とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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新たな共犯者

覚醒。それは眠りと言う自然現象から文字道り、目覚めるということだ。

 

脳が正常に動き出し、神経を通って体中にある筋肉を刺激する。すると筋肉が伸び縮みして体が動くと言う訳である。もっと詳しく説明したいが、ここは省かせてもらおう。何故なら私は今、無理な体勢で寝ていたらしく、体に鈍痛が駆け巡っているからだ。

 

パキパキと乾いた音を立てて骨が軋む。

 

涙目になりながら起きると、懐の携帯電話で日付と時刻を確認。そして、まだ微かに痛む頭を抑え重たいため息を吐いた。

 

「あと二時間しかないじゃん」

 

なにがとはこの際説明しない。そんな暇は私に残されていないからだ。急いで部屋に向う。

 

扉を乱暴に開け、時計を見ると現在時刻、八時ちょい過ぎ。待ち合わせ時間は十時。

 

歯を磨いて、スーツに着替えて、髪を梳いてとやることは盛りだくさんだ。不調を訴え倦怠感が抜けない身体には、〈最高状態(フルコンディション)〉の能力を使うことにした。

 

この〈最高状態〉とは身体の状況をベストに保つということだ。LEVEL3程度で、その歳にとっての最良。LEVEL4からは若干の若返りで三、四歳くらい。LEVEL5からは黄金時代復活。本名不詳(コードエラー)なら十七、十八歳くらいまで肉体が若返り、最も活発な時代に戻れる。

 

しかしこの能力は今だ未確認の力である。理由はこの能力の持ち主がLEVEL0だからだ。

 

LEVEL0でも能力が分かる者もいる。その例が土御門だ。しかし能力開発を受けた184万人の内六割、110万人は無能力者でその中でも能力が分かるのは、たったの三割。つまり無能力者の七割は自分がどんな“チカラ”に目覚めたのかも分からない状況に置かれている。

 

大抵、その者達は武装集団(スキルアウト)の道に堕ちる事が多い。

 

この能力の持ち主もそうだ。

 

「こんな難しい能力に目覚めたのが運の尽きってねぇ。〈電撃使い〉とか〈風力使い〉ならLEVEL3くらいにはいけただろうに」

 

歯ブラシを手に取り歯磨き粉を付けながら独白してみる。独りだけしかいない空間に寂しく響いた。

 

だが能力の進化とはなにも演算で決まるものではない。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)をどこまで受け入れるか、にも関わっている。そして自分のそれがなんのか知ることも重要だ。AIM拡散力場を誰よりも把握している本名不詳に言わせれば、これが一番重要なのだ。

 

内側を理解して初めて、脳はその力を発揮する。

 

人はどの生物よりも脳を上手く扱えていない種族だ。記憶力も百二十年くらいは詰め込めるのに、人間は昨日の事さえ覚えているか危うい。右脳と左脳、その両方を同時に扱い行使すだけの力は一般人に備わっていないのだ。原石といった天然の能力者は元から扱えているらしいが、扱っているという認識はされていない。ほとんど無意識で発動している、と言うことになる。人工的に能力に目覚めた能力者は演算と言った意識的な行使が必須になる。これはもう先天的か後天的かの違いとしか言いようが無い。

 

人為的に能力を目覚めさせる為に、脳に薬品投与、電極を繋げるのは効率良く脳を使わせるためである。人が使えない部分を意識させる。意識により行使させる。行使により、能力が発生する。無限大と称せる脳に宿る可能性を無理やり引きずり出す外道な行為。世界はそれを見逃している。目を瞑っているのだ。

 

もう後戻りは出来ないほど、世界は『学園都市』に侵食されていた。

 

「さてと、着替えますか」

 

いつもの白衣を脱ぎ、椅子にかける。クローゼットの中身を漁り、黒いスーツを取り出し袖を通した。

 

ワイシャツはそのままで大丈夫だろう。鏡の前に立ち髪を整える。そこで憂鬱そうにしながら、化粧ポーチを取り出した。

 

そんなことをしなくても、整った顔立ちと肌の艶を保っているが、この交渉は重大なので久しぶりに気合の入った化粧をする羽目になった。面倒だ、と愚痴りながら本名不詳は乳液を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日がだいぶ上がった頃、学園都市に一人の女が侵入していた。サーモグラフィー、赤外線、監視カメラ、警備用ロボット、人の目。その全てが集中している正門から、堂々と入ってきた。その異常に誰も気づかず、感知せず。

 

そして女は艶やかな金髪を翻し笑う。

 

「あら、意外と簡単ねぇ。こんなんじゃお姉さん満足できないかも」

 

ふふふ、と妖艶な響きの笑い声は誰の耳にも届くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事用の眼鏡をかけ、本名不詳は持ち物を確認した。

 

ハンドバックに入れた資料、財布。護身用のナイフに、携帯電話複数。

 

これから重要な交渉をするにしては、あっさりとした身持ち。しかしこれで十分だった。今から話し合うのは、学園都市の外から来た客人であり、これからの仕事のパートナーになるかもしれない人物。その人物の写真、経歴、特技、性格などを記した資料を燃やし準備は完了した。

 

緊張を解すように襟を正すと、バックを持つ。そして、彼女は部屋から一瞬で姿を消した。

 

その一瞬後、見えている世界は外の世界だった。白を基準とした街並みに、行きかう学生の姿は無い。もう学校が始まっている時間帯であり、こんな時間帯にうろつく奴らなど高が知れている。

 

場所は第七学区の裏道り。

 

人の気配さえない場所に、空間移動した本名不詳は歩き出した。ここから100メートルもないカフェで待ち合わせをしている。表通りに出て、左右を確認し本名不詳は脳内の地図と地形を照らし合わせた。右に歩いていくと、見えてきたのは少し小さめのカフェ。最近ここのコーヒーを気に入っているからと言う理由でこの場所にしたわけではない。常連だからだ。

 

扉を開くとカラン、と鈴が鳴った。

 

蒸すような暑さから解放され、ほっと一息つくとアルバイトの大学生が笑顔で迎えに来た。

 

「こちらにどうぞ」

 

「待ち合わせしているんです。誰か来ていませんか?」

 

そう言われてバイトの子は直ぐに奥の席を指差した。

 

「あちらに一名様おります」

 

「ありがとう」

 

笑顔でお礼を言うと、案内するように先行した。

 

その場所について、本名不詳は先客に頭を下げる。

 

「遅れてすいません。待ちましたか?」

 

「いいえ、少し早く来すぎただけよ。もっと頑張ってくれるものだと期待してたんだけど、がっかりね」

 

「それはまた。でも仕方ないでしょう。そう言った事態には不慣れで経験も不足しておりますし、暇そうにしていたでしょう?」

 

意味の分からない会話に店員は首をかしげながら、注文を聞いた。

 

「ご注文は?」

 

「コーヒーと彼女に当店おススメのケーキをよろしく」

 

「はい、承りました」

 

パタパタと小走りで厨房にいったのを見送ると、本名不詳は目の前の人物に作り笑顔をする。

 

「初めまして、依頼人の本名不詳(コードエラー)です。オリアナ=トムソンさんでよろしいんですよね?」

 

「そうよ。依頼内容はなにかしら?」

 

金髪の美女は存在感のある胸の下で手を組み微笑む。

 

「仕事パートナーに貴女を起用したくて、受けてくれますか?」

 

「もっと教えてくれなきゃ。ねぇ、お仕事ってなにかしら?」

 

「察してしますよね? 簡単に言えば、暴走した能力者、並びに統括理事会の抑制。人殺しですよ」

 

先に注文していたオリアナは紅茶を一口飲むと、薄く笑った。

 

和やかな空気の温度が下がる。

 

「そう、でもそれって本当にお姉さんが必要なの? 学園都市にはそんなこと頼めない人ばかり?」

 

「そうですね。私個人の存在は能力者に疎まれるので。貴女のような“魔術師”が最適なんです。それにこの世界は極々一部を抜かして、戦闘経験皆無ですからオリアナさんのように経験豊富な方がいいのです。そして、魔術や科学に偏見が無く傭兵として雇える貴女はとても、とても魅力的です」

 

欲望を滲ませえる眼差しがオリアナを掴んで離さない。思わず息を呑んでしまうくらい、本名不詳の言葉は巧みだった。持ち上げてはいるが、一番に見ている所はその素性と思考である。

 

魔術も科学も関係ない。そこを知っているということは、オリアナがどの様な思いで戦っているのか、調べているのかもしれないということだ。

 

「私は貴女を高く評価しています。目的の為なら手段を選ばず、幸せの基準点を探し続ける不屈の精神力も」

 

目の前のスーツを着た女性の口から出てきた言葉にオリアナは、一瞬呼吸を詰まらせた。

 

おそらく自分の行動原点を知っていると思っていたが、ここまで真実に近いものだとは、考えてもいなかった。完全に不意打ちを喰らって、ワンテンポ遅れて返事を返す。

 

「……えぇ、お褒めいただき光栄だわ。でも幸せの基準点を見つけるための努力で、無作為な人殺しの為ではないのよ。それをご理解いただけて?」

 

「知っていますとも。そして未だに幸せの基準点が見つかっておらず迷子になっていることも」

 

あくまで穏やかに。そう保っていた空気に大きな亀裂が入るのを両者が感じ取る。

 

大体の原因である本名不詳は、微笑みを浮かべながら上辺だけの穏やかな雰囲気を崩さない。だがオリアナは、まだ若いと言うこともあり、徐々に荒れ始めていた。

 

「そんなにお姉さんを怒らせたいのかしらぁ?」

 

「ははは。そんなまさか。ただ事実を言っただけですよ。まぁ、なんと荒唐無稽な夢だと、ね」

 

「やってみないと分からないじゃない! 人の幸せの方向を揃え、集団を統括する力を持つ人がそれを導く。出来るはずよ!」

 

会って数分程度の人物に願望を全否定される筋合いはない。オリアナは小さく声を荒げ、本名不詳は専門書の内容を噛み砕くようにオリアナの願いを紐解く。

 

「人の幸せの方向性を揃え、人間同士の争いや齟齬を無くす。つまり、人の意識を繋げ、同じ思想の人間を増幅させる。貴女の考えを科学的に言えばこうなります。端的に言うと、人間性の放棄に一番形が近いでしょうね」

 

人間である事を捨てろ。

 

オリアナ=トムソンの唱える齟齬のない争いのない世界とは、そう言う事なのだ。

 

「違うわ。私が望んでいるのは、誰もの幸せが!」

 

「幸せの方向を揃える? 幸せとは、人の願いは同じになるほど人間の感情は単調でしたか? 違うでしょう。基準点とは、誰かに任せていれば勝手に決まるものとでも?」

 

「そ、れは違う。でも、お姉さんだって本気なのよ! 悩んで悩んで、どうして誰もが幸せになれないのか、どうして人は傷つけ合うのか、必死で考えてようやく辿り着いた答えがこれなのに、貴女はゴミみたいに下らないと言うの!」

 

血を吐き出すんじゃないかと言う勢いでオリアナは訴えた。

 

もう縋るしかないと、自覚するほどに人の幸せとその基準点は、個人によってあまりにも違いすぎた。驚くほどに、様々な望みが溢れ、渦巻き、それがぶつかり合い悲劇を招く。

 

不幸なことにオリアナという少女は、そんな悲劇を多く見てきてしまったのだ。誰よりも誰かの幸せと幸福を追求する彼女の心にどれほどの傷を刻んだことか。

 

打ちひしがれるオリアナの表情を見て本名不詳は、心の中でほくそ笑んだ。

 

人間の身で、望んだ願いが神の領域である。笑うしかない。大きすぎる己の願いに苦しみのたうち回るその姿に。

 

どれほど望んでも手元に届かない高みに手を伸ばす。

 

傍から見ればこれほど滑稽で哀れなことは無い。

 

「それほどまでに、誰もが幸せを享受しなければ満足しませんか?」

 

「満足だとかそんなものじゃわないわ! そうなるべき事!」

 

「人の欲と憎しみを消してしまえば、人類は存亡出来ない。つまり貴女の望みは、最初から答えも何もありません。虚数だとかそんな問題じゃない。ゼロにゼロを掛けても所詮ゼロ。夢は見るもので、願望は儚いと相場で決まってます」

 

止めを刺す本名不詳の言葉にオリアナは耳をふさぐ。

 

「諦めない! 絶対に道があるはずなのよ。……だって、だってそうじゃなきゃ」

 

語尾が震え彼女の美しい貌に陰りが出る。

 

「まぁ、貴女の今のやり方じゃ何百年経とうとも到達できないでしょうね。そんな漠然とした“なにか”で楽園を作れる筈もない」

 

呆れと、そして誘う響きを持たせ本名不詳は、声を零した。おそらく、ここでオリアナが食いつかなければ話に展望はない。

 

それを肌で感じ取り例え罠でもオリアナは、自分の願望のために食らいついた。

 

「それは、どう言う意味なのかしら? ここまで虐めておいて、本題を今頃持ち出すなんて酷いわ」

 

「存外、まだ正常な思考は残っていたんですね。いや僥倖。本当に誉めてるんですよ。仕事柄様々なタイプの能力者と戦ってるんで、精神を操る能力者とも遣り合うんですが、こいつらが実に厄介でして。一応自分が信じるものを全否定されても、最後崩れない強い人を探してました。面接は合格と言ったところです」

 

本名不詳は満足した表情で微笑む。

 

「では、貴女が求める答えに一番近く、最短の距離を進むことのできる我ら科学サイドの技術を」

 

懐にしまっていた携帯を取り出すと、本名不詳はオリアナに差し出した。真っ白な小さな端末。それを起動させると、文章がびっしりと書き込まれた画面だった。

 

「これは?」

 

「あぁ、読んでください。そして貴女が判断してください」

 

優しく微笑む本名不詳に押され、オリアナは大人しく携帯の画面に映し出された文章を辿っていく。それは理解できないような専門用語などない。事細かに、書かれ故に膨大な分譲量となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティーの香りとチーズケーキの甘い香りがテーブルの間を行ったり来たり。オリアナが携帯の画面と睨み合いを始めて既に五分も経っていた。

 

彼女が文面を追い始めて直ぐに、注文したそれが来たのだが、オリアナは一向に手を付けようとはしない。優先順位はケーキよりも目の前の文章とその内容らしい。

 

本名不詳は、コーヒーを飲みながらオリアナが携帯に表示されてある文を読み終わるのを待った。

 

「こんな事って、可能なの?」

 

「個人的に可能だと思いますよ?」

 

読み進めていたオリアナが眉間を押えて呻く。

 

信じたくない。しかし縋りつきたくなる魔性の誘惑を秘めた学園都市の計画。

 

だと言うのに本名不詳の声には、特に重要なものだと窺わせるものはない。

 

「随分と曖昧に言うのね。これは貴女にとっても大切な計画になるものじゃないの?」

 

「物事に絶対なんて無いので。だからこそ必ず成功するとか、言えません。ただ、万事が上手くいけば可能です」

 

「頭痛がするわね。文字通り世界が引っくり返るようなものじゃない」

 

頭を抱えながらオリアナは、本名不詳に携帯を突き返した。

 

「良いんじゃないんですかひっくり返して。ぐちゃぐちゃいにして。どうせ後戻りは出来ないのですから」

 

オリアナの手から携帯を受け取り本名不詳は、最後に残ったコーヒーを飲み干す。

 

「もちろん悪い話じゃないと思いますが?」

 

「えぇ、そうよ。だから悩んでるの。でも貴女が見せてくれた物が本当だという保証がない。騙してるのかもしれないでしょう?」

 

最後の最後に、オリアナが科学サイドに傾くのを渋る理由を吐露する。

 

眉間に皺を寄せ思い悩むオリアナの言い分は最もだ。なにせこの計画の概要は、常人でも狂人でも信じられたものじゃない。あるのは、まだ宙ぶらりんの机上論だ。数値上では可能と言われているだけのものでしかない。

 

どうしたらオリアナが来るのか本名不詳は、考える。オリアナ程度の実力なら、学園都市内でもそれなりに居る。だが使勝手の良さと、使い方次第では、LEVEL5とも戦闘が可能な彼女は本名不詳として是が非でも欲しい。

 

「まぁ、先ずはティーでも飲んで頭の中を整理してください。それから真偽を確かめても遅くはないはずです」

 

「そうね。頂くわ」

 

既に温くなったティーの一口。

 

あまり美味しくないと思いながらも、オリアナは更に一口だけ飲む。そうやって心を落ち着かせ、渦巻く思考を少しずつ整理する。

 

「ねぇ」

 

「なんですか?」

 

「貴女は、何を望んでいるの? こんなことをして、何を成就させたいの?」

 

オリアナは、短い時間どうやってこの荒唐無稽な計画の真偽を確かめるか思い悩んだ末、要でもある目の前の本名不不詳に尋ねた。

 

彼女が完成させる計画の果てにある彼女の本当の願いは、いったい何のなのかと。

 

その問いに、本名不詳は小さく答えた。

 

「私自身の願いでは、ないのですが、そうですね。きっとやり直したいんです。あの日起きたことを」

 

「貴女自身の願いじゃないのにこんな事をするの?」

 

さらに訳が分からないというオリアナの視線に、本名不詳も苦く、そしてほの暗い笑みを零した。

 

「えぇ、私が生まれておよそ六年。漸く人格と言うものを得ました。もっともあの女に引っ張られるのは、癪ですがあの子を救うならば私は、文字通り命を賭けます」

 

営業者としての仮面を殴り捨てて本名不詳は宣言した。

 

たった一人の人間として、彼女は叶えた願いがあるのだと。それこそが本名不詳の基準点。一人の人間を根本から救うために世界を変えるというのだ。

 

「この計画が上手く行った暁には、貴女が見たかった世界を見せることも可能です。ご一緒にどうですか?」

 

悠然と微笑み本名不詳は手を差し出す。

 

きっとこの手ととるという事は、悪魔との契約なのだろうとオリアナは理解した。魔術師が科学に味方をするという事は、魔術サイドからは敵であり、科学サイドからも敵なのだ。

 

オリアナは孤立を恐れてはいない。ただ本名不詳が目的を達成したとき、自分が望む世界を見せてほしい。齟齬のない世界。

 

「そうね。貴女の専属傭兵にでもなろうかしら。これからよろしくねマスター」

 

「こちらこそ。では、外に車を手配してますので」

 

本名不詳は椅子から立ち上がる。置いてあった伝票を掴むと、オリアナを伴って会計を済まし暑い日差しが照りつける外に出た。

 

灰色の街並みの上には、真っ青な空が広がっていた。

 

カフェの駐車場には、一台の黒塗りの車が止まっている。本名不詳は車の扉を開け、オリアナに入るよう促し、彼女もそれに従い車に乗り込む。本名不詳がそれに続き乗り込むと、車が静かに発進した。

 

「お姉さんがする仕事内容はなにかしら?」

 

「勝手に科学技術を外に流失させる馬鹿を捕まえたりするのと、暴走した能力者や統括理事会メンバーの制圧です。無理に殺さなくてもいいでしょう。過激な自警団とでも思っていて下さい」

 

「ふーん。それで暴れるのが仕事なんだ。でも貴女一人でもできるんじゃないの?」

 

仕事内容を整理しながらオリアナは問い掛け、本名不詳は困ったように頬を掻く。

 

「さすがにオーバーワークは勘弁して欲しいなぁ。そもそも研究することが本来の仕事の筈なのに、面倒ごとばかり上司が押し付けてくるし」

 

「あら、研究者だったのね。てっきり暗殺者(アサシン)なんだと」

 

足運びから表情を変えずターゲットに近づき、殺気を一切感じさせない雇い主の彼女。故に本職は、秘密裏に邪魔者を殺すものだと思っていたのだが、この街に相応しい職についていた。

 

そのことにちょっとばかりオリアナは驚き、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「貴女も傭兵なんてしたら儲かるかもしれないわよ?」

 

「否定はしないけど、嫌だよ。それに私は名前が無くとも『木原』だからねぇ」

 

諦めにも似た表情で語っていたがそれを引っ込め、本名不詳はズボンのポケットから黒い携帯を取り出す。

 

「雑談は置いといて、携帯持ってる? アドレス交換したいんだが」

 

「魔法で連絡取れるから持ってないわよ」

 

「あらら。それじゃ仕方ない。取りあえず、今から君の実力を見たいから正式な仕事をする。これがそれについての資料ね」

 

虚空からいきなり現れたコピー用紙をオリアナに渡す。

 

そこに書かれたいのは、学園都市の技術情報を流出させている研究者と、それに加担している能力者のリスト。

 

そして拠点になっている建物や情報の流出ルートなどだ。

 

事細かに書かれた資料に一通り目を通し、オリアナは本名不詳につき返す。

 

「はい。覚えたからもう良いわ。それより、お姉さん一人でこの二つのグループを殲滅すればいいのかしら?」

 

「いいや、研究者グループはこっちで受け持つよ。あれはただの情報運び屋さ」

 

「あら、運び屋対決させてくれないの?」

 

「一般の運び屋とアンタを比較するな。そもそも君は逃げるの専門でしょう?」

 

呆れたように本名不詳は言うがその表情は、頼もしい仲間に笑みを浮かべていた。

 

黒い車は高速道路に入る。第七学区を抜け、二人はそれぞれの戦地への向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここね。さて、あっちはあっちに任せてお仕事しないと」

 

単語帳の端を噛み、千切る。それだけで今まで霧一つ無い廃ビルの中が曇った。手を突き出せば指が完全に見えないほどの濃霧。しっとりとオリアナの地肌を濡らす。乳白色の世界は視界を覆い、普通の人なら歩くとさえ儘ならないが彼女は自分の家の様に進んで行った。

 

ヒールを鳴らし、自分の居場所を教えるように歩く。異常事態と気付いた相手側は、一気に身動きが制限されることだろう。

 

情報によれば強能力者が四名、無能力者が六名の計十名。荷物運びを生業としてきたが、真っ向から叩きに行くのは久々だ。

 

単語帳を確認しオリアナは敵がいる二階へ向かう。

 

ざわざわと騒ぎ立てる声にオリアナは露骨に嘆息した。視界を潰されたくらいで取り乱されては、この先が思いやられる。敵の行く末を気にしているわけではないが、お粗末すぎると楽しむどころか彼女曰く、欲求不満が募ってしまう。少々、戦闘狂気味なお姉さんの渇きがこの街で消化されるのか、そっちの方が気になって仕方ない。

 

階段を上がりきると、頭の中でスイッチを切り替える。仕事をするときの思考は話し声が途絶えた瞬間を聞き逃さなかった。

 

培われた経験と身についた危険察知の直感がオリアナを突き動かし、廊下を駆け抜ける。数秒遅れで彼女の背後が爆発した。爆風に煽られ前につんのめる。さっきの爆発で壁に穴が開いき霧が外に流される。廊下の霧は殆ど外に流され、晴れた視界にの先にはオリアナよりも幼い子がその手から炎を燻らせ、もう片方の手に爆弾を持っていた。

 

「ふーん。こんな狭いところで爆発だなんて、お姉さん驚いちゃった。爆弾の種類で戦法を変えたりするのかな?」

 

「…………僕らには、やらなきゃいけないことがあるんだ。邪魔するなら」

 

「するなら?」

 

「ここで死ね!!」

 

まだ中学生くらいの男の子は小さな爆弾を撒き散らす。一つ一つは威力は無くとも、敵の意識を引き付けられる。しかし、オリアナは爆弾など無いと言わんばかりに単語帳の端を咥え、リングから無理やり外した。火炎放射(ファイアスロアー)の少年はその行動がどんな意味か分からないが、邪魔者と決定し右手の炎を拡散させるように振りまく。

 

火が当たった爆弾から片っ端に爆発する。連鎖した爆破の威力は無防備のオリアナを包み、熱風は少年の頬を荒々しく炙る。爆ぜる火の粉に、収まらない炎を見て少年は俯きそっと胸の内を告白した。

 

「ごめんなさい」

 

「優しいのね坊や」

 

唐突に聞こえた声に少年は顔を上げ、喉を引きつらせた。

 

炎が内側から膨大な風に掻き消され、悠然と金色の髪をかき上げるオリアナがいた。服にも肌にも、焼け痕はみられない。あの状況で傷一つないオリアナは、少年には化け物に思えた。

 

恐怖を押し殺し、小さな瓶を投擲する。液体火薬だと特定したオリアナはまた単語帳の一ページを千切った。それが宙に浮いている状態で少年は火炎弾を撃つ。

 

ガラスを一瞬で融解させる高熱に反応した液体火薬は先ほどの比ではないくらいの劫火となって押し寄せる。オリアナの咥えてある紙に『wind symbol』文字が浮かぶ。風の象徴に青のインク。

 

氷の盾が展開する方が速かった。

 

膨大な熱量と、絶対零度の盾が激しく反発する。オレンジ色の光に晒されながら、オリアナは新たに紙を千切った。拮抗した氷と炎は水蒸気爆発を起こし、少年はひっくり返る。腰を打ちつけ呻くと白い靄の中から複数のロープが蛇の様な動きで少年に巻きついた。

 

「うわああああああ!」

 

抵抗も空しく簀巻き状態になった少年の耳に女の色香を乗せた声が擽る。

 

「暴れないの。お姉さん殺す気はないから安心なさい」

 

「う、うるさい!ちくしょうこの、外せ!?」

 

「お仕事が終わったら外してあげる。戦ってる最中に気を抜いちゃ駄目よ」

 

致命的なくらい、この戦いで気を抜いた少年にひらひらと手を振ると軽い足取りで去っていく。その先にある部屋で大事な作戦が行われているというのに、足止めにも為らなかった自分を責めていると、オリアナは思い出したように振り返り、自信のプロポーションを見せ付けるようなポーズを取った。

 

「そうそう、物理的な炎じゃお姉さんは身体しか火照らないの。もっと内側から熱くしてくれなきゃ」

 

「!!?」

 

それが何を意味するのか、本能的に理解した少年は自負の念さえ忘れてガチガチに硬直した。真っ赤になって大人しくなった少年を見て、可愛いと思っていると脳内に怒声が響いた。

 

――――健全で耐性のない、いたいけな子供になに言ってんの!!

 

「あら、これが念話能力?」

 

――――そう、頭の中で思ってくれればいいから。で本題。君はもうちょい表現をまともにできないわけ?

 

――――そんなことしたら、お姉さんの大事な特徴が無くなっちゃうわ

 

オリアナはどこかで見ている本名不詳が呆れているのを思い浮かべ、愉快そうに笑う。

 

――――大丈夫。君の特徴はその殺人兵器になりそうな爆乳で十分だ

 

――――あら酷い。お姉さんはおっぱいだけじゃないのよ

 

――――力量に問題ないだけあって、性格にこうも難アリだと追加効果すごいのな

 

意気消沈とした音の無い声を最後に一方的に通信を切られ、オリアナは肩を竦めた。流石に年端もいかない子をからかい過ぎたと思う。しかし倒した自分がいうのもなんだが、ちょっとした罪悪感をが湧いてしまったのだ。そこでこのもやもやと、子供には相応しくない顔をどうにかしたくて自分なりの冗談を言ってみたのだ。それをなんとなく察していた本名不詳(コードエラー)は敢えて深く注意はしなかったのだろう。

 

実はオリアナは本名不詳との交渉の時、人殺しと言う単語で彼女について行くか悩んだ。オリアナの気性や思いを知っていながら、包み隠さず言った。殺生も極力しなくていいと。その裏で本名不詳が手を汚すかもしれない。その他の人が殺すかも。それでも本名不詳について行ってみようと決意できたのには、彼女の言った基準点、観測点の行方が気になったからだ。もう一つは、

 

「あの人って何処に行って、何がしたいのかしら?」

 

そう本名不詳という人間がなにを願い、何を望み、どう生きたいのか。それが知りたかった。

 

彼女の瞳の奥にある欲望の炎の意味を探求したい。彼女は世界をどうしたいのだろう。

 

どこかにいる本名不詳に、思いを馳せる。

 

その彼女は、地下研究所で認証IDでセキュリティを解除し、奥に続く通路を進んでいた。

 

白と鉄の色で彩られた色彩に欠ける地下通路。そこを辟易しながら彼女は進む。

 

学園都市の限られた土地を最大限に活用するためには、地下に掘り進めることが一番効率がいい。そして広大な地下が生まれ、今でも拡大化は進められ、地下には多くの通路と研究施設ができている。

 

だが広大であるが故の問題があった。それは、地下の複雑化である。

 

今では誰もその全貌を知らない。アレイスターの情報収集の虎の子、滞空回線(アンダーライン)が入り込めないほどになっている。

 

万能にも見える滞空回線でも進入不可の未知の領域。

 

それについて木原一族でも早急な対応策を模索しているが、未だに現実的な案が出ない。

 

この地下空間の問題解決はまだまだ先になりそうだ。

 

そして今回研究者の始末に乗り出した本名不詳。手に負えなくなった地下に赴く理由とは、その研究者どもは、なんと地下を掘り進めてうっかり外に繋がる下水道を掘り当てたのだ。誰も手が付けられない事をいい事にそこから情報を流し金を得ていたそうだ。

 

漸く掴んだ情報にも色々と不備があったりして、今日やっと始末できる事に本名不詳は喜んでいいのか時間がかかった事に憤慨すればいいのか分からない。

 

「そもそも、外担当の『ブロック』が詳しい情報を寄越さないってのが原因だが、分からなかったと白を切り通せるから、粛清できないんだよなぁ」

 

見つけられなかったのは本名不詳やアレイスターも同じである。

 

責める材料も見つからず、彼女としては、今回片付ける研究員より『ブロック』の方が気になって仕方ない。

 

表立ってないが『ブロック』と『スクール』は、反学園都市であるのは暗部を仕切る本名不詳とアレイスター周知の事実。

 

二人は今は粛清しないという形で合意し、泳がせている状態だ。

 

言い換えれば二人の意思は『スクール』に無駄な刺激を与えたくない。ただそれだけである。『ブロック』など、替えが効く駒を大事にするのは、LEVEL5第二位の垣根帝督の暴走回避と彼の慢心を誘う舞台装置。

 

最早見限られた組織『ブロック』

 

それをどう残虐に滅ぼすかを考えながら、本名不詳は剥き出しのリフトに乗って下に降りる。

 

日の光を知らない闇の中で彼女の鼻歌が響いていた。

 

きっとそれは鎮魂歌。誰も知らず誰も気づかない所で呆気なく死ぬ彼らに込めた最後の哀れみ。

 

鼻腔を僅かに刺激する汚水の臭い。

 

リフトは止まり、本名不詳は降りる。本当に僅かだが、嗅ぎたくも無い臭いがする。

 

この閉鎖された空間で、そう簡単に臭いが消える筈も無い。

 

本名不詳は、枝分かれした通路を突き進みふと足を止める。

 

囁き合う声に彼女は獰猛な笑みを浮かべ、声の主に接近した。曲がり角から覗き見れば、小太りの男と痩せ型の男が並んで金額について話し合っている。この二人の共通点と言えばどちらも幸薄そうな中年だということだ。

 

このまま暗殺するのもいいが、どうやらこれから一直線の通路が続くようで、気づかれずに殺すのは、面倒である。

 

本名不詳はわざと足音を立てて、二人を呼び止めた。

 

「そこの二人、ちょっと待て」

 

「ひっ!?」

 

呼び止められる声に小太りの男は、目に見えて体を震わせ、もう一人の男の後ろに隠れようとする。しかしもう一人の痩せ型の男は、振り返らず黙って立ち止まった。

 

「出来れば話が聞きたいから、大人しく」

 

その瞬間、本名不詳の視点が一つ消えた。彼女の視界は振り返った痩せ型の男を捕らえたと同時に、天井を写し、廊下に倒れた。

 

痩せ型の男は振り返ったと同時に銃を撃ち、それは本名不詳の左顔半分消し飛ばす。

 

硝煙を上げる銃を男は懐にしまうと、ピクリとも動かない本名不詳に近づこうとすうる。それを小太りの男の声が止める。

 

「お、おい。そんなの放っておけって!!」

 

「馬鹿か貴様は? このルートがどこの連中に知られたか確かめんとならん。この女が普通でないことなどここに居る時点で分かっている」

 

静止を無視して痩せ型で気難しそうな顔をした男は、倒れた本名不詳を覗き込んだ瞬間、呼吸を止め、硬い表情が一気に恐怖にとって変わる。

 

どことなく雰囲気で変だと察したのか、小太りの男は後ろからそっと声をかける。

 

「どうしたんだよ? おい」

 

「あぁ、顔の半分吹き飛ばされたのさ」

 

朗々と女の声が返答する。

 

その声に男たちは顔面蒼白にして後ずさる。まるでゾンビのように起き上がる本名不詳の姿に小太りの男は、尻餅をつき可哀想なくらい震えだす。

 

「急に撃つだなんてぇ、と非難してやりたいがいい判断だ。でもねぇ、常識が通じる相手にしか効かんよ」

 

左顔を覆っていた手を退ける。そこにあったのは空洞。

 

顔面の内側はプラスチックのように滑々とした素材で、彼女の体は外見だけ人間。

 

顔の中の空洞。そこには黄金色の三角柱が忙しなく音を鳴らし動いていた。その光景は、キーボードを打っているようだった。顔の表情、声を出すたびに三角柱の何かが動く。

 

人間ではないモノは、嗤って見せる。

 

そして、地下の一角で二人の男の絶叫と悲鳴が木霊し、ふっと消え去った。

 

こうして地下にはいつもの静寂が戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の太陽が傾いたころ、黒く艶やかな髪を高い位置で結い、ナチュラルメイクを施した玲瓏とした顔の美女が大きく背伸びをする。

 

「いやぁ、やっと終わったぁぁ!!」

 

ほっと一息をついて、指定してた場所に向かう。

 

そこには黒い高級車が一台。スーツの襟を正し乗り込むと、オリアナが出迎えた。

 

「お帰りなさい。ずいぶん遅かったじゃない」

 

「すまん。待たせたお詫びとして何か言うこと聞くから許して」

 

「あら、なんでもいいの?」

 

本名不詳に重ねて問い掛けるオリアナに本名不詳も大きく頷いた。

 

「いいよ。なんでもねぇ」

 

「なら今度、戦っていただける? こんな生殺しみたいな戦いが続くなんてお姉さん耐えられないわ」

 

少しむくれて文句をいうオリアナに苦笑しながら本名不詳は頷いた。

 

「そんなことで良ければ。まぁ、反省会はアジとに戻ってからだ」

 

本名不詳の声に応えるように、車は高級ホテルに向けて走り出した。


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