冬木の街の人形師   作:ペンギン3

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 今回の内容は頭空っぽにして読んでください。
 正直、おふざけが過ぎたと思っている。
 でも、反省も後悔もしてません!


第16話 麻婆パニック

 人は朝、昼、晩と、一日に三回ご飯を食べる。

 それは栄養補給のためだったり、食欲を満たすためだったり、娯楽のためだったり。

 様々な理由が散らばっているのだ。

 総じて、食事は楽しんだほうが、何かと都合がいいものである。

 だからこそ、私は今、商店街の方にやって来ている。

 それに前から、気になっていたのだ……中華料理というものが。

 

 中華料理、それはその名の通り、中国発祥の料理である。

 だけれども、中国で一括りにするには、彼の大陸は広すぎる。

 日本でも、北海道から沖縄で大きく文化が違うという。

 まして、北京から四川という広大な領土を持つ中国は、それだけで多様な食文化を有するといえよう。

 それは領土に割拠して多様性を持っている、欧州の諸国が何よりも証明している。

 

 しかし私は、そんな中国料理に偏見を抱いていた。

 全てが一律に辛いと、そんな偏見を。

 それは幼い頃に食べたエビチリなるものが、小さい頃の私の舌には、かなりの劇物となっていた為である。

 

 だけれども冬木に来て、そして凛の料理を食べて、それが一方的な物の見方だと知ったのだ。

 ただ辛いだけと思って敬遠していた中華料理。

 でもその真実は、様々な可能性を持っている料理だったということ。

 だからこそ、私はこの料理のことを、もっと知りたいと思っていたのだ。

 

「ここね」

 

 そしてマウント深山商店街には、美味しい中華料理店があるという。

 その店の名前は……。

 

「紅州宴歳館、泰山」

 

 ここが、噂の場所。

 何故か凛は一緒に来ることを拒否していた場所。

 何でも、見たくない顔がいるとか。

 もしかしたら、店長と仲が悪いのかもしれない。

 そんな邪推をしてしまう。

 それを振り払うように、頭をブンブンと振る。

 憶測を重ねても、詮無きことに違いはないのだから。

 だから私は、思い切って店に入店したのであった。

 

「いらっしゃいアルね~!」

 

 そうして、そんな胡散臭い、いらっしゃいが聞こえてきた。

 その方向を見れば、そこには小さな女の子が一人。

 ニコニコと笑顔で立っていたのだ。

 お店のお手伝いでもしているのだろう。

 遊び盛りなのに、感心することである。

 

「あ、客さん、お初さんアルね!

 私はこの泰山の店主、魃、アルよ。

 よろしくネ~」

 

 ……何か違った、決定的な何かが。

 思わず凝視してしまうが、どう見てもお手伝いしている女の子にしか見えない。

 正直な話、意味が分からない。

 

「店長?」

 

「そうアルよ……もしかして、信じられないアルか?」

 

 素直に頷く、信じろという方が無理がある。

 だけれど、困惑してしまう私を他所に、店長は訳知り顔で頷いている。

 

「みんな最初はそうネ、私のあまりの若々しさに度肝を抜かすアル。

 でもアルネ、あれを見ても、そう言っていられるアルか?」

 

 店長が指を指す。

 その先には、調理師免許証が入った額縁が、存在していた。

 

「みんなが疑うから、仕方なく飾ることにしたアル」

 

 ご丁寧なことに、何年度卒業かなどは、黒いテープで隠してある。

 それがそこはかとなく、胡散臭さを増し増しにしている。

 でも、それが調理師免許証であることは、間違いなかった。

 

「信じたアルか?」

 

「えぇ」

 

 人体の神秘、人間はどこまで若さを保てるものなのか。

 また新たな不思議を知ってしまった気持ちである。

 もしかしたら、何らかの不思議生物なのかもしれない。

 単なる偏見に過ぎないのであるが。

 

「ところでお客さん。

 今、空いてる席が無いアルが、相席でOKアルか?」

 

 見渡せば、各席は埋まっており、テーブルも殆ど空きがなかった。

 どうやら美味しい中華料理店というのは、嘘ではなかったらしい。

 そこは噂通りだったらしくて、正直な話、ホッとした。

 

「大丈夫です、席に案内してください」

 

「そう言ってくれて、助かったアル。

 ではでは~、お客様1名、ご案内アル~」

 

 元気の良い声を出しながら、魃店長が歩き出す。

 そして私は、その後ろを付いていく。

 そうして、私が案内された先には……。

 

「相席OKアルか?」

 

「君は断らないと知って、提案しているのだろう?

 構わんよ……どうやら縁がある相手でもあるようだ」

 

「知り合いだったアルか」

 

「あぁ、この街へホームステイをしに来ている娘でな。

 その手伝いをしたまでのことだよ」

 

 何故だかシニカルな笑みを浮かべている、目の前のカソックを着た人物。

 友達、いたのアルねぇ、などとしみじみと呟いている魃店長。

 その店長へと、私はこう言った。

 

「チェンジで」

 

「却下アル」

 

「何故」

 

 誰が好き好んで、この暗黒神父と一緒にいたいと思うのだろうか。

 世話になったとはいえ、あまり得意ではないのだ。

 あまり関わりたくないと思うのが、正直な心情である。

 

「他の席を見るアルね」

 

 店長は他のテーブル席を見渡す。

 私もそれに続くと、目の前の一人でテーブル席を占拠している輩とは違って、他の席には、最低で二人づつ座っている。

 それもおそらくは、友達や家族同士で。

 

「みんな、楽しそうに食事しているアル。

 そこに見知らぬ第三者が来てみるネ。

 きっと気まずいに違いないアル」

 

 店長が困った風に、そんなことを言う。

 でも、確かに一理あると言えよう。

 他人が入ってきたら、話を続けづらくなるものであるから。

 でも、である。

 

「私がここに座ったら、私が苦しむことになるわ」

 

 それは全力で回避したい。

 あまりに酷であろう、それは。

 

「大丈夫ネ、綺礼の知り合いは、総じて図太いアル。

 だから君もきっと、何事もなく食事ができるアル」

 

 ……成程、神父の日頃の行いの成果か。

 思わず天を仰ぎたくなるが、仰ぐ神がこの目の前の神父と同じ神だと考えると、憂鬱になるので、ため息を一つ漏らすだけで済ますことにする。

 

「わかったわ、それでいいわよ」

 

「ありがとうアル。

 値段はオマケするから、そこは勘弁して欲しいアル」

 

 全く、今日はツイていないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ねぇ」

 

「何かな」

 

 店長が去ったあと、残ったのは沈黙。

 あまりの気まずさに、思わず声を出してしまう。

 早まったか、という気持ちもあった。

 でも、この神父と二人っきりで沈黙が続くというのも、ある種の地獄なので仕方がなかったのだ。

 

「それ、美味しいの?」

 

 私が渋々と視線を向けた先には、真っ赤なスープの中に、豆腐が正方形に散りばめられたもの。

 イタリアンのような、香ばしい赤さではない。

 只々、紅いのだ。

 見ているだけでも目が痛くなってきそうな色。

 それを一心不乱に食べ続けている。

 正直、怪異を目の当たりにしている気分だ。

 

「食うか――――?」

 

 帰ってきた答えは、何か危ないものであった。

 食べる? 何を?

 呆然としている私。

 しかし神父は何を思ったのか、こんな注文をとっていた。

 とってしまっていた。

 

「麻婆豆腐、辛さマシマシ外道風味をもう一つ」

 

「あいよアル~」

 

 ……この神父は今、何をした?

 思わず凝視してしまう、が神父は堪えた様子もなく、何時も通りの不気味な鷹揚さで笑みを深くしていた。

 

「沈黙は、すなわち肯定ということだ。

 なに、遠慮をすることはない。

 存分に味わうが良い」

 

 私がただ固まっている間に、注文は通り、そして調理をする音が、厨房から聞こえてくる。

 頭が痛い、何故だか嫌な予感がする。

 心の奥から、逃げて! と悲鳴まで聞こえてくる。

 

「最近はどうかしら?

 何か変わったこととか、ある?」

 

 でも、出てきた言葉はそれ。

 我ながら、どう考えても現実逃避している。

 でも、それで精神の均衡を保てるのならば、それに越したことはない。

 遠い目をした私に、言峰神父は水を飲みながら滑らかの口調で告げる。

 

「特には何もない。

 だが、そうだな。

 あえて言うならば……」

 

 神父は私の目を覗く。

 すぐに逸らそうかとも思った。

 でも、ここで逸してしまったら何だか負けのような気がして。

 だから、睨みつけるが如く、彼の目を見つめ返す。

 

 彼の目、何も映さない虚ろを感じさせる目。

 おかしい、これと似たようなものを、どこかで見たことがある。

 それが、何だか分からないモヤモヤとして、自分の中に積もっていく。

 だけれど、神父は私に考える時間を与えなかった。

 彼は言葉を吐いた、それは強制的に私の意識を浮上させるには十分なものであった。

 

「貴様、間桐臓硯と会談したそうだな?」

 

 間桐臓硯、その名を聞いたころで、心臓が特段高く鳴り響いた気がした。

 間桐邸での、あの日の事を思い出してしまったから。

 

「えぇ、何か問題が?」

 

 強がり、虚勢をはり付けて、私は応答する。

 この神父の前で、弱いところなど見せようものなら、その部分を抉られそうだと思ったから。

 だが神父から飛び出た言葉は、思っていたものとは、大分違ったものであった。

 

「あの爺は油断ならない。

 何か吹き込まれても、本気にするものではない」

 

 そう、それは彼らしからぬ忠告。

 何時もと違って、遊びの入ったものではない、本気のもの。

 だからこそ、真剣に言っていると気付ける。

 

「珍しいわね」

 

 この神父が、そこまで本気になるのは。

 よほど嫌いなのか、それとも噛み合わなかったのか。

 どちらにせよ、この神父にここまで言わせるとは、あの爺の人間でも食ってるのかと言わんばかりの悪辣さは誰にでも有効らしい。

 

「それだけに不愉快で、破廉恥極まりない怪物ということだ」

 

 ……鏡を見てくれば?

 そんな言葉が頭を過ぎるが、本当に不快そうにしているので、口は噤んだままにしておく。

 

「アレが不味いのは十分に承知しているわ。

 危なくなったら、尻尾を巻いて逃げるわよ」

 

「精々絡め取られないようにすることだな」

 

 そう私に告げると、神父は何かに気付いたように、口角を上げる。

 唐突なことで、意味が分からない私は小首をかしげることとなった。

 あまり気分の良くない話をしていたのに、急にどうしたのか。

 そんな単純な疑問である。

 

「店長、幾ら気配を消しても、麻婆の匂いだけは隠せるものではないぞ」

 

「あちゃあ、流石は綺礼ネ」

 

 その疑問は直ぐに解消された。

 いきなり現れたのは、魃店長。

 全く気配を感じさせずに、私達の近くにまで来ていたらしい。

 ……本当に、この店長は何者なのであろうか?

 

「それはこの娘に」

 

「あいアルよ、頑張って食べるアルね」

 

 そう言って、店長は溶岩じみた麻婆豆腐を私の目の前に置き、颯爽と去っていく。

 良かったアルね、と神父にウインクを飛ばしていたが、一体どういう意味なのだろう。

 ……それ以前に、この紅いのは、どういう意図で作られた物体なのであろうか。

 本当に理解に苦しむ。

 そうして目の前を紅い物の前に逡巡していると、神父が端的にこう言った。

 

「食え」

 

 正気を疑う言葉、しかし彼は至って平然と、紅い麻婆を口に運んでいた。

 その彼の目が語っている。

 

 ”少女よ、この紅に溺れるがいい”と。

 

 でも目の前のブツは、どう考えても、入り込んだら沈んでいく沼にしか見えない。

 

 これを食べろと言うのか。

 そもそもこれは人間の食べ物なのだろうか。

 何を思って考案され、そして誕生したのか。

 望まれないものであるはずの……これが。

 

 私は凝視する、凝視し続ける。

 見ているだけで、口に運ぶことはない。

 それは何か大事なものを脅かされるのではないかと、そんな予感さえするから。

 でも、それでも、この麻婆は目の前に存在している。

 こうして私は膠着を続ける、続けようとしていた。

 でも、ここには、そんなことを許さない人物が存在しているのだ。

 

「何を迷う必要がある、食すれば今までの価値観が一変するだろう」

 

 そう、この神父である。

 麻婆を、口角を上げながら口に運んでいる。

 その姿は、ひたすらに修練を重ねた求道者が、答えを得たようにも感じるもので。

 ……歓喜を感じているようにも見えた。

 

「それに、このままでは、折角の麻婆が冷めてしまう。

 それは作り手にとって、とても残念な事ではないかな?」

 

 基本的な道徳、それを私に説く彼。

 その言葉は、本音の中にどこか嘲弄するような響きも混じっていて。

 嘲笑うかのように、彼はこう続けたのだ。

 

「それとも何かね、臆したか? 少女よ」

 

 ……上等よ、クソ神父。

 無言で蓮華を掴む、そして静かに手を合わせる。

 それは食べる前の日本の作法だったのか、何かに祈る動作だったのか、私自身も分からない。

 でも、逃げられない戦いなのは、間違いなかった。

 このままコケにされたままなのが、何よりも腹立たしかったから。

 だから私は、勢いよく麻婆を掬い、そして口に運び込んだのだ!

 

「っんーーーーーー!?!?」

 

 その時、私を襲ったのは圧倒的な灼熱。

 喉が爛れ、須らく溶けていきそうな感覚。

 まるでマグマを嚥下するかのような、冒涜的な感覚が私を襲った。

 圧倒的な熱さによって生じる荒廃した喉越しは、まさに無間大紅蓮地獄!

 

「み、みず、お水!!!」

 

 冷水で満たされたコップを掴み、そのまま一気に飲み干す。

 もはや外聞を気にする余裕なんてない。

 このままでは死ぬ、冗談抜きで死んでしまう。

 ごくり、ごくり、と冷えた水が喉を潤す。

 

 喉が冷たい……。

 お水がこんなに美味しいなんて初めて……。

 もう、何も怖くない!

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

「落ち着いたかね」

 

「少し錯乱していたわ」

 

 私は水をたっぷり3回お代わりして、そしてようやく落ち着くことができた。

 もう喉が融解したような、溶けていくような感じはしない。

 しかし、まだヒリヒリすることには変わりなかったが。

 そして正気に戻ったことで、思ったことがある。

 

「やっぱり人間の食べ物じゃなかったわ」

 

 先程の恐ろしい悪夢を思い出す。

 体内から燃やされて、灰に還るとさえ思えたアレ。

 考案した店長は、今すぐメニューを廃するべきだ。

 

「そうかね? 私と店長で考えた、最強の麻婆豆腐なのだが」

 

「お願い、死んで」

 

 この神父も一枚噛んでいたのか、道理で凶悪なものが出来るはずである。

 何が最強の麻婆豆腐なのだろう。

 どう考えても、暗殺用ではないか。

 

「淑女にあるまじき物言いだな」

 

「淑女であってほしいのなら、もっと気を遣ってもらいたいものね」

 

 店長も悪乗りがすぎるだろう。

 まさか、本当にあんなものを出してくるなんて。

 緩慢とした苛立ちが、チリチリと私を苛む。

 でも、この神父は、私の想像を超えるようなことを平然と口にした。

 

「辛さは控えめだったのだがね、修練が足りないのではないかね?」

 

 ……この人は何を言っているのだろう。

 アレで? 冗談はその性格だけにして欲しい。

 

「変だわ、あなた」

 

「とうに自覚している」

 

 事もなさげに返す神父。

 そんな彼を横目に、目の前の物を見つめる。

 ……そこには、出されてそこそこ時間が経っているのに、未だに煮えたぎっている麻婆の姿が。

 正直、もうこれ以上食べたいとは思えない。

 

「――――食べる?」

 

 神父へと尋ねる。

 こんなものを食べるのは、そこの神父か、その親族か、マゾヒスト位なものだろう。

 

「――――頂こう」

 

 主の恵みに感謝を、そう言って私の譲った麻婆を口に運び始める神父。

 だがその麻婆は、どう見ても神父と店長が生み出した、この世の地獄に他ならない。

 それを嬉々として食するこの神父は、魔人か何かの類なのであろう。

 

 黙々と、苦しそうにしながら麻婆を食べる彼。

 一体、何がそこまで彼を駆り立てるのかは分からないが、それでもその姿は、今を謳歌しているようにも見えてしまう。

 もしかしたら、麻婆が生きがいなのかもしれない。

 そう思うと、少し生暖かい視線を送ってしまう。

 そうこうしている間に、彼はあっと言う間に麻婆を完食してしまっていた。

 

「ふむ、美味であった」

 

 ……変だと思っていたが、それに加えて変態でもあるらしい。

 変人で変態でロクデナシの聖職者……事案物である。

 そのうち、何かをやらかさねばよいのであるが。

 はぁ、とため息が、気付いたら出てしまっていた。

 

「ほう、何か悩み事かね?」

 

 邪悪な笑みで、何かを期待するかのように訪ねてくる神父。

 その彼に、精一杯の皮肉を込めて、言葉を吐き返す。

 

「どうにも災厄が私の身に被害を与えているみたいなのよ。

 黒いカソックにいやらしい笑みを貼り付けて」

 

 今日は散々である。

 神父に付き合わされるわ、外道麻婆を食べさせられるわ。

 それにもう、他に何かを食べたいとも思えない。

 少しだけ、まだ喉にヒリヒリとした感覚が残っているから。

 ……もう私、凛の作る中華料理しか食べない、今決めた。

 

「良い歳をして、拗ねているのかね?

 どうやら君は、思っていたよりも子供だったらしい。

 失礼、どうやら私は女性と子供の扱いは苦手でな」

 

「そういう貴方は、ひどく大人げないのね」

 

 弱っているところを蹴りに来るあたりが特に。

 だが本人は至って飄々としたもの。

 睨みつけても、特に気にした素振りもなく、美味しそうに水を飲んでいた。

 

「そうかね? 私の教会には、迷える子羊たちが尽きることはないのだがね」

 

「凛が猫被り得意なのは、あなたの影響もあるのでしょうね」

 

 師弟揃って曲者である、凛の方は可愛げがあるけれど。

 

「では、そろそろお暇するとしよう」

 

「……待って」

 

 もうすることもなくなった、そう言わんばかりに去ろうとする神父を呼び止める。

 本当は面倒くさいから放置していたいのだけれど、でもやらねばならないことがある。

 

「何かな」

 

「話があるの」

 

 そういうと神父は小さく、あぁ、と納得したような声を上げた。

 

「間桐臓硯と企てた件のことかな」

 

「その通りよ」

 

 察しが良い。

 もしかしたら、今日あった時から勘づいていたのかもしれない。

 

「よかろう」

 

 あっさりと神父は頷き、再び席に着いた。

 その物分りの良さが、嵐の前の静けさなのかもしれない。

 

 軽く深呼吸をする。

 程良い緊張が、私を襲う。

 さぁ、話を始めるとしよう、そう思った時の事だった。

 

「いやぁ、ごめんアル」

 

 そんな言葉と共に、店長が現れたのである。

 ……何だか出鼻を挫かれた気分だ。

 

「綺礼の知り合いは、みんな美味しそうに麻婆食べてくれてたから、キミも大丈夫だと思ってたある。

 ちょっと考えが足りなかったアル、ごめんネ」

 

「アレを美味しそうに食べる人……」

 

 ちょっと意味が分からない。

 それ程に世界は広いということなのだろうか。

 

「そこで、お詫びに杏仁豆腐を用意したアル。

 代金はいいから、ゆっくり食べて欲しいアルよ」

 

 店長が差し出してきたのは、フルーツポンチチックなものであった。

 見たところデザートであるようだ。

 

「良いの?」

 

「私の方こそ、これで許して欲しいネ。

 ではでは、ごゆっくりアル~」

 

 そう言うと、店長は流れるように厨房へと去っていく。

 流石の店長も、アレは危ないと認識していたようだ。

 ちょっとだけ、溜飲が下がった想いだ。

 

「食べてもいい?」

 

「それは君のものだ。

 好きにするがいいさ」

 

 建前として神父に伺いを立て、そして杏仁豆腐とやらを口に運んだ。

 ――冷たい、そして甘い。

 これまでの傷を癒していくかのような感触。

 

「美味しいわ」

 

 思わず零してしまう程の物であった。

 あの麻婆と同じ製作者とは思えない味。

 それ程に細やかで、優しい口当たりだったのだ。

 これぞ甘露と言えるものだろう。

 

「で、話を続けてもよろしいかな?」

 

 空気を読めない神父。

 それに頷きつつも、少しだけイラっとしてしまった自分がいたことは否めなかった。

 

「結構、では始めるとしよう」

 

 神父の言葉に、自然と空気が引き締められた気がした。

 彼は余裕を持っていて、だけれども隙などはどこにもない。

 役者としては一人前であろう。

 

「あの妖怪、間桐臓硯と何を話した」

 

 そして彼は、余計な回り道を挟まずに、一直線に聞いてきた。

 何時もの迂遠さは放り投げている。

 それだけ、彼は間桐の爺を警戒しているのだ。

 

「聖杯についてよ」

 

「ほぉ」

 

 感心したように、彼は声を漏らす。

 だがその実、彼の表情は変わらない。

 その代わり、一言一句聞き漏らすことはないという気迫は伝わってきていた。

 

「もっと正確に言うと、英霊の召喚についてよ」

 

「ふむ、それで何をしようというのかね」

 

 事務的に訪ねてくる彼。

 でも、その暗い目の中に、興味という火は確かに灯っていた。

 

「私は英霊に師事しようと思っているのよ」

 

 所々、掻い摘んで説明する。

 喚ぶ手段、そしてそれがどのような影響を及ぼすのかを。

 そしてそれを実行するためには、教会の管理する令呪が必要なことも。

 私が全て語り終えた時に、彼はこう呟いた。

 

「絵に描いた餅だな」

 

 笑みを浮かべている、何時ものように胡散臭いものを。

 でも、幾らか呆れでもしたような、そんな残念さも感じられた。

 ……この人が何を思っていたのかは、分からない。

 しかし、腹立たしいことには違いないのだ。

 

「あなたは大樹の苗木を見て、高くないと笑ってるのではなくて?」

 

「自己評価が過大なこと著しい」

 

 まぁ、良い。

 今のうちに精々笑っておくことだ。

 いつか吠え面をかかせる、そう心に決めた。

 差し当たっては、コケにされた研究を進めることで。

 

「で、令呪は割譲してもらえるのかしら?」

 

 今は端的に、自分の要求が通るかどうかを確かめる。

 それが、今回の要件であったのだから。

 すると神父は更に胡散臭く、鬱陶しい表情になって続けるのだ。

 

「どうにも私の手に余る問題だ。

 しかし、御三家の賛同があれば、それもまた良しとされるのであろう」

 

 それは条件付きによる、遠まわしな肯定。

 これで説得すべき相手は、アインツベルンのみになった。

 でも、暫くは研究に集中しなければならない。

 完成した研究、それから裏をかかれないよう、用心を。

 最悪、研究成果だけ取り上げられて、殺される場合もあり得るのだから。

 

「さて、用は済んだかね」

 

「えぇ、もう用済みよ。

 ……ありがとう」

 

 神父は私の感謝を、意味有りげな微笑みで受け止めた。

 それはまるで聖職者のようで、そして不吉な凶兆の前触れでもあるかのようであった。

 まぁ、それだけ胡散臭く思えるものであっただけの話なのであるが。

 

 でも、何にしろ会話も用事も終わり、後は別れるだけ。

 そう、思っていた。

 

「今、思い出したことなのだがな」

 

 神父が唐突に言う。

 あぁ、そういえば、という気軽さで。

 

「凛の家に運ぶ予定の荷物があった。

 ついでだ、君が持っていき給え」

 

「は?」

 

 ようやく、ようやく別れられると思っていた矢先、また面倒くさい事を頼んできた。

 しかし、凛には日頃お世話になっているし、あまり無碍にもしづらい。

 でも、私は嫌そうな顔をしていることであろう。

 それは間違いなかった。

 でも、神父は平然としたまま、こんな風に続けたのだ。

 

「ルーマニアの教会から、君にも荷物が届いている」

 

「……嫌な予感がするわ」

 

「どちらにしろ、受け取ってもらわねば邪魔で仕方ない」

 

 私の教会を、荷物置き場とでも思っているのかね?

 そう神父に、嫌味ったらしく言われてしまえば、もう行くしかなくなっていた。

 

「私が持って帰れる量なの?」

 

「さぁてな、君の日頃の行いにもよるだろう」

 

 どういう意味なのか、意味深な言葉に気分がげんなりとしてきてしまった。

 そうして、その私を見て、神父はいっそう、笑みを深くするのであったのだ。

 

 

 

 

 

 

「で、荷物はどこにあるのかしら?」

 

 結局、教会まで来てしまった。

 あと、本当に泰山では、料金を取られなかった。

 それはさて置いとくとして、荷物とは一体何か、まずはそれを知らなくてはならない。

 

「こちらだ」

 

 神父は教会の奥の部屋へと入っていく。

 ついて行くと、その先には庭があった。

 観葉植物の姿などもあるが、どれもよく手入れされている。

 この神父は、存外マメなのであろう。

 ……ほんの少しだけ、見直した。

 

「綺麗に整っているわ」

 

「ここで結婚式を挙げる者たちもいる。

 そのためには、やはり整頓はしなくてはならんのだよ」

 

 ……ここで結婚式?

 理解が追いつかなくなりそうではあるが、軽く呼吸して落ち着く。

 そう、ここは教会なのだから、そういう意図で使用する人達もいるのだろう。

 そう考えると不思議ではない、この神父を除いて。

 

「他の神父がやってきて、儀を執り行うのかしら?」

 

「私がいるではないか」

 

 やっぱりそうなのか……。

 この神父の祝福を受けた人達を思うと、涙が禁じえない。

 ど外道麻婆神父の祝福は、呪いと大差ないであろうから。

 こうしてその人達を儚んでいる内に庭を通り過ぎ、そして神父はある一室の前で立ち止まった。

 

「ここにある」

 

 そう言って、神父はドアを開けた。

 キィ、と小さな音と共に、部屋の中が露わにされた。

 

「へぇ」

 

 その部屋は、この神父にしては趣味が良かった。

 部屋にマッチしている調度品に家具、どことなく情緒のある部屋だったのだ。

 

「そこだ」

 

 彼の指差した方向には、ダンボールが二点、存在していた。

 積まれたダンボールには、遠坂凛様、アリス・マーガトロイド様、と其々の名前が書いてあった。

 

「これを素手で持って帰れと?」

 

「何か問題かね?」

 

 凛の家まで、ダンボールを抱えて帰る。

 ……想像すると思っていたより恥ずかしい、何よりも格好が悪い。

 

「移動手段は?」

 

「無い」

 

 聖職者の癖に、無慈悲であった。

 いつか彼の主神に、天誅を下されてしまえばいいのに。

 そんなことを考えていると、どこからか、コツ、コツ、と足音が聞こえてくる。

 

「誰か、他に人がいるの?」

 

「……うむ」

 

 彼にしては珍しく、動揺したように見受けられる受け答え。

 ……もしや女性でも連れ込んでいたのであろうか?

 もしそうであるならば、驚天動地の出来事である。

 

 音のする方向、それは私達の入ってきたドアとは、また別のドアから聞こえてくる。

 その方向を凝視する、好奇心と不信感を込めて。

 もう、音はすぐ傍まで近づいていた。

 

 そうして扉は開いた。

 特別な何かはなく、ただ自然に。

 

 だが、出てきた人物は、特別であったようだ。

 

「綺礼、客か」

 

 扉から現れた彼が、神父に問いかける。

 黄金の髪、ルビーのような赤い瞳、そして……圧倒的な存在感。

 そして、どこかで感じたであろう、この気配。

 いつの間にか、呑まれそうになっている自分に気が付いた。

 

「そうだ、客だ」

 

 だが神父は、何時もと変わらないように、受け答えをしていた。

 それで、私も正気に戻れた。

 

「貴方は?」

 

 気を取り直すために、問いかける。

 だが黄金の彼は億劫そうに、鬱陶しそうに私を見ていた。

 

「自分から名乗る方が先だ、小娘」

 

 気分を害したように、吐き捨てる彼。

 成程、体を表すかのように尊大な性格のようだ。

 でも、私が不躾をしたのも事実である、素直に頭を下げる。

 

「失礼、アリス・マーガトロイドよ」

 

「そうか」

 

 それを聞くと、尊大に頷き、彼は去ろうとしていた。

 ……何だか非常に感じが悪い。

 名乗らせておいて、去ろうという魂胆が気に入らない。

 

 文句でも言ってやろうか。

 そう思っていたが、私が吐き出す前に、神父の方が彼に声を掛けた。

 

「待て、貴様は車を持っていたな?」

 

「それがどうした」

 

 神父が私の方を向く。

 どうやら要らぬ世話を焼いてくれるようだ。

 

「この娘を届けてやれ」

 

「何故、(おれ)がそのような些事を成さねばならぬ」

 

「私が車を運転できないからだ」

 

 神父は臆面もなく、そう言い放つ。

 すると金色の彼は、鼻白んだように鼻を鳴らした。

 

「まぁ、良い。

 暇をしていたところだ」

 

 事もなさげに呟き、彼はこの部屋から出て行った。

 まぁ、利用できるものは、利用しておこう。

 

「感謝するわ」

 

「上辺だけの言葉に、意味はあるかね」

 

 それもそうか。

 軽く、でもほんの少しの感謝を込めて頭を下げる。

 ……今度こそもう用はない。

 早々に立ち去るとしよう。

 

「ところで」

 

 でも、去り際にひとつだけ、疑問を解消しておこう。

 神父を探るように見つめて、そして尋ねる。

 

「彼は何しにここに来ているの?」

 

 神父は無表情であった。

 でも、すぐに笑みを浮かべる。

 何時もの、胡散臭い笑みを。

 

「なに、食事に来ているだけだ。

 勝手にワインを開けるのは、注意しても聞かんのだがな」

 

「そうなの。

 ……食事って麻婆?」

 

 思わず尋ねてしまった。

 あの尊大な表情で、黙々と麻婆を食べ、そしてワインを飲み干す。

 ……バツゲームか何かだろうか。

 想像すると、中々にシュールだ。

 

「ふむ、そうか」

 

 神父は成程、などと呟いている。

 これは、まさか。

 

「良い考えだ。

 次の食事には麻婆を饗することにしよう」

 

 気まずくなって、その場を逃走した。

 私のせい……なのだろう。

 でも、彼も相当無礼なのだから、これでおあいこだ。

 そう自分に必死に言い聞かせて、私はダンボールを抱えたまま、教会を飛び出したのであった。

 

 外には赤色の車が一台、彼の姿を確認。

 すぐにその車に飛び乗った。

 

「出して」

 

「貴様、我に命令するとは、いい度胸をしている」

 

 あぁ、なんという面倒くささか。

 でも、納得させねば、車は出してはくれないであろう。

 

「訂正するわ。

 出してください、お願いします」

 

 割と必死にお願いをする。

 何よりもこの教会から離れたかった。

 じきにこの教会も麻婆に沈むであろうから。

 

「うむ、よかろう」

 

 鷹揚に彼は頷き、ようやくエンジンを回した。

 小気味好い音が鳴り、車に活力が吹き込まれる。

 

「捕まっていろ、小娘」

 

「腹が立つわ、マーガトロイドと呼びなさい」

 

「ほざけ、小娘」

 

 彼がアクセルを踏むと同時に、ようやく車は動き出した。

 神父は教会から出てくる気配はない……助かった。

 そうした安堵に支配された自分がいた。

 そうして、開かれた窓から入ってくる風に揺られながら、私は彼の未来を想像して心で祈るのであった。

 

 

 

「で、貴様、何を恐れて飛び出してきたのだ、何を見た?」

 

 車中で、金色の彼は尋ねてくる。

 何かを気にしているようにも見える彼。

 もしかして心当たりがあるのかもしれない。

 

「……今更ながら、どうして私もあんなに怯えていたのかが分からないわ」

 

 私が麻婆を食べさせられる訳でもないのに。

 被害に遭うのは、この王様の様に威張っている金髪なのに。

 ……いけない、罪悪感が湧いてくる。

 

「今のうちに謝っておくわ、ごめんなさい」

 

 耐え切れず、謝罪をする。

 彼のためではない、自分の心の負担を軽くするために。

 それだけの威力が、あの麻婆には存在するのだ。

 

「どう言う意味だ、それは」

 

 意味が分からないとばかりに、彼は私を睨みつける。

 それを甘んじて受け入れ、彼に軽く訳を話す。

 

「あなたの食事に、一品増えるそうよ」

 

「ほぅ、活きの良いのが捕まったか。

 現状でも十分であるが、質は十分なのであろうな?」

 

 生魚でも好んでいるのか、彼は私に問いただす。

 そんな彼に、私は同情を交えて話す。

 

「あの神父自らが調理するそうよ」

 

「何? ククク」

 

 何が面白いのか、彼が急に笑い出す。

 ……確かにあの神父が花柄のエプロンで、調理をする姿を想像すると、笑えてきそうではあるが。

 でも、実際の調理現場は刺激臭と熱気に満ちて、混沌としていることであろう。

 

「そうかそうか、綺礼が直々にか。

 これは重畳、面白い」

 

 思った通りの、それなりに楽しみにしているであろう反応。

 それが、絶望と混沌の果にあると、彼は想像だにしていないであろう。

 思わず彼から、目を背けてしまう。

 

「なんだ小娘、こんなにも愉快なことなのだ。

 何故、こちらを見ない」

 

 不審そうに訪ねてくる彼。

 ……ここは忠告の一つでも、しておいたほうが良いだろう。

 何の心構えもなく、アレに挑むのは、難易度が高すぎる。

 

「あの神父が作るものなのよ?

 ロクなものでないに決まっているじゃない」

 

 私が原因なのだ、後ろめたさはある。

 でも、彼はそれだから良いのだと、そんな意味不明な回答をしてきた。

 

「綺礼が生み出すであろう混沌……クク、やつの愉悦が、我にも伝わってくるようだ」

 

 あぁ、類は友を呼ぶ、というやつか。

 変態の友達は変態、そんな事を忘れてしまっていたなんて。

 

「趣味が悪いのね」

 

「今の世の中の方が、よっぽど醜悪だ」

 

「人によりけり、答えは無限ね」

 

 とっても捻た彼の価値観。

 もしかしたら、彼は教会の代行者なのかもしれない。

 だとすると、この尊大さは強さの裏返しだと言ったところだろうか?

 そんな事を考えていると……あることに気付いた。

 

 会った時から、誰かに似ていると思っていた気配。

 それが何なのかを。

 

「早苗の気配に似ているんだわ」

 

 どこか神聖さを感じさせる彼。

 それは早苗から感じさせられたものに、よく似ている。

 性格は全く似ていない二人。

 その共通点は、ある種の神々しさであった。

 

「何か言ったか、小娘」

 

「あなたって、教会で特別な地位の人間なのかしら?」

 

 それなら、威張りくさっていても何ら違和感はない。

 むしろ、それが当然になっているのかもしれないのだ。

 

「ほう、見る目はあるようだな、小娘」

 

 どうやら当たりか。

 彼は私を見て、気持ちよさげに笑っていた。

 自分に陶酔するかのごとく、彼は酔っていたのだ。

 

「だが、足りん。

 我はこの世全ての王だ」

 

 訂正、単なる誇大妄想者だったようだ。

 ……もしかしたら、教会に特別扱いされつつも、厄介払いとばかりにこの土地に流されてきたのかもしれない。

 

「そう、あ、着いたわ。

 ここで降ろして」

 

 気付けば遠坂邸の前、彼に車を止めてもらう。

 ダンボールを持って、車から降りる。

 

「ありがとう、助かったわ」

 

「手間ではあったが、暇は潰せた」

 

 それはそれは、結構なことだ。

 そういえば、聞いておかねばならないことが、彼にもあるのである。

 これが重要なことだ。

 

「あなたの名前は?」

 

 私は名乗ったのに、彼は名乗らなかった。

 それがひどく不快であった。

 それに感謝するにしても、名前を知らねば、気持ちを込めづらいのだ。

 

「ふむ」

 

 彼は考えていた。

 顎に手を当てて、どうするかを。

 何を悩んでいるかは知らないが、もしかしたら何らかの教会の規則があるのかもしれない。

 少しして、彼は顔を上げた。

 

「ギル、とでも呼ぶがいい」

 

 それは愛称であった。

 は? と思わず困惑してしまったが、彼はこう続けた。

 

「本来ならば、町娘風情に呼ばせる名ではないが、生憎と本物の名は訳あって告げられんのでな」

 

 ……色々と言いたいことはある。

 町娘風情とか、偉そうな態度についてだとか。

 でも、これが彼なりの譲歩なのであろう。

 仕方がない、ここが引き時だ。

 

「分かったわ。

 ありがとう、ギル」

 

 名と共に、再び感謝を告げる。

 面倒くさく、鬱陶しくもあったが、彼は私をここまで運んでくれたのだから。

 

「感謝を受け取ろう。

 崇め奉ると良い」

 

 やっぱり面倒くさい。

 そんな彼は満足したように、エンジンをふかし、その場を去っていった。

 

 そうして取り残されて、やっと実感が湧いてきた。

 ……ようやく、帰って来れた。

 あの神父のせいで、散々な目にあったが、これでやっと、ホッとした。

 遠坂邸の扉を開ける。

 

「凛、ただいま!」

 

 開放感からか、思わず大きな声で叫んでしまう。

 そんな大声を出したからか、直ぐに凛が現れた。

 

「お帰り……お疲れ様」

 

 何かを悟ったかのように、凛は私を向かい入れた。

 そして思い出す、彼女は泰山に行く時、妙に嫌がっていたことを。

 

「凛、あなたあの神父が居ること知ってたでしょう」

 

 尋ねているようだが、これは断定であった。

 そして凛はあっさりと、それを肯定した。

 

「そうよ、昔からお祝いと称して、結構あの中華料理屋には連れて行かれたわ」

 

 味は結構なものよ?

 そんな言い訳をする凛。

 だが、私はそんな言い訳が聞きたいわけではなかった。

 

「どうして、一言言ってくれなかったのかしら」

 

 それだけで、回避できたことなのに。

 自分でも分かるくらいに、むくれている。

 でもそれだけ、ショックな出来事でもあったのだ。

 すると凛は、ジト目で私を睨み始めた。

 

「元はと言えば、あんたが外で中華を食べたいとか言ってたんじゃない」

 

「それが?」

 

 何だというのだろうか。

 私の疑問を他所に、凛は止まらない。

 

「だったら私のじゃなくて、外で食べてくれば良いじゃない」

 

 フンッ、とそっぽを向く凛。

 ……もしかして。

 

「怒ってるの?」

 

 拗ねてるの? という言葉は、既のところで飲み込んだ。

 それは油に火を注ぐと、同義であったから。

 

「別に」

 

 短く返してくる凛。

 でも、その姿からは、彼女が何を思っているかは明らかだった。

 

 凛に歩み寄る。

 横目で私を見る彼女に、私は行動を起こした。

 ギュッと、抱きしめたのだ。

 

「ちょ、ちょっと、なによっ!?」

 

 びっくりしたように、目を剥いて私を睨む凛。

 でも、そんなのは関係ない。

 私はこの場でぶちまけるのだ。

 

「あの神父、ひどかったわ。

 あんなに辛い麻婆、初めて食べさせられたわ」

 

「え、あれを食べたの?」

 

「一口だけ」

 

 戦慄したかのように、私を見る凛。

 そしてその目は、私がギルを見ていた時の目に、いつの間にか変わっていた。

 

「……ごめん」

 

「私こそ、ごめんなさい。

 今度からは、凛が中華料理を作って」

 

 無論、泰山へ足を運ぶことはあろうけれど。

 それは杏仁豆腐を食べに行くだけ。

 もうあそこの辛いものは、信用ならないのだから。

 

 暫くギュッとしていると、凛が耐え兼ねたかのように声を荒げた。

 

「あぁっ! もう、子供か!!」

 

 そうして私を振りほどく。

 顔が真っ赤になっているのは、恥ずかしさの為だろう。

 

「可愛いわよ、凛ちゃん」

 

「うがぁぁあああ!!」

 

 つい面白くて、とどめを刺してしまう。

 でも、お陰で、神父に回された毒は払拭できた。

 凛に癒してもらっていたのだ、私は。

 

「さてと」

 

 のたうつ凛を尻目に、私はダンボールを差し出した。

 

「……これは?」

 

 うぅ、と小さく呻きつつも、何らかの興味を示したようで、訪ねてくる。

 それに私は正直に答える。

 

「言峰神父のお土産」

 

 凛はダンボールを放り投げた。

 

「なんて物を持って帰ってきてるのよ!」

 

「あなたの荷物だって、神父が言ってたのよ」

 

 そう言ってダンボールに目を向けると、中身が見事にぶちまけられていた。

 その中身は……。

 

「あ、これ」

 

 凛が呟き、そしてぶちまけられたものの中の、一つを手に取る。

 

「エキスパンダー?」

 

 そう、それは体を鍛えるための道具。

 他の物も、大小問わず、そういうものであった。

 

「あ、そっか。

 そういえば、いらなくなった物よこせって、綺礼に言ってたわね」

 

 思い出したかのように、せっせと床に散らばったものを拾い始める凛。

 現金なことだ。

 

「わざわざ神父からせびるなんてね」

 

「有効活用よ、道具には罪はないわ」

 

 ご尤も、凛は嬉々として床に散らばったものを拾い、そして私の足元にあるダンボールにも目を向けた。

 

「そっちは?」

 

「教会から、私宛に」

 

 ふーん、なんて言いつつ、彼女は散らばったものを全て拾い終えた。

 そして私に一言。

 

「厄介ごとの匂いがする」

 

 それだけ言って、去っていってしまった。

 まるで気まぐれな猫。

 しかも不吉な言葉を残していったのだから、きっと黒猫だったに違いない。

 

「そういうことは、口に出さなくても良いのよ」

 

 本当にそうなりそうで、怖いではないか。

 顔を顰めながら、私は自分の部屋に入室する。

 そうして、私は逡巡した。

 

「開けるべきか、捨てるべきか」

 

 教会から、という時点で胡散臭い。

 ここで届かなかったことにしてしまうのも、アリなのではないか。

 そう思ってしまっている自分がいる。

 

 だが、それはそれでめんどくさい事になりそうだ。

 あとが怖いというのもある。

 だから、仕方なく、私はダンボール箱を広げることにした。

 そこには、古びた洋服と手紙が一つ。

 

 手紙を手に取る。

 そこにはこんな旨が記されていた。

 

 ――この洋服の持ち主は極東にいる。その人物を探求せよ、と。

 

 私は洋服を見つめ、溜息を吐く。

 雑多で錯綜した、役に立たない情報を手に、もう一つ溜息を吐いた。

 

「曖昧すぎだわ、見つかる訳がないのに」

 

 憂鬱なのは、教会の伝を借りて冬木に来たため、形だけでも探さねばならないこと。

 私が駆り出されたのは、正教会経由での依頼の為、人手不足だからだろう。

 イタリアなどの、カトリックの総本山と違い、正教は赤い時代の弾圧を受けて、大幅に規模を縮小していたのだ。

 だから、猫の手も借りたいと、そういうことなのだろう。

 

 でも、今回のは無茶がすぎる。

 正直、年齢的にも、生きているか怪しいものだ。

 その人物は、かつてルーマニア宗主宮殿の図書室を整備した者。

 手紙に書いてある、その名前を、私は読み上げた。

 

「パチュリー・ノーレッジ」

 

 動かない大図書館と称された、偉大な大魔術師の名であった。




 必要なネタバレ、読んでくださいね、皆さん!

 パッチェさんが登場すると思った東方ファンの皆さん、ごめんなさい。
 パチュリーって誰? と困惑している読者皆さんは安心してください。
 彼女はこの小説では登場しません!(重要なネタバレ)

 次の話は、空の境界の人達を出そうと思っています。
 ちょっと前に、空の境界組をだそうと思っていたら、いつの間にか早苗さんとイチャイチャしているだけの話が出来上がっていたので、今度こそは! と言う話なのです。
 折角、小説の中ではアリスは夏休みなのですからね!(全く夏的要素を出していないけれど)

 などなどという理由があり、おそらく次は、作者の妄想爆発で、えぇ?(困惑)などと、読者の皆さんに思われてしまうかもしれません。
 もしかしたら、使い捨てでオリキャラも出すかもしれません(秋姉妹ではないですよ?)。
 しかも、まだ具体的に設定が煮詰まっていないせいか、次の更新は1ヶ月先になるかもしれないですし、2ヶ月先になるかもしれません。
 全ては糸が切れたタコのように、流れ行くまま、です。

 以上、言い訳兼ネタバレでした。














 もしかしたら、また東方の人物をぶっ込むかもしれません(ボソッ)。

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