とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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闇の縁へ誘う者

パァン! と何かが破れる音がした。

 

「おかえりー! そして退院おめでとう」

 

「超退院おめでとうございます!」

 

それはフレンダと絹旗が麦野にクラッカーを向けて紐を引いたからに他ならない。

 

目を白黒している麦野に二人は近寄り家に上がる事を促した。

 

「ほらほら、早くご飯食べようよ」

 

「上条も麦野の為に料理を超作ってるんですから」

 

「いや、ここ私の家よね?鍵は閉めてきたし、なんであんた達家に入ってんの?」

 

麦野の疑問にフレンダは自慢するように答えた。

 

「フフン! 窓の鍵までは閉めてなかった訳よ。そこから入って内側から施錠を外しただけ」

 

「泥棒紛いな事やって誇るなッ!」

 

「イタッ!」

 

勢いよく頭を叩いた麦野はサンダルを脱ぐとフローリングの床にスリッパを出して迷うことなくリビングに向かう。

 

我が家の廊下を歩いていると、魚を焼いているような匂いが麦野の空腹感を刺激した。

 

リビングとキッチンが一体となった部屋を覗く。

 

すると『アイテム』の一人、滝壺と目が合った。

 

「ただいま」

 

「あ、お帰りむぎの。待ってて、鮭が焼けたら食べよう」

 

食器を並べる滝壺は一度手を止めると、出入り口を見る。しかしそこには誰もいなかった。本来なら麦野がそこに居るはずなのだが、麦野は鮭と言う単語に反応してキッチンに走り出した後だった。

 

滝壺はリビングから見えるキッチンを覗き込む。

 

「かーみじょう! 鮭焼いてるってホント?」

 

麦野が上条の背中に抱きつきながら鮭を焼いているであろうグリルを見つめた。

 

「おわ! 今焼いてるぞ。それより麦野ちゃんと手を洗えよ」

 

「はいはーい」

 

軽快な足取りで麦野は手を洗いに行く。上条は鮭の焼き加減を見て、ひっくり返す。

 

その時、滝壺が隣にやってきた。

 

「お皿…終わったよ。ピザ持って行くね?」

 

「あぁ、頼む」

 

「むぎのの胸、柔らかかった?」

 

「ブフォ!? た、た滝壺さんなにをいっているんですの?!」

 

青天の霹靂ともいえる滝壺の発言に上条の口調は、どこかの風紀委員(ジャッジメント)になっていた。正直、似合わない。

 

「私も一度、むぎのに抱かれた事ある。その時とっても柔らかかった」

 

懐かしそうに語る滝壺を目尻に上条は口元を押さえた。

 

もしこの手を外してしまえば、脳内思考が洩れてしまう可能性が十分にある。正直、上条は自身が揺さぶりに強くないことを自覚してた。特に悪意無く聞いてくる滝壺のような相手には、心の声が口から出る結果になる。

 

そして今、聞かれてはマズイことを考えていた。

 

柔らかかったと、上条は思う。しかし麦野本人が聞いたなら百回はぶち殺し確定だ。

 

「かみじょうは、どう思う?」

 

「……これは拷問ですか?」

 

「質問です」

 

真面目な顔で質問すれば真面目な顔で返答してくれた。だが、上条にとってはちっとも嬉しくない。

 

むしろ拷問確定だ。断じて質問なんてものではない。

 

滝壺は上条が答えるまで動かないぞ、と言うようなオーラを出しながら斜め後ろに立っている。背中に注がれる無言の視線がなんだか痛い。

 

針のむしろから脱却したいのと、ちょっとスケベな感想を述べるだけの甘い誘惑に負けて白状した。

 

「柔らかかったです」

 

「なにが?」

 

追加の質問も強制的な声音だった。

 

少し口ごもった後、もう上条の吹っ切れた精神が最後まで口を動かす。

 

「胸、とか。でも全体的に柔らかいと思うぞ。男女差かな? あといい香りがした」

 

「へぇ」

 

「髪なんて細くてサラサラで柔らかいし、麦野って美人だよな。ん、そろそろ焼けたな。えっとグリルは水に浸けとくか?」

 

「うん。その前に歯ぁ食いしばれ、かーみじょぉ!」

 

上条の全身の血がものすごい音を立てて引いた。油の切れた人形のように錆び付いた動きで振り向けば、そこには素敵な笑顔の麦野がいた。天使の微笑なのに、上条が恐怖に蝕まれていく。

 

視界の奥では滝壺はテーブルにピザを置き、サラダをかき混ぜフレンダと絹旗の皿に盛り付けている。三人は我関せずといった具合だ。

 

三人は麦野と行動するにあたってとある事を心がけていた。

 

つまり、触らぬ神に祟り無し。

 

「麦野、これは、その!」

 

殴られる程度なら可愛いものだろう。下手をすれば腕一本もって行かれるかもしれない。

 

必死に弁解をする上条に耳を貸さず麦野は命令を下す。

 

「………食べるわよ」

 

それだけ言うと彼女は何もせずにリビングに向かう。首の皮一枚で繋がった上条はその場にへたり込みたくなったが、焼き鮭を皿に盛って4人の居るテーブルまで運んだ。

 

そして椅子に座ると斜め前の滝壺に囁く。

 

「滝壺、やってくれたな」

 

「私は質問しただけ。はい、サラダ」

 

「サンキュー。ほい、ピザ」

 

変わりにピザを滝壺に渡す。滝壺は受け取ると、ありがとう、と囁きピザを頬張る。

 

「ミートソースパスタが美味しい訳よ!」

 

「上条さんの自信作だからな。ピザは滝壺が作ったんだ」

 

「うん、生地はかみじょうも手伝ってくれた」

 

「超料理ができるんですね」

 

絹旗はサラダをつつきながらしみじみと呟く。

 

「きぬはたもやってみる?」

 

「いいんですか?」

 

「うん、いいよ。ポテトサラダから作ってみよう」

 

滝壺の提案に瞳を輝かせた絹旗は嬉しそうにサラダを食べる。その様子にフレンダはやれやれと言った感じで茶化した。

 

「結局、絹旗は子供な訳よ」

 

「フレンダなんかに超言われたくありません!」

 

「ほら、食事中に喧嘩しないの。フレンダ、私にもパスタ取って」

 

麦野がフレンダに取り皿を渡し、フレンダはパスタを適量盛ると麦野に返した。

 

さっそく麦野はパスタにフォークを差し込む。それから上品に巻き上げると、これまた上品に食べた。その姿を見て上条は彼女が良い家柄のお嬢様なんだと思った。

 

「うん!美味しい。上条は料理もできるの?」

 

「いや、パスタは安売りしてたりするからそれでよく作ってただけだ。レパートリーはそんなに多くないかな?麦野は料理するのか?」

 

「するわよ。外食ばかりだと栄養バランスが偏るから。それに料理を怠ると女は男より悲惨になるものなんだから」

 

それを聞いてフレンダは溜め息をついた。

 

「はぁ…料理をしてないのは私と絹旗だけか……」

 

「今度から私、料理を超やります」

 

「なら、またみんなで食べたいな」

 

上条の言葉に四人は笑顔で頷いた。『アイテム』の皆もこんなに楽しい食事と言うのは初めてかもしれない。ファミレスで集まっても好き勝手に料理を頼んだり、約二名は外から持ち込み同じ料理を食べたという出来事もあった。こうして同じテーブルについて、同じ物をを食べたのは今日が初めてだ。

 

「なら私がその時超作ります!」

 

「私も手伝おうかな」

 

そして雑談に花を咲かせつつ食事をしていた上条は麦野が取り出したボトルが目に止まった。

 

「ふっふっふーん」

 

なにやら嬉しそうに シュワシュワと音が鳴る薄ピンクの液体をグラスに注ぐ。

 

それを見たフレンダが自分もと言わんばかりにコップを差し出す。

 

「フレンダこれジュースじゃなくてシャンパンよ?」

 

「分かってる分かってる。でも飲んでみたい訳よ」

 

「飲むなよ未成年だろ!」

 

「気にしない。気にしたら負けよ」

 

麦野は上条の注意を適当にあしらいフレンダのコップに半分注ぐ。その量にフレンダは不満足に麦野を見た。

 

「先ずは半分。それが駄目ならアンタにはまだ早い。滝壺は酔ったら面倒だし、絹旗なんて論外ね。上条はいる?」

 

「謹慎処分にされたく無いからパス」

 

あっさり断った上条に麦野はつまらなそうな表情をした。だが当たり前の判断なのでそれ以上何も言わずグラスのシャンパンをフレンダのコップに軽くぶつける。

 

硬質な物同士が短い音を鳴らす。

 

「乾杯」

 

「かんぱーい」

 

麦野は広がる味を楽しむように少量含んだが、反対にフレンダは一気飲みした。いくら量が少ないからと言って飲み干したフレンダに絹旗は有り得ない者を見るような視線を送った。

 

「超なにやってるんですか」

 

「んー、思ったほど美味しくない」

 

一応彼女なりに味わったがいまいちだったようで、麦野はフレンダのコップに水を注いだ。

 

「ならフレンダにはいらないわね。滝壺は少しだけ飲む?」

 

「うん、もらう」

 

「どうぞ」

 

麦野は身を乗り出して滝壺のコップにシャンパンを注いだ。フレンダと違いたっぷり注いでやる。

 

「乾杯」

 

「乾杯、むぎの」

 

二度目の乾杯は静かだった。二人は喉を通っていく冷たい液体のさっぱりとした味を楽しみ、腹に溜まるにつれ熱くなる感覚に恍惚の表情を見せた。

 

「ぁ、いいわ」

 

「美味しい…」

 

「超理解出来ません」

 

そう言いながらピザを食べる絹旗の頭を上条はゆっくり撫でた。

 

「いや、まだ分かんなくていいぞ。いつか飲める時は来るけど飲むかは絹旗次第だ」

 

「不味いから超飲めません。ウニ頭は美味しいと思います?」

 

「うーん、飲んだことないからわかんねえや」

 

貧乏学生をやってきた上条には、この学園都市で出回る酒の高額さは知っている。手を出せたもんじゃない。

 

大人の目を掻い潜り手に入れた酒は学生の間では、学園都市の外でいう麻薬と似た扱いだ。

 

それに上条自身、酒を飲んでみたいと思ったことがない。

 

「むぎの、もう一杯」

 

「これで最後ね」

 

「うん、それじゃ」

 

「一気飲みね!」

 

それを止める暇なく二人はグラスの中身を一気に呷った。恒例なのか、麦野と滝壺はハイタッチをする。

 

「むぎの、今度は何を飲むの?」

 

「ワインでもいっとく?」

 

「白ワインがいいな」

 

「りょーかい、任せなさい!」

 

軽く麦野はウインクをすると椅子から立ち上がった。

 

「さて、ごちそうさま。風呂を溜めてくるから食器下げといて。後で洗うから」

 

「それなら俺がやろうか?」

 

麦野は一度立ち止まると首を横に振った。

 

「食器棚とか、食器の置き方が違うとそれだけでイラッとするから駄目。私がやるわ。好きに寛いでて」

 

「はーい」

 

「フレンダ、食器下げるの手伝って」

 

「それじゃ、上条は絹旗よろしくね」

 

フレンダと滝壺はキッチンに消え、絹旗と上条はチラリと見つめ合った。

 

「超なんですかウニ頭」

 

「やっぱりそうとしか呼ばないの?」

 

「この呼び名、超気に入ってるんです」

 

「分かったよ。なら突っ込まねえ。テレビでも見るか?」

 

上条はリモコン片手にソファーに座ると絹旗も隣に座る。

 

「見ます。上条はお泊まりするんですか?」

 

「随分長居したな。帰るにしては遅い……」

 

「廊下で寝て下さい」

 

「お前俺の扱い酷くないか!?」

 

絹旗は笑いながらリモコンのボタンを押す。特に面白い番組がないので自然とニュースを見る形になった。

 

ニュースは最近、謎の爆破事件の様子を伝えている。何やら重力を操作してアルミを爆弾に変えているそうだ。負傷者も何人か出ているのに犯人は未だ不明。警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)は総力を上げて捜索している模様。

 

下らない、と上条は素直にそう思った。

 

「なんでこんな事が起きるんだろうな」

 

「子供が爆弾を超持ってる様なもんです。深くは考えてないんでしょう」

 

テレビが報じる事に談義していると麦野がそれを見ながらソファーの背もたれに体重を掛ける。

 

「能力が上がって試し撃ちがしたいんでしょう。私にもあったわ」

 

「まさか人を……」

 

絹旗が真っ青になって呟いたのに対して麦野は平然と答えた。

 

「取り壊し予定の廃ビル目掛けてドバーンだった。大きな音を立てながら崩れていく様は爽快よ」

 

「いや、それは」

 

迷惑なのかそうじゃないのか分からない。

 

そして絹旗は別に試そうとは思わないらしい。

 

「布団出しといたから。勝手に寝なさい。上条は、どうしようかしら」

 

「あれだったら帰るぞ」

 

しかし上条の提案に麦野は悩んだ。

 

「時間も遅いし警備員に見つかった大目玉よ。止まって行きなさい。部屋は、私の所くらいかな」

 

「え?」

 

「勿論、床よ。毛布くらいならあるから心配なく」

 

心配などなさそうな麦野に上条は慌てて否定した。

 

「いや、別の所を心配しろよ! なにかあったらどうするんだ」

 

「何かする気な訳?」

 

そう質問したのはフレンダだった。

 

彼女は慌てふためく上条を半眼で睨む。

 

「そこまでしないぞ!」

 

「むぎのに何かするかみじょうは応援できないかも」

 

さらに滝壺まで見放す一言に上条はうなだれた。

 

「俺、どうすればいい?」

 

「だから、廊下で超寝れば万事解決」

 

「やっぱり絹旗、俺に恨みあるだろ?」

 

「さぁ?」

 

絹旗の頬を引っ張る。彼女は抵抗しようと上条の右手を引き剥がそうとする。しかし能力は発動しなかった。

 

「ひょっと!超なにしたんれすか!」

 

「んー、聞こえないな! ハッハッハ!!」

 

「むぅぅー!!」

 

暴れ出した絹旗は上条の下顎目掛けて頭突きした。

 

「ゴフッ!」

 

「ふん!ウニ頭が超悪いんです!」

 

「舌は、くっついてるから大丈夫か」

 

ソファーに倒れた上条の容態をフレンダは調べたが命に別状はない。そこに麦野の声が飛んできた。

 

「先にお風呂に入らせてもらうわ」

 

「どうぞー。ついでに一緒に入ろう麦野!」

 

風呂という単語に反応してフレンダが麦野に擦り寄る。あわよくば、モデルに引けを取らない麦野の肢体をくまなく観察したいのだろう。

 

口の端から欲望のよだれが垂れている。

 

もちろん、なにかされると分かっていて了承する麦野ではない。

 

「誰がアンタと入るか。むしろ湯船に沈めるぞ」

 

「うぐ……でも、それで麦野の裸が見れるのなら!」

 

「よし、絹旗こいつを沈めてこい」

 

一瞬、躊躇したがチャンスが一度でもあるならと再び身を乗り出す。さあ連れて行けと言わんばかりのフレンダに、麦野は迷い無く希望を切り捨てた。

 

「はーい。全くフレンダは超馬鹿ですね」

 

「ちょ、聞いてないよ麦野! 私は麦野と入りたい訳で、こんなつるぺた中学生と」

 

「あァ?」

 

「マジすいません」

 

ソファから飛び降りた絹旗の周りに風が渦巻く。怒りと言うよりも殺気が滲み出る絹旗は、それだけで怖いのに本気で能力を使っているのだから無能力者のフレンダは黙るしかない。

 

下を俯き極力目を合わせないようにする。

 

猫と鼠のような二人を麦野と滝壺は遠めで見守る。日常的によくある光景なだけに、仲裁にも入らない。それにもう子供ではないのだ、大惨事にはならないだろう。

 

「それじゃ、滝壺はフレンダを見張っといて」

 

「うん。任せてゆっくりしてきてね」

 

後の事を滝壺に一任して麦野はバスルームに向かう。

 

適当に部屋着の服を掴むと一般家庭では、まずあり得ない広さを誇る脱衣所へ。普通なら人が二、三人入れるほどだが、この家は十人入ってもスペースが余る。しかし、これでも麦野にとっては手狭なのだ。

 

幼少期からの常識が今でも彼女の中に生きているのが伺える。

 

衣服を脱ぎ捨て、バスルームに入ると真っ白な空気が満ちていた。目を凝らせば、その白い靄の動きが見える。

 

シャワーのお湯で軽く身体を洗い、湯船に浸かった。じんわりと暖かく、凝り固まった筋肉が解されていくようだ。長く息を吐いて、肩まで浸かる。

 

まだまだスペースがあるのに、麦野はバスタブの隅で膝を抱え肩を小さくしていた。

 

こうして一人、考え事をする。

 

上条と自分の立ち位置について、たくさん考えた。どうやって彼を表に帰すかたくさん思い悩んだ。たくさん過去を振り返り、これからをどうするか思案する。

 

だがいいことは、何一つ思いつきやしない。むしろ描いたビジョンは全て悲劇に繋がってしまう。

 

このまま行けば、上条は麦野たち『アイテム』の行動を止めに入るだろう。いや、止めに入るならまだ可愛いものだ。きっと彼なら、学園都市に立ち向かう。統括理事会や、その果てにいる統括理事長だろうが構わないだろう。

 

暗部に殺されてお仕舞いか、記憶を消されて表に放り出されるか。

 

もしLEVEL5の自分ですら手が付けられない事態になったら、せめて後者であって欲しい。むしろあれほ純粋な彼には、この汚い世界の何もかもを忘れて生きて欲しいくらいだ。

 

麦野沈利にとって上条当麻という人間に出会って過ごした時間は、春の暖かなものに似て、それでいて泡沫なものだった。

 

幸せな一時。

 

あっという間に奪われる至福。

 

だから麦野は考えた。どうせ世界がこの幸せを壊してしまうなら、自分の手で壊そう。

 

誰かに不当に取られるのを指を咥えて見ていられるか。この考えこそが、麦野を構築している要素の一つ。

 

略奪者が奪われてなるものか。

 

いつ別れを切り出そうか、と考えていた麦野の意識がとある声を呼び覚ました。

 

 

 

――お前はさ能力の付属品じゃない。一人の人間だ。俺が見てるのはお前だよ――

 

 

初めて言われた言葉だった。

 

麦野沈利をきちんを麦野沈利だと認識する。当たり前のようで少女にとっては、当たり前にならなかったこと。

 

研究者からは原子崩し(メルトダウナー)と呼ばれ、学校に通っていた時代はLEVEL5の麦野沈利として親しまれた。認識するに当たってLEVELが先に来る。個人ではなく、ラベルで判断された。

 

そして暗部では、化け物。これは酷くて笑った記憶がある。笑ってブチ切れて、全てを破壊しつくした。

 

こうして思い返せば、確かに麦野という人間は、自分を見てくれる人が欲しかった。

 

だから、嬉しかった。

 

口先で彼は言ったわけではない。LEVEL5であっても、〈原子崩し〉でも上条当麻は確かに麦野を見ていた。

 

故に素直に惹かれてしまった。

 

しかし、恋心を自覚するよりも先に麦野は立場の理解が早かった。

 

だからこそ、この想いは自身の能力と同じように曖昧なのだ。

 

 

 

 

 

 

「あんた達風呂に入ってきなさい!」

 

麦野が風呂から上がって最初に言った言葉だった。

 

「はーい!」

 

「分かった訳よ」

 

「行ってきます」

 

三者三様の返事をし、フレンダと絹旗は争うように走り出した。その後を滝壺がおっとりと追う。

 

「酷い目にあった」

 

そう呟いたのは、所々擦り傷のある上条当麻だった。

 

ソファから起き上がり、腕や腹をしきりに擦る。さっきまで絹旗とフレンダに遊ばれたのだろう。

 

上条に適当に労いの言葉を送ると、麦野は早速食器を洗う。

 

食器がぶつかり合う音がする。ついでに水の音もだ。

 

少しだけ気になった上条は、キッチンを覗く。そこから見えたのは、黒いノンスリーブと濃い青色をしたジーパンを穿いた麦野が鼻歌を歌いながら食器を洗う後姿。

 

しっとりと濡れた肌と髪が蛍光灯の光で煌く。

 

思考を放棄するほどに上条は、綺麗だと思った。

 

吸い込まれるように見惚れていると、不意に麦野が振り返った。

 

「どうしたの?」

 

「あ、いやなんでもないんだ!」

 

慌てて手を振る上条を変だなぁ、と思いながら麦野は作業に戻る。もう終盤に差し掛かっていた。

 

麦野は皿を洗い終えると、上条の隣に座る。

 

「私にあの人押し付けた後どこに行ってたのよ」

 

「あれは本当にごめん。ビリビリに追いかけられて長距離走してたら滝壺達と出会って事情説明して助けてもらったんだ。そしたら手料理を作るって滝壺が」

 

「ふーん。サプライズ含めて連絡なしって訳か」

 

納得した麦野はソファーに寄っ掛かった。それから天井を見つめながら目を細める。

 

あの時、木山春生に言われた事が蘇る。

 

好きか嫌いか。特別か友人かの区別はしておいて損はないはずだ―――

 

私はコイツをどうしたいんだろ? 嫌い、じゃない。特別? 確かに自分の周りに居ないような奴だとは認める。

 

だけど、それだけで特別かどうかは分からない。ただ、落ち着く事は確かだ。安心する。

 

この思いが特別なのだとしたら―――

 

その瞬間、麦野の顔がボッと赤くなった。

 

今まで見えていなかった新たな視点。それは誰もが一度は、感じる感情を探るものだった。

 

「どうした麦野?」

 

覗き込む上条に麦野は思わず悲鳴を上げそうになったがぐっとこらえて、少し距離を取りつつ咳払いをした。

 

「なんでも無いわよ。……その上条は、私のこと、どう思う? さっきさ、……えっと美人、だって」

 

「あ……」

 

麦野の気恥ずかしそうな雰囲気に触発されたのか上条も真っ赤になり、口ごもりながら言葉を紡いだ。

 

「その、あん時言ったのは本当に本心だ。お前は、否定とか……するだろうけど、麦野は」

 

ピリリリッ!

 

無機質な電子音がすべてを崩壊させた。その音は麦野のポケットから聞こえる。

 

ピリリリッ!

 

二人の時間が僅かに止まる。

 

ピリリリッ!

 

「誰だテメエこんな時間に電話してんじゃねえぞ!! 間違い電話ならブチ殺しだ!!」

 

「ちょっ、コイツと来たら! 仕事よし・ご・と! アンタになんか用事が無かったら電話なんてしないから。むしろ通話料金返せっ!」

 

妙に甘ったるく、媚びたような女性の声に麦野は心臓が跳ねた。

 

「さぁ、今回の場所は―――」

 

視界の隅で上条の表情がみるみる怪訝なものになっていった。

 

 

止めて……

止めてッ!………

 

 

そんな目で見ないで……

 

 

 

 

築き上げた心が踏みにじられた気がした。

 

 

たった一本の電話で……


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