未来人の選択   作:ホワイト・フラッグ

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時間が欲しい。


37.黒の片鱗

叡山より姉小路の兵が敗走したという報告が入った。

 

「地の利、数の利は敵にあり。敵の勢いに敵わず……!」

「生存者はあなた達だけ?」

「は! 討たれた兵は数多く、海斗どのも敵中深く入り討ち取られたやも……」

「いいわ。休んでちょうだい」

 

頼綱が配下を下がらせると久秀が口を開く。彼女はこの報告を待ちに待っていた。

 

「兵が戻ったのですから、焼き討ちを始めても異存ありませんわね?」

「それは……」

「何度も言いますが、我等は多くの敵に囲まれております。状況の打開には一番の手なのです。それとも、姉小路どのはここで果てるのがお望みですか?」

「……いいえ」

 

焼き討ちに尚も反対しようとする頼綱に久秀は畳みかける。彼女の言う通り包囲を崩さねば苦しいのは姉小路も同じ、頼綱は折れるしかなかった。頼綱の返事を聞いた久秀は優しい微笑みを浮かべながら信奈に向き直る。

 

「さぁ信奈さま。問題は解決しました故、相良どのの仇討ちを」

「……うん。よしはる……の仇……」

 

虚ろな目を空へ漂わせながら信奈が焼き討ちを号令しようとした時、一人の少女が陣幕を潜って声をあげる。

 

「お待ちください! 叡山を焼いてはなりません!」

「半兵衛どの」

 

竹中半兵衛。今の今まで体調を崩し臥せっていた彼女だが、叡山の包囲を聞くや無理を押してやってきたのだ。半兵衛は息を切らせながら信奈を説得する。

 

「古い権威と仏教界の象徴である叡山を焼けばあらゆる宗派がこれを非難するでしょう!」

 

普段は気弱で良晴の後ろに隠れているような半兵衛が必死に声を上げていた。

 

「その上、今は不在とはいえ叡山の天台座主は卑弥呼さまの兄君です。民心ばかりか御所の信頼を無くします。そうなっては織田家が天下に号令する事ができなくなるのですよ!」

 

信奈は思考がまとまらず半兵衛の言葉に何の反応もできなかった。その様子に半兵衛は尚も言葉を続けようとするが久秀がソレを遮る。

 

「控えなさい! これは相良良晴の仇討ちでもありますよ」

「良晴……仇……!!」

 

久秀の言葉に信奈の目に光が戻る。復讐に燃える炎のような光が宿るが、半兵衛の言葉がその火を消し飛ばす。

 

「仇討ちなんて必要ありません!」

「え……」

「それはあり得ませんわ。信奈さまが信を置く前田どのが知らせたのですよ。まさか彼女が虚偽の報告をするはずが……」

「それはどういう事ですか?」

 

久秀が否定しようとするが、頼綱は知恵者である半兵衛の意見が気になり尋ねる。

 

「良晴さんが京を出る際に私の代わりに式神の前鬼さんを付けました。そして報告によると殿部隊に松平家の半蔵さんが同行したと聞きました。その後、松平さま明智さま犬千代さん達が密かに救出に向かい、良晴さんが配下の命を救うために爆死したと……そこで私は気付きました。これは策であると」

「策?」

「半蔵さんの出身。伊賀・甲賀に[微塵隠れ]なる技があると聞きます。影武者を用意しその者を吹き飛ばすことで自分は死んだと思わせる冷酷な術です。でも優しい良晴さんは仲間を自分の影武者にしようとは思わないでしょうが……」

 

そこで半兵衛は護符を取り出し印を切った。式神の召還だ。そこに現れたのは平安貴族の衣装を着た良晴だった。

 

「「「 !? 」」」

 

信奈は勿論、久秀や頼綱も目を丸くした。三人の驚く表情を見て満足そうにほほ笑んだ式神は扇を取り出し、顔を隠した。

 

「面白いほど騙されてくれたな」

 

そう言って扇を閉じると前鬼は自分の顔で微笑んだ。

 

「主の呼び出しによってこの世界に五体を得る俺は影武者にうってつけだったということだ」

「それが本当の話なら松平主従は何をしているのですか」

 

半兵衛の話はある程度筋が通っている。ならば、半蔵や元康は何をしているのかを久秀が問うが。

 

「爆発で死を偽装した際に松平さまを筆頭に救出部隊が到着したと聞きます。陰陽術にかかった光秀さんが谷底に落ちたとなれば、半蔵さんは主である松平さまの警護を優先することになります。ましてや敵地で良晴さんの偽装を漏らす訳にいかず、一度京へ戻り人数を揃えてから救出に向かったのでしょう」

 

馬鹿馬鹿しい。久秀がそう怒鳴りつけようとした時に、タヌキ耳を付けた少女が現れた。

 

「すみませ~ん。慌てて行ったり来たりしていたので、書置きとか忘れてました~」

 

松平元康。織田家のもう一つの同盟相手、松平家の当主にして信奈の妹分だ。松平家は狸を始祖とし崇めている縁か、たぬき耳とたぬき尻尾を付けている。更に本人が近眼のため、南蛮渡来の遠眼鏡を着けている。そんな彼女は幼少期に人質に出されていた頃に信奈にいびられ、苛められていたこともあり、信奈に頭が上がらない。

 

そしてその背後には彼女の家臣、忍びの半蔵がいた。彼だけではなく、むさ苦しい男達も各々で騒ぎながら本陣にやってきた。

 

「途中で手違いがあったものの、我が任務ここに完遂する」

「俺達は信じていたぜ!」

「本当にしぶてぇ人だ!」

「大将! これからもずっと付いて行くぜ!」

 

 

 

「わかった。わかった。ちょっと待ってくれ」

 

傷だらけの男達に揉みくちゃにされながらも一人の男はそれを押しのけて信奈の前に姿を現す。だが、信奈は独りぼっちの夢で迷走していた。

 

「ありえない……だって……良晴は……」

「おい信奈? 目が虚ろだぞ? 俺の事がわからないのか!?」

 

様子のおかしい信奈を心配し良晴は彼女に近づく。一瞬、久秀は良晴を止めようとするが、直ぐにやめた。彼女は叡山を焼き討ちしたいが、それよりも信奈の事を大事に思っている。信奈にとっての最良の薬は良晴であると久秀は任せたのだ。その薬こと良晴は信奈の顔を覗き込む。

 

「寝ぼけてんのか? おい起きろ」

 

主従関係など気にもせず良晴は信奈の頬を乱暴に叩いて起こそうとする。このままにしておくと、いつまでも信奈の頬を叩きそうなので頼綱が信奈の状態を知らせる。

 

「相良どの。信奈さまは松永どのが処方した薬が効きすぎて、夢と現実の区別ができなくなっています」

「ん? じゃあ……未来のおとぎ話に眠り姫は王子様のキスで目を覚ますって決まりがあるんだが……試してみるか」

 

良晴は半分冗談で信奈の肩に手を置き引き寄せる。いつもの信奈であればこんな事をしようものなら刀を抜いていただろう。だが、朦朧としている信奈は良晴にされるがままに良晴の腕の中に納まった。

 

「あ、あれ? 逃げないのか?」

 

あまりにも抵抗がないので試しに顎を上げさせて唇を近づけるが信奈はなんの反応も示さなかった。

 

「本当にキスするぞ? 天下一の恩賞を貰っちゃうぞ?」

 

半信半疑ではあるが良晴はここまでやったなら勢いで唇を合わせるべく顔を寄せた。

 

 

 

あと少しで唇が触れ合うというところで、元康たちと一緒に本陣に入っていながら、忘れられていた人物が悲鳴をあげる。

 

「何やってるですか! 主従でそんな事ゆるされないです!」

 

明智光秀。良晴の微塵隠れによる爆死を信じた彼女は土御門久脩の陰陽術により谷に転落し、死亡したと思われたが、刀を崖に突き立てて自力で這い上がって生き延びたのだ。その後、同じく半蔵たちが助けに来ないので自力で隠れ穴から這い出た良晴と合流し互いを庇い合いながら生き延びていたところを松平家の三度目の救助部隊に保護された。

 

その光秀が天下人と一家臣の醜聞を防ごうと、二人に駆け寄るが。

 

「あっ……!?」

 

ゴチン、ゴチン

 

「「「 あっ 」」」

 

石につまずいた光秀が(くう)を飛び、良晴の後頭部に頭をぶつけ。後頭部を後押しされた良晴は衝撃で目の前の少女と唇ではなく()同士をぶつけ合った。

 

結果。

 

 

 

「痛ッッたいわね! このバカサル!!」

 

パッチィン! よく通る肉と肉のぶつかり合う音が周囲に響いた。

 

「ふげええええ!? 後頭部もデコもほっぺも痛ええええ!?」

「うぅ……」

 

信奈に殴られた良晴と、良晴に頭突きした光秀が頭を抑えて悶えていた。その二人を睥睨しながら信奈は突然の出来事に混乱しながら捲し立てる。

 

「何!? あんた達生きてたの? それにしたっていきなり主君に頭突きするとはいい度胸してるじゃない!」

「違う! 俺はキスをしようと……」

「はぁ!? 鱚? あんたこんな時に何言ってんのよ。とうとう救いようのないくらいに馬鹿になったの?」

「ちがーーーう!」

 

頭を強く打った衝撃で目を覚ました信奈はすっかり元通りになり、いつもの如く良晴を罵倒、暴行する。そんな様子にまわりはキスに対する期待から呆れモードに入り、首を振っていた。

 

「いいわ! この無礼者をここで……」

「待て待て待て!? 刀に手をかけるな! 俺は殿(しんがり)を勤め上げた勇者だぞ!」

「じゃあ、平手打ち百発で……」

 

「あの~、入っていいすっか?」

 

そんな中に晃助はやってきた。彼からすると出来るだけ急いで軍団に合流すべくやってきたのだが、敵の篭る叡山を包囲しておきながら軍議もせず信奈と良晴がいつもの夫婦漫才をやっているように見えた。だが良晴にとってはグットタイミングだった。

 

「おお晃助! お前起きたのか!?」

「あれ良晴? お前死んだって話じゃ……」

「俺が死ぬわけないだろ! お前こそいつ起きるかみんな心配していたぞ」

 

周囲の足軽達は良晴の生還に合わせて晃助の復活を祝う。むさ苦しい歓迎を程ほどにしてもらい、晃助は信奈の前に膝をつく。重大な用件があるからだ。

 

「先程目が覚めました。長らく役から離れていたこと、平にご容赦ください。ところで叡山が燃えていませんが、どういう事でしょう?」

「信奈さま。やはり焼いてしまうのが一番ですわ」

 

久秀は晃助が焼き討ちに賛成していると捉え信奈に火攻めを催促するが、頼綱と半兵衛が異議を申し立てる。

 

「なりません。信仰の中心たる叡山を焼いてしまうと日ノ本の民が織田家に対して敵意を示します」

「そうなれば姫さまの天下統一が十年は遅れます」

「光と半兵衛の言う通り。焼き討ちは却下よ弾正」

「わかりましたわ」

 

信奈の決定に久秀は簡単に引き下がった。頼綱と半兵衛は意外そうな顔をするが、久秀のなかで僧兵に対する憎みは今も燻っているが、彼女の優先順位は信奈が最上位だ。その信奈が決定したならば従うが。

 

「しかし、焼き討ちをしないでこの状況をどう覆しますか?」

 

他に策がなければ、もう一度焼き討ちを進言するつもりだった。最良の策が思いつかないまま何もせずに手を拱いて滅ぼされる道は選ばせてはならないからだ。しかし晃助が驚くべく一言を発する。

 

「焼き討ちにしないのであれば結構。今、やまと御所に和議を奏上しております」

 

「「「「「 は!? 」」」」」

 

「聞こえていませんでしたか? 戦を終わらせます」

「なんですって?」

「そういうことですか」

 

軍師:半兵衛が晃助にかわり説明する。

やまと御所は日ノ本の神事を司る役割がある。当然、叡山に対してもいろいろ話を通せる立場にある。更に今は留守であるが、卑弥呼さまの兄に当たる人物が叡山のトップ天台座主である為、叡山側はこの和議を無視できない。

 

「でも、御所に入って交渉するには相応の手順と……なにより官位が必要です!」

 

晃助が御所と交渉できるはずがない。これまで御所との交渉をしてきた光秀はそう言うが、晃助は簡単に説明した。

 

「二条城の今川義元を使った。あの女はお飾りだが征夷大将軍だ。官位制度とか詳しくないけど役職に就いているし、止められてもあの性格なら卑弥呼さまの前まで強引に行くだろ」

 

実際に義元は甲高い高笑いをあげながら、「おーほほほ、わらわは征夷大将軍ですわよ」と御所の奥まで強引に進み、度量の大きい卑弥呼さまと和睦の話をしていた。交渉の内容は晃助が定勝に書かせた手紙にまとめてあるから大丈夫だろう。

 

目が覚めて早々に晃助らしい手の打ちように良晴は呆れた。

 

「……相変わらず他人を使う奴だな。お前……」

「どうせ無駄飯食らいの贅沢女なんだろ? 少しは働いてもらわないと……。それよりも叡山の連中にこの話を持って行こう。奇襲とかされ続けると面倒だろ」

 

やれやれと首を振り、信奈に向き直る。

 

「姫さま。御所よりご綸旨の使者が来る前に先に叡山に向かう事をお許しください」

「いいわよカラス。ここまで話を進めたからにはやり遂げなさい」

 

許可も何も卑弥呼さまに話を通している以上、止める道理はなかった。晃助は叡山に登る前に自分の家臣たちに会いに行こうと山を見たが。あってはならない光景が目に飛び込んで来た。

 

「なっ……火だと!?」

「ありえないわ! 私は命じていないのに!?」

 

叡山から突如、爆音と共に火柱が上がった。準備だけをさせておいて始めの合図を出して来ないことから何処かの部隊が逸って火を放ったのかもしれない。

 

「十兵衛、半兵衛、弾正、光、竹千代は陣を見回って兵を宥めて、事情説明をして頂戴。カラスは山に登って相手を宥めて!」

 

突然の事態だが信奈は素早く家臣・同盟者に指示を出す。晃助は内容が変わってしまったが急いで山に駆けた。

 

 

 

 

 

 

幸い火の勢いはそこまで早くなかった。所々に姉小路兵の死体が転がっている事に眉を寄せながら晃助は山を登る。途中で叡山の僧兵と遭遇したが彼らは怯えながら山を転がるように降って行った。

 

「なんだアレ? ちょっと異常じゃないか?」

 

傷だらけの格好で晃助の姿を見ても武器を構えることもなく、この場を離れることを第一に逃げているようであった。

 

「そういえば、なんで山の中腹で爆発があったんだろう? 普通麓から火をかけるよな?」

 

ふと思い出したが本陣から見た時に登り口には火が無く、こうして山を登ると火がちらほら見えるようになった。考えられるのは山を包囲している織田軍ではなく山の中の誰かが火を放ったことになる。だが、篭城している叡山・浅井・朝倉が山に火を放つのは自らの首を絞めることになる。

 

そう考えていたところに男の悲鳴が暗い山に響き渡った。

ただ事ではないと感じた晃助は悲鳴が聞こえた方向に足を向けた。いくつもの幹を掻き分け進んでいくと、どんどん明るくなっていく。そして悲鳴の発生源を見つけた。木々が薙ぎ払われたかのように倒され、いくつもの死体と共に火を揺らす薪となっていた。

 

まるで爆心地のような場所に数人の僧兵が呻いており、中心には二人の男がいた。

 

「お……ゴフッ……」

「…………」

 

晃助が辿り着いたときには大柄な男が胸を黒い槍で貫かれ膝から崩れたところだった。

正覚院豪盛は目の前の黒い男に呪詛の言葉を噤む。軽々と金棒を振るっていた右腕は千切れ、左足も膝から下が無くなって傍らに転がっている。

 

「こ……の、あく……りょう……が……ッ」

 

それが、僧兵を統率する者の最後の言葉になった。

 

「そうだな、殺す奴はみんな悪霊さ」

 

海斗はそう呟くと巨体から槍を引き抜く。そして怯えて腰を抜かし後退りする僧兵に近づいて行く。

 

「お前、さっき正平(せいべい)を殺したな?」

 

姉小路兵の名をあげ、その報復の為に槍を閃かせる。

 

「ひっ……!?」

「死ね」

 

だが、その槍が切ったのは空だけだった。凶刃が去り命が助かった事から僧兵は泣きながら逃げて行った。海斗の背後から忍び寄った者が彼の後頭部を掴み、手近な木に彼を放ったからだ。突然の出来事に頭を真っ白にしながらも海斗は木に激突する瞬間に受け身をとった。

 

「グゥッ!」

 

それでも背中に伝わる衝撃は負傷したアバラに響いた。奇襲を受けたことに海斗の頭は直ぐに戦闘に切り替わるが何処かに引っかかる感覚を覚えた。懐かしさというより、久しぶりな感覚。大事なようで、どうでもいい。彼にとってはそんな印象だが、海斗を投げた少年はその感覚を共有していた。そしてその白い少年は『その感覚』の正体を言葉にした。

 

「アレ? 既知感(デジャブった)?」

「……てめぇ」

 

晃助は海斗を投げた右手を開いたり閉じたりして、少し前に夢で見た昔の思い出を再度思い出していた。そんな晃助の顔を見ていると海斗は同じく思い出した。

 

「ああ、お前。あの時のナヨッとしたガキか?」

「今のお前はヘバッテいるな」

 

海斗はアバラを抑えながら木にもたれかかった。悔しいが晃助の言う通り、体が脱力して動けそうにない。今まで意識が曖昧になりながらも戦っていたので、海斗はそこで初めて周囲が燃えている事に気付いた。

 

「この炎はどうした?」

「知らん。気づいたらこうなっていた」

「……そうか」

 

海斗の答えに晃助は少し悩んだが、その回答を認めることにした。これまでの海斗の行動や聞いた範囲での人格から誤魔化しが下手だと判断したからだ。

 

「お前こそ、どうして止めた?」

「お前は意味の無い戦いを嫌うと聞いている。今、和睦の話をしているから、これ以上の流血を止めたまでだ」

「……浅井久政は?」

「条件は包囲を解いて城に返すことだろう」

「クッソ……この戦のきっかけを殺せないのかよ!」

 

和睦の話を聞いて晃助に投げられた怒りは霧散した。だが、海斗は拳を痛めることを厭わず、苛立ちを地面にぶつけた。戦が一先ず中止なのは良い。だが、先延ばしになるだけで終わらせる為にまた戦う必要がある。その様子から察した晃助は月並みな励ましを並べる。

 

「叡山に篭られると確かに討ち易いが、後が面倒だ。小谷城で武士同士で殺し合った方が後の処理が楽だ」

「俺は今すぐ終わらせたいんだよ!」

「その体でか?」

 

海斗の体はボロボロに疲弊しており、立ち上がることもできない。加えて気がついたときから強い疲労から目を開け続けることも苦しい。まるで現状の限界以上の力(●●●●●●●●●)を使った反動のような。瞼を落とす瞬間、聞いたことのない声が聞こえたが海斗の意識はソレを拾うこと無く休息に入った。

 

 

 

 

 

その後、御所から正式な使者が到着し面倒な手続きをしていった。

 

・叡山は武装解除し今後、武力を振るわない事。

・尼寺の男子禁制が廃れているのだから女人禁制をやめること。

・朝倉・浅井家の軍は叡山から退去すること。

・両家は織田家と一カ月の停戦。

 

やや織田家に有利な条件で和睦が成立した。義元のごり押しもあっただろうが、叡山の武断派筆頭の正覚院豪盛が戦死したことで叡山は発言力が弱まっており、浅井久政は器の小ささから条件を引きだせなかった。朝倉家の当主は特別な条件も付けずに和睦を受け入れた。その男は。

 

「織田信奈。余が想像した通りの美しき姫だ。臓腑を抜き取って剥製にしたいほどにな」

 

朝倉義景。大柄な美青年であった。しかし顔色は青白く視線は遠くをさ迷うようであった。義景は叡山に篭城しているうちに興味を抱いた信奈について調べ上げ狂気的な恋をしてしまったらしい。義景は信奈に手を伸ばそうとしたが、彼からにじみ出る狂気に怯え信奈は良晴の背後に隠れた。

 

「サル、こいつなんだかおかしいわ。会った事もない私の事を剥製にしたいだなんて……」

「気にするな。程度はどうあれこういう奴はいつの時代もいる」

「貴様がサルか! つまらぬ男がこの現世が生んだ奇跡的な芸術作品にたかって、その美しさを穢している! 誓おう。余は必ず貴様を殺して織田信奈を我が物とする!」

 

義景は狂気的な怒りを振り撒きながら山から去っていった。

 

 

 

なんであれ、危機を乗り切った一行は京の宿舎に帰って行った。

金ヶ崎から続く緊張の連続で兵たちは寝入っていた。大半の将達もそれぞれのやることを終えて床に着く頃。一人の少年が縁側で月を見上げていた。千早晃助だ。

 

「……眠くねぇ」

 

彼は長い眠りから起きて少し働いただけだ。眠れるはずがなかった。気を紛らわせるために月を見上げているのだが、月は彼にとって特別な繋がりがある。未来の世界にいる両親が暗い夜を照らすという理由で好きなのだ。[晃助]という名も月を連想して付けたらしい。

 

「酒でも飲んでみるか……」

 

このまま起きていても朝になってしんどいだけだ。何とか眠れないか調理場に向かおうとしたが。

 

「あなた一応怪我人でしょ」

「智慧……」

 

間の悪い事に千早家の風紀委員長ともいえる蜂屋頼隆さまに見つかった。晃助は慌てて言い繕う。

 

「あ、あの……魚の[鮭]が食いたいなって!」

「でも「飲む]って聞こえたわよ。眠れないからお酒に頼ろうとしたのよね?」

「そう! そうなんだよ。久しぶりに起きて体が元気で……って……!?」

 

言い訳するつもりが普通に自白してしまった。今のコンディションなら文鎮の一つや二つは避けられるだろうかと晃助は僅かに腰を浮かせたが頼隆は静かに座った。

 

「怒らないわよ。少し私の話し相手になってくれない?」

「お、おう……」

 

意外な処罰に晃助は僅かに不気味さを覚えるも大人しく浮かせた腰を下ろす。いったいどんな話をするのか。

 

「その……体はどう? 痛みとか?」

「ああ、肩はまだ少し痛むが大したことないよ」

「本当に?」

 

疑われるが事実だ。起きた時から不思議なくらい痛みが小さいのだ。驚くことに神経が集まっている手は痛みが無いというのに。そうして左手を見ていると頼隆が息を飲み何かを決意したような表情で彼女は口を開いた。

 

「その傷を負ってまで私を助けてくれてありがとう」

「ああ。お前が無事でよかったよ」

 

長頼に言われた通りに頼隆は傷に対して感謝を伝えた。晃助も礼を言われたことに少しはにかんでいる。これでいい。これ以上はいらない。だが、頼隆は続ける。

 

「でも、ご……」

「頼隆」

 

大きな声ではない。だが、いつもの愛称ではなく正式な名前で呼ばれた事に少女は口を閉じた。

 

「お前、今謝ろうとしただろ? いらないよ。感謝って[謝る]を[感じる]って書くだろ。伝わったよ。お前がこの傷に後ろ暗さを感じているのは」

 

だからあえて聞かない。だけど頼隆はそれでも言いたかった。伝えたかった。だが、気付いた。ここで言葉にして彼に聞かせてしまうのは晃助に対して申し訳なく思っているのではなく。自分を慰めるためだと。

 

「あなたは優しいのか残酷なのかわからなくなるわ」

「どっちもだろ。大切な物の為にそれよりも優先順位が低い物を捨てるんだから」

 

これまでの戦で勝利の為に兵を死なせた。自身や護衛対象の為に死んでもらった。彼らは日ごろから自分を慕ってくれて、それ故に命を投げ出すことを厭わなかった。自分は殺戮者になっていると晃助は考えている。そんな逡巡を知ってか知らずか頼隆は一つの宣言をする。

 

「わかった。あなたの指に、弓の技能に、これまで小指と薬指でやってきたこと以上に価値のある女になるわ」

「え?」

「だから言葉通りよ。あなたが自分の指を諦めて私を助けたんだから、私はその二本より優先順位が上なのでしょう? だからそれを証明するのよ」

 

確かに先の自分の発言からするとそのようになるが、なんだか一割増しで凛々しくなった頼隆に晃助は聞いた。

 

「どうやって?」

「それはあなたが決めて、見届けて頂戴」

 

黒髪の少女は白い少年に笑顔で返事した。晃助はその笑顔に耳が熱くなるのを感じた。

 

 

 




一先ず戦は終わり。次話はちょいっと日常?

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