アルガユエニ   作:佐川大蔵

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新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
                   佐川大蔵


回想一 「有ルガ故ニ」

 無明の闇の中に漂う私は長い夢の中に埋没していた。

 

 思い返してみれば、自分の人生というものは軍人という職業を選んで以来、常に波乱に満ちたものであったと言っても過言ではない。

 

 こと対米開戦後は宿望の駆逐隊司令として南方資源地帯への侵攻作戦、インド洋作戦、ミッドウェー作戦、ソロモンでのネズミ輸送などに参加し、数々の修羅場をくぐり抜けること数多。

 戦友次々と倒れ、祖国の命運尽きつつある中、請われての『大和』艦長就任と相成り、この艦を死に場所と定めし顛末。

 

 毀誉褒貶は置いておくとして、己の人生に悔いはない。

 

 生と死の狭間に自らを進んで得られるあの充実感は何物にも代えがたく、その上で祖国の未来の礎となれたのであれば、男子一生の本懐としてこれに勝るものはない。

 

 気がかりといえば、結局私……私たちの死後の祖国の今後であるが、これは最早死者である私にはどうすることもできない。

 せめて、我々の死がこの戦争の最後であってくれれば良いのだが・・・・・・。

 

 ――いや、本当に俺は死んだのだろうか?

 

 死を想像したことは無論あるし、本能としてそれを恐れたこともある。

 だが、少なくとも軍人となって、好んで修羅場に身を置くようになってからは一度としてその恐怖に負け、逃げたことはない。

 それが、数々の修羅場を生きて帰ってこれた要素であると私は思っている。

 

 しかし、いざこうして死んでみると実に奇妙な感覚である。

 

 私の眼前には、現世と冥府を隔てる三途の川が広がっているわけでも、死者の生前の罪を裁くという閻魔大王がいるわけでもなく、増して靖国神社の境内に咲く花になったわけでもない。

 只々底知れぬ闇が広がっているのみの、まるで目を閉じた上での無我の境地のようだ。

 

 生前に漠然と描いていた死の想像とはだいぶ異なる、これが“死”なのであろうか。

 

「・・・長、艦・・・る・・・」

 

 静かな闇の中を漂う私の耳に微かながら声が聞こえた。

 同時に私の身体が“フワリ”と浮遊していくのを感じた。

 

「――長・・・・・・艦長が生きとる!?」

 

 ――生きている?誰が、生きているだと。

 

 確実に死を意識していた中で、そんな声を聞いた私はやがて周囲が明るくなっていたのを感じ・・・

 そして、何事もなかったかのように瞼は開いた。

 

 目が覚めた時、私は真っ白いシーツの敷かれたベッド上にいた。

 ずっと暗闇にいたためか、白い照明がやけに眩しく感じる。

 

 ――ここは、どこだ?

 

 ぼんやりとした意識の中で私はゆっくりと周囲を見廻した。

 

 窓一つない真っ白な部屋の中で仰向けになった私の腕には点滴の針が刺さり、胸には何やら吸盤のようなものが幾つも貼り付けられ、枕の横ではテレビのような機器にグラフのような線が映り、その動きに合わせるような音が発せられている。

 

 ――生きているのか、俺は・・・・・・?。

 

 病室のような場所に寝かされていると理解したとき、私の脳裏には最後に見た光景が浮かんできた。

 

 轟く砲声、崩れ落ちる水柱、男たちの絶叫――左舷に横転し沈みゆく『大和』にしがみつく己、凄まじい光・・・・・・あとは記憶にない。

 

 何ということだ。おそらく自分は沈みゆく『大和』から何らかの形で放り出され、無様にも海上まで浮き上がってしまったのだろう。

 だとするとここは駆逐艦の中であろうか。それにしては随分と広く綺麗で、何よりも小型艦ゆえの揺れを感じず、駆動音も全く聞こえないのだが・・・・・・。

 

 

 突然ドアがノックもなしに放たれ、数人の男女が慌てた様子で入ってきた。

 いずれも、医師や看護婦のようで揃って白衣、或いは看護服を着用している。

 言葉遣いから日本人であることがわかり、少しばかり安心した。捕虜にされたわけではないようだ。

 

「有賀君、わしの言葉がわかるか?」

 

 そんなことを考えた私に、小柄で芋のような頭をした中年の医師が、何やら切羽詰った口調で聞いてきた。

 そんな危篤患者が突然目覚めたような反応せんでも・・・・・・。

 

「わかるが、一体・・・・・・」

 

「先生、脈拍、呼吸共に正常です。脳波にも異常はありません」

 

 医療機器を眺めていた看護婦の言葉に私の返事は遮られた。

 

「ちょいと失礼」

 

 医師がそう言って、私の顔を鷲掴みにして、目と口を広げて中を覗き込んだ。

 

「信じられん、何故生きとるんじゃ・・・・・・」

 

 医師の言葉に私自身やはり生きているのだということを感じ、それがどうしようもなく申し訳ないことに思われ、言葉を失った。

 嘗ての青木泰二郎大佐(元空母『赤城』艦長)や西田正雄大佐(元戦艦『比叡』艦長)の無念が痛いほどに分かった。

 

「全く問題は見られんのぅ、食欲はあるかの?」

 

「食欲は、ない」

 

「そうか、まぁせっかく助かったんじゃ、食って力をつけんといかんぞ」

 

 驚愕が落ち着いたのか、医師はその顔の割に大きな口をニンマリと歪めて笑った。

 

「ここは、どこだ?」

 

「ん?ここはムーンベースの中央病院じゃ、忘れたかの?」

 

 医師の答えに私はわけのわからない男だと思った。

 

 ムーンベースなどと聞いたこともないが、私が知らないどこかの島だろうか?

 いや、それよりもそれは英語名ではないか?

 

「あんたは軍医なのか?」

 

「いんや軍属じゃよ、中央病院の佐渡というもんじゃ、よろしくの」

 

 佐渡、と名乗った医師はあくまでフランクな態度だが、私の態度は段々と硬化していった。

 

「中央といったが、東京か、それとも・・・・・・」

 

 ――アメリカか?という言葉は飲み込んだ。

 

「何を言っとる、ムーンベースなんじゃから月に決まっとるじゃろう」

 

 ――月だと?

 

 私は怒るよりも先に呆れて失笑した。

 ふざけたことを言う奴だ、この俺がかぐや姫にでも見えるのか。

 

「嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ。ここは米国の施設で、貴様は日系の尋問官か何かだろう?」

 

 アメリカ軍が捕虜にした日本軍将兵の尋問に日系人を使っているということを私は知っていた。

 大方、『大和』の沈没海域に漂流していた私を見つけて、上手いこと機密を喋らそうとでも言うのだろう。

 そうはいくものかと私はこれ以降はダンマリを決め込んだ。

 

 佐渡医師や看護婦たちはそんな私を困惑の表情で見て、何やら言ってきたが、私はもはや聞いてはいなかった。

 

「まぁ、病み上がり直後だからのぉ、少し時間を置くか」

 

 そう言って、医師たちは部屋から出て行った――後で聞くと、この時に精神異常を疑われて、精神科やら脳外科への連絡相談を行っていたそうだ。・・・・・・無理もあるまいが。

 

 誰もいなくなった病室で、私は仰向けになったままで途方に暮れていた。

 

 ――これからどうしたものだろうか。

 

 “自決”。

 真っ先に考えたことがそれであった。

 三千人もの乗組員たちを死出の旅路の道連れにした私がこうして助かっているだけでも耐え難いのに、敵の捕虜になるなど、帝国軍人として最大の恥だ。

 

 しかし、今の私はそれまで着ていた帝国海軍の第三種軍装ではなく、所謂病院服を着せられていて、拳銃も短刀も持っていなかった。

 死ぬだけであれば、病院服を使って首を吊るなりもできるのだが、そのような糞尿などの汚物まみれの無様な死に様を晒すことは、仮にも帝国海軍大佐としての私の矜持が潔しとしなかった。

 武士の死に様が切腹は名誉、斬首は恥辱であったように、帝国軍人たるもの自決するならば、意気を感じさせなくてはならない

 

 ――生存者は、他に生きている者はいないのだろうか?

 

 あの日、『大和』に乗り組んで戦った者は私を含めて三千人以上もいた。

 沈んだ『大和』から投げ出され、海に上がった者が独り私だけではないだろう。

 もしかすると、他にもこの施設に収容されているかもしれない。

 

 ――会えないだろうか?

 

 そう思うが早いか、私は腕の点滴を外してベッドから降りた。

 

 長いこと寝ていたのか身体中のあちこちから“ギシギシ”と軋むような音が鳴り、全体的に怠いが、不思議と身体は軽い。

 

 ドアの前についた私は外にいるであろう見張りに声をかけたが、一向に返事が返ってくる様子がない。

 この野郎!捕虜には礼儀も欠くのか!!と立腹した私は、扉を開けようとして・・・困惑した。

 先程医師たちが出入りした際は横に開いたのが見えたので、てっきり引き戸だと思っていたのにその扉には取手もドアノブも着いていなかったのである。

 

 そんな馬鹿な、どうやって開けるんだこれは?

 さては独房に入れられたのかと思ったが、それにしたって鍵穴ぐらいあるだろうに。

 

 少しばかり困った私は、ふと扉の左側の壁にボタンがあることに気づいた。

 もしや、と思い“ポチッ”と押すと、果たして扉はスムーズな動きで横に開いた。

 

 ――自動扉か。

 

 自動扉については、日劇前の営業所玄関を始め、一部の建物玄関にスイッチ式のものが採用されており、また海軍でも空母『赤城』『加賀』等において防火・防弾扉に使われていた。

 しかし、このような病院の一室の出入りに自動扉を使うなどというのは初めてだ。随分と洒落ている。

 

 驚いたことに病室の外には一人の見張りもおらず、人気もなかった。

 返事が返ってこないわけだ、捕虜が逃げるとは思わないのだろうか?と、その無用心さに些か呆れた。

 

 誰もいないのが悪いんだ、と私は一人呟くと、病院廊下を歩き始めた。

 無論脱走できるなどとは思っていない。

 今後どうするにせよ、まずは情報が必要だ。そのためにはまず内部を調べなければならないが、今は絶好の機会だ――後々思い返すと佐渡医師とちゃんと話していれば済んだのだが――。

 もしかすると、警備兵に見つかって問答無用で射殺されるかもしれないが、その時はそれまで、どの道死んだ命だ。

 

 そんなことを思いながら私は歩いたのだが、どうしたことか上手く歩くことができない。

 

 かなり長いこと眠っていて、身体の勘所が戻っていないということもあるのだが、それを差っ引いてもこの歩きにくさは異常だ。

 何しろ、普通に一歩踏み出そうとすると“ポーン”と軽く飛び上がってしまうのだ。

 怠い身体に反して動きが軽いのはいいのだが、いくら何でも軽すぎやしないだろうか?

 

 今であれば、月面の軽い重力下を電磁靴もなしに歩いたのだから当然だろうと思えるが、当時の私にそんなことが分かる訳もなく、ひょっとして俺は歩き方を忘れてしまったのだろうかとしばし不安になったものだ。

 

 そんな風に四苦八苦しながら進んでいくと、私は窓のある場所に出た。

 ここまで、全く外の様子がわからなかった私は、これ幸いと窓の外を見て・・・・・・愕然となった。

 

 私の眼前に広がるのは一面の夜空と、乾いた砂の大地。

 これだけであれば、アメリカか何処かの砂漠地帯にある施設の夜ということで納得できるが、残る一つの光景はどう考えても説明が着かないものだった。

 

 月が蒼い!!

 

 私の眼前に映ったものは、私が知る月よりもずっと大きい、青く輝く美しい星であった。

 

 ――どういうことだ!?月が紅く見えることがあるのは知っているが、蒼く見える月など聞いたこともないぞ!?

 

 私は本気で自分の目と正気を案じなければならなかった。

 

 驚愕とともに改めて私は周囲の風景を見回した。

 

 夜のように暗い空に反して地平線上は昼間のように明るい。

 荒涼とした白い大地が広がり、そこには樹木のようなものは一本も見当たらず、この辺一帯の建造物を別にすれば、後は大地の起伏が多少ある以外は見事に何もない。

 

 ――ここは、どこなんだ? 俺は異郷にでも迷い込んだか? それともここは既にあの世なのか。

 

 あまりの事に、さすがの私も狼狽し、混乱を隠すことができず頭を抱えた。

 

 その後、私は騒ぎを聞きつけた数名の医師や看護婦に付き添われ、病室へと戻された。

 私は驚愕のあまり――若く、見目麗しい看護婦に付き添われたということもあるが――

抵抗する気にもならず、素直に従った。

 

 時に西暦2194年6月6日のことであった。

 

 

―――――

 

 

 それから一週間ほど、私は大人しく治療に専念していた。

 私の身体は日々元気が戻り、張りも出てきていたが、一向に尋問されることはなく、逆に件の佐渡医師や看護婦達は毎日やってきて、治療と同時に色々と話をしてくれた。

 

 初めのうちは「俺は気が狂ったのか」、「夢でも見ているのか」等と思い、目を覚まそうとあれこれ足掻いたが、一向に眼前の世界が変わる様子はなく、その度に医師や看護婦たちがやってきて、時に優しく、時に厳しく抑えられるということが連続し、やがて、たとえ夢幻であったとしても自分の身体を案じてくれる人たちに対して気狂いの如き姿を見せ続けるのは、それはそれで無様であると思い、焦らずに考えることにした。

 

 佐渡医師達からすれば、精神的に不安定な状態にあった私への精神ケアの一環であったのだろうが、私にとっては現在の自分の状況を把握するための貴重な情報源だった。

 彼らは一様に親切で、私の質問には快く答えてくれたのだが、こと戦局については誰も教えてくれなかった。

 と言うよりは意味が分からなかったという方が正確なようで、特に若い人達は「日本とアメリカの戦争って何ですか?」と逆に質問をしてくる始末だ。佐渡医師でさえ「有賀君は歴史好きだったのか」などと言う。

 馬鹿を言うな、と私は文句を言ったが本当に知らない様子であり、逆に私の方は彼らが使う妙に英語っぽいカタカナ言葉や、原型がわからないような略語にしばしば困惑し、一々意味を聞かなければならなかった。

 

 ――と、そのような一幕も交えつつ、私はこれらの情報から己の身に降りかかった事態を自分なりに考察、解釈を行うことができた。

 

 まず第一に今の時代が西暦2194年であり、私のいる場所が月の大地であるということだ。

 

 最初のうちであれば「馬鹿にするな!!」と一喝するところであるが、実際に自分の置かれている現状を見る限り、少なくともここが昭和ではないことは明白であった。

 

 私の治療に使われている医療機器一つを取っても、帝国はもとより、技術の進んだアメリカや、技術大国たるドイツでもこれほどに超精密な機器は作れないだろう。

 

 何より、私がこの眼で見た、白い月の大地と未来的な建造物、そして青く輝く美しき明星――地球の存在が自分の常識の範囲を超えた事態に遭遇していることを示していた。

 

 機密を喋らせるために芝居を打つにせよ、こんな映画並みのスケールで子供騙しの馬鹿げた嘘をつく必要はない。

 

“タイムスリップ”

 

 一瞬にして時間を跳躍するという現象については、私も小説の世界でお目にかかっており、最初はこれかと思っていた。

 これでも十分に信じがたい現象なのだが、事実は更に奇なり、であった。

 

 私が“有賀幸作”という名の男であることは間違いない。実際手洗いの鏡に移るその姿――丸い赤ら顔に禿頭、身長五尺四寸(一六四センチ)、体重二〇貫(七十五キロ)の恰幅よい身体――は紛れもなく私のものである。

 

 しかし、この身体の本来の持ち主は私ではなく“有賀幸作”という名の“誰か”であった。

 ――後々調べ直したところ何と私の子孫であった――。

 

 それは、時の流れを突然跳躍してきて何一つ分からない私に対して、会う人皆が私を知っているかのように接してくることからも明らかだ。

 

 聞くところでは、この“有賀幸作”は、私同様に軍人であるそうなのだが、先の戦(第一次火星沖海戦)と前後して、火星域で流行っているという熱病に冒されここに入院し、ほぼ絶望的であったそうだ。

 それが突然何事もなかったように目を覚ましたものだから、あれほどの騒ぎになってしまったのだ。

 

 何ということはない、残念なことにその熱病で死んだ“有賀幸作”の肉体に、どういう原理かは置いておいて私の魂が憑依し、蘇生したということだ。

 ――余談だが、“有賀幸作”の命日兼目覚めの日となった西暦2194年6月6日は嘗て私がデング熱に犯され、半死半生の境を彷徨った挙句、当時艦長を勤めていた『鳥海』から降ろされた日から丁度250年後に当たる――。

 

 

 この私の状態には中々に困ったことがあった。

 

 私の記憶は前世をついこの間という感覚で覚えていたのだが、その代わり私になる前の“私”の記憶は何一つ無かったのである。

 実際、私のもとには上司や部下だという人物が何名か見舞いに来たのだが、それは一人として私が知らない人物であり、私の心に訴えかけてくるものもなかった。

 

 これについては、当然私と接触した人々も不信感を持ったのだが、佐渡先生曰く、「脳内のニューロンの限界を超えた大量の情報が一気に神経に流れたことで、神経系が極度の疲労に陥り、記憶障害が発生している可能性が高い」との診断があったことで納得していた。

 

 これは方便ではなく、紛れもない脳神経科での診断結果である。

 「ニューロンの限界を超えた大量の情報」というのが私の持つ記憶であったということは私以外の誰も知りようがない。

 

 転生というよりは肉体を“乗っ取った”と言ったほうが正確のようで、前の“私”には中々に申し訳ない思いもした。例え、死んだ者の身体であるにせよ・・・・・・。

 

 更に、この為に私はしばらくの間、先の自動扉のように日常生活においても強烈なカルチャーショックを一々味わい、時に恥をかく羽目となる。

 

 この事から、私は単なる“タイムスリップ”現象ではなく、文字通り生まれ変わったのだと解釈した。

 

 最早、小説的というより宗教的ですらあるが、実際に仏教の世界では輪廻転生という、死後の世界で新たに生まれ変わるという概念がある(人格がそのままの状態であるため、或いはキリスト教における「復活」が近いかもしれない)。

 

 

 そのような途方もないことが実際に起こり得るかどうかは、何しろ実例がないため分からないが、残念ながら否定することはできない。

 

 私の置かれている現状は如何とも抗い難かった。

 

 ――かぐや姫ではなく、浦島太郎だったか。

 

 と、このように結論を出した私であったが、正直に言ってそれでどう、ということでもない。

 

 突然訪れたこれまでと何もかも違う、知り合いすらいない世界に一人放り出されたのだということは想像以上に堪えた。

 

 私のような状態に置かれたものが他にいないとも限らないが、少なくとも今それを知る術はない。

 

 更に私を追い詰めたのは、あの日――西暦1945年4月7日以降の歴史を知ってしまったことであった。

 

 これは、事あるごとに大東亜戦争の戦局を尋ねていた私に、佐渡医師が“好意”で持ってきてくれた戦史書によるものであった。

 

 その内容を読んだ時の私の心境はとても字面で表せるものではない。

 

 沖縄陥落、空襲の拡大、広島・長崎への原爆投下、ソ連の対日参戦・・・・・・。

 ――そして無条件降伏。

「一億特攻の先駆けとなっていただきたい」

 悲痛そのものの表情で我々にそれを告げた草鹿龍之介中将の顔が浮かぶ。

 ――草鹿さん、あれが、最後ではなかったのか?一億特攻を有り得ないモノにするために、あんたは俺たちに・・・・・・『大和』に死ねと言ったのではなかったのか?

 我々が死んだあとも戦争が続いて、多くの罪のない人々が死んでいったのだとすれば、あの『大和』の出撃はなんだったのだ?

 

 気づいたときには私は意識を失っており、佐渡医師や看護婦の手を煩わせていた。

 

 ――なぜ俺はここに居るのだろうか・・・・・。

 

 考えるほどに、私の心は暗鬱となる。

 かつてこれほどまでの孤独感と虚脱感を味わったことはない。

 ベッド上で思わず身体を抱えて蹲ってしまうほどだった。

 前世の私であれば到底ありえない、情けない姿。とても家族や友人たちには見せられない。

 

 いっそ、どんなにみっともなくとも、命を絶とうかとすら思った。

 

 冥府はここよりはいいだろう。

 先に逝った戦友たちもいるし、今が未来なのであれば妻子達もいるかもしれない。

 ・・・・・・まぁ、我々と戦った米英の将兵たちもいるだろうが、誰ひとり知り合いのいない、生きがいもないこの状況よりはマシであろう。

 

 そんな私が、それを辛うじて思いとどまったのは、佐渡医師から酒に誘われたことがきっかけであった。

 私は無類の酒好きであったが、その時点ではひどく虚脱していて、そんな気にならなかったが、佐渡医師は半ば強引に私と差しで飲んだ。

 

 その最中に、私は佐渡医師からこの時代の情勢を聞くことができた――佐渡医師にとっては情勢を憂いて、愚痴っていたに過ぎないが。

 

 私はこれまで、自分の状況把握に精一杯で周囲を見ている余裕はなかったが、話しているうちにようやく周囲がピリピリしているのを感じた。

 これまでどうして不審に思わなかったのかといえば、前述通り周囲に目を遣る余裕がなかったことに加え、その雰囲気は私自身がつい先日までそれを絶えず感じ、既に慣れ親しんでいたものであったからだ。

 

 どうも、戦をしている。そんな状況なのだ。

 

「何処かで戦でも起こっているのか?」

 

 私は単刀直入に佐渡医師に聞いてみた。

 

「あぁ、それも忘れておったか・・・・・・」

 

 佐渡医師は酒を一気に“グイッ”と飲み干すと、私に今起こっている戦争――ガミラス戦役について話してくれた。

 

「異星人の、地球侵略・・・・・・」

 

 話の内容は私の想像とはスケールが桁外れであった。

 

 ますます持って、空想漫画映画のような話だが、250年を経たこの時代は、嘗ての大日本帝国以上の危機を全地球規模で迎えていたのだ

 

 詳細については既に第一章で述べた通りであるが、私が目覚めたこの時期は、既に『第一次火星沖海戦』が惨敗に終わり、遊星爆弾による本土攻撃が散発的に始められていた時期であった。

 

 “私”が倒れたのも、正にこの戦の最中で火星に寄港中のことであったらしい。

 

 私はその話を聞いていくうちに、己の中の血が滾ってくるのを感じた。

 

「どうした、有賀君」

 

 佐渡医師が私を見た。

 

「何やら居ても立ってもいられんという顔じゃぞ」

 

「わかるか」

 

 どうやら、傍から見ても私は豹変したように見えるらしい。

 我ながら何と現金な男であろうかと思うが、私はその地球の危機的状況をきくや、それまでの暗鬱とした思いすら一瞬であるが忘れてしまったのである。

 無論、吹っ切れたというわけではなかったが、私はこの遥か未来にあって、早くも敵と闘うことを考えていたのである。

 

 私はやはり根っからの武将であるということか、同じ死を選ぶのであれば戦って死にたいと思ったのである。

 

「先生、俺はいつごろ戻れるかね?」

 

「・・・・・・正直、難しいかもしれんな」

 

 勇んで尋ねた私に佐渡医師は難しい顔をした。

 

「身体の方はあと数日もすれば問題ないじゃろうが、君はどうも記憶の混乱があるようじゃし、精神的にもまだ不安定なところがある。今のままだと除隊か、良くて予備役じゃなかろうかの」

 

 言われてみればその通りだ。

 だが、それでは困るのだ。

 

「先生、何とかならんのですか!?」

 

 このままでは私は危機的状況を目の前にして、戦うこともできず、精神異常者としてただ、手をこまねいているしかできない状態になるではないか。

 

「わしはただの軍属じゃ。ワシに言われてものぉ・・・・・・」

 

 ――そりゃあないだろう。

 

 折角暗鬱とした心に、光明が指すかと思えば、自分の状況はあまりにも悪かった。

 

 私は目覚めた頃の混乱した自分を悔いた。

 あれが少なからず、軍人としての自分の素質に傷をつけてしまうものだと気づいたのだ。

 

 頼むべきは以前の“有賀幸作”に除隊を惜しまれるような要素があるかどうかである。

 

 軍隊というものは年功序列や、学校での席次、そして血縁関係やコネなどによって、地位や配属が決まってくるところだ。

 本来は、年次、席時によって完全に決まるのだが、血縁やコネによって予備役のところを閑職に留めることは往々にして行われている。

 

 ちなみに前の“私”は前世と異なり、40を過ぎてなお独身であり、また親兄弟の類は皆死亡しているようであった。

 そのおかげで、入れ替わった私を見抜く者がいないとも言えるが、同時に血縁は期待できない。

 

 ――俺は戦死できるのだろうか?

 

 “私”の入院前の職は第十一護衛隊司令であったそうだが、入院期間を持って既に解任されており、今は待命の身であった。

 

 このまま二度と拝命が下ることなければ、私は今度こそ絶望を知ることになる。

 

 

―――――

 

 

 そんなことをぼんやりと考えていたのだが、三日後に私の不安事項を吹き飛ばす、予想外の事態がやってきた。

  

 その日、私は佐渡医師から定期的な検査を受け「問題なし」と太鼓判を押してもらい、退院と相成った。

 

 同時に佐渡医師は私に思いもよらないことを告げてきた。

 

 「召集、ですと?」

 

 「うむ」

 

 佐渡医師が笑顔で私に渡したのは、この時代における“私”の所属組織『国連宇宙海軍』からの命令書であり「六月末日までに極東管区総司令部に出頭せよ」とあった。

 

 「先生、これは・・・・・・」

 

 「どうやら、お前さんは必要とされているようじゃの」

 

 よかったな。という具合に笑顔で言う佐渡医師に私はしばし呆然としていた。

 

 後々風の便りで聞いたところによれば、私の人事については先に佐渡医師に言われたように、心身薄弱の疑いありとして除隊がほぼ決まりかけていたらしいのだが、当時は軍事参議官(無任所、実質的な左遷)の職にあった沖田十三宙将が、「この時期に経験豊富な指揮官を失うことは避けたい」と言われ、一先ず待ったを掛け、人事部でも承認されたとのことだった。

 どうやら前の“有賀幸作”は沖田提督に惜しまれるほどに有能だったようで、私は密かに感謝した。 

 もっとも、今が乱世であるということも、要因の一つではあったろうが。

 

「いろいろ世話になりました、先生」

 

「なぁに、気にするこたぁない。わしも良い酒飲み仲間が増えて楽しかったよ」

 

 この佐渡医師――否、先生とはあの後も何度か酒を酌み交わして話した。

 この酒は、混乱覚めぬ私にとっては良い気付けとなり、早まることなく落ち着いて過ごすことができた。

 

 今更言うまでもないが、この佐渡先生とは五年後に『ヤマト』の艦長と衛生長としてイスカンダルへの航海を共にする運命にあるが、当時はお互いそんなことになるとは知る由もない。

 

 西暦2194年 6月28日。私は佐渡先生以下数名の見送りを受けて、地球への途についた。

 

 

―――――

 

 

 地球へ向かうシャトルの中で、私は行く末の想念に浸り始めた。

 

 これまでは月といういまいち現実感のない場所で、己の状況の把握に努めていたが、これから向かうところは地球――我が祖国である日本である。

 250年後とは言え、本来死んだはずの私が、日本の土を再び生きて踏むということは、やはり複雑な心境である。

 

 だが、私はいたずらに生き恥を晒すつもりはない。

 偶然か必然かなどということは神ならぬ身の悲しさ、知る由もない。

 しかし、はっきりしていることは私は生きてここに居るということだ。

 そして、私は軍人であり、今一度の機会を与えられようとしている。

 元より私は特攻を命じられた軍人。できなかったことをやって見せようではないか。

 「我、有ルガ故ニ此処ニアリ、是非モナシ」だ。

 

 外を見れば、既に地球は眼前に広がる程大きくみえ、既に雲の下の海や大陸の形が肉眼でもはっきり識別することができた。

 

 地球が平らで丸い惑星であることは、前世でも理論として知られていたが、実際にそれが地球人類の目に触れたのは、私の死後20年近く後のことだ。

 

 これまでも月から、この青き明星を遠く眺めていたが、こうして近づくにつれ、眼前の広がりを大きくする母なる星は、まるで私を優しき腕で抱き込んでくれるかのように思える。

 

「……地球か」

 

 ―――こんなに美しいものだとは思ってもみなかったな・・・・・・。

 

 




次回は回想の続きではなく、第二章に入ります。

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