態と同等の能力を発揮するということをね」

 

 結界が破裂する。

 人型の石像は表面から崩れ、中から新たな破面(アランカル)を生み出した。服を着ていない、そばかすのある金髪の少年だ。

 藍染がその少年の容姿をした破面(アランカル)に尋ねる。

 

「......名を、聞かせてくれるかい。新たなる同胞よ」

 

 少年はたどたどしく、けれどもしっかりとした言葉を発した。

 

「......ワンダーワイス......。......ワンダーワイス・......マルジェラ......」

 

 見たところ、それほど強そうではない。そして破面(アランカル)となってからの記憶も新しいニルフィは、ワンダーワイスの知能がさほど高くないことに気づく。

 悪戯小僧(ピカロ)、という破面(アランカル)がかつていた。バラガンが暇つぶしに傘下に収めた、群にして個、個にして群という異例な存在だ。そのピカロたちもかつて十刃(エスパーダ)であったらしいが、他の破面(アランカル)以上に集団生活が出来ないため落とされたらしい。

 知能が低すぎては十刃(エスパーダ)にならないとしてもそういった弊害がある。

 目ぼしいのは霊圧が普通より高い所か。まあ、ニルフィのように相手を惑わしている可能性もあるため、実力は一概に言えないだろう。

 よく理解は出来ないが、満足そうな藍染の顔を見ると、儀式は成功のようだ。

 ワンダーワイスは下官たちに連れていかれ、それを見送った藍染がウルキオラに言った。

 

「ーー一か月前に話した指令を憶えているね、ウルキオラ?」

「......はい」

「実行に移ってくれ。決定権を与えよう。好きな者を連れていくといい」

「......了解しました」

「ああ、それと」

 

 いま思い出したかのように藍染が付け足す。それを聞き、ニルフィは自分の口の端に笑みが刻んだのを感じる。

 

「ニルフィ、君は行くだろう?」

「うん」

「頑張ってほしい」

 

 無駄な言葉など並べ立てない。ニルフィにとって必要なのは、藍染が許可を出した、それだけの事実だ。

 藍染は続けて視線を別の方向へと向ける。

 その先のグリムジョーはさっきのニルフィの反応に難しい顔をしていた。藍染は構わず、訊く。

 

「君も一緒に行くかい? グリムジョー」

 

 グリムジョーは考えるように虚空を睨み、そしてさほど時間を掛けずに頷いた。

 

「......ああ」

「そうか。君も、頑張ってくれ」

 

 これで話は終わりとでもいうように藍染は部屋を去る。

 十刃(エスパーダ)たちも各々動き出し、渦はゆっくりと大きく回りだすこととなる。

 

 

 ----------

 

 

 この一か月、ニルフィはグリムジョーの顔すら見ていなかった。

 少しでも話したい。あの声が聴きたい。そう思うものの、グリムジョーは話しかける間もなく部屋を出ていってしまう。彼のあとを追ってニルフィもすぐに扉を潜った。

 しかし立ち塞がるようにして現れた破面(アランカル)がいたことで、足を止める。

 新しい第6十刃(セスタ・エスパーダ)となったルピ・アンテノールがこの男だ。さきほど彼も自分から今回の任務に志願したので覚えている。

 それに関しては何も思わない。ニルフィにとって大切なのはグリムジョー個人であり、称号なぞオマケでしかないからだ。新しく誰が据えられようと、さほど重要なことではなかった。

 

「ルピさん、だよね。私になにか用かな」

「それならキミがニルフィネス?」

「そうだよ。どうせならニルフィって呼んでよ」

「ふぅん」

 

 ルピはニルフィのことを無遠慮に観察してくる。少女は嫌な顔一つせず、ただ相手の意図を測り兼ねていた。

 すこし視線をずらすとグリムジョーの姿はもう無い。

 まもなくして、口を開いたのはルピのほうだった。

 

「キミみたいな奴にグリーゼたちはゴマ擦ってるのかぁ。昔の十刃(エスパーダ)もいまじゃ乞食なみに惨めじゃん」

 

 ニルフィは聞き間違いかと思って相手の顔を伺う。そしてルピの顔に張り付く嘲りは見間違いようもない。

 少女はかすかに柳眉を寄せる。

 

「グリーゼやアネットはそんなんじゃないよ」

「どぉかな。もしかしたらキミの『7』の数字だけにしか興味ないんじゃない? あとで簡単に奪えるようにって。うわぁ、そう考えると狡いなぁ」

「そんなことないよ。だから、それ以上あの二人の顔に泥を塗るような言葉、言わないで」

「なぁに必死になってんのさ。もしかしてあいつらの庇護が無くなるのが怖いの? あいつらも同じくらい必死に媚びてたりしてね。......あ・ごめーん。キミも同じくらい他の十刃(エスパーダ)に媚びてたねぇ」

 

 ニルフィは悟られないように奥歯を噛み締めた。アネットとグリーゼが侮辱されたことが我慢ならない。しかしここで怒ってはルピの思う壺だと、血が滲むのにも頓着せず両手を握りしめ、耐える。

 

「私のことはいくらでも悪口言って構わないよ。......でも。でも、あの二人を(けな)すことなんかしないで」

 

 毅然としてルピを見上げた。

 それを面白くなさそうにしたルピだが、すぐに口元に酷薄そうな笑みを浮かべ、どこまでも純粋な少女を傷つける。

 

「そういえばグリムジョーとも仲良かっただろ。ひょっとしてさっきも追いかけようとしてた?」

「......それがどうしたの?」

 

 とうとうグリムジョーまで引き合いに出されたことで、ニルフィは目を細める。

 途端、ルピが哄笑した。

 

「どうやって取り入ってるんだい。もしかしてその身体を売って、犬みたいに腰振ってるの? それにアイツが食いついた? アハハハハッ、もしそうなら傑作だ! アイツってば性格どころか頭も獣同然ってことだからね。だから何も考えずに現世に行って、腕なんか斬られちゃうんだ。あぁ、まったく。--馬鹿すぎて笑える」

 

 腹の奥がだんだんと冷えていくようだ。今すぐにでも、こんなくだらないことをのたまう相手の口を引き裂きたい。大切な人を貶められるのが、ニルフィは悔しくて、そして悲しかった。自分から挑発しようとしても、その手合いに慣れた相手からはもっとひどい言葉を貰ってしまう。

 今すぐにここを離れようとニルフィは思った。

 体を反転させ、グリーゼを探そうと一歩踏み出そうとし、

 

「特にさぁ、アイツの従属官(フラシオン)だった奴らがひどいよ」

 

 ニルフィの脚が止まった。

 

「ただでさえ最下級大虚(ギリアン)ってだけでも他の奴等よりカスなのに、みっともなく獣君にくっつきまわってさぁ。見苦しいのなんのって。けっこう前からいた奴等だけど、やっと死んでくれてーー清々(せいせい)したよ」

 

 もう、限界だった。幼い精神ではもはや我慢などできない。

 右手に霊子の剣を出現させ、相手の喉笛を狙った正確無比な一撃を放つ。その速度に驚いた様子のルピ。すぐに彼も右手を鉤爪のようにして伸ばす。

 空気が弾けた。

 肉を切断する、あるいは抉るような音は響かなかった。

 それもそのはずだ。ニルフィの甲霊剣(インモルタル)は大剣の刃によって止められ、ルピの右手は横合いから掴まれたことで勢いを失っていた。

 

「......そこまでだ」

「グリーゼ?」

「......出過ぎた真似だったか?」

「ううん。......ごめんなさい」

 

 一瞬にも満たない間に止めに入った従属官(フラシオン)。その姿を見てニルフィの赤く染まっていた視界がもとに戻っていく。みっともないところを見せてしまったのが恥ずかしかった。

 しかしルピは止めるつもりはないようだ。

 それをグリーゼが咎める。

 

「......そこまでだと、言ったはずだが?」

「ちっ、放せよ。ボクはNO.6(セスタ)だぞ」

「......だからどうした」

「はぁ?」

「......十刃(エスパーダ)だから多少なりとも敬えなどと言うつもりか、ルピ・アンテノール。その台詞(せりふ)は今の十刃(エスパーダ)でも貴様しか口にしないことだ。そして俺が敬意を示すのは、俺より強い相手だけだぞ」

 

 ルピの目元が引きつった。グリーゼが完全に格下を相手にするような態度を取っているからだろう。

 そんな相手のことなど気にせず、グリーゼは大剣を背に戻す。そこでニルフィは気づいたが、グリーゼは彼女を背に庇うような立ち位置を守っている。

 

「......こちらの(あるじ)にくだらん戯言(ざれごと)を吹き込まないでもらおうか」

「昔と違って本当に従者って感じだな」

「......従者が主人のように振る舞っては滑稽だろう」

「キミはその主人の座でも狙ってるのか? そうでもなきゃ、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)の真似事なんて、ねぇ」

 

 ルピの言葉で疑心暗鬼になりそうなニルフィは、怯えた目でグリーゼを見上げる。彼に裏切られたら立ち直れないかもしれない。怖い。けれど無意識にグリーゼの死覇装の裾を握っていた。

 それにグリーゼは背中越しに振り返る。苦笑をわずかに滲ませるように肩をすくめた。

 

「......つまらん上にくだらない問いだ。俺もアネットも十刃(エスパーダ)の地位に未練はない。ただ従うと決めただけだ」

 

 そして、

 

「......仮に数字を得るならば、もっと簡単な方法がある」

「なんだよ。それってどういう」

「--ルピ・アンテノール。俺がいまここで貴様を叩き潰せば、NO.6(セスタ)の座は容易(たやす)く手に入るということだ」

 

 重力が急激に増した錯覚。

 グリーゼがどんな表情を浮かべているのか、背後のニルフィでは知りえない。しかし正面に立つルピは冷や汗を流し、懸命に重圧に耐えていた。

 数秒もすると空気がもとに戻った。とぼけたように、グリーゼはもう一度肩をすくめる。

 

「......冗談だ。普通に考えて従属官(フラシオン)十刃(エスパーダ)に勝てる訳がないだろう。なぁ?」

 

 ルピに対して興味を失ったように、グリーゼがニルフィを見下ろす。

 

「......無駄話をし過ぎた。予定も押しているなら、一度宮に戻るか?」

「うん。そうだね。ばいばい、ルピさん」

 

 去り際、ルピは忌々しそうにニルフィを睨んでいた。睨みたいのはこちらだとニルフィは心中で毒づく。思い出しただけでどす黒い感情が胸を支配する。

 しばらく歩いた頃、ようやく落ち着いてきた。

 それを見計らったかのようにグリーゼが新しい飴をくれる。チュッ◯チャプスを口に放り込み、ゆっくりと息を吐く。カシス&レモン味だ。

 

「ごめん」

「......なぜ謝る?」

「だって、もう少しで私がルピさんのことを殺しかけた(・・・・・)から。そうなったらキミたちにも迷惑が掛かるでしょ?」

「......事前に止めたからいいだろう。最初からあの場にはいなかったが、主がなにを言われたかは大体の想像がつく。仕方のないことだ」

「あはは、慰められちゃった。でも付いてきてくれたのがグリーゼで良かったよ」

「......アネットならキレて暴れていただろうな」

 

 グリーゼと同じような止め方をしても、アネットはそれに加えて掴んでいたルピの腕を灰にするぐらいはしていた気がする。冗談に思えないのが彼女の怖い所だった。

 ひとしきり笑うと、ニルフィは俯いた。

 

「ねえ、グリーゼ」

「......なんだ?」

「--ううん。やっぱり、なんでもない」

 

 訊こうとして、止めた。『キミは裏切らないよね?』、なんて。そんな質問をしてしまえば、今度はニルフィがグリーゼのことを侮辱する行為となる。

 グリーゼだけでなく、他の知り合った面々も大切だから信じている。

 これが揺るがないからこそこの一か月を過ごしてきた。

 

「でもね、キミのことは頼りにしてるよ」

「......身に余る光栄だな」

 

 少しばかりおどけた様子でグリーゼは仰々しく一礼する。

 それを見て楽しげに笑うニルフィはーーーーどうやってルピを殺そうかと心の裏側で考えていた。

 

 

 ----------

 

 

 以前の現世の侵攻の時のように、それからしばらくして虚夜宮(ラス・ノーチェス)から姿を消した破面(アランカル)たちがいた。彼らは現世へと向けて歩を進める。

 

 第6十刃(セスタ・エスパーダ)ルピ・アンテノール。

 十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)グリムジョー・ジャガージャック。

 ワンダーワイス・マルジェラ。

 従属官(フラシオン)グリーゼ・ビスティー。

 そしてその主人、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー。

 

 思惑が交差する。されど止まることはない。

 着実にあらゆる魔の手は伸びていた。




黒ニルフィ、(あらわ)

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