アルガユエニ   作:佐川大蔵

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宇宙戦艦ヤマト2199で、元であるはずの戦艦大和に一切触れられていない事への些かの不満から書きました。


プロローグ 「戦艦大和ノ最期」

 宇宙の片隅で太陽が青い星を照らし出す。

 

 静寂の星、緑なす星・・・・・・地球。

 

 死にゆく命、生まれ来る命。

 

 水と光で命を育み、緑に覆われた星の息吹は、幾千万の昼、幾億の夜を経て、また続く。

 

 だが、その生命の営みは時として、蒼き星を紅く染めることがある。

 

 命と命が争い、血を流し、悲しみに満ちる時代

 

 今この時、地球は「悲しみの時代」を迎えていた。

 

 

―――――

 

 

 時に西暦1945年、大日本帝国は落日の時を迎えようとしていた。

 

 四年前、日本の大陸進出と、それを弾劾するアメリカとの間に始まった太平洋戦争において、大日本帝国海軍は開戦の引き金となった真珠湾攻撃を皮切りに、西はインド洋から東は南太平洋まで縦横無尽、八面六臂の大活躍を展開し、アメリカ太平洋艦隊を翻弄し続けた。

 

 しかし、1942年のミッドウェー海戦で主力空母四隻を喪失する大敗北を期した後、戦況は悪化。

 

 圧倒的な工業力、技術力、財力、人口を誇るアメリカは年を追うごとに、質量ともに日本を圧倒し、南洋の島々を次々と攻略。1944年7月にサイパン島が占領されると、アメリカは超重爆撃機B29を大量に用いて日本本土への無差別な空襲を行うようになり、帝都東京を始め日本の各地が焦土と化した。

 

 頼みの綱である日本連合艦隊も強大となったアメリカ太平洋艦隊に、マリアナ、レイテ沖で発生した二大海戦において一方的敗北を期し、もはや壊滅しようとしていた。

 

 そして、西暦1945年4月1日、アメリカは遂に日本本土の辺境である沖縄への上陸作戦を開始。その戦力は戦艦20、空母22、巡洋艦32、駆逐艦83、輸送船他補助艦艇約1500、上陸部隊約18万、艦載機1163という最早凄まじいという言葉すら生ぬるい超大兵力であった。

 

 日本海軍は、何とか沖縄上陸を阻止し、アメリカ軍を撃破して、上陸占領を断念に追い込むべく、残存稼働戦力のすべてを持って戦いに臨もうとしていた。

 

 

―――――

 

 

 4月7日 九州南東坊ノ岬沖。

 

 台湾から数日おきに低気圧が九州へ向けて北上する影響で天候不安定なこの海域を、大日本帝国海軍第二艦隊は第三警戒航行序列、所謂輪形陣と言われる陣形を取り一路沖縄に向けて疾走していた。

 

 その陣形の中心に位置する戦艦『大和』の第一艦橋上部に位置する防空指揮所では見張員達が備えられている双眼望遠鏡を除き、目を皿のようにして空を監視している。

 

「どうやら敵は我々を捉えたようだな」

 

 その防空指揮所の中心に立つ男――戦闘服、鉄兜、防弾チョッキ姿で双眼鏡を持つ完全武装姿の『大和』艦長・有賀幸作大佐は、自身の低い背丈を伸ばすように上空を睨みつけた。

 

 上部の測的所内にある電探室から、敵編隊二群が七十キロに接近しているとの報告が入り、全艦が対空戦闘配備の状態にあってから電測士が敵大編隊の動きを逐一報告してくる。

 

「敵は何分ぐらいで来るかな」

 

 有賀は普段通りの声で尋ねる。

 

「恐らくあと一時間ほどかと」

 

 電測士からの返答に〝ふん〟と頷くと有賀は腕を組む。

 

 ――さて、どうなるかな

 

 去年まで『大和』艦長を務めていた同期の森下信衛少将から聞いた話では、『大和』の操艦は決して楽ではない。慣れるまでは白刃の下をくぐるようなものだと言っていた。

 

 ――正直まだモノにしたとは言えないが・・・・・・。

 

 彼がそんなことを思い浮かべるのは、実質『大和』を動かすのは今回が初めてだったからだ。

 

 西暦1897年8月21日生まれ、長野県出身で47歳になる有賀幸作大佐は、太平洋戦争を第四駆逐隊司令として迎え、さらに1943年からは重巡『鳥海』艦長を務め、アメリカの艦隊、航空機との激闘を何度となく潜り抜けてきた生粋の現場指揮官である。

 

 六ヶ月前、有賀は内地で水雷学校教頭をしていた所を、『大和』艦長に抜擢された。

 

 開戦以来の実績を見込まれてのものであったが、これまで駆逐艦や巡洋艦といった中小艦勤務―――水雷畑を歩み続けてきた有賀にとって、世界最大の戦艦である『大和』は勝手が違い、特に操艦は非常に難しい問題であった。

 

 無論、有賀は訓練によって自分を含めた全乗員の心技体を練磨して、『大和』の戦力を高めようとしていた。ところが補給される燃料が細々のため、航走しての訓練ばかりか、停泊中の主砲射撃訓練さえも思うように出来ない状態で、さすがに憂鬱とした気分になった。

 

 ――もっとも

 

 有賀は防空指揮所から全周を見回した。

 

 『大和』を中心とした艦隊は、軽巡『矢矧』と駆逐艦七隻(八隻いたが、少し前に『朝霜』が機関故障で離脱)が半径一.五キロの円周上に等間隔で位置する形で航行している。上空を見れば味方戦闘機の姿はない。

 

 戦艦一、軽巡洋艦一、駆逐艦七。

 

 これが開戦時、世界第三位と言われた海軍国家の最後の艦隊の陣容だった。

 

 しかし、こう言ってはなんだが小規模な艦隊の御蔭で、いざ戦闘となった際には艦隊運動をあまり気にすることなく個艦で思いっきり走らせることができる。

 

 加えて有賀は自分の水雷屋として若きころより艦長として積んだ経験から、操艦には自信があったし、動けない訓練でも有賀は手を抜くことなく、厳寒の朝だろうと深夜訓練だろうと、必ず防空指揮所にあって防寒コートも、手袋もなしに常に先頭に立っていた。

 

 その姿は乗員たちに畏敬の念を与え、現在『大和』乗員の合言葉は「艦長に続け」であるほどに信頼を得、士気は旺盛であった。

 

 ――こうなりゃ、腹括って出迎えてやろうじゃないか

 

「艦長、雲模様は我々に利がありそうですな」

 

 高射長が有賀同様空を見上げながら言う。

 

 現在の海域の厚い雲海は高度一千メートル。

 

 この高度は通常の戦闘機の空戦高度や、艦爆の攻撃開始高度より下で、その位置からは海面が目視できない。

 

 このまま雲が厚く、さらに低く垂れこめてくれれば、或いは敵は航空攻撃を危険と判断して見送るかもしれない。で、あれば沖縄に突入できる確率はグッと高まる。

 

 そんな期待がよぎったのだが、

 

「左三十度、敵機発見。距離二〇〇!!」

 

 見張員の一人が、南東から向かってくるアメリカ軍機動部隊第一次攻撃隊約一五〇機の出現を知らせた。

 

 防空指揮所が緊張に包まれる中、一人有賀は無言で懐から愛用のタバコを取り出して口に咥え、マッチを取り出す。

 

「高射長、どうやら敵さん」

 

 そこまで言って風の強い防空指揮所にあって一発でマッチを摺り、タバコに火を点け、煙を一吐したところで、

 

「見逃してはくれんようだぞ」

 

「・・・・・・ですな」

 

 相変わらずの「エントツ男」ぶりに敵襲だというのに皆苦笑い。

 

 防空指揮所中央の羅針儀を前にして、有賀は迫力ある号令をかけた。

 

「之字運動やめッ、前進速度二十四ノット、対空戦闘態勢!!」

 

「雲が低い、上空近距離に気をつけ!!」

 

 有賀の命令から十分後、アメリカ軍攻撃隊は、『大和』とその前方の『矢矧』を主目標にして、四方から攻めかかってきた。

 

「各長の命令で射撃はじめ!!」

 

 ついで右舷前方の爆撃機の編隊を注視しながら、第一艦橋に通じる伝声管に怒鳴った。

 

「面舵いっぱーい!!」

 

「面舵いっぱーい!!」

 

 間髪を入れずに復唱が帰るとともに、『大和』は急速転舵に入る。

 

 一回、二回、爆弾は左へ外れていった。

 

 機銃員たちは猛射し、右正横から急降下した敵爆撃機数機のうち一機を撃墜した。

 

 しかし、砲、銃ともに、対空射撃の環境、条件は極めて悪かった。

 

 高度一千メートルの厚い雲は先ほどの高射長の言うようにアメリカ軍機の視界を阻害していたが、それは『大和』も同じ、いやより悪かった。

 

 何しろ一千メートルより上空は覆われていて敵機が見えない上、『大和』には射撃用レーダーを装備した自動制御の射撃指揮装置がないため、雲中雲上の敵機へは射撃できない。雲から出てきたときはすでに照準する間もない。

 

 レーダーで第二艦隊を捉えながら雲上雲中に隠れて接近し、雲から降下して銃撃、爆撃、雷撃をするアメリカ軍攻撃隊は、目標を定めて照準する困難はあるが、艦隊からの有効な射撃を多く受けずに済む。

 

 艦隊は絶え間なく回避運動をするので、これも自動制御の射撃指揮装置のない対空火器は、有効な射撃が難しい。

 

 おまけにアメリカ機は防御装備(特に人体、燃料タンク)と消火装置がよくできていて、砲弾の断片や、十三ミリ、二十五ミリ機銃弾が当たっても簡単には落ちない。

 

「いい腕をしてるな」

 

 有賀は敵機の動きに思わず感心の声を漏らす。

 

 アメリカ軍攻撃隊は戦闘機、爆撃機、雷撃機が同時に攻撃を加えてくる。

 

 戦闘機が機銃掃射をし、爆撃機が突入し、その下を雷撃機が突進してくる。雷撃機は一万~二万メートルぐらいまで編隊で来て、そこから死角のないように隊列を整えて展開している。そして『大和』を中心に扇型の突撃態勢をつくり、海面すれすれを這うようにやってくる。

 

 駆逐隊司令、『鳥海』艦長時代にもアメリカ軍機と激闘を繰り広げた有賀であったが、今相手をしている敵パイロットたちは、自分の記憶と比較すると明らかに高練度だった。

 

「我に利あらず」

 

 有賀は思ったが、それでもしばらくは回避運動が合理的にできた。

 

 最初に来た雷撃機十数機は三千メートル以上も遠くから、魚雷を発射したが、難なく全魚雷を回避し、爆弾も右に左にと逸れていった。

 

「水雷屋を舐めるなよ、アメ公」

 

 しかし、戦闘開始から10分。

 

「左舷後甲板直撃弾二!!」

 

「後部副砲火薬庫付近火災!!」

 

「消火急げ!!」

 

 遂に急降下爆撃機の投下した、中型爆弾二発が命中した。

 

 いずれも後部副砲付近に命中し、後部主砲射撃指揮所、後部測的所、後部副砲射撃指揮所、二番副砲、後部電探室、機銃群を爆破し、電探室及び副砲射撃指揮所要員を全滅させ、その他も負傷者多数であった。

 

 有賀のいる防空指揮所にも、敵機の機銃掃射で見張員と伝令が一名ずつ倒れていた。

 

「左七十度、雷撃機!!」

 

「おもーかーじ!!」

 

「左九十度雷跡!!」

 

 七千メートルから向かってきた雷撃機は面舵で回避したが、すぐ左一千メートルから迫った雷撃には対処できず、一本が左舷前部に命中した。

 

「応急の状況を知らせ」

 

 伝声管で有賀は応急指揮所に質すと

 

「船艙倉庫に浸水あるも、戦闘に支障なし」

 

 と応答があった。

 ついで見張長を見やり尋ねる。

 

「令達器は大丈夫か?」

 

「生きています」

 

 返答を聞いた有賀は羅針儀を前に仁王立ちし、マイクで厳然と呼びかけた。

 

「本艦の任務は重大である。本艦に力がある限り、任務を遂行する。みな全力をあげ、最後まで頑張れ」

 

 しかし、有賀の叱咤激励も虚しく、米空母機の攻撃は徐々に正確さを増していった。

 

「右六十度雷撃機、数二十!!」

 

 『大和』の右舷四千メートル付近から雷撃機二十機が向かってきた。面舵へ回避すると、一分後に左舷五十度、二千メートルより雷跡六本が進んできた。挟み撃ちであった。交わしきれず、左舷中部に魚雷三本が命中。

 

「副舵故障!!」

 

「四番高射器使用不能!」

 

「左舷十番、十二番高角砲破壊!!」

 

「左舷機関室の状況はどうか?」

 

 有賀は機関室の安否を調べさせたが、無事であった。

 

「傾斜はどれくらいか。傾いていると撃ちにくくてしょうがない。はやく直させろ」

 

 艦は七、八度傾いていた。

 

 右舷中部下甲板の注排水指揮所ではこれを受け、右舷タンクに海水三千トンを注水しほぼ復元した。

 

「何のこれしき、『大和』は二本や三本の魚雷で沈む艦じゃない」

 

 しかし、左舷下甲板の高角砲発令所は全滅し、左舷高角砲と機銃員の約四分の一が戦死傷していた。

 

 さらに十分後、左前方から来た魚雷四本を回避したのも束の間、またしても左舷中部に魚雷二本が命中した。

 

 『大和』も負けじと右舷から入ってきた急降下爆撃機数機を回避し、左舷ではこれを二機撃墜した。

 

 しかし、これで左傾斜が十五度に増し、速力も十八ノットに低下した。

 

 『大和』は確実に追い詰められていた。

 

 14時を過ぎると『大和』は左舷中部に中型爆弾三発被弾し、左傾斜が二十度を超えた。

 

「傾斜復元急げ、復元ッ急げェ」

 

 伝声管で繰り返し怒鳴る有賀に悲痛な報告が入る。

 

「『矢矧』、沈没するッ!!」

 

 見張員の報告に有賀は思わず目を向ける。

 

 『大和』同様に米攻撃隊の主目標となっていた軽巡『矢矧』が既に波間に消えかかっていた。

 

 ――『矢矧』、古村・・・・・・!!

 

 『矢矧』には第二水雷戦隊司令官にして有賀の同期生、さらには同郷の幼馴染という間柄である古村啓蔵少将が座乗していた。しかし、この状況では安否を確認することはできなかった。

 

 既に他人ごとでは無くなりつつあったのだ。

 

 傾斜が二十度を超えれば、目標が見えても回避は思うようにできない。右舷に魚雷を発見して回避するために面舵を取った際、遠心力で左に大きく傾き転覆しそうになった。

 

 必然『大和』は左へ左へと廻るしかなく、もはや魚雷の命中を避けることはできなかった。

 

 右舷タンクは満水となり、これ以上は注水できなくなった。左傾斜は二十五度になっている。

 

 これでは、主砲、副砲はもとより、高角砲すら打てない。

 

「右舷四十度四千、雷跡二!!」

 

 見張り員の報告に有賀はとっさに叫んだ。

 

「航海、進路そのまま直進」

 

「艦長!?」

 

 何を言うのかと振り向く見張長には視線を向けず有賀は伝声管に続けて叫ぶ。

 

「傾斜復元のために、このまま右舷にぶち当てるんだ!!」

 

「よーそろー」

 

 航海長の復唱から数秒後、有賀の目論見通りに右舷に七十度の角度で魚雷一本が命中した。命中したのだが、

 

「艦長、穴どころかビクともしません」

 

 皮肉にも『大和』の厚い装甲によってこの魚雷は食い止められていた。

 

「そうか、『大和』はすごい艦だな・・・・・・」

 

 有賀は思わずニンマリと笑った。

 

 右舷に破口ができなかった以上、射撃力を回復させて戦う方法は一つだった。

 

「右舷機関室、右舷罐室注水せよ」

 

 伝声管を通じて命令を受けた能村次郎副長は、一瞬復唱に詰まった。

 

 機関室と罐室では、多数の機関科員たちが今なお懸命に働いているのだ。戦闘中で密閉されているそこに注水すれば・・・・・・。

 

「復唱はどうした、副長」

 

 これまでのように怒鳴るのではなく、静かな有賀の声が聞こえる。

 

「・・・・・・右舷機関室、右舷罐室注水」

 

 非情の決意をした有賀の命を受けた能村は復唱し、注排水指揮所に命令した。

 

 艦底から水攻めにされた両室員数百名の犠牲と引き換えに、『大和』の傾斜は六度に復元した。

 

 しかし、それを嘲笑うかのように僅か十分後には、さらに左舷中部と後部に一本ずつ被雷した。

 

「衛生兵!! こっちもみてくれ」

 

「誰かァ、手の空いてるものは運ぶのを手伝え!!」

 

「重傷者には絶対に水をやってはいかんぞォ!!」

 

 艦上、艦内は既にいたるところが破壊され、血糊と粉砕された人体で地獄絵図と化しており、尚死傷者は増え続けている。

 

 それでも有賀は対空戦闘と操艦に挺身し、頭上から雪崩込む海水にずぶ濡れになりながら伝声管に向かい「みな、がんばれ」と叱咤激励を続けていたが、そこへ防空指揮所の警鳴器のブザーが鳴る。

 

「艦長、艦内各弾庫、火薬庫の温度上昇、危険です!!」

 

 限界温度を越して爆発すれば『大和』といえども吹っ飛ぶ。

 

「弾庫、火薬庫注水!!」

 

 有賀は潰れた声を張り上げたが、注排水指揮所は魚雷で壊滅し、各弾火薬庫とも連絡が取れなかった。

 

「伝令走れ!!」

 

 有賀がそう命じた瞬間、さらに一本の魚雷が左舷中部に計十本目となる命中。左傾斜が急激に増加し、もはや転覆に近い状態となった。

 

 ――もはや、これまでか。

 

 最期を悟った有賀は、伝声管に向かう。

 

「航海、艦を北に向けろ」

 

 人間が死んだ際に「北枕」にするように、有賀は『大和』が沈む前に北に向けようとした。

 

 しかし――

 

「艦長、艦はもう動きません」

 

「そうか」

 

 航海長の返答に有賀はぽつりと呟いた。

 

 右舷注水機械、後部舵取機室は、すでに浸水で操舵不能となっていた。

 

 そこへ伝声管を通じて声が響いてきた。

 

「有賀、もういかんな」

 

 第二艦隊参謀長として、『大和』に座乗している前『大和』艦長・森下信衛少将の声だった。

 

「ダメか」

 

「少し前まで俺の艦だったんだ、分かるよ」

 

 お互い小声だが、同期らしく遠慮のない口調だ。

 

「有賀君」

 

 森下に次いで、静かで穏やかな声が聞こえてくる。

 

「残念だけど、もうこの辺でいいと思う。総員退去を下命してくれ」

 

 第二艦隊司令長官・伊藤整一中将の声だった。

 

「了解しました」

 

「皆、ご苦労だった」

 

 それを最後に伝声管からの声は途絶えた。

 

「御真影守れ、軍艦旗下ろせ、総員最上甲板!!」

 

 有賀は令達機で号令を出すと、防空指揮所に残っている者を見回した。

 

 若い艦長伝令が強ばった表情で有賀を見ている。

 

「俺は責務上艦もろともに逝く、貴様たちは速やかに艦を離れろ」

 

 多くの者が中々動けずにいる中、艦長伝令の士官が一歩前へ出て、

 

「艦長。私共は艦長とお供いたします」

 

 と申し出た。日頃剛胆で赤ら顔の有賀に心服した男だった。

 

 一人がそう言い出すと、残りの者たちも「私も、私も」と続く。

 

「何を言うか、ここは若い者の死に場所ではない。戦いは終わりだ、貴様達は生き延びて明日の戦力にならねばならん、急いで降りろ」

 

「嫌です、我々も一緒に」

 

 頑として聞こうとしない若い士官達に有賀は内心感動を禁じ得なかった。

 

 彼らの目には生死についての葛藤など見られず。ただ、重きものを重さとせぬ若さ、自身の運命に逃げずに立ち向かわんとする勇気、健気さを持ってまっすぐ進まんとする心意気。

 

 そして、日本、海軍、『大和』に対する深い愛情。

 

 この理不尽極まりない状況下で、日本人の責任感の根源、古来からの「サムライ」たちがそこにいた。

 

 だからこそ有賀は彼らの死を受けるわけには行かない。

 

「生きろと言っとるのが分からんのか貴様らッ!!」

 

 そう言うと有賀は士官達の肩を強く掴み、防空指揮所の端まで引きずっていった。

 

「有賀艦長!?」

 

「馬鹿、若い者は飛び込んで泳げ」

 

 そう言って有賀は、泣きださんばかりの形相の士官達をすぐ下まで迫っていた水面に次々と投げ飛ばした。

 

「まだ、満更でもないな」

 

 自身の体力が、まだまだ若い者に負けてないと確認した有賀は一人破顔一笑すると、タバコを取り出し口にくわえた。

 

 ――俺みたいなオヤジを力づくで引っ張れないうちに死ぬことはないさ。これからの日本を引きずり上げてからだよ、貴様らは。

 

 中央羅針儀まで戻った有賀は、指揮用の白手袋で羅針儀に掴まり、ぐっと握り締めた。

 

 ――とうとう何の役にも立てなかったか。

 

 一人になった有賀は傾斜がどんどん強くなる中で、自分ではなく『大和』の運命について思いを馳せていた。

 

 ――まったく、俺って奴は

 

 どうしようもない戦馬鹿だと思う。

 故郷には妻も子も、年老いた母もいるというのに、最期に考えるのが艦のこととは。

 

 初めて有賀が『大和』を見たのは、対米開戦の二週間前。当時、第四駆逐隊司令として、仏印南方に向かうべく、豊後水道を南下していた時である。

 

 航行中、第四駆逐隊は来るべき戦闘に備えるべく、途上に存在する漁船、島、鳥等々、目に映る全てを敵に見立てて訓練を行っていた。

 

 その最中、水道中央、遥か前方に浮かんだ島の如く巨大な黒い影。それが『大和』だった。

 

 当時の有賀にとって、『大和』は多くの海軍軍人同様、噂に聞くだけの幻の大戦艦で、いずれは、日本海軍の象徴となるであろうと言われた存在というだけであった。

 

 だが、期せずして、間近で航行する『大和』を眼にしたとき、有賀は思わず背筋がゾーッとする思いがした。

 

 流れるような美しい線で囲まれた艦体、ガッシリとした重量感ある堅牢な艦橋、太陽に眩しく輝く銀ねずみ色の巨体。

 

 巨大さ、堅固さ、そして美しさ、すべて海軍の最高技術の粋を集め、駆使して誕生した英姿。七万トンの鋼鉄の城塞と謳われながら、この美の極致とも言うべき容姿。

 

 両舷で海水を押し分け、艦尾波を台座のごとく盛り上げて、あたかも海面を一段高く持ち上げているかのような迫力。

 

 どれをとっても、その威容は素晴らしいばかりだった。

 

 ――あんな艦を自由自在に操ることができたならば、海軍軍人として、男として、感激の極みであろう。だが、自分は水雷屋。成績もあまり良くなかったし、恐らく縁のない艦だろうなぁ。

 

 試運転中の『大和』と行き交いながら、有賀はそう思っていた。

 

 それから三年余り。何の因果か自分が、その『大和』を預かる日がやってきた。

 

 その間に、戦況は圧倒的に日本不利の情勢となり、連合艦隊も各地で戦い、多くの艦艇が沈んでいた。

 

 だが、本来、対米戦で主力となり、象徴として君臨するはずだった『大和』は、就役以来、連合艦隊司令部の豪華なオフィス兼ホテルとしてしか使われず、闘いに参加するようになってからも、十分な活躍をすることはなかった。

 

 歴史の流れは、大戦艦の時代から航空機へと移ってしまっていた。

 

 開戦前、どの国においても補助部隊にすぎなかった空母機動部隊を次代の主役であるという例を作ってしまったのは、開戦時、真珠湾を攻撃した日本海軍航空隊であった。

 

 真珠湾でアメリカ戦艦八隻を撃破し、さらにマレー沖でイギリス戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』を撃沈したことは、航空優勢の証明には十分であった。

 

 以来、主要海戦の趨勢を決めてきたのは日本、アメリカ共に航空機であり、戦艦などは無用の長物に過ぎなくなってしまった。

 

 ――貴様も悔しかったろうなァ『大和』

 

 例え、戦争という悲しい目的のために生み出されたとしても、『大和』は日本の国家国民を守護するため――戦うために生まれた希望の星だ。

 

 それを床の間にある骨董品のような飾り物にされ、満足な活躍の場も与えられない悔しさ。

 

 呉軍港で、初めて艦長として『大和』と向かい合ったとき、有賀は、『大和』がひしひしと、それを訴えているように感じたのだ。

 

 ――ならば、俺が貴様の死に水をとってやる。

 

 有賀はそう決心し、

 

 ――死に場所を得て、男子の本懐これに勝るものなし。

 

 と思い定めた。

 

 今にして思えば有賀はこの瞬間『大和』に「恋」をしていたのかもしれない。

 

 沖縄陥落を阻止し、アメリカ軍を撃破して上陸占領を阻止するなどは机上の空論、九分九厘不可能であることは分かりきっていた。

 

 だが、伊藤や森下、古村たち第二艦隊幕僚の大半がこの作戦に猛反対する中で、有賀は乗艦して間もない候補生や老年兵、傷病兵を退艦させた以外は黙して語らず、作戦準備を進めた。

 

 せめて、何としてでも『大和』を沖縄に突入させ、沿岸に乗り上げて浮き砲台となって、四六センチ主砲を撃ちまくり、獅子奮迅、阿修羅の如き様を見せつけ、沖縄県民の士気を高揚し、アメリカにひと泡もふた泡も吹かせてやりたい。

 

 そうすることで『大和』はその生まれた使命を果たし、悔いを残すことなく死んでいける。

 

 それだけを思っていた。

 

 ――結局その死に様すら俺は作ってやれなかった。

 

 なんとも皮肉なことに今、アメリカはかつて日本が『大和』から活躍の場を奪った「航空主兵」でもって、『大和』を撃破しようとしているのだ。

 

 『大和』は今、沖縄の遥か彼方にあって航空機の攻撃に会い、敵艦隊を見ることすらできずに、ただの多くの乗組員たちの棺桶と化し、沈もうとしている。

 

 ――すまなかったな、『大和』

 

 傾斜はますます悪化し、遂に九十度を超えたとき有賀は無意識のうちに、しゃがれ声で叫んだ。

 

「天皇陛下ばんざーい!!」

 

 叫び終わった時、傾いていた左舷側から波が押し寄せ、有賀に襲い掛かった。

 

 有賀は波に流されそうになる中、必死で羅針儀に、『大和』にしがみついた。

 

 ――離れん、俺は断じてこの艦を離れんぞ!!

 

 海抜0メートルを超えても有賀の体は『大和』にあった。

 

 『大和』沈下の中、息苦しくなると同時に、有賀の意識も段々ボンヤリとしてくる。そんな中、有賀の脳裏には妙な光景が浮かんできた。

 

 人間いよいよ死ぬという瞬間にはこれまでの人生が一気にフラッシュバックする、所謂走馬灯と呼ばれるものを見るという。

 

 しかし、有賀の脳裏に浮かんできたのは、自分の記憶にない光景。

 

 花咲く丘、鳥鳴く森、魚すむ水。

 

 何の変哲もない風景が続いていく。

 

 永遠に、永遠に。

 

 ――何だ、これは?

 

 こんな何の変哲も、記憶もない風景に何の意味が・・・・・・。

 

 無我の中でそう思った瞬間、凄まじいオレンジ色の光が目の前に広がり、連続する衝撃波が有賀の身体と脳裏の風景を襲い、刹那、一気に真っ暗になった。

 

 意識を完全に失う直前、有賀は妙な形をした「何か」が地上に落ちたのを見た気がした。

 

 西暦1945年 4月7日 14時23分

 戦艦『大和』 転覆後、大爆発と共に沈没。 

 位置 北緯三十度二十二分 東経百二十八度四分

 伊藤整一第二艦隊司令長官以下2700余名戦死。

 

 この日から四ヶ月あまり後の8月15日。大日本帝国はアメリカをはじめとする連合国に対し無条件降伏し、第二次世界大戦は終結する。

 

 これが『大和』と「有賀幸作」のひとつの終わり。

 

 

 だが―――

 

 

「・・・長・・・・・・艦長?」

 

「ん・・・・・・おお」

 

 コンソールから響く副長の声に、私はハッと現実に戻った。

 

 目に映るのは巡洋艦『チョウカイ』の艦橋であり、私が座っているのはその艦長席だった。

 

 どれぐらいの時間が経ったのか、知らず知らずのうちに長い回想に浸っていたようだ。

 

 いかんいかん。

 

「今どの辺だ?」

 

「冥王星空間まであと126万キロの地点です」

 

 窓の外を見れば、一面の漆黒の中に無数の星の煌きが見える。

 

 地球上から眺める夜空よりも近く、また、遠いという矛盾を私はいつも感じていた。

 

 そしてすぐ傍を見ると、戦艦『キリシマ』他、巡洋艦八、駆逐艦十二という陣容が物言わぬ様子で航行している。

 

 宇宙を航行する艦隊というものにも随分と慣れたものだ。初めのうちは前世で想像すらしたこともない出来事の連続に焦りに焦ったものだが・・・・・・。

 

「艦長、『ユキカゼ』が先行します」

 

 CICからの報告に、先程までの回想の余韻はどこへやら、血肉が沸き立ち、肌が粟立つ。

 

 我々の行手に待ち構えているのは過去8年間に渡って、地球を汚染し、罪無き人々を無差別に傷つけ、殺戮し、尚も攻撃してくる悪魔どもなのだ。

 

 かつて自分たちが鬼畜と呼んだ米国人以上、否そもそも本質的に違う連中なのだ。

 

「おい、砲雷。ここからは貴様の独壇場だ、ガミ公が現れたら即座に砲雷戦ができるよう手ぐすね引いて待っておけよ」

 

 私は演習を行うときと同じような口調で、砲雷長に声を掛ける。

 

 前途は全く楽観できない状況であるが、そういう時だからこそ大和魂を持った軍人らしく平常心で立ち向かう。

 

 それが前世から一貫した私――有賀幸作の信念である。

 

 

 ひとつの終わりは、新たなる始まり。

 

 『ヤマト』と「有賀幸作」の始まりはもう少し先のことである。

 

 




謹んで、故有賀幸作海軍中将を描きます。

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