綿月依姫は、己の師、永琳宅で朝食を食べながらも、苛立ちを抑え切れなかった。
本来、師 八意永琳の朝食というのは美味しく、大抵の事もそれを食べれば依姫の機嫌は直っていたのだった。
事実、朝食に誘われた時は、依姫は粘糸まみれでありながらも苛立ちは多少は無くなっていたのだ。
食卓で、依姫の正面に彼女を粘液まみれにした男が永琳から座らされなければ。
頭に兜を被っていた男……永琳から依姫の剣技の指南役だと教えられたその男は、兜を食卓に着いた時にその兜を外した。
中から出てきたのは冴えない男の顔だった。少し老け込んでるようなその顔は、一重に精神的な負担によるものでないか。とは後に永琳が依姫に漏らした見解である。
その冴えない顔は正面の依姫とそのわきに居る依姫の姉の豊姫に対して申し訳なさそうな顔を浮かべている。
だが、出された食事を、箸に慣れていないのか永琳に多少教えられながら口にしてからは幸せそうな顔で食べている。
依姫は、目の前の男の事を測りかねていた。それも、彼女の持つ苛立ちの一端を担っている。
依姫は、永琳から自らの剣技の指南役となる男の情報と、その襲撃を提案をされた。
自分の指南役の腕前ぐらい知りたいでしょう?とは永琳本人の談である。
その言葉に頷き、離れた所から覗き見る事にした姉と共に指南役に襲撃を仕掛けたのが、昨日の深夜の事だった。
永琳からは家の被害は考えなくてもいい、指南役をそのまま切り殺してもいいとまで言われたのだ。
その結果が、あの顛末である。
最低でも指南役を切り殺して終わり、あるいはその剣技ぐらいは垣間見れる、というのが依姫の目論見であった。
しかし、目論見は完全な失敗に終わった。
分かったのは、彼が剣技だけでなく術にも長けているという事。それと、夜襲を仕掛けても部屋の状態に気を配れる程余裕があったという事。
冷静に考えれば、それは喜ばしい事だ、とは依姫も解っていた。指南役が強ければ強い程、自らの糧となる。
それ自体は彼女も望むところではあるのだ。
しかし、真面目さに起因したある種の幼さが、彼女に彼を受け入れる事を許さない。
彼女は夜襲した時に、剣で持って抵抗してもらいたかった。そうでなくても、周囲の被害など気にして戦われたくなど無かった。
そして、勝ったのであれば、機嫌をうかがう様におどおどして欲しくは無かった。堂々としてほしかった。
その自分へ要求する物事のハードルの高さは、未熟な彼女にはこうであってほしいという要求に裏返る。
それはある種のシンデレラ的願望とも言えた。
彼女は綿月家という、月夜見の治める都の中の有力な武家の一門の二女である。
故に彼女の周りにはおべっかやごますり、頭を低くして逆らわぬ者しかいなかった。それは彼女の高い要求を叶えられる者が居なかった事にも起因する。
それらの中での唯一の例外。それこそが彼女の学問の師、八意永琳である。
その永琳が推薦した人物。依姫がいつも以上の期待や要求を持つのも、攻められない事ではあった。
これら、依姫の精神の奥底に蠢く感情の機微を、彼女自身は覚っていない。
未熟な彼女には、持て余した感情を抱えながら朝食を食べる事しか出来なかった。
騎士は気まずい雰囲気の中美味しい朝食を、新たな箸という道具の扱い方を教わりながら食べ終えた。
洗い物を朝方捕まえてしまった少女たちの姉の方に永琳は押し付け、彼女の自室に騎士は呼ばれた。
見慣れないさまざまな物が置いてある、永琳の部屋で、騎士は身体検査を受ける事となった。
騎士は今度こそ必ず不死人とばれる事を覚悟し、いざとなれば、たとえ殺しにかかられても恩のある彼女らを傷つけずに脱出する為のスペル・武具を準備していた。
「では、身体検査しますが……面倒ね、これから毎日顔を合わせるんだから畏まった事は無しで行くわ。いいかしら?」
やはり、ソウルの収納を見た時の、あの強欲なほどの知への欲求が彼女の地のようだ。彼女自身が騎士に本性を現す事にした、と言う事実にほのかな嬉しさを感じる騎士であった。
「じゃあ、まず舌からにしましょうか。あの時軽くしか見れなかったけど、ちゃんと見ないと病気の元になりかねないのよ?」
そういいながら騎士の舌を改めて検分し始めた永琳であったが、その異常性に気付いた。
「あら……何かしら? これ……焼印ね。それも、私ですら良く分からない力を秘めている…」
焼印を見た彼女は、やはりこれは面白いとでもいうような表情を浮かべ、笑いを帯びながら
「あなた、面白いわね。ええ、本当に……」
と、騎士の事を熱を帯びた眼で見つめるのであった。
騎士としてはそのような目線で見られる事は悪い気はしないが、それが魔術師のような貪欲な知識欲の物だと知っていると素直に喜べない。
「それにしても、この焼印はどういう由来のものなのかしら。こんな印なんて見た事が無い……」
騎士の舌にある焼印。それはロイドという神の信徒によって付けられた焼印である。
ロイドを信仰する騎士が扱う道具にロイドの護符というものがある。
それは不死の持つ宝、エスト瓶を使えなくする物であり、それに類する技術はロイド神官達によって受け継がれている。
騎士が受けたのは、その技術の一端である。
不死人は死んでも、完全な形で復活する。死なずとも、エスト瓶など相応の薬があれば、その治りは常人の比では無い。
ある特別なアイテム……人間性や人の像という……や儀式をしない限り、死を重ねていくと腐り果てた屍の様な姿にこそなるが、その再生力は凄まじい。
どれだけ部位が欠損しても、回復、あるいは復活すればすれば元通りになる。
各地で不死人が忌み嫌われるのも、この化け物じみた再生能力に起因する。
では、どうやって欠損した部位を復活させているのか。
これは騎士の経験則による推測だが、魂自体に自らはこういった姿形、能力を持っているという型のようなものがあるのだろう。
それに従い体を元の形に戻す。そうした手順で不死人は復活しているのではないだろうか。
そして、不死人は死に過ぎる、あるいは復活する事でその型が壊れていく。そういって不死人は思考能力や思い出などを失っていくのだろう。
勿論型自体もある程度回復はするが、特別なアイテムや儀式が無い限り
ロイドの神官たちは、騎士と同じように経験則としてそれを知っていた。
騎士が受けたのは、斬り残される舌の部分にロイドの護符と同等の効果を持つ焼印を付け、再生するたびに切り落とすという、ある種の拷問である。
効果が切れる事の無い、エンチャントに類する類の技術である焼印は、効果自体はロイドの護符に対して弱く、再生力を落とすだけである。
だがそれを利用し、体全体を適度に痛めつけ、その上で舌を切除。エスト瓶を飲ませ舌以外の傷が治れば、再生した分だけ舌を切り落とし、また体を適度に痛めつける。この繰り返しだ。
そうする事で、体は舌の部分の型だけが損耗していき、終いには舌自体が体の型の中から消え失せる。
この技術は生存自体に害をもたらす部位には効果が無く、専ら騎士の様に口を封じたい、など体の一部位を取り除きたい時にのみ行われた。
これらの事を知っている騎士は、舌が治る事は無いという事とその原理を知っているが、永琳らの使う文字を知らないし言葉も話せないために伝えることが出来ない。
故に、知識欲にぎらついている彼女の口から流れ出る、騎士の舌の焼印についての予想を、騎士はただただ聞く事しか出来なかった……。
永琳の診察という名の考察が終わり、早速依姫に指南をする事になった騎士であるが、何を教えたらいいものか考えあぐねていた。
そもそも指南を欲するという事は解決したい問題点があるのだろう。だが、騎士はそれを知らない。
口さえ利ければ教えてくれ、で済むのだが、そうはいかないからこうして悩んでいる。
取り敢えず庭に出た騎士は、そこで指南をすると考えた依姫、それに面白そうだとついて来た永琳と豊姫を前にどうしたらいいものかと動かない。
すると、永琳がそれを察したらしく
「ああ、彼舌が無くて話せないから、教えてほしい事とかきちんと伝えた方が良いわよ。即死じゃない限り私が治してあげるから安心しなさい」
即死で無ければ治療出来るとは、凄まじい腕前だ。
そうであればわざわざ武器の刃を潰さなくてもいいだろう。潰しても問題ないほどには武器は貯め込んではいるが、むやみやたらに減らすのは騎士の好みでは無い。
「え? 舌が……。そうですか、では」
あれだけの強さを見せつけた師範代が舌を切り取られていたという事実に驚く依姫だったが、今は修行の時間だ。
具体的に改善したい事を脳内で整理する。
「私には……強力な能力があるので、それを補完する為の剣技を身に着けたいのです。具体的には、隙を補完するような剣技を」
好都合な事に、それは騎士にとっても得意な事だった。
いつまで教えていられるかは分からないが、出来る限りは教えるのが恩への報いだ。
騎士は依姫に剣を抜くよう指さす。
意図を察し、依姫は刀を抜いた。騎士はかかってくるよう手招きをする。
それに応じるように依姫は切りかかってきた。
この時点で訂正が必要だ。騎士は依姫のスタイルを見極めながら、素手で刀の腹を殴り、弾く。そして返す手で頭を叩いた。
「痛っ!」
身振り手振りで、そもそも隙を晒さない戦い方をしたいならば挑発に乗らない方が良いということを伝える。
依姫の性格は、典型的な、プライドの高い騎士道精神を重視するタイプなのだろうと騎士は考える。
見た所頭もよく、間違いを認める事の出来る性格ではある。
だが良家のプライドによるものか、はたまた生来の気性故か。挑発などの精神的殴り合いに弱さを感じる。
逆に言えば、そこを直せば後は地道な隙を無くす為の特訓ぐらいだろう。
騎士はいつ居なくなるともしれない身の上であった。故に、彼女のすぐに直せる欠点から直していった。
特訓が終了後、依姫は姉、豊姫から渡された水とタオルを飲みながら豊姫、永琳の二人と歓談していた。
「依姫ちゃん、お疲れ様ねぇ。どうだった、手も足も出なかった指南役の訓練」
「姉様、意地が悪いですよその言い方は……まあ、為になりました。直ぐにものに出来る事から教えてくれているので、少し楽しいです」
「それよりも、彼、大丈夫なの? あなたを傷つけないようにしてかなり傷を負ってたみたいだけど」
「そうですね、先生、大丈夫ですか? 手応えは浅かったと思うんですが」
永琳から言われ、気遣ってくれる依姫であったが、騎士は既にエスト瓶を呷り、傷を癒していた。
「あら……それは何かしら?」
そこを永琳が見つける。しまった、油断していた。あの八意永琳がエスト瓶に興味を持たないはずがない。
「なるほど、掠り傷とはいえあれだけの傷を治す霊薬ね……一滴くれないかしら?」
軽い口調で言ってはいるが、その眼は本気だ。断ると何をされるか、分かった物ではない。
さて、本気で渡すかどうか検討せねばなるまい。無論、対価をどうするかと言うのも含めて。
エスト瓶の残量は、玉座の守護・監視者との戦いで1回、今しがたで1回。補充なしに12回まで飲めるから、あと10口分は残っている。
篝火で補充できる故に利便性随一を誇るエスト瓶ではあるが、他にも回復出来るアイテムは複数ある。
であれば、対価次第では1回分ぐらいならば渡してもいいだろう。
……篝火を置かせてもらおう。そうすればエスト瓶を気にする事もあるまい。騎士はそう考えた。
「くれる代わりに対価ね……え?庭で篝火?その程度で良いなら、別にいいけれど」
一口分を渡し、早速篝火を付ける事にした騎士。さも当然のように永琳、依姫、豊姫の三人も遠目から見ている。
「しかし師匠、何故先生は霊薬の対価に篝火などを?」
「さあねえ、まあ意味も無しにやるわけないでしょうけど」
「でも依姫ちゃん、篝火が私たちの知ってる篝火かどうかは分からないわよ?篝火という名の別の何かかもしれないかもしれないじゃない」
三人が喋っているのを尻目に、黙々と準備を整えていく騎士。
剣を地面に突き刺し、骨片を薪のように重ね置く。その上から骨粉を振り掛ける。
そして、騎士は突き刺さった剣の柄に掌をかざした。
剣の柄から火がついた。
揺ら揺らと揺らめく火。それは普通の火では無い。
永琳らにとっては見ていて気分が悪くなるような、魅せられるような。儚いような、熱いような。敢えて例えるとすればそれは、命の揺らめき。
そして騎士にとっては、何度も孤独から救ってきた、呪いの火だ。
それぞれ違った思いを抱きながら、四人はじっと火を見つめ続けていた。