東方闇魂録   作:メラニズム

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上海の只中。
さほど高くは無いビルディングのホテル、その一室。

地位は無くとも、金さえあれば買える程度の、小奇麗ではあるが物の無い部屋に、一人の少女が居た。

彼女は朝日とそれを反射する雪を、窓を開けずに眺めている。
しかし、彼女の髪は雪や真っ白に輝く朝日に負けず劣らず煌めいていた。

銀髪である。

首の中ほど辺りで切り揃えた銀髪は、窓から入ってくる日を反射し七色に輝く。

彼女は、さほど高くは無い窓から見下ろす景色を、呆けたように眺めていた。

常日頃、不夜城と化している上海は、朝日が出ると同時にその欲を燻らせるように静かになる。
静寂の中、煌めく朝日と雪を、ただただ彼女はぼうっと眺めていた。

静寂は、僅かに聞こえてきた歌声によって脆くも掻き消された。

きよしこの夜。

その歌を歌っていたのは、キリスト教徒の親子であった。
二人は仲良くきよしこの夜を歌い、その姿は微笑ましい物が有る。
二人の首には、十字の首飾りが着けられていた。

その親子の姿を見た時、彼女の表情はこわばった。
元々彼女は表情を浮かべてはいなかったが、それは清水のように透き通った、柔らかさすら感じられる無表情であった。
それが今は、ガラスのように透明感と硬質さが入り混じる無表情を浮かべている。

それからの彼女の動作は、実に自然であった。

窓を開け、首から下げた懐中時計を持つ。

それだけの動作にも拘らず、優美さと美しさを感じさせる、それはその美貌に起因する天性の才能とも呼べる物であった。

だが、そのような彼女の姿を見た者は居ない。

降り積もろうとしていた、綿のような雪も。
親子、二人の歩みも。
そして二人が歌っていた、きよしこの夜も。

全ては灰色に染まっていた。

それからしばらくの時が経ち、世界は色を取り戻した。
それと同時に、上海の街並みに悲鳴が響き渡る。

しかし、上海の端々に有る教会では悲鳴に頓着する事無く、クリスマスイブに向けて、聖詩隊が讃美歌の練習を始めていた。
讃美歌を悲鳴が掻き消す事など、いつもの事なのだから。

クリスマス間近の日付の新聞、その片隅に、このような記事が載っていた事を、覚えている者は少ない。
キリスト教徒の親子が、突如として首から血を噴き出して死んだ、と言う記事を。



第二十五話

人が環境に慣れるまでには、少しばかりの時間を要する物だ。

 

薄茶色を被った、何も書かれていない白い紙が視界を埋め続ける事。

濃いインクの香りの陰に微かに香る、本の香りを感じなくなる事。

そして、忙しなく覚えたばかりの英語を休まずに書き綴る事。

 

騎士がその三つの事柄を完全に意識しなくなったのは、アルカードの屋敷……紅魔館に逗留して、一週間の時が過ぎようとした頃だった。

 

騎士は傍らに置いてあるインク入れにペンを差し込み、疲労した眼を休める為、眼を瞑る。

瞼の裏の真暗闇に、白紙が図書館の僅かな光源を反射した為に焼き付いた光が僅かの間、白緑の光として映り込む。

 

騎士は、この焼き付いた光が完全に消え去るまで、このまま休憩しようと決めた。

 

自然と息を深く吸い込み、吐き出す。

長らくしていなかったその行為に、この一週間は実に忙しなかったな、という思いが、自然に湧き出て来た。

 

レミリアの妹、フランドール・スカーレットがその瞳に光を取り戻してから、紅魔館はしばらくの間、浮足立っていた。

 

ただでさえ即物的で、気分の浮き沈みの激しい性質である妖怪である。

新しく己達の仲間となった美鈴を歓迎する為に酒が入っていた彼らは、その吉報によって完全にタガを外したのだ。

屋敷相応の広さと、その広さに見合った品揃えであった酒庫は空となり、食料庫も酒のつまみとしてはあまり向かない食材まで、鼠が盗み食いする物すら無くなるほどにきれいさっぱり空となった。

 

それだけの規模の酒宴、吉報の功績者であると見られた……実際、彼女の眼が見えるようになったのは、己が原因であろうと騎士も思っている……騎士が、巻き込まれないはずが無かった。

 

元より人の身で、妖怪にも拘らず武芸に優れた美鈴との大立ち回りをやってのけた騎士である。

それに加えて不治の病とされていた屋敷の主の娘の眼を治した、となれば、抱いていた好奇心が好意に変わるのは、さほどおかしな事では無かった。

故に、わざわざ騎士を探し当て、酒を注ぎに来る者は後を絶たなかったのだ。

 

一人から注がれ、飲み干せば二人から注がれ、それも飲み干せば三人から……。

 

酔いの回った妖達は、飲み干すのに苦心している騎士の傍らに盃をおいて注いでいく、という奇妙な暗黙の了解まで出来てしまうほどに、騎士に酒を見舞った。

持っている盃に注がれた物ですら飲むのに精一杯ではあったが、傍らに置かれていく酒が溢れた盃が見る見るうちに増えて行くとなれば、無理をしてでも置かれた盃も飲まねばならない。

それが好意による物となれば、尚更であった。

 

胃袋から喉元までも、全てが酒で満たされていると錯覚するほどの酒量は、毒咬みの指輪を着けるなどの対策を立てた騎士をも、最終的には酔い潰すまでに至った。

 

しかし、最終的に酔い潰れこそしたものの、ともすれば死んでしまうかもしれないと思うほどの酒量の前に、騎士は必死に抵抗した。

補充の当てが無く、どのような類の毒でもたちまちに解毒するほど高い効能を持つ毒の苔玉を幾つも貪り食うほど、抵抗した。

抵抗の末に騎士が手に入れた物は、なまじ耐えたが為の酷い二日酔いと全身から噴き出る酒臭、そして鉄面皮を誇っていたアルカードの人となりが少しばかり、であった。

 

と入っても彼の鉄面皮は、炉で熱せられ、鍛えられている最中の鉄を思わせるほどに赤く染まっていても、崩れる事は無かった。

彼の人となりを物語っていたのは、その仕草にあったのだ。

 

酒を呑む合間合間、盃を呷る為に広がる視界。

彼は酒宴の端の方で、皆を遠巻きに見つめながら酒を呑んでいた。

しかしながら、その瞳から感じる物は、いつものように冷たく鋭い鋼のような物ではなく、柔らかくも暖かい囲炉裏のような慈しみであった。

 

その暖かさを伴った視線を主に浴びていたのは、やはりというべきか、彼の娘達……レミリアと、フランであった。

特にフランを見つめている時、その鋭利な眼光が矛先を収め、眼を薄めて心底安心したように酒を呷っていた。

 

数十回酒を呷り、ようやくそこまでの事柄が解った時、騎士はアルカードと眼が合った。

一瞬の硬直の後、アルカードは静かに目礼した。

 

それまで騎士は、アルカードが見せてきた様々な姿の、どれが本当の彼なのか判別出来ずにいた。

 

貴族然とした厳格な屋敷の主なのか、はたまた冷酷で自分本位な男なのか、それとも疲れ切り老いた吸血鬼か。

そのどれもが間違いでは無く、しかし正解でも無いように思えていたのだ。

 

まるでそうありたいと演じているように、しかし演じ切れずに本人の素が見え隠れでもしているようだった。

演じている部分と素の部分の判別が利かず、どれが本当の彼なのかが解らなかったのだ。

そう言う意味では、彼は役者としての才がある、と言えなくも無かった。

 

しかし、アルカードの温かい眼差しと先の目礼を見て、騎士はアルカードの人柄をようやく把握することが出来た。

何の事は無い。

ただの、自分を表す事が苦手な優しい父親でしか無かったのだ。

その眼差しだけで、騎士は彼が信頼に足る者だと確信する事が出来た。

 

しかし、未だ疑問は残る。

何故、彼は仮面を被ろうとしていたのか。

そして何故、彼は竜に執着していたのか。

 

この屋敷を去るまでに、この疑問の答えを見つけられるだろうか。

元は知識や地理を把握する為の逗留であったが、騎士はその時にもう一つの目的を見出したのであった。

 

 

気付いた真実と周囲の好意によって、それからの一週間はそれなりに居心地の良い物であった。

しかし、新しい環境に馴染む、というのは中々簡単な事では無い。

故に、騎士は一週間の時を経て、ようやく屋敷の生活に馴染んできた、という次第であった。

 

静かな図書館。

 

暗闇が視界を包み込んでいるが為に聴力は自然と研ぎ澄まされる。

意識が内へと向いていれば研ぎ澄まされた感覚は無用の長物でしか無かったが、意識が外に向くとその聴力は途端に存在感を主張してきた。

 

図書館に敷き詰められた絨毯が重みで沈み込む音。

 

己の背後。

誰かが居る様だ。

 

「……寝てる、のかしら」

 

小声で発せられたその言葉は、しかし静かな図書館で、更に研ぎ澄まされた聴力の前では中々はっきりと聞こえる。

 

……この声音は、フランドールか。

 

可愛らしい声音の持ち主は、どうやら己の背後から正面へと、足音を潜めて回り込んでいるようだった。

書いている途中の本が気になるらしい。

 

意外な事に、己の書くロードラン・ドラングレイグについての事柄を記した本は、紅魔館の中でそれなりに人気が有る様だった。

 

曰く、拙い文章ではあるが、"まるで見た事が有るように"精緻な表現と挿絵によってその拙さがリアリティーを増しているらしい。

無論大半の者は、その描写と拙い文章の組み合わせにより、素人が見聞きした事をありのままに綴ったように感じさせる実にらしい"フィクション"、という認識なのだが、例外もいる。

 

ただでさえ所謂オカルトの域に入る者達がひしめく紅魔館である。

言葉を話すことが出来ず、謎めいた部分を垣間見させる己が書いているという事も有って、これに書いてある事は本当に己が体験した事なのではないか?と思う者も少しばかり居るそうだ。

そして、フランはその少数の中に入るらしい。

 

薄目を開けて見る。

フランは、己が起きないかどうかちらちらとこちらを見ながら、書いている途中の本を何とかして取ろうとしている。

だが背丈が足りないらしく、少しの間背伸びをして取る事を試みた後、今度は飛び跳ねて取ろうとしていた。

 

……その羽を使えばいいのではないだろうか。

 

騎士は彼女の背中に生えた黒光りする蝙蝠羽を見やる。

蝙蝠羽は自らが果たすべき役割を忘れ、彼女の苛立ちにのみ連動しぴくぴくと動いている。

ついには顔をしかめたフランの感情によって大きく動いた羽は、騎士の膝を強かに叩いた。

びくり、としたフランは、騎士が起きていないか様子を窺い、起きていないと見て大きく息を吐き出す。

 

さて、どうした物だろうか。

可愛らしい仕草を盗み見しながら、騎士は思案する。

 

こちらとしては書いている最中ではあるが、フランが書き途中の物を読んでいても何ら問題は無い。

あくまで宿代としての書いている本なのだ、他にもやらねばならない事、やりたい事は幾つかある。

フランが読んでいる間、己はそれをしていればいい。

 

幻想郷についてから半月と少ししてから、積極的に己の心を二度揺れ動かした。

それでもってあの数の闇霊が、月面で発生したのだ。

 

となれば、一か所に留まれるのは、安全を考えれば良くて半月。

既に一週間が経った今となっては、折り返しに差し掛かっている、と言えよう。

各国の情勢や地理、歴史を知り、今後の旅に役立てられるほどに知識を詰め込まねばならないと考えれば、あまり時間に余裕は無いのだ。

 

しかし、どうした物だろうか、と騎士は薄目を開き、悪戦苦闘しているフランを見ながら考える。

一週間も同じ屋根の下で暮らしていれば解るが、フランは引込み思案というか、遠慮する性質だ。

 

彼女が読んでいる間に、己が何かしらの動作をする為には無論起きなければならないが、起きた時点で彼女は謝りながら返してくるのではないだろうか。

拙い代物ではあるが、それで楽しんでくれているのだ。

それではあまりに心苦しい。

 

騎士は良案が思い浮かばないまま、空いている薄目を四方に巡らせる。

その時、騎士よりも図書館の奥の方で本に囲まれているパチュリ―と眼が有った。

パチュリ―は騎士の置かれている状況を見て察したか、にやり、と笑みを浮かべながら口を開く。

口は音を発する事は無く、代わりに口元が言葉を表していた。

 

貸し一つとして、"交渉"の時に融通を一度聞かせる。

それで良いかしら。

 

仕方が有るまい、と騎士は薄目を一度閉じて答える。

交渉成立ね、とでも言いたげに、パチュリーは口元の笑みを更に深くした。

 

次の瞬間、騎士は額に衝撃を受けた。

その強さたるや並大抵では無く、腰かけていた椅子ごと倒れ込むほどであった。

しかし不思議なのは、それだけの衝撃を受けたにも拘らず額にさほどの痛みが無い、という事だろうか。

恐らくは彼女が独自に作った魔法か何かだろう。

 

衝撃を受けて倒れ込んだ騎士は、しかし床に絨毯が敷かれている事が幸いし怪我は無かった。

騎士は立ち上がった後、倒れた椅子を元通りに戻す。

 

人が突然仰け反り、吹き飛ぶという光景に驚いたフランは、しかしその事で騎士が起きた、という事は把握する。

 

「あ、えっと、その……大丈夫ですか?」

 

起き上がりつつある騎士に、フランの遠慮がちな小さい声が掛けられる。

 

仮にも己の病を治した相手だからか、それとも屋敷の中で唯一身内と言えない存在だからか、どちらなのは解らないがフランは他人行儀な物言いをする事が多い。

とは言えその心持ちは無垢な少女と変わりなく、少しばかり物事に集中などすれば、その敬語は見る間に崩れ去る事を騎士は知っている。

 

騎士の安否を気遣ういじらしいフランに、騎士はその頭を撫でる事で答えた。

体を害した様子の無いその様子に、フランは安心したように胸をなで下す。

そして、騎士を害した相手であるパチュリ―に向かって、フランは芝居がかった物言いで抗議する。

 

「パチュリ―、この屋敷の魔法使いよ。

どうしてあなたはこのような無体な事を彼に強いるのです?

これではあまりに彼が可愛そうというもの」

 

「魔法使いは、魔導を極める事こそが至上であり、思い煩うべき価値が有る唯一の事柄。

それ以外に情などと言う物を持つ事は有りませんわ」

 

フランの芝居がかった物言いに、パチュリ―もまた芝居がかった物言いで返す。

 

眼が見えるようになったフランは、しかしその種族特性により屋敷から出る事は叶わない。

故に、眼が見えるようになってからは、彼女は専ら図書館で本を読んでいた。

元より字などの教養は仕込まれていた為に、本を読むという行為は彼女が目に見えるようになってから、最も敷居の低い娯楽であったのだ。

 

そしてここ数日、フランは所謂王道の類に入る種別の物語を好んで読んでいる。

その影響か、フランは時々芝居がかった言動をするようになったのだ。

 

その事を知っているパチュリ―は、こうした問いかけに嫌な顔一つする事無く、少なくとも騎士の知る限りでは毎回応じている。

 

全く、どこが"情などと言う物を持つ事は有りません"だ。

 

魔導のみならず口先にも秀でているパチュリ―を、騎士は苦笑いとともに見やるしか出来ない。

微笑ましいはずのその光景に、純然たる好意を向けることが出来ずに苦笑いを浮かべる他無いのは、一重に騎士がその口先にやられた一人だからである。

 

フランの祝いの酒宴が行われた次の日、強かに酔い、狂った警報のように頭の中でがなり立てる頭痛に悶えながら迎えた騎士の朝。

眼を瞑りながら頭痛に耐えている騎士を、その顔面に掛けられた水と共に強引に起こしたのは、パチュリ―であった。

 

彼女が騎士を起こしたのは、"交渉"をする為であった。

互いの持ち得る物品や本……一重に情報を巡る交渉は、本来ならば騎士が圧倒的に有利な立場にあった。

 

何故ならば、パチュリ―が提示できる"情報"は、本に書かれている程度の各国の地理や知識。

それらは活版印刷が普及した世の中では、少しばかりの手間こそかかる物の、さほど入手難易度は高くは無い。

 

対して騎士の持つ知識は、パチュリ―にとっては底が知れず、尚且つこれ以上なく貴重であった。

フランの眼が治ったのは? 大量に持つ貴重過ぎる竜の物品は何処から? それ以外に何を知っている?

 

パチュリ―は、それまでフランの眼を治せなかった、という事と、竜の物品に対する物言いで、既に騎士の視点から見れば、その知識量の底が見えるのだ。

更に言うならば、騎士は何処からか物品を出したり、武術を嗜んだ妖怪と渡り合ったり、他にも不可思議な物品を持つ事が解っている。

 

つまり、双方の持つ情報の価値が、双方にとって著しく差があるのだ。

このままでは、パチュリ―は圧倒的に不利な交渉を強いられる事は自明の理であった。

 

今思えば、だからこそあの時に交渉を持ちかけたのだろう、と騎士は思う。

 

本の虫であるその生活習慣から想像出来るに違わず、貧弱な肉体に鞭打って、パチュリ―は大量の書類と共に矢継ぎ早に騎士に交渉を迫った。

酷い頭痛により気力が萎えていた騎士は、パチュリ―の提示する条件にただただ首を縦に振る事しか出来なかったのである。

 

無論、騎士もただ気力が萎えていたという理由だけで首を縦に振っていた訳では無い。

パチュリ―にとっては値千金であるだろう情報は、騎士にとってはさほど大した価値を持ってはいなかったのだ。

 

騎士が要求したのは、各国の地理、情勢、歴史である。

それに関して、パチュリ―はそれぞれ一種類ずつに一つの物品か、騎士の知り得る事柄に対して質問した場合に嘘偽り無く答えねばならないという交渉を騎士に取り付けた。

詰まる所、パチュリ―は騎士に対して三つの物品か知識の提供を融通させた、という事になる。

 

パチュリ―にとっては大勝利、とも言うべき内容なのだろうが、騎士にとっては大した事では無い。

元より嘘をつく必要など無く、代わりの無い物品以外なら譲る事にいささかの躊躇は無い。

 

騎士にとっては、もう少しパチュリ―側に配慮した交渉すらするつもりだったのだ。

故に騎士にとっては実に良心的な交渉をしてくれた相手でしかなかった。

最も、騎士が書く物語に騎士の持つ知識がふんだんに散りばめられているのを悟り、騎士が己の持っている知識に対する価値の軽さを知り項垂れていたが。

 

交渉を騎士が飲んだ途端、パチュリ―は仰々しい魔方陣と共に魔法による契約を取り付けた。

其処までする必要が有るのだろうか、と思わなくはないが、やはり降って湧いた新たな知識の源泉を取り逃したくは無いのだろう。

魔術による契約が済んだ後、パチュリ―はとても満足気な顔をしながら持病の喘息により永い間咳き込んでいた。

 

しかして、彼女の頭脳は隙無く騎士から情報を吸い出す事に注力している。

騎士の書く物語がある程度の真実を含んでいる事を察すると、パチュリ―は騎士に対して"あなたの持っている中で、最も基本である魔術書"を要求し、騎士がパチュリ―に要求する三つの情報を先払いした。

パチュリ―は騎士が書く物語から出来る限り情報を吸い出して吟味し、その上で己の知りたい知識を騎士に要求する事にしたのだろう。

 

詰まる所、フランへの対応の為に交渉一回分の対価を確約できた今の状況は、パチュリ―にとって棚から牡丹餅、であったのだ。

別に無理難題を求められなければ、交渉一回分など容易い事ではあるのだから良いのだが。

 

騎士が己の憶測に思考を巡らせているのをよそに、パチュリ―とのやり取りに満足したフランは正気に戻り、騎士に本を返そうとする。

 

「あ……そうだった。

ごめんなさい、おじさま。

おじさまが寝ている間、おじさまの書いている物語を盗み見しようと思ってたの」

 

「大丈夫よ、妹様。

今から私、彼には用が有るから、返した所で彼は続きを書けないから」

 

「……そう、なの?」

 

フランは小首を傾げながら、騎士に問いかける。

 

不安と期待がない交ぜになっている表情のフランの頭を撫で、騎士は首を縦に振る。

その行為が読んでいても良い、という事を指している事に少しの間を置いてからフランは気付く。

 

「……いいの?」

 

良いのだ、と騎士は縦に首を振る。

 

元より寝ずに済む己は常人より時間を取れる。

色気を出して、フランやパチュリ―に無碍な態度を取らずとも、何とかなる筈だ。

 

「ありがとう!」

 

フランは両手に本を掻き抱きながら、騎士が先ほどまで座っていた、背の丈に合わない高さの椅子に座り込む。

その様に有る金髪の少女を重ね、微笑ましげに見ながら、騎士はパチュリ―に近寄る。

簡単なやり取りだけで要求を一つ増やせたからか、その表情は満足気だ。

 

話し声程度ならば、フランに声が聞えない程度に近づいた騎士。

騎士が立ち止まってから、パチュリ―はおもむろに話し出した。

 

「さて。

あなたには感謝しているわ。

あなたから貰った魔導書は、私にとって未知の塊だった」

 

そう言って、パチュリ―は机に置いてある、騎士が渡した"ソウルの矢"のスクロールの上に手を置く。

 

「実に有意義だったわ。

この魔道書に書かれている事は、私の目的にとって近道になった。

とても、ね」

 

そういうパチュリ―の顔に、表情は無い。

 

「このソウルの矢、という魔術。

これは、現状ある魔術より、数段も原始的な魔術だった。

大抵の場合、魔術は属性を交えて発動されるわ。

火を起こしたり、水を出したり……目的に応じて変わったりはするけれど、それら現象の力を含まない魔術は、得てして弱い。

けれど、これは違う。

現象の力を含んでいないにも拘らず、この魔術の威力はその単純さ、性質に対して異常なまでに高過ぎる」

 

其処まで言うと、パチュリ―はおもむろに手を振り上げた。

上げられた掌には、ソウルの矢が発射される前の段階で現れている。

 

パチュリ―は、おもむろにソウルの矢を騎士に向かって撃ち出した。

 

まあ、そうするとは思っていた。

 

騎士はため息交じりに、用意してあった対魔術に特化して錬成したマジックシールドを取り出し、防いだ。

対魔術特化のマジックシールドはソウルの矢を確実に防ぎ切るが、その衝撃に騎士は一歩退く。

 

騎士の責めるような視線を一顧だにせず、パチュリ―は語り続ける。

 

「本来はこの程度の魔力しか扱わない魔術ならば、あなたの服を炙るので精一杯なのよ。

それが、見た所凄まじいほどの抗魔力を含んだ盾でそうなるほどの威力を出す。

……全く、ソウルと言う物は凄まじい物ね。

魔力から変換するには少し手間取ったけど、それでも法外なまでの力を秘めている」

 

とうとうと語るパチュリ―は、そこで初めて騎士の顔を正面から見た。

 

「さて、あなたも私が言いたい事に気づいていると思うけれど。

あなたの書いている物語、それは全て真実であると、私は思っている。

そう思ったのは、一重にソウルの存在よ」

 

「あなたの書く物語……というには、物語としての面白味は余りないけれど……に出てくるソウルの性質や図解は、こちらで検証した物と一致している。

裏付けが取れた仮定は、最早事実と何ら違いは無いわ。

事実から事実を辿っていけば、あなたはそう言う世界からどういう手段を用いてかこの世界に来たのだ、という事になる」

 

其処まで言うと、パチュリ―はふう、とため息をついた。

 

「別に、異世界から呼び出す、というのはさほど難しい話でも無いのよ、やり方にもよるけどね。

所謂悪魔に類するモノも、異世界から呼び出した物だし。

ただ、その異世界がこちらの世界と"近い"物ならば、これまで世界で生まれてきた魔術との共通点が少しはあるはず。

しかし、この魔術に使うのは魔力ですら無かった。

容易に変換できる程度には、近しい存在だったみたいだけれどね」

 

「つまり、あなたは悪魔やそれに類するモノたちが住む世界よりも、それなりに遠い世界から来た、と推測できる。

では、それだけ遠い世界から、あなたはどうやってこの世界に来たのか。

ソウル、という存在は凄まじいばかりの力を秘めているように見えるけれど、原始的であるが故に融通が利かない。

それ以上に、それだけ遠い世界からこちらの世界へと渡る事が出来るほどの力を、ソウルは持ってはいない様に見られる。

つまり、ソウル以外の要因が有る、という事」

 

さて、とパチュリ―が話を区切った。

そして、パチュリ―は少し遠くで本を読むフランを見やる。

 

「あなたは、妹様が目が見える前に見えていた"唯一の物"について、聞いた事は有るかしら?」

 

騎士は首を横に振る。

フランはほどほどに懐いてくれてはいるが、自分の事について何かを話した事はほとんど無かったのだ。

 

「あなたの書くソウルの描写。

それは、妹様が暗闇の中に唯一見ていた"白緑色の光"と、性質も見た目も似ている。

……けれど、妹様の眼が見えるようになったのは、恐らくはそのソウルによる物では無いはずよ。

あなたはソウルの扱いに長けているようだけれど、妹様が見えるようになった時にあなたは驚いていた。

妹様は元々ソウルが見えていた、ならばあなたが能動的に何かをしなければ、妹様の身体に変化が起こるはずが無い」

 

さて。

まるでこれまでが前座であったかのように、パチュリ―は息を整えた。

 

「これは"交渉"による問いかけよ」

 

パチュリ―は強い意志を宿して騎士を見やる。

 

「あなたには、ソウル以外の、あなたをこの世界に連れて来た強大な何かを持っている。

そして、それは妹様の瞳に光を取り戻した。

……合っているかしら?」

 

パチュリ―の問いに、騎士は首を縦に振った。

そして、"伝説"を思い出していた。

 

最初は、世界は分かたれてはいなかった。

世界は霧に覆われ、灰色の岩と大樹、そして朽ちる事の無い古竜のみが有った。

 

そこに、初めての火が熾った。

そして火と共に世界に差異が生まれた。

 

熱と冷たさ。

生と死。

光と闇。

 

そして闇から生まれた者達が、火に惹かれて、ソウルを"見出した"のだ。

 

王の雷。

魔女の炎。

最初の死者の瘴気。

 

才のある者達は、始まりの火からソウルを、力を見出した。

フランも、その類なのだろう。

 

「なるほど、ここまでの推測は全て当たっていた、という事ね」

 

そう言って、パチュリ―は微笑んだ。

その笑みは酷く満足気で、彼女が魔法使いたるその性が、一目で見て取れる。

 

そしてその満足気な笑みは、彼女が酷く咳き込み出した為に歪んだ。

しばしの間咳き込んだパチュリ―は、肩で息をしながら咳を納めて更に話を続ける。

 

「……あなたは、既に知っているかしら?

妹様は、眼が見えるようになってから、そのソウルを見る事が出来なくなった。

代わりに、一つの不思議な塊が、生物一体につき一つ見えるようになった事を」

 

知らなかった、と騎士は首を横に振る。

しかしその顔には意外と思う色は無く、そこにパチュリ―は新たな真実の欠片を見る。

 

「……驚かないのね。

まあ、いいわ。

妹様は新しく見えるように"なってしまった"その塊に恐れを抱いている。

だから、その塊については何も解らない」

 

そして、パチュリ―は騎士から眼を背けた。

話の終わりが近づきつつある、とでも言うように。

 

「私は、今これ以上権利を使う気は無い。

時は私の味方だからね、聞かなくてもあなたは情報をばら撒いてくれる。

現状維持、それが私の今の結論。

何度も考え直しても、結局はそれが一番良いという結論に達する」

 

「でも、何故かしらね。

不安になるのよ。

理由は、無いのだけれどね」

 

そう言って、パチュリ―は傍らに置かれた本を手に取り開いた。

それからは、パチュリ―は何も言葉を紡ぐ事は無かった。

 

騎士は、本を手に取り知識を蓄える気も、本の続きを書く気も起きなかった。

故に、騎士は音も無く図書館を出た。

 

 

騎士は、赤々とした絨毯の上を歩いていた。

最早見慣れた光景である。

パチュリ―に依る魔術が施された廊下は、屋敷の外はもう雪が降り積もる季節であると言うのにも拘らず暖かい。

 

一応時間帯は昼前と言った所で、仮にも妖怪達が主な住人である紅魔館は静まり返っている。

故に廊下には人影どころか足音すら聞こえない、そのはずであった。

 

足音が聞こえる。

 

珍しい事が有る物だ、と騎士はその足音を聞いて思った。

 

紅魔館では、足音を聴く事は余りない。

というのも、廊下に敷き詰められている絨毯は相当に良い物を使っている為に、室内で履くような柔らかい靴ではわざと足音を鳴らそうとしない限り聞える事は無い。

しかし足音が聞こえるという事は、外で履くような硬い靴を履いた何者かが居るという事に他ならない。

 

つまり、外から誰かが来た、と考えるのが自然であった。

 

すわ、美鈴が寒さに耐えかねて屋敷にでも戻ったか、と考えながら、騎士は足音が鳴っている方の曲がり角を曲がった。

 

そこに居たのは、銀髪の少女であった。

首の中ほど程度で切り揃えられている髪は屋敷内の蝋燭の光を雪のように反射している。

彼女は外の寒さを凌ぐ事が出来、尚且つ体の動きを阻害しない、丁度良い程度の厚着であった。

その無駄の無い服装の中で唯一目立つのは、黄金色に輝く懐中時計である。

 

彼女は騎士の姿を見て大きく目を見開き、次の瞬間懐中時計を手に持った。

 

突如として、周りの真紅の内装が全て灰色に染まった。

 

最早見慣れた物であった真紅の内装。

それが灰色に染まり、騎士は驚きつつ背後へ飛び去る。

それは"取り敢えず何か想像出来ない事が起きればその場から離れる"という、騎士の体に染み付いた反射的な行動だ。

 

恐らくはこの灰色の景色の原因である少女は、騎士以上の驚きをその端正な顔に表していた。

大口を開け、ぽかん、とした表情を浮かべていても絵になるのは、その美しさ故だろう。

 

少女を見やってから、騎士は灰色の景色の中に紛れた異常に気が付いた。

揺ら揺らと揺れているはずの蝋燭の火が、蝋細工のように固まっている。

 

透き通っているにも拘らず固まっているその蝋燭に、何が起こっているのか、騎士は有る一つの答えが脳裏に浮かんだ。

少女の取り出した時計、そして固まった蝋燭。

 

騎士は、おもむろに手に嵌めていたグローブを取り、真上に放った。

放られたグローブは、騎士の手元を離れた瞬間そこで固定されたように固まる。

 

やはりか。

 

騎士は固まったグローブを手に取り、また手に嵌めた。

 

何時ぞやの時、永琳が話していた事を思い出す。

空間と時間とは、とても密接な関係にある、という事だ。

その事を話している時に、空間と時間の相関関係を現せる例を、永琳が上げていたのだ。

 

空間に存在している、方向性を持つ力……ベクトルが、その力を発揮する事無く止まっているなどと言う事が起きた場合。

その時は時間が止まっているが為に空間に存在しているベクトルも止まり、結果物は物理法則を無視してその場に留まる。

 

この情景は、正しくその"時が止まっている"と仮定するに過不足無い物である。

見れば、少女の持つ懐中時計も、その長針も短針も動いてはいない。

しかし、騎士と同じく、少女はこの時が止まった空間で動けている。

 

その事を見ても、恐らくは、この少女が時を止めるという能力を持っている事に相違なさそうだ。

だが、この少女は一体何者だろうか。

 

見れば、正気を取り戻した少女は己を険しい目で見つめている。

 

そこで、騎士は己の素性がとても怪しい事に気が付いた。

 

如何なる事が有ったにせよ、己はたった一週間しか滞在していない客人である。

もしも一週間以上前にこの屋敷から出なければならない用事が有った者が居て、今帰ってきたとすれば。

彼女にとって、己は不審人物である。

であれば、驚き慌てて能力を使う事も、能力が効かずに警戒する事も納得が行くと言う物だ。

 

騎士は懐から紙と鉛筆を取り出し、さらさらと文字を書く。

その姿を訝しみながらも、警戒して動けない少女が、それをじっと見つめる。

 

奇妙な間は、十数秒した後に騎士が書き上げて少女へ手渡した事によって終焉を迎える。

 

警戒しながらも手紙を少女が手に取り、中身を読む。

そこには、己はレミリア・スカーレットによって招かれた客人である事。

客人になったのは一週間前であるが故に、怪しいと思うのならば本人に直接聞けば良い、という事が書かれていた。

 

少女は一瞬、口を釣り上げるような笑みを浮かべた直後、柔らかい笑みを浮かべて話し出す。

 

「……ああ、そうだったんですか。

ああ、安心いたしました。

私は、つい一週間ほど前に少しばかりの暇を貰っていたこの屋敷のメイドで御座いまして。

本来はもう少しばかり暇を頂くつもりだったのですが、"少しばかり用事が有りまして"、一度戻ってきた、と言う次第なのです」

 

そうなのか、と騎士は疑いが晴れた事に安心しながら頷く。

少女は柔らかい笑みを浮かべながら、騎士に提案する。

 

「疑いを掛けて、その上なお当屋敷のお客人である貴方様にこういった事を頼むのは、大変心苦しいのですが……。

御当主様の好意による暇とは言え、私は御当主様の命に逆らった事には違いないのです。

どうか共に御当主様の所に赴いて、お言葉添えを頂けないでしょうか?」

 

その言葉に、騎士は小首をかしげる。

確かにアルカードならば表面上は無体な物言いをする事は有り得るだろうが、その実彼の内面はそのような些事に憤るほど小さくは無い。

ある程度以上仕えていれば、そこを推し量る事は造作無いはずなのだが……。

 

まあ、世の中己に推し量れる事ばかりでは無いのだ。

多少腑に落ちない事が有ったとしても、実際に従者であるという少女が此処に居るのだから、其処に間違いは無いのだろう。

 

散歩に目的が出来たと思えば良い。

 

騎士が首を縦に振ると、少女は花開くような笑みを浮かべた。

 

「ああ、ありがとうございます!

貴方様は、私の恩人ですわ」

 

そう言いつつ、少女は騎士の背後に回り込む。

何故回り込むのだ、と騎士は紙に書き殴り少女に問いかけた。

 

「私は従者なのですから、道を知っているお客人の前を歩くなどと言う無礼は出来ませんわ」

 

はて、狼男は先導していたが。

否、あの時は己は道を知らなかったのだ、別段おかしな事を言っている訳ではあるまい。

 

だというのに、何故背筋が冷えるのだろうか。

 

"灰色のまま"の廊下を、二人は歩む。

 

一歩一歩、二人はアルカードの自室へと歩みを進めていく。

それと同時に、騎士の背を走る悪寒はどんどんと酷くなっていく。

 

玄関ホールの近くに差し掛かった時に、足音が止んだ。

そして、少女の声が響く。

 

「ねえ、お客人……」

 

その言葉に、騎士は振り向いた。

 

直後に感じたのは、熱さであった。

首元を走り伝う、とても熱い何か。

それを、騎士は知っている。

 

これは、己の血だ!

 

直後、騎士の手から取り出され、少女に投げつけられたのは、魔力が込められた壺。

魔力壺と呼ばれるそれは、飛び退く騎士と少女の間を遮り、少女の投げつけたナイフをその身を以て防ぐ。

 

灰色から赤へと戻った廊下には、騎士が振り撒いた血が大量に散逸され、二種類の赤色で持って廊下を彩る。

 

騎士は、手に熱を持ち、赤く染まる直剣を取り出した。

手に握られた直剣は、そのソウルが活性化し、その刀身に秘められた熱を開放する。

 

かつて、製鉄により栄えた鉄の古王の国、その片隅に立つ塔に、仰ぐべき王も消えた今もなお動く、機械人形が居る。

彼らは身も熔けるほどに熱い熱で持って製錬されたが為に、その身にも多大な熱を持つ。

その機械人形が持つ剣にも、その熱が秘められているのだ。

 

うつろの鎧の直剣。

その刀身に秘められた炎を目覚めさせた騎士は、今もなお吹き出る血をその火で焼き、止める。

 

急激に失った血により体の節々に力が入り切らない感覚を覚えながら、騎士は舌打ちする。

 

この状況は、実に危険だ。

今の一撃は、致命的であった。

もう一度急所を突かれれば、確実に己は死ぬだろう。

 

しかして、隙が少ない回復法であるエスト瓶は、月面で切らしている。

奇跡は発動に隙が大きい為に、回復する前に殺されるだろう。

 

仕方ない、あれを使う他無いか。

 

騎士は隙無く炎を揺らめかせるうつろの鎧の直剣を構えながら、ソウルより一つの物を取り出した。

 

それは、白い輪郭の中に、黒々と揺らめいていた。

その揺らめきは一見炎にも見えるが、その得体の知れない存在感は、炎などという感想を持つ事はまず無いだろう。

 

これこそが、人間性、その塊である。

不死人が、人間性を砕き吸収すると、副次的な効果としてその傷を治すのだ。

主たる効果が、余り騎士にとってよろしくない効果をもたらす為にこれまでは自重してきたが、この状況では仕方ない。

 

騎士は、手に出した"人間性の双子"を握り潰そうとする。

しかし、人間性の双子は騎士の手から零れ落ちた。

 

血の欠乏による感覚の麻痺では無い、それよりももっと急激な感覚の喪失。

 

……麻痺毒か!

 

騎士は膝を付き、されどもその手から直剣を零す事は無い。

 

「サソリ毒を凝縮した麻痺毒だっていうのに、化け物……!?」

 

少女は膝を付き、尚も抵抗の余地を残す騎士に驚愕する。

 

「……おい、どうした!

騒がしいぞ!」

 

「気付かれたか……!」

 

少女は舌打ちし、床に転がった人間性の双子を手に取り、もう片手で懐中時計を持った。

 

 

その後、紅魔館では大量の血液がまき散らされ、その只中に膝を付いている騎士が発見された。

下手人は銀髪の少女であり、その能力を以て屋敷に侵入したと推測された。

 

紅魔館の当主であるアルカードは、恩人であり客人である騎士を殺傷しようとした者への報復を決断。

にわかに慌ただしくなった紅魔館の中、レミリア・スカーレットただ一人が、その白い頬に笑みを浮かべていた。

 

「運命は、いつも勤勉な物ねぇ。

ま、こちらとしては楽でいいのだけれど」

 

ぼそり、とレミリアが、自室で呟く。

その声は、血の如く紅い壁に吸い込まれていった。


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