とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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闇が動いた日

「あー、美味しかった訳よ! 今日はありがとね麦野」

 

「ただカレーをご馳走しただけじゃない」

 

夜道を歩きながらフレンダの幸せそうな声に麦野は満更でもない笑みをほんのりと浮かべた。

 

彼女たちは、先ほど上条部屋に集まって夕食を共にし、今は帰路に付いている。フレンダと滝壺からは泊まって行けばいいのにと言っていたが、麦野がいると上条はバスタブの中で就寝するヘタレ、もとい堅実な紳士なので彼女が遠慮したのである。

 

「でも美味しかったよ。今度はきぬはたも居るといいね」

 

「結局、一人足りないと調子出ない訳よ。絹旗も今月中には退院できるみたいだし、どこか買い物いきたいよね」

 

「そうね。個人的に水着がほしいわね。プール借りっぱなしにしてたから、退院祝いにそこで遊ぶ?」

 

麦野の提案にフレンダは両手を上げて喜び、滝壺も小さく頷いた。

 

「うん。楽しそう。かみじょうは、どうするの?」

 

「もちろん連れて行くわよ? っと、それじゃ私こっちだから、またね」

 

「はーい。それじゃまた明日会えたら」

 

休業中の彼女たちは、本当の自分の家に帰っていく。

 

フレンダと滝壺と別れた麦野は、夜中車も通っていない表通りを歩く。点滅する信号機、ただ道を照らす街灯、静寂を突き抜けた無音の世界。学園都市の夜は、昼間の喧騒などすっかり忘れて変貌する。

 

昼間は、表の人間の時間。夜は、裏の人間の時間。

 

まだ裏社会の人間である麦野は、この街の不自然な静けさの意味を知っていた。

 

それは、嵐の前の静けさなのだと。

 

「ちょっといいかしらそこのお嬢さん?」

 

突然後ろから声をかけられ、麦野はそら来たとほくそ笑む。

 

色香と絡みつく抑揚の声は、魔性のモノを秘めていた。

 

「どこの誰だか知らないけど、私に声を掛けるってことの意味を理解してるかしら?」

 

「えぇ。理解しているつもりよ」

 

振り向けば、そこに居たのは布面積が極端に少ない服らしきものを着た艶やかで、美しい女性。

 

声を掛けてきた女性を見て麦野は、思いっきり眉間に皺を寄せる。てっきり暗部の人間かと思ったが服装を見る限り、どうにもその類に見えない。どちらかと言えば夜のお仕事をしている人だろうか。

 

彼女は金色の髪をかき上げると、ぷっくりとした唇が弧を描く。

 

「お姉さん達と刺激的な夜を過ごさない?」

 

「出来れば遠慮したいわね。それに、私にそっちの趣味はない」

 

彼女の危険な匂いがする申し出を麦野は断固拒否し、女性は大きな胸の下手を組んで首を傾げる。

 

「あら、お姉さんは暗部の仕事のお誘いをしただけよ? 聞いてないかしら本名不詳から」

 

「紛らわしいんだよ!? どこのアブノーマルな風俗かと思ったじゃねーか!」

 

「あらら、御免なさいね? でも間違ってないわよ。刺激的っていうのが特に的を射ているはずよ?」

 

物言いが物言いのせいで勘違いした麦野に女性は愉快と言わんばかりに笑みを浮かべる。

 

完全に玩具にされているのが気に食わない麦野は、舌打ちする。

 

「で、本名不詳はどこに居る訳?」

 

「せっかちな人ね。もうちょっと楽しみましょう? あぁ、分かったから睨まないで。もうすぐ来るから」

 

その時、麦野の背後で強く光が瞬いた。それが車のライトだと分かる。

 

黒塗りの高級車は、道の端に停車すると、ドアが自動で開く。

 

「それじゃ乗ってちょうだい」

 

女性に催促され、麦野は黙って車に乗り込む。奥の席には、本名不詳が優雅に紅茶を飲みながら座っていた。

 

「迎えに来たよ。家の方は勝手に上がって見せてもらったから」

 

「なんなの? 最近は人の家に無断で上がり込むのが人気なの? つーかアンタ、いつから風俗始めたのよ?」

 

「あー、オリアナさんのこと? 気持ちは分かるけど、そっち系じゃないから。ちゃんとこっち系の人だから」

 

「あぁ、ハニートラップ的な」

 

オリアナに終始弄られたことを根に持っている麦野は、さらっと毒を吐くが、オリアナは別段気にした節は無い。寧ろ彼女もそう見られるように立ち振る舞っているようにも思われる。それとも、元々性格なのだろうか。

 

出会って早々すでに麦野から見たオリアナの第一印象は、悪いらしい。本名不詳は、難儀なことだとため息を我慢した。

 

「それじゃ、麦野さんには、この服でも着て貰いましょうか」

 

「なにこれ?」

 

「素顔を見せたらだめだからね。あと、オリアナさん準備して、君を今から潮岸の屋敷に飛ばすから」

 

「了解よ。適当に痛めつけたら連絡するわ」

 

これより、親船素甘の暗殺と監視を兼ねている部隊の殲滅が行われるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とあるアパートの一室。

 

そこは狭くワンルームのアパートで、風呂とトイレはあるが狭く、部屋自体人が一人生活するためだけの広さしかない。質の悪いビジネスホテルなんかが該当する空間だ。そんな狭い部屋に人間が三人も居た。

 

一人はロープで縛られ無様に床に転がって、残りの二人は異様な格好をしていた。そのままの格好で外を歩けば三歩で警備員(アンチスキル)に通報されても文句は言えない。そんな服装だ。

 

二人は真っ黒な厚手のコートを纏い、ライダーなんかが使ってそうな真っ黒のフルフェイスヘルメット。不審者という名詞がしっくりくる。

 

だがその不審者二人を通報する事は何人たりとも出来ないだろう。

 

二人がこの部屋に押し入ったときから全ての音は外に洩れる事も無く、衝撃や不穏なものは誰にも感知されない。

 

超能力。

 

それが異常事態を拡散させない要因であり、多種多様な能力の中でも、更に特別で突出した本名不詳(コードエラー)の力であった。

 

本名不詳が持つ能力〈接続援助(リンクサポート)

 

それは、AIM拡散力場を媒介とした巨大なネットワークの構築を可能とし、能力の根源であるAIMや『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』の掌握、操作、果ては誰かの能力を一時的といえ自身の物にする事ができるのだ。能力者にとって最高で最悪を意味する能力。

 

誰もが羨む能力だからこそ彼女には、理解者など居ない。

 

故に本名不詳は、科学の人間ではなく、あえて別の法則を使う者と共闘することにした。

 

別の法則、魔術。神と自然の神秘が生み出した非科学的な異能の力を振るう者。

 

それを扱う人物から連絡が入ってきた。

 

携帯などではなく、ヘルメット内に作られた通信機器から濁りのない声がする。

 

「取り合えずこの人と話して頂戴」

 

本名不詳か潮岸か。どちらに向けて言ったのか分からないが、本名不詳が話す相手は仕事のパートナーではなく同じ学園都市統括理事会の人間である事は、明白だ。

 

相手にオリアナの携帯が渡った事を音で確認して、迷い無く問う。

 

「そちらは潮岸で合ってるか?」

 

「……そうだが」

 

辛そうに呼吸が安定しない潮岸に本名不詳は特に心配しない。実際死んだところでこの老人の後釜など幾らでもいる。それに、軍事技術分野を縄張りとしている彼とは、彼自身が知らないところで対立していたこともあり、本名不詳個人として、早めに消えて欲しい人物でもある。

 

故に本名不詳は、ヘルメットの下で獰猛に笑った。

 

「今回、なぜ我々が動いたか理解していますよね?」

 

「…………」

 

本題を切り出したところで、潮岸の返答はなかった。

 

だが本名不詳は、話を勝手に続ける。

 

「ご存知の通り最近、貴方の権力を削ぐ動きや秘密裏に造っている兵器により、統括理事会の運営が滞る可能性があります。なので今回、その他の者の権力を回復させる為に暗殺者の類を排除する事を我々は、決定しました」

 

本を朗読するように、上辺だけを軽く撫でる声は一度も詰まる事はなかった。機械仕掛けと間違うほど感情の篭らない音声に潮岸も表情を歪めるばかりである。

 

そして、彼に唯一残された抵抗は、悪態をつくだけ。

 

「可能性程度でこの襲撃とは、そちらの方が統括理事会の運営に支障を与えるのではないかね?」

 

「それについては、貴方の上司に言ってください。我々に言うのは、お門違いと言うものでしょう。それとも退場なさいますか?」

 

例え反撃の一手など無い潮岸でも本名不詳は手を抜かなかった。一切の情を感じさせず退路も言い逃れも許さない。

 

それは、彼が能力者ではなく、一応同じ盤上で熾烈を競い合う相手だと認識しているからだ。学園都市統括理事会の一員とは、アレイスターにとって換えの利く人材であっても侮れない。見下せば、次に落とされるのは自分の番かもしれないのだから。

 

「分かった。要求に応じよう。親船素甘の暗殺は、金輪際しない。それでいいのだろう?」

 

「えぇ、有り難うございます。これで効率の良い運営ができそうです。では、念のために捕らえた暗殺者はこちらで処遇を決めますので。また再編でもされたら今度こそ、貴方を殺さなければなりませんし」

 

釘を刺すだけ刺して、返答を聞かずに本名不詳は通話を切った。後は、オリアナを潮岸邸からオリアナを回収するだけだ。0次元の極点を利用して、世界の構造の全てを理解する。

 

その中でたった一つの人間を探し当てると、後は三次元に0次元を対応させ空間移動させる。

 

何もない所から現れたオリアナは、本名不詳の格好を見て、一度瞬きすると、盛大に噴出した。

 

「ふふふ! なにそれ、最近はそう言う服が流行っているのかしら? お姉さんもうビックリ」

 

お腹を抱えて目尻に涙まで溜めて笑うオリアナに、本名不詳は小さく唸った。

 

「しょうがないだろう。だって顔見られたくないし、仮面じゃ取れるかもしれない。それならフルフェイスのヘルメット一択だ」

 

「ふふ、ふっふふふ。あぁ、ダメ。視界に映らないで。今のあなた最高に不審者よ」

 

笑われるから見せたくなかったのだが、しかし暗部の仕事でもこの格好で行くつもりだったのだ。いずれ黒ずくめの格好を見られるだろうと思い今、見せてみたが思っていた通りオリアナは、本名不詳の格好を笑った。

 

「どこかのアニメで見た皇族みたいね? 母が殺され国から追い出された兄と妹。もちろん兄の格好の方だけど」

 

有難くない一言コメント付きで。

 

多少自覚していただけあって言い返せない。本名不詳は、軽くため息を付くと事の次第を聞くことにした。

 

「所で、潮岸はどうだった? あの人のことだ別の手段で権力回復か吸収だ。それに親船素甘は殆ど一般人。手段は多様だ」

 

「それに関しては不明の一言よ。実際、潮岸が警告を無視して暴走をしてもやることは同じでしょう?」

 

予測不可能。どんなに可能性を思い浮かべても本名不詳の脳裏にはっきりとした未来図は浮かばなかった。確かにオリアナの言う通り、暴走した時には、今度こそ殺すしかない。もしかしたら、潮岸の暴走を食い止めると言うよりは、暴走させて早めに殺した方が今後のためになるのかもしれない。

 

本名不詳は潮岸についての考えを打ち切ると、立ち上がり暗殺者の目の前までやってきた。

 

麦野は手早く無力化した犯人の身元を特定できる物を探していたが、それを終えて情報に目を通していた。

 

「やぁ、この人物についてなにか分かったことは?」

 

「こいつに関しては、身分を偽ってないわね。寧ろ身分がバレた方がトカゲのしっぽ切りに丁度いいくらい」

 

学生手帳と免許書、そして学園都市の住人ならば持っているIDで前科などが記された情報バンクの中身をコピーした印刷用紙数枚。それを本名不詳に差し出す。

 

本名不詳は、それを読み上げる。

 

前科の欄には、銀行強盗、盗難、恐喝などチンピラがすること等が書かれてあった。しかしこうして統括理事会の子供の暗殺グループに入っている辺り、とんでもない事を仕出かしたことがあるのだろう。

 

もちろん、もみ消されているだろうが。

 

どの道、潮岸の影響力から開放しても、他の暗部だか黒い噂が絶えない統括理事会の役員に捕まっていいように使われ、ゴミのように捨てられる運命しかないだろう。

 

未来の全てに絶望しかない暗殺者である男は、小さく項垂れて自分の死を覚悟した。

 

いや、ここで終わったほうが良いのかもしれないと達観までし始める始末である。

 

そんな悲壮感漂う姿に本名不詳も警戒を解いて、ついでに拘束まで解いた。

 

その行動にオリアナと麦野が驚きの声を上げる。資料には、能力者であることが記されていたのだ。LEVEL3程度であっても気を抜けば怪我をしてしまう。

 

しかし、本名不詳にとってそれは些細な事でしかない。

 

能力者であれば、どう足掻こうが本名不詳に軍配が上がる。むしろ八百長試合だ。能力を奪う事も、弱める事も可能。負けという事があり得ない。

 

彼女が能力戦で負ける時が来るとすれば、それは絶対能力者(LEVEL6)と対峙した時だろう。能力者の王であっても、神の領域にまで達した者のAIM拡散力場を操れる保障がないのだから。

 

だが、目の前で驚愕の表情をしている男は、LEVEL3。

 

気にすることなどなにもない。

 

「君には選択権を与えよう。潮岸の傘下から強制的に離脱させられたが、あくまで強制的であって公認じゃない。潮岸が殺しに来る可能性もある。その恐怖に耐えながら表で暮らすか、書類上死んで私の部下になるか。仕事上危険が付きまとうが、まぁ仕事以外の事であればプライベート上の平穏は約束してあげよう」

 

「結局、死ぬ気でただ働きかよ。潮岸のところと変わんねぇな」

 

一度、呆然としていた青年が苦々しい表情で吐き捨てる。どう足掻いても自分の人生が禄でもないものに対する皮肉か。

 

「そう悲観するな。私が運営する暗部は、他の暗部よりは住みやすい環境の筈だ。それに給料も出すよ」

 

「そう言った話じゃねぇよ。どうやっても、俺には汚れ仕事がお似合いみたいだって話だ」

 

しかし、無駄に死ぬ気もない青年は野生の狼のごとく野心の灯る瞳で本名不詳を睨みつける。

 

遠回しに本名不詳がプロデュースする暗部参加を表明した。

 

泥を被っても血を浴びでも彼には、生き抜く覚悟があるようだ。死に対する恐怖が生への渇望に変換されているようだ。

 

「君の前科については、特に聞かないでおくよ。それじゃ、新しいメンバーになった君の名前をなんにしようか?」

 

本名を名乗らないタイプの暗部組織らしく、青年は唇を尖らせると不機嫌な声で短く答える。

 

「〈絶対等速(イコールスピード)〉でいい。好きに呼べよ」

 

「あぁ、君の能力名だっけか。それじゃ頼むよナンバー2。絶対等速くん」

 

仮面の奥でほくそ笑む本名不詳の気配を感じ取ったのか、絶対等速と名乗る青年は差し出された本名不詳の手を手の甲で払いのけた。

 

一瞬、空気が凍った気がしたが、それでも絶対等速は態度を変えることなどない。

 

「俺は、生きるためだったら何だって利用してやる。何だって壊してやる。俺が生き残る為にお前を利用させてもうらうぜ」

 

完全に牙を向くことを宣言した物言いに、麦野は呆れた。

 

恰好付けているのかもしれないが、この闇の世界で重宝されるのは、信頼だ。

 

絶対に味方を裏切らない信頼が生き抜く為に必要となる。いつか裏切るとわかっていて、誰が共闘などできるものか。

 

「そうか。なら私は、君の実力を信頼しよう。それで契約成立だ。君は私の立場を利用すればいい。私は君の能力を信頼して君を使わせてもらうよ」

 

物々交換をするかのように、お互いの運命を分け合った。

 

信頼は実力で補い、生き残る為に彼は本名不詳の立場を利用する。

 

搾取しあう関係図の出来上がりでありながら、本名不詳も絶対等速も心は穏やかなものだった。

 

本名不詳にとっては、情で交わした契約でないので、相手が裏切っても痛くも痒くもない。つまり絶対等速から見れば、裏切らない限りの安全と命の保証が約束された。

 

アンバランスなようでいい具合にバランスのとれた二人の間に、オリアナも口を挟まず静観する。

 

「それじゃ、行きましょうかね。君にとっては嫌な生活になるかもだけど」

 

『アイテム』にとって換わる新たな暗部組織の誕生の瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが昨日の出来事だった。麦野はそれからまる一日の暇を言い渡された。

 

親船が娘の周辺にいた暗殺者が居なくなったことを知る時間と、本名不詳が麦野を気遣って自由時間を与えたのだ。

 

生憎と上条は学校に行っているので麦野自身は暇を持て余している。

 

親船や潮岸以外の統括理事会の人物を洗いざらい調べる作業もだいぶ終わって、余裕があった。

 

だからちょっと気分転換に外に出かけてみようと思ったのだ。

 

七月の青空を眺めながら麦野は男子寮を出る。

 

お昼時というのも相まって街にはそれなりに人が居た。昼食を食べにきた学生たちは、コンビニに入る者もいれば、ファミレスでのんびり食事している者もいる。

 

「それにしても、暑いわね」

 

じっとりと張り付く暑さに思わず麦野は顔を顰めた。気分を一転させる為に来たのだがこれでは逆効果だ。リフレッシュするどころか苛立ちが募る事間違いない。

 

適当に空いた店にでも入ろうと決意したが、見ればどこも人がいっぱいだ。

 

のんびり落ち着いて食事も出来ない雰囲気だ。それに友達と一緒に来てる者が大半であるファミレスに一人で行くのもなんとなく気が引ける。

 

もう諦めて上条の家に帰ろうかと考えていると、聞き覚えのある声が麦野を呼び止めた。

 

「おや、麦野さんじゃないか」

 

「あん?」

 

振り向いた先に居たのは、天然の茶色の髪に深々と刻まれた目の下の隈。そして、下着以外を身に着けていない上半身を晒した女性が親しげな笑みを浮かべていた。

 

「なんで服脱いでんだよ! 言ったよな私アンタと出会った時言ったよな!? 白昼堂々服脱ぐなって!!」

 

「え? だって暑いだろう。少しでも風通しを良くして熱を発散させなければ」

 

「風通し以前の問題だっつてんだろ!? そもそも捕まるから服を着ろ! そしてそんな格好で私に話しかけるな。同類だって思われるから!」

 

話しかけてきた人物は麦野の必死の説得の末、やっとシャツに腕を通し前のボタンを閉めると改めて、と言わんばかりに微笑みかける。

 

「本当に久しぶりだね? どこか食事か出来る所に入らないかい?」

 

「……聞きたい事があるしそこのファミレスでいい?」

 

「あぁ、構わないよ」

 

体力と精神力が削り取られた麦野は、一刻も早く休息が欲しくて近場にあったファミレスに入る。たまたま空いていた二人用の席に座った。

 

「で、木山さん。外で、いや家以外で服を堂々と脱ぐの止めてもらいたいんだけど?」

 

麦野の覇気のない声に木山と呼ばれた人物は腕を組んで真剣な表情をして答える。

 

「難しいな。おそらく無理だろう」

 

「なんでよ!?」

 

「いや、なんとなく。それにやっぱり暑いし」

 

お冷を一口飲みながら木山は、メニューを開く。彼女の中には、公衆猥褻容疑という言葉がないのかもしれない。

 

ここまで思い通りにならない人物に出会ったのは、おそらく三人目だろうと考えながら麦野もファミレスのメニューを開く。しかし、そこに鮭を取り扱ったメニューがない事に不満を覚えたが、無いもの強請りなどしても意味がなく、諦めて適当にボンゴレパスタをセレクトした。

 

「そうだ、木山さんに聞きたい事があるんだけど、いいかしら?」

 

「私が答えられることであれば、なんでも構わないよ」

 

注文し終えた木山は頷く。

 

店内は、適度に人が話し合って丁度、目の前に居る木山くらいしか声が届かない。だから麦野は自然体で自身の身に起こっている不安定さを晒した。

 

「今、私の精神が不安定だって知ってますよね?」

 

「あぁ、君の状態は二重人格いや、解離性同一障害と言える。どうにも重度のようだが、安定して見えるよ」

 

木山は麦野の状態を、ある程度冥途返し(ヘブンキャンセラー)から聞いてる。

 

いくらかの有名な冥途返しでも、精神面にまで精通している訳ではなく、大脳生理学者である木山に助言をもらっているのだ。大脳生理学は、人間の心理的、心の動きが脳にどの様な動きを齎すかを調べる事に重点を置いている。故に、木山は心理学に通じる知識は豊富な方で、脳波の動きだけで人の感情を読み取る事も可能であり、数値を見ずともある程度相手が考えていることが理解できる。

 

その彼女から見ても、麦野の心の動きと脳の動きの差に知的好奇心をくすぐられたのは、言うまでもない。

 

麦野の解離の仕方は尋常ではない。まるで見えない手に、もう一つの人格が押さえつけられているようにも感じていた。

 

だが、本名不詳の手から麦野を奪還した際、脳を検査した結果、大きく異なった数値になっていた。

 

本名不詳が何かしら処置をしたと見ていいのだろう。

 

綺麗に分離していた人格が、一定の融和を見せていたのだから。

 

「ふむ、確かに君の精神状況だと能力使用に不安を感じるのだろう? 最低ラインの安全性である君の精神をどうしたらもっと安全に、そして安定させられるのか。この事に重点を置こうか」

 

「よろしくお願いします」

 

専門家から話を聞くことで、自身の状況がどれだけ奇跡的な立ち位置か麦野は理解できた。

 

麦野はここ最近、まともに『原子崩し(メルトダウナー)』を撃っていない状況を初めて感謝する。

 

もしかすると本名不詳は麦野の不安定さを既に理解し、故に暗部の世界から放そうとしているのではないだろうかと木山は考えた。そうでなければ、彼女が上条に麦野を救わせた意味がない。

 

「麦野さんのカルテを見せて貰ったことがあるんだが二度目の入院、あれは一番酷かった。能力を使う事に違和感を一番感じたんじゃないかな?」

 

「確かに、あの時は能力を使うだけで変な感じがした。変な声までしたし」

 

「変な声? それは一体」

 

返答で気になる部分があったので木山は、問いただす。

 

麦野も頷き、あの時を思い出しながらゆっくりと語る。

 

「声の主は、原子崩しって言ってたわ。なんだか、懐かしい感じがする奴で、そのなんて言ったらいいかしら?」

 

「ずっと傍にいた感じに近いのでは?」

 

「そう、傍に居たような、でもちょっと違う?」

 

自問自答を繰り返して、麦野は感じた違和感であり懐かしさの因果関係を探る。

 

一体いつからあの違和感が付きまとうようになって、いつから自分が遠のいたのか。

 

思考を深く沈めていく。霞んで上手く思い出せない記憶の端を、パズルのピースのようにして組み合わせ一つの答えに導く。

 

麦野の繊細な作業を妨害するようにして、すぐ横から硬いテーブルに拳を叩き付けた音が店全体に響いた。

 

「いつ俺らが間違ったって言うんだよ!?」

 

「君らが力を手に入れてからだって言ってるだろ! 君のLEVELが上がってから、僕らが目指していたのと大きく違う路線を行っているんだぞ!!」

 

見れば高校生と思しき二人の男子がいがみ合っていた。お互いに興奮し、立ち上がって今にも胸倉を掴む勢いで、店員もただ困惑するばかりである。

 

隣で突如起きた惨事だが麦野は我関せずと言わんばかりに、興味を失った。木山は思春期によくある事だと思いながら気にせず水を飲む。

 

だが店に居る者達は彼女たちのように、合金製の神経を持ち合わせておらず、二人の喧嘩の行く末を心配したり火の粉が降りかからない事を必死に祈っていた。

 

誰もが遠巻きに見つめる中、二人の言い争いは激化する。

 

「そもそも、僕たちは武装集団(スキルアウト)の被害にあった人や、遭いそうになった人を複数の人数で助けるのが目的だっただろう? いつから路地裏に居る悪党どもを退治するのを中心に活動するのが信条になった!!」

 

「だってあいつ等は何時までも同じことをしてばかりじゃないか!? それなら原因の元を潰すのが手っ取り早いだろ? それに、最近の武装集団は俺たち以上に能力を身に着けて暴れてるぞ!!」

 

「それにしたって、痛めつけるのはやり過ぎだ!! もっと別の方法があるだろ? そんな事ばかりしてたら僕らも武装集団と変わらないぞ」

 

むき出しの感情を曝け出し、二人は掴み掛る。大きくテーブルが揺れ、乗っていたコップが床に落下する。それは砕け、中に入っていた氷と水をぶちまける。

 

響く破壊音に何人かが悲鳴を上げた。

 

だが恐怖に震えた声は、もう二人に届いていない。

 

「ったく面倒事起こしやがって。もしかしたら昼食お預け?」

 

「可能性としては、ありえるだろう。どうする?」

 

流石に被害が及びそうになって二人は、対策を考える。ここは無難に考えて、風紀委員(ジャッジメント)に通報するのが最善か。

 

しかしそれなら店側が既にしているだろう。二人は、すぐ横で繰り広げられている喧嘩を視界から追い出す。

 

「最近流行ってんのかしらね?」

 

「さぁ? なんでも最近、能力者が暴走しているそうだね」

 

「あぁ、聞いたことあるわ。能力者の暴走の原因は、確か短期間の間に急にLEVELが上がったせいだとか」

 

少年たちの口々から出てくる言葉を繋ぎあわせ、彼らが最近何らかの方法で能力を底上げし、しかも路地裏のチンピラ共もどうやったか知らないが能力を上げ、更にやりたい放題らしい。

 

子供ばかりでどこか無秩序な空気が漂う学園都市だったが、拍車が掛かってきているようだ。きっと風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)は目を回す忙しさに明け暮れているのだろう。

 

「はぁ、早く終わってくれないかしら」

 

そんな事を思いながら彼女は、ため息をついた。

 

麦野は、手を出す訳にはいかない。未だに闇が彼女の生きる領域であり、LEVEL5の中でも破壊と殺しに特化した能力で仲裁に入ろうものなら、辺りは無残な光景に変えられてしまうだろう。

 

それを知っているからこそ麦野は、冷淡に目の前の世界を切り捨てる。

 

人は彼女の行動を薄情というだろう。だが、分を弁えず能力を振り回し、闇雲に事件に首を突っ込むほど、麦野は正義感を持ち合わせていない。

 

麦野がコップに口を付けて水を飲んでいると、店内に少女の声が響いた。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの! そこの二人、今すぐ喧嘩をお止めなさい!! 言い訳は、詰め所で聞きますわ」

 

常盤台の制服にお嬢様口調の少女は、取っ組み合っていた二人を静止させる。

 

漸く事の重大性に気付いたのか、二人は表情を青ざめ、力なく項垂れた。反抗の意がない事に少女も感心したのか、穏やかな口調で語りかける。

 

「反省の意志もありそうですし、被害も小さいので厳罰までは無いでしょうけど、二度と店内での争いをしてはなりません。それでは、初春のちの事は任せましたわ。私は、この二人を連れて行きます」

 

「分かりました。白井さんも気を付けて下さいね。それじゃ先ずは、散らかったのを片づけないと」

 

手際よくそれぞれの仕事をこなす風紀委員に周りも安心したのか、また小さく雑談が戻った。店員は、二人にお礼を言って仕事に戻っていく。

 

比較的大きな事件じゃなかったのか、花飾りの少女、初春が小さく言葉を漏らした。

 

「こんな事件が平和な方だって思っちゃ、いけないんですよね……」

 

それは自分に言い聞かせた言葉なのだが、麦野や木山にも聞こえていた。

 

物悲しそうな表情で床に落ちたガラスを拾う少女を見て、麦野は意外と事が重大なのだと思い知る。

 

強くてもLEVEL3の連中が、悪事に手を染めているだけではない。時に表の人間を大胆に食い物にしているのだと、改めて強く実感した。

 

そして、麦野の脳裏に一人の少年が映る。

 

もしかしたら自分から事件に首を突っ込んでいるのではないだろうかと不安が掻き立てられる。

 

彼を愛おしく思う麦野として、今の街の雰囲気は放って置けない。

 

暗部脱退の事もあり、あまり気にかけていなかったが、どうしたものかと麦野は頭を悩ませる。だからこそ、彼女は目の前の女のどこか憂う表情に気が付かなかった。

 

目を伏せ、木山は小さく呟く。

 

「止まる訳にはいかないんだ。怨んでくれ」

 

「何か言った?」

 

「いや、早く生姜焼き定食が食べたいな、と」

 

特に疑う事無く麦野は頷いた。

 

疑われていないことに木山は、安堵と罪悪感を胸の内に感じた。

 

どうか、麦野が真実に辿り着かない事を願いながら、木山はコップに残った水を飲み干した。





漸く最新話更新です。
長かったぜ。

これでストーリーが進むので一安心という所でしょうか?

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