東方闇魂録   作:メラニズム

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第十七話

 あの桜が散ってから、幾らかの時が過ぎた。

 

 山に時々生えている山桜は、青々とした葉をつけている。

 

 あの桜の大樹そのものでも無い上に、花を付けている訳でも無い、山桜。

 

 にも拘らず、草木を掻き分け、歩く最中に山桜を見るたびに、騎士はあの少女を思い出す。

 

 最早、幽々子という名はあの亡霊の物だ。

 だからこそ、騎士は心の中でも、彼女をあの少女と呼ぶ。

 人であった少女を、忘れない為に。

 

 紫は、己が善人過ぎて疑っていたのだ、とあの少女は言っていた。

 

 何とも、誤解されていたものだ、と騎士は思う。

 

 己は、ただの人だ。

 

 善をしようと心がけてはいる。

 だが、それを貫き通してきた訳では無い。

 

 悪事を働いた事もある。

 

 善事を働いたつもりでも、他ならぬそれが悲劇を招いた事もある。

 

 そんな体たらくの己などに、善人などと言う肩書きなど、似つかわしくは無い。

 

「手間を掛けさせるな、捜したぞ貴様。

 全く、紫様もお優しい方だ、刃向かってきた裏切り者を許すどころかまだ使う気でいるとは」

 

 騎士が己を嘲笑していた時、そう言いながら、藍が目の前に隙間を開けて出て来た。

 

 あれから一度も紫や藍に会わなかったから、関係も途切れたと思っていたのだが。

 

 前にも増して刺々しい眼を向けながら、藍は要件を言う。

 

「人と妖怪の共存する里、幻想郷。

 その場所を紫様は決められて、少しずつ妖怪たちの移住も行っている所だ。

 だがそれ故に人手が足りん」

 

「ある程度は私が調査したが、未だ調査が不十分な所が幾つかある。

 戦う事と歩き廻る事しか出来ん貴様には、うってつけの仕事という訳だ」

 

「何か異常などが見られた場合、私が対応する事になっている。

 だからと言って、みだりに呼び出したりするなよ、貴様と違って忙しいのだから。

 まあ、私よりも紫様の方が忙しいのだが」

 

「全く、最近の紫様はどうかしている。

 これまでは適度に休みを挟まれていたが、最近は何かを忘れたいように仕事をされている。

 ……さて、何が原因なのだろうな?」

 

 お前のせいだろう、と言わんばかりの目線をこちらに向ける藍。

 

 紫は、何を忘れたいのだろうか。

 

 幽々子は亡霊となった。

 紫の望みどおりに。

 

 ならば、忘れたいのはそれでは無いのだろうと思う。

 やはりあの時、紫が言っていた事に関係しているのだろうか。

 

 あの時の紫は妙に幼く、感情的に見えた。

 妖怪としての紫では無く、もっと別の何かとしての紫。

 それがどんな紫であるのかは解らないが、あの時の彼女の瞳は酷く悲しげな、寂しい物に見えた。

 

 彼女の言った言葉が、己に向けられた物だとは思う。

 

 であれば、藍の考え通り、自分のせいなのだろうか。

 

 知らず、傷つけてしまっていたのだろうか。

 

「その様子だと、心当たりはあるようだな。

 縊り殺しても足りんが、まあいい。

 紫様は未だお前に期待しているようだからな」

 

「せいぜい、これ以上紫様を悲しませない事だ。

 その時は、例え紫様が止めても私がお前を殺すだろうからな。

 ……では、早速仕事に取り掛かれ」

 

 そう言うと、浮遊感を感じた。

 

 見なくても解る、藍が足元に隙間を開いたのだろう。

 

 浮遊感が全身を包む。

 

 隙間の中は前後左右と言う物が無い。

 故に、落ちているという感覚が無い為に、浮遊感のみを感じる。

 

 降り立った先は、一帯を見渡せる高い所だった。

 

 山に囲まれているその地の平地の一角には、小さいが人里のような物が見える。

 

 騎士は、懐から双眼鏡を取り出し、更に辺りを見渡した。

 

 周りの山の中でも一際高い山の麓は、深い霧が立ち込めている。

 

 霧に隠れて確信は持てないが、日光に煌めいているように見える、あれは湖だろうか。

 

 そこから少し離れた所に、鬱蒼と茂る深い森が見える。

 

 そして、霧に立ち込めた湖と同様か、それ以上に深い霧に立ち込めた竹林が見える。

 

 双眼鏡で見える範囲は、これくらいだろうか。

 

 双眼鏡を仕舞った時、左側から隙間が開き、藍が顔を出した。

 

「ここは妖怪の勢力圏の空白地帯であり、幻想郷全体を見渡せる立地だ。

 拠点に使うには人里は具合が悪い、ここを拠点とするがいい」

 

 言うべき事を言い終わったのか、藍は隙間に消えていく。

 

 調査が不十分、と言ってはいたが、どこを調査すればいいのだろうか。

 

 もう少し詳しい事を聞きたくは有ったが、彼女ほどの者が必要な事柄を伝え忘れている筈も無い。

 となれば、伝える必要も無いと思ったのか。

 恐らくは追確認程度の仕事であり、重要性はほぼ無いのだろう。

 

 まあ、急ぎの仕事で無いのならば、ゆっくりやるとしよう。

 

 仕事の内容からして、ここには何度も訪れる事となるだろう。

 久しぶりに、篝火を焚く事にした。

 

 懐から骨と、剣を取り出す。

 骨を撒き、地面に剣を突き刺し、手をかざす。

 剣は火に巻かれた。

 

 篝火を焚き終わり、騎士は立ち上がる。

 

 まずは、人里へ往こうか。

 

 そう思い、怪しまれぬよう放浪者の装備一式……フードにコート、マンシェットにブーツ……に着替え、騎士は歩き出した。

 

 

 鬱蒼、とまでは行かなくとも、相当な深さの森を歩く。

 

 何かに見られている。

 否、何か、では無く、恐らくは妖怪だ。

 獲物を見つめるような野性的で剣呑な視線を、人間は出す事は無い。

 そして獣は、いくら木陰で暗いからとはいえ、仮にも真昼間に猟などしない。

 

 人里とはさほど離れてもいない所で、これほど多くの妖物の視線を感じた事は無い、と言ってもいい。

 ここら一帯が、全てこの密度で妖怪が居るのならば、人と妖が共存する前に人里が滅ぶ事を心配する方が良い、と思うほどの視線の量だった。

 

 視線は増え続け、ついに向けられる殺気が爆発する寸前となった時、騎士は立ち止まった。

 

 逃げる事は不可能ではないだろうが、仮に逃げたとしても、これだけの妖怪を引き連れて人里に逃げ込む訳にもいかない。

 

 己のソウルに仕舞い込んでいた武器の中から、ある一つの斧を取り出す。

 

 それは鉄で出来ている、無骨で、とても重い斧だった。

 それもそのはず、並みの建物と同等の大きさを誇るゴーレムのソウルから作り出された斧なのだから。

 

 ロードランの中でも神々が住まうとされる、アノールロンド。

 そこへの道を守護する、アイアンゴーレム。

 

 そのソウルから出来た斧であるが故に、その名をゴーレムアクスと言う。

 それは、特別なソウルから出来た武器であるが故に、ある力を持つ。

 

 騎士が立ち止まり、斧を取り出した事で痺れを切らしたか。

 

 ある一匹の妖怪が、騎士の背後から襲おうとして来た。

 

 基本的に、妖怪と言うのは人型になれる個体が強いとされている。

 それが出来ていないこの妖怪も、周りを囲む妖怪も、その例に漏れない。

 人型になれるならば、群れて襲う必要などないのだから。

 

 しかし、群れとはいっても、一匹が先走りをしている時点で連携などは取れないようだ。

 

 恐らくは、集団でただ襲うだけの烏合の衆なのだろう。

 

 それならば、人間のように脅しも効く。

 

 騎士は、振り向きざまにゴーレムアクスを横振りに薙いだ。

 

 襲ってきたとは言っても、遠巻きに囲んでいた為に、妖怪は斧の振る範囲には居ない。

 

 当然のように空振る斧。

 

 だが、当たっていないにも拘らず、襲い掛かろうとした妖怪は横一文字に分かたれた。

 分かたれたところから、血が飛沫のように噴き出す。

 

 沈黙が辺りを包み、真二つに分かたれた妖怪が倒れる音だけが辺りに木霊する。

 

 いずれかの妖怪が、息を呑む声が次に響いた。

 

 騎士が適当にゴーレムアクスを振ろうとしたのを見て、周りにいた妖怪は全て逃げて行った。

 

 アイアンゴーレムは、その体躯に見合う力から放たれる斧圧で、風の刃を放つ相手だった。

 

 そのソウルから出来たゴーレムアクスは、その現象を斧自体が備える力として発現させる。

 

 訳も分からない現象に恐怖するという事は、人も妖怪も関係ない。

 故に、訳も分からず分かたれた妖怪の姿に恐怖した周りの妖怪は、二の舞にならぬようにと逃げて行ったのだろう。

 

 思惑通りに行った事に安堵と多少の満足を覚えながら、ゴーレムアクスを仕舞い、騎士は人里へと歩みを進めた。

 

 

 人里についた時、藍の言っていた、人里は拠点に使うには都合が悪い、と言う言葉に納得がいった。

 

 規模が小さい事は遠くからでも見て取れていたが、宿泊施設らしい所は一つしか見当たらない。

 

 後は、村人が住む為の家と、幾つかの食事処。

 

 それぐらいしか見当たらない。

 

 そして、村人の数に対して、妖怪退治屋と思しき身なりの物が奇妙なほど多い。

 

 無論、どんな村にもそう言った職の者は居る。

 

 だが、この村の規模ならば、一人か多くて二人が普通と言った所だ。

 

 それが、通りを見渡せば幾つか見当たる程居る。

 

 妖怪と人間が共存する里。

 

 それを実現する為には、妖怪退治屋が多い方が、勢力の均衡を取りやすいのだろうか。

 

 しかし、妖怪退治屋が大勢いても、ここはそれ以上に妖怪がひしめいている地域の様だ。

 

 一つ切欠があれば……そう、例えば人型の妖怪でも襲って来れば……、この人里は易々と滅びるだろう。

 

 騎士がそう評価しながら里を見ていると、妖怪退治屋の者達が集まって来た。

 

 騎士を囲むようにして、揃って剣呑な顔をしている。

 

 見れば、妖怪退治屋以外にも、己は視線を集めているようだった。

 

 それほどまでにこの村では、よそ者は珍しいのだろうか。

 妖怪退治屋が相当数流れ着いている事と言い、よそ者自体は珍しくはなさそうだったのだが。

 

 そう思っていると、妖怪退治屋の中でも中心核らしき人物が騎士に話しかけてきた。

 

「すまねぇな、大人数で脅すような事をしてよ」

 

「だが、こうすんのも仕方ねぇ事なんだ、ここいらではな。

 ここいらじゃあ、妖怪がわんさかと居る」

 

「そん中を通ってこの村まで来られるのは、俺たちみたいな妖怪退治屋か……」

 

「妖怪しか、いねぇんだよ」

 

 彼らは己が妖怪では無いかと疑っているようだ。

 しかし、ただの確認にしては少しばかり大げさに思える。

 

「なぁ?

 なんで、こんな糞暑い夏の真昼間に、そんな厚着してるんだ?

 山ン中ぁ突っ切って来たにしたって、それはあんまり厚着すぎんじゃあ無いのかい?」

 

 その男の発言に、騎士は彼らの疑惑の源を把握した。

 

 騎士としては旅人の着るような服として放浪者一式を選んで身に纏い、旅人としてこの村に入り込むつもりだった。

 

 この放浪者一式は、様々な危険があるロードラン、ドラングレイグを旅する者が好んで着る。

 旅装と言えども、危険の多い所を通らざるを得ない事もある為に、旅での快適さと防具としての頑強さを両立した作りとなっている。

 だが、そうして出来た放浪者一式は、この国の旅装と比べると明らかに過剰な装備と言わざるを得ない。

 

 その食い違いに思い至らなかったのは、ロードラン、ドラングレイグでの騎士の旅が、多少の気候の変化に頓着している余裕など無い過酷な物だった事に尽きる。

 

 溶岩の上を進まねばならなかった事もある騎士にとっては、夏の暑さは頓着するようなものでは無かったのだ。

 

 失敗した。

 怪しまれないための服装が原因で怪しまれてしまうとは。

 

「だんまり、か。

 悪いが、俺たちも手荒な真似はしたくないんでね。

 あんたが妖怪で無い事を証明したいなら、俺に付いて来てくれ。

 人か妖か確かめる術は、手間がかかってここじゃ出来んのだ」

 

 元より喋れずどうした物かと考えていた騎士は、妖怪退治屋の頭領らしき男の言葉に頷き、付いて行く。

 

 どうやらこの発言は半ば挑発のような物だったらしく、大人しく付いて行く騎士に周りの妖怪退治屋は肩透かしを喰らったようだった。

 確かに、本当に妖怪ならばこう言われた時点で事を起こすだろう。

 妖怪退治屋でも、退治すべき妖怪に間違われていては心中穏やかにもなるまい。

 

 だが幸いと言うべきか、騎士は妖怪退治屋でも妖怪でも無かった。

 故に、その発言について頓着する事も無い。

 

 囲いを解き、警戒すると同時にすぐに取り押さえられるような位置を維持して、騎士を連行する妖怪退治屋たち。

 

 これら一連の作業はどうにも手馴れていて、こうやって里に入り込もうとする妖怪が後を絶たない事を示唆していた。

 

「しっかし、妖怪かどうか見分けられんのは便利な術ではあるけど、広い場所が必要ってのはどうにもなぁ。

 それで、毎度毎度稗田様の庭使わせて貰っちゃ世話ねぇぜ」

 

「そう言ってやるなよ、親分もそこには頭抱えてんだから。

 先祖代々伝わってて、どうにも手を加えられねぇんだとさ、術式が複雑すぎて」

 

「そうは言うがなぁ……稗田の御嬢さんだって体弱いんだしよぉ?

 毎度毎度こんなむさ苦しい野郎が、鎌首揃えて剣呑な顔して出入りするんじゃあ、可哀想ってもんだろうよ」

 

「うるせぇ、好き好んでむさ苦しくなったわけじゃねぇよ」

 

 妖怪退治屋の会話が聞こえてくる。

 妖怪判別の為の術はそう便利な物では無いらしく、相応に場所がいるようだった。

 

 大の男が何人も、ひしめきながら歩みを進める。

 

 そして、周りの家の中でも一際大きく、立派な家の中に妖怪退治屋の頭領が入って行く。

 少しばかりの間が有って、妖怪退治屋の頭領が再び門から姿を現した。

 

 顎で門中を指し示す。

 入れ、という事だろう。

 

 一人ずつ、門中へと入り込んでいく。

 

 玄関を横切り、縁先の松が何本か植えられた庭へと通された。

 

 そこには陣のような物が作られており、騎士はその中央へと座らされる。

 

 見れば、縁先には一人の少女が、興味深げにこちらを見ていた。

 

 紫苑色の髪を三つ編みに束ね、垂らしている。

 日の光を知らないような、真白なその顔には、好奇心が渦巻いていた。

 

「そこの方は、誰ですか?

 新しい旅人さん?」

 

「おっ、今日は体の調子はいいんですかい、稗田の嬢さん?

 ええまあ、そんなとこらしいんですが、どうにも怪しい格好なんで、妖怪かどうかちっと試してみるんで」

 

 そう、妖怪退治屋の頭領は、稗田のお嬢様と会話をしながら、術の準備らしき事を推し進める。

 五芒星を描き、その一角に頭領が座る。

 そして、頭領は手に持った銚子を凝視する。

 物珍しいのか、稗田のお嬢様が彼の元に歩き寄って、同じように器を覗きこんだ。

 

「それで、どう判別するんです?」

 

「この器から、妖怪なら土が、人間なら真水が湧き出るって術なんでさぁ。

 っと、出て来たぞ……?」

 

 其処まで言うと、頭領は手を顎に当て、思案し始めた。

 

「頭領さん、こんな風に泥水が出て来た時はどうなるんですか?」

 

「いや、これは……あっしも、こんな事になるのは初めてで……」

 

 稗田のお嬢様の投げかける問いに、頭領は答えようが無い様だった。

 恐らくは、不死人の呪いのせいなのだろう、と騎士は憶測する。

 

 だが、彼らはそんな事情を知る由も無い。

 

「親分、で、こいつはどうすればいいんですかい?

 妖怪でも、人間でも無いって、んじゃ結局何なんですかい?」

 

「色々と、捉えようはあるが……例えば、こいつが性質の悪い妖怪辺りから、呪いを受けたとか。

 あるいは、半人半妖だったり、とかか?

 いや、半人半妖だったら、下が土、上が水ときっかり分かれると文献に書いてあったはず。

 ……呪い、かねぇ……?」

 

 そう頭領が呟くのを聞いて、稗田のお嬢様が騎士の方へと歩き寄る。

 

「あ、稗田の嬢さん、まだこいつは安全かどうか……!」

 

「あなた、どうなんですか?

 頭領さんの言う通り、呪いでも受けたんですか?」

 

 そう、稗田のお嬢様は聞いてくる。

 なんともまあ、無邪気な物だった。

 

 己は妖怪では無いが、己に罹っている呪いは妖怪に似た性質を持っている、と永琳が言っていたのを思い出す。

 故に、彼女の問いに頷くと、頭領の方を向いて彼女は言う。

 

「頭領さん、この人、頭領さんの言う通り、呪いを妖怪から受けたんですって。

 なら、この人は人間でしょう?

 妖怪に呪いをかけられた人間を、妖怪呼ばわりして危ながるなんて、あんまりひどいですわ」

 

「いやまあ、否定は出来ませんが、肯定も出来んのですよ。

 まさか、この術でこんな事になるとは……」

 

「この方が妖怪なら、こんな風に大人しく座ってる訳ありませんわ。

 だって、この方が妖怪なら、人型ですのよ?

 こんな事しなくても、私たちを美味しくいただけちゃうわ」

 

 そう稗田のお嬢様が言うと、頭領は苦々しい顔付きで言葉を返す。

 

「俺だってこいつぁ妖怪じゃあねえんじゃねぇかとは思ってはいるんですわ。

 ただ、稗田の嬢さん、万が一って事もあるんですよ。

 こいつ自体に害は無くとも、こいつの呪いは、もしかしたら移るもんかもしれない。

 だから、確証も無しに大丈夫だって太鼓判は張れんのです」

 

「あなた、その呪いは移るんですか?」

 

 またもや、稗田のお嬢様が問いかけてくる。

 移る物では無い、と騎士は首を横に振った。

 

 この呪いは移る物では無い、どちらかといえば"目覚める"物だ。

 

「ほら、移る物では無いんですって」

 

「しかしねぇ……」

 

「物も知らないお嬢様が、大丈夫だって押し切った、そうでしょう?

 それで、あなたも面倒事にはならないはず」

 

「……稗田の嬢さん、前々から思っちゃあいたんですがね。

 なんであんた時々、俺のお袋みたいに、妙にこなれてるっつうか、肝っ玉が太くなるんですかい?

 一度老いで死んで、また生まれ変わってあんたぐらいの年で、ちょうどいいぐらいの肝っ玉の太さですぜ」

 

「……あら、失礼ね。

 こんなうら若い少女を捕まえて、お婆さん呼ばわりなんて」

 

「へえへえ、私が悪うござんした。

 それじゃあ、粗忽者とその子分は、お暇させてもらいますわ」

 

「ええ、またいらしてください」

 

 そう言うと、妖怪退治屋の頭領は、子分と共に去って行った。

 それを見送ると、稗田のお嬢様は騎士に向き直り、お辞儀をする。

 

「初めまして、私はこの稗田家の者、阿一と申します。

 ……で、少しお願いが有るのですが。

 あなたの旅のお話、聞かせて貰えませんか?」

 

 そう、煌めいた眼でこちらを見る、阿一。

 その輝きに騎士はたじろぎながら、いつ言葉を話せない事を言おうか、考えあぐねていた。

 

 どうにも切り出せずに、阿一に連れられるまま、彼女の部屋の前らしきところまで来てしまった。

 

 うら若い女性が、一人で男を部屋に連れ込んで、良い物なのだろうか。

 

 そう思っていると、彼女は障子を開け、騎士を招く。

 

「どうぞ、入ってください。

 巻物ばかりで、ごちゃごちゃしていますが……」

 

 彼女の部屋は、その言葉の通り巻物だらけだった。

 いくつもの棚が並んでいるが、そこには所狭しと巻物が並んでいる。

 一言で言うならば、巻物の山。

 辛うじて部屋の中央に置かれた書机だけが、ここが人間の部屋である事を指し示す唯一の証左だった。

 

 阿一は、書机に座り、白紙の巻物を広げる。

 

「では、旅の話でも聞かせてください。

 どんなものでもいいですよ、面白いかどうかは私が決めますので」

 

 そういう彼女に、放浪者のフードを外し、口内を見せる。

 

「や、やだ、何を……?

 あ……」

 

「ご、ごめんなさい。

 新しい話が訊けると思って、私……」

 

 阿一は、俯いて申し訳なさそうな顔をして、謝って来た。

 

 そんな顔をさせたくて、見せた訳では無かったのだが。

 ただ、彼女の期待に応えられない事を知らせたかっただけなのだ。

 

 先ほどまでの、輝く様な笑顔の方が、彼女には似合っていたのに。 

 

 俯いた彼女の肩を優しく触り、正面を見る様に押す。

 そして、騎士は阿一がこちらを見た事を見ると、奥の障子を開け、縁先へと躍り出る。

 

 騎士は阿一に一礼をすると、懐から二つの曲剣を取り出した。

 

 それは、かつてロードランの王、グウィンに仕えた四騎士の一人。

 「王の刃」の異名を持った、暗殺者の持つ二つの曲剣の内の一振り。

 

 そして、もう一振りは、始まりの火を再現しようとし、呪術を見出した魔女、イザリス。

 その娘の内の一人である、クラーグの持つ魔剣。

 

 それぞれ順に、黄金の残光、クラーグの魔剣と言った。

 

 その二振りを持つと、騎士は虚空を切り始める。

 

 剣舞だ。

 

 黄金の残光は黄金の残像を作り出し、クラーグの魔剣はその刀身に火を纏う。

 

 騎士の剣舞は実践的で、舞というには無骨に過ぎた。

 だが、その無骨さが、二つの曲剣の美しさを引き立てる。

 

 虚空を斬り続ける騎士には判らなかったが、それはとても美しい物だった。

 

 体力の続く限り剣舞を舞い、息をつく騎士。

 

 そこに、拍手が響き渡る。

 

「凄かったです!」

 

 阿一が、拍手しながら駆け寄ってきて、黄金の残光とクラーグの魔剣を見つめる。

 

「こんな綺麗な剣、どこで作られたんですか?

 それに、炎が出るなんて、どんな仕掛けがあるのかしら」

 

 その顔には笑顔が浮かんでいた。

 

 良かった。

 

 阿一の笑顔を見て、騎士は安堵した。

 

 

 剣舞の後、騎士が取り出す色々な武具を阿一に見せていたところ、

 すっかり日が落ちてしまった。

 

 阿一に別れを告げ、騎士は、宿を借りようと村唯一の宿場へと赴いた。

 しかし、そこは専ら妖怪退治屋で埋め尽くされており、とてもではないが騎士の入る余裕など

 無かった。

 元より頭領ら、妖怪退治屋を住まわせるために作られたらしく、当初は余裕のある部屋数にしていたが、今では人一人入れる余裕すら無いらしい。

 

 仕方ない、と里を出て、調査に赴こうとしたが、門で止められてしまった。

 自殺行為だ、と言って通してくれなかったのだ。

 

 騎士自身は夜でもどうにでもなるのだが、門番の言う事は、成程確かに道理で有った。

 門番の好意から出た制止をを無碍にも出来ずに、里の中心へと舞い戻って来た騎士だった。

 

 さて、どうしたものだろうか。

 

 宿は取れず、調査に出る事も叶わず。

 

 里を歩き廻って、一夜を明かす事にでもしようか。

 

 そう思い、騎士は里に幾つかある食事処に足を向けた。

 日は落ちてはいるが、里の最も大きな道は篝火で明るく照らされている。

 

 篝火に照らされた、一つの店。

 

 そこに、騎士は足を踏み入れた。

 

 既に店には幾人か客が居た。

 その内の一人は見知った顔だ。

 

「おう、よく来たな。

 つっても、俺の店じゃあないが」

 

 妖怪退治屋の頭領だ。

 

 彼は騎士に手招きをし、隣に座らせる。

 

「ついぞお前さんが暴れたとか報告を聞かなかった所を見ると、妖怪じゃあ無かったみたいだな。

 昼間は悪い事をした、今日は奢ってやるよ。

 ここの蕎麦は食わないと損だぜ」

 

 そう言うと、頭領は店主らしき男に蕎麦を一つ頼んだ。

 蕎麦を待つ間、頭領から銚子を渡され、酒を注がれる。

 

 それを呷ると、酒独特の喉奥を焼く感覚と共にふくよかな香りが鼻をくすぐる。

 

 舌が無くとも、酒の旨味……酒精と香り……は、感じる事が出来る。

 酔いはせずとも、酒の香りに気分を良くしていた頃、蕎麦が出来たのか、騎士の目の前に置かれる。

 

 箸を手に取る。

 

 蕎麦は結構な量が有り、これ一つを食べれば、並みの胃袋ならば満ちるであろう、という量だった。

 

 蕎麦つゆに蕎麦をつけ、啜る。

 

 すると、蕎麦の香りが一気に鼻まで突き抜ける。

 啜った蕎麦を噛むと、啜った時に感じた香りと似た、蕎麦の香りが今度はゆっくりと香る。

 

 美味い。

 

 この喉越しを生むのは、蕎麦つゆを割った水のお蔭だろうか。

 涼やかに喉を通って行く蕎麦が、清涼さを感じさせる。

 

 この蕎麦という料理は、香りと喉越しこそが味なのだ。

 

 舌が無くとも美味いと感じる料理が、この国には多い。

 幸いな事だ、と思いながら蕎麦を啜る。

 

 気がつけば、蕎麦は無くなっていた。

 

「いやぁ、良い喰いっぷりだったなぁあんた。

 そりゃあここの蕎麦は旨いが、そこまで一心不乱に喰う奴は流石に見た事が無いね」

 

 そう言うと、頭領は代金を置き、出ていく。

 置かれた代金は、頭領が呑み食いした分と騎士が食べた蕎麦を合わせても少し多い。

 

「もっとお前さんの食いっぷりを見ていたかったが、俺ぁこれから夜番でね。

 多少多めに置いといたから、もう少し食っていけよ、また満腹じゃあ無いんだろう?」

 

 そう言って、頭領は去って行った。

 その厚意に甘んじて、騎士はもう一つ蕎麦を頼んだ。

 

 店主は他にも品はあると品書きを差し出すが、もう少し蕎麦が食べたい。

 

 

 蕎麦を満足のいくまで食べると、夜も相当更けていた。

 気がつけば、今まで食べていた店以外は皆店仕舞いしており、灯りも消えている。

 

 ただ一つ、妖怪退治屋の番をしている所らしき場所だけが、灯りを灯している。

 

 このまま夜を明かすにしても、据わりが悪い。

 

 どこか、良い場所は無いだろうか。

 

 騎士は、里を当ても無く歩き出した。

 

 すると、蕎麦屋からは見えなかったが、一か所だけ灯りの灯る家の障子が見えた。

 

 騎士は、頭の中にある不完全な里の地図を思い出す。

 

 あの家は、確か稗田の家では無かっただろうか。

 

 そして、あの障子は阿一の部屋だったように記憶している。

 

 こんな時間まで、阿一は何をしているのだろうか。

 あの見かけでは、阿一はあまり体が強くはなさそうに見えたのだが。

 

 他に赴くべき場所も無く、ぼう、とその障子を眺める。

 流石に、今日が初対面の者の所へ、夜這い紛いの事をする気は無い。

 

 否、こうして眺めているのも、余りよろしくは無いのでは無いだろうか。

 例えこちらに悪意が無くとも、彼女が気付いて不審な影が有ったとなっては、

 彼女も安心出来なかろう。

 

 そう思い立ち、騎士が立ち去ろうとしたところ。

 

 障子が開き、その奥から阿一ともう一人の姿が見える。

 

 その姿は、紫色の衣服に黄金の長い髪。

 

 紫だった。

 

 阿一は障子を開け、一息つこうとしていたのだろうか。

 大きく息を吸い、吐こうとした所で騎士の姿を見つける。

 

 そして、慌てたように右往左往する。

 

「落ち着きなさい、稗田の人よ。

 かの者は私の仲間、気にする事は無い」

 

 朗々と、紫の声が響く。

 そして、紫は騎士に手招きをした。

 

 その顔は能面のように、少しも動く事は無い。

 

「えっと、……その、ですね」

 

 騎士が手招きされ、阿一の部屋に座り込み。

 それから阿一は、何を言えばいいか悩んだ様子で、言葉を継げずにいる。

 それを見かねたか、紫が助け舟を出す。

 

「私が話しますわ、この者には私自身、この事について詳しい事情を告げてはいないのですから」

 

「稗田阿一は、我々の協力者なのです。

 そして、今日はその際に彼女が受け持つ役目について話を詰めていた所ですわ」

 

 紫がそこまで言った所で、阿一が紫の言葉を遮る。

 

「待ってください。

 今日はもう、詰めるべき事は詰め終わったはず」

 

「この先は、私が自ら言います。

 ……それよりも、あなたはまだやる事が、あるのでは?」

 

「……嫌われた物ですわね。

 これから永い間、懇意にしていく仲だと言うのに」

 

「別に嫌ってはいませんわ。

 ただ、私にとっては大事な事ですから。

 私がやっていく事、それを話すというのは」

 

「懺悔をするには、早過ぎる上に相手が違うのではなくて?」

 

 紫はそう言い捨て、隙間へと消えて行った。

 

 それを見届けてから、阿一は話し始める。

 

「昼間、あなたが来た時に。

 頭領さんが、私の事をお袋みたいな肝っ玉だー……って、言っていたでしょう?

 一度老いで死んで、また生まれ変わったみたいな、と。

 あの時、本当は私、凄く驚いたんですよ」

 

「だって、その通りなんですもの」

 

「私は、いわゆる前世の記憶というのがあるんです。

 いえ、記録、と言った方が適当ですかね」

 

「生まれた時から、赤子には知り得ない知識を知っていました。

 そして、前世の人間の物らしき記憶も。

 けれど、それは実感も何もない、文字通り記録と言った方が良い、味気の無い物でした」

 

「前世では、私は稗田阿礼、という名だったようです。

 最初、私は何故、先祖の記憶が有るのか解りませんでした」

 

「あの妖怪……八雲紫から、何故記憶が有るのかを聞いてみましたが、輪廻転生の時の事故では無いか、とだそうです」

 

「でも、彼女が私の元に現れたのは、その事では無いんです。

 この家……稗田家が、この里の地主で、私がその当主だから」

 

「人と妖が共存する里。

 それを作る為の下準備として、私に秘密裏に話を通したかった、らしいです」

 

 つまり、内通者って訳です。

 そう、阿一は自嘲するように言った。

 

「話が前後してしまいますが、その話を聞いた際に、私の記憶の事について聞いたんです」

 

「私の問いに答えた後、八雲紫は、内通以外にも、私に依頼して来ました。

 人と妖の里、幻想郷の歴史を、編纂して欲しい、と」

 

 稗田阿礼と言う、阿一の前世の人物は、一度見聞きした事を忘れない事で有名だった、と言う。

 それだから、紫は阿一に編纂を頼んだのだろうか。

 しかし、普通の人間の寿命で歴史として編纂しなければならない程、紫は早急に話を進めるのだろうか。

 

「私が偶然、記憶を持って生まれた事を、故意に繰り返して編纂する、という計画らしいです。

 輪廻転生をして、生まれた都度、歴史を綴る。

 今日は、その輪廻転生について、話を詰めていたんです」

 

 ふう、と阿一が息をついた。

 話は、ひと段落ついたらしい。

 

 成程、何十年か間を置いて編纂する、という事らしい。

 

 長く話した為か、阿一の顔が赤くなっていた。

 暑そうに手で扇いでいる。

 

「少し、暑いですね……

 外に涼みに行きませんか?」

 

 そう言うと、阿一は席を立ち、障子を開けて軒下へと歩く。

 そして、軒下に座った。

 その姿に、騎士はあの少女を幻視する。

 

「私、最初は、この話を断ろうと思っていました。

 だって、大好きな里の皆を、裏切る事になりますから」

 

「でも、もし」

 

「もしも、里の皆と妖怪が、仲良くなる事が出来たら。

 もっと、畑を大きくする事が出来るでしょう。

 もっと、家も建てられるでしょう」

 

「そして、皆が妖怪に喰われる事も無くなるでしょう」

 

「妖怪退治屋の皆さんは、本当に良くやってくれています。

 皆、腕試しに来たからと、相場よりも安い金銭で守ってくれています。

 ……それでも、毎年、毎年。

 櫛の歯が欠ける様に、何人かが妖怪に襲われて、帰ってこなくなります」

 

「私は、何もできません。

 体が弱いから。

 皆の農作業を手伝う事も、妖怪退治屋の方たちみたいに、護衛する事も出来ません」

 

「だから、これこそが。

 私が、皆に何かを出来る、唯一の事だと思ったから」

 

 そう言う阿一の声は、震えていた。

 

「私が、やるんです。

 八雲紫に唆されたのではなく、私自身がやると決めたのです」

 

「大丈夫ですよ、これでも嘘は得意なんです。

 この弱い体です、そう長く生きる事も有りませんし、里の皆も、百年もすれば世代が変わります。

 幻想郷の歴史書に、真実を書き記す事も有りません。

 私もあなたも、何事も無く嘘をつき続けられますよ、寿命が来るまで」

 

「そう……。

 真実を知る人間は、あなたと私だけ。

 私たちに寿命が来て、死んでしまえば。

 後はもう、嘘が暴かれる事は、無いのですね」

 

 阿一は騎士に向き直る。

 寂しそうな顔をしていた。

 

 嘘を、誰かに暴いてほしいのだろうか。

 いや、違う。

 残ってほしいのだ。

 自らの嘘が、嘘であるという証が。

 

「そうだ、あなたは、この里まで独りで来られたんでしょう?

 八雲紫があなたに何を依頼したかは知りませんが、隠れ蓑として私の家で雇われませんか?

 寿命が尽きるまで、雇い続けてあげられますよ」

 

 騎士は、横に首を振った。

 

「そう、ですか……。

 すみません、不躾に」

 

 阿一のその言葉を聞かず、騎士は、軒先へと進み出た。

 

 そして、剣を取り出し、庭へと突き刺す。

 

 剣に、骨粉を振りまく騎士を、不思議そうに見つめる阿一。

 

「あの、何を?」

 

 騎士は、突き刺さった剣に手をかざす。

 

 そして、剣は火に巻かれた。

 

 火に巻かれた剣を見つめて、阿一は感嘆する。

 

 感嘆する阿一を尻目に、騎士は短剣……盗賊の短剣を取り出した。

 

 そして、阿一が反応する前に、自らの心臓に突き立てる。

 

 崩れ落ち、体の端からソウルが粉となって舞う。

 

 阿一は、騎士が光の粉となって散っていく、その光景に絶句する。

 

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 そして、騎士は火に巻かれる剣から、現れた。

 

 両手を握り、親指だけを立て、自らを指す。

 

 俺だ!

 

 そう言わんばかりの堂々とした動作に、阿一は笑う。

 

「なんだ、あなたも嘘吐きだったんじゃないですか。

 ずるいですよ、一人だけ死なないなんて。

 あーあ、裏切られちゃったな。

 私が死んでから、あなたがばらしてしまったら私、墓石に唾を吐きかけられてもおかしくありませんよ?」

 

 ひとしきり笑い、騎士を悪しざまに罵った後。

 

 彼女は、呟いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 夜が、明けようとしていた。


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