聖の居るという本堂前に、一匹の鼠と一台の単車。片方は、鼠でありながら人の姿をとり、もう片方は物の癖に自分で勝手に動き回るおかしな単車。見て分かる妖怪二人組である。
いいのだろうか。聖が妖怪と面会なんて、周りに知られれば唯で済む筈がない。
「いいのですか? 本当に」
「ああ、構わない。訳ありの寺だと言っただろう」
訳ありというのは、てっきり毘沙門天の事だけかと思っていたが、どうやらまだ何か有るらしい。
「聖。彼を連れて着た。開けても構わないかい?」
「ええ、どうぞ」
ナズーリンが扉を開ける。俺の本体は、またもや階段の下。今度もまたヘルメットを通しての面会である。
「はじめまして。この寺にて責任者を務めております、白蓮と申します」
『はじめまして……しがない乗り物妖怪でございます。階段を登れないもので、一部だけでの参拝となってしまったこと、お許し下さい』
「構いませんよ」
ナズーリンが俺を座布団の上に置き、一つ礼をして部屋を出て行く。俺と聖、一対一。
「改めて、ようこそいらっしゃいました。ナズーリンから話は聞いています。大変、お世話になったようで」
『いえ、そんな。私自身は、何も』
「台風の中、一晩泊めて頂いたのでしょう?」
まあ、泊めるに至るまでに一騒動あったわけだが。
「そして、妖怪でありながら、仏を敬っている。誠に、立派な心掛けです」
やはり、妖怪が参拝に来るというのは珍しいのだろうか。しかし、星は元妖怪で、聖に推薦されたと言っていた。聖も今、俺を前にして特に警戒するでもなく普通に会話している。
寺と妖怪。一体何が、その間を繋いでいるのか……まあ、間違いなくこの聖が、なのであろうが。
『ところで……不躾ですが、聖様』
「なんでしょう。あと、聖で結構ですよ」
『では、聖……貴女は、妖怪なのでございましょうか』
「……妖怪に、見えますか」
少しだけ驚いた様子で。しかし、怒りも落胆もせずに、変わらぬ口調で俺に尋ねる。
『見えるってか……妖気を溜め込んでいるようでしたので、もしやと』
「……やっぱり、見る人が見れば分かるものなのですね」
あっさりと肯定する聖。となると、この寺にいるのは全員……
『先に、一輪という尼僧に会いましたが、彼女も?』
「彼女は、人から妖怪となったもの。私もまた、元人間……今は、妖怪と変わらないみたいですけどね」
『これまた、どうして妖怪に?』
今度は、少し言い難そうな顔をする。訳あり、らしい。
言えないならば言わなくても、と付け加えた所で、白蓮が口を開いた。
「命蓮の名を、知っていますか」
『有名ですし、噂程度には』
「彼は、私の弟なんです」
『弟?』
命蓮に姉がいたとは。本当に、噂程度にしか知らなかったので、倉を飛ばした云々、帝の病を治した然々。それ以上は、聞いたことがなかった。
「弟は、本当に優秀で……私が送った僧衣も、ボロボロになるまで着続けてくれて……」
暖かな笑顔。命蓮がどの様な人物だったのかが窺える。
が。その笑顔も、唐突に暗くなる。今は亡き人の事を語るのならば、当たり前の事かもしれないが。
「そんな命蓮も、若くして亡くなり。私は、死というものを恐れました。本当に、どうしようもなく恐れた……あの弟さえも、抗えなかった、死を。そして、私は」
白蓮の言葉が止まる。俺は、続く言葉を待つ。
「外法に手を出した。今は、妖怪から妖気を分けて貰って生きている身です……幻滅しましたか?」
『いえ、そんな……誰でも、死ぬのは怖いもんですし。貴女は、それに抗って超えただけで』
「そういうと、少しは聞こえが良いですね……でも、実際は、寺に妖怪を住まわせて妖気を吸って生き永らえるだけ。自分の命を保つためだけに、妖怪と共に生きていました」
『と、なると、今は?』
「今は……妖怪の立場の向上を。妖怪と人の共存を目指して、共に生きています」
『妖怪と人との共存……ですか』
何処かで、聞いた気がする。
「……無理だと、思われますか」
実際、難しいだろう。何百年、何千年かかるか分からない。
『難しいでしょうねぇ。不可能に近い……唯、どうしてそのような考えを?』
「……貴方も、妖怪だからという理由で追われたりもするでしょう?」
『まあ、それなりに』
「人に害を成さない者や、穏やかに暮らしたいという者もいる。それに」
俺だって、妖怪であるばかりに退治されそうになったり、寺や神社からは閉め出されたり。人間を乗せる事も出来やしない。しかし、だ。
それをどうにかすることもまた、出来やしないのであろう。
「気付いたのです。妖怪も、仏も、神も。扱いこそ違えど、本質は同じであることに。人の、勝手な思い込みが、その姿を変えていることに。そうして、迫害される妖怪達が不憫でならない。そう、感じて」
白蓮の目は、しっかりと俺を見据える。決意か、覚悟か。何れにせよ、俺が何か言ったところで揺らぐことはなさそうである。言うつもりも無いのだが。
「私は、作りたい。人も妖怪も神も仏も、同じ。全てを受け入れる、そんな世界を」
全てを受け入れる世界。
その言葉も、何処かで……
『ああ』
思い出した。
四百年前、太子の言葉だ。
先の、人間と妖怪の共存、は、永琳から幻想郷について説明された時。ざっと、二百年前。
ゆっくりと、しかし、確実に、人と妖怪の共存の道は出来ていっているらしい。力有る者が、永きを生きる者が、もう三人もその道を目指しているのだ。形は違えど、いつかは……
復活した太子が人の世を治め、永琳や諏訪子から聞いた妖怪の賢者。その賢者が妖怪達を纏め上げ、そして白蓮が妖怪と人とを繋げる。
見事な大団円。無論、彼女達はまだ互いにその存在を知らないのであろうが、それぞれが思いを曲げず、望む世界を作ろうとするならば、何処かで接点を持つはずである。成功したならば、の話だが。
「……どうでしょう。少しでも共感して頂ければいいのですが」
『私は、好きですよ。そういう話。とても、難しいでしょうけど』
夢の見過ぎ、なんて言葉が脳裏を過るも、自分の行く末を案じたその言葉も、今日ばかりは華麗にスルーしておく。野暮、というものである。
『私にできる事があれば、なんでも言って下さいな。足になるくらいの事しか出来ませんが、微力を尽くしましょう』
「……! ありがとうございます!」
永い永い妖怪の一生。どうせなら、何かを成してから死にたい、と、思ったしまうのは元人間だからなのか。兎角、俺は聖の計画に賛同したのであった。
聖と話したのは、大して長い時間でもなく。ナズーリンに頼んで堂の外へ出してもらった今も、太陽は変わらず空高くに輝いていた。一日が長い。
「どうだった?」
ナズーリンが、ヘルメットを背もたれに嵌め込みながら言う。
「ええ。非常に共感したので、手伝わせて頂くことに」
「ほう……案外良いやつだな、君も」
「いえいえ、そんな……もっと褒めて貰っても構いませんよ」
「前言撤回。やっぱり一言多いな」
ナズーリンの苦言を聞き流し、さっきよりも低くなった目線から、青い青い空を見上げる。そう、俺の心はこの青い空のように澄み切ったものに違いない。なんて、言えるほどに徳を重ねて来た訳では無いのだが。
青い、青い空。見渡せば、遠くの方で鳥や雲、船なんかが……
「……幻覚が見えまする。熱中症やもしれませんな」
「幻覚?」
怪訝な顔をして、辺りを見回すナズーリン。と、彼女の視線が、俺の眺めていた方向で止まる。
「ああ。あれの事か」
彼女にも見えるのならば、幻覚ではないらしい。ならば、やはり船か。
空飛ぶ船。といっても飛行船なんて洒落たものではなく、空に浮かぶその船は、海に浮かべるべき船そのものである。
「おお……降りてきた……」
碇が降ろされ、船がその碇についた縄を手繰り寄せるように地上に近付く。船、船である。空飛ぶ船。まるで宇宙戦艦。目指せ、銀河の彼方。
「かっこいい……惚れる」
「は?」
ナズーリンが、俺に何とも言えない表情を向ける。
「やっぱり、乗り物は、乗り物に対してそういう感情を抱くのかい?」
「……聞かなかったことにして下さい。悲しくなってきた」
「……分かった。すまない」
俺は健全。健全だ。元人間として、乗り物に恋愛感情なんて抱くわけにはいかないのだ。でも格好良いな。
そんなことを考えてる内に、船の上から一人の少女が降りて来る。
「ただいま、ナズーリン」
「おかえり」
手に柄杓をもった、少女。元気良く飛び出して来た彼女だが、その気質に生の温もりは感じず。感じるのは、青白く冷たい霊気……船幽霊であろうか。
「ん……だれか、妖怪来た? 妖気を感じるけど」
「ん、ああ。目の前にいるよ」
「いや、あなたじゃなくて」
彼女から見れば、俺は妖怪にはカウントされないらしい。当たり前である。物だもの。
「私以外にも、もう一人いるよ」
「えー……姿が見えない系?」
「ちゃんと見える系」
きょろきょろと、辺りを見回すも、やはり俺のこととは気付かない。
「……んー、どこ? てか、何これ。椅子?」
「まぁ、座るものであることには変わりはないが」
ナズーリンは、俺に意思があることを明かさず。俺は、ひたすら唯の物のように動かず。
彼女が、俺に腰掛ける。
「あ、以外と座り易い」
「ところで、さっき言ってた妖怪だが……そいつなら」
「私ですよ」
「うぇえ!?」
俺が突然喋り出し、素っ頓狂な声をあげて俺から飛び退く。隣ではナズーリンが笑っている。彼女も、おれと同じくらい意地が悪い。
「な、え? 喋った?」
「どうも、乗り物から変化した妖怪に御座いまする。何卒、宜しくお願い致します」
「ちょ、ナズーリン!」
「私は、何も言ってないよ」
未だに少し笑いながらそんな事を宣うナズーリン。無論、確信犯である。
「あ、あなたも言ってよ! 乗る前に!」
「言う前に乗られたもので」
よくも抜け抜けとこんな言葉を吐き出せるものだと、我ながら感心する。
「あー、もう! 全く!」
「まあまあ……聖の考えに賛同してくれた者だ。そんなに怒るんじゃない」
「怒るようなことするからでしょ!」
顔を少し赤らめた彼女を、ナズーリンがなだめる。俺は、彼女が落ち着くまでは素知らぬ顔をしてやり過ごす。顔なんて無いけど。
「はぁ……私は、村沙水蜜。この船、聖輦船の船長よ」
「聖輦船……」
「乗ってみたい? って、あなたも乗り物って言ったっけ」
「ええ。乗ります?」
「えぇ……」
やはり、さっき乗ったときに驚かしたからか、乗るのを躊躇する村沙。
「安心したまえ、私だって乗ったんだ」
「ん……それなら……」
村沙が恐る恐る俺に腰掛ける。
「馬みたいな感じで跨って下さい。前の棒は、舵に当たります」
「了解」
村沙が俺に跨り、ハンドルに手をかける。
「そうそう。体を支えるのは足の力で……挟み込むように。あ、後ろにある丸いのも被って」
「丸いの? これ?」
「安全のための防具です。頭を守る」
「了解」
やはり、船の船長をやっているからか。死ぬことのない幽霊であるにも関わらず、躊躇せずにヘルメットを被る。安全第一なのは、どの乗り物でも変わらないものらしい。
「うん。大丈夫。あ、運転なんて出来ないけど」
「私が動きますんで、まずは乗っていて下さいな。気に入りましたら、運転の仕方も教えます」
「了解」
ミラー確認。ギアがニュートラルに入っているかの確認。エンジンのスタート。彼女にも、教える事になるのだろうか。
「行きますよ。振り落とされないように、しっかり」
「足に力を込めるのね」
「そう。では」
ギアをローに落とし、少しずつアクセルを回しながらクラッチをゆっくりと繋げていく。
はじめは、ゆっくり。振り落とさないように。
段々と、速度を上げて。広めの庭をいっぱいに使って、八の字を描いたり、直進してみたり。
半刻ほど、彼女を乗せて走っていた。
元いた位置に戻ってみると、白蓮や一輪の姿が。エンジン音を聞いて見に来たのだろう。
「あらあら……おかえりなさい、水蜜」
「あ、ただいま戻りました、聖」
「もしかして、音、煩かったですかね……?」
「まあ、少しだけ。でも、便利そうね。速くて、小さくて……」
聖は、何かを考えるように押し黙る。
「……そうね。貴方には、布教活動でも頼みましょうか」
「布教?」
壺を持って自宅まで押しかければいいのだろうか。押し売りは良くないと思う。
「私に賛同してくれる妖怪を探して、連れてきてもらうだけでいいのです。そうね、水蜜」
「はい!」
「貴女も一緒に行ってもらっていいかしら。説明もいるでしょうし、船を動かさない時に出来る仕事が欲しいと言っていたでしょう?」
村沙がちらりと俺を見る。了解を求めているのか。俺の了解なんて要らないというのに。
「ご自由にどうぞ」
短く、答える。俺は物。使われるために在るのだ。使わせるために在るのではない。
「……はい。行きます!」
「ありがとう、水蜜。では」
白蓮が俺の方を向く。
「貴方も、この寺で暮らして貰って構わないかしら」
「……此処に置いて頂けるので?」
「貴方さえ、良ければ」
寺暮らし。それも、いいかもしれない。どうせ、彼女の夢を実現するまでは、共に活動していくつもりなのだし。
「勿論、喜んで」
その夜。
喋れることを隠していたことで一輪に叱られたりその後ろに現れた雲山の迫力にびびったり。とりあえず寺にいる妖怪達と顔合わせをした後、俺は、毘沙門天の居る堂……昼間、星と話した堂の裏手に停まっていた。俺は大丈夫だと言ったのだが、小さな小屋を作るのだと白蓮は言って聞かず。明日にでも作り始める予定のようだ。
実を言えば、ありがたい。小屋が出来たなら、元居た小屋にあった物も一緒に運んで貰おうか。村沙に頼めば直ぐに終わりそうだし。
「いる?」
村沙の声が聞こえるが早いか、堂の影からひょっこりと声の主が顔を出した。
「ちょうど留守ですね」
「目の前で言わないでよ」
村沙が俺の隣に立つ。
「乗ってみていい?」
「許可なんていりませんよ」
「了解」
村沙が俺に跨る。ハンドルやブレーキに手を足をかけ、色々と動かしてみる。
「ここを回すと速くなって、ここで止まる、と……ねぇ、これはなんの意味があるの?」
クラッチを握ったり開いたりしながら、俺に聞く。
「それは、動力を車輪に伝えるかどうかを決めるための物です」
「んんん?」
「船の櫂を思い浮かべて下さい。櫂をどれだけこいでも、その櫂が水面に着いていなければ船は進みませんね?」
「うん」
「その棒を握り締めた時は、櫂が水面に着いていない状態。それを開いていくと、徐々に水面に櫂が入っていく……そんな感じです」
「ああ、なるほど」
「ちなみに、その部分の名前はクラッチと言います。右の回す場所はアクセル。それを回しただけ、櫂を漕ぐ速度が速くなると思って下さい」
「ふむふむ……」
なるべく分かりやすく、運転の方法を教えていく。嘗て、輝夜に教えた時のように。
「右の棒は、車輪を止めるための物。ブレーキ、といいます。右足の踏む部分も、ですね」
「何か違うの?」
「止める強さと、前輪後輪の違いですね。前のブレーキの方が強い。そして、後ろのブレーキは後輪に対して働いて、それほど強くもありません」
「ふーん……難しいなぁ……」
確かに難しい、が。
この時代には、他に車なんて走っていないのだ。道路は悪いが、それでも、他に車がいないと言うのは楽なものである。
つまり。
「一度乗れるようになれば、後は楽ですよ。練習すれば、すぐに乗れるようになります。で、左足ですけど」
「まだあるの?」
こうして、村沙が俺に乗るようになり、人と妖の共存を望む聖の元、俺の寺暮らし生活が始まったのであった。
「ねぇ、碇積んでいい?」
「駄目です」