東方単車迷走   作:地衣 卑人

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九 鉄と鉄

 

 

 

 深夜。鈍く輝く月が、冷えた鉄の体を照らす。

 此処にいるのは、俺のみ。神奈子が輝夜に話があるらしく、追い払われる形で諏訪子の元にやってきた次第である。

 

「ほら、持ってきたよ」

 

 幼く、それでいて落ち着いた声。酒を取りに行っていた諏訪湖の声である。

 

「かたじけないです」

「いいのいいの、私が飲みたいんだから」

 

 そう言って自分の杯に酒を注ぎ、俺のガソリン投入口にも酒を注ぐ。

 

「……あんた、神話とか詳しい方? 諏訪の大戦とか」

「いえ、全然。外来の神である建御名方神が諏訪に侵入したために起こった、洩矢神をはじめとする土着の神々との戦いなんて全く知りませぬ」

「……中々に面倒臭いやつだね、あんた」

「よく言われます。姫に」

 

 諏訪子が呆れた様子で酒を煽る。性分なので仕方ない。

 

「……まあ、昔あいつと戦ったのさ。結果は知ってるね」

「建御名方の勝利。洩矢神はその配下に、でしたか」

「そうそう。ま、配下とは少し違うけどね」

 

 そう言って、諏訪子が拳大の鉄の輪を取り出す。鈍い光沢を持った黒金が、月の光を受けて光った。

 

「最先端、のつもりだったんだけどねぇ」

「製鉄技術、ですか」

「そう。当時の最先端技術さ。呆気なく負けたけどね」

 

 自分の負けた時のことを笑い、鉄の輪を空に投げる。風を切る音と共に勢いよく空を舞い、甲高い音と共に地に落ちた。

 落ちた輪は、くるくると地面に円を描き、やがてその平べったい体を地面に伏せる。

 

「……鉄はさ」

 

 動かなくなった鉄の輪を見つめ、ぼぅっと諏訪子の話を聞く。

 

「錆びるんだよね。時間が経てばさ」

「……錆び、ですか」

「人が使わなければ。人が手入れをしなければ。人に忘れられたならば。鉄は、錆びる」

 

 当たり前のことである。当たり前だと言うのに、受けたショックは存外に大きい。

 そう、錆びるのだ。鉄は。俺は。

 人が使わなくなれば。人が触らなくなれば。人に忘れられたならば。

 そして、それは……

 

「神も同じ、と?」

「さぁてね。その辺は、神奈子のが詳しいんじゃないかな」

 

 月を見つめ、諏訪子が境内へと跳ねる。鉄が落ちた時の甲高い音とは違う、まだ温かさのある着地音が響く。

 

「……私も、錆びるんですかね」

「どうだろうね。妖怪となったあんたが、鉄として錆びることはないんじゃないかな。壊れるまでさ」

「壊れたかないですねぇ」

「でもま、寿命があるだけ幸せかもしれないね。不死にでもなれば、永遠に苦しみ続ける。罪も重なる。裁く者の所へ行けないしね」

 

 生きることは罪である、とは、何処で聞いた言葉だったか。寿命が伸びれば伸びる程罪が重くなり、死後の苦しみが増えるとするなら、と、そこまで考えて思考を止める。考えても仕方が無い。罪が重くなるからと言って死ぬつもりは無し、死ねもしないのだから。

 

「人間の寿命が、延び始めている」

 

 本の少しだけどね、と付け加えて鉄の輪を拾い、また投げる。先より高く。先より速く。

 

「今は、ほんの少しの寿命の延長。でも、遥か未来にはきっと、人間の寿命は百を超える。もしかしたら、もっと延びるかもしれない」

 

 落ちてきた鉄を掴んではまた投げ、その高度をどんどん高くしていく。もう、神社の屋根より高い。

 

「人が不死に近づくなら。あの娘と違って、普通の人間なら心が腐る。腐っても生き続ける。内側だけが錆びる」

「腐るまで生きたかないですね」

「そう。そう考えて、寿命を減らす努力をし始める。命を人為的に弄り始める。きっと、体が欠けてもそこに合う部品とか作る様になるんだろうね。杖とかじゃなくてさ、人間の体自体を作ったりして」

 

 当たっている。それだけに、何も言えない。指摘されて初めて、自分たちがどれだけ巫山戯たことをしているのかを痛感した。

 人は、己の身体さえも取り替えるようになるのだ。

 

「何もかも技術で解決できるようになって。物理の世界だけを見るようになって。心理の世界の神や妖怪は、忘れ去られて行く」

 

 高く高く上がった鉄の輪が、一瞬、幽かに光って、地に落ちる。今度は、転がることなく動きを止めた。

 

「その時には、私たちも錆びるんだろうねぇ。忘れられた鉄と同じ」

 

 諏訪子が杯を傾け、俺は何も言わずに落ちた鉄を見る。

 少しの間、沈黙が続き、また諏訪子が口を開く。

 

「あんたらが探してる幻想郷。名前だけなら知ってるよ」

「……本当ですか」

「嘘は言わないよ……本当に名前だけ、だけどね。妖怪が一人、ここに来て私に言って行ったよ。ま、さっきの話と似たような話ね。忘れられたその時、この世界と幻想郷を隔離して、そんな忘れられた者の暮らせる世界にする、とかなんとか」

 

 幻想郷。やっと、手がかりを掴んだ。そして、それが作られた意図も。

 

「場所は知らないけどね。自分でさがしな」

「十分です。やっと、手掛かりが得られました……本当にありがとうございます」

 

 からからと諏訪子が笑い、残った酒を一気に流し込んだ。小さな宴会も、これでお開きである。

 

「わたしゃ寝るよ……あ、そうだ」

 

 諏訪子が鉄の輪を拾い、何処から出したのか小さな組紐で俺のハンドルに結び付ける。

 

「御守りだよ。じゃ、寝るね」

 

 礼を言う前に、諏訪子が本殿へと走り去る。

 境内に残ったのは、俺一人。

 

「……幻想郷」

 

 もういちど、その言葉を呟く。

 思っていた楽園は、想像よりも寂しい理由で生まれたものらしい。

 しかし、楽園に変わりはない。たとえ過去に何かあろうと、未来が明るいのならばそれでいい。

 

 明日、輝夜に諏訪子から聞いた話をしよう。

 彼女が、なんと感じるかは分からない。しかし、何か、思うところはあるだろう。

 諏訪子に貰った鉄の輪を眺めながら、俺も、眠りに着くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きなさいって。ちょっと。ねえ」

 

 朝日が眩しい。シートが痛い。聞こえるのは輝夜の声と、バシバシとシートが叩かれる音。どうやら、朝らしい。

 

「お早う御座います、姫様……」

「お早くない。遅いわよ。もう、日があんなに登ってるじゃない」

 

 朝には弱いのだ。もうちょっと優しく起こして欲しい。

 

「やっと起きたか、鉄の」

「……主に起こされるって、いいのかい?」

「いいんで……ないですかね」

「よくない!」

 

 当然、怒る輝夜。笑う二柱。

 だんだん、頭も回り出した。

 

「もう、出るんで?」

「そのつもりだけど。行ける?」

「姫こそ。酔いが残ってたりしませんね?」

「大丈夫よ。なら」

 

 輝夜が二柱に振り返り、頭を下げる。俺も、頭は下げれないが言葉だけは続けさせてもらう。

 

「色々と、ありがとうございました」

「本当、お世話になりました」

 

 二神と笑い合い、輝夜が俺に跨がる。

 

「元気でな!」

「もう転ぶなよ!」

 

 二柱の声を聞くと共に、輝夜がエンジンを駆け、ギアを落とす。クラッチを繋ぐ前、最後に二柱へ礼をした。

 

「行くわよ」

「どうぞ」

 

 クラッチが繋がる。動力が車輪へと伝わる。

 諏訪の二神に見送られ、鉄の体は走り出した。

 

 

 

 目指すは幻想郷。心なしかいつもより心地良い風を受けながら、俺たちは坂を駆け下りた。

 


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