東方単車迷走   作:地衣 卑人

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三十九 夜と鉄

 

 熱を持った鉄の体が、夜の外気に冷やされていく。溜め込んだ熱をファンを使って吐き出すものの、エンジン周りに浮かび上がる陽炎は消えることもなく。

 ライトに照らされた壁。純和風の、木造建築。それは、そう、平安時代に立ち並んだ寝殿にも似た……

 

「……此処か。紫殿の言っていたのは」

 

 こんな所に家があったなど、俺は知らなかった。否、今まではきっと、その存在を隠していたのだ。外界との接触を断ち切り、この、緑の檻の中でひっそりと息を潜めて。

 異変を起こした意図は未だに分からぬままだが、異変の犯人に会えば分かることである。まずは、忍び込むのが第一。

 

「って、どうしても見つかるわなぁ……この図体じゃ」

 

 空を飛べる者ならば、こんな塀など飛び越えれば良いだろう。しかし、俺にはそれが出来ない。扉を潜るか、塀を壊すかの二択である。

 さて、どうしたものか。警備の厳しいであろう門を通ろうが、塀を壊して人目を引こうが、結局は同じことに思える。ならば。

 

「正面から行くかね」

 

 態々、物を壊す必要は無い。塀だって、壊される為に建てられたのでは無いのだから。俺は、エンジンを駆けないまま、その木造の壁に沿って走り出す。

 湿った土、苔。竹の匂い。この状況でなければ、もっとのんびりと散策でも出来ただろうに。緑の大地に、僅かに車輪を沈めながら、この壁を越える為の門を探す。と、その時であった。

 竹林から、一人分の素足が躍り出たのは。

 

「あ」

「……貴女は」

 

 薄い桃色の衣に、一対の兔の耳。妖獣。しかし、この妖獣に、俺は見憶えがあった。

 

「……あの時は、どうも」

「あは、ははは……さよならっ」

「待て」

 

 逃げる兔の足に縄を掛け、宙吊りにする。なんともやる気の無い声を挙げながら、大人しく吊られる兔。どうやら、逃げ切るとは思っていなかったらしい。

 

「お久しぶりー、元気してた?」

「吊られながら、よくそんな台詞が言えますね」

 

 そう、この兔。輝夜を送り届けた後で出会った、あの兔である。転び、一人では起き上がれなくなっていた俺を非情にも放置し、正に脱兎の如く逃げ出した……その後、見ず知らずの不死人が助けてくれたから良かったものの、誰も通りかからなければそのまま不法投棄物になるところであった。その恨み、今晴らさずにしていつ晴らす。

 俺は、吊るした兔をライトの近くに寄せる。

 

「まあ、待ちなさい鉄の獣。釈明の余地ありよ」

「それは、自分に対して言う言葉ではない」

 

 そうだっけ、と、悪びれもせずに宣う素兔。見た目と言動は純粋無垢で無邪気な幼子、しかし、思い出して欲しい。

 彼女と出会ったのは、千と、二百年余りも前の事なのだ。千年生きた妖獣が、こんなにも幼い訳が無い。つまり、この言動は全て、敵を欺く為のフェイクだと考えるのが妥当であろう。

 この兔、玄い。

 

「私は、騙されはしませんよ。鰐達とは違って」

「いやだなぁ、騙すなんて。ちょっと、説得して言いくるめるだけだって」

 

 同じである。

 

「あの時見捨てたのは謝るわ。でも、私だって望んであんな事をしたわけじゃないのよ。ただ、貴方の幸せを邪魔したくなかっただけ」

「……幸せ?」

「こうして貴方と再会したと言う事は、あの後誰かに助けてもらったんでしょう? その相手は、貴方のラッキーパーソン。私の能力によって引き寄せられた、ね」

 

 確かに、あの時はそう待たずして助けが来た。それも、不死だと名乗る少女。偶然と言うには、出来すぎている気がしないでもない。

 

「ね、思い当たるでしょ? 私の能力は、人を幸せにする能力。訪れるのは些細な幸せかもしれないし、もしかしたら大きな幸せかもしれない。でも、私があの場にいて貴方を助け出していたら、貴方はその恩人さんに出会うことは出来なかったのよ」

 

 彼女が語る話は、俄かには信じ難い。逃げ場を失った子供の、最後の言い逃れにも聞こえる。しかし。

 俺の知り合いにも、人の禍福を操れる者がいるのだ。紅い糸を手繰り、運命を操る悪魔が。ならば、この兔の言う事も、真実なのではないだろうか。この幻想郷。千年以上生きた兔ならば、幸福な運命を呼び寄せる力が宿ることも、在り得るのではないだろうか。

 俺は、彼女をゆっくりと降ろす。彼女が足を地につけた所で、縄を解いた。

 

「申し訳ありません。まさか貴女に、そのような意図があったとも知らずに」

「良いのよ。あの時の私は、確かに貴方を見捨てたのだから。これぐらいの報いは、受けて当然だわ」

 

 縄の跡の付いた足を摩りながら、兔が言う。本当、出来た兔である。

 唐突に吊るし上げたことを土下座して謝りたくもなったが、生憎ながら頭を下げることはおろか座することすらも出来ない。心の中で地に頭をつけながら、兔に問うた。

 

「もしや、貴女はこの屋敷の……」

「如何にも、私はこの屋敷の主の配下、因幡てゐ。幸運の素兔よ」

 

 屋敷の真横で出会ったのでもしやと思ったが、やはり、この屋敷の住人だったか。今は異変の最中であり、この屋敷の主はその異変の犯人であるという疑惑が掛けられている、つまりは敵である。この兔も、また。

 

「貴方は?」

「ああ、申し遅れました。私は、単車という乗り物。憑喪神のような物で御座います」

「ふぅん。やっぱり」

 

 やっぱり?

 

「貴方のことは、姫から聞いてるよ。紅くて、鉄製で、すこしカマドウマに似てる乗り物だって。貴方なら、通してもいいんじゃないかな」

「ま、待って下さい。私は、異変を解決しに……」

「まあ、まあ。どうせ月の異変なんて、朝になれば勝手に解決するよ。今は、姫の所にね」

 

 兔が、俺の前を跳ねる。まるで、先導するように。

 状況は飲み込めないが、どうやら相手は俺のことを知っているようである。ならば、このまま通された方が、楽に事は進む。

 知り合いならば、説得すれば良い。そうでなければ。

 

「仕方が無い」

 

 満月を奪いとるまで、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い廊下を、因幡と共に進む。辺りを跳ね回る兔達を眺めながら、ゆっくりと、床を軋ませて行く。そのうち抜けそうで怖い。

 

「それにしても」

 

 兔の多いこと。前を行くてゐを始めとし、人に化けた兔や、四つ足で跳ね回る普通の兎まで。無数の兔が、まるで何かを守るかのように廊下で犇き合っている。

 守るのは、この屋敷の主か、はてまたこの因幡てゐか。

 

「てーゐー! 何処に行ってたのよ!」

 

 そこにかかる、少女の声。見れば、そこには一羽の兔……否。

 

「っつ、月の使者か!」

 

 思わず身構え、エンジンを駆けた上でフェムトファイバーを構える。輝夜を送り届けるまでは、ずっと敵対しあっていた月の民。その敵対関係は、途絶えた訳ではない。

 

「な、何!? 私はもう、月の都とは縁を……って」

 

 兔の紅い目が、俺の腕を凝視する。その目に映るのは、驚愕。そういえば、このフェムトファイバーは月の道具であったか。

 

「まさか、月の使者? 無人機でも送りこんだのかしら?」

 

 彼女の紅い目が、怪しく輝く。その光は、月の光のそれ。狂気をもたらす、真実の月の放つ光。

 やらなけやば、やられる。先手必勝とばかりに、俺が飛び出そうとした時であった。

 俺と月の兔の間に、地上の兔が立ちはだかったのは。

 

「てゐ殿! 下がってください!」

「てゐ! 退いて、そいつは敵よ!」

「まあ、待ちなさい、二人とも。互いに勘違いだって」

 

 てゐが、緊張感の無い声で話し始める。俺は、とりあえずエンジンを切った。

 

「まず、鈴仙。彼は、月の使者なんかじゃないわ。ほら、姫が偶に話すでしょ? 使者から逃げる時に乗った、単車って言う乗り物のこと」

「……あ、もしかして」

「次に、単車さん。あの兔は、確かに月の兔。でも、月から逃げ出した兔で、今はこの永遠亭で共に暮らしているわ。そう、貴方が守った姫を守りながらね」

「……姫って、まさか」

 

 月の兔、鈴仙。そして、彼女が守る、姫……

 月の異変、月の民。竹林に建つ、永遠を冠した建物に、姫。

 まさか、この屋敷にいるのは。満月を掠め盗った、犯人は……

 

「輝夜?」

 

 俺は、かつての主の名を、誰にも聞こえぬ声量で呟いた。

 

 

 

 

 

 

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 無数の兔が跳び交う屋敷を、霊夢達と共に飛ぶ。紫の話では、どうやら幽々子達が先に忍び込んだようだが、今の所彼女等の姿は確認出来ずにいる。多分、既に先へと進んでいるのだろう。

 兔達の放つ弾幕を躱しながら、咲夜に命じる。

 

「咲夜」

 

 目を合わせれば、自ずと私の言わんとする事が通じる。彼女が返事をするよりも早く、その目が紅く輝きだした。

 

「お任せ下さい、お嬢様」

 

 返事と共に、数本のナイフが咲夜の手の中に現れる。まるで、奇術のように現れたそれは、薄暗い和製の廊下の上に無機質な幾何学模様を描き出す。銀のナイフは空中でくるくると回り、まるで咲夜の命令を待つかのようにその場に停まった。

 

「貴方達の行動も時も、全て私の手の中。幻符『殺人ドール』」

 

 澄んだ声が、銀のナイフに意思を与える。無機質な刃は宙を舞い、跳ねる兔の群を撃ち抜く。銀の軌道は、まるで人形へと伸びた糸のように。放つ少女は、まるで自分が感情を持たず、主の命に従う人形だと言うかのように。

 咲夜は、妖獣の群を駆逐していく。

 

「おっかないわねぇ。あんたんとこのメイドは」

「自慢のメイドよ。悪魔の館に相応しい」

 

 撃ち抜かれた兔達も、ナイフ一本で死に逝くほど柔では無い。その体は人間や普通の獣よりもずっと頑丈らしく、ナイフが当たってもその体を床に落とすだけに留まり、刃の刺さった者は見受けられない。

 それより、本当におっかないのは、咲夜の落とし損ねた兔をお祓い棒で殴り落としていく霊夢だ。頭にたんこぶを作った兔達が、次々と床に落ちていく様は、哀愁を誘うには十分だった。

 

「はあ。それにしても長いわねぇ、この廊下。一体、どこまで続くんだか」

 

 あくびをしながらぼやく霊夢だが、そんなにのんびりとしてはいられない。廊下の先から、そこらの兔とは違う気配が近付いて来ている。

 人間には、少々毒気の強過ぎる者。狂気を孕んだ、月の満ち欠けにも似た力。視線を交えれば、きっとその深淵へと引きずりこまれるであろう、狂おしい波長。

 

「……霊夢、紫。先に行きなさい」

 

 黙々と兔を叩き落とす霊夢と、それを眺める紫に声をかける。そんなに、兔を叩くのが楽しいのか。少し眠たげな目をした霊夢を尻目に、紫に目線を投げた。

 

「あら、優しい所もあるじゃない」

「前にも聞いたわね。ほら、さっさといく」

 

 半ば強引に、紫を送り出す。近付く気配の主が気付く前に、彼女達は先に進ませなければならない。

 

「ほら、霊夢、行くわよ。兔なんて叩いてないで」

 

 紫が霊夢を引っ張りながらも、速度を上げて飛び始める。状況を把握してか、それともただ単に抵抗が面倒だったのか、霊夢は紫に引かれたまま私から離れていった。私は羽ばたく速度を落とし、兔を駆逐中の咲夜に、また、命令を下す。

 

「咲夜」

「ここにいますわ」

 

 真横から、声がかかる。本当、出来たメイドだと、そう思う。

 

「そう、それでいいの。行くわよ」

 

 近付く気配は、地上の生物のものでは無い。それは、古きの満月の光が抱いていた力。ならば、この異変の首謀者はきっと、月の者なのだろう。

 先に進んでいるであろう、幽々子達に、霊夢に紫。そして、私の単車。五対一ならば、月の者を相手取っても負ける事は無いだろう。

 だから、私は。

 ここで、もう一体の月の生物の相手をすることにした。霊夢達の邪魔をさせないように、私達がここで抑え付ける。

 

「遅かったわね」

 

 月の兔。私は、その紅い瞳に視線を重ね、翼を広げ、この身に宿した妖気を放つ。傍では咲夜が、その手にナイフを握り宙に停まった。

 私達の気配と妖気に紛れて、霊夢達は異変の首謀者の元へと向かっていく。

 満月を掠め盗った、犯人を撃ち抜く為に。

 

 

 

 


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