東方闇魂録   作:メラニズム

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第十一話

 緑と一口に言っても、多種多様な色味が有る。

 木の葉、苔、虫。そのどれもが独特の色合いを醸し出している。

 

 そして、騎士は目の前に鬱蒼と茂る竹林の緑も、嫌いでは無い。

 色味だけで無く、竹の葉が揺れる音も、騎士にとっては心地よい。

 

 騎士の地面を踏み締める音と、竹の葉の揺れる音。

 それに、入り混じる音。

 

 獣の声だ。そして人が走る音。

 

 人が獣に襲われている事は、明白だった。

 

 助けなければ。騎士は音源に向かって走り出す。

 

 そこには、熊と老人が居た。

 老人は腰が抜けてしまったらしく、その場にへたり込んでしまっている。

 対して熊はそんな老人を喰らおうとしているのか、老人ににじり寄っていた。

 

 老人は逃げられない。熊を退けるか、殺さねば老人は死んでしまうだろう。

 

 しかし、野生の獣は強靭な体を持っている。

 騎士の膂力も人並み外れたものではあるが、そもそもの基準が違う。

 

 老人が殺されぬようにするならば、一太刀。一太刀で持って、熊を絶命させねばならない。

 

 そこで騎士が取り出したのは、人以上の大きさを誇る大槌。

 

 スモウハンマー。

 ロードランを守る、処刑者の名を冠する物のソウルから生まれたそれは、凄まじい重量を誇る。

 騎士の踏み込む足は、具足の足首の半ばまで地面に沈み込む。

 

 ハベルの大盾をも上回るその重量から放たれる槌の一撃。

 

 その破壊力により、老人を喰おうとする熊は、その身の半ばまで挽肉にされ、吹き飛んだ。

 しなり、丈夫なはずの竹を圧し折り、その黒毛から竹の緑と血の赤がまだらに覗く。

 

 挽肉となった熊が死んでいるか確認してから、騎士はその場を離れようとする。

 

 老人は、立ち去ろうとする騎士を引きとめる。

 

「ま、待ってくだされ、旅の方。助けられて礼をせぬなど、讃岐の造麻呂の名が泣くという物。

 大した持成しも出来ませぬが、どうぞ私の家で一服して行ってくだされ」

 

 巨大な槌をどこからか取り出したかと思うと、熊を一撃の元に挽肉にした者。

 騎士からしても怪しい者を引き留めるこの老人は、余程のお人よしか、それとも能天気か。

 

 どちらにせよ、騎士にはそれを断る理由は無い。

 

 未だ腰が抜けた老人を背負いながら、騎士は老人の指図に従い竹林を歩いて行った。

 

 山を降り、一つの街に入る。

 そして老人が、着いた、着いたと言うその家は、周りよりも大分大きい。

 

 その大きさを眺めていると、老人は照れ臭そうにしながら家が大きな理由を話す。

 

「実は、この家は最近建てたのです。

 竹林で一人の赤子を拾ってから、偶に竹から金が湧くようになりました。

 この年まで子を作れず、天より授かったと思っておりましたが、金まで授けて下さって。

 これも拾った赤子を立派に育てろという天命かと思いましてな。

 どこに嫁いでも見劣りせぬよう、家を立派にしたのです」

 

 そう言いながら、騎士の背から降りて家へと入る。

 騎士もその後に続いた。

 

 大きさの割に人気の無い家の中を進み、老人の妻らしい老婆が騎士に茶を振舞ってくれた。

 

 入れて貰った茶を口に含む。

 

 香ばしい。甘やかさを湛える独特の芳香は、味を感じずともその旨味を指し示す。

 喉を鳴らし茶が胃へと送られた後でも、その口内からは濃厚な茶の香りがした。

 

 相当の上物を入れて貰ったらしい。

 どれだけの金が竹から出たのか、という下衆な考えを振り払い、老夫婦の持成しに頭を下げる。

 

 茶を振舞われている間に騎士が聞いた話によると、どうも人を雇うよりも先に家が出来たらしい。

 その内に雇った人は来るが、今は誰一人として使用人は居ない。

 

 だから、家の大きさの割に人が居なかったのか、と納得する騎士。

 

 茶を呑み終え、騎士は老夫婦の家を出ようとする。

 老夫婦はそれを引き留め、是非とも娘に会ってほしいという。

 

「是非とも、旅の話を娘に聞かせてやってくだされ。

 あの娘も暇している事でしょうから」

 

 とも言いながら、騎士の分の昼食を作り出す老婆。

 

 仮にも熊を一撃の元に葬った騎士を、大事な娘と二人きりにさせようとするとは。

 

 ついにも自らが言葉を発する事が出来ない事も伝えられず押し切られた騎士。

 老夫婦の底抜けた人の善さに不安を感じてしまいながら、その娘の部屋に通される。

 

 簾で覆い隠された中に、日の光に照らされ人影が浮き上がる。

 

 人影は、騎士の着た外套を見ると、驚いたように簾の奥から出て来た。

 その様子に、淑やかさなどは感じられない。もともとそういう性分なのだろう。

 

 しかし、成程その美しさは老夫婦の贔屓目だけでは無い。

 先ほどは日の光に影が浮き出たのだと思っていたが、彼女自身が光を放っている。

 否、そう見紛うばかりの美しさなのか。

 

 いずれにしても、常人の放つ類の美しさでは無い。

 その黒い長髪を光に煌めかせながら、彼女は騎士に話しかける。

 

「あなた、その外套。どこで手に入れたの?」

 

 そう彼女から問われるが、騎士は口を開き、見せる。

 すると、彼女は今度こそ口を開けながら固まり、やがて笑い声を響かせる。

 その声に驚き、部屋の外で控えていた老人が部屋に入り込む。

 

「輝夜、輝夜よ、どうしたのだ。何がそんなに面白いのだ。

 良ければこの爺にも聞かせてくれぬか」

 

 ひとしきり笑うと、彼女……輝夜は、翁へと向き直る。

 

「いいえ、何でもありませんわ、爺様。

 爺様、そんな事よりも、この人を家に居着かせてくださいな。

 この方は舌が無く、口を訊く事が出来ぬのです。

 それは余りに可哀想と言う物ですわ」

 

 そう輝夜が言うと、翁は驚いたようにし、その後に涙を流し出す。

 

「おお、おお、この翁、そのような身の上である事を知らず、大変惨い事を……。

 旅の方、良ければこの翁を親と思ってくだされ」

 

 これまでどれ程苦労したのか、いたわしや、いたわしや……。

 

 そう、涙を滝のように流しながら呟く翁に、騎士はどうしたらいいか解らなかった。

 

 涙を流しながら立ち去る翁を後ろ目に見やりながら、輝夜が口を開く。

 

「お人よしでしょう?爺様は。

 確認もせずに、旅人を居着かせろと言うのを聞き入れて。

 全く、よくもあの年まで生きて来られたものだわ」

 

 翁を見ながら憎まれ口を叩く輝夜であったが、その瞳は慈愛に満ちていた。

 

 輝夜はその出生と言い、半ば人ならざる者だろう。

 少なくとも常人では無い。

 

 だが、それでもあの翁の娘なのだ。

 

 少し、暖かくなったような気がした。

 

 

 

 そして、騎士は流されるままに、この家に居着く事となった。

 

 立ち去ろうとする度に老夫婦が引き留めるのが主な原因であったが、

 それでも騎士ならば立ち去ろうと思えば立ち去れた。

 

 恐らく、己自身もあのお人よしで暖かい老夫婦の傍が、嫌いでは無いのだろう。

 あるいは、仮初めとはいえ、失ったはずの"家族"を取り戻せたからか。

 

 己の本心は解らないが、少なくとも老夫婦は暖かかった。

 老夫婦の死の際までは、仮初めを続けようと思う程度には。

 

 

 やがて時は経ち、可愛い娘のお披露目だ、と老夫婦は町の者全員に食事を振舞った。

 人々はただ酒と食事を目当てに集っていたが、その娘子の美しさに誰もが目を奪われる。

 

 食事を振舞われた後、己が家々に帰る時、町人は口々に娘子の事を話題とした。

 

 そうして、かなりの速さを持ち、ある噂が広がっていく。

 

 曰く、かの町に光り輝く美しさを持つ娘あり、と。

 

 噂は権力を持つ者達の耳にも入り、是非とも嫁に、と言う者が増えていく。

 

 彼らの宿、食事処。更に金を持つ者は別荘を建て、町は大きくなった。

 

 道は広がり、多くの者の足によって踏み固められた道路。

 

 その上に立ち並ぶ男は、貧富、老若を問わず。

 

 しかし、彼らは一様にして、噂に聞える輝夜の姫を一目でも見ようと立ち並ぶのだ。

 

 それを脇目に、近隣の山に害獣が居ないか、見回りをした騎士が帰路へと就いている。

 

 輝夜姫に会うため立ち並ぶ者達から金を取る為だろう。

 その屋敷の脇、向かい、斜向かいにかけては全て茶屋や立ち食いの蕎麦屋等で埋められている。

 

 それら、店の内の一つ。そこから、喧騒が聞こえてくる。

 

 屋敷へと向けていた足をその店へ向け、歩みを早める騎士。

 

 そこには丁寧に仕立てられた服を着た少女と、粗野な出で立ちの男が二人。

 

 ああ、またか。

 

 騎士は何が起こったかほぼ正確に把握した。

 この町が発展してからと言う物の、金持ち相手の騒動が後を絶たない。

 

 それは輝夜姫という強い光の陰であり、避けようも無ければ逃れようも無い事であった。

 騎士は、それを身を持って知っている。

 

 だが、だからこそ。

 

 きりの無い事であるのは百も承知で、見つけ次第騎士は首を突っ込んでいる。 

 "家族"から出る闇を、一時的にでも己の光で払えるならばと。

 

 粗野な出で立ちの男らの中の一人。

 その肩を軽く叩く。

 

「ああ?何だァテメェは?」

 

 少しばかりの訛りを覗かせながら、振り返るその男。

 

 店先で怯えていた店主は、騎士を見ると安心したように店の品を作り出す。

 そして遠巻きに眺めていた者達も、興味を失ったように散って行った。

 最早彼らはこれからどうなるか知っている。

 

 所謂、めでたしめでたし、と言う奴だ。

 

 青黒い殴打痕を一つずつ作り出し、寝そべる男二人。

 

 それを創り出した本人である騎士は、緊張の糸が切れたように泣きじゃくる少女の頭を撫でる。

 

 生憎口が訊けぬ上に、それでなくても口下手な騎士である。

 己の親がしていたように、こうする以外子供を慰める方法を知らない。

 

「……あの、痛いです」

 

 どうやら、力加減をも間違えてしまったらしい。

 すまないと、頭を下げる騎士。

 

 自分は戦う事以外には、子供の頭もまともに撫でられないのか。

 

 騎士は内心落ち込むが、やっと泣き止んだ少女をまた泣かす事の無いよう、面に出さない。

 

 しかし、良かった。子供が悲しみで泣いていてはならないのだ。

 

「えっと、ありがとうございます」

 

 少女が礼を言う。

 気にする事は無い、というように騎士は首を振った。

 

 しかし、少女は何故こんなところに居るのだろうか。

 身なりが整っている所を見ると、良い所の嬢様のように見える。

 だが、幾ら町が整ってきたとはいえ、輝夜姫によって発展したような物。

 それこそ、輝夜姫に会いに来た者の子でも無ければ、このような町には居ないはずなのだが。

 

 すると、列から一人の男が飛び出し、こちらへと歩み寄ってくる。

 

 その男を見ると、少女は駆け寄った。

 そして男は駆け寄る少女を抱き抱え、自らの目線に合わせるよう持ち上げる。

 二人の顔には、一様に笑顔が浮かんでいた。

 

「お父様!」

 

 列から出て来た男は、少女の父親らしい。

 子持ちの男が年端も往かない輝夜に懸想している事に、改めてため息をつき。

 そして、己の情欲よりも子の事を優先するこの男の性根に、少しばかりの好感を抱く。

 

 少女の父は先ほどの顛末を少女から聞くと、少女を降ろし、騎士の元へと歩み寄る。

 

「いやはや、我の娘を悪漢共から助けて下さったそうですな。

 あなたが居なければ娘もどうなっていた事か……」

 

 自分で言ってそうなった時の情景を想像したのか、少女の父は蒼褪める。

 そして思い至ったように、顔を蒼褪めながら騎士を誘う。

 

「そうだ、良ければ我が屋敷に来て下さいますかな?

 ただ言葉のみでの礼など、藤原の名が泣くという物」

 

 しかし、仮にも少女の父は列に並んでいたはずだ。

 それはいいのだろうか。

 

 騎士は列を指差すと、少女の父は騎士の言わんとしたい事を悟る。

 

「ああ、今日はいいのです。どうせ、会えるかどうかも解らんのですから。

 いや、そりゃあまあ、輝くように美しいとされる輝夜の姫を見たいのですがなぁ。

 会えるか分からぬ娘子よりも、今いる己の娘が先なのが親と言う物ですからな!」

 

「そう言う事言ってお父様は、また明日になったら並ぶ癖に」

 

 照れ隠しのように親の腹を抓る少女の顔は、柔らかい笑顔を浮かべていて。

 同じように、父親も慈しみの篭った目を娘に注いでいる。

 老夫婦の浮かべる笑顔や、子供たちの浮かべる笑顔と同質の、暖かい物だった。

 

 騎士は、無性に寂しくなった。

 

 

 老夫婦に、今日は遅れて帰る旨を伝え、騎士は少女の父の屋敷に招かれた。

 

 豪勢な料理と酒を振舞われたが、騎士の印象に残っていない。

 矢継ぎ早に繰り出される少女の父の娘自慢が、眩しかったからだろう。

 

 少女の父は己の話を肴に、どんどんと酒を飲んでいく。

 

 ついには酒精が強くも無い酒で、空も紫色であるというのに酔い潰れてしまった。

 

 少女の父が酔い潰れ、布を掛け、帰ろうとした頃。

 

 少女が、襖から顔を出してきた。

 

 何か、言いたげな表情である。

 

 騎士は、諏訪の緑髪の青年を思い出した。

 少女もまた、抱えている何かを吐き出したいのだろうか。

 

 双方、示し合わせたように、眠る少女の父を見やる。

 

 そのまま、少女が呟き出す。

 本来は父に言いたくて、だけれども言えない何かを。

 

「この屋敷、大きいでしょう?

 父も言っていましたが、父は藤原の者なんです」

 

 藤原。

 

 それは、今天皇をも凌駕しようという権力を持つ者共だった。

 しかし、少女は姓自慢をしたいような口調では無い。

 

「私は、拾われ子なんです。

 父の、別に持っている屋敷の前に置いていかれていたそうです」

 

「私は、父に感謝しています。

 拾われ子でも、偽りの無い愛を注いでくれているのですから」

 

「子供の頃は、気にしていませんでした。

 父は愛してくれている。それだけで父に愛されている誇りを持てた」

 

 でも。

 

 そう言葉を切る彼女は、血を吐くような顔で言葉を吐き出し続ける。

 

「成長するたびに、私は父と血が繋がっていない事が浮き彫りになっていくんです。

 顔立ちは父と違って丸くは無いし、髪の質も違うし、肌も父より白くなっていくし。

 唯一似ている所と言えば、髪が黒い事くらいでしょうか」

 

 つらつらと、よどみなく呟いていく少女。

 どれだけ思い悩み、自分の中で上げ連ねれば、ここまでよどみなく言えるのだろうか。

 今日初めて会った者にも吐き出す程、溜め込んで居たと言うのに。

 

「父がどんな人を愛そうと、別にいいんです。

 私も、父には幸せになってもらいたい」

 

 だけど。

 

 そこまでいうと、少女から堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 否。本当に溢れているのは言葉では無い。

 溜め込み、澱み切った感情の塊だ。

 言葉と言う水気すら欠乏した感情が、硬く固まって零れ落ちる。

 

「父が、他の人を愛して、私を愛さない様になったら。

 これまで注いでくれていた愛情を、他の人に注ぐようになったら。

 そうしたら、私は何を支えに生きればいいのでしょう。

 ただ唯一私を彩っていた父の愛すら無くなったら、私に何の色が残るでしょう。

 色の無い生に、何の意味が有りましょうか。

 物言わぬ草木すら、色を持っているというのに」

 

 燈籠は、赤白く辺りを照らし。

 夜闇は、黒く辺りを包み。

 少女は、その顔から色味が抜けていくようだった。

 

 最早、少女は父を見てはいない。

 夜闇を見つめている。

 だから、少女は気付いていない。

 

 騎士は、席を立った。

 

 眠っていたはずの少女の父に、涙が溜まっているのを見たからだ。

 

 自分の役割は、終わったのだ。

 

 帰路に就く騎士の周りは、暗闇が包み込んでいる。

 

 騎士の周りの黒だけ、色々な絵の具を塗りたくり過ぎて黒くなってしまったような。

 

 そんな色をしていた。


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