東方闇魂録   作:メラニズム

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第三十話

元より器用な性質では無いと理解している。

 

ただ剣を振り下ろす。

単純な動作だが、だからこそ純粋な腕前を測れるそれに関しては、騎士は自信を持っていると言えた。

元の身分が身分であるし、それに見合った責任も持ち合わせていた、故にこの動作だけは並みの使い手よりは上だと自負していた。

今思えば愚直なまでに"腕前を測れる"という文句を信じていたが故に、そればかりを練習していたのだから。

 

騎士が包丁を振るう。

小気味よい音が響く。

 

無論、それはあくまでも不死人になる前の話である。

不死人となってからは、出会う物ほぼ全てが敵と言っても過言では無かったのだ。

並みより上、よりは否が応でも腕前は上がるというもの。

不死人となる前は直剣と盾ばかり扱ってきたが、それからは武器と呼べる刃物は節操もなく扱ってきた。

その中には、包丁とさほど変わらない長さの獲物もある。

 

有象無象の化け物などという面倒な物を斬り慣れていて、その上獲物の丈も問題では無いのだ。

故に、包丁ぐらいならば問題無く扱えると思っていた。

 

包丁により大根の繊維が切り離される音が響く。

数度その音が繰り返され、その後騎士は大根の切れ端、その中でも先端の部分をつまみ上げる。

 

否、切れ端では無い。

 

騎士が大根の根元を持ち上げると、大根は文字通り皮一枚で全てが繋がり、垂れ下がる。

首の皮一枚で落ち損ねた首が髪を垂れ流すが如く、大根の葉が眼下のまな板を覆い隠す。

 

騎士は切り切れなかった大根をまな板へと戻す。

そして、少しばかり力を込めて皮へと包丁を振り下ろした。

 

そして響いたのは、大根の繊維が切れる快音では無く、包丁がまな板に半ばまで刺さった鈍い音。

皮は切れたが、今度はまな板に食い込んだ包丁がなかなか抜けない。

 

まな板から無理矢理包丁を引っこ抜く。

見れば刃は毀れ、まな板には小さいながらも深い穴が開いている。

その穴が、引っこ抜いた拍子に木目に沿って全体に広がった。

 

……まだ包丁の刃毀れは研げば何とかなるだろう。

まな板は最早予備などは無い故に買う必要は有るだろうが、細心の注意を払えば弁当を作るくらいは問題無い。

 

深々と空いた穴を見ながら頬を掻く。

 

この深い傷跡が付いたまな板は、既に二代目であった。

博霊神社の倉庫を探し周り、ようやく一つだけ見つけたものである。

ちなみに初代は包丁の刃先を根こそぎ使い物にならなくして真中から二つに割れた。

 

慢心していた、という訳では無い。

ただ、どうもこのまな板というものが扱いにくい。

 

加減すれば斬り切れず、加減せねばまな板ごと。

旅の空では、食材に敷く物など無かった故の不慣れだった。

 

まさか、この期に及んで斬り方を練習しなければならなくなるとは。

 

騎士の背後から、笑い声が響く。

くすくす、と、品を感じさせる聞き慣れた声。

その声に、騎士は首だけで一瞥する。

 

「大根の煮付け?」

 

そうだ、と騎士は大根へと視線を戻しながら頷く。

 

幻想郷に来て、霊夢を慧音の元へと連れて行ってから、一週間が経とうとしていた。

 

しかし、一向に"手段"への糸口は掴めない。

否、正確に言えば、捜すことが出来ない、と言った方が良いだろうか。

人一人の弁当と食事を作るというのは、存外時間が掛かる物なのだ。

少なくとも、この日常をもっと上手くこなせる様にならなければ、時間は作れそうになかった。

 

騎士は振り返る。

背後では、隙間から身を乗り出した紫が、何か用かと言わんばかりに小首をかしげた。

その眼尻はいつもよりわずかに垂れ下がり、少し眠た気な気配を漂わせる。

 

あの日から、紫はちょくちょく己に顔を出してくる。

親子のように、とはいかないが、昔の、ただの妖怪と人の戯れ程度の交流はするようになった。

 

「……それ、あの子のお弁当にでも入れるのかしら?」

 

そのつもりだと騎士は紫の方を見ずに首を縦に振る。

切り終え、輪切りになった大根の皮を切り離そうと悪戦苦闘していた。

 

「大根の煮付けって、冷える時に味が染みるのだけど。

時間、大丈夫かしら?」

 

その言葉に、騎士は手を滑らせた。

包丁が大根を滑り、指へと切っ先を喰い込ませる。

 

初耳だった。

 

「ちょっと、大丈夫?

結構ざっくりいったわね……。

……治してあげましょうか?」

 

包丁を置き、隙間から身を乗り出してくる紫を空いた手で押し留める。

そして、指に再生の指輪を嵌めた。

 

戒律の国、リンデルト。

その名門、アウストリア家の象徴であるその指輪は、付けた者の傷を徐々に癒す。

 

包丁傷は骨まで達する深い物だったようだ、血は床を濡らす程に滴っている。

だが、幸いにして大根には血は付いていない。

別に指を切り落としてしまった訳では無いのだ、であればこれでいいだろう、その内に治る。

 

そんな事より。

 

騎士は包丁と大根を置き、身を乗り出して窓を覗く。

空を見上げれば、太陽はそろそろ上がり切ろうとしていた。

床を赤く染める血が、窓から差す陽光によって照り輝いている。

 

昼時は間近に迫っていた。

 

「……本当に大丈夫?」

 

大丈夫ではない、と騎士は首を横に振った。

 

 

日は天上へと昇っている。

人里ではにわかに食事処が賑わい、同時に良い香りが里を埋める。

 

寺子屋でもそれは例外では無い。

弁当を持ってくる者、最寄りの食事処へと走り、湯気の立つ飯を持ち込む物。

 

だが、騎士のように保護者が弁当を持ってくる姿が見える事は無い。

子供が寺子屋に出る時間までに弁当を作り切れるならば作り、出来ないならば銭を持たせる。

家事においての主婦の割切りの良さは尋常では無い、必要が有れば容赦なく質素な物にするのだ、と何時ぞや門番が嘆いていた事を騎士は思い出した。

 

「あ!

御免なさい!」

 

花より団子とはよく言うが、この年ならば団子よりも遊びなのだろう。

あるいは団子も遊びも、だろうか。

 

早々に昼飯を掻き込んだのか、寺子屋の玄関へと走る子供達と騎士はぶつかる。

その子達は謝罪もそこそこに、急げ急げと走っていく。

騎士はそれを見送り、寺子屋の奥に進もうとすると、ゆっくりと歩いて来た慧音に出くわした。

 

「お、来ましたね?

……あの、その篭手はどうかされましたか?

チルノにでもやられました?」

 

慧音は騎士が手に嵌めていた篭手を見やる。

 

氷に閉ざされたエス・ロイエス。

その氷は有る物を封じ込める為の物であり、其処から湧き出る化け物共を外へと出さない為に、仮初めの命を与えられた者達が居た。

 

壁守人。

長い間永久凍土を彷徨った彼らの武具には氷が張り付いており、その氷は生半な温さで……少なくとも、真昼間の陽光で溶けるほど軟な物では無い。

故に、その篭手を嵌めて持って来た弁当は、少し手をかざすだけで冷気を感じ取れるほどに冷えていた。

 

だから、そのチルノという人物とは何の関係も無い。

 

首を横に振る騎士を見やり、他の原因を考える慧音だが、答えに辿り着けるはずは無い。

慧音自身もそう悟ったか、早々に原因究明を諦め、話を続ける。

 

「いや、そんな事などどうでも良いですね。

これで十日目。

神社からここまで弁当を持ってくるのは大変でしょう?」

 

其処まで言って、慧音は失言をしたように口元を手で隠す。

わざわざ霊夢の正体を晒す必要は無い。

尤も、気付く者は既に気づいているだろうが。

 

「あの子は……霊夢は、まあ想像は出来ていたでしょうが、結構浮いています。

ですがまあ、多分大丈夫だと思いますよ。

友達も出来たようですし。

……やはり同じような年代の子達と過ごすのは教育に良い」

 

そこまで言って、慧音は良い事を思いついた、とでも言いたげに笑みを浮かべる。

多少作った様なその顔に、いささか気負いがあるのは気のせいだろうか。

 

「ああ、そうだ。

十日後は満月です、共に月見酒とでも洒落込みませんか?

あの子の勉強の具合など、流石に、色々と立ち話で済ませるには適さない話題も有りますので」

 

ふむ、と騎士は顎に手をやる。

 

別段問題は無いが、気がかりなのは霊夢だ。

まさか神社で一人にしておく訳には行かないだろう。

となれば、人里まで共に連れて来る他無いが……当の本人が居る前で話をするというのも、少し配慮が足らない気もする。

 

更に言えば、確か慧音は白澤、満月には幻想郷の歴史の編纂と言う仕事が有ると聞いている。

最も忙しい時だろうが、大丈夫なのだろうか。

 

まあ、何とかなるのだろう。

誘ってくれているのだ、変に気を使う事も有るまい。

最悪、慧音の家を借りて早々に寝かしつけてしまえば良い。

 

それに、この堅物一辺倒な彼女が、わざわざ慣れない事をしてまで慮ってくれているのだ、無下にしたくは無い。

 

騎士は慧音の提案を頷きで以て彼女の提案へと返答した。

それを見て、慧音は安心したように胸を撫で下ろした。

 

「そうですか、じゃあ良い酒を仕入れておきますね」

 

その言葉を背に、騎士は寺子屋の奥へと歩く。

 

「……と、そうそう、言い忘れていました。

しばらく、霧の湖のほうには立ち寄らないでくださいね。

最近、強力な妖が外からやって来たようですので」

 

騎士はその忠告に弁当を掲げる事で答えて行った。

 

 

新しく来たあの子は、浮世離れした雰囲気の、不思議な子だった。

 

博麗霊夢。

 

髪はふとした動作で柔らかく靡いて、黒くキラキラしていて、更に顔立ちも良い。

物珍しさも手伝って、寺子屋の皆も群がるのは、まあ当たり前だとも思えた。

そして、話しかけたくもなるのも当然の事だ。

 

男子は、まあ多分下心から。

女子は、綺麗さに対する羨望と嫉妬と、新たな友達になるかもしれない期待から。

 

だけど、その内皆話しかけるのを止めた。

何を話しかけても崩れない霊夢の沈黙に耐え切れなかったのだ。

……と一言で言えばそれらしいけど、それは外側から見た建前。

 

本音では、皆思ってたはずだ。

眩しい、って。

 

見れば見るほど、見た目も、態度も、纏う空気も、全部が全部、あなたとは違う世界に居ますよって言ってるのだ。

そのどれか一つだけなら生意気だ、ってなっただろうけど、全部持ってちゃ話は別。

 

見上げれば目が眩むし、眩んで足元を見れば自分を見てしまう。

自分がちっぽけに見える。

そう感じる相手を、普通は友達なんて所に置かないのだ。

 

ただ一人、私を除いては!

 

 

寺子屋の授業が一段落して、お昼ご飯の時間。

私は授業中も堂々と眠りこけていた霊夢の所に近づいて、揺すり起こしながら声を掛ける。

 

「ねぇ、霊夢。

一緒にお弁当食べましょ?」

 

「……まだ無いし」

 

今でも少しばかり不思議に思う事が有る。

何で、霊夢は私には……霧雨(きりさめ)魔理沙(まりさ)には、返事をするようになったのだろうか。

 

そりゃあ、私だって諦めずに話しかけ続けた。

無視されるのは辛かったけれど、少なくともこうやって一か月、話し続けた。

 

でも霊夢は、誰がこれだけやったから、なんて言う、嘲りに薄い薄いオブラートを巻き付けたような同情なんて、コンペイトウの一欠片たりとも持っていないと思う。

 

じゃあ、何で霊夢は返事をするようになったんだろう?

結局私は答えを出せないけれど、かと言って霊夢自身に聞いた所で「なんとなく」としか言ってくれなさそうだ。

もしかしたら霊夢自身、解って無いのかも?

 

「ほら、来たわよ、あなたの……お父様?」

 

教室の扉を開けて、霊夢のお父様らしき人が入ってくる。

いや、お父様なのだろうけれども、纏っている雰囲気が余りにも違い過ぎるから、未だに疑問を覚えてしまうのだ。

宝石と石ころ、とまで言ってしまったら失礼なんだろうけれど。

でも、今まで思い付いた中では、これが一番しっくり来る。

お父様の方はどこでだって場の雰囲気に溶け込んでしまいそうだけど、霊夢はどこでだって垢抜けて、目立ってしまう。

これが、初対面の何も知らない時に道端で二人を見かけたら、服装とかが原因で感想が逆転してしまいそうだと思うから、また面白い組み合わせだと思う。

 

霊夢のお父様が、無言で弁当を霊夢の眼前に置く。

 

「……ん」

 

霊夢は、それに返事とも言えないような返事で返す。

それを聞いてから、霊夢のお父様は教室を出て行った。

こういう所は凄くらしいというか、親子なんだなぁ、って気がするのに。

 

「じゃあ、一緒に食べましょ!」

 

それを見てから、私も弁当を広げる。

 

弁当の中の卵焼きを箸で掴んで、霊夢の弁当箱の中に置く。

その時、霊夢の弁当箱があまりにもひんやりしていたから、少し驚いてしまった。

 

「はい、交換!」

 

それでも、なんとなくその驚きを霊夢に見られるのは嫌な気がするから、少し過剰なくらいに大きな声を出す。

霊夢は私の出した声に頓着する事無く、卵焼きを一口で食べてから、自分の弁当箱の中の大根の煮付けを私の弁当箱の中に入れてくれた。

 

「ありがとう。

……ちべたっ。

あ、でも美味しい」

 

かき氷か何かみたいな冷たさの大根の煮付けは、だけどしっかりと味が染み込んでいる。

霊夢の弁当の中身としては意外なくらい美味しかった。

いつもだったら色だけ煮付けになってて味が生の大根、ぐらいになってても驚かないっていう位なのに。

 

「もうちょっと頂戴!」

 

私は霊夢の弁当箱に箸を伸ばすけれど、霊夢は私が美味しいと言った直後に弁当箱を私から遠ざける。

いつものクールな表情を崩さずにやったその動作は周りから見ればとても意外な物で、だけど私からして見れば霊夢に関しての数少ない発見。

結構グルメなのだ、霊夢は。

いや、いつもあまり物事に執着とかしないから、余計にそう感じるだけかもしれないけど。

実際、不味い物を残す訳じゃないし。

 

霊夢が私に、多少なりとも返事をするようになった理由。

それは、解らない。

 

逆に、私が霊夢に話しかけ続けた理由。

纏う空気が違うから、という答えは正解だし、面白そうだから、というのも合っている。

だけど、どれも私の抱く理由を完全に表現している、とは言えない。

かと言って、上手く言い表す事も出来ないのだけれど。

 

「……ちべたっ」

 

多分、味を染み込ませる為だったんだろう。

霊夢の弁当は、大根以外の物も冷えていた。

 

……ただ一つ言えるのは。

霊夢の事を一番眩しいと思っているのは、私なんだ、ってことくらいだ。

 

 

霊夢に弁当を届け終え、騎士は人里を歩き廻っていた。

 

「あら。

お暇ですか?」

 

騎士は声を掛けられた方を見やる。

そこには西洋風の茶店、その椅子に腰かけた阿求が居た。

 

暇か、と問われれば、そうでは無い。

だが、知り合いを無視して"手段"を探し回るほどに切羽詰っていても仕方がない。

 

「……!

……おや、知り合いですかな?

では、話はまた今度としましょうか」

 

「あら、何か失礼をしてしまいましたか?

ただ紹介しようとしただけなのですが」

 

「いえ、それには及びません。

こちらとしましても、そろそろお暇させて貰おうと思っていた所でして。

それでは失礼」

 

同席していた老齢の男が立ち上がり、そそくさと立ち去って行く。

日差しが強いというのに襟の立ったコートを羽織り、帽子を目深に被って去りゆくその姿は、姿を晒したくないという意志が窺えた。

そのような有り様だが、どこかで会ったような気がするのは気のせいだろうか。

 

「ああ、そうだ。

一つ、聞いても宜しいですかな?

ああいえ、とても……とても簡単な問いですよ。

YesかNo、そのどちらかで良いものです」

 

「生とは、様々な形で終わりを迎えます。

人ならば老衰や事故等、色々と外的要因で終わりを迎える事は有りますな。

では、そのどれも望めない……偶然と言う物が人生の幕を引いてくれない場合。

その時、人生の幕は、自分で引くべきでしょうか?」

 

騎士はその問いに頷く。

 

「そうですか、そうですか。

……ああいや、失礼しました、それでは今度こそお暇させて頂きます」

 

老齢の男が通り過ぎる。

その体からは、硝煙の匂いがした。

 

「……あの方は、実は妖の方でして。

霧の湖に大妖が現れた話、聞いていますか?

いきなり館が現れて、私達としても気を揉んでいたのですが、あちらから接触が有りまして。

こちらとしても人里を如何こうする気は無い、という事で、細かい話を付けていた所だったんですよ。

……とは言いましても、昨日の夜の時点で話は大方済んでいたのですけれど」

 

そういうと、阿求は軽く欠伸をする。

 

「あら、失礼。

そんな訳ですので、正式に取り決めを結ぶまで霧の湖には近づかないでくださいね?

問題が起こっても面倒ですので……。

とまあ、細かい話はこれぐらいにして」

 

「紅茶でも如何ですか?

ここの紅茶は美味しいですよ」

 

 

意外と、時間が余ってしまった。

 

空を見上げる。

空に昇る太陽は、まだその高度を保っている。

 

紅茶を飲んで一服した後、騎士は阿求と別れて人里を巡っていた。

 

街並みはかつての姿からは想像できないほど発展しているが、すれ違う人々はどこか見覚えがあり、時間が経っていてもここは幻想郷なのだと実感させられる。

あの男は妖怪退治屋の子孫だろう、であればあの女性はその妻か。

体格の良い男、えくぼの似合う女、品の感じる優男。

 

感慨と共に視線を巡らせ、目に留まったのは、これまでも度々目にしてきた一際大きな店であった。

 

霧雨店。

 

寺子屋で霊夢に良く話しかけている金髪の少女、霧雨魔理沙の親の商う店である。

聞くに、人里最大手の店……此処に無ければ人里には無い……等、少なくとも人里の中では名声を欲しいがままにする店のようである。

そういえば、入った事は無かったか。

 

随分と、霊夢と仲良くしてくれていたようだ。

霊夢の性格を鑑みるに、大量の友達を、とはとても望めないのは解り切っている事だった。

故に一人でも仲良くしてくれる者が居るならば、有り難い。

 

少しばかり覗いてみよう。

 

これだけ大きい店だ、何やら己の"手段"に好都合な物でも、見つかるかもしれない。

いや、その前にまな板が要る。

二代目のまな板は、恐らくは予備として博霊神社の倉庫から見つけた物だった。

ここならば、もう少し質の良い……頑丈なまな板が見つかるかもしれない。

ついでに換金でもしてもう少し金銭も確保しておきたい所だ。

 

騎士は暖簾をくぐり、店の引き戸を開ける。

店の中は、幾多もの商品が、整然と並べられていた。

 

「……おや、いらっしゃいませ。

何か御所望ですか、お客様?」

 

店の奥から声がした。

騎士が店の奥を向くと、そこには白髪の青年が居た。

 

すわ、この男が店主か、と一瞬騎士は思ったが、それにしても釈然としない。

確かにその男は白髪ではあるが、このような大店の主ならば備えているであろう老獪な印象は無い。

それどころか髪に艶が有り、その肌は若者その物だ。

 

この大店を構えている店主と考えるには、全体的にあまりに若々し過ぎた。

 

「ただいまー!」

 

騎士が目の前の男の正体を判じ切れずに居ると、騎士の背後……店の入り口から、霧雨魔理沙が入って来た。

さらりと伸びた金髪の輝きは、騎士の眼前の男と同じ、若い者の輝きを放っている。

 

「あ、霖之助!」

 

「魔理沙か。

今、一応接客中なんだがね。

それも初見の」

 

「それなら尚更よ。

どうせ香霖は接客が下手なんだから、私が手伝ってあげるわ!

……って、霊夢のお父様じゃない。

何か入り用ですか?」

 

「……後で親父さんに怒られても知らないよ?」

 

魔理沙は件の男……香霖の非難をさらりと受け流し、己へと大袈裟にへりくだって見せる。

その態度を見るに、香霖はこの店の店主の弟子か何かだろう、それならば納得もいく。

 

流石に商家の家の娘というべきか、例え子供の遊びだとしても、その動作は堂に入った物だった。

実際、文字通り己の庭も同然なのだ、自分で探し回るよりは、彼女に品探しを任せる方が適任か。

 

騎士は懐から紙と筆を取り出し、欲しい類の物を書き、彼女に渡す。

そして、それを香霖は取り上げた。

 

「あ、何するの!」

 

「別に魔理沙、君の邪魔をする訳じゃないよ。

ただそれ以前にだ、店員である僕がその内容を理解せずに、手伝いの君だけが知っている。

それはおかしいと、僕はそう思うだけさ」

 

「……じゃあ、内容を読んでよ。

そうすれば見ないで済むし」

 

「はいはい、ええと……まな板と……マジックアイテム。

……どうしたものかな。

ええと、お客様?」

 

「あ、香霖。

霊夢のお父様は喋られないのよ」

 

「無口とは聞いていたが……成程、そうだったのか。

失礼しました、そうとは知らず。

……やれやれ、また接客に失敗したのかと思ったよ」

 

ぼそり、と香霖が呟く。

 

「霖之助の接客じゃそうなっても仕方がないわね!」

 

「確かに接客については親父さんにも常々怒られている事ではあるんだが。

……やれやれ、どこが駄目なんだか僕には未だに解らないんだがね」

 

「んー、なんて言うか、センスが無いのよ。

どこも間違って無いんだけど……うん、センスが無い!」

 

「そんな事を言われて、僕はどうすればいいんだ。

……やはり、接客担当を雇い入れる事も視野に入れるべきか……?

いや、しかし……」

 

ぶつぶつと自らの殻に籠り考え始めた霖之助を捨て置き、魔理沙は騎士の手を引く。

 

「さ、霖之助なんかほっといて!

こうなると長いのよ。

それよりも……お客さん、良い物が有りますよ?」

 

そう言って笑う彼女の笑みは、これまで見た事も無いほどにきらきらとしていた。

 

 

整理整頓された店先から、どんどんと奥へと進んでいく。

いくら大きい店とは言え、一歩一歩が長く感じるほどに隅々まで整頓されている店内。

その変わり映えの無い光景に、騎士が少し辟易し始めた時、唐突に暖簾が現れる。

暖簾の裏に入った魔理沙が振り返り、こちらを手招いた。

 

「こっち、こっち」

 

店の奥、住居部分のさらに奥。

その障子の奥は、和室自体の品を損ねない程度に、若い少女らしい華やかな彩色の物品で彩られていた。

窓は開け放たれ、そこからそよ風と陽光が差している。

 

「ああ、適当に座ってて下さいな」

 

気もそぞろに魔理沙は言うと、棚を漁り、その奥底から箱を取り出す。

それを己の前へと持ってくると、魔理沙は蓋を開く。

 

「どうぞ、ご覧くださいませ」

 

気取った物言いで見せるそれは、確かにマジックアイテムなのだろう。

微かに魔力を感じられる。

 

「何を隠そう、私は魔法使い。

これなるは私の持つ秘宝の数々」

 

「例えばこれ。

これは火元も無く火を付ける事が出来る…………」

 

だが、彼女の説明を聞いても、その込められた魔力を見ても。

子供に遊び道具として渡された程度の、些細な物ばかりだった。

 

「…………では、お客様。

御所望の品は、有りましたでしょうか?

お代なのですが、どれも私としましては金銭では買えぬ代物ばかり。

相応の品で以て、交換と致したいのですが?」

 

正直な話、どれも欲しいと思える物は無かった。

だがそう言って切り捨てるには、鼻息さえ聞こえてきそうなほどにわくわくとしている彼女の顔は眩しすぎた。

 

「……おーい、お客様、魔理沙!

……やっぱり、ここにいたか。

こら、魔理沙」

 

「香霖……」

 

「……君がお客様をここに連れて来る事を止められなかった僕にも責任があるが。

それにしたって、君のしている事は褒められた物じゃないと思うよ」

 

「だって、マジックアイテムなんて店に置いてないじゃない。

……お父様のせいで」

 

「せいで、なんて言う物じゃないよ。

マジックアイテムなんぞ危険だし手に余る、そんな代物じゃ人は道具に使われるし、人を使う道具は道具じゃないから売らない、っていう親父さんの考え方だって、筋は通っている。

……更に言うなら、君の持っているマジックアイテムは親父さんの考え方に背かない上で君に渡せる様な、その程度の性能しか無いんだ。

それを、本当にマジックアイテムを必要としているお客様に出すなんていうのは、感心しないね。

もっと言うならそれ以前に、君は女の子なんだ。

知らない人を、自分の部屋に連れ込んで良い物かな?」

 

「……知らない人じゃ無いもの」

 

「そういう事じゃなくてね……。

……っと、すいません、こんな所まで。

詳しい事は、あちらで話しましょう」

 

そう言って、香霖は店へと戻っていく。

魔理沙は項垂れて、マジックアイテムを弄繰り回していた。

 

 

魔法使い。

私はそれに憧れている。

 

どんな物語でも陰に日向に、ある時はお姫様を助け、またある時は勇者と共に悪い奴を倒しに行く。

 

その在り方はとても自由だ。

……私とは違う。

 

大店の娘に生まれた事で、確かに良い事は有る。

 

お小遣いには困らないし、色んな人は私に親切にしてくれる。

その親切は良く物語であるようなドロドロとした物じゃないし、それはずっと続いていくんだろう。

そして、そのままどこか良い所の息子と結婚したりするんだろう。

お父様のお眼鏡に適う、多分良い人と。

 

でも、そこに自由は無い。

 

私は自由に生きたい。

魔法使いのように。

 

良いも悪いも自分で選んで生きて行きたい。

それでどんな悪い事が起こっても、後悔なんてしない。

……ちょっと嘘、悪い事は嫌だ。

だから、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ大店の娘で居続ける事も考えちゃう。

でもやっぱり、憧れっていうものはあるのだ。

 

だから、霊夢のお父様の欲しい物を見た時、とても興奮した。

あんな不思議な霊夢のお父様が、マジックアイテムを欲しがってる。

まるで私が物語に登場したようで、すごくワクワクした。

そう、私だってマジックアイテムはある。

 

そんな夢でも見ているような浮ついた興奮は、香霖によって夢に消えた。

 

俯いて、マジックアイテムを弄繰り回す。

そう、このマジックアイテムだって子供じみた代物で、魔法使いなんて名乗れるような物じゃない。

 

急に視界が暗くなった。

頭も重い。

頭に乗った何かを外して見てみる。

 

そこには、帽子と杖が有った。

如何にも魔法使い、いや魔女らしい帽子。

そして、少しずつ細くなっていく、私の身の丈より少し短い位の杖。

 

そして、その帽子からかさりと何かが零れ落ちた。

 

「……これは……巻物?」

 

ふと見上げると、そこには霊夢のお父様が居た。

私が帽子と巻物を手に取ったのを見てから、霊夢のお父様は香霖の後を追って去っていく。

 

じっと、杖と帽子、そして巻物を見る。

私の捻くれた部分が、これだって、と悪態を吐く。

 

だけど、どうしてか私は胸の高鳴りを抑え切れなかった。

 

ふわり、と風が吹いた。

 

 

「……まな板はこちらなど、頑丈で良いかと。

……それで、マジックアイテムの方なのですが……」

 

香霖……どうもその呼び名はあだ名のようで、本名は森近 霖之助(もりちか りんのすけ)と呼ぶらしい……は、カウンターにまな板を置く。

 

「先ほども耳にされたかもしれませんが、実の所、ここにはマジックアイテムは置いていません。

と言いますのも、親父さん……この店の店主が、マジックアイテムが嫌いでして。

……お客様、マジックアイテムの方は、お急ぎで必要で?」

 

そうではないと騎士は首を横に振る。

 

「では……そうですね。

私、実はここを離れて、独立しようと考えてまして。

そこではマジックアイテムを取り扱う気は無いのですが、特別にご要望の品をお作りしますよ。

それで如何でしょうか?」

 

それでいい、と騎士は首を縦に振る。

実際の所、そういった品を作れる人物に出会えたというだけでこちらとしては相当な収穫だ。

先ほどまで五里霧中と言っても過言では無かったのだから。

 

ふむ、と騎士はしばし考え、思いついた案を紙に書き写す。

 

「……これは……。

一体何に使うんですか、こんなもの?

ああ、いえ、失礼……正直、少し……いや、相当難しいですね。

……今の私の腕じゃまず無理ですので腕を上げなければなりませんし、その為の時間、更に必要な材料収集その他諸々も考えれば……。

少なく見積もって十数年、と言った所でしょうか。

……やはり、そこまでの時間は無い、と」

 

騎士の答えに、香霖は首を掻く。

 

「……正直な所、これでは他を当たってくださいとしか言いようがありませんね。

そもそも、これだけの規模の物をマジックアイテムに求めるのは、あまり良く有りません。

凄まじい力量の魔法使いが目的の為に……と言うのならまだしも、お客様のようにマジックアイテムだけ望みの綱、という訳では無いのならば別の方法に求めた方がよろしいかと。

例えば、この幻想郷にいる大妖辺りにでも協力が乞えるのならば……例えば、かの八雲紫なんて出来そうな気はしますが。

……ああ、それは恐らく無理と」

 

参ったな、と香霖は頭を掻き毟る。

 

どうやらこれは相当面倒臭い案件らしいぞ。

 

得体が知れない客の、大それたマジックアイテムの依頼。

しかも大妖には協力を頼めない、と即答できると来た。

会えるかどうか解らないという意味での否定で無く。

 

であるならば、この客の用件は幻想郷に害を与えかねない物である可能性が有る。

 

……聞かなかった事にしたいなぁ。

 

とりあえず、まな板だけでも買って貰ってとっとと帰っていただこう。

 

「他の、もう少し程度の低いマジックアイテムなら作れるとは思いますので、その時はよろしくお願いしますよ」

 

その香霖の言葉に、騎士はこくりと頷く。

そして、香霖は内心ほっと溜息を吐く。

 

無理ならば、先ほどの注文を聞いたお前を生かして返す訳にはいかない、とか言われなくてよかった。

人里に入れるならば問題は無いだろうけど、万が一というのもあるし。

 

「……で、まな板のお代の所なんですが……。

……ああ、その前に換金を御所望ですか。

それならば大丈夫です、こちら霧雨店は物品の買い取りなどもやっておりますので、不要な物をお売りいただく事も可能です」

 

騎士は少し考えた後、懐から曲剣を取り出す。

 

ミルの曲剣。

梯子を渡し、道を作る事を生業とする渡し屋……と自称する怪しい商売人のギリガンより譲り受けた、柄に宝石が散りばめられた曲剣である。

 

ミルの曲剣を差し出された香霖は、目を白黒させながらミルの曲剣を押し返す。

 

「いや、これは流石に……。

剣としても上質、宝石も小さくも無い、ここまで価値の高い芸術品を買い取るのは、私の一存では……。

……これを換金するのであれば、親父さん……店主が帰ってくるまでお待ちいただきたいのですが」

 

騎士は先ほどよりも長く考え、ミルの曲剣を仕舞い懐から指輪を取り出した。

 

「……」

 

「……ああ、これならいいですよ。

出来も良いですし……このくらいですね。

では、差額をお支払い致します……。

どうも、ありがとうございました。

またのご来店、お待ちしています」

 

騎士を見送った後、香霖は大きくため息を吐いた。

 

彼は何者なのだろう。

 

初めて見る顔だ、とは言ったが、こちらとしても伊達に商店の店番を任されている訳では無い。

極端に新入りの少ない人里での彼は、恐らくは本人の考えている以上に目立っている。

そんな彼の情報だ、ある程度はこちらの耳にも入ってくる。

存外主婦の方々の井戸端会議と言う物は声が大きかったりするのだ。

……まさか盲唖の者だとは思わなかったが。

人里の間では無口な人で通っていたのだ。

 

新しく寺子屋に入って来た女の子、霊夢。

その父親であるという事。

どうにも腕が立つらしい、という事。

 

総合的に見て、霊夢と言う少女が恐らくは今代の博霊の巫女だろうという事は予想出来た。

それ故に、彼はその護衛か何かなのだろう、と考えていた。

実際、僕もそう思っていた。

 

だが、ただの護衛が"あんな物"を欲しがるはずが無い。

それに加え。

 

彼から買い取った指輪を、香霖は一瞥する。

 

"名を刻む指輪"

 

"神々の名を刻むことのできる特別な指輪"

"装備者は同じ神を選んだ者の世界と"

"繋がりやすくなる"

 

"ドラングレイグの地には、"

"滅び去った神の痕跡が数多く残されている"

"いまある神々も、かつては違う名で"

"呼ばれていたのかもしれない"

 

すると、自身の能力である"道具の名前と用途が判る程度の能力"が、その指輪の名前と"説明"を知らせる。

 

本来、この能力は名前と用途だけが解る物。

こんな風に、物の来歴などを知る事が出来はしない。

 

加えて言えば、ドラングレイグなどという土地の名など外の世界にも無かったはずだ。

 

一体、彼は何者なのだろう?

 

まあ、どちらにしても。

 

「関わると面倒だろうなぁ……」

 

珍しく人の居ない霧雨店のカウンターで、香霖は指輪を弄ぶ。

今年は厄払いを念入りにして貰おう、なんて考えながら。

そんな癖して、年甲斐も無くわくわくしているんだから、多分僕はあまり長く生きられないんだろうな、とも思いつつ。

 

にぎわう人里の喧騒が、どこか遠くに聞こえる気がした。

 

 

誰もが化粧をしていた。

青空は薄桃色に染まり、建物は年月を経た材木が黒々とした姿を浮かび上がらせる。

行き交う人々は額に手を当て目元を黒く染め上げ、視界を確保する。

誰もかれもが素朴にも、妖しくも映る、そんな化粧だった。

 

そんな中、満月だけが朧気にその素肌を晒し、落ちようとする太陽を見下ろしていた。

 

騎士は袖を引かれ、見上げていた目線を落とす。

どうやら、呆けていたようだった。

 

見れば、慧音の家の門が眼前にあった。

袖を引いた霊夢は、こちらを一瞥する事無く門を開け、中に入り込む。

騎士もその後に続こうとし、後ろから声を掛けられた。

 

「……あら、お泊り?」

 

気が付けば、人通りは既に絶えている。

 

「まあ、今日はゆっくりとしている事ね。

そうね、お酒でも呑んで、酔い潰れちゃったら?

あの子の事も、任せられるのでしょ?

久々に、ゆっくりしなさいな」

 

その声に振り向く。

夕日によって出来た影、その中に溶け込むように隙間が閉じようとしていた。

 

紫は、言外に何を伝えたかったのか。

それとも嘘偽り無い彼女の本心か。

良くは解らないが、どちらにしても霊夢をこのまま放って置く訳にはいかないだろう。

 

霊夢を追い門の中へと入ると、玄関は開け放たれていた。

夕日が入らずほの暗い奥に見えるのは囲炉裏の物だろうか、ほの赤い火の色がゆらゆらと揺れている。

 

「……ああ、来ましたか。

霊夢もようこそ、今日はたらふく食べて行ってくれ」

 

己達の足音を聞きつけたか、囲炉裏に掛けた鍋を掻き回す手を止め、慧音がこちらを向く。

その頭には二本の角が真上に向かって伸びていた。

 

「……あー、すみません。

あまりまじまじと見られると、気恥ずかしいので……」

 

その言葉に角から視線を逸らし、申し訳無いと頭を下げる。

角から眼を逸らしてみれば、角以外にも彼女の風貌には変化が見られた。

白銀の髪が光の具合によって蒼くも見えたのが、今は碧色に輝いて見える。

 

「その……無気味ですか?」

 

慧音が視線を逸らしながら問い、騎士は即座に首を横に振る。

 

実際の所、騎士は妖の姿になると聞いて、最悪ほぼ人間の原形を留めない位の物を想定していた。

事実、これまで見知って来た中には美しい人の上半身をし、下半身が溶岩のような殻に包まれた蜘蛛の形をした者も居た。

人を"辞めさせられた"者も居た、"辞めた"者も居た。

そのどれもが、残酷なまでに乾いた闇を孕んでいた。

 

それらと比べれば、彼女は心体共に人間と大して変わらない。

どこまでもほの暗く、底の見えない闇など彼女には欠片も見えないのだから。

 

「……ありがとうございます。

……さて、まだ煮えていません、もう少し待ってください。

ああ、気持ちは有り難いですが、手伝いは大丈夫です。

お客人に手伝いをさせては仕様が有りませんので」

 

腰を上げかけた騎士を手で押し留め、慧音が言う。

その言葉と共に、霊夢からくう、と音が鳴る。

慧音は霊夢を見やり、微笑みを浮かべながら腰を上げる。

 

「もう少し待っててくれ。

……何、今に旨いのを喰わせてやるから、な」

 

 

慧音が用意した料理は、とても良い匂いがした。

炊き込みご飯からは舞茸の香りが柔らかく吹き上げ、その合間から鍋の香りが鼻をくすぐる。

 

己と霊夢が食べ始める様を見てから、慧音は眼を閉じて姿勢を正す。

恐らくは、ああして歴史の編纂というのは行われるのだろう。

 

 

囲炉裏の火が弾ける。

微かに差し込んでいた夕日の光も消え、囲炉裏の火ばかりが家を照らす。

動くのは火と箸くらいのものだった。

 

 

食べ終わった霊夢が眠た気に眼尻を緩め、慧音があらかじめ準備していた寝床へと消える。

それから少しして、慧音が眼を開けた。

 

「……霊夢は、もう寝たんですね。

では、呑みましょうか」

 

そう言うと、慧音は部屋の隅の箪笥から一升瓶を取り出して微笑んだ。

 

 

霊夢は重たい瞼の隙間から見えた物に疑問を持った。

恐らくは慧音が用意したであろう布団は、ちょうど子供一人が入っているかのような膨らみを持っている。

 

引っ剥がした布団の下の人物に、霊夢は問いかける。

 

「どうしたの、魔理沙」

 

「ん……あ、霊夢。

酷いじゃない、慧音の家に泊まるなんて事を黙っているなんて。

そうと解っていれば私も前もって慧音に泊めてって言ったのに。

お蔭で忍び込まなきゃいけなかったわ」

 

「……どこで?」

 

「何処で知ったって、いつも慧音先生がお酒を買ったのはうちのとこなのよ?

先生ってばきっちりしてるから、お酒買うのもだいたい決まった間隔で買ってるのよ。

それが何時もだったら全く買わないはずの時に買ってたものだから、これは何かあるな、って。

で、あなたとあなたのお父様が慧音の家の前に立ってる所を見かけた、って訳」

 

「ふーん。

で?」

 

「で?

じゃないわよ、遊びに来たのよ。

ねえねえ、どうせ慧音先生とあなたのお父様、飲み明かすんでしょ?

私達だけ普通に寝るなんて詰まらないじゃない。

一緒に夜更かししましょ?

お菓子もあるし、"とっておき"も有るんだから!」

 

そう言って、魔理沙は抱えていた杖と帽子を取り出した。

帽子の中から、かさり、という音が漏れる。

 

 

「……どうですか?

良い酒でしょう。

霧雨の親父さんに良い酒を頼んだら、これを見繕ってくれたんです」

 

酒瓶の下半分に月光が当たり、残り少ない酒が、たぷん、と月光を躍らせる。

 

果たして、この御仁は何者だろう、と慧音は思う。

 

元より、平時でも一切の隙が無かった。

 

慧音としては、騎士を酔い潰して騎士の歴史を……記憶を読むつもりだった。

その為に霧雨店の店主に最も酒精のきつい酒を頼んだ。

だというのに隙一つ見せない、頬に紅一つ差さない。

 

満月と霊夢の話を肴にした彼の酒は、結構な速さで進んでいる。

気が付けば月は夕方よりも大分高く上っており、酒瓶は一本が空き、二本目へと慧音の手が伸びる。

 

その時、世界の空気が変わった。

 

世界が紅色の霧に包まれる。

その紅は夕日よりも血の色に近い。

それに騎士は反応し、思わず立ち上がった。

 

……今だ!

 

それを慧音は見逃さない。

 

これは"件の事件"だろう、それは間違いない。

だが、彼はどうもこの事について知らなかったようだ。

酒には全然酔いそうもないし、これを逃せば今日はもうチャンスは来ない。

 

慧音は騎士の歴史に潜る。

 

 

瞬間、圧倒的な量の歴史に慧音は呑まれた。

言うなれば濁流。

意識を手放してしまいそうになりながら、半ば無意識に慧音は妹紅の姿を探す。

 

……どうも、ほの暗い。

 

歴史の濁流に当てられ、ようやっと状況に応じ始めた思考は、その歴史に夕闇のような印象を抱く。

 

一寸先も見えない闇の中で、刃を振り被る骨々と対峙する姿。

一縷の光すら見えない闇の中で悍ましい姿の化け物四体と対峙する姿。

黄金の如き煌びやかさの都で、銀色の騎士達と鍔競り合う姿。

 

別段暗闇にばかり身を置いていた訳でも無いのに暗く感じるのは、歴史のどの場面でも、彼が一人で居るからだろうか。

それとも、場所自体がそう言う歴史を秘めているからなのだろうか。

 

そんな考えが慧音の頭に浮かんだ時、ようやっと慧音は妹紅の姿を見つけた。

そして、慧音は己が友に起こった事を知った。

 

それは不幸とも言えた、それは仕方ないとも言えた。

だが友であるという己の情を差し引けば、魔が差した、としか言いようの無い顛末だった。

 

目的を達成した慧音は、騎士の歴史を漁るのを止める。

彼の膨大な歴史から目を離す。

だからこそ、今気づいた。

 

どうも、焦げ臭い。

 

騎士の歴史から眼を外すと、写真の如く重なり合う歴史の奥底に、微かに光が見えた。

芽生えた疑問に逆らう事無く、歴史を掻き分け。

 

そして、見た。

 

"火"を。

 

 

慧音は意識を手放しそうになりながら、騎士の背中を見る。

歴史の濁流で消耗し、"火"に眼を眩ませ、精神的に疲れ切った慧音の様子に気付かぬほどに騎士はじっと一点を見つめていた。

それに釣られ、遠のく意識の中慧音もその視線の先を見やる。

 

それは月だった。

だが、先ほどまであったような真白な月では無い。

 

真っ赤に染まった月。

そこに居たのは、餅をつく兎でも無く、女性の横顔でも無く。

 

地を這う竜の姿だった。

 

意識が消え去る中、最後に慧音は誰かが駆け出していく足音を聞いた。

制止しようとする言葉は響かず、意識は闇へと落ちていく。

 

……ああ、やってしまった、な。

 

慧音は安らかな眠りへと落ちていく。





博麗霊夢は室内に入って来た霧を見た瞬間、齧っていた金平糖を噛み潰しすぐさま庭へと出た。

「霊夢、どうした……の……?」

宙に浮かぶ霊夢を見て、魔理沙が目を丸くしている。

「……もう寝なさい。
私はやる事が有るから」

そして、霊夢は空を飛んだ。
ちらり、と下を見る。
そこにはまだ霊夢を見上げる魔理沙が居る。

そして前に向き直り、赤ぼやけた闇を見る。
深い闇の中に、無数の瞳が浮かぶ切れ間が在る様な気がした。

口の中は、まだ甘い。

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