第七話 「千里に遣して君命を辱めず」
「高度二千四〇〇、対地速度二万八〇〇〇」
「地球大気圏離脱します」
艦橋に差し込みつつある光と、艦橋内の喧騒が、私をしばしの回想から呼び戻した。
上空を見上げれば、つい先程まで浮かんでいた青く輝く明星ではなく、赤く焼け爛れた岩の塊となった地球の姿があった。
初めてこの惑星に降り立つ時、私を暖かく包みこんで迎えてくれた腕は今や血まみれなのだ。
「よし、第二宇宙速度へ切り替えろ」
「宜候ー」
回想の余韻を振り払うべく命令を下した。
同時に島航海長の操作で、大気圏内航行バランス調整のための両翼が収容され、二基の補助エンジンの出力が上がる。
「右舷前方に艦影探知。数二、識別信号グリーン。『キリシマ』、『チョウカイ』です」
レーダーを見ていた森船務長からの報告に、私は双眼鏡を構えて目を凝らした。
古代戦術長達が持っているのに比べて、私の双眼鏡は一回り大きく、旧時代に使われていたものに近い形状で――無論性能は最新式――首に提げるための赤い紐が付いている上級指揮官用のものだ。
大きさ故に持ち運びには不便なため当の上級指揮官達には敬遠されがちだが、私としてはこちらのほうが慣れ親しんでいる。
『キリシマ』とそのやや右舷前方を航行する『チョウカイ』は、赤と黄色で塗装された船体を所々黒く染め、砲塔やミサイル発射口からは濛々と煙を上げていた。
実に痛ましい姿。だが、彼らはその傷を圧して血を吐きながら戦い、我々を救った者たちであった。
「総員、右舷に注意、起立せよ」
私は、危険のない限り、できるだけ『キリシマ』に『ヤマト』を近づけるように命じるとともに、総員に礼式準備を命じた。
海上であれば登舷礼式と言って、乗員を上甲板舷側に沿って整列させるものだが、宇宙では船外作業服を着用しなければならず、そんな時間はないため、全乗員は一部の要員を除いてモニター越しに敬礼することになる。
「『キリシマ』より発光信号」
二隻の武勲艦の左舷を通過する際、相原通信長が『キリシマ』からの信号を読み上げる。
「『貴艦ノ健闘ト航海ノ無事ヲ祈ル』・・・・・・以上です」
「返信、『有難ウ、我、必ズヤ期待ニ答エントス』」
「総員敬礼!!」
沖田提督が返信の命令を出し、次いで私が総員敬礼を命じた。
『キリシマ』の艦橋には、敬礼する土方提督や山南艦長達の姿があったが、失礼ながら私の視線はやはり『チョウカイ』に向いた。
『チョウカイ』の艦橋から、三木幹夫副長、田中一郎砲雷長、水谷寛雄航海長、古川勇通信長といった、見慣れた面々が一様に『ヤマト』に向けて敬礼しているのが見えた。
――あいつらと・・・・・・
共に戦ったのだということが誇らしいものとして私の心にフツフツと沸き上がってきた。
――必ず帰ってくるからな、貴様らも死ぬんじゃないぞ!!
私は傷付き果てた『チョウカイ』を前にして改めて心固く誓った。
嘗ての『大和』の出撃は、“一億総特攻の魁”として“死ぬ”ことを目的とした特攻であったが、今度の『ヤマト』出撃は違う。
幾億、幾十億という命と故郷を救うための出撃であることに変わりはないが、今我々に求められるものは“死”ではなく、“生”なのだ。
無論出撃に当たって死は覚悟しなければならないが、我々はその捨て身の精神を発揮し、ひたすらイスカンダル目指して突き進むのみ。
「諸君、これより『ヤマト』は火星宙域に向かい、計画第一段階であるワープテスト実施に伴うブリーフィングを行う。艦長以下の主要幹部は火星到達後、中央作戦室に集合せよ。以上だ」
訓示を終えた沖田提督は、私に向けて頷かれた。
私も頷き返すと、視線を前方へと向ける。
感傷に浸るのはここまでだ。我々にはやらなければならないことが山ほどある。
「本艦はこれより月軌道を抜け、火星宙域へと向かう。航海長、巡航速度で進撃せよ」
「了解、巡航速度で火星に向かいます」
島航海長が復唱すると同時に、『ヤマト』のメインエンジンの出力が上がり、27Sノットで進撃を開始した。
火星宙域までの航海は『ヤマト』巡航速度で約一日の短い道のりで、ガミラスからの襲撃もなく極めて平穏なものであったが、私はこの時間を無為に過ごすつもりはなかった。
予てから決めていたことだが、私はこの僅かな時間の航海を戦闘航海そのままの訓練に徹することとし、その旨を全艦に通達、奮起を促した。
「総員へ艦長達す。本艦はこれより火星宙域に向けて航行を開始するが、今更言うまでもなく現在この太陽系宙域全てが既にガミラスの勢力圏である。目下のところこれを如何にして突破するかが重要な課題であるが、ただ一つ言えることは生き残り、勝利するためには何よりも強くなければならない。諸君達はこの日のための特殊訓練を受けた精鋭たちであり、先の弾道弾迎撃から出航における手並みは見事であり、まことにご苦労であった。しかし、私を含め、諸君達は数日のうちに『ヤマト』に乗り組んだばかりであり、十分な配置教育、訓練を行ってはおらず、各部署単位の戦力、ひいては艦全体としての総合戦力は未だ完璧とは言えない。
したがって、これより火星到着までのあいだに戦闘航海訓練を実施する。一刻も早く諸君らにはこの艦に慣れてもらい、自らの配置を我が家同様に知り尽くしてもらいたい。以上」
私は――と言うより帝国海軍全体がそうだったが――前世から一貫して猛訓練主義である。
こと現世に於いては『大和』艦長時代に十分な訓練を行えないままに出撃し、結果として沈めてしまったということが一種のトラウマとなったことで、尚の事訓練を重視していた。
『ヤマト』に乗り組んだ者たちは揃って優秀な粒ぞろいだが、いかんせん各自極秘裡に訓練を受けていたために摺り合わせががほとんど出来ていない状態であった。
先に述べた通り、軍艦とは常に乗組員全員が生死を共にした運命共同体である。
その中で生の確率を上げ、戦いに勝つためには、まず渾然一体とならなければならない。
これには本来相当な月日が必要となるのだが、今はそんな悠長なことは言ってられない。
往復33万6千光年という距離を一年という僅かな時間で成し遂げなければならない我々にとって、まさに一分一秒が命も同然に貴重なのである。
「総員配置につけ!!」
私のこの号令から始まって、『ヤマト』艦内にそれぞれの各部署責任者の声が飛び交い、乗組員達は機敏に動き回った。
出航早々――それも危機を一つ乗り越えた直後――の休む間もなく発令された訓練であったが、さすがに選ばれた精鋭達だけあって、初めての割にはもたもた、まごまご等と酷評するようなものではない。
「総員配置終わりました、時間九分四十五秒」
「遅い。あと五分短縮するまで繰り返せ」
だが、嘗て鍛え上げた帝国海軍の将兵たちに比べればまだ粗いところがある。
「火星到着までにできなくても、できるまで繰り返す。練度が上がらなければワープテストはできないと思え」
ちと厳しいとは思ったし、計画に遅れが出ることも覚悟して私は言った。
ほんの僅かでも未熟な処があるうちは太陽系外に出すわけにはいかない。
加藤寛治大将ではないが「まだ足らん」である。
「まったく、ウチの艦長には思いやりがないよ」
乗組員の中にはそんな不満をこぼすものもいたが、これは必要なことであって私事ではない。私は一切妥協する気はなかった。
「自分の艦の基本も分からないのに艦と運命を共にできるか!!」
そう叱咤激励しつつ、とにかくこの航海の厳しさを理解させ、渾然一体となるべく、馬車馬のごとく猪突猛進、一生懸命に努力した。
そのうちに、各自の摺り合わせも次第に出来てきて、それぞれが使用している機器の持つ癖なども見えてくる。
“日進月歩”ならぬ“秒進分歩”の成果はしっかりと現れた。
「総員配置終わりました、時間五分五十四秒」
「・・・・・・よし、いいだろう」
火星にまもなく到着というところで、まず一通りの訓練は終了となった。
気づけば実に十六時間に及んだ訓練に乗組員たちも流石にクタクタであったが、動作と目の色は変わり、各自の摺り合わせも出来ていて、十分な自信をつけていた。
この猛訓練の成果は、これ以降の航海に於いて『ヤマト』乗組員達が如何なる不意、不測の事態にも素早く行動できたことが何よりの証左である。
―――――
「諸君、イスカンダルへの旅は光の速度で航行しても、往復33万6千年という時間を費やすものとなる。それを我々は一年という限られた時間の中で消化しなくてはならない。その為には光速の壁を突破する『超光速ワープ航法』が必要なのだ」
訓練終了後、早速艦橋下部の中央作戦室で、沖田提督を中心に真田副長、古代戦術長、島航海長、森船務長、徳川機関長、新見情報長、南部砲雷長、加藤航空隊長、平田主計長、そして艦長の私が参加してワープテストのブリーフィングが行われた。
「では、ワープの概要について述べてもらう。――副長」
私が促すと、技術長兼務の真田副長が床のディスプレイ映像を混じえて説明する。
「ワープとは、ワームホールを人為的に発生させ、実質的に光速を超える航法です」
「ワームホール?」
真田副長がいつもと変わらぬポーカーフェイスで説明するが、正直言って門外漢の私にはこの時点で何のことやらである。
「時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域のことです、艦長」
真田副長が補足説明をしてくれるがさっぱりわからず、私は苦笑した。
「おい技術屋、貴様の中では簡単に言ってるんだろうがこちとら素人なんだ、悪いがバカでもわかるように教えてくれ」
「そうですね・・・・・・トンネルような抜け道、と言えばお分かりでしょうか?」
少し困ったように言う真田副長に、私も首を捻りながら考えた。
「それはつまり、本来は迂回しなきゃいけない所を強引に真っ直ぐ突っ切るということか?」
「大まかに言えばそうなります」
なるほど、要するにショートカットするということか。空間を捻じ曲げて・・・・・・うぅむ?
「儂にはよくわからんが、本当にそんなことができるのかね?」
徳川機関長が私同様に首を捻った。
「理論上は可能です。ただタイミングを間違えると時空連続体に歪みを生み、宇宙そのものを相転移させてしまうこともありえます」
真田副長の言い回しは一々専門的でイマイチ分かりにくいが、要するに失敗したら『ヤマト』ばかりか、この宇宙自体が吹っ飛んでなくなるとのことだ。
「・・・・・・恐ろしいものだな」
「それだけ波動エンジンの運用には細心の注意が必要だということだ」
理論理屈は私には難しすぎるものだったが、この『ヤマト』の心臓とも言うべきモノが、ちょっとしたヘマで宇宙そのものを滅ぼすという“ビッグバン”級の爆弾であることは分かった。
「おい航海、貴様の手に宇宙の命運がかかることになる。責任は重大だぞ」
「わかっています」
島大介航海長は緊張からか顔が若干引きつっている、否、あれは武者震いだろうか?
「それともう一つ・・・・・・」
真田副長の言葉のあとで新見薫情報長が引き継ぐように発言した。
「我々は波動エンジンの莫大なエネルギーを応用した兵器を完成させ、『ヤマト』艦首に搭載することに成功しました」
「兵器・・・・・・ですか?」
「『次元波動爆縮放射機』。便宜上私たちは『波動砲』と呼んでいます」
ワープ機能と並んで、次元波動エンジンの恩恵として特筆すべきがこの波動砲である。
「波動砲・・・・・・どんな武器なんです?」
古代進戦術長が質問した。
「簡単に言えば、波動エンジン内で解放された余剰次元を射線上に展開、超重力で形成されたマイクロブラックホールが、瞬時にホーキング輻射を放ち――」
・・・・・・全然簡単ではない。揃いも揃ってどうして技術屋というやつは小難しい言い方をするのだろうか。
若干頭痛を感じたが、要するに波動エンジン内に溜めたエネルギーをそのまま艦首砲口から艦そのものを砲身として発射する巨大な大砲ということだ。
この方式は『キリシマ』の艦首陽電子衝撃砲で既に採用されているものだし、前の乗艦であった『チョウカイ』にも小口径ながら搭載されていたから、ワープの時ほど分からないことはなかった。
「情報長、その波動砲とやらはどの程度の威力を見込んでいるんだ?」
私の質問に新見情報長は少し困った顔になる。
「申し訳ありませんが、現時点では未知数としか申し上げられません」
「未知数か・・・・・・」
「はい、何しろ前例がない上に試射もまだですので」
またそれか。
どうしてこう『ヤマト』は何から何までぶっつけ本番なのか。
「ただ、波動エンジンのエネルギー量を考えますと、これまで人類が保有した如何なる兵器をも上回る威力であることは間違いないでしょう」
真田副長が補足した。
確かに、一歩間違えたら宇宙そのものを相転移させ、消滅させるような代物なのだ。
兵器として使用した際の威力は想像に難くない。
まさか、宇宙が吹っ飛ぶ。なんて事はないだろうが・・・。
いずれにせよ、試射は行わなければならないが、今はワープである。
凡そ一時間ばかりのブリーフィングの結果、
・ワープテストは火星軌道を過ぎた非重力干渉地点より天王星軌道に向けて行う。
・実施予定時刻は〇一三〇。
・不測の事態に備え全員船外服を着用すること。
以上のことを決定し、解散となった。
―――――
ワープテスト実施までの間、私は総員に交代での食事、休憩を命じた。
私自身も一旦艦橋下の艦長室に降りて食事を摂る。
基本的に私は休憩時間には真っ先に艦橋を出るようにしている。
無論有事の場合には常時艦橋に詰めているが、平時は逆に艦長がいつまでも残っていると部下は気を遣って中々休むことができずに迷惑することになるからだ。
その代わり休憩上がりもいの一番である。時間にシビアであることも指揮官の条件だ。
食事を摂り終えた私は艦橋後方観測室に足を運んだ。
この艦橋後方観測室は私が居住する艦長室のすぐ真向かいに位置しており、観測室とはいうものの実質的には艦の後半部を見渡すことができる展望室として利用されている。
愛用のタバコを取り出して火を点ける。
前世の『大和』では遠慮なくほぼ常時咥えタバコを揺らしていた私だが――下士官、兵は基本的に定時的な休憩時間における「煙草盆出せ」の時のみ――、現在では既に何度か述べたように喫煙に対しては非常に厳しく、休憩時間に所構わず皆がタバコを吸って、火事場の如く煙が充満するという光景はこの『ヤマト』にはない。
喫煙場所も細かく定められていて、私などは艦橋で吸おうとすると、無害であるにもかかわらず全員一致で止められてしまい――タバコの煙が計器類に良くないそうだ――、火を点けてないタバコを咥え揺らすまでしかできず、ブンむくれたものである。
ここ艦橋後方観測室は数少ない喫煙許可区画の一つであった。
一応艦長室も喫煙可であるが、窓のない艦長室よりも外の景色が眺められる展望室の方が気分はいい。
「――あ」
満ち足りた気分でいた私は背後に人の気配を感じて振り向いた。
「おぉ、戦術か」
展望室入口には棒を飲み込んだような姿勢で敬礼を捧げる古代戦術長の姿があった。
「どうした?貴様もここで息抜きか?」
「いえ、お邪魔でしたら・・・・・・」
「あぁ、遠慮するな、別にここは俺専用じゃない」
――ここは見晴らしがいいからな、と目を細めて笑う。
「貴様もやるか?」
「いえ、自分は吸いません」
私の隣に立った古代戦術長にタバコを勧めるも断られたので無理強いはしない。
タバコの煙を吐き出しつつ、視界の先に存在する現在の地球とよく似た赤茶けた惑星――火星を見据える。
火星は嘗て地球からのテラフォーミングによって海が生まれ、多くの人々の住む、地球にとって距離的、精神的に最も近しい惑星であったが、古来より欧米ではマルス(ギリシャ神話の軍神)、支那では熒惑と呼ばれ、近づくごとに飢饉と戦乱を呼ぶ名うての凶星でもあり、その呪いかは知らぬが、二十年前に第二次惑星間戦争が起こり、結果火星の文明は滅び、元の荒星に戻ってしまったと聞く。
火星在住の人々も残らず地球へと移住し、今となっては文明の跡とただの水溜りとなった海が残る、多くの人々の魂が眠る場所でしかない。
・・・・・・一人の異星人の魂もそこに含まれている。
「そういえば戦術」
「はっ?」
「火星でサーシャ・イスカンダルの遺体を無断で埋葬したそうだな」
唐突なる私の指摘に古代戦術長の目が見開かれた。
―――――
「艦長、ワープテストの前に後部甲板に出ることを許可願えないでしょうか?」
森雪船務長が艦長室に入ってきてそんなことを言ったのは、私が食事を摂り終えて一息ついていた所だった。
「そりゃまた、異なことを言うな。何するんだ?」
目的を問うと森船務長は何故か言いづらそうに口を噤んでしまう。
水上艦であれば甲板に出るのに一々艦長の許可などいらないが、宇宙艦の場合は言うまでもなく艦外は宇宙空間であり、外に出るには船外作業服を着用しなければならず、気軽には出られない。その危険度から『ヤマト』のエアロックは常時厳重に閉鎖されており、乗組員といえども勝手には開けられないようになっている。
現在は船外作業の予定はなく、あったとしても船務長の管轄ではない。
「目的も説明されないんじゃ、許可は出せんぞ」
そう促すと、森船務長は意を決した様子で口を開いた。
「火星で亡くなったイスカンダルの使者・・・・・・サーシャの冥福を祈りたいのです」
「何?」
森船務長の答えは私にとって意外なものであった。
実はイスカンダルからやって来た第二の使者、サーシャ・イスカンダルが火星で息を引き取ったということは政府公式発表が行われていたのだが、その遺体がどうなったかということは何故か不明となっていたのである。
したがって私はこの時初めてサーシャ・イスカンダルが火星に埋葬されているということを知ったのだ。
私はこの時に森船務長を問い詰め、島航海長が密かに話したという、サーシャ・イスカンダル埋葬の経緯を聞き出したのである。
その真相は、サーシャと最初に接触した古代戦術長と島航海長が持っていた。
また聞きの話しとなるが、火星でサーシャの死を確認した二人は、彼女が乗ってきた宇宙船の脱出ポットを棺桶として司令部に無断で埋葬し、事後報告もしていなかったのだ。
そもそもの発案者は古代戦術長であった・・・・・・。
―――――
「・・・・・・はい、自分の判断で埋葬しました」
驚愕に目が見開かれたのは一瞬のことで、古代戦術長は誰が言ったのか等という恨み言は一切言わず、毅然とした態度で答えた。
「それは何故か?」
「地球に彼女の遺体を持ち帰れば、何をされるかわかりません」
古代戦術長の話した理由は人間味溢れるものであった。
なるほど、考えたくはないが、異星人であるサーシャの肉体を実験サンプルとして、SF映画に出てくるエイリアンの如くカプセル詰めにしたり、解剖しようとしたりする不心得の大馬鹿者がいないとは言えない。
「サーシャは遥か16万8千光年の彼方からたった一人で地球を目指し、その気の遠くなるような長い旅路の果てに僕らに生きる希望と勇気を与えてくれた恩人です。そんな人の思いを踏みつけにすることを、自分は断じて認められません」
古代戦術長は実に良い目をしていて、まっすぐと私を見据えている。
――なるほど、本当によく似ている。
「そうか、いいことをしたな貴様」
私がそう言うと、一歩も引かずと身構えていた古代戦術長「えっ?」という困惑顔になった。
「何だ? 俺が貴様を叱責すると思っていたのか?」
古代戦術長の行動はなるほど、独断専行であることに違いないが、そもそも彼に課せられていた任務はサーシャ・イスカンダルと接触し、携えたメッセージを受け取ることであって、サーシャ・イスカンダルの遺体を回収することではない。
実際に一部の人間は魚の如き冷たい目で古代戦術長の行為を非難するだろうが、それは軍人としての命令違反とはまったく関係のない別問題である。
少なくとも私は遠き星よりの使者の魂を安らかに眠らしめんとした古代戦術長を責める気にはならなかった。
「誰がなんと言おうと、貴様は立派なことをしたんだ」
「艦長・・・・・・」
「それだけ言いたかった」
この古代戦術長の「千万人といえども我往かん」の信念は、この後の航海でも度々垣間見ることになるが、その最初がこれで、なかなか見所のある奴だと嬉しくなったものである。。
――そろそろかな?
私はタバコを煙草盆に押し付けてから、展望室外の後部甲板に目を遣った。
「あれは、森君?」
釣られるように視線を向けた古代戦術長は、船外作業服を着て後部甲板に立つ森船務長に気づいたようだ。
彼女の手には自身の手製だという白百合の造花が抱えられている。
「サーシャ皇女に感情移入できるのは貴様だけじゃないってことだ」
―――――
森船務長から事情を聞いた私は、この申し入れは何を置いても便宜を図ってやりたいと思ったが、困ったことに『ヤマト』は現在ワープの準備中であり、今から宇宙葬の準備をしている時間がない。
しかも事を突き詰めていくと古代、島両氏の独断専行に行き着いてしまう。
いかにヒューマニズムとして正しいとしても、全員が全員それを認めるわけではない。
大々的に行おうとすれば、いらぬ物議をかもすことになるのがオチだ。
――よし、俺の一存で許可しよう。
「船務長、ショートノーティスだし事情も事情だ、あまり長い時間おおっぴらには出来ないが、それでもいいか?」
「はい、結構です」
「よし、右舷後部甲板エアロックの解放を許可する。十分に祈ってくれ、俺も艦橋展望室から黙祷するからな」
「ありがとうございます、艦長」
下手をすれば咎め立てされるのではないかと心配し、いざとなれば古代・島両氏を庇おうと思っていたのだろう。森船務長はホッとした表情になった。
「せめて、花束でもあればよかったんだがな」
私がそう言うと、森船務長は「それでしたら」と、白百合の束を取り出した。
生花が貴重なご時世なので驚いたのだが、よく見ると造花であった。
「どうしたんだ、これ?」と聞くと、何と船務長の手作りとのこと。
森船務長は『ヤマト』乗艦前、司令部付として務める傍らで、オープンスクールで多くの子どもたちに現状を教え、工作や遊びを教える先生をしていたそうだ。
余談だが、この時艦長室に掲げられている絵を見た森船務長が
「お子さんの絵ですか?」と聞いてきて、苦笑しながら事のあらましを話すとひどく驚いて、
「美晴ちゃんはオープンスクールの教え子だったんです」
と言ったのだ。
なんと、あの美晴という少女が別れを悲しみ泣いていた“お姉ちゃん”というのは誰あろう森船務長だったのである。
私もびっくりしたのだが、同時に絶望的状況下で子どもに未来への希望を教え続けてきたという森船務長には感心した。
稀に見る立派な女性であると思う。
―――――
森船務長は手に持っていた造花の白百合を宇宙に放った。
森船務長からの受け売りだが白百合というのは“純潔”を意味し、古来より聖母・聖人に捧げられる花であるそうだ。
サーシャ皇女の魂に捧げるにはもってこいだろう。
火星を背景に宇宙に浮かぶ花束を見つつ、私は脱帽し静かに黙祷する。
遥か16万8千光年の彼方から、見ず知らずの我々に救いの手を差し伸べるスターシャ女王。
その女王の託した使命をたった一人で、命を賭して果たしたサーシャ皇女。
正直なところスターシャ女王の真意については多分に不明な点が多いことは否めないが、少なくともその為に命を捧げた人物へは、そうした恩讐を超えた賛辞を禁じえない。
それは何よりも信頼の証となる。
論語にある“千里に遣いして君命を辱めず”とはこのことであろう。
そして。サーシャ皇女はたった一人小舟一艘で16万8千光年を渡ってきた。一千人ででっかい艦に乗ってる我々ができないなんてわけにはいかない。
――人を想い、この星で潰えたその厳かで無垢なる哀悼と感謝を込めて。
祈りの言葉であろうか、なかなかに詩的な古代戦術長の独白を耳にしつつ、私も誓いの祈りを捧げる。
――どうか安らかに。
貴女が命を掛けて示した道筋、決して無駄にはしない。
古代、雪に有賀艦長が見所を感じました。