とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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指先からのメッセージ

上条当麻を学校まで送り届けた麦野は『アイテム』のアジトではなく、自分の家に帰った。

 

浴槽に湯を張る為に、タッチパネル式の操作機器のボタンを押す。後は待つばかりだ。

 

昨日から立て続けに事が起き正直、精神的に疲弊している。熱いお湯に浸かって少しでもこの倦怠感をぬぐい去りたいくらいだ。

 

「……〈原子崩し〉、か」

 

精神の疲弊の大元の元凶だった。超能力者である事に誇りを持ち、完璧であることに意義を満たす彼女としては、やはり自身の能力である〈原子崩し〉の成長は必要不可欠。

 

しかし科学者にはもう成長の兆しはないと判子を貰ったばかりだ。

 

「どうやったら、先に進めるかな?」

 

あの少年に助けてはもらったが、やはり壁は巨大で、覆しようもないものに思えて仕方ない。

 

逃げる事は、いつでも出来る。だがここでまた逃げたら、一生第四位のままなのは確定だ。

 

「それは、イヤ……」

 

逃げたいのに、逃げられない。激しいジレンマに麦野はソファに倒れ込む。天井をぼんやりと眺めていると、機械的な音が鳴った。

 

「ん、溜まったみたいね」

 

適当に服を掴むと麦野は浴室に足を向けた。

 

麦野は分かってる。この問題を後回しにすればいつか、とんでもないしっぺ返しが来ることくらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日麦野、超来ないみたいですよ」

 

「珍しい。はっ! まさか恋人が出来た、とか?」

 

「超有り得ないですよフレンダ」

 

だよねー、と言った本人フレンダと言う少女は笑い飛ばす。

 

金髪碧眼とあからさまに日本人ではない容姿の少女は携帯を弄っていた。

 

「……南から信号がきてる」

 

どこか生気の抜けたジャージ姿の少女、滝壺理后はボソッと囁いた。いつもの事なのでこの発言は基本無視していい。

 

「でも、いきなり病院に車寄越せ、ってのは超驚きました。………めぼしい映画はないみたいですね」

 

パタンと雑誌を閉じたこのメンバーで一番幼い絹旗最愛はコーラを飲み干す。

 

「入院沙汰なんて麦野にしては珍しい訳よ」

 

「むぎのも人間。珍しくないよ」

 

おっとりした滝壺の言葉に絹旗とフレンダは揃って、それを否定した。

 

「あの麦野が? 入院するような怪我しない訳よ」

 

「そうそう、上から四番目の人を超病院送りに出来るのは、超それ以上か同じLEVELの人間だけですよ滝壺さん」

 

「そうじゃなくて、むぎのは“人”なんだよ?」

 

滝壺が言うことには一理ある。しかしLEVEL5はそんな生易しいものじゃないのは体験済みなのだ。LEVEL4とLEVEL5の間には決して越えられない壁が確かに存在する。

 

その力がどうにも人間であること事を忘れさせた。

 

むしろLEVEL5は人間として扱える者なのだろうか? とフレンダは心の中で呟いた。彼女の導き出した答えは、無理に近い、だった。

 

「アレが人間なら不公平だよね」

 

「…フレンダ!」

 

思わず出てきた言葉は絹旗に咎められ、流石のフレンダもさっきの一言を悔いた。

 

その麦野に助けられたことは沢山あるのは事実でもあったからだ。

 

「ごめん、言い過ぎた」

 

「…超気をつけて下さい」

 

それからぷっつりと途切れた会話の糸はなかなか修復できず三者三様の反応を見せた。

 

フレンダは昔を思い返すように目を伏せ、口元は頬杖をついて隠す。

 

絹旗は苦汁を舐めたような表情をして膝の上で硬く拳を握り締めた。

 

滝壺はどこか遠くを輝きのない瞳で見つめていた。

 

やはりLEVEL5に対する感情の根源には“恐怖”と言う物が多分に含まれている。それは仲間内であっても覆されるものじゃない。

 

そして、さらに言えば麦野は他のLEVEL5より感情の起伏が激しい。例えて言うならば、ランダムで爆発する爆弾のような存在だ。もしくは知性のある猛獣と言ったところか。

 

どちらにせよ、まだ人間の範囲に収まるフレンダ達には手に余る事に違いはなかった。

 

「……ちょっと外の空気吸ってくる。戻って来ないから」

 

しかしそんな彼女でも優しかったのは事実だ。それさえも、否定した自分に嫌気が差したフレンダは手短に告げるとファミレスを出た。

 

時間は午後四時半、六月特有の湿った風が金色の髪を靡かせた。

 

フレンダが出て行った後、絹旗はファミレスのソファーの上で縮こまっていた。やはり申し訳なさそうに、うなだれている。

 

「私……」

 

「うん」

 

重たい口を開き、それでも言い留まった絹旗に滝壺は次を促すように相槌をうった。

 

「私、フレンダを超咎めましたけど、私否定出来ませんでした」

 

なにを? なんて滝壺は聞かず静かに頷く。

 

「麦野はそりゃ、怖くてミス一つ超許してくれないけど、それって仕事なら当たり前の事ですし、裏を返せばそれだけ超期待してくれていた事にもなります」

 

「そうだね」

 

「………超不器用なのは『アイテム』のみんな分かってるのに、麦野のこと……」

 

「責めないで、きぬはた」

 

最後まで聞いてくれた滝壺に応えるように小さく絹旗は頷いた。そしてその手を取って二人もファミレスから出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイテム』のメンバーが全員ファミレスから出る約三十分前

 

 

腕時計を確かめる。時間は午後四時。少し早かっただろうか? と麦野は思ったが、下校する生徒はまばらながら居る。

 

それを横目で見ながらあのウニのような頭をした彼がいない事に心の内嘆息を漏らす。

 

時間を明確に決めなかったのが仇になった結果だ。

 

もう少しゆっくり待つか、と壁にもたれ掛かると鋭い視線を感じ校門を振り向く。

 

「…………」

 

さっきから好奇の視線に晒されていたが、つい今し方感じた視線はそんな野次馬じみたのもではなかった。

 

暗部と言う世界に浸かりきった麦野には解る。素人なんかが真似できないプレッシャーを叩きつけるような敵意で構成されたものだ。思わず麦野の背筋に悪寒が走るくらいに。

 

しかし本当にほんの一瞬程度のレベルで今では嘘のように敵意や殺気の視線は感じない。

 

だが、秩序の薄い弱肉強食の世界で女王に君臨する麦野の第六感は警告した。

 

――――隙を作れば殺される。

 

「……チッ、どこのどいつだ」

 

あくまで自然体に見せながら警戒態勢を崩さない。

 

どこから何が飛んできてもおかしくない状況に麦野は神経を広く、鋭く尖らせた。じわじわと麦野の神経が辺り一帯を浸食する。

 

「おーい麦野!」

 

しかし彼女の行動は徒労に終わった。今まで張り巡らせた神経は、遠くから元気に手を振る上条の存在により集中力が切れ。麦野自身なぜだか脱力した。

 

それは今までのシリアスな内心が上条当麻のどこか気の抜けた存在で掻き乱された事に他ならない。

 

「遅いかーみじょう!デートで女を待たせるのはマナー違犯よ!」

 

「えぇ、デートって!だって買い物だろ?」

 

「買い物だってデートよ。ホラさっさと携帯買いに行くんでしょう」

 

「おい、いきなり引っ張んなよ」

 

上条の右腕を掴み麦野は急かすようにその場から離れようと急ぐ。

 

また感じるのだ。上条当麻と話し始めた時から、鋭く“背中を刺す”ような威圧感。今度は一瞬のものでなく何時までも麦野に突き刺さった。

 

最寄りの携帯ショップの道案内を上条に任せながら麦野はその隣を歩く。

 

だれかとプライベートな買い物が久しぶりで内心喜んでいるのは否定出来ないが、それを表現するのはまた違う。

 

「携帯どんなのがいい?」

 

「デザインにはこだわらないから」

 

「ならゲコ太の携帯を買って上げる」

 

この発言に上条は舌の根乾かぬうちに発言をひっくり返した。

 

「いや~、やっぱりデザインは大人のシックな感じがいいよな」

 

案を取り潰された麦野は少し不満そうな顔をしたが上条からしてみたら、冗談じゃない。クラスの笑い者だ。

 

そんなたわいない話をしていると人の多い通りに出た。下校時間を過ぎた街には学生がごった返している。

 

上条は麦野の手を握ると大きな流れに従う。

 

「かーみじょうって時々変に紳士よね」

 

「だってはぐれたら大変だろ?通信手段壊れてんだし」

 

この数時間程度で携帯の有難味が染みた。

 

「そん時は空目掛けて〈原子崩し〉を撃つわよ」

 

「分かりやすいけど、ごめん止めて下さい」

 

なんだか簡単に想像出来て怖い。

 

「ならはぐれないようにしないとね。かーみじょう手じゃなくて腕かしなさい」

 

「な、なんだよ」

 

「減るもんじゃないしさっさとする」

 

急かす麦野に上条は手を離した。すると麦野はすぐにその腕に抱きつく。

 

「これで大丈夫ね」

 

「いや、いやいやいや上条さん大丈夫じゃないから?! 麦野さん当たってます!」

 

「当ててんのよ」

 

むにゅ、と効果音がするくらい麦野の豊満な胸が上条の二の腕にこれでもかと言うほど押し当てられる。

 

上条当麻も健全な男子高校生。グラビア雑誌などに鼻息荒くなる年頃には、このダイレクトに当たる感触はまさに天国のような拷問だったりする。

 

「免疫ないの?」

 

「免疫どうこうの前に今の時期、男は皆狼です!!」

 

「いやぁ、本当に弄りがいのある奴だわ」

 

「麦野のドSぅぅぅうぅ!」

 

本人達曰わく、「じゃれ合い」の行動は周囲からはただイチャついているように見えるだけで、そして二人からすれば周りの人間なんて居ないに等しく、向けられる視線などどこ吹く風だ。

 

そして主に麦野に向けられた視線に二人は気付かなかった。

 

「む、麦野が………男と歩いてる! しかも仲睦まじく!! ……あ、ああ有り得ない訳よ!」

 

地獄を目の当たりにし、絶望に支配されたような声音は暗部組織『アイテム』のメンバー、フレンダから絞り出されていた。

 

貧血症状のようにフラつくが倒れる事を踏みとどまり、来た道を全力で走り出した。

 

「うわぁぁああぁぁあ!! 私の麦野が、私の麦野が!!」

 

一応、麦野の名誉の為だが彼女はフレンダのものではない。そして同性を愛してる訳でもない。つまりこれはフレンダの妄言である。

 

「ん?」

 

「麦野離してくれる気になったか?」

 

「違う。今、なーんか聞こえた気がしたのよね」

 

どさくさに紛れて離してもらう作戦は失敗に終わり上条は携帯ショップまで天国であり地獄を味わう結果になった。

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃フレンダは

 

「滝壺聞いてほしい訳よ!!」

 

『どうしたのフレンダ?』

 

「あのね麦野が男と仲良く歩いてた訳よ! 私の麦野がぁぁぁ………」

 

携帯越しに滝壺に泣きつくフレンダは今も表通りを全力疾走中。

 

『むぎのがデートしてたの?』

 

「デート?!!」

 

『あー、だから麦野今日は超来ないって言ったんですね』

 

もう一つの声は絹旗だった。

 

『…………むぎの今日の朝、病院に行ったんだよね?』

 

『……滝壺さん、まさか、そんなこと』

 

「え?」

 

フレンダも足を止め会話に集中する。数秒の沈黙の後、フレンダが弾き出した答えは――――

 

「…………妊娠、だなんてない、よね?」

 

『…………』

 

『…………』

 

滝壺も絹旗も返答をしてくれなかった。

 

「え、なんで黙る訳なのよ?」

 

『お祝い、何がいいかな?』

 

滝壺の言葉が壮大な勘違いの幕開けになった。

 

 

 

 

 

 

 

なにやら『アイテム』のメンバーがとんでもない勘違いをしているとは露知らず、麦野と上条は携帯を選んでいた。

 

「うーん、どれにしようかな?」

 

「そう?なら私が上条の、上条が私のを選ぶ?」

 

「いいのか?俺なんかが麦野の携帯選んじまって」

 

上条の不安を押しのけ麦野は男性が選びそうなデザインの携帯探し始めた。

 

「うん、いいわよ。その代わり、しっかり考えてね」

 

「プレゼント選びみたいで緊張するな」

 

「携帯だからね。……これなんてどう?」

 

麦野が手渡したのは薄型でシンプルな黒のボディ。側面部分には細く赤のラインが引かれていた。

 

派手すぎない色でありながら地味と言うわけでもなく、そして持ちやすさに上条も気に入った。

 

「へぇ、俺が好きそうなデザインよく分かったな」

 

「シックなのが良いって言ってたじゃない」

 

「あ……」

 

あのじゃれ合いで忘れていたが確かにそんな事を言った。

 

それをきちんと覚えてくれて真剣にどれがいいか吟味したのだろう。なら自分も真剣に選んでやらないと、そう思い麦野の服装を観察してみる。

 

ジャージーワンピースの胸元のスリープですっきりとした美のシルエット。腕には二段フリルが付き、しなやかな生地素材が波打つようなデザインの服に滑らかな影をつくる。スカート部分にたっぷりタッグをあしらいフェミニンな印象をした麦野。

 

「なによ人を凝視して」

 

「うん、やっぱり麦野は美人だな」

 

「いきなり言うわね」

 

これには麦野も驚いた。

 

「服装とかに合わせようかと思って観察してたんだけどさ」

 

「視姦になったと」

 

「違う! 断じて違うぞ麦野!」

 

心臓に悪い一言をさらっと言い放つ彼女に上条はどっと疲れた。

 

その疲れた上条の後ろで麦野は、さきほどうっかりときめいた事に対する仕返しができたとほくそ笑んでいた。

 

「でもこの服だけに合わせるつもり?」

 

その場で麦野が回ってみせる。ふわりと舞った栗色の髪が綺麗だと上条は思った。

 

「いや、参考にするだけだ。んで結果、この携帯はどうだ?」

 

「へぇピンクか」

 

薄い控え目な発色具合だが、淡い感じは嫌いではない麦野はデザイン共に気に入った。

 

「ありがとね。じゃ契約しますか」

 

「契約か。中学生のとき住所とか書くの緊張したなぁ」

 

「基本は自分で書かないといけないからね。ここだと中学生で寮一人なんて珍しくも無いわけだし、携帯は必要だったわ」

 

中学生。

 

そんな頃だったか、学園都市の闇に捕まり社会に失望と絶望を覚えたのわ。そんな時だったか、自分の内に獰猛で殺戮に貪欲な化け物を飼い始めたのは――――

 

「――い、おい!麦野どうした?」

 

「え、うん。なんでもない」

 

いつから考え込んでいたのだろう。上条が心配そうな顔をしていた。

 

「大丈夫よ、それより契約契約!」

 

「……無茶すんなよ」

 

麦野は思わず苦笑した。

 

まったく、鋭いのか鈍いのか分かったもんじゃない。

 

おそらく、彼は人の痛みが解るぶん、人の心が理解できたりするのだろう。

 

「してないしてない。店員さん、契約お願いしますね」

 

「でしたら此方の書類に必要な事を」

 

この手の事に慣れている麦野は受け取ると素早く書類に書き記した。

 

「はい、これでいい?」

 

「では、四桁のパスワードを決めて下さい」

 

「そうね、……これでいいか」

 

「こっちも出来たぞ」

 

上条も書類に書き込みを終えパスワードを適当に決めると、店員は受け取りパソコンに素早く情報を入力する。

 

「期間限定のカップル契約ですか?」

 

「はい」

 

「でしたら少しお安くなりますよ。自動的にメールアドレスや誕生日と言った個人情報が相手の携帯に登録される仕様になりますが問題の方は御座いませんか?」

 

「問題はないよな麦野?」

 

「うーん、そうね」

 

立場として、些細な個人情報が誰かの手に渡るのは避けたいがこの際仕方ない。

 

割り切った麦野は頷くだけだった。

 

「お支払方法などは?」

 

「それなら一括払いで」

 

「カードと現金どちらになりますか?」

 

麦野は昨日とは違う財布を取り出すと中身を確認する。

 

「現金でお願いします」

 

「畏まりました」

 

指定された金額を払うと麦野は情報登録が終わった携帯の入った袋を手に取った。上条もそれを取ると店員にお礼を言ってから店を出る。

 

「ありがとな本当に金まで払ってもらって」

 

「もとより壊れた原因は私なんだから気にしないの」

 

腕時計を確認する。時間は午後五時半手前。まだ明るい空を見ながら麦野は歩き出した。

 

「目的も終わったし、またね上条」

 

「もう行くのか? なんか食ってこうぜ」

 

「そうしたいんだけど、用事があるから待たねー」

 

そう言うと麦野は手を振ったがどうにも煮え切らない上条の表情に麦野は首を傾げた。

 

「どうしたのよ?」

 

「うーん、なんでもないまたな」

 

帰宅していく上条の背中を見つめながら麦野はため息をついた。

 

人間でいる今の自分でもこの世界は息苦しい。人として幸せを噛み締めると同時に人である良心が人殺しである自分の幸せを拒絶している。

 

「携帯起動させるか」

 

僅かな現実逃避のために箱に入った携帯を起動させた。

 

瞬間、それを待ち望んでいたように着信音がなった。

 

「………もしもし」

 

『こいつと来たら、携帯替えたなら連絡しなさいよね。まぁ良いけど』

 

「あばよ」

 

『ああぁぁ、待って待ってよ! 仕事があるんだって』

 

やけに高く響く声に麦野は眉間に皺を寄せた。

 

「うるせぇ、ならさっさと要件を言いやがれ」

 

『まったくこいつと来たらー、最近能力者が暴れすぎてんの。あんたにとっちゃゴミみたいなもんだけど。調子こいてなにやら闇に手を染めた奴らの集まり叩いてほしいって』

 

「内容理解した。後はメールを送れ。今度こそあばよ」

 

電話の相手が最後になにか言ったが気にしない。問答無用で電話を切ると、センターにメールがきていた。

 

「……上条、当麻」

 

メールを送ってきたのはさっき別れたばかりの彼だった。

 

“また、会えるよな?会うなら今度俺が迎えに行くよ”

 

「あいつ、なんで」

 

こんなタイミングで……

 

暗部としての自分ならここで、誰が会うか馬鹿野郎。くらい送れたはずなのに、

 

指先が記した答えは―――

 

“そうね。でも二、三日は無理みたい。誘ってくれてありがとう”

 

送信。

 

あぁ、心と身体がちぐはぐだ。心は会うことなんて望んでないのに。身体は言うことをきかない。

 

指先からのメッセージ。それはたぶん本心。

 

 

 

 

規則的な機械音が鳴り響く。仕事のメールだ。

 

 

 

「さぁて、今回は誰が死ぬのかな? 」

 

 

 

 

           〈2〉

 

 

 

 

上条当麻は麦野沈利と別れた後、言いようのない不安に胸を締め付けられた。

 

その理由は、初めて会ったときも、病院でも、さっきの携帯ショップだって、彼女はどこか遠くを眺めている事があった。

 

風景を見ているんじゃない。『昔』を視ているんだ。

 

上条にはそれが直ぐに分かった。

 

なにが悲しくて、なにが辛くて、あんな表情をするんだろう?

 

きっとそこには自分がまだ触れることの出来ない麦野沈利の心の闇がある。

 

救ってやれないだろうか。せめて病院で見せてくれた屈託のない自然な微笑みができるような女の子にしたい。

 

気が付けば携帯を起動させ、唯一ある麦野のメールアドレスに文章を打っていた。

 

“また、会えるよな?会えるなら今度俺が迎えに行くよ”

 

彼女の闇を知るには、彼女を知らなければならない。道のりは長いがきっと麦野のメンタルは繊細だ。ゆっくり触れていかないと――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「麦野ぉぉおぉお!!」

 

「なによフレンダ。泣きながら抱きついてんじゃねえ」

 

しかしフレンダは離れず「だって、だってぇ!」としゃくり上げてさらに抱擁に力を込める。

 

その様子に麦野は小さく嘆息をした。

 

『アイテム』のアジトに帰って来たら早速これだ。理由は知らないが、どうせ絹旗と喧嘩して負けたんだろう。そう結論付けると麦野はフレンダの頭を鷲掴みにし、力業で引き剥がす。

 

「ったく、いい加減にしろ。今夜十時から仕事入ったんだから、準備するわよ」

 

「そんな事より!」

 

作戦会議するために一番広い部屋に行こうとしたら今度は後ろから抱きつかれた。

 

「フレンダ……そんなにミンチになりてぇか!」

 

「麦野大丈夫なの? 結局、病院行ってどうしちゃった訳よ! 身体はだるかったりとかする?」

 

物凄い迫力で、なんだか責め立てられている気分だが、それだけフレンダが自分を心配してくれていた事が麦野の怒りを鎮めた。

 

「うん。……大丈夫よ。だからアンタも離しなさい」

 

「……そう、だね。あんまり圧迫したら駄目だもん」

 

なぜ圧迫なのか気になったが収拾がなつかないだろうと思い無視した。

 

そしてリビングのドアを開くと、どこか元気のない絹旗といつもの滝壺がいた。

 

「あ、お帰りなさい麦野。その、身体とか超大丈夫ですか?」

 

「なによ、絹旗までフレンダみたいな事言って。大丈夫、仕事には支障はないから」

 

「そのことなんだけど、むぎの」

 

滝壺はいつもと変わらないおっとりとした口調で告げる。

 

「今日の仕事、私達だけでやるからむぎのは休んでて。あとお酒のんじゃ駄目だよ」

 

「仕事に支障は無いってば。それに私からなんで酒を取り上げるの?」

 

『アイテム』に高校生の麦野が酒を飲むことを止めるものは誰も居ない。

 

麦野の疑問に答えたのは滝壺ではなくて、どうしたらいいか分からない、そんな顔をした絹旗だった。

 

「ほら、いくらまだ大丈夫だからって後が超辛くてなりますし、お酒なんて本当なら超飲んじゃ駄目なんですから我慢して下さい」

 

「いや、医者だってもう大丈夫って言ったんだから大丈夫よ。酒くらい飲んだっていいじゃない」

 

「駄目です。超駄目なんです」

 

だが、今日初めて『アイテム』のメンバーが麦野に禁酒命令を出した。楽しみの一つが訳の分からない抗議により奪われようとした麦野はその整った美しい顔立ちを苛立ちに歪ませる。

 

そこに滝壺からの祝いの言葉が送られた。

 

「それと、むぎのおめでとう」

 

「はい、ありがとう滝壺。でなにが、おめでたいの」

 

今日は自分の誕生日だっけ? と思ったが全然違う。それに何だか話が噛み合ってない。

 

絹旗とフレンダは言いにくそうにモゴモゴしていたが、滝壺は違った。

 

「妊娠おめでとうむぎの」

 

「妊娠ね、ありが……ん?」

 

怪訝な表情になる麦野にフレンダは恐る恐ると言った感じて尋ねた。

 

「結局、何ヶ月になった訳よ?」

 

「はぁ? いやいや、ちょっと待て。なんで妊娠の話になってる、しかも私が!?」

 

「そんなに超恥ずかしがらなくてもいいんですよ麦野」

 

「違う!違うから!!」

 

必死に弁解する麦野に三人は優しい瞳で見つめた。

 

「病院から男と一緒に出てくるし、街中でイチャイチャとデート。麦野はその男にゾッコンな訳よ」

 

「大丈夫です。麦野が居なくても私達、超頑張りますから」

 

「だからゆっくり休んでね」

 

 

「テメェ等、そこに正座しろぉぉォオオォォオオ!!!」

 

 

麦野の怒声が学園都市の闇に響き、少女達の絶叫がかき消された。

 

そして、なぜそんな勘違いを生んだのか聞くと麦野は、入院理由も伝えなかったし、なにより上条と病院から出てきた事が元の原因だと分かり一方的な責めに入れなくなった。

 

リビングの椅子に座りながら、安い木製のテーブルに膝をつく。もちろん麦野を除く『アイテム』メンバーは床に正座だ。

 

「あー、勘違いさせた事は謝る。ごめん。でもよ、私だって暗部の人間だし、しかもリーダー。ちゃんと弁えてるつもりなんだけど」

 

「でも結局、麦野も一人の女の子な訳」

 

フレンダの最後の一言が切れた。それは麦野が無言で放った〈原子崩し〉の一撃が頬を掠めたからだ。

 

「フーレンダァ」

 

「……何も言ってません」

 

ニコニコ笑顔な麦野と違いフレンダは青ざめてガクガクと震えが止まらなかった。

 

「ならむぎのは妊娠してないんだね?」

 

「してないわよ。もうその話し掘り起こすな」

 

「はい、プレゼント」

 

滝壺は麦野の手に紙でできた箱を置いた。それを見て硬直する麦野と、やっぱりいつも通りな滝壺。

 

絹旗が不思議そうな視線を麦野に向ける。しかし麦野はそれに気付かず、恐る恐る尋ねた。頼むから違うと言ってくれ! と言ったような気迫も交えて。

 

「滝壺さん、コレは一体なんでしょう?」

 

ついでに言うなら、麦野が絶対にしない丁寧な口調で。

 

「なにってコンドーぐむぅ!」

 

「滝壺ぉぉお! 信じてたんだよ、アンタがよく分からないって言ってくれるってさぁ!」

 

「ねぇ、フレンダ。滝壺さんが麦野に渡したやつって超何ですか?」

 

「………ワタシ、ヨクワカラナイ」

 

「むー、本当は超知ってるでしょう!」

 

自分一人蚊帳の外で疎外感を感じた絹旗は頬を膨らませたが、フレンダにはそれが純粋無垢に見えて癒される。

 

「絹旗はずっとそのままでいてほしい訳よ」

 

「なんでそんな遠い目してるんですか?」

 

フレンダはその問いに答えず、滝壺の両肩を掴み激しく前後に揺らす麦野を見つめた。

 

「でもむぎの、それがあるのと無いのでは大きく違うんだよ」

 

「分かってんだよォオオォォオオ! でも滝壺がこんなの持ってるの駄目! その役目はせめてフレンダだろうが!!」

 

「麦野ぉぉぉおぉ?! 麦野の中の私ってどんな位置付け!?」

 

「超置いてきぼりにしないで下さーい!」

 

滝壺の落とした爆弾の影響で収拾がつかなくなり『アイテム』始まって以来の大混乱が巻き起こった。

 

その時――――

 

ピリリリッ!

 

しかしそれはリーダーである麦野の携帯が鳴った事により今までの喧騒が嘘のようにその場は水を打った。

 

さっきまでとは違う表情の麦野は直ぐに携帯を開きメールを確認する。あっと言う間に目を通すと椅子から立ち上がった。

 

「行くわよ、絹旗下っ端に連絡お願い」

 

「はい」

 

それは『アイテム』始動の合図であり、闇に生きる彼女達の一面を知る瞬間となる。

 

そして、

 

「今回は能力者の集まりだけど、気にせず殲滅しろだとさ」

 

「それだけ価値のない奴らって訳よ」

 

自慢の武器を片手にフレンダは外へと繋がる扉を押し開ける。

 

学園都市で光の届かぬ闇が口を開いて待っていた。

 

「目的地に居る奴等は……」

 

ついに麦野の中に巣くう闇と化け物が鎌首を持ち上げた。

 

 

 

「ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

のんびりとした時間だった。そう、“だった”のだ。

 

「待てぇぇぇ!戦えって言ってんのッ!!」

 

「ダァァァ!なんでビリビリが居るんだよ!!」

 

上条当麻の視界は加速する。

 

「ビリビリ言うな!」

 

「ならピ○チュウだ!」

 

「あぁ!何だって!?」

 

雷撃が上条の左頭部掠め、チリチリとした音と髪の毛を燃やした特有の臭いがした。

 

「テメェ!当たったらどーすんだ!」

 

「なら戦え!」

 

「不幸だぁぁぁぁあぁあ!!」

 

街に二つの絶叫が響く。それは先ほどから全力で走る一人の少年の悲しい叫びと、一人の少女の怒った声だった。

 

確かに学園都市、能力者なんか珍しくないこの世界でも道のど真ん中で能力者を使うのは珍しいようだ。

 

学生達はぎょっとしたように道の隅に移動していく。

 

「俺は今日退院したばかりなんだぞ!」

 

「えっ!? そうだったの………ってそんな手に乗るか! アンタ昨日平気で逃げたじゃない!」

 

昨日、上条当麻は麦野沈利と出会う前に御坂美琴と出会っていたのだ。もちろんその後は今のように全力鬼ごっこになった訳だが。

 

「ビリビリは門限とかあんだろ!」

 

「なんとかなるわよ!」

 

因みにこの場合、“なんとかなる”ではなく“なんとかする”の間違いだったりする。だがしかし門限と規則には鬼のような厳しい寮監のため“なんともならない”の可能性が九割。

 

御坂御坂が門限破って厳しい罰則を喰らうのは決まった。

 

故に彼女も自棄(やけ)を起こしている。

 

「アンタが戦わないと私だけ痛い思いするでしょう!」

 

「なら帰れ!」

 

上条は体力に物を言わせ逃げ切ろうかと思ったが、どうにも彼女も体力があるらしく引き離せない。距離は縮まることも広がることもなく最初の距離を保っていた。

 

「クソッ!」

 

上条は素早く裏路地に入り御坂の視界から逃れようとした。

 

細く人が二人も並んで入れないような道には障害物はなく、真っ直ぐ突き抜けるとまだ裏路地の迷路が広がっていた。ちょうどTの字になったさっきよりも格段に道幅のある場合だった。

 

「待てやゴラァァァ!」

 

コンクリートの壁に反響して御坂の怒号が響く。反射的に上条は左に曲がったが、ビルによって行き止まりになっていた。

 

「やべえ、どうする」

 

流石に上条でも壁を登ることなんて出来ない。

 

御坂の声が大きくなるなか上条はたまたま、道の端にある物が目に付いた。

 

 

 

 

 

「そこか!」

 

御坂は壁に向かって電撃を放とうとして、踏みとどまった。

 

「あれ?こっちじゃない?」

 

しかし上条は居らず勢いを挫かれた御坂は辺りを見渡す。あるのは道の端ある木で出来た箱が積み上げられているくらいだった。

 

そしてその箱の中から上条は、早くどっか行け! と願っている。

 

「行き止まりだし、反対方向か!」

 

それに応えるように御坂は右へと駆け出した。

 

御坂がどこかに行った事にホッとした。しかし念の為に上条は五分くらい箱の中で息を殺す。

 

それがこれからの人生を左右するとは知らずに。

 

もうそろそろ危機は去っただろうと思い、上条は蓋を開けようとすると数人の話し声が聞こえた。

 

「これが取引のブツですか?」

 

「あぁ、中身は見んなよ。あくまで俺らは運搬だ。見るんなら死ぬ覚悟で見ろよ」

 

「まさに冥土の土産ってか?笑えねぇぜ」

 

「早く運ぶぞ」

 

声は四人だが足音はそれ以上。上条はさらに息を殺した。話を聞いている限りでは見つかれば蜂の巣だ。生きて帰れる保証はない。

 

「……よっと」

 

急に上条が入った木箱が持ち上げられた。

 

突然の浮遊感に身を硬くしたが、思い切って外に出ようと出来なかった。

 

「よし車に詰め込め」

 

「全部入るんですか?」

 

「二台あるから心配すんな。それより急がねーと依頼人と鉢合わせだ」

 

急かすリーダー核の男に部下が尋ねる。

 

「まずいんですか?」

 

「顔を見ない、指定時間までにブツを置く。それが俺らのミッションだ」

 

短く告げるとリーダー核の男は時計を確認した。

 

「まだ時間あるな」

 

「こっちの車積み終わったぞ」

 

「それじゃそっちは行きますか。場所は副リーダーのテメェも知ってんだろ?」

 

「了解した。後から行く」

 

それを確認し上条が入った木箱のある車は発進した。

 

かつて無い事件に巻き込まれることとなった上条当麻はあまりの事に魂が抜けていた。

 

不幸だ、とさへ呟くことのできない状況。

 

そして車は学園都市からも見放された、第19学区へと走り出す。

 

そこに暗部最強の女王(クイーン)がいると知らずに。

 

 

 

 

運命は廻り出す。歯車は勢いを止めるどころか加速する。

 

 

 

そして始まる事のない物語が今、始まった。




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