後の世になって、戦史評論家だの、軍事マニアだのといった人々を悩ませている問題がある。
「イスカンダル遠征時の、沖田長官と有賀艦長の役割は具体的にどう違ったのか?」
これには、ちょっと複雑な事情があるため、少し長めの説明が必要となるが、ご容赦願いたい。
そもそも、宇宙軍に置ける軍艦、艦隊の概念や指揮系統は、地球上に置ける海軍と同様のものが採用されている。
役職についても同じで、司令官と旗艦艦長の違いは、前者が旗艦を含めた「二隻以上の艦」を統括指揮する存在であり、旗艦の艦長というものは「その一隻の艦」の全責任を負う存在である。
『ヤマト計画』では前者が沖田提督であり、後者は私である。
通常であれば、これだけの説明で済むのであるが、多くの人たちが混乱する原因というのが、『ヤマト計画』に参加した艦艇が『ヤマト』一隻だけであったという点である。
前述の通り司令官というのは、二隻以上の艦で編成された「艦隊」を指揮する者であるから、一隻だけで作戦を行うならば、その艦の総責任者である艦長をそのまま司令官にしてしまえばよいのではないのか――と、市井の人々は考えたのである。
なるほど、確かにそれならば、指揮系統が一本化していて物事がスムーズに運びそうなものであるし、事実『ヤマト計画』の立案に際して「沖田提督を『ヤマト』艦長に」という意見もあり、沖田提督自身も望まれたらしいのだが、そういうわけにいかなかった理由がいくつかある。
まず一つ目だが、階級と職務の不一致である。
言うまでもなく、軍隊というものは厳格な「階級社会」であり、その階級にある者の職務については細かく規定されている。
沖田提督は連合宇宙艦隊司令長官たる宙将(大将、もしくは大将昇進が確定的な古参の中将)。
対して戦艦艦長の階級は一佐(大佐)、高くても新参の宙将補(少将)が務めるものと規定されている。
また、階級以外にも年功による“先任”“後任”があり、これは一般的に士官学校での年次で見られるもので、同階級であっても所謂先輩の地位の方が高いのである(猪口敏平君のような、後輩で私より階級が上の者もいるにはいたが)。
これらの役職にどの程度の違いがあるか。
前世の私の例で説明すると、私が大佐で戦艦『大和』艦長を拝命した時の連合艦隊司令長官は豊田副武大将で、私よりも階級は三つ上。更に豊田長官は海軍兵学校三十三期、私が四十五期で、十二期も先輩だった。
階級にして二つ以上の開きがあり、更に年次も十期は過ぎていて、沖田提督が『ヤマト』艦長を務めるのは、ちょうど、日露戦争時の東郷平八郎連合艦隊司令長官が、日本海海戦前に『三笠』の艦長になるようなもので、大幅な逆年次の降格人事となってしまう。
いかに『ヤマト計画』が歴史上最大の重要プロジェクトであり、人材も枯渇しかけていたとは言え、こと「階級」と「年功序列」に拘わる軍組織では到底不可能であった。
二つ目は、反対派軍事官僚の抵抗である。
これは一つ目の理由と大きく関連している。
と言うのは、上述の「階級」「年功」を持ち出して沖田提督の『ヤマト』艦長就任に反対したのが、軍内部にいる「反ヤマト計画派」の軍事官僚たちだったのである。
『ヤマト』が、元々は地球脱出を目的とした『イズモ計画』における「方舟」として建造された艦で、イスカンダルからの使者来訪によって『ヤマト計画』に変更されたことは既に述べた。
だが、その過程には政府や軍上層部での激論が当然あった。
「人類最後の希望をこんな博打で消費するなど以ての外」
「16万8千光年も彼方の星までの往復航海など、滅亡までに間に合う確率が限りなく低く、無謀だ」
「そもそも、『コスモリバースシステム』等というものが本当に存在しているか怪しいものだ」
「異星人の言うことなど、どこまで信じられたものか」
等々の理由をぶち上げ、『イズモ計画』を推進するものが決して少なくなかったのである。
結果としては『ヤマト計画』が正式に決定し、『イズモ計画』は破棄されたのであるが、この時の軋轢は、『ヤマト』の航海中にまで尾を引き、遂には重大事件にまで発展することになるのだが、それは後の物語に廻す。
三つ目は、沖田提督個人に対する反対である。
これについては、実は更に二通りある。
「親沖田派」と「反冲田派」である。
一見、何だこりゃ? と思うだろうが、この正反対の派閥の双方が沖田提督の『ヤマト』艦長就任に反対したのである。
後者については多くの説明はいらないだろう。
先に述べた『ヤマト計画』反対工作の一環として、専任指揮官と見られていた沖田提督への妨害工作を行なったのである。
これには、”イズモ計画派”の他に「第二次火星沖海戦」の大勝利の結果、嘗ての東郷元帥を凌ぐ聖将として世界的偉人となった沖田提督に、嫉妬の念を抱いていた一部の将官も加わっていた。
腹立たしいことだが、こう言う「功績を挙げ過ぎた者」に対する陰湿な嫌がらせ同然の行為は、組織というものではよくあることなのである。
そして、恐らくもっとも意外に思われるのが前者、即ち「親沖田派」と呼ばれる人たちの動きであろう。
これに属するのは何と、藤堂平九郎極東管区行政長官や、土方竜空間防衛総隊司令長官といった、『ヤマト計画』推進派にして、沖田提督の理解者達だった。
何故そんな方々まで反対していたかというと、これは沖田提督の身を案じてのことだった。
私は情けないことに随分と後になって知ったことだが、この時期、既に沖田提督は体調にかなりの不安を抱えていたのである。
“遊星爆弾症候群”と呼ばれる、遊星爆弾に含まれた種子によって地球中に芽生えた毒性植物による病であり、今日、最も死亡率の高い病気だが、沖田提督は『ヤマト計画』発動の時点で、この病気がかなり進行していたのだ。
当時、これを知っていたのは、藤堂長官、土方提督、沖田提督の主治医である佐渡酒造先生の三人のみであり、三人ともこの身体で往復33万6千光年の大航海の指揮など文字通り自殺行為だと引き止めていた。
特に土方提督は、沖田提督とは士官学校以来の「同期の桜」であり、内惑星紛争時にも肩を並べた戦友同士ということもあり、何度となく「自分に任せろ」と言って、説得をしてきたと言う。
しかし沖田提督の決意は固く、命を賭してでもやり遂げる覚悟に土方提督は条件付きで折れた。
それこそが“誰かに艦を預ける”。即ち現場において、“計画”を統率する司令官と、それに従って“艦”を統率する艦長という、職務分担による負担軽減だったのである。
これにより『ヤマト計画』は、“連合宇宙艦隊司令長官陣頭指揮事項”として、反対論を押さえ込むことになった。
そして、「誰を連れて行くか?」と聞かれた時、“ご指名”をされたのが私だったというわけだ。ちなみにこの決定は「メ号作戦」“後”のことだったらしい。
私の『ヤマト』艦長就任は、このような組織的・個人的思惑の絡む中、急転直下で決まったのである。
・・・・・・もっとも仮に私が「メ号作戦」で戦死でもしていれば、『キリシマ』の山南艦長は土方提督たっての希望で地球残留が決まっていたことだし、あるいは“適任者不在”として、沖田提督が直接艦を統率することも有り得たかもしれない。
―――前置きしたとは言え、長くなった。話をいい加減戻すことにする。
―――――
2月8日
青天の霹靂であった『
本日ここで、『ヤマト計画』について正式な発表が計画参加予定者に為されるため、艦長の辞令を受けた私も当然召集されていた。
私は昨日の時点で沖田提督から、計画発表については聞かれていたため、ほかの乗組員よりも早い時間に到着して、計画本部長たる藤堂平九郎行政長官他の方々へ挨拶回りを行っていた。
「君の艦長就任は沖田提督の強い要望によるもので期待は大きい。大変なことだと思うが、頑張ってくれ」
藤堂平九郎行政長官は、寡黙であるが、果断かつ腹の据わった人物。
ガミラス戦役当初より行政長官として長く国民を束ね、かつ『ヤマト計画』を推進し、遂に実現までこぎ着けた手腕は高く評価されていて、軍内部からの信頼も厚い文官である。
「『ヤマト』を無意味な、下手な使い方をすることのないように」
続いて、芹沢虎鉄軍務局長からは短く、またぶっきらぼうにこのお言葉。
芹沢局長は、『イズモ計画』推進派の急先鋒として知られた人物で、些か頑迷な、かの永野修身元帥に似ている所がある。
先の『ヤマト・イズモ計画闘争』では、
「防衛会議で造反してでも『イズモ計画』を成立させる」
と息巻いて、藤堂長官ら『ヤマト計画』派と相当に揉めたそうである。
計画に今も渋々といったところがあるのだろうか、不機嫌そうな表情と共に出た「下手な使い方」という言葉には、いろんな意味がありそうだ。
もう一人、オブザーバーとしてこの場にいたのが、空間防衛総隊司令長官の土方竜宙将だ。
精気に満ち溢れた精悍な風貌と、ギラリとした鋭い眼光が特徴。沖田提督とは同期の間柄であることはすでに述べたが、どちらかといえば「知将」タイプで自己抑制のしっかりした人物だ。
戦役初頭には軌道護衛総司令長官、次いで「第二次火星沖海戦」と前後して誕生した空間防衛総隊の初代司令長官として、主に本土防衛を担い、一時は士官候補生学校長として多くの人材を育て上げることにも尽力した。
私が知る限りでは井上成美大将に似ているが、土方提督は実戦にも強く、能力的には沖田提督以上と言う者もある。事実はどうあれ、沖田提督と双璧を為す名将であることは疑いようがない。
彼からは「しっかり頼む」と一言、あの鷹のような目で見られながら言われた。
言わずもがな、である。
三人の上官への挨拶はこれで終わった。
それから少しして、召集時間となったことを司令部付の女性士官が伝えに来た。その顔には見覚えがあった。昨日、古代三尉達と口論になっていた女性ではないか。目があったとき向こうも一瞬“あっ”という顔になった。昨日の今日だから覚えていたようだ。
「昨日、会ったか?」
「はい、昨日は失礼しました」
そう言ってから、彼女は森雪と名乗って軽く頭を下げた。
意志的な切れ長の瞳に、暗めの栗色の長髪が特徴的な美人だ。うん結構。
やがて、沖田提督も現れ、我々は総司令部前の広場へと移動した。
司令部前広場には、『ヤマト計画』参加予定者998名が、軍装、略装戦闘服、司令部付軍服と、まちまちの服装で集合していた。
壇上に上がった我々は、やや後方に置かれたテーブル席に、藤堂長官、芹沢局長、森一尉が座り、私はそのテーブルの左前に立った。
気力に満ちた姿でマイク前に立たれた沖田提督は、全員の敬礼に答礼して、計画概要について話し始めた。
通常、出撃前に命令を乗組員に伝達するのは艦長の役目であるが、何しろ計画の内容が内容であり、しかもほとんどのものにとっては初耳であろうから、作戦指揮官たる沖田提督から直に伝達したほうが良いだろうと、話し合って決まったのである。
「これは、地球脱出を目的とした『イズモ計画』ではない」
案の定、沖田提督の言葉に広場からどよめきが起こる。
部外者だった私でも驚いたのだから、『イズモ計画』の為(表向き)の特殊訓練を受けてきた者たちにはさぞ〝寝耳に水〟であっただろう。
「まずこれを見てもらいたい、これは先日の『メ号作戦』において回収されたメッセージ映像だ」
その言葉とともに、後方の大型スクリーンに映像が投影される。私は、イスカンダルから送られてきたというメッセージの内容については、既に沖田提督から聞かされていたが、実際に見て、聞くのはこれが初めてだった。
「――私は、イスカンダルのスターシャ・・・・・・」
オーロラを思わせる光映像とともに響く女性の声。
実際に見たことはないが、もしこの世に“女神”というものが存在するならば、それはこの映像の人物ではなかろうか。
そう思うほどに、映像に映るスターシャ女王の姿は美しく、その声色は慈悲に満ちていた。
―――果たしてこれが
まさに神のみぞ知る、だろう。
メッセージが終わるとともに、沖田提督より『ヤマト計画』の内容、目的、そして『ヤマト』についての説明が行われた。
「出港は明後日、〇六〇〇。遅れたものは残留希望者と見なす。以上だ」
沖田提督の発表が終了すると、集合等の詳細伝達と各部門の責任者の発表が行われた。
「艦長 有賀幸作」
私の名が読み上げられた時、少しばかり広場がどよめいたのは、やはり先の「メ号」故かな?
それより私が驚いたのは、戦術長として古代進
先の空爆で各部科長の大半が戦死し、急遽後任を決めたとは聞いたが、あの二人か。
多分本人たちの方が驚いているだろうが、随分と幹部が若返ったものだ。
「では、最後に有賀幸作艦長より訓示をいただきます」
促された私は、壇上中央のマイク前まで歩き、広場に集まる計画参加者998名を見廻す。
文字通りの老若男女1996の眼が自分を注視している。
それに込められる感情はそれぞれだろうが、やはりというか不信感を宿した視線も多い。それは比較的若い者に多く見られた。
「メ号作戦」での噂が尾を引いていることは想像に難くなく、また「メ号」前までの私もそれほど目立つ戦果をあげてないことから私をよく知らないのだろう。
―――だが、舐めてもらっちゃ困るぞ若い衆。
私は前世でも、そして今生でも伊達に今日まで激戦を戦い抜いてきたわけではない。
けして他人には言えないが、実戦経験という点では私は沖田、土方両将より多いのだ。
確かに大規模な戦いに参加しての大手柄を挙げたわけではないが、ちまちまとした小規模な戦を幾度となくくぐり抜けてきた、“ラバウル還り”だ。
その挑戦受けて立とうではないか。
「沖田司令長官からの訓示を持って、計画について私から改めて言うことはない。
全世界が我々の一挙一動に注目している。ただ、全力を尽くして、目的を達成する所存だ。
諸官においても、全世界の人々の期待を背負っていることを銘記し、各人、人事を尽くして、任務を完遂して欲しいと思う。以上、終わり」
私は前世の頃から長々とした訓示は好きではない。
自身の能力に不安のある指揮官程、訓示を長々と読み上げハッタリをかますのだが、部下の目には簡単に分かるものだ。
敬礼の対象は階級章か中身かという言葉があるが、前線で戦う士は、中身の優れたものについてくる、そうでなければ己の命が危ないのだから。
私自身、口先ばかりの“口舌の徒”になるのが嫌で、現場にしがみ付いてきた身。ハッタリではなく実績で証明して見せよう。
―――貴様らも、俺に不満があるならば、態度でなく、実績で示してみろ。
短いながらも、全身全霊を込めた訓示を持ってこの場は解散となった。
―――――
「君は即時着任してもらうので、今夜までに準備を済ませておいてくれ」
そう言われた沖田提督とは司令部前で一旦別れ、明日深夜に沖田提督の公用車に便乗させてもらうことになった。
反対派のテロを警戒し、場所は総司令部や軍人公舎からは離れた、道路の一角でピックアップとなった。
私は引き継ぎのため『チョウカイ』へと戻った。
引き継ぎの場で、私は「メ号作戦」から「ヤマト計画」の詳細について『チョウカイ』乗組員に発表した。
私の『チョウカイ』艦長勤務はおよそ一年。士官というものは下士官と違い、一、二年で異動があるので、頃合といえばそうだが、いよいよ戦況が進退窮まる中、しかも後任者が指定されない異動に、三木副長以下の者たちは驚いていた。
後任者がないとなると、しばらくは三木副長が艦長代理として指揮することになる。
私は、『チョウカイ』艦長拝命以来、三木副長の有能さはよく理解していたから、特に心配はしていなかった。
だが、この大切な時期に艦長職を離れることに後ろめたさはあった。
そうでなくとも、「メ号作戦」で謂れのない批判を浴びて、“何クソ”の念に燃えていたところへ艦長の交代。
しかも『ヤマト計画』という荒唐無稽な話を聞かされて、先の「メ号作戦」における自分達は囮に過ぎなかった事実。
既に『ヤマト計画』発表に端を発した暴動も発生するなかで、その責任者の一人として私は出て行くのだ。
「――以上のような次第である」
さて、不満たらたらだぞ・・・・・・。と覚悟していたのに、何故か士官一同は喜色満面の笑みを浮かべたのである。
―――俺ってそんなに嫌われてたのか・・・・・・?
出て行って喜ばれるというのは、流石にショックだったのだが、士官たちから言葉を聞くと、それは全く違った。
水谷寛雄航海長、
「『メ号作戦』から我々も憤懣やるかたない思いでいっぱいでしたが、艦長が『ヤマト』に乗っていってくれるなら、あの戦で帰ってきた甲斐がありますよ」
古川勇通信長、
「『チョウカイ』の分までお願いしますよ、艦長」
田中一郎砲雷長、
「皆、艦長のこと信頼しとるんですよ。艦長、この戦争が始まってから、指揮下の艦を沈めてないでしょ。おまけにどんな危ない任務に出て行ってもケロッとして帰ってくるものだから、今度も艦長が行かれるなら大丈夫だってね」
田中砲雷長の言葉は、合ってはいるし、また間違ってもいる。
私はこのガミラス戦役は駆逐艦長として迎え、第十一護衛隊司令、第四駆逐隊司令、『チョウカイ』艦長と続いたが、確かに私は在任中、その指揮下であった艦は失わなかった。それは密かなる私の誇りであったから、合ってはいる。
しかし、今現在生き残っているのはこの『チョウカイ』のみ。他の艦は私の転任後に一隻、また一隻と失われ、最後まで残っていた、この時代で一番愛着のあった駆逐艦も「メ号作戦」で沈んだ。そう言う意味では間違ってもいるのだ。
今度の『ヤマト』は文字通り人類の希望を一身に背負い、絶対に失敗は許されない・・・・・・何てこった、改めて考えるとその責任の重さは前世を含めたものの比ではない。
田中の奴、プレッシャーを掛けてくれるなよ。俺は神様じゃないんだから。
やがて、三木幹夫副長がやってきて、簡単ではあるが壮行会を行いたいと言ってきた。
促されるままに食堂に赴くと、主だった士官、准士官が集まっていた。
三木副長が司会役として発言する。
「有賀艦長は、本日を持って『チョウカイ』を降りられ、『ヤマト』艦長として、遠征の旅に出られることとなった。まもなく出発される。長い間、大変にお世話になり、一同に変わって私から厚く御礼申し上げます。敬礼!!」
私は士官一同の前に出ていき、しみじみと離別の挨拶を行った。
「諸君らとは一年来の付き合いであったが、よくぞ付いて来てくれた。この先まだまだ長い戦いとなるだろうが、三木艦長代理を助けて、しっかりやってくれ」
三木副長が再び発言する。
「我々は、艦長の指揮の下、数々の戦いに参加し、その技量に絶対の自信を持っております。各人最善を尽くして、必ずや留守を守り通すことを、一同に成り代わりお約束いたします」
やがて、全員に酒が配られ、乾杯となった。
「この一杯の盃を持って、艦長の武運長久をお祈りいたします」
「・・・・・・ありがとう」
私は一人ひとりに顔を向け会釈し、一気に酒を臓腑に流し込んだ。
軍隊に限らず、社会というものには、上司に向かって追従しておいて、転勤後は悪口を言う、所謂“面従腹背”の輩が少なからずいるものだが、『チョウカイ』の乗組員達は皆、正直かつ真面目でよく私を助けてくれた。
その彼らからの惜別の辞は思わず“グッ”と込み上げるものはあるが、女学生の卒業式じゃあるまいし、涙を流すことなどみっともないから、努めて私は冷淡を装った。
これから私は先の不透明な33万6千光年もの未曾有の大航海に挑むことになるが、彼等は彼らでこれから『ヤマト』帰還までの間、少ない残存戦力で地球を守っていくのだ。
どちらの前途も苦しい。あるいはこれが永遠の別れかもしれない。
―――――
短い壮行会を終えた私は、軽く手荷物をまとめて、いよいよ『ヤマト』に乗艦すべく沖田提督との合流地点に向かう。
スロープカーはある程度のところで降りて、徒歩で地下都市部を行く。
時刻は午前二時。照明は真っ暗で、都市は静まり返っている。
沖田提督の車との待ち合わせは午前二時三十分であるから、少し早い。
時間があったので、近くの公園に向かった。特に目的はなく、軽く散歩するつもりだった。
公園は抗議集会や、デモ隊の出発地として使用されることが多くなっているが、この時間は流石に人気はない。
明日になれば、恐らく『ヤマト計画』反対の市民が集まってくるだろうから、寝泊りするホームレスの姿もない。
ふと、私の眼に小さな人影が映った。
公園のベンチに座っているその人影は少女で、紙を広げて何かを描いているようだった。
こんな時間に、小さな子供が一人で何をしているのか。気になった私は少女に近づいた。
「何してるんだ、こんな夜中に?」
「・・・・・・絵を描いてる」
少女は手を止めずに、それだけ言った。
私は少女の絵を覗き込んでみた。
赤褌姿の二人の子供が大きな鯛を釣って、その一人が鯛を頭の上に両手で掲げ、先になって松林の砂浜を転がるように走ってくる絵だ。
「中々上手だな」
そう言うと、少女は初めて顔を上げて私を見た。
「本当?」
「うん、それに楽しげだ」
そう言うと、少女は無言で何枚かの絵を渡してきた。
見てもいいようだ。
見てみれば、子どもが空を飛んでいたり、走り回っていたりといった絵ばかりである。
「絵描きになりたいのか?」
私はそう思ったのだが、少女は首を横に振った。
では、どうして絵を描いているのか?
「外に行ってみたいな、と思って」
少女の言葉は私の意表を付くものだった。
「それに、いつかは空を飛びたいなって思ってるの。夢を持って、忘れなければ叶うってお姉ちゃんが言ってたから・・・・・・」
少女の言葉に、私はなんとも言えぬ気持ちになった。
考えてもみれば、この少女は見た所まだ六歳ぐらい。つまりガミラス襲来前の地球を知らないのだ。
最初の絵に目を戻す。
赤褌姿の子供は、おとぎ話でしか地上を知らない少女の精一杯の想像だったのだろう。
話に聞いた事があるだけの、外の世界を自由に走り回りたい、また飛び立ちたいという願い。数々の絵にはそれが具現化していた。
―――それにしても、この最悪とも言う時勢に子どもに対して夢を持ち続けるように言える人がまだいるとは。
「いいお姉ちゃんだな」
「うん、でも会えなくなっちゃった」
「会えなくなった?」
「どっか遠くに出かけちゃうんだって」
言っているうちに少女の目に涙が浮かんでくる。別れの際のことでも思い出していたのか。
聞く限りではその“お姉ちゃん”というのは家族の意味での姉ではなく、所謂先生のような相手であるようだ。
寂しさのあまり外へ飛び出し、絵を描くことで紛らわせていたのだろう。
―――おいおい、泣く泣くな。
なにか気の利いた言葉でも言ってやりたいと思うが、うまい言葉が見つからず、私は言った。
「それ、おじさんに一つくれないか?」
私が、最初に書いていた絵を指して言うと、少女は首を傾げた。
「おじさんも、夢を忘れないでいたいからな」
「・・・・・・うん」
少し考えた後、少女は絵を差し出してくれた。
「代わりにあげよう」
私が出したのは食料の配給券だった。
ちなみに、金は現在紙くず並みの値打ちしかない。
「いいの?」
「絵の代金だ。なァに、この通り太ってるからな。大丈夫だ」
私が腹をポンポンと叩くと、少女も少しだけ笑った。
「そうだ。これもやろう」
そう言って、私が鞄から取り出したのは、宇宙に置ける紫外線防止のためのゴーグルだった。
後の『ヤマト』の波動砲発射時に使用するのはこの後に支給されるもので、これは『チョウカイ』で使っていたものだ。
「外は眩しいんだ。空を飛ぶならこれを肌身離さず持ってなさい」
お守りにでもなってくれれば、この少女の夢の架け橋になってくれればいい。
私はそう願った。こう見えてゲン担ぎのロマンチストなのだ。
「ありがとう」
その後、私は少女が住んでいるというマンション(仮設住宅)まで送っていった。
親が社会的に高い地位なのか、比較的大きめの家だった。
表札には「佐々木」とある。
―――官僚か、軍人。或いは医者かもしれないな。
去り際に私は名前を聞いて、「絵には自分の名前をキチンと書くもんだ」と言って、サインしてもらった。
黒髪の少女の名は「美晴」と言った。
彼女の「空を飛びたい」という夢が叶うか否かわからないが、少なくとも今回の任務が成功しなければありえない。
頑張る理由が些細ながら増えたようだ。
なお、この時
―――――
腕時計を見ると、午前二時二五分。
程なく、昨日と同じ提督公用車が、こちらに幅寄せして止まる。後部座席に沖田提督が乗られていた。
私をピックアップした車は、昨日同様の道筋を通って『ヤマト』へ向かう。
「準備は大丈夫か?」
「大したことはしてませんので」
昨日と異なり、お互い眠いためか、前途の任務への気の重さか、車内での口数は少なく、気難しい表情だった。
これから私たちは、998名の部下の命を預かる身となる。
今、この瞬間にも参加者たちはそれぞれ998通りの物語を紡ぎながら準備を進めているだろう。
彼らは親兄弟姉妹、夫妻子、祖父母に孫、友人、恋人もいる当たり前の人間たちである。
その彼らの命をお預かりし、危険な任務に命令一つで向かわせ、反面無事に生還させなければならない。
戦闘指揮官はセンチメンタルではやっていけないのだ。
気づけば隣に座る沖田提督が、腕を組み眠り込んでいた。
かすかな寝息は聞こえるが、表情は硬く引き結ばれたままだ。
この後のことを思えば、この名将をしてもやはり気が重いのだろう。
睡眠不足で判断を誤られる事のないように、今のうちに眠っていただこう。
私も、『ヤマト』への到着までの間、少しばかり眠ることにする。
目が覚めた時、私は冷徹な戦闘指揮官になっていなければならないのだ。
もう、自分一人のことは考えまい。
次回は出航予定。
――真珠湾の日に間に合うだろうか?