気づけば最後の更新から八ヶ月が経過してしまい、2199放送もとうに終了してしまいましたが、恥ずかしながら戻ってまいりました。
今後も執筆は続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
舷門前にたどり着いたとき、私はふと足を止め、眼の前の赤と黄色と灰色で塗装された艦体を見上げた。
これが私の国連宇宙軍軍人として初めて乗り組む艦、駆逐艦『ユキカゼ』か。
――ちっぽけな艦だなぁ・・・・・・。
まず第一印象はそんな感じである。
『磯風』型突撃宇宙駆逐艦三番艦たる『ユキカゼ』は、全長80m―――生前の私が初めて艦長を務めた『若竹』型二等駆逐艦『夕顔』とほぼ同サイズ―――の艦というより大型艇と言ったほうが似合いそうな小ブネである。
その小さな小ブネの小さな舷門が、私の新たなる“人生の門”だ。
西暦2195年 1月7日。
国連ブロック・極東管区・富士山麓宇宙軍港内の第三ドックに『ユキカゼ』は停泊していた。
潜水艦を思わせる丸みを帯びた細長い艦体にほとんど一体化している小さな艦橋、その艦橋とほとんど同サイズの三連装高圧増幅光線砲、艦首に取り付けられた板状の装甲翼が特徴的な、私から見ると、珍妙な形をした艦である。
近づくにつれて、艦中央部と後部エンジンノズル周囲、光線砲塔前部、増槽が黄色、艦首の板状装甲翼、艦橋光線砲塔後部、艦後部のミサイル発射管と増槽の一部、水平尾翼・垂直尾翼が赤色、艦橋周りなどの艦前部が灰色というチグハグさが目立つ。
艦体側面には錨の中に「UN(UNITED NATIONS COSMO NAVY)」と大書きされた、国連宇宙海軍お馴染みのシンボルマークが描かれており、その右側には左横書きで、識別番号を示す「117(DDS‐117)」の数字と、平仮名で「ゆ」「き」「か」「ぜ」と、艦名が白色で記されている。
西暦2189年3月24日に進宙し、今日まで戦い、生き抜いてきた駆逐艦『ユキカゼ』。
四年前の2191年に勃発したガミラス戦役の激戦を最前線で戦い抜いてきた、本物の艦隊駆逐艦である。
その艦の指揮官、即ち艦長が、私に命じられた配置だった。
――果たして大丈夫だろうか?
口には出さないが、内心には不安がよぎる。
いや、今更艦長としての勤務に自信がないわけではない。
艦長拝命は軍人として最大の栄誉であり、何回受けても喜ぶべきものである。
駆逐艦の艦長という肩書きは、前世における特型駆逐艦『電』艦長(1934~35年)以来で随分と久しぶりであるが、だからと言って指揮官としての勘は鈍っていないつもりだし、たとえ小さくとも一国一城の主、これぞ男の本懐と、大いに張り切ろうというものだ。
が、しかし、今回私が乗り組むのは海上に浮かぶ水上艦ではなく、宇宙を飛び回る宇宙艦だ。
同じ艦と言っても、その性能も運用法もまるで異なる、と言うよりも比較対象にする方がおかしいという次元である。
例えるならば、自動車の運転がベテランだからと言って、飛行機の操縦ができるか? という具合の話になる。
果たして自分の前世での経験はどこまで活かせるのだろうか? 一般常識もまだ危ういのに・・・・・・。
“ホー、ヒー、ホー”
高らかに鳴り響くサイドパイプの音色に私は気を引き締めた。
『ユキカゼ』舷門から艦内には、前艦長を始めとする乗組員達が待っている。
今更グダグダ考えたところでどうしようもないし、第一私らしくもない。
この日のために私はこの半年間、似合わず、慣れないお勉強に精を出してきたのだ。
悩んでいるより行動あるのみ。“ドーン”と飛び込んで、一直線に勝負だ。
そう自分に気合を入れて、私はサイドパイプの音に導かれるように、舷梯に手をかけ、足を踏み出した。
―――――
西暦2194年 6月29日。私はムーンベースから富士山麓宇宙軍港に降り立った。
今生に於ける初めての地球であり、実に250年の時を経た祖国日本への帰国であった。
すっかり変わり果てた故郷への感慨に浸る間もなく、翌30日に早速辞令交付とのことで、ロクに身辺整理も出来ないまま、“青ガラス”―――極東管区総司令部の人事課に出頭する。
この日から私は早々に第一線に投入―――されなかった。
「航宙軍第1術科学校付ヲ命ズル」
それが、私が受け取った最初の辞令であった。
「どういう事なんだ?」
思わず私は目の前の人事課長に食って掛かった。
「俺に言われてもな・・・・・・」
人事課長・高瀬泝一佐(“私”の同期の一人だそうだ)は困った様子で答えた。
――何を言ってるんだ、人事課長に言わずに誰に言えと言うんだ?
「今が非常時なのぐらい分かってるだろ、そんな時に俺に教官をやれっていうのか?」
「違う、教官をやれってことじゃない。ただ学校に付いていろということらしい」
「らしい?」
「実のところ、この人事は上層部のお達しで、俺たちはほとんどタッチしていなくてな、術科学校の教官名簿に貴様の名前はないし、席もないんだよ」
高瀬課長の言葉にますます怒りがこみ上げてくる。
元より私は机上の理論を教える教官職は大嫌いだし、そうでなくともこちらで私が教えられるものなど、少なくとも現時点では何もないが、だからと言って人を月から呼びつけといて、無任所に干すとは一体どういう了見か!?
「まぁそう怒るな。聞くところによると貴様、まだ死にかけからの病み上がりだし、精神にも不安があるらしいじゃないか」
「それがどうした?」
「さっきの貴様の言葉だが、この非常時に黄泉還りですぐ第一線なんてのは無茶だよ。だから術科学校で少しリハビリしてこいってことじゃないか?」
高瀬課長の宥めるような言葉に私も少し頭が冷えてくる。
確かにその通りなのだ。
文字通り黄泉還り―――無論、高瀬課長の言ったのは言葉のあや―――を経験し、元の人格がない今の私は、宇宙軍軍人としては素人もいい所だ。
第1術科学校は、機関を除いた宇宙艦艇の技術全般(砲術、宙雷、掃海、航海、通信、応急、宙泳等)の教育・訓練を行う学校であり、嘗ての海軍術科学校(衛生、軍医、工機、潜水を除く)を統合したものに相当する。
そういう場で、宇宙で必要な知識・技能をみっちりと学べる機会を与えられるというのは、考えてみればラッキーかもしれない。
「それに何もこの人事は貴様にだけじゃない。大勢の予備役や予備員にも召集をかけて、一気に士官の人数を回復させるのが上の連中の腹らしいからな、人手不足なのは貴様も知ってるだろ?」
「まあ、なぁ・・・・・・」
これも事実だ。
この時期の国連宇宙海軍は、天王星でのガミラスとの遭遇戦で太陽系外周艦隊の八割を喪失したのに加え、先年勃発した、火星宙域での総力を挙げた大反攻作戦(後に第一次火星沖海戦と名称)において、内周艦隊も全滅に等しい損害を受けたことによって、極東管区のみならず、世界的に深刻な艦艇・人材不足に陥っていた。
現在の極東管区宇宙軍軍人の採用制度は、帝国海軍とは少し違って徴兵制はなく、志願制のみであるが―――帝国海軍では両方あったが志願に重きを置いていた―――、現状では大戦中の帝国海軍同様にとても足りないのが実状で、政府内では、一定の徴兵制度の導入や士官・兵の採用年齢の低下が検討され、是非をめぐって紛糾しているというニュースもチラホラ流れていた。
実際、ユーラシアやアフリカといった元々徴兵制が採用されていた管区では、既に実施されていることもあり、極東での成立も時間の問題とされていたが、この時点では、まだ予備の士官・兵の召集・再教育に留まっていた。
ちなみに、予備役というのは元々軍人であったものが、何らかの理由で退職した者のこと。予備員というのは軍人の資格を持ってはいるものの、平時は民間人として働き、今回のような有事の際に召集される者のことを言う。
この他に軍属と呼ばれる立場の者もいるが、これは軍人ではなく、軍に雇われた民間人のことであり、職務も戦場の軍人たちとは分けられていた。
――もっとも、戦役も後期になると軍人と軍属の分別は、事実上ほとんど無くなっていったのだが。
加えてこの時期は、ガミラスも遊星爆弾による攻撃や、小規模な威力偵察は散発的に行っていたものの、大規模な艦隊による攻撃行動は一時中断していたため、戦局は束の間ではあるが小康状態となっていた。
―――尚、ガミラスが火星にて国連宇宙軍の思いがけない頑強な抵抗に会ったことで、地球との長期戦を想定し、冥王星を本格的な前線基地とすべく
結果、我々としても、ある程度戦力を立て直す期間を得たのである。
詰まるところ、私への人事は別に特別でも嫌がらせでもない、人材不足解消の一環に過ぎないというわけだ。
そういう事情もある程度は耳に入っていたため、私もこれ以上は文句も言えず、かくして1923年の海軍水雷学校高等科以来、実時間で271年、感覚的には22年ぶりの学校通いをする身となったのである。
―――――
7月1日。
私は、九州種子島基地所在の、航宙軍第1術科学校の門をくぐった。
時の校長・近藤勝宙将補に申告と挨拶をすると、
「俺は正直、君を学校に入れ直すという悠長な人事には反対だったのだが、まぁ今更言うまい。恐らく半年程で前線に異動になると思う、覚悟しておけ」
と言われた。
これは中々に厳しい人事だった。
ほかの召集予備役や予備員は一年程の教育期間が設けられていると聞いたのだが。
そのことを指摘すると、
「何を言っているんだ、君のような士官階級にある者を臨時の予備員同様の温い扱いが出来ると思っているのか? 本来ならば今すぐにでも送り込みたいぐらいなんだぞ、いま君に与えられた最も重大な任務は一刻も早く前線に出ることだ、そのつもりでやれ」
とのお言葉だった。
さぁ大変だ。
近藤校長の言われることはごもっともで、私とてこんな状態でなければ、上記のような指摘などしないし、むしろ学校にやったことへの文句でも言うところだが、今現在の私はさっきも言ったように宇宙に関してはド素人である。
だが他人から見れば、私は少しばかり長く離脱していただけの一等宙佐―――帝国海軍で言えば大佐に相当する―――で、れっきとした指揮官階級である。
当然ながら前線に復帰する際には、それなりの責任ある立場になることは間違いない。
通常、宇宙軍士官になるためには、士官・術科学校で約二年に渡る教育・訓練を受けなければならない。
人類が宇宙に進出した初期の頃は、宇宙飛行士になる訓練には最低でも五年を費やしたというから、それと比べれば格段に短縮されているが、私に与えられた時間は僅かに半年。
それだけの時間で、これまで何年・何十年間も、宇宙航海・戦闘を専門にやってきた者たちの中に混じり、かつ彼らに負けぬようになるには、並大抵の努力では努まらぬと悟る。
ぐずぐずしてはいられない。猛特訓に徹する他はないと決めた。
術科学校には、三尉や士卒等の新人を対象とした普通科と、中堅士官の一尉を対象とした高等科が存在するが、佐官を対象としたカリキュラムはない―――CS課程と呼ばれる、嘗ての海軍大学校に相当する教育があるが、“私”はこれの試験を経ていなかった為、受けられなかった―――。
したがって、学校に配属されたと言っても実質的には自習するしかない。
私はこれまでの生涯から、机上の成績と指揮官としての能力には、ほとんど関係がないということが分かっていたし、コセコセと点取りをする必要もないため、専ら実戦に必要な知・徳・体の修練に全力を注ぐこととした。
私にとって幸いだったのは、この時代の艦艇技能訓練に使用されるバーチャル・シミュレーターと、当時、第1術科学校の教頭だった山南修一佐の存在であった。
バーチャルシミュレーターというのは、実在艦艇における戦闘・航海・通信・機関等の操作系及びあらゆる状況に応じた環境をイメージ投影システムよって完全再現しているもので、使用者は本物の艦艇に乗り込んでいるのとほとんど変わらない状態で訓練が行える代物だ。
私は、当然ながらテレビゲームなどという物すら知らなかったので、初めてこれを使用した際には―――まず使い方に四苦八苦してから―――年甲斐もなく興奮してはしゃいでしまったが、すぐにそんな心地ではいられなくなった。
何しろ宇宙艦の操艦など、それまで想像すらしたことがなく、海上艦とは根本的に違うシステムに混乱することも多く、シミュレーションを始めたばかりの私は、成績以前にそもそもどうやって艦を動かせば良いのかということが解らず、途方に暮れた。
そんな私を見かねて助言をくれたのが、山南修教頭であった。
ガミラス戦役の開戦時に、太陽系外周艦隊幕僚を勤めていた山南一佐だったが、当時の沖田司令長官の更迭と共に行われた人事異動で、彼もまた術科学校の教頭に補されていた。
後から思えば、これもまた左遷人事だったわけだが、実直で楽観的な性格の山南一佐は不平を漏らすことなく、近藤校長を補佐して、新しい人間教育を熱心に担っていた。
「本当に忘れてるんだな・・・・・・」
山南一佐は、嘗て士官候補生学校一号生徒(最上級生)総代だったころ、三号生徒だった“私”の指導官を務めていたそうで、そのよしみからか、その呆れたような口ぶりとは裏腹に随分と親身になってくれた。
「今後は第一線での勤務が主になるだろうから、最低限これぐらいはやっておいたほうがいいぞ」
そう言って、艦の最低限の動かし方を教えてくれた上、彼の経験を元にした必要技能のメニューを組んでくれた。
朝は地球からの出航~航行指揮訓練、昼はアステロイドベルトやトロヤ群を仮想戦場とした戦闘指揮訓練(応急等の宙泳含む)、夕方は地球帰航・接岸訓練、夜は書庫に篭って、宇宙軍事学の勉強及び日中の訓練戦策評価を基にした反省研究で締めくくる。といった具合である。
これは誠に助かったが、いざやってみるとやはり難しく、最初のうちは舵の取り方を間違えたり、機関の発停時期を失したり、隊列を組んでの航行中に僚艦と衝突したり、応急の際、機密服のノズル操作を間違えてあさっての方向にふっ飛ばされて目を回す等々、現実にやったら切腹物の散々な失敗の連続だった。
泣き面に蜂というものか、シミュレーション中になんの前触れもなく突然嘔吐した上、2、3日に渡って頭痛と倦怠感に襲われるのにも参った。
海における船酔いと似たようなものだが、気分不快が先に来る船酔いに対して、嘔吐の方が先に来るのが特徴である。
月から地球に帰還する時にも、この症状に見舞われたが、中々に厄介である。
私は前世の頃から山育ちということもあって、実はあまり酔いには強くない。
嘗て少尉候補生として、初めて練習艦で遠洋航海に出た時も、ひどい船酔いに襲われ、「こんなに苦しいんだったら陸軍にしときゃよかった」などと洗濯桶を抱えてボヤきまくっていた思い出もある。
――尤も、慣れてしまうと不思議なもので、逆にあの揺れ具合が、揺り篭のように心地よく感じるようになったのだが。
そんな踏んだり蹴ったりの状態だが、泣き言を言っている暇はない。
私もいい大人だから、このようなことまで多忙な山南教頭の手を煩わせる訳にはいかない。
私は“月月火水木金金”の精神で、毎日毎日、時に順番や時間帯を変えながら、繰り返し繰り返し訓練に励むと共に、未知数であった宇宙軍事学を学ぶために、時には私よりずっと若い者のなかに混じって講義を聞いたりしながら、寝る間も惜しんで必死で勉強した。
そうして日が経つにつれて、段々と自分の身体の感覚が慣れてきて、失敗は少なくなり、自分のやっていることが心身ともに分かってくる。
ひたすら修練に励んだ甲斐あって、半年が過ぎることには、これらのシミュレーションをあくびが出そうになる状態でも高評価を叩き出せるようになった。
難しいことではない。“要は訓練なり”ということを、改めて実感した次第である。
そうした経緯を経て、今回の「駆逐艦『ユキカゼ』艦長ヲ命ズ」という辞令を受け取ることと相成ったのである。
余談だが、この機にできた山南一佐との縁は、その後四年間、『ヤマト』の出撃に至るまで長く続くことになる。
――――――
『ユキカゼ』乗組員総員に迎えられた私は、前艦長に付いて艦長室に入り、そこで引き継ぎを受けた。
前艦長は“私”より五歳年下の後輩・長田勇治二佐。彼はこの後、巡洋艦『ミョウコウ』の副長に転属することになっている。
「誰が後任かと思ったら、えらい先輩が来ちゃったんで驚きましたよ」
と笑う。
私の人事は、五年後輩の後の逆年次で、役職的にも護衛隊司令から駆逐艦長への降格人事だった。
これは通常では中々ない人事だが、先に言ったように現在の軍は、艦艇も人間も数が絶対的に不足している状況であり、すぐに艦を指揮できるような余剰人材が私を含めて僅かしかいなかったのだから仕方がない。
要するに体のいい穴埋め人事なわけだが、こういう戦時下で人手不足の際には士官も曹士も“ポンポン”と出世していくもの。恐らくあと数ヶ月もすれば、予備士官や若手の士官たちが上がってくるだろうから、私の人事はそれまでの繋ぎといったところだろう。
長田二佐より艦の状態説明、乗組員名簿の受け取り、機密図書や金銭、及び備品の在庫等々に至るまで、細かい申し送りを受ける。
「有賀さん、この艦はとても運がいいんですよ」
申し送りをしながら、長田二佐はこれまでの幸運の数々を話してくれた。
『ユキカゼ』という艦名を聞くと、前世、幸運艦として名高かった『陽炎』型駆逐艦・八番艦・『雪風』を思い出すが、この時代の人間にとってその名はほとんど伝説と化していて、開戦以来二度に渡って国連宇宙艦隊が全滅に等しい損害を受けた中で、ほぼ無傷で生き残った『雪風』の名に恥じない幸運さに、長田二佐は得意そうだった。
「ほぉ、そうか」
私としても、幸運艦の太鼓判を押されている艦に乗り組むのは有難い。
私がゲン担ぎだという個人としての気分的なものもあるが、何よりも“この艦は沈まない”という信念が、乗組員たちの中に確固としてあれば、自然、士気は向上するからである。
尤も、それだけに失敗した場合のリスクも高い。
前世のとある水兵の戯れ歌に、「可愛いスーチャンとは心中もよしが、嫌なカン助(艦長)とは別れたい」というのがあったが、こと兵隊というものは上司の持つ資質というものには動物的に敏感である。
艦を生かすも殺すも艦長の号令次第なのだから、自然好き嫌いも激しい。艦長が無能だとすれば、それだけで艦全体の士気は下がってしまう。
まして、ベテランだと思われている艦長が新米のようなミスをしようものなら、その失望ぶりは計り知れまい。
幸運艦であれば尚更だ。
―――まさか何もかもが初めてだなんて思わないだろうしなぁ。
やれやれである。
「それでは後は願います」
引継ぎが終わり、長田二佐は立ち上がった。
「預かる、『ミョウコウ』でも頑張れ」
私も立ち上がり握手をする。これで指揮権の移譲は終わった。
「この艦の乗員の統率は、
最後にそう言って長田二佐は退艦していった。
その職務上、必然的に私とは最も近しくなる人物であるが、果たしてどんな奴だろうか?
―――――
―――こいつはモテそうだな。
艦長室で対面したその男に対する第一印象はそんな感じであった。
「先任士官兼砲雷長、古代守一尉です。よろしくお願いします」
厳格な敬礼をして挨拶をする先任士官――古代守一尉を、私は答礼しつつ、頭のてっぺんからつま先まで“ジロジロ”と観察する。
長身白皙の貴公子といった容姿の美男子、年齢は24歳と若く、任官してまだ三年だが既に一尉の階級にある。
昨今の人員不足もあるとは言え、通常の倍近いペースで昇進し続けているエリートだが、そうした人間にありがちな青臭い秀才という面構えではない。
「よぉ、ご苦労。艦長の有賀だ」
一通り品定めを終えた私は簡単な自己紹介をする。
「前艦長からは
そう聞くと、古代一尉は、
「艦の状態は万全です。ただ、艦長を始め、乗組員の半数以上が異動していますので、こちらは訓練次第と言った所です」
ハッキリと即答した。
私はこの態度には好感を持った。
新しい上司が赴任してきた時、覚えめでたくしようと、耳当たりのいいことだけ言って悪いことを報告しない人間というのは意外と多い。
古代一尉にはそうしたゴマを擦るような態度は全く見られず、ありのままの報告をした上で、その内容とは裏腹に顔つきに不安はなく自信に満ちていて、全体的に颯爽としているように見えた。
無論、第一印象だけでは判断できないが、何となくうまくいきそうな感じだ。
「よし、じゃあビシバシやるから、部下たちの統率はよろしく頼むぞ」
そう言うと、古代一尉は表情に少しばかり嬉しそうな笑みを浮かべて敬礼を返してきた。
その後、古代先任に案内され、艦中央やや後部に位置する講堂に移動する。
講堂とは言っても、後の『ヤマト』の展望室や大食堂のような立派なものではなくて、精々小学校の教室程度の広さで天井の低い、通常は倉庫として使用されている殺風景な部屋である。
その狭い講堂で、幹部士官四名以下、総員二十五名との初顔合わせだ。
私が着任した時の『ユキカゼ』の幹部は古代先任他、以下の三名。
船務長・小松崎賢治一尉。古代先任に次ぐ次席士官。メガネを掛けた、ちょっとインテリ風の顔つきで、規律保持に厳格そうな人物。
航海長・藤川正吉二尉。中肉中背ながらバネの利いた筋肉質の身体で、謙虚ながら、元気の良い人物。
機関長・石黒圭次三尉。叩き上げの特務士官、私を別にすれば最年長。朴訥で小太り。
前二名が二十半ば程、石黒機関長のみが三十半ばである。
上記のうち砲雷長、船務長、航海長の『ユキカゼ』兵科幹部三名は、それぞれ第一、第二、第三班長を務め、彼等の下には班長を補佐する宙曹が一名、その下に宙士が四名ずつ配属されている。班員は、砲雷、航海、通信、レーダー等、種々雑多であり、平時の航海時はこれらが三交代で当直に就く。
念のため説明しておくと、『ユキカゼ』を含む駆逐艦の艦内編成は、戦艦や巡洋艦と違い、科別編成の「分隊」ではなく、各科混成の「班」である。
これは艦が小さいということと、コンピューターによる自動制御化が進んだことで、明治期の水雷艇並みの少人数で運用されており、各科の人数に相当なバラつきが出るためである。
唯一、第四班のみが機関長以下、機関員のみで講成されている。これは、基本的に機関長は艦橋当直には就かないためだ。
また、この兵科とは別に主計長、衛生長がいるのだが、彼らに班はない。
何故かと言うと、『磯風』型駆逐艦には、主計士、衛生士はそれぞれ一人ずつしか乗り組んでいないからである。
「かしらー、中!!」
私が壇上に上ると、先任伍長の号令が掛かり、士官は挙手の敬礼、曹・士はまっすぐ気をつけをして注目の敬礼をする。
これに対して私は答礼しつつ、眼前に立つ乗組員たちを中央、右側、左側の順番にゆっくりと顔を向けて見回し、手を降ろす。
―――皆、若いな。
目に映る大半が二十代半ば程度の年齢なのである。中には、まだ十代の学生の色を濃く残している者もいる。四十代の我が身がやけに老けているように思われた。
なに、気力では負けるものか。と、腹に力を入れる。
「私が本日付で『ユキカゼ』艦長を拝命した、一等宙佐・有賀幸作である。只今を持って本艦の指揮を採る」
月並みな訓示をしながら、私は目の前に立つ二十五名の部下たち一人ひとりを注意して見る。
馴染みのない艦の運用システムを如何に使いこなすか、ということ以上に、まずは彼らを掌握することが重要である。
当たり前だ。戦うのは機械ではなく人間なのだから。
訓示を終え、全乗員の敬礼を受けながら、私は壇を降り、艦長室へと歩を進めた。
いよいよ『ユキカゼ』艦長としての勤務が始まる。
―――――
『ユキカゼ』の出撃命令は殊の外早く下った。
訓示が終えた翌日、艦長就任の挨拶廻りのため、軌道護衛総司令部(軌道護衛総隊)に出向いた時である。
当時『ユキカゼ』は、それまで駆逐隊を編成していた僚艦が『第一次火星沖海戦』で撃沈されていたこと、また連合艦隊そのものが再編途上であったことから、一時的に軌道護衛総隊司令長官の指揮下にあった。
軌道護衛総隊は、嘗ての海上護衛総隊同様、主に地球本土から太陽系各惑星とを結ぶシーレーンの確保、及び防衛を担当する部隊である。
ガミラス襲来以前は、精々内惑星紛争後に出現した宇宙海賊の警戒程度の任務であり、花形の実戦部隊たる太陽系内・外周の連合艦隊に比べて軽視されていたが、その連合艦隊が壊滅状態にある今、事実上最前線の実働部隊であり、最後の命綱として、稼働する残存戦力のほとんどはこの部隊に所属している。
司令長官は内惑星紛争でその名を知られた智将・土方竜宙将。
彼は、先の『第一次火星沖海戦』では、同期の沖田十三宙将の後を受けて、極東宇宙艦隊を率いて戦った人物で、友軍艦隊が一方的に殲滅され、大混乱に陥る中で、冷静に残存艦艇を纏めあげて、転進してみせた。
極東宇宙艦隊が他管区の艦隊よりも、余裕ある戦力を残すことができたのは、土方提督の功績である。
後に思うところあって、士官候補生学校長に転出するが、結果彼はそれによって命拾いすることになる。
当時、富士山麓基地に置かれていた軌道護衛総司令部の長官室で、土方提督に挨拶すると、激励の言葉もそこそこに「艦長に話がある」と作戦室へと通され、現在の戦況についての説明の後、月面方面・極東管区第一軌道護衛艦隊へ合流するよう命じられた。
この時期は『第一次火星沖海戦』の結果、太陽系外周から火星宙域、及び内惑星に至る制宙圏は、完全にガミラス側に握られている状態にあり、我々は辛うじて地球と月を確保しているに過ぎなかった。
嘗ての軌道護衛総隊には、十五もの極東管区護衛隊が存在し、太陽系各惑星に配置されていたが、現在では、地球~月軌道を担当する第一軌道護衛隊に統合され、第一軌道護衛艦隊となっている。
ガミラスは火星宙域制圧後、基地建設や艦隊の駐留などは行わなかったが、高速空母艦載機や駆逐艦隊等による哨戒線を敷いており、しばしば偵察のために地球圏まで近づいてくることもあった。
ただ見物して帰るならばまだいいのだが、時として奴らは飢えたハイエナのごとく、月面からの資源輸送船団に襲いかかってくることも多かった。
地球を別にすれば、月は現時点で太陽系で我々が唯一所有する資源産出星であり、その資源はアルミ、チタン、鉄、ヘリウム3等の鉱物・エネルギー資源はガミラスとの交戦継続には欠かせないものであり、更に酸素や水素、水といった物資は宇宙艦の運用資源であると同時に、地球の大気・土壌が遊星爆弾によって汚染が進んでいる中、人類の生存そのものにも関わる重要なものである。
これを断たれてしまえば、資源は地球で産出される分のみとなり、全世界からなる国連宇宙軍の再建どころか、民間の生活維持すら困難となる。何としてでも航路を確保しなければならない。
これに加え、日に日に落下頻度を増しつつある遊星爆弾への警戒・迎撃も、この頃は第一軌道護衛艦隊が担当していた。
後に、この遊星爆弾の更なる飛来頻度の増加を受けて、本土防衛全般を担当する為に、地上軍と軌道護衛総隊の解散・統合発展という形で、空間防衛総隊が創設される運びとなる。
着任早々の重大な任務付与であったが、私の心中は不安よりもむしろ高揚の方が強かったように思う。
元より軍人として、前線勤務は花であったし、私は付与された任務が困難であればあるほど、やり甲斐を感じる性分だ。
それは、前世における私を多少でも知る者であれば、揃って肯是してくれると思う。
「解りました、行きましょう」
「ご苦労だが、頼む」
私の返事に、土方提督は静かに敬礼を返した。
―――よぉし、やってやろうじゃないか。
今回の回想は前・後編となります。
※尚、本作中では6・7年前における火星での反攻作戦は『第一次火星沖海戦』とし、沖田提督が活躍した『第二次火星沖海戦』は2197年に勃発したものとしています。