冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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お久しぶりです、皆様。
今年これ合わせて三回しか投稿してないとか……うせやろ?(白目)


第45話 春先頭は洋々と

 三月、生き物達が微睡みから重い瞼を擦り始める季節。

 春の玄関口である時期であり、また日本では四月に向けての準備をする期間。

 大人達は忙しなくなり、春休みという春眠を学生達が笑顔で抱きしめる。

 そんなモラトリアムを、私達は過ごしていた。

 尤も、凛は魔術に没頭して、私はそこそこにメディアに構ったりしていたから、何時も通りと言えばその通り。

 平日と休日の狭間が曖昧なのは、魔術師が魔術師足る所以か。

 

 そんな日々の中、私はふらりと凛の部屋へとやって来ていた。

 たまたま暇で遊びに来たのではなく、明確な目的を持って。

 凛は、目にクマを作りながら、何よ……と胡乱げな視線を私に向けていた。

 

「ねぇ、凛。

 少し良いかしら?」

 

「良くないわ、また厄介事でしょう?」

 

「そうかもしれないわ、でも凛が良いの」

 

「イヤって言ってるの、聞こえない?」

 

「私は気にしないわ」

 

「気にしなさい、馬鹿。

 ……で、なんなのよ、一体」

 

「だから好きよ、凛」

 

「煩い、さっさと用事を済ませて帰って」

 

 邪険に、濡れた犬でも追い払うかの様な声を出す凛。

 徹夜明けで、あまり機嫌が宜しくない。

 恐らく、このままくだを巻いて部屋に居着こうものなら、即座にガンドが五発くらいプレゼントしてくれること間違いなしである。

 なので、大人しく私は用件を切り出した。

 つまりは、何時もの通りメディアの事なのだけれど、と。

 

「――学校に通わせたい?」

 

「そう、学校」

 

 切り出した要件に、まるで猫が二足歩行で歩いている姿を見たかの様な、珍妙な顔をする凛。

 何を言っているんだと、口以上に表情が語っている。

 

「ずっと家に置いておくのは忍びないもの。

 今は魔術にも触れようともしないし、だったらって思って」

 

「一応言っとくけど、サーヴァントよ?」

 

「えぇ、分かっているわ」

 

 淀みなく答えると、凛は相変わらず何か言いたげにしていたけれど、何も言わずハァと溜息を一つ吐いて頷いた。

 ただ、目は呆れたモノを見る目になっていたけれど。

 

「全く、何の為に召喚したのかしらね」

 

「そうね、凛が言いたい事は分かるわ。

 でも、思っていた以上に、メディアが可愛げがあったの。

 仕方ないでしょう?」

 

 そういうと、凛は処置なしと時折見せるどこか投げ遣りな顔で宙を仰いだ。

 馬鹿ね、と聞こえた気がするのは、多分聞き間違いでは無いはず。

 

「分かった、好きにすれば良いわ。

 ただ、身元を預かる事にするだけだから、他の手続きは自分でやって」

 

「十分よ、ありがとう凛」

 

「ほら、用事が終わったならさっさと出てく!」

 

 凛に、犬でも追い払う様に部屋を追い出される。

 キッチリと話を聞いて追い出す辺り、本当に凛は優しい。

 もしくは、絆されたらかなり甘くなるのか。

 兎に角、凛に感謝が絶えない事だけは確かな事で。

 

「似合うかしらね、制服……」

 

 尤も、今私は全く別の事に気を取られていたけれど。

 楽しい気分、とまではいかないけれど、気分は上々だった事は確かで。

 メディアに言ったらどんな顔をするかしら、と今はそれが頭の大部分を占めていたのだった。

 

 

 

 

 

 穂群原学園の春休みは、部活動の生徒達の為に解放されている。

 今は陸上部や野球部のランニングの掛け声などが大きく、朝方……というには些か遅い時間という事を除いても、その元気さには感心するしかない。

 どう足掻いても、私はあそこまで大きな声は出せそうにないから。

 時々、”女のいかーりかー、女の怒ぁりかぁ、穂群ンのンくろひょうおぅおお♪”とどこぞで聞いた声の胡散臭い替え歌が響き渡ってくるのは、最早名物なのだろう、主に陸上部の。

 よくも走りながら熱唱できるものだと思いつつ、私は私の用事を済ませに、その足を職員室へと向けていた。

 後で、久しぶりに楓に構おうか、なんて考えながら。

 

 コンコンと、二回ノックすると、数秒後に職員室の扉が音もなく開く。

 目の前に、気配のない人物が、何故か実像を持って立っていた。

 一瞬背中が冷えるが、顔を上げればそれも霧散する。

 見覚えのある長身の、枯れ木の様な人物が、私の目の前に朴訥として存在していた。

 

「葛木先生、おはようございます」

 

「マーガトロイドか。

 話を聞こう、要件は何だ」

 

 分かりやすいまでの切り出し、前置きなどを考えない何時もの葛木先生だ。

 数日ぶりに聞けば懐かしいかとも思えば、別にそんな事は微塵もない。

 恐らく、この先生は死ぬ時まで、ずっとこのままなのだろう。

 そのらしさに、変わらないわね、とある種の安心感を覚える。

 ずっと変わらないというのは、奇妙でもあるけれど落ち着きをもたらすものなのだ。

 

「私の従妹が、この学校に留学してくるの。

 大丈夫、手続き自体はもう済んでるから。

 校長先生から、お話は聞いてません?」

 

「聞いている、一週間前に留学生の受け入れは職員会議で決定した事だ」

 

「そう、それは良かったわ。

 私はその書類を持ってきたの」

 

 はい、と葛木先生に封筒をポンと渡す。

 偽装でメディアが通っている事になっている学校の成績証明書と推薦状の二つ、その他の書類は既に学校側に届いている。

 これで、校長先生の決済を経れば、無事にメディアはこの学校の生徒という事になる。

 それを想像すると、ちょっとだけ笑みがこぼれそうになった。

 

「受け取った、用事は以上か?」

 

「はい」

 

 そうか、と抑揚なく呟いた葛木先生に、そういえばと一つだけ質問をする。

 特に意味のない、単なる願望を込めた言葉。

 

「転校してくる娘なのですが、私と同じクラスには出来ませんか?」

 

「それは私が決めることではない。

 校長、もしくは職員会議で決定する事だ」

 

 案の定、答えは予想していたもの。

 聞くまでもない、けれど反射的に聞いてしまっていた事柄。

 そうね、詮無いことね、と確かに思う。

 けれど、それでも私の口は勝手に動いていた。

 

「できたら、あの娘の事を気に掛けてあげてくれませんか?」

 

 葛木先生と視線が交わる。

 色が見えない、枯れ果てた穴。

 何も見えず、暗いとさえ感じるそれは、日常に居るごく普通の人間の目。

 ただ、揺らぎのないそれは、少しだけ落ち着きをもたらしてくれる。

 怖いと感じる時もあるだろうけれど、今はそうは感じない。

 味方であって欲しいからと考えているからか、葛木先生の落ち着きのお陰かは分からない。

 ただ、先生の……、

 

「分かった、覚えておこう」

 

 この言葉だけで、やはり安堵に胸を包まれたのを感じた。

 だって、葛木先生は約束を破らないだろうから。

 得体の知れない人だけど、それは無条件に信じられる。

 葛木宗一郎という人間は、そんな気配がある人なのだ。

 

「宜しくお願いします」

 

 頭を下げ、私は職員室を後にする。

 足取りは軽く、不安よりも期待が大きい。

 どうしてだろうと考えると、そこにはやはりメディアが過ぎる。

 彼女に、穏やかな日常を味あわせたい。

 そうして、自然な笑顔を浮かべるところが見てみたいのだ。

 ずっと、俯きがちにいる彼女の。

 私の期待の押し付け、けれど安らぎを彼女は得る権利があるのだから仕方がない。

 具体的には、マスターである私が保証しているのだから。

 

 不意に、私は振り返る。

 リノリウムの床が広がる廊下、グラウンドから聞こえてくる声以外に音がない無人の場所。

 それが、何故だか素敵なモノに見えた。

 

「そうね、待ってて」

 

 それだけ言い、踵を返した。

 どうやら人は感情が揺れていると、誰かに聞いて欲しいらしく独り言を言ってしまうらしい。

 私は、どうにもそれくらいに楽しみらしいのだ。

 クスリと、僅かに笑みが溢れたのを自覚した。

 

 

 

 

 

 そんな訳で用事は終わり、さて帰ろうと昇降口に。

 靴を履いたらさようなら、このまま家まで一直線、のはずだったのだけれど……。

 

「お、マガトロじゃん。

 何で学校にいるんだよ……あ、もしかして補習か!」

 

「何時もに増して無礼極まりないわね、楓」

 

 ジャージを着込んだ部活少女が、どうやら私の存在に気が付いてしまったらしい。

 何時の間にか、ひょこっと傍までやってきていた。

 休憩中だったのだろう、他の陸上部の面々も三枝さんから受け取った飲み物を飲んだり息を整えたりしている。

 

「春休みに補習なんて特別授業、楓くらいしかお世話にならないわね。

 そもそも春に補習なんて、うちの学校には無い制度だもの」

 

「うるさいやいっ、前のテストは全部30点以上だからセーフだった!

 日本史に至っては98点!」

 

「そう、氷室さんに感謝するのね」

 

「前提がおかしいだろ!

 何で氷室っちを頼った事が確定になってるんだよ!!

 そこは、楓サマはやれば出来るって褒めろよ!!!」

 

「30点で良く出来ました、ね。

 楓にしては良く出来た方なのかしら?」

 

「バカにすんな、何時もこんくらい取ってるからな!

 30点ぐらい、ちゃんと一夜漬けで何とかなる!!」

 

 無駄にしてやったりという表情をしている楓だけれど、あまりに大声過ぎたらしい。

 殆どの陸上部員が楓の方を見て、”なんだ蒔寺か”みたいな表情で顔を逸らす。

 心配するまでもなく、どうやら楓の勉学における評判は地に落ちているようだ。

 氷室さんは呆れた様な表情で、三枝さんは苦笑い気味。

 ただ、私に気が付いたのだろう。

 二人して、私と楓の下へとやってきた。

 

「珍しいな、マーガトロイド嬢」

 

「こんにちは、マーガトロイドさん。

 どうしたのかな、今日は」

 

 メガネをキラリと光らせ、探る様な表情をしている氷室さん。

 それと、フワッとした笑みで私に語りかけてくる三枝さん。

 それに楓を加えた三人の表情が、まだ休みに入って少ししか経っていないのに懐かしく感じる。

 きっと、それだけこの三人とも馴染んでいたという事なのだろう。

 

「何しに来た様に見える?」

 

 そのためか、甘える様に、ちょっとしたからかいを交えて私は応答していた。

 さて、問題ですと言った風情で。

 こうして話しているのが楽しいから。

 三人の表情を覗きながら、さてと尋ねる。

 

「え? えっと、先生に何か用事があったのかな?」

 

「そうね、間違ってはいないわ」

 

「何か、大事な用事なのかな?」

 

「えぇ、とっても」

 

 三枝さんは真剣に考えてくれているみたいで、呟きながら整理をしている。

 一方、楓はバカ真面目……などというと些か語弊があるが、お馬鹿な考えを真面目に推論しているらしい。

 ”先生、大事な用事……ッハ!? もしかして、凶悪すぎて遂に退学に”などと小声でほざいている。

 私が凶暴すぎて退学処分にされるなら、楓は保健所送りにされていてもおかしくないだろうに。

 

「ふむ」

 

 そんな中で、氷室さんがメガネを光らせていた。

 もしや、と一言漏らしたのは、一体何に行き着いたからか。

 気になって氷室さんに注視していると、彼女は唐突にこんな事を言い始めた。

 

「転校、というより祖国に帰る……などという事はあるまいな?」

 

 氷室さんの急な問い掛けに、思わず意表を突かれてすぐに答えを返し損ねる。

 そのせいか、他の二人も驚いた様に私に顔を向けていて。

 

「……違うわよ、全く逆だから安心なさい」

 

 だからか、私がそう答えた瞬間に目の前の二人は揃って脱力したのだった。

 安心したというより、緊張が溶けたといった感じで。

 

「びっくりさせるなよ氷室っち!」

 

「そうだよ、鐘ちゃん。

 折角仲良くなったのにって、悲しくなっちゃいそうだったんだから」

 

「マーガトロイド嬢があまりに思わせぶりだったからな、少しからかってみたくなっただけだ。

 それに、機嫌が良いみたい故、そんな話ではないと分かっていた」

 

 他意はない、悪かったと氷室さんは素直に謝っていた。

 単に、私の虚をつきたかっただけなのか。

 全く、氷室さんと話すのは楽しいけれど、油断も隙も作れない。

 何日か会ってないだけなのに、見事にからかわれてしまったのは悔しい。

 ジトっとした目で氷室さんを見ると、口元を緩めてニヤリと笑う。

 白の頬が僅かに上気しているのは、先程まで走っていた為か。

 

「そんなに意地が悪いと、将来は灰かぶりな女の子を虐める様になるわね」

 

「やられっぱなしで居るタチではあるまい。

 それとも、今からサンドリヨンを自称するかな?」

 

「自分で言い始めたら、それこそシンデレラじゃなくなるわ。

 彼女は夢見がちだけれど、内気な女の子だもの」

 

「それに、シンデレラは柄ではない、か?」

 

「そうね、まだ楓の方が似合うでしょう」

 

「ほぅ、由紀香ではなく?」

 

「そっちの方がコミカルでしょう?

 三枝さんは似合いすぎてて、重ね過ぎてしまいそうだわ」

 

 氷室さんと一緒に二人の方へ視線をやると、揃ってキョトンとした顔をする。

 特に楓なんて”何話してんの、こいつら”とでも言わんばかりの顔をしていた。

 成程、これはこれで可愛げね、なんて思ったのはさっきまで二人のシンデレラを想像していたからか。

 

「楓がシンデレラなら、きっと剽軽者で苛められそうにないって話をしてたのよ」

 

「あ”? 誰が苛められるどころか姉共をイジメ返すシンデレラだって!」

 

「そこまでは言ってないわよ、そこまでは」

 

 芸風が藤村先生に似てきたな、と氷室さんがボヤくと、楓は一瞬嬉しそうな顔をしてから、微妙そうな表情をした。

 よくよく考えると、微塵も嬉しくない事に気が付いたのだろう。

 そもそも、そこまで行くとシンデレラでもなんでもなくなっている。

 楓は楓にしかなれないというと格好もつくけど、単に灰汁が強すぎるだけの話か。

 

「そ、れ、に!

 私には元々、穂群の黒豹の異名があるんだよぉ!

 シンデレラよりも、そっちで呼べよな」

 

「誰もシンデレラなんて、一欠片たりとも思ってないから、安心なさい」

 

「あ”?

 なんでだよーっ!」

 

 それはそれで許せない乙女心があったのか。

 ムカツクーッ、とプリプリしている楓は、何だかちょっと可愛かった。

 本人には本人にしかない可愛さがある、楓はその分かりやすい例なのだろう。

 

「ところで、その異名は自称でしか聞いた事がないけれど、広まってるの?」

 

「いや、誰も呼んでない、第二の藤村先生を作りたくないのだろう。

 こういう渾名は、言霊となって災禍を呼び寄せるとは寺の子の言だったか」

 

 なんで藤村先生がとも思ったけれど、そう言えば渾名というか異名が冬木の虎らしい。

 確かに、藤村先生は意味もなく虎っぽく感じる時がある……楓も黒豹みたいになられては適わないということなのか。

 

「でも、もう半ば手遅れよ?」

 

「そうだろうな。

 だが、だからと言ってわざわざ呼ぶ理由もない。

 ”あれが冬木の黒豹だ”などと囁かれるよりも、”アレが蒔寺楓だぞ、やべぇ”と引き腰気味に噂されるのが殆どだ。

 蒔の字の存在自体が意味を持ってしまったからな、もう誰も呼ぶまいよ」

 

「そう、正に楓ね」

 

 そっと楓から目を逸らして、今後もその名を轟かせるであろう事に思いを馳せる。

 きっと、良い意味合いでも、悪い意味合いでも、その存在感は変わらないモノがあるだろう。

 楓はもう、存在感だけなら藤村先生と同じなのだ。

 

「ところでマーガトロイド嬢、一つ良いかな?」

 

「何かしら?」

 

 そんな楓のことは横に置き、氷室さんの眼鏡が若干怪しくきらめいていた。

 アレは、推理を楽しんでいる氷室さんに、時々見かける怪しい現象。

 一体何をと考えれば、たどり着くのは必然的に一つの答えのみ。

 

「確か、地元に帰るのかと問うた時、全くの逆と答えたな」

 

「そうね」

 

「ならば、その逆とは何か。

 わざわざその様な表現をするのは、どういうニュアンスがあったのか。

 それを考えれば、自ずと答えは出てくるだろう」

 

 氷室さんは、自信を持って告げる。

 私がつい、口から零してしまった言葉の分析を。

 

「誰か、君の知人が来るのだろう?

 日本に、というよりもこの冬木に。

 それも、親しい誰かがだ」

 

 ……点数をつけるなら、100点中90点。

 大よそ、これといって瑕疵のない推測だから。

 と、そんな事よりも、だ。

 私が、そんなに浮かれていた事の方に驚いてしまう。

 色々と複雑で、言い表しづらいけれど、メディアに抱いている感情は、大きい事に間違いはない。

 ただ、それを見透かされた気がして、何とも言えない気持ちになるのはどうしてか。

 

「えぇ、その通りよ」

 

 ただ、その言葉だけを返すと、氷室さんは”やはりな”と呟いて、メガネをクイッと上げた。

 ちょっと気持ち良さげなのが、何とも憎らしい。

 ただ、それだけで済まなかったのが、残った二人だ。

 いや、正確には黒いの一匹と称しても良いかもしれない。

 

「マガトロの親しい人って事は、つまりは友達って事だろ?

 いやぁ、お前向こうで友達居たんだな。

 絶対ぼっちだと思ってた」

 

「死ぬほど失礼ね。

 あと、それは自分が変態だと自己申告してる事になるわ」

 

「変態とは穏やかではないな、せめて変人辺りにしておくと良い。

 でなければ、由紀香にも流れ弾が飛ぶ」

 

「然も自分は違うって顔をするな!

 てか、お前が一番変態だ!」

 

「二人共、ちょっと落ち着いて、ね。

 もう、みんな二人がちょっと変わってるのは知ってるよ。

 それより、マーガトロイドさん、来るのってどんな人かな?」

 

 三枝さんが、地味に辛辣な評を二人に突きつけつつ、好奇心の顔を覗かせながらそんな質問をする。

 歓迎会とか必要ですか、と笑顔でいう彼女は、どこまでも眩しい。

 そんな彼女に私は心を穏やかにされながら、口調も柔らかに答えた。

 

「そうね、恥ずかしがり屋だから、距離を詰められすぎると逃げちゃうかもしれないわ。

 だから、少しずつ、仲良くしてあげてね。

 この学校に、転校してくるから」

 

 最後の言葉は、三枝さんにだけ聞こえる様に囁いて。

 驚いた顔をした後に、日だまりの様な笑顔で、返事をしてくれた彼女は、本当に頼もしかった。

 他の二人に教えないのは、ちょっとした意趣返しだ。

 単純に、当日に驚かしてやりたいという、悪戯心ともいう。

 

「それじゃあ、そろそろ帰るわ。

 午後からも部活があるのよね、早くお弁当を食べてしまいなさい」

 

「げ、あと二十分しかない!

 由紀香、食えるか?」

 

「私は大丈夫だけど、鐘ちゃんは?」

 

「……まぁ、半分ならばな」

 

 それ以上は、腹痛に悩まされる、とやむを得ない感じに呟く氷室さんに溜飲を下げながら、私はその場を後にする。

 ”なら、残りをよこせーっ”と食い意地を張っている楓はお腹を壊せば良いのだ。

 この騒がしさなら、寂しい思いはさせないか、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 あれから真っ直ぐ、そのまま家に帰って来た。

 けれど、辺りは静寂に包まれていて、返事は一切ない。

 恐らく、凛は寝ているのか、研究の続きをしているのか。

 そのどちらかだろうが、今手を離せないのは確かだろう。

 でも、そうだとしたらメディアは、一体どこにいるのか。

 そのまま彼女を探していると、どこからか何か匂いがした。

 不快なものではなくて、どちらかといえばお腹をくすぐる様な暖かな匂いが。

 誘われる様に私が足を進めると、そこはキッチンで。

 新しく買ってあげたエプロンをしたメディアが、楽しげに鍋を混ぜていた。

 

「焦げないように、焦げないように♪

 煮崩れしないで、ゆっくり混ぜて♪」

 

 即興で思いついたであろう、可愛い事を口ずさみながらメディアは市販で買えるシチューの素を投下する。

 メディアの手元には、一冊の本が。

 あれは確か、私が気紛れで買った、簡単に作れる日本食レシピ攻略ガイド! と題されたレシピ本。

 衛宮くんの家で食べたご飯を思い出して、つい買ってしまった物だ。

 あまり読まずに、そのまま積んでしまっていた筈の。

 

 多分、暇に飽かして本を読んでいて、その一冊がアレだったのだろう。

 やや大きめの鍋だから、自分以外のご飯も作っている。

 その姿を見ていると、どこかホッとした私がいた。

 彼女の後ろ姿が、近くに思えて。

 儚さよりも、身近さの方が感じ取れるから。

 

「メディア」

 

「あ、アリスちゃん、おかえりなさい」

 

 メディアはこちらに振り向き、笑顔で私を迎えた。

 楚々とした笑みが、どうしてだか少し女の子を感じさせる。

 もしかすると、彼女が身に着けている白のエプロンのお陰か。

 ”汚れた分だけ私が頑張った証になりますから”と言って、本当に何も描かれていない真っ新なエプロン。

 その無垢さの中に、シチューの匂いと柔らかな笑みが加わると、不思議と幼妻を目の前にしているという感覚があった。

 誰かの奥さんなんて域を超えて、そう言う概念を詰め込んだかの様な。

 

「ただいま、今日はシチューなのね」

 

「はい、今度こそ美味しく作れてたら良いですけど」

 

「大丈夫よ、市販の物は大体がそれなりの味に収まるもの」

 

「むぅ、それはそれで面白くないです」

 

「メディアがご飯を作ってくれてる事自体、私にとって嬉しいわ」

 

「お母様じゃないんですから……。

 私はアリスちゃんに、美味しいご飯で喜んで欲しいです」

 

「なら、焦がさないように鍋から目を離しては駄目よ。

 ほら、混ぜる作業に戻って」

 

「あっ、焦げたら困ります!

 アリスちゃんに美味しいご飯を食べさせてあげたいのに!」

 

 プリプリ怒りながら、メディアは再び鍋に向き合った。

 既に火を通すだけの作業のため、レシピ本はテーブルに置いている。

 私は一生懸命に鍋と睨めっこしているメディアを、穏やかな気分で眺めていた。

 何となくだけれど、こうしてメディアの背中を眺めていたいと感じて。

 席について、ジッとその背中を見つめる。

 

 頑張っているその姿を見ていると、つい頭を撫でたくなるのはきっと私の悪い癖。

 可愛い子には旅をさせず、猫可愛がりしてしまう。

 正直、客観視すると鬱陶しいと思うレベルで。

 ……まぁ、微塵も私のスタイルを変えるつもりはないけれど。

 そこが、ネコさんに釘を刺される要因か。

 

「出来ました!」

 

 コトコト煮ること数分、メディアが喜びの声を上げる。

 フンフンと嬉しそうに、お皿にシチューを盛っていくメディアは、私の方を見てにっこり。

 

「アリスちゃんに美味しいって言って欲しくて、作ったんです」

 

「それは食べてから判断するわ。

 ……ありがとう、メディア」

 

「はい、凛さんも呼んできますね!」

 

 タッタッタとキッチンから駆けていくメディアを見送り、他にも用意されていたパンの香りに頬が綻ぶ。

 鍋を掻き混ぜる料理なら、とメディアは言っていたけれど、確かに卒なくこなしていた。

 でも、初めて作る料理だから、不安がないといえば嘘になるだろう。

 そもそも、食材が過多になっている現代の料理は、メディアにとっても複雑に感じる筈。

 だから、本当に食べてみるまでどんな味になっているのかわからない。

 それが、ちょっと楽しみで。

 

「アリスちゃん、凛さんに廊下に置いておいて後で食べるからって言われました」

 

「サランラップをして言う通りにしておきなさい。

 どうせ、研究が一段落するまで出てこないわ」

 

「分かりました、ちょっと待っててくださいね」

 

 一回戻ってきたメディアが、直ぐに引き返す。

 その表情は、ちょっと残念そうだった。

 凛が食べた時の反応も、気になっていたのだろう。

 何だかんだでメディアは、凛にも少し距離はあるが、恩は感じているのだ。

 

「はい、今度こそ戻りました」

 

「じゃあ、頂きましょうか」

 

「はい、アリスちゃんどうぞ」

 

 椅子に座ったメディアは、スプーンを持たずに私をジッと見ている。

 恐らく、どんな感じで私が食べるのかを見ていたいのだ。

 さっきとは立場が逆、更に言えばこうして意識していると中々に気にしてしまう。

 でも、だからと言って、気になっているものはどうしようもない。

 なので、私はスプーンを握って、そのままドロリとした液体を口に運ぶ。

 ……まず、最初に感じたのは甘い舌触りの様なもの。

 日本のシチューのルゥ特有の、濃い味が舌を覆って、私は微笑んだ。

 

「美味しいわ、メディア」

 

「本当ですか?」

 

「えぇ、もう少し自信を持って良いのよ」

 

 玉ねぎやじゃがいも等は少し煮崩れているけれど、ホカホカしてて本当に美味しい。

 温かい具材を、シチューのソースが柔らかく包んでいて、食べていて本当に落ち着く。

 メディアが作ってくれたから、というのも過分にあるのかもしれないけど。

 

「冷めない内に、メディアも食べてしまいなさい」

 

「……はい」

 

 返事をしつつも、メディアの目は私から離れない。

 私が食べ終わるまで、本当に目を離すつもりはないのだろう。

 仕方ない、と私はスプーンを掬う速度を上げる。

 美味しいと感じつつも、この時間がちょっとだけ惜しかった。

 

「ごちそうさま」

 

「はい、どういたしまして」

 

 でも、何だかんだで直ぐに片付いてしまった。

 その間にメディアは2、3口食べただけだったけれど、殆どは私を見ていてニコニコしているだけで。

 それに対して、私も気が付いたら、席を立ってメディアの頭を撫でていた。

 いじらしい姿が可愛すぎたのだから、もう仕方ないと開き直って。

 

「また、そういう事をしてくる」

 

「嫌?」

 

「……嫌じゃないです」

 

「正直ね」

 

 本当に仕方のない娘ね、とブーメランで帰ってきそうな事を思いつつ、私はメディアの頭を撫で続けて。

 そして、ふと思い出したかの様に、メディアに言ったのだ。

 

「メディア、私が学校に行っている間、ずっと一人ぼっちになっちゃうわね」

 

「大丈夫です、ちゃんと待ってられます」

 

「えぇ、そうね。

 でも、私はそれが嫌。

 だからね、考えて決めたの。

 メディアにも学校に行ってもらおうって」

 

「…………え?」

 

 嬉しそうな顔から一転、びっくりした顔をしたメディアに、私は畳み掛ける様に続ける。

 

「大丈夫よ、きっとメディアには穂群原の制服も似合うはずだから」

 

 新しい服をプレゼントする感覚で、私はそう告げて。

 メディアの目は、やはりまん丸に固まったままだった。




今年は本当に更新が少なく、すみませんでした。
来年、来年こそは……。
あ、それから、ないかもしれませんが、一応番外編みたいな感じで何か書いてみようと思ってます(リハビリがてらに)。
多分、時系列とか関係なく、不思議時空でのお話になるかもです(書ければ、なのですが)。

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