とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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乖離現象

「この前の任務で抹殺命令だしたでしょ? その依頼人がやっぱりヤバい奴でさー」

 

いつもならこんなの聞き流したって暗記できる。なのに今、それが出来ない。指が震える。

 

怖い、怖い。

 

人間でいられた時が終わりに近づくのが、とても怖くて。

 

この電話一つで、私は闇の中に沈む化け物なのだと思い知らされた。

 

「麦野、お前まさか」

 

「ごめん。ごめんね上条」

 

携帯を遠くに置き出来るだけ音声を入れないようにする。ついでにゆっくりと離れると腕を掴まれた。

 

暖かくて優しい、力強い腕に気づけば抱かれていた。

 

「行くな。お前には人殺しをさせたくない」

 

「……なら、上条は私の為に血を被ってくれる? 人を殺せる? 吐き気がしなくなるくらい死体を見れる? …………仲間が裏切ったら躊躇なく殺せるの?」

 

無感情に凍えた麦野の声に上条は呼吸が止まった。平坦に紡がれた言葉の中身は余りにも残酷で、最後の一文にはまた別質の感情が覗いていた。

 

裏切られた事がある。仲間に。生きるか死ぬかの世界だ情報提供どころか、背中を刺されたのかもしれない。

 

今まで感じてきた疑問が上条の中で確証に変わる。

 

麦野沈利という少女は、どこか人を人として認識したくないように思えた。ならば、一緒に闇を駆け抜けてきた『アイテム』のメンバーはなんだったのか。

 

道具(アイテム)。つまり麦野の中で彼女たちは、喋る機材で自立している便利な仕事道具に過ぎなかった。

 

そう思わなければ、思い込まなければいざと言う時、麦野は動けなくなくなってしまう。

 

部隊の頭が生きていれば、再編は可能。冷徹で怜悧な思考はどれほど少女を追い詰めたことか。

 

それを想像して、上条の内側に熱い何かがこみ上げる。

 

「俺には出来ない、だけど!」

 

「ごめんね上条。そうだよね。だってあんたは」

 

麦野は上条を腕の中からすり抜け逆に上条を抱き締めた。

 

そして、一言を噛み締めながら耳元で囁いた。

 

「優しすぎるんだ」

 

「ァガ!?」

 

肉を強く打つ音が上条の鼓膜と頭を揺らした。意識が霧散して行く。

 

麦野は上条を気絶させ、ソファに寝かせると携帯を手に取り玄関まで歩き始めた。

 

「場所はどこだ?」

 

「こいつと来たらー。やっと終わったか。ねえねぇ、さっきの男の声って」

 

「場所はどこだ?」

 

感情がすっぽりと抜け落ちた声に電話の女は口を噤んだ。何時もの麦野なら烈火の如く怒り狂ってもおかしくはない。もし初めて麦野と話す者だったら深く言及しただろうが、そこそこ付き合いのある女は電話口で冷や汗をかいた。

 

あまりの異常事態に女は唇が震えていた。

 

麦野はもう怒っているだとかそんな問題じゃない所まで感情が揺れている。

 

自然と感じられる殺気の塊に女は、喉元にナイフを押しつけられたような感覚に陥った。

 

だから女は麦野の欲求に静かに答えるしかない。

 

「第17学区よ。詳しい地理はメールで知らせる。今回の仕事内容もね」

 

それだけ伝えると、前置きなしに通話が切れた。その時、嫌な汗が噴き出す。

 

たったあれだけの会話で、心臓が凍りつくかと思った。部屋で一人、深呼吸をした。酸素が萎縮した身体を徐々に解すのを感じ、前髪をかき上げる。

 

女は深く椅子に座ると黙々とメールを製作し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

麦野は一人で暗部が仕様する車に乗り第17学区を目指していた。運転手は一言も話さず、無言と静寂が重苦しく支配する。

 

その中、麦野は携帯の液晶画面の文字をスクロールさせ、文を読み進めていた。

 

内容は、一部の暗部組織が“とある事”に備えて秘密裏に機材を集めて何かを作っているらしい。

 

詳しいことがぼかされているのは、それが暗部よりも恐ろしい闇の一端があることを示唆していた。

 

ならば、相手のやろうとしている事に深入りしない方がいいと麦野は思った。知れば学園都市の全てを敵に回す事になるだろう。

 

そうなれば、幾らLEVEL5だろうが第四位であろうが関係ない。学園都市の闇に貢献してきたことも無かった事にされ、あっさりと殺される。

 

タダで死んでやる気は毛頭ないが、先ず生き残る事は不可能だ。

 

だからこそ、麦野はこんな暗闇の中に埋もれるしかない。

 

「停めろ」

 

短く命令すると男は急いで車を停止させた。

 

麦野は降りるとそのまま研究所のような所に入る。

 

殆どが全自動の機械で溢れたこの学区には殆ど人などいない。その中で煌々と光を放つ場所は否が応でも目立った。

 

白い壁に囲まれた世界に静かに靴音が響く。

 

真っ直ぐの廊下を進んだ先には両手押しの扉が鎮座していた。

 

それを麦野は〈原子崩し〉の一撃で融解する。オレンジ色に溶けた穴に麦野は悠々と入る。一瞬だけ熱い空気が出迎えた。

 

抜けた先の広い空間には男が二人唖然として固まっている。麦野はその内の一人に無表情で〈原子崩し〉の光閃を撃った。

 

跡形も残らず消え去った仲間に残された男は腰を抜かし、助けを求めようとする前に、腹を蹴られた。

 

「グエッ!」

 

「さぁて、取り敢えずリーダーどこかしら? 下らない抵抗したら四肢のどれか焼き切るぞ」

 

「た、助けてぇ!!」

 

「はははははははははは! 助けてなんて暗部の奴なら言わないだろ。………リーダーはどこに居るの?」

 

その問いに男はガチガチと歯を鳴らす。恐怖が舌を強ばらせた。

 

「お、お俺達下っ端、に……聞くなよ」

 

「あっそ」

 

突き放したような言葉と同時に男の上半身が消え去った。悲鳴や絶叫は発せられる暇さえない。

 

無感情に人を殺し。人の命にとことん無関心になった麦野は亡霊のように歩き出した。愉しめない。命を貪り食い散らかし、残虐の限りを尽くしたって。相手がいっそのこと殺してくれと懇願するまで甚振っても、今の自分はこの状況を悦べない。

 

なぜだ、と余裕のある思考が今の自分の状態を鑑みた。

 

どうして、と疑問が沸き起こり答えを探す。

 

いつもいつも、血と怨嗟と恐怖と死をかっ喰らってきた“麦野”が出てこない。スイッチを入れるよりもあっさりと出現していたアイツが何処にもいない。獲物の死による開放感を悦とした己が、化け物の己が、なぜ何時までも“人間”なのだ。

 

釈然としない。理解できない。

 

訳の分からない袋小路に麦野は頭から突っ込んでいた。

 

吐き気がする。肉の焼けた、血生臭い臭いが肺腑を抉る。

 

「っ!」

 

頭をかち割られたように痛い。

 

何かが自分の中で蠢く。

 

――……あっははははははは! 殺せよ! 狩られるだけの家畜に情でも湧いたか? あの野郎に絆されて温くなりやがってよ売女ぁ!?

 

…………違う!

 

――愉快に尻振りやがって、それでも暗部に君臨した女王様かよ? 実は人を殺したくない乙女だなんて、……言えねぇよなぁ? 何人殺した? 思い出せる?

 

……黙れッ!

 

壁を殴りつけても脳を引っ掻き回される痛みは一向に晴れない。か細い呼吸音を繰り返しながら麦野は奥に進んでいった。

 

視界の中で通路はぐにゃぐにゃと歪み、闇は穿孔したようだった。

 

戻れない道に進んでいく。

 

――なぁ、早く私に喰われろ。そしたら楽になるさ。痛くて苦しいでしょう?

 

…………なんなのよアンタ?

 

――酷いわね。忘れたの? いや、アンタのせいじゃないか。お前が“人間”で有るために切り離された    だよ

 

……なに? 聞こえないけど

 

――アァ! ったく面倒臭いことしやがって。こんなとこまで制限すんのかよ! 忌々しい奴だ

 

………何で私の中にアンタが居るの?

 

――それはお前が思い出せ。でないと私は外に出られないもの。それじゃなきゃ早く喰われろ

 

………本当にさっきからそればかりね

 

震える手で手すりを掴みゆっくりと麦野は階段を下りた。地下に繋がる道は次第に暗くなっていく。

 

自分の中身に問いかけるのと、階段を下る作業を平行させるとは、今の麦野には至難で、自ずと歩みが止まりがちになってしまった。

 

どうにか最後まで降りるとロボットを製造する為の機材が収容された部屋についた。

 

――ん? ちょっと借りるぞ

 

「!?」

 

身体が勝手に右に跳ねた。すぐ後ろの壁が鋭い音を鳴らし火花を散らす。

 

銃弾だと理解する前に麦野は機材の後ろに身を滑り込ませた。

 

――三人か……

 

……確かにそうね

 

立て続けに連発される弾丸の感覚は複数人のもので、麦野はそう簡単に物陰から出られなくなった。

 

――身体を貸せ。全員殺せばいいんだろ?

 

………二度と身体が戻ってこなさそうだから却下

 

銃弾の量が減ったのを感じ、麦野は〈原子崩し〉を四方八方にぶち撒けた。広範囲を殲滅させた光の軌道後は金属はドロドロに溶け、見た者を畏縮させる。

 

「あが、…ぁがぁぁああああああ!!!」

 

「ゴォァアアアアアアアア!!!」

 

――下手くそ。一発で三人くらい仕留めろ。テメエの精神だけには介入出来ないんだ。身体を少しだけ貸せ

 

…………断る

 

――はぁ? 非効率なんだよテメエは指くわえて見てろ!

 

それは今のお前の状況だ、と言いたかったが麦野はその言葉を飲み込む。言ったら絶対に面倒な事になる。

 

なかなかどうして、恐らくもう一人の自分とは、根本が違う気がした。

 

――今、失礼なこと思わなかった?

 

………何もないけど

 

それだけ言うと麦野は闇を走り出す。直ぐさま銃弾が壁や床を削った。最後の一人は既に狙いを麦野に定めているらしい。

 

――だとすれば、次に来るのは、

 

……火力のデカい重火器か砲撃!

 

麦野は物陰から走り出す。

 

機械を運ぶベルトコンベアに沿った一直線をひたすら駆け抜ける。赤外線でロックオンされたら避ける事は不可能。迎撃するにしても、最悪のコンディションでは無謀と言っても差し支えない。

 

相手は銃を乱射してこない。それでも走り続けていると麦野の直ぐ後ろで爆発が起きた。

 

一瞬間、麦野の意識は吹き飛ぶ。

 

「ぐぁっ!」

 

熱風と爆風に煽られ宙を舞う。シャレにならない衝撃波に肺の空気が全て押し出され、床を無様に転がった。瓦礫が落ちていたらしく彼女の肉を歪に引き裂く。

 

それでも心のどこかで赤外線でなかった事を感謝した。

 

「く、そがぁ!」

 

莫大な光量の塊を打ち上げる。

 

真っ暗闇が目を開けることが出来ないくらいの光で押し潰され、そして照らし出された狙撃者は武器を捨てて逃げ出した。

 

「逃がせねぇぞぉぉ!! テメエは私が上下左右にきちんと引き裂いてやるからよぉッ!!!」

 

迸ったのは怒りか、それとも〈原子崩し〉の極光か。―――若しくは、

 

「あはっ! ははは、あっははははははははははははははははははははははひゃはははははははははははははははははははははは!!!!!!」

 

人と形容するにはあまりにも暴虐な魔物か。

 

「ぎゃあああああぁぁあああ! がががぁぁぁあああああ!!」

 

「あー、やっぱり精神にだけは手を出せなかったか。でも、手に入れた」

 

身体の機能を確かめるように彼女は指を腕を肩を脚を動かした。引き裂くような笑みを刻む。

 

血に酔い、悲鳴に陶酔し、死を悦ぶ。

 

なにより、ソレは自由を手に入れた。縛られないとは、どんな殺戮よりも甘美な響きではないか。心地よい状況ではないか。

 

この感情を伝えられる者が存在しないのが、少し残念ではあるが、ソレはもう気にもしない。

 

「麦野、お前の感情がここまで不安定じゃなかったら乗っ取れなかった。だから、感謝してる」

 

人間の心では抑えきれないモノは陰惨に、無慈悲に嗤う。死亡宣告とも言うべきものを宿主に叩きつけるために。

 

「お前は一生、そこに居ろ。そして私が喰い殺す!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かみじょう風邪引くよ」

 

「ウニ頭、ソファで超寝ちゃったんですか?」

 

お風呂から上がった二人は麦野を探してリビングまで来たが、居たのはソファに転がっていた上条当麻一人だけだった。

 

「起こさないと……」

 

「超任せて下さい。…とうっ!」

 

「ぐぼっ!」

 

「ふはははは! 超起きろ!」

 

「この絹旗! 二度も人の腹に突進しやがってぇ!」

 

病院と同じ起こし方に上条は激怒したが、

 

「ッ麦野!」

 

「うわぁ!」

 

上条は血相を変えて飛び起きた。

 

絹旗はバランスを崩しソファに尻餅をつくが、上条は気にしていられない様子で玄関に走り出した。

 

「待って!」

 

それを滝壺が追う。

 

咄嗟に上条の腕を掴み振り向かせると滝壺は彼の瞳を見据えた。

 

「落ち着いてかみじょう。………むぎのに何があったの?」

 

「麦野はたぶん、暗部の仕事ってやつをしに行った……」

 

「……むぎの」

 

上条の答えに滝壺は力が抜けた。彼女にしては珍しく驚愕の表情を見せる。

 

「第17学区だってとこまで聞いた。だから迎えに行かないと、麦野は」

 

「待って、今調べるから」

 

滝壺はそれだけ言うと携帯を取り出し素早くボタンを押した。そしてワンコールで出た人に矢継ぎ早に問う。

 

「『アイテム』正規メンバーの滝壺理后。リーダーむぎのを第17学区に連れて行った人は誰?」

 

「それなら、―――」

 

電話番号まで聞き出し滝壺は次にその男に電話をする。

 

出た奴に一言二言告げると携帯を閉じて滝壺は靴を履いた。Tシャツに短パンというラフな格好だが、気にしない。と言うより暑い日ならこんな感じだ。

 

「行こうかみじょう」

 

「絹旗にフレンダはどうする?」

 

「それなら超ご心配なく」

 

「バッチリ聞いてた訳よ。滝壺、こっちはこっちのやり方で麦野を探すから、滝壺に上条、よろしくね」

 

「うん。任せて」

 

「大丈夫だ。連れて帰ってくる」

 

夜の闇に飛び出した二人を見送り、フレンダは携帯を開き電話帳を開く。

 

いつも仕事を回してくる女に電話を入れる。しかし、

 

お掛けになった電話番号はただいま電波の届かない所にいるか―――

 

「結局、役立たずな奴!」

 

「もっと別の誰かに電話しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「シケてんな。最近の奴は歯応えがねえ」

 

返り血を浴びた栗色の髪をしたソレは死体の海に佇んでいた。真っ白で統一された部屋は大量の赤や赤黒い何かで斑に染められている。

 

誰だか知らないが、転がった生首を蹴って壁に激突させ、また赤い領域を増やした。特濃の鉄と肉の臭いが立ち込める。

 

「ふふふ、あはははは!」

 

「やぁ、愉しいかい“原子崩し”?」

 

間延びした声が彼女の鼓膜に絡みつく。その声は聞き覚えがあった。

 

工業分野ではよく会った人物の声だ。ソレはこの女が嫌いだった。羊の皮を被った狼、そう思った。ニコニコ笑顔を振りまきながら、この惨劇に似合う死臭を纏うこの女が不気味で気持ち悪かった。

 

生理的嫌悪感からソレは牙を向く。

 

「なんだ、やっぱりこっちの住人かよ本名不詳(コードエラー)

 

「あっは! そうだよ。ねぇ、気分はどう?」

 

ソレに臆さない本名不詳は、また一歩惨状に足を踏み入れた。

 

「最高だ」

 

「そう。ねぇ“原子崩し”君の能力を使った新しい方式が見つかったんだ。試してみない?」

 

紅を引いていない割に赤い唇が蠱惑的に囁く。

 

「へぇ、それのうま味はなによ?」

 

「0次元の極点。宇宙の果てからも物を手元に呼び寄せ、気に入らないモノはその果てに飛ばす方式さ。面白いでしょ?」

 

ニンマリと笑う本名不詳とは対照的に原子崩しは獰猛に笑ってみせる。

 

嫌悪感は捨て切れないが、それよりもタノシソウでもっとオモシロソウな話に乗ることにした。

 

「いいねぇ。教えてよ」

 

「ならついて来てよ。教えて上げる」

 

血臭の溢れた部屋から本名不詳は出て行く。原子崩しはその後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

男はうんざりしていた。麦野沈利を第17学区まで送り届け、後は家で寝ようかと思っていた時に同じ『アイテム』メンバーの一人に車を出すように頼まれたのだから。

 

それも指名理由がリーダーの行った場所を知っている、というだけである。

 

ならば本人に確認するなり、上の人間に今回の仕事の場所が何処なり聞くのが普通なのだが、今回はこの普通が活かされなかった。

 

「むぎのが行った所までお願い」

 

しかし自分は下っ端だ。逆らったら即厳罰。だから男は車を走らせる他ない。

 

信号を確認して右折する。その時、黒塗りで光沢のある高級車が通り過ぎた。あまり見掛けない車を気にとめつつ男はアクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広々とした車内には女が二人座っていた。一人は黒く艶のある髪を高い位置で結い、狂気に滲む瞳は静かに目の前の血染めの女に注がれていた。

 

そして渡した資料を読み終えた彼女、麦野沈利の内より産み出された怪物はそれよりもさらに歪んだ狂気を持って笑う。

 

「いいわねコレ。凄く面白いじゃない。私の能力もこんな応用が出来るんだ」

 

「それについては原子崩し、君に謝らないとね」

 

本名不詳(コードエラー)は含みを持たせて囁いた。原子崩しは早く言えと睨む。

 

急かす原子崩しを焦らしたいが、こんな狭い空間で相手の能力を使われると危ないので、本名不詳は話し始める。

 

「君の能力は本来ならば、汎用性に優れている筈なんだ。量子論を無視しているなら新たな理論が出て来る訳だ。しかし今の学園都市でもその理論発掘は不可能。君は産まれてくるには早すぎた」

 

「でも、アンタの口振りだと少なくとも新たな理論の一端には触れいてる。違う?」

 

「御明察。それこそ不肖不出来のこの私と違いその0次元の極点を見つけた親戚のおかげで、さらなる飛躍された理論を導いのさ」

 

アンタが見つけたんじゃないんだ……、と口の中で呟いた原子崩しはまた資料に目を通した。これを解析すれば自分が三次元の全てを掌握できる。

 

その事実が原子崩しの背筋をゾクゾクさせた。未知の世界を行使する程の力が手に入ると思うと笑いが止まらないくらいだ。

 

「ふふふ、全ての電子を操るだけじゃない!」

 

「そう、もし成功したなら第三位くらい、いや今の君なら本当に瞬殺だね。あと、君さ曖昧の形の電子をもう“射出するだけ”じゃないはずだ」

 

断定した言葉に原子崩しは妖艶さを孕ませた艶やかな笑みを浮かべる。

 

電子を曖昧な形のまま、という所は変わらないが射出以外の仕様方法があるらしい。

 

本名不詳はそれを見抜いていた。

 

「物質を曖昧な形に出来ると思うんだが、違う?全ての物質に含まれる電子。その電子を曖昧にさせれば恐らく物質は崩壊する。ミクロ単位であらゆる物を繋ぎ合わせる支えが消えたんだ、当たり前の結果なはず」

 

「出来る。それはもう実証済み。でも人間や生き物みたいに電子が一秒間で多種多様に変わる生物には難しいわね。時間がかかったわ。能力者同士だったり多対一には向かないのは事実よ」

 

返り血がついた頬を撫でる。すっかり乾いた血は剥がれ落ち細かい粒になって消えていった。

 

「でもあの部屋に死体は四つも転がってたよ。多対一に向かない割にはよくその方法で殺せたね?」

 

「よくその方法で殺したって分かったわね」

 

苦い表情をした本名不詳は惨劇の舞台を思い出す。

 

あれはまさしく死の世界だった。

 

服は敗れていない。しかし着ていた人間は摺り潰された、あるいは臓腑をぶち撒けていた。破裂したように肉と血が広範囲に部屋を汚し赤黒い腸や胃は散乱して、普通の死に方ではない。

 

〈原子崩し〉の一撃にしては肉と血が焼けた異臭なかった。ただ鉄の濃厚な臭いがしていた世界。あまりにもグロテスクだった。

 

思い出しただけで胃の中が気持ち悪い。

 

「そんな殺し方じゃなかったし、なにより皮膚が見当たらなかった。原子崩し、アンタが消したのは表面と血管の部分と筋肉だと思ってね」

 

「正解。一人そんなふうに死んだらみんな発狂したりして楽しかった!」

 

命を指先一つで破裂させる彼女にとっては遊びかも知れないが、その他の者からすればはっきりいって迷惑以前に恐ろしい。

 

〈原子崩し〉の極光と違い目に見えない所でプチプチと細胞が殺され、末に風船のように破裂して死ぬなんて真っ平御免だ。

 

「まぁ、アレだ。癌細胞の消滅だとかに使えそうよね?」

 

「そうね。でも私が人助けなんて嫌よ」

 

「科学の進歩は同時に医療の進歩だ。その能力くらい提供しなよ」

 

物は考えよう。そんな使い方も出来るが、本人は嫌だと言う。エグい殺し方に使うより遥かに優良な使用法だと思うのだが、誠に残念だ。

 

しかし原子崩しの意識はすでに別の所にあった。

 

「それより、お風呂に入りたい」

 

「服はどうする?」

 

「バスローブくらいあるでしょう。それを貸せ」

 

相も変わらず傍若無人な彼女に本名不詳の頬が痙攣する。自分の大概、好き勝手にやっているがここまで厚かましいとは、思っていない。

 

憤りを押し殺し独白した。

 

「とんでもない人拾ったよ」

 

「0次元を解析し終えるまで帰らないから」

 

「は? いやいやいや、帰れ不肖不出来のこの私の身体と精神が持たないから!」

 

「いいでしょ。どうせ本名不詳が世話するんじゃなくてメイドとかにやらせれば」

 

もうどうにでもなれと彼女は思った。

 

それより、

 

「何で私がメイド雇ってるの知ってるんだい?」

 

「運転手と執事(バトラー)がいるのにメイドがいない訳ないでしょう」

 

彼女を迎えに来るとき連れてきた面々を思い出し本名不詳は唸った。このように豪壮にしていると目立つが検問などで深く探りが入れられないのが特なのだ。今回は血塗れの女を連れている訳だし一般車より安全で安心。

 

カモフラージュを含めたのだが、原子崩しを居座らせるくらいの余裕を与えてしまった。安全面を考慮して、足元を見なかった結果に本名不詳は頭を抱える。だが、原子崩しを振り切るだけの力があっても、その後の事を考えればこのまま連れて行くのが得策か。

 

決断を自身の中で下した本名不詳は、原子崩しにささやかな疑問を問う。

 

「君、執事をバトラーって読んだよね?………どんな家柄の出身なのさ」

 

「一般家庭よ。それよりアンタの家、家令とかいるの?」

 

嘘付け! と怒鳴りたくなった。一般家庭なら間違いなく執事は“しつじ”と読む。そして家政婦を雇える程度の裕福さで育ったなら家令なんて知らないはずだ。

 

彼女はとてつもない豪奢な暮らしをしてきたらしい。

 

「一応いるよ」

 

「懐かしいわね。家にいた頃を思い出すわ」

 

「世話係だったの?」

 

「そうよ。ピアノとかやらされた記憶が蘇る」

 

「上流階級の子供の嗜みだね。ご苦労サマ」

 

「ま、全部簡単過ぎてつまらなかったんだけどね」

 

「……………」

 

だから天才は嫌いなんだと本名不詳は毒づいた。可愛げの欠片もない。

 

得意になってふんぞり返った子供ほど小憎たらしい存在はいないものだ。

 

「実験は明日からね。今日は寝なさい」

 

「疲れたしそうさしてもらう」

 

スモークガラスの向こう側を見詰めながら原子崩しは嗤う。

 

この忌々しい地位を脱ぎ捨てる時がきた事に彼女は歓喜していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上条と滝壺はひたすら走っていた。研究所の中は驚くほど静かで、不安にさせる。

 

もう麦野は去ったのではないのかと。

 

「これは!」

 

「うん、むぎのの〈原子崩し〉の痕だよ」

 

床を溶かした痕が深々と刻まれていた。その近くに上半身を無くした死体が転がっている。

 

吐き出したくなる衝動と、あの時無様に気絶させられた自分の不甲斐なさに上条は強く手を握り締めた。

 

その死体に滝壺が近づき様子をマジマジと観察する。止めに入りたいが意味のある行動のため上条はそこから一歩も動けなかった。

 

「むぎのはもういない」

 

彼女が唐突に呟き携帯を手に取る。

 

「そんなに………時間経ってたのか?」

 

「うん、それに…やっぱり静かすぎる」

 

滝壺の言うとおり、無音すぎて耳が痛いくらいだ。麦野が交戦しているなら轟音程度じゃすまさない。

 

滝壺は指を走らせ電話をした。

 

「きぬはた、遅かったみたい居ないよ。むぎの帰ってきた?」

 

『いえ、超まだです。電話の女は出ないし麦野も出ない。どうしましょう滝壺さん?』

 

切羽詰まった状態なのだろう。電話口の絹旗はすっかり弱腰になっていた。

 

「体晶が、あれば」

 

苦しそうに滝壺が呟く。絹旗も歯切れ悪く答えた。

 

『麦野が管理してますし、私としては超反対です。一日だけ待ちましょう。麦野がひょっこり帰って来るかもしれないじないですか』

 

「うん、一度帰ってくるね」

 

電話を切ると滝壺は立ち上がった。

 

「一度、帰るしかないか」

 

「うん、かみじょう明日学校でしょう? 寮まで送るよ」

 

「なに言ってんだ滝壺。そんなこと言ってる場合じゃないんだぞ」

 

「分かってないのはかみじょうだよ。………暗部の問題をかみじょうに押し付けられない。明日から私達だけでむぎのを探す」

 

決別の意をはっきり込めた滝壺の言葉は上条の意志を的確に抉った。

 

「でも、滝壺!」

 

「かみじょう、むぎのを探した結果とんでもない事になったら、私達かみじょうを守れない。そしたらむぎのに合わせる顔がないの」

 

彼女は上条が傷つく事も言っているが、一番言いたいのは表の人間でいられる社会的地位が揺らぐ事を恐れていた。

 

だから滝壺は上条を突き放すしかない。

 

「もし、それでも探すなら、かみじょうは泥の海に沈む事になる。そんなのダメ」

 

その言葉は滝壺だからこんなにも心を揺らすのだろう。暗部の闇に沈む事を望まなかった彼女だからこそ、上条の決断を鈍らせる。

 

何も言えないまま時間だけが過ぎた。

 

「ごめんね。意地悪なこと言って。でもむぎのを探してくれて、ありがとう」

 

「滝壺は俺を心配してくれたんだ意地悪じゃない。俺が何も考えてなかったから……」

 

「そんなかみじょうだから、むぎのは貴方を好きになったんだよ」

 

「え?」

 

不意を衝く滝壺の一言に上条は理解するまで時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰った本名不詳(コードエラー)只管(ひたすら)パソコンのキーを弾きながら電話をしていた。

 

相手は最近よくやり取りをしている上司、と言うよりこの街の最高権力者だった。

 

「はぁ、なんつーの?原子崩しの能力で次元を斬り裂く事は可能だ。それでさ、未元物質(ダークマター)を中心にLEVEL6に辿り着く理論を考えた訳だが」

 

あくまで仮説を語る本名不詳に、男の声でもあり、女の声でもあるそれが質問する。

 

『なにか、進展はあったかい?』

 

「大雑把に言うと、LEVEL6になる為には6次元を掌握しなければならない。未元物質(ダークマター)の能力は“この世界”に無い物を具現化させること。でも無から有の製造は不可。で、一番可能性のある理論は6次元からの召喚だ」

 

電話口から少しだけ考えるような呟きが聞こえた。

 

本名不詳はさらに続ける。

 

「未元物質は既にLEVEL6の片鱗は掴んでいる。もちろんそれを“反射”できる一方通行(アクセラレータ)もだ。LEVEL5のこの二人だけ別次元と言われているのは、まさに感じてる世界観と常識が違うからさ。6次元から見た3次元は“1次元”になる。上位二人からしたら、いくらLEVEL5だからと言ってもまだまだ人間の範疇さ」

 

『君の推測は、面白い』

 

「発想の勝利ってやつだろ。第一位が6次元のベクトルの精髄を統べる者、第二位が6次元の物質の精髄を掌握した者、そして成長した第四位は、6次元の次元を制する者になる。6次元=“神の世界”ならば……」

 

『6次元を理解した者はLEVEL6、若しくはそれ以上……』

 

会話が途切れた。

 

荒唐無稽と言えばここまで荒唐無稽な話はないだろう。だがそこに魅入られれば、一筋の希望を信じたくなってしまう。

 

いや、本名不詳の場合はもう実行するつもりだ。

 

「上位の次元を引きずり降ろせる“鍵”は手に入れた。そして私は彼女を必ず神の世界まで押し上げる」

 

『出来るのかい?』

 

その問いに本名不詳は力強く答えた。揺るがぬ芯をを持って。

 

「やってやるさ。不肖不出来のこの私に足りない物は多いが、補えば不可能ではない。そして麦野沈利は“神の世界に辿り着く者”から“神に辿り着く者”にする。時間が無いのは分かっているが、時間はかけさせてもらうよアレイスター」

 

『やってみるといい。新たな可能性の芽を枯れさせないようにしてくれ。実現したなら彼女は第一候補(メインプラン)になる』

 

「今の第一候補(メインプラン)はそしたらどうなるのさ?第二候補(スペアプラン)になるの?」

 

『いや、第一候補のままだ』

 

「今の第二候補は?」

 

『そのままだ』

 

「メイン二つのスペア一つか。垣根の坊やは可哀想だね」

 

可哀想だと微塵も感じさせない本名不詳の声音にアレイスターもどうでもよさそうに言った。

 

『第二候補は私の意思から外れようとする。それが無ければ第一候補にもなったんだがな……』

 

「あらら、じゃ垣根の坊やは自分から墓穴掘ったのか。そこまでいくと哀れだな。それじゃ報告は終了。なにかあったら逐一報告するから、また」

 

電源ボタンを押し通話を切る。

 

そして彼女はいつもの作業に没頭した。能力の成長に必要な事象を調べる為に高速でキーを叩く。

 

繋いだ先は学園都市が誇る最高の機械頭脳だった。

 

 

 

 


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