第十六話 「太陽系赤道祭の開催」
えぇ、そうです。その時に私から艦長に進言しました。
確かにそのように言われましたが、私は私なりの考えで進言したつもりです。……今となっては言い訳になりますが。
艦長ですか? その時は少し考え込んでいましたが、疑われているようには感じられませんでした。
艦長は無口ですけど、意外と感情が雰囲気となって表れる方でしたから。
有賀艦長と実際にご一緒したのはこの航海の時が初めてでしたが、実はその人となりは聞いていたんです。
あの人が上官について楽しげに語るのは沖田提督と有賀艦長ぐらいでしたから、印象に残っています。
彼の話では、ぶっきらぼうだけど嘘を付けない正直な人ということでしたが、本当にそんな感じでしたね。
彼も、そんな所に惹かれたのかもしれません。少し複雑ですけど。
『辺見 洋著「女たちのヤマト」 技術科情報長 新見 薫一尉の証言より抜粋』
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私がイスカンダルへの航海の中で印象的な出来事の一つに、太陽圏を離脱するに当たって実施された"太陽系赤道祭"が挙げられる。
宇宙戦艦ヤマトと言えば、未知の外宇宙を舞台に、ガミラス艦隊を相手取った血沸き肉踊り、アドレナリンがどんどん出てくるような出来事ばかりの大冒険物語のように思われがちだが、然にあらず。
確かに『ヤマト』の航海は、発進から帰還までの全てが作戦行動であったが、年がら年中戦闘に従事していたわけではない。敵の現われない時、あるいは敵が遠い時には全くの暇である。
取り分け、冥王星基地を陥落させてから太陽圏の離脱までの間は、イスカンダルからの帰路の時を別にすれば、最も艦内の空気が緩んでいた時期であった。
こうした中で実施された太陽系赤道祭は、私に取って、それまでは見られなかった乗組員たちの人生の一端に触れる機会でもあった。
また、後々語り継がれるようになる『ヤマト』独特の文化ともいうべきものも、この頃に誕生している。
今回はこれまでと少し趣を変えて、太陽系赤道祭を中心に、私と『ヤマト』乗組員達との間に起こった出来事を、幾つか書き記していきたいと思う。
読者諸君には退屈かもしれないが、何卒心を大らかにお持ちいただいて読んで下されば幸いである。
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切っ掛けとなったのは、冥王星での戦いから2日が過ぎた時の、新見情報長からの意見具申だった。
この時、『ヤマト』は戦闘による損傷の修理を行いながら、当初の進路への修正を行い──―お忘れかもしれないが、冥王星の位置は大マゼラン銀河へ向かう方向から大きく外れていたのだ──―、カイパーベルトを抜けて、
ここを越えれば、いよいよ外宇宙であるが、現状は宙域静穏にして平和である。
冥王星基地を陥落させた今、少なくともこの太陽圏には、もう『ヤマト』の敵は存在しなかった。
通常であれば、航海の間も貴重な時間は無駄にせずと訓練を行うものであるが、現在は冥王星で受けた損傷修理が優先である為、訓練もない。
『ヤマト』の修理については真田副長や榎本掌帆長に任せてあり、この時点で仕事がなかった私は、艦長室で煙草を吹かしていた。
そこに扉をノックするものがある。
返事をすると、新見情報長が入ってきた。
「おぅ、情報長か。どうした?」
「艦長、先日から行っている乗組員たちの心理カウンセリングの結果についてご報告が」
「あぁ、そのことか」
と言うのは、冥王星基地攻略後、同じように艦長室を訪ねてきた新見情報長が、乗組員たちの精神状態の観察及びケアについて申し出てきていたのである。
新見情報長は、心理学の博士号を所持している才女である。彼女の申し出に対し、私は衛生長の佐渡先生とも相談の上で許可していた。
「それで、どんな様子だ?」
「……あまり、芳しくはありません」
ある程度予想はしていたが、やはり戦闘への恐怖や、先の見えない長期航海への不安からくるストレスを訴える者が、非常に多いという結果だった。
何時の世も、激しい戦時勤務に従事している者たちの身体・精神のケアは大きな課題であるのだが、恥ずかしながら、この中の精神の部分に対する認識は、私は相当に薄かった。
前世の帝國海軍時代にも、こうした戦時の精神疾患というものは存在していたし、そうした患者用の病院もあったが、当時は、
軍艦にあっても、精神を病んだ者は”軟弱者”、”臆病者”だとして白眼視され、特にケアされることもなく──―それどころか鉄拳制裁の対象にされる──―、ほぼ追放同然に退艦させるという対応がほとんどだった。
無論、この時代では、そうした認識は大きく改められており、むしろ上記のようなことがあれば、それこそ白眼視されるのだが、ガミラス戦役勃発以来、世界中でこうした精神疾患患者は急速に増えており、病んでいないものの方が少ないという状況である。
この『ヤマト』乗組員とて例外ではない。むしろ戦闘経験がまだ浅い若者が多い『ヤマト』では、この先増えるであろうことは目に見えていた。
「艦長、現在の乗組員たちのストレスは戦闘によるもの以上に、地球を遠く離れたことによる寂寞、所謂ホームシックが長期航海への不安と合わさって、強く影響しているかと思われます。……そこで、意見具申してもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
私が促すと、新見情報長は一呼吸置いて、心なしか思いつめた目をして口を開いた。
「太陽圏を離れる前に、乗組員たちに地球への交信を許可していただくことはできませんでしょうか?」
「交信?」
少々意外な意見に一瞬面食らった。
「はい。ご承知のように、『ヤマト』は数日後には
確かにそうだろう。
そこを越えてしまえば、『ヤマト』からの超空間通信は、外宇宙の恒星間放射線と、太陽系内を守っている太陽風によって遮られ、地球との交信は途絶えることになるだろう。
事実、既に現時点で、地球のヤマト計画本部との交信すら不安定になっているのだ。
「機密という面で問題があることは承知しています。ですがどうか、許可願えないでしょうか?」
新見情報長の訴えに、私はしばし黙った。
確かに軍艦から個人の私的通信を認めるという事は、機密保持という面でヤバいことであるし、通常であればまずありえないことである。
だが私自身、前世で『大和』艦長になって死を決意した時、とある機密漏洩を家族宛にしでかしたことがある身だ。例え口にはしなくても、明日をも知れない旅立ちを前にした者たちが、父母や夫妻、子孫に寄せる哀切は解っているつもりだ。
「……よく、気づいてくれたな」
「艦長、では?」
「賛成する。沖田提督には俺から上申しよう」
私の答えに、新見情報長は安堵したような顔になった。
その表情は、真摯に乗組員のことを考えているように見えた。
この時、彼女に何か企み事があるのかという疑いを、私は露ほども抱いてはいなかった。
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「艦長、極東管区司令部の藤堂本部長より通信です」
「提督室へ内線しろ」
翌日の艦内時間午後2時30分。艦橋配置に就いている中、地球の藤堂 平九郎ヤマト計画本部長、芹沢 虎鉄軍務局長より超空間通信が入った。
すぐに提督室の沖田提督へ内線で伝える。
『太陽系外縁部か……沖田君、随分と遠くまで行ったな』
「イスカンダルへの旅は遠大です。我々はその第一歩を踏み出したにすぎません」
内線を受けて艦橋に降りてこられた沖田提督が、藤堂本部長らに状況説明をする。
『沖田君、これが最後の交信になるかもしれん。だから『ヤマト』に地球の状況を知らせておこうと思う』
藤堂本部長の言葉と同時に、大パネルに地球の状況が映し出される。
──生き残るモノが無に等しい乾いた地表、徐々に根深くなるガミラス植物に侵食されていく地下都市、迫りくる最期の恐怖に慄く人々。
「……ひどいな」
「あぁ……」
『ヤマト』が抜錨した時と何も変わっていない。否、更に悪化しているその光景は、冥王星基地陥落によって気持ちが緩みつつあった乗組員達に現実を突きつけた。
『食料供給も侭ならず、暴動は頻発し、我々は人々に救いの手を差し伸べる事さえできない。そんな折だ。君たちから冥王星基地陥落の報が地球にもたらされたのは。遊星爆弾はもう降ってこない。それが人々にどれほどの安心感をもたらしたことか』
藤堂本部長の一言一言が、胸中深く深く、食い込んでくる。
誰もが、自分たちに託された希望と責任を再認していた。
『『ヤマト』がイスカンダルに向かっている。その事実だけでも我々は頑張れる。だから、沖田君。必ずコスモリバースシステムを持ち帰って来てくれ。地球は『ヤマト』の帰りを、君たちの帰りだけを待ってい──―』
「通信、超空間通信の調整は?」
「5分程いただければ可能です。ただ、今後は更に厳しくなっていくと思います」
「……そうか」
相原通信長の返事に、いよいよ時間がないなと思う。
「『ヤマト』は必ず帰るわ、必ず……」
森船務長の呟きは、この時の我々全員の決意であったろう。
──そうだ。それをみんなの口から伝えるんだ。
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艦内時間午後9時。私は提督室へ沖田提督を訪ねた。
「メ二号作戦で受けた損傷の修理は、明後日夜間帯には完了します。また、翌朝には
私からの報告に、沖田提督は静かに頷かれて、口を開いた。
「艦長、
『ヤマト』は、太陽系を離脱した後は、本格的な光年単位のワープを繰り返しながら、シリウス恒星系を目指すことになっている。
シリウスまでは1光年単位、それ以降は更に10光年単位のワープに上げていくというのが現状の予定である。
「いよいよ太陽系ともお別れですな」
これまでは謂わば、家の庭先を移動しているようなものであったが、ここからは未知の世界である。巣立ちをするような気分で、何だかソワソワしてくる。
「うむ。そこでだ、有賀君」
「はっ?」
急に呼び名が「艦長」から「有賀君」と変わって、少し戸惑う。
「太陽圏離脱の前に、艦内で赤道祭を取り行おうと思うのだが、どうだろうか?」
しかも全く意外な提案をされて、私は間抜けな声を出してしまった。
「赤道祭と言いますと……」
「む、知らないか?」
「あーいえ、知ってはいますが……」
赤道祭というのは、その名の通り地球の赤道を通過する際に、船乗りの間で行われる船上祭のことである。
元々赤道は無風であるが故に帆船の時代には航海の難所とされており、その安全祈願及び新人船乗りの通過儀礼として行われたことが始まりであるそうだが、本格的に外洋航海へ出るようになったのが、明治以降の蒸気船時代からとなった我々日本人には、あまり馴染みのないものである。
ただ、そこはお祭り行事大好きの日本人。嘗ての帝国海軍では船乗りの通過儀礼というよりは、一種の文化としてちゃっかり取り入れられており、私も海軍兵学校卒業後の練習艦隊における赤道越えの際、この赤道祭を経験している。
内容としては、「赤道神に扮した水兵から艦長が鍵を受け取り、見えない祭壇の鍵を開けると赤道神が南半球に入る許可を与える」といった内容の寸劇をしたり、それに応じた仮装等の余興があったと思うが、実の処あまり印象には残っていない。
余談ながら海軍兵学校では、この赤道祭とはまた別の”赤道通過”という伝統があった。
江田島にあった海軍兵学校は、海軍の学校らしく南側の海岸桟橋が表門とされており、その沖合500mに兵学校の占有海面であることを示す赤いブイが、海岸線に平行して1000m間隔で二つ浮かべられ、この二つの赤いブイを結ぶ線を我々は「赤道」と呼んでいた。
その線を分隊(一、二、三学年で構成)20名ほどでカッター(ボート)に帆を貼って越えていき、瀬戸内海へ漕ぎ出していくことが”赤道通過”である。
これは軍人としての敢闘精神を養うと共に、船乗りとしての体験を積む為のものであったが、もう一つ特別な意味合いがあった。
軍規厳正を世界に誇った帝國海軍であったが、土曜日の日課後にこの”赤道通過”を行うと、その翌日午後5時に帰校するまでの間は、例外的に上級性も下級生もない無礼講が許されたのだ。
広い瀬戸内海の真ん中で教官や世間の目もなく、厳しい兵学校生徒館生活の鬱憤を散じる為、自前のすき焼きや缶詰、菓子に舌鼓を撃ちながら、自身の自慢話や教官の悪口、初恋話に身の上話、故郷の民謡に想い出の流行歌。流石に酒はだめだったが、若者だけでのワイワイガヤガヤの乱舞場。
こちらの方は私にとって、若かりし兵学校生徒時代の非常に楽しい思い出として残っている──―まぁ二学年の時の”赤道通過”の時には、途中で暴風雨に見舞われて、危うく死にそうになったこともあったが。
無論宇宙にはこのどちらの赤道も存在しないが、太陽圏と外宇宙の境界であるヘリオポーズは成程、”宇宙の赤道”と言ってもいいかもしれない。
「壮行の宴という事ですか」
そのように解釈して言うと、沖田提督は頷かれた。
今回沖田提督が提案された赤道祭は、どちらかといえば後者の”赤道通過”の方に近いようだ。
──これはちょうど良いか?
私は、新見情報長からの私的交信の提案について、良い機会だと思い、沖田提督へ上伸した。
「なるほど、良い案だ」
機密等のことで少し揉めるかと思っていたが、沖田提督の反応は上々だった。
「有賀君、先程の地球との交信で君も見ただろう。藤堂本部長はああ言われたが、地球の人々は今も絶望の中にいる。『ヤマト』がイスカンダルへ向かっているという希望は、まだ人々にとってはあまりに小さい」
──そうだろうな。
仮に私が帰りを待つ立場であれば、例えイスカンダルへ向かったのが、後年の『アンドロメダ』を初めとする波動砲艦隊であったとしても、安心することなどできないだろう。
「地球で待っている人々には、『ヤマト』が帰ってくるという確たる希望が必要だ。だから、皆の口から伝えるのだ。乗組員の家族へ、彼ら自身の言葉でな」
私は乗組員たちが抱くであろう哀切に思いを馳せたが、沖田提督は更に残された地球の人々のことも考慮されて、この私的通信を許可してくださった。
考えてもみれば当然だ。
今、『ヤマト』に課せられた任務がいかに難しくて成功の確率が低いものであるか、『ヤマト』が戦っている敵がいかに恐ろしく、冷酷であるか。地球にいる人々は当事者ではない分、却って抱く不安は強い。
その中には、今この瞬間もご先祖様のお位牌や仏壇にお線香を上げ、灯明を灯して、父が、母が、息子が、娘が立派に任務を果たして、無事に生きて還ってくるようにと、必死で祈っている乗組員たちの家族がいるのだ。
彼らに取って、乗組員たちから直接「元気でやっている」「必ず帰る」と告げられることが、どれだけ勇気づけられることであるか。私はこの時まで思い至らなかった。
──自分には、そういう存在がないからだ。
その事実は、今更ながら、”チクリ”と私の胸を刺した。
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かくして、太陽系赤道祭を取り行うこととなったわけだが、だからと言っていきなり「酒保開け」というわけにはいかない。
特に『ヤマト』のような軍艦の場合、シフトの関係上休憩、非番の時間がまちまちである為、乗組員が一堂に会した宴の機会を作ることは難しい。まして今回は地球との交信もあるため、前もって細かい調整が必要となる。
赤道祭に当たって、宴の為の調理や会場設営は主計科。地球との交信に当たっては通信科。赤道祭の取り纏めや情報告知は船務科の担当である。
この三科の中では、通信科は厳密には船務科の一部であり、『ヤマト』艦内組織における序列は、主計長よりも船務長の方が上である。
従って、今回の赤道祭の準備・運営の総幹事は森船務長ということになるので、私は艦長室に彼女を呼んで、赤道祭の準備を命じた。
「では、通信科、主計科とも相談の上準備します。恐らく2日程時間を頂くと思いますが」
彼女も多忙の身であっただろうが、嫌な顔一つせず、寧ろ快く応じてくれた。
「苦労を掛けるな」
「いえ、私も何らかの慰労会はするべきだと思っていましたから」
彼女の人柄をそのまま表すような穏やかな笑みで、森船務長は言った。
彼女が乗組員の男女問わずに人気があるのは、こういうところなんだろうなと思う。
「新見さんには感謝しないといけませんね。本当は私が気付くべきなのに」
先の新見情報長からの提案である地球への交信については、彼女も大いに賛成の様子であった。
「うん。船務長も、相手を安心させてやってくれよ」
「はぁ……」
私は何気なく言ったのだが、船務長は難しい顔をした。
「要らんことだったか?」
「あっ、いえ」
彼女は再度笑みを浮かべてそう言ったが、その笑みはどこか寂し気で、私は何故かその表情に既視感を覚えた。
しかし、この時の私は、それ以上彼女の素性に立ち入ることはしなかった。無遠慮に過去をさらけ出さるような仲でもない。
「ご苦労。よろしく頼む」
森船務長の退室がけに、私はそう声を掛けて終わった。
これより少し後に、私は彼女の事情を知ることになるのだが、それは後述することにする。
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2月19日 艦内時間午前7時。
赤道祭の準備が進む中で、私は状況はどうなっているかなと思い、艦内を巡回していた。
「俺髭剃った方がいいかな」
「あぁー、俺も髪切りたいな」
「お前そんなに変わらないだろ」
「ねー、何着て行ったらいいかな」
「え? 艦内服じゃないとやばくない?」
「だってさっき太田さんが──」
赤道祭が近づくにつれて、乗組員達は浮き立っている。
たかが艦内壮行会と言うなかれ。
赤道祭の会場の一つとなる右舷展望室を覗くと、主計科の者たちが、忙しそうにパーティーの準備を進めている。
普段はテーブルとソファーが、さながらホテルのロビーのように整然と並べられているのが、今日はそれらが全て片付けられ、食堂でも使われている8人用の長テーブルが持ち込まれて、白いクロスが掛けられている。如何にも立食パーティーの会場と言った雰囲気だ。
ふと、私は忙しそうにしている主計科の中に、古代戦術長がいるのを認めた。
見るとエプロン姿で、時々首を傾げながらテーブルクロスを広げたり、椅子を運んだりしている。
「おい戦術長」
と声を掛けると、古代戦術長は「あっ」と少し気まずげな表情をした。
「手伝いか、感心だな」
「あぁ、いえ、その……」
彼にしては珍しく歯切れが悪い返事である。そもそも何故戦術長一人で手伝っているのだろうか?
「ははっ、艦長、森船務長の手腕ですよ」
隣で料理を並べていた平田主計長が笑い交じりに言った。
聞けば、総幹事役である森船務長にちょうど非番であるのを捕まって、「ご命令」を受けたとのことだ。
森船務長は乗組員のシフトの作成・管理も行っているので、まず逃げられない。
「そりゃあ災難だったな」
「まぁ、我々としては戦術長殿の推薦で山本君を手放すことになりましたから。これぐらいはしていただかないと、ね」
痛いところを突かれて、古代戦術長「そういうのって、あり?」と呟いている。
思わず笑ってしまったが、よくよく考えると山本三尉の異動については、私も大いに噛んでいるのを思い出す。
「あー主計長、この際ケチケチしないで、皆にうんとご馳走してやれよ」
私はそう言って、早々に退散した。
ちなみに私が退室後、「そう言えば艦長も……」という会話が、古代戦術長と平田主計長の間で交わされたとのことだった。
危うし危うしである。
────────
そして艦内時間午前9時。
「非番総員集合。非番総員──」
艦内スピーカーでアナウンスが流れ、赤道祭の会場に乗組員たちが続々と集まって来る。
全乗組員のうち、約1/3は当直配置。それ以外の約670名が赤道祭の参加者である。
この人数が一堂に集まることができる部屋は流石に艦内にはないので、メイン会場となる大食堂の他、艦内各所の展望室や広間などにも複数の会場が設置され、それぞれ思い思いの場所で、宴を行うことになった。
尚、赤道祭は開始から24時間行われることになっており、現在当直配置に就いている者も、交代後に参加できるように配慮がなされている。
大食堂に顔を出すと、整然と並べられたテーブルには見るだけで唾が溢れそうな和洋中様々な料理と、ジュースやお茶などの飲み物。通常は夜の時間帯のみ許可される酒類が並べられている。
無論、普段はこんなに豪華な食事が出ることはない。平田主計長、私が思った以上に大盤振る舞いをしてくれたようだ。
「ええ──っ‼」
賑わいつつある食堂の入り口で、何やら女性の悲鳴がする。
何だ何だと見に行くと、島航海長と篠原航空副隊長の姿がある。二人とも笑顔で緊迫したような様子はない。
「おーい、何事だ?」
「あ、艦長。いやそれがマコっちゃんが……」
篠原副隊長が少し身体をずらした先から、原田衛生士が姿を現した。
それはいいのだが、何故か普段の衛生科の艦内服ではなく、西洋の給仕──所謂メイドの服装をしている。
「衛生士、何だその恰好は?」
「い、いえ、その……赤道祭は伝統的に仮装をするものだと、太田さんが……」
原田衛生士は赤い顔でそう言う。
確かに先に述べたように、赤道祭では寸劇や仮装等の余興をすることもあるのだが、今回の赤道祭では仮装や寸劇を行うとのお達しは無い。
どうやら関西人特有のお調子者っぷりを発揮した太田気象長に騙されてしまったらしい。
「かつがれたねぇ」
「マコっちゃんは素直だね~」
「うあぁっ、もうっ‼ 太田さんっ、どこ行ったのよー‼」
島航海長と篠原副隊長に囃し立てられ、更に周囲から好奇の視線に晒された原田衛生士は羞恥と怒りに身を捩りながら、益々顔が赤くなる。
結構似合っているのだが、流石に一人だけこれでは少し可哀想だ。
尚、元凶の太田気象長は要領よく逃げ出しており、いくら見廻してもこの場に姿はない。
”チャリーン”
と、そこへ金属を軽く擦り合わせたような、独特の音が近くで響いた。
振り向くとそこへ居たのは加藤航空隊長……なのだが、こちらは何故か編み笠を被り、黒い衣を纏った托鉢僧──所謂お坊さんの恰好をしている。
ご丁寧に左手に鉢、右手には持鈴まで持っている。響いた音は持鈴の音だったようだ。
──加藤隊長、貴様もか。
呆気に取られる我々の前を、加藤隊長は心なしか恥ずかしそうに通り過ぎて、この場で唯一の同士である原田衛生士に向かい、
「その……俺は似合っていると思うぞ」
ボソリとそう言った。
「……はい」
言われた原田衛生士は、先ほどとはまた違った赤い顔での返事。満更でもないという以上の感情が見え隠れしていた。
──おやおや。
「副隊長、あの二人……」
「えぇ、エンケラドゥスの一件以来、ちょっと」
面白げな顔の篠原副隊長と小声で会話する。
エンケラドゥスで原田衛生士達を援けたのが実際には山本三尉であったことは、まぁ別に言うことはないだろう。
ちなみに私は公務に支障をきたすことが無い限りは、艦内での私情に口を挟むつもりはない。
これは私の価値観と言うよりは、当時の国連宇宙軍における男女関係への寛容さによるところが大きい。
『ヤマト』の元々の建造目的を考えれば、その理由はご理解いただけると思う。
それはさておき、私にはもう一つ疑問があった。
「ところであれ、どこから持ってきたんだ?」
「あれ」とは加藤隊長や原田衛生士の衣装のことである。
「あぁ、主計科の方で用意していたみたいです。何か他にもいろいろあると、女子達が話してましたが」
と、島航海長。
艦内の家事全般を担当する主計科では、衣服の管理もまた任務の一つであるが、『ヤマト』に於いては洗濯・補修の他に製造というのもあった。
無論手編みをするわけではない。
食料供給の為の
誠に便利なものである。
──中々面白そうだな。
托鉢僧姿の加藤隊長と、メイド姿の原田衛生士を見ながら、私は「後で自分も何かもらってくるか」とそんな気になっていた。
────────
やがて、全員が会場に揃い、赤道祭の準備は整った。
開始前の挨拶の為、私は壇上に立った。
「先の”メ二号作戦”では、皆よく闘ってくれた。お前たちをおいて、あの冥王星基地を叩き潰すことはできなかった。艦長としてお前たちを心から誇らしく思う。イスカンダルへの旅路はまだ長いが、地球とは本日を以ってしばしの別れとなる。本日は無礼講である。存分に飲み、話して、それぞれ地球との別れをするように。終わり」
そう言って、私はマイクを沖田提督へ譲る。
何事も開始宣言は沖田提督なのである。
「諸君。諸君らの働きで”メ二号作戦”を成功に導くことができた。これでもう地球に遊星爆弾が堕ちる事はない。私からも礼を言う。本当にご苦労だった」
尊敬する最高指揮官からの礼は、多年に渡り共に闘ってきた我々の胸にお湯のような暖かなものを沸き立たせる。
沖田提督の話は続く。
「これより太陽系赤道祭を始める。だが、先程艦長の言った通り、航海はまだ始まったばかりだ。これが終わったら地球を振り返るな‼ 前を見ろ‼ イスカンダルへの道を見据えるのだ‼」
そして最後に、沖田提督は佐渡先生自慢の銘酒「美伊」をなみなみとついだグラスを高く掲げた。
「赤道祭の成功を祈る。乾杯‼」
「かんぱーい‼」
かくして、太陽系赤道祭は始まったのである。