とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

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遅くなって申し訳ありません!




一人分の世界

本名不詳は逃げていた。

 

理由は、滝壺理后と無事に戦わなくて済む最低限の信頼を勝ち取ったのだが、操り人形にされた絹旗最愛には、殺されそうな程の殺意を送られた。

 

いや、実際絹旗は本名不詳を殺しに掛かっている。だからこうして逃げているのだ。

 

滝壺が麦野を救出するまで信用出来ると言っても、絹旗はそれを上回る正論を述べたのだ。

 

曰く、

 

「一瞬で精神を操られる可能性だって超あるんですよ。そもそも情報さえあればこんな女用済みです」

 

やろうと思えば本名不詳は出来る。

 

しかし、この場合優先される事柄は、裏切らないという確信よりも裏切る手段が無い方が重要なのだ。元から敵同士。安易に信用はしない絹旗の思考は、暗部という世界の住人として責められるべきものではない。

 

後は、先手必勝と言わんばかりに殴りかかって来た。

 

撃退しようにも、そうしてしまえば絹旗が退場する事が余儀なくされる。情よりも理を重んじる彼女に本名不詳が手を差し伸べたところで、どうにもなるまい。

 

だから逃げるしかないのだ。絹旗には、まだやってもらう事があるのだから。

 

だが本名不詳は失念していた。

 

『アイテム』には、トラップを専門とする人間が居た事を――――

 

誰もいない長い、長い廊下。そこで本名不詳は、フレンダの仕掛けた罠を撤去していた。発火テープに人形型の爆弾。センサー式で起爆する罠。ワイヤーを切断すると、どこから高速で飛来してくる弾丸に似た丸い弾の数々。

 

数えればキリがない。

 

そしてどれも当たれば死に繋がるものばかりだ。

 

もしくは全てが死に繋げる罠と言った方が正しいのかもしれない。よく見ればどれも一撃で殺す事を考えてはいない様だ。

 

詰めが甘い、と言うわけでなく逃げた先に罠があるタイプの仕掛け。連続で作動する造りになっていた。

 

故にこれが逃走を大いに邪魔をする。

 

一個だけで大きいものだったら解除も楽だったのだが、なにぶん数が多い。

 

「並みの能力者なら死んだな。いや、殺す気でやってるからこれでいいのか」

 

大量の人形を山積みにして本名不詳は甲高く指を鳴らす。変化は直ぐに起こった。

 

真新しい人形の首が、崩れ落ちた。それだけじゃない、腕が、脚が、目に例えたボタンが、無残にボロボロと落ちる。それは人形全部に見られた異様な変化。物質が長い年月を経て分解される様を早送りで見ている気分になる。

 

崩れた人形はさらに細かく分解され、原型を保っているものは一つもない。目に見えて塵に変えられていく。その中から、黒く四角い物体が出てきた。恐らくこれが爆弾だろう。しかしもう爆発することは無い。

 

「物質経過時間の速度を通常に戻してっと。さて、ごみ掃除は風に任せますか」

 

見えない風の刃が四角い箱を粉々に砕くと、風は塵とともにそれを舞い上げる。辺りに拡散させるのではなく、本名不詳は逆に塵を一箇所に集めて<原子崩し>の閃光で文字通り、塵も残さず吹き飛ばした。

 

綺麗になった廊下には危険な物は一切ない。仕掛けに使われた弾をポケットに仕舞うと本名不詳は来た道を戻る。

 

無駄に広い研究所のいたるところには、大きなクレーターが穿たれえている。

 

絹旗の拳が抉ったのだろう。

 

八つ当たりをしたかのように、辺り一面に痕跡がある。

 

その凄まじい跡に本名不詳も苦い表情をした。

 

「そんなに私のことが嫌いなのかねぇ? まぁ好かれても問題だけど」

 

誰に言うわけでなく、言葉が床に落ちる。

 

そして、誰も居ない事を確認して更にそっと呟いた。

 

「暗闇の五月計画……。かつて木原神無が主任を務めた、同一能力の生産目的研究が頓挫してそこから発生した研究。非人道的実験により能力向上させ、LEVEL5の生産に目的を変えたが、マウスの暴走でまたもや頓挫」

 

負の連鎖とは、まさにこのことか。

 

系譜は途絶えることなく、憎しみを糧にした少女は本名不詳を追っている。

 

もしかすれば、本能的に絹旗は勘付いている。本名不詳が研究のどこかに関わっていたのだと。

 

そうなのであれば、これから二人が歩み寄る事など夢物語だ。

 

本名不詳は、自嘲する。するしかない。

 

今更謝るなどという選択肢は無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして本名不詳は、最初に戦闘をした場所に帰ってきた。

 

丁度起きたらしいフレンダが辺りを見渡している。

 

本名不詳の姿を見て、ブロンドの髪がビクッと跳ねた。思わず声を出してしまった事を悟られないように睨んでくる。しかし恐怖で体が強張ったと言う事までは隠せなかった。小動物の威嚇行動に目を細めつつ、本名不詳は気軽に接した。

 

「血液量とか大丈夫かい? 少なかったりとか、逆に多かったりする?」

 

「…別に」

 

無愛想に返ってきた返事に本名不詳は満足したように笑い。フレンダはその笑いが気に入らなかった。

 

「なに? 勝ったから余裕な訳?」

 

「違う違う」

 

何を言い出すんだ、と言わんばかりに手を振り乱す。

 

「私は落胆しなくて良かったから笑ったの。『暗部』だよ。闇の人間が、簡単に他人(ひと)を信じちゃいけない。それを無意識に理解できてるみたいで安心したんだ」

 

「例え『暗部』の世界じゃなくても、アンタみたいな胡散臭い奴を信用する訳ないっての」

 

「ひどい嫌われようだなぁ。治療してあげたのに、信用しなくていいから愛想はよくしてよ」

 

「普通なら問答無用で殺し合い開始よ! 口を利いてやるだけマシだと思え!!」

 

「あっは! 殺し合いをしないのは君が私に勝てないからだろ? なに履き違えてんの? 君の選択肢はもう『取り合えず本名不詳と会話する』しか残されてないでしょう」

 

ゾワッと冷たい殺気がフレンダの背筋を駆け抜ける。呼吸を忘れ、石のように固まっていると本名不詳は嘘のように殺気を掻き消した。

 

口元にはどうだ、と不敵な笑みを浮かべる。挑発されているのだろうが、圧倒的な存在の前にフレンダは虚勢を張ることも出来なかった。死が目の前にあると思うと、脚が震える。

 

「でも、私は……私は!」

 

虚勢なんて、張れない。言い返す事だって、出来ない。それでも譲れないことはある。今だって逃げ出したい。でも、完全に意識が途切れる前に聞いた滝壺の思い。

 

自分が麦野を助ける理由は、そんなに崇高でもない。胸なんてはれない。それでも勝てない相手に一矢報いるには、十分だ。

 

「アンタに負けない!!」

 

「ッ!!」

 

重たい音が無機質な廊下に響く。硝煙の煙が鼻にツンと沁みる。

 

窮鼠が猫を噛む。追い詰められた者は時に何をするか分からない。猫もまさかねずみが自分に噛み付くとは夢にも思わなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでアイツ等は勝手に行ったんだ!!」

 

上条は制服のシャツに袖を通しながら怒鳴った。怒りも大いにあるが目に見えている感情は、不安と焦りか。

 

「すまなかった。私には止めることが出来んのだよ。……自分が信じる道を彼女たちは行ったんだ」

 

「そう、だよな。すみません、なんだか一人で焦っちゃって」

 

いや、と木山は抑揚の無い声で答え、続ける。

 

「焦ってるのは、恐らく皆だ。神無も例外じゃないさ。麦野さんは一つの考えに囚われていると思う。救ってくれないか? あの素直になれない子を」

 

「当たり前だ!」

 

カーテンがシャッと音を立てて押しのけられた。その奥に居た上条の瞳には、なぜか見る者に根拠の無い安心感を与えた。彼になら任せられる。そう思ったのは木山もだ。

 

「あぁ、信じているよ。それじゃ行こうか。それにしても、真夜中の二時に目を覚ますだなんて、非常識だな」

 

「うっ、それは……」

 

「麦野さんを連れて帰ってきたら、許してあげよう」

 

似合わないと分かりながら不貞不貞しく笑う。その意地の悪い笑みを見て、上条も同じように笑った。

 

「なら、絶対許されますよ」

 

「ほぉ、連れて帰ってこなかったら高速道路でドライブしよう」

 

「上等、なんならカーレースにだって付き合ってやりますよ」

 

この女性の運転技術を知らない上条当麻は、歯を見せ付けるように笑いながら親指を立てた。

 

「よし、約束だぞ」

 

気を良くした木山は、笑うと白衣のポケットから銀色の鍵を取り出した。

 

あのイギリス製高級車の鍵なだけあって、何だか品のある作りになっていた。

 

「君はまだ本調子じゃない。脱走がバレたら大目玉だ。すまないが、急ぐぞ」

 

「了解です」

 

電気を消して、二人は人の気配を確認する。自分の呼吸音が五月蝿いくらい静かだ。どうやら近くに誰も居ないらしい。

 

スライド式のドアをゆっくり開け、隙間から這い出ると音を立てないように早歩きで廊下を進み階段を降りる。

 

目指すは一階だ。正面は閉まっているだろうし、二人はどこか適当な窓から逃走しようと考えている。

 

順調に三階から二階に繋がる階段まで来た。そこで自分達のものでない足音が下の階から、聞こえ木山と上条はとっさ身を低くして、下から見えない壁際まで後退した。

 

足音がどんどん大きくなる。真っ暗闇の中、音だけが位置を推測する情報だ。

 

カツン、……カツンと音が鮮明に聞こえたとき、懐中電灯の光が見えた。

 

無意識の内に呼吸を止め、緊張の汗が滲む。

 

一度辺りを見渡したのか光が揺れ、それからまた進み始めた。

 

足音も光もだんだんと遠退いていく。それと比例するかのように安堵感が胸の内を占める。完全に聞こえなくなると、緩やかに息を吐いた。

 

「行ったか?」

 

「みたいですね」

 

立ち上がり階段の手すりから下を覗く。真っ暗で、明かりは見えない。音も聞こえないが、念のために慎重に階段を降りる。

 

息を殺して、気配を探る。どこかのスパイみたいだと上条は思った。

 

そう考えて、少しだけ気が抜けた。

 

「さて、どこから出るか」

 

一階についてすぐ、木山はそんな事を考えていた。出来るだけ駐車場の近くから出たい。

 

だが現在位置からは、遠い。

 

「……でも確か、あっちの方向にはナースステーションがありましたけど」

 

「それは厄介だな。仕方ない、ここから出よう」

 

鍵を開けると木山は窓を全開にしてそこから脱出した。それに続いて上条も外に出ると、ゆっくりと窓を閉めた。鍵を閉められないので、ちょっと罪悪感が湧く。

 

「誰か閉めてくれますように」

 

「そうだな。よし、駐車場に向かうとしよう」

 

病院から離れ、二人は走った。上条にとっては長くない距離だったが、木山は違ったらしい。

 

「はぁ…はぁ、君はッ、元気だな…」

 

「大丈夫ですか?まだトラック一周分の距離ですよ」

 

「はぁ、そんなに…走ったのか」

 

汗はあまり出てないが、体が熱い。夏場の暑さは外からのものだが、今は体の中から熱い。どうしようもなく熱い。

 

「脱ぐか」

 

「車のエアコンで我慢して下さい!」

 

「その手があったか」

 

盲点だった。と手のひらを打ち鳴らす木山はさっそくロックを解除すると、左側にある運転席に座りエンジンをかける。そこで、上条が助手席に乗ってきた。

 

シートベルトをしたのを確認すると木山は車のアクセルを踏む。滑らかに滑り出し車道に出ると、スピードを上げる。

 

エアコンの効いた車内は程よく涼しく、木山は目を細めた。

 

「さて、飛ばすか」

 

「え!?」

 

上条の視界の端で木山がアクセルを全力で踏むのを覚えているが、それからは記憶が曖昧だった。

 

景色が目まぐるしく変わり、減速、加速、カーブ、左折に右折する度に重力がかかり息苦しかったのを覚えている。

 

それ以上にシートベルトが食い込んで痛かったとも記憶していた。色々と凄かった。それは絶叫も出来ないくらい。

 

「ふぅ、流石にやりすぎたか。今から安全で、………おや?」

 

「がァ、うぇ」

 

返事はするが、屍一歩手前。さらに言うなら棺桶に片足を突っ込ん状態。

 

「…………適当に休ませるか」

 

元凶は何より自分だ。悪いとは思っているので、木山はコンビニに向けてハンドルを切る。コンビニが見付かるまで、15分。

 

その間、上条は助手席でピクピクと痙攣していた。

 

「あー、上条くん。なにか飲みたいものあるか?」

 

「水か、スポドリを……」

 

「分かった」

 

バタンと扉が閉まると車内には自分だけになった。

 

腕を持ち上げるのも億劫なくらい気持ち悪い。内臓がフワフワと浮いているように感じる。自身が感じる速さの限界を超えた気分だ。いや、実際超えたんだろう。

 

「うっ、麦野の所につく前に死にそう……」

 

せり上がってくる酸っぱい物を押し返す。それが限界だ。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

座席に座るとレジ袋の中から水とおにぎり、サンドウィッチを渡してきた。

 

「あの、コレは?」

 

「君はたぶん今日何も食べてないだろう? お腹空いてるんじゃないかと思ってね」

 

木山は車を発進させず、買ってきた缶コーヒーを飲む。

 

「どうした、食べないのか?」

 

「いくらしました? 奢ってもらうのは…」

 

「子供が遠慮するものじゃない。君、もう少し甘えていいんじゃないかな?」

 

缶コーヒーを飲み干すとレジ袋に放り込む。

 

上条は少し悩んだ後、素直に受け取りおにぎりの包装を剥がす。

 

「ありがとう御座います。先生も食べますか?」

 

「病院食を堪能してきたからいいよ。君が食べなさい。そう言えば、病院に白衣で行ったせいか医者と間違われて大変だったなぁ」

 

上条は何となく想像できて苦笑した。

 

「誰だって間違えますよ。あれ、コソコソする必要あったのか?」

 

「君はあったね」

 

「あ、そうか」

 

そこまで雑談しておにぎりを齧る。シーチキンの味が今まで何も食べてなかった胃袋を刺激して、急に空腹感が沸いてきた。浮いたような内臓の感覚も吹き飛びサンドウィッチとおにぎりをあっという間に平らげる。その食いっぷりに木山は微笑む。

 

「食事を抜いて軽度の貧血に近い症状になっていたみたいだね。体が変に冷たかったり、浮いているような気分になってなかったかい?」

 

「あー、冷たかったどうか分かりませんが浮いてるような気分でした。てっきり車酔いのせいだと」

 

「ならもう少し、休んでから行くか。その間、暇だろうし何か質問があるなら答えるが」

 

そう言われても急には質問なんてなかなか出てこない。どうしようか、と悩んでいると木山がゆっくり口を開いた。

 

「実は、私が始めて麦野さんと出会ったとき、その名前に聞き覚えがあったんだ」

 

「学園都市第四位だから、名前くらいは聞いたことあるんじゃ」

 

「そうだ、私も麦野さんにそう言われて納得した。少し引っかかったがな。でも思い出したんだ。彼女の名前は彼女が第四位になる前に聞いたことがある。その名前を教えてくれた人物は、とても彼女の行く末を案じていたよ。他人にも係わらず、ずっとね」

 

木山の瞳が哀愁の情に揺れる。

 

「もしかして、麦野の名前を教えたのは……」

 

「そう、木原神無さ。当時は能力開発に勤めていたらしい、歳も言うほどなく、功績はそこそこ有ったそうだ。そこで、神無と麦野さんは出会った。麦野さんはいきなりLEVEL3相当の能力をたたき出した能力者として、能力開発の倍率は高かったそうだ。優秀な人から彼女の開発チームが組まれた時、神無はトップだった。しかし、チームとは集団だ。統制が出来る人物がいいという真っ当な理由で神無は主任の地位を取れなかったらしくてね。悔しがってたよ」

 

自分の知らない麦野の過去。そして木原神無として生きた時代。その時、木原神無は何を思ったのだろう。過去に出来なかった能力開発を今、やり始めているのだろうか。そんな疑問が上条の心を振るわせる。

 

そんな理由ならくだらない、と上条の怒りの炎がくすぶる。

 

知らずのうちに木山の話を急かしていた。

 

「それからどうしたんですか?」

 

「開発チームの一人として、尽力したそうだ。それくらいしか神無は言わなかった。たった一度酷く酔っ払ったあの時以外、二度と麦野さんについて語らなかったよ。彼女が麦野さんについて語ったのは、そうだな一人で大丈夫か、とか。もう少し素直になればいいのに、とか人間性について心配していたな。研究対象より目の離せない妹を持った姉、という感じだった」

 

しかし、木原神無がそんな思いで麦野沈利を見ていたなら―――

 

「ならなんで麦野を研究対象に」

 

「さぁな。それを確かめに行くんだろう。この研究所はよく知っているから道案内はできる」

 

「戦うかもしれないから危険だ! 気持ちは嬉しいけど」

 

「心配するな。いざという時は自身の身は守れる」

 

有無を聞かない木山はエンジンをかけるとコンビニの駐車場から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガハァ!!」

 

「あ、当たった!」

 

フレンダの持っている銃から白い煙が漂う。

 

硝煙の臭いに混じり、血の臭いが鼻につく。

 

「麦野の居場所を、と言いたいけどこれじゃ聞けない訳よ」

 

大量の血でコンクリートの床に血溜まりを作った本名不祥は倒れ、浅い呼吸を繰り返すばかりだ。

 

痛みに喘ぐことも、動くことも出来ずにいる本名不詳の頭をフレンダは踏み付けた。

 

すると靴裏から微弱ながら押し返そうとする力を感じ、さらに踏む力を強める。

 

ミシッと軋む音が聞こえたが、フレンダは気にしない。

 

「アガッ! ァァァ……!」

 

「抵抗しないほうがいいよ。もっと踏む訳になるから。アンタは質問に答えて」

 

装填されている弾を確認すると、リロードして突きつけた。

 

「質問にちゃんと答えてよ。たぶんそんなんじゃ死なないんでしょ? それとも、腹にもっとぶち込まれたい訳?」

 

「…んの、うっ! ………クソ、ガキ」

 

「話せるみたいね。なら麦野はどこ?」

 

血でヌラヌラと真っ赤濡れた唇が悪辣に歪む。

 

「はぁ、自分でゴホ! ……ッ探せ」

 

「うん。アンタもういらない」

 

フレンダの指が迷いなくトリガーを引く。銃口が火を噴き、反動が手元から伝わって銃が弾き飛ばされた。

 

気が付けば、フレンダは本名不詳から離れていた。これは、裏社会で身につけた直感というものだろう。

 

「アギャハ!ヒャハハハハハハ!!」

 

それに、反動だけで銃は飛んだりしない。反動で弾き飛ばされた、この誤認の正体を確かめたいが、屍が起き上がるように禍々しく血を垂れ流しながら狂った笑い声を上げて、その目の瞳孔は開き見た者を恐怖のどん底に突き落とす気迫があった本名不詳からフレンダは目が離せない。

 

殺される。根拠なんて無い。心臓を鷲掴みにされたような威圧感に呼吸が浅くなる。

 

「クカカカカ、ギャハ! ……いいぜェ上等ォだ。愉快なオブジェに変えてやンぞォ!!」

 

「ひっ!」

 

悲鳴が喉に張り付き出ない。

 

どうなっている。立場が一瞬で逆になっているではないか。圧倒的な殺気と、死臭を漂わせるその姿は死神。

 

なにが何だか分からなくなってパニックになったと同時に、フレンダの頭はどこかはっきりとしていた。あぁ死ぬんだ。と思えるくらいに。

 

涙も出ないくらいに恐ろしい圧倒的な死が手を伸ばす。自分の生命を摘み取る存在が血の臭いを運んできた。

 

「どォした? 逃げねェなら挽き肉になっちまうぞ」

 

死神は嗤う。

 

フレンダの首に手を掛けようとして、その腕を下ろした。

 

「……なんてね。君を恢復させたように弾丸一つじゃ掠り傷程度さ。さっきは大人気なくしちゃったけど」

 

「ふぇ?」

 

嘘のように威圧は消えていた。

 

撃たれた所に手を添えると新鮮な肉を弄り回したような湿っぽい音がした。なにをどうしたのか分からないが、取り敢えず恢復はしたらしい。

 

腹から手を離す。そのとき持っていたのは、血がついた弾丸だった。

 

「内臓と肉と神経と血管その他諸々を再生するとき邪魔だったからねぇ。肉の再生能力使って押し出したんだ。痛かったよぉ、でも君があんな行動に出るとは思わなかった。なんで? どうして、行動理由はなに?」

 

「命拾い、したの?」

 

「それより私の質問に答えて欲しいねぇ。元から殺す気なんてないよ」

 

その言葉を完全に信じた訳ではないが、フレンダの肩から力が抜けた。

 

へたり込まないのは最後の意地だ。

 

「別に、友達の大切な居場所を守りたいと思うのは駄目な訳? 確かに、胸なんて張れない理由だけど」

 

「胸張っていいんじゃない? だって『アイテム』のメンバーで唯一拠り所と居場所がある奴なんで、フレンダくらいだもの。居場所って言うのがどんなもんか、一番知ってるのは君だけだ。その答えを出せるのは、きっと君だけさ。妹さんに顔出しくらいしなよ」

 

「………どこから聞いたの?」

 

もう驚かない。妹がいるのを知られていても、『暗部』という明日も無事でいるか分からない場所に居るからこそ、妹から離れ仕送りしている事も。全部お見通しでも不思議じゃない。

 

「聞いてないよ調べたのさ。プライバシーの侵害だけど、多目に見てねぇ」

 

「なんでそんな事を調べるの?」

 

「それは、一人分の世界を創るため。そして君たち『アイテム』を集めたのさ。思ったより効果は無かったけど」

 

彼女の発言は爪先で転がすくらい、人の一生を重んじていなかった。

 

「一人分の世界?」

 

「そう、一人分の世界。自分だけが知っている自分だけの世界。誰も干渉と感知ができない曖昧で不透明な世界だよ。個人が頭の中に必ず持つ最小の世界」

 

人差し指で本名不詳は自分のこめかみ辺りをつつく。

 

「人が成長するために必要なこと、なにか分かる?」

 

「そんなの、いっぱいありすぎて分からない訳よ」

 

「じゃあ、一つ。君が思う人の成長に必要なものはなに?」

 

あくまでも穏やかに問い掛ける本名不詳に、フレンダは警戒態勢を保ちながら自分が成長したと感じる場面を思い返す。

 

 

―――フレンダァァァ!!! テメェなに罠を誤作動さてんだッ!! 殺すぞ!!

 

………ひぃぃぃ!!! それだけは御勘弁を麦野ぉぉおおお! 次はちゃんとするから!

 

 

 

―――フゥレンダァァァ!!? 後処理雑にしやがって、お前を爆発させてやろうかぁ!!

 

………ぎゃああああ!! マジごめん!本当に済みませんでした!! お願いだからやめてぇぇぇええ!!!

 

 

 

―――おいコラ、フレンダッ!

 

………ハイィィィ!!

 

―――なにビビってんだ? ……まぁあれだ、よく頑張った。もう一人前よアンタ

 

………む、麦野ぉぉ……うわああぁぁん!!!

 

―――あーもう!!ったく、泣かないの

 

 

「…………失敗してもめげずに頑張り、向上心を大切にすることだと思う訳よ」

 

「……あぁ、取り敢えずなんでそう思ったかの経緯は聞かないから。つまり、人が成長するには『他人、知人、友人、仲間、家族』言うなれば自分以外の人が必要不可欠だ」

 

しかし、それが自分達の身の上を調べるのとどう関係するのか分からないフレンダは首を傾げる。

 

「成長と私の事を調べるのになんの関係がある訳よ?」

 

「大ありだよ。私は“自分だけの現実”ってのをたぶん、誰よりも知ってる。“自分だけの現実”は、成長も変化もするんだ。『アイテム』って名前素敵だよねぇ。一体誰の道具か考えたことある?」

 

「え、ちょっと……待ってよ。…それって」

 

本名不詳の言わんとすることにフレンダは目の前が遠くなった錯覚に陥った。貧血のように足元がふらつく。

 

「人の成長には適材適所な人間の配置が必要だ。でも人の人生に適材適所なんて無いし、いやぁ揃えんの苦労したよ。本当。苦労したのに効果はいまひとつ。あぁ、心配しないで君たちにはガッカリしてないから。あの子色々と気難しいもんでさ。でも光明もあるんだ」

 

嬉々として語ることがフレンダには理解できなかった。

 

「上条くん。本当はクソ野郎って呼びたいんだけど、一応彼のおかげでこっちも助かったり、助からなかったりしたからまだ名前呼びでいいか。いやぁ、例えるなら起爆剤かな?おかげで彼女爆発したし。生きてる場所が違う者同士、なにやら敏感に感じたらしくてねぇ君たちと一緒に居るよりも、盛大に“自分だけの現実”を刺激してくれたよ。一時は覚醒したんだけどなぁ。残念」

 

そこは本当に残念なんだろう。微かに舌打ちが聞こえた。一瞬見えた憎悪、悪意、憎しみ、殺意。自分に向けられていないと分かって居たはずなのに、フレンダの喉が干上がった。

 

「『アイテム』もそうだけど、あともう一個、超能力者のための組織があるんだ。この二人は『暗部』の方が成長するからねぇ。本当にご苦労様、麦野沈利という人間のたった一人分の世界の構築のために、わざわざこんな辺境の世界にどっぷり浸かったんだから。本来の役目は果たせなかったとしても御役御免じゃないから心配しないでねぇ」

 

「………『暗部』としてもっと人を殺せって訳? アンタの言い方だと私たちを選んでその経過を見てるんだよね? しかも、やけに手馴れてるの訳よ『アイテム』の使い方に。ねぇアンタなんでしょ『電話の女』アンタが全部、仕組んだんでしょ。『アイテム』の連中がこんな世界に来るように!!」

 

フレンダの確信を持った問いにニンマリとして答えた。

 

「肯定して欲しい? 否定して欲しい?」

 

「その時点で肯定してるようなもんだけど?」

 

「気が早いなフレンダ。シュレディンガーの猫箱だよ。否定も肯定も証拠もないのに、どうやったら答えが求まるんだい?」

 

表情一つ、気配一つも動かさない本名不詳はそれ自体が不自然で人形のようだった。だからと言って、彼女の言うように何もない。証拠もない。フレンダが皆と離れて本名不詳の情報を探し回ったが、既に書類上では死人となっていた彼女は本当に謎の人物。

 

あまりの情報の少なさに、返って不気味でもあった。

 

「でも『暗部』であることは、否定しない訳ね」

 

「否定も何も、こうして君たちと深く関わりあってんだから暗部決定だよ。そんな事も分からない?」

 

「それより麦野の居場所教えろ。もうアンタになんか構うもんか」

 

機嫌を損ねたフレンダは剥れる。

 

「だから言ったでしょ? 自分で探せ。そもそもゲームは続いているんだけど」

 

「教えてくれたっていいじゃない!」

 

本名不詳は腕を組み背を硬い壁に預けため息をついた。その表情には呆れがある。

 

「なんの努力もなしに答えだっけってのは感心しないな」

 

「ケチ馬鹿間抜けアホ」

 

「よし分かった絶対教えねぇ」

 

「いいじゃん! ここまで来るのに頑張ったわけよ!」

 

それでも諦めずに教えてもらおうとするフレンダに本名不詳も少し迷った後に、条件を出した。

 

「なら等価交換だ。君が麦野さんの居場所を知るに相応しいと思うものを教えたり差し出してよ」

 

「えー、タダじゃないの」

 

汚い大人を見るようなフレンダに本名不詳は内心、居心地が悪い。

 

「タダは駄目。君とって麦野さんが本当に大切なら、なにかある筈だよ。決められないなら妹ちゃん頂戴」

 

「それなら麦野をアンタにやるわよ。妹差し出すくらいならその情報いらない」

 

「即決だな。いいねぇ、優先順位がはっきりしてて。そーゆうの好きだよ。その思いを聞く気はなかったし教えてあげるよ。君の妹さん思いが実を結んだね」

 

普段のフレンダなら、喜んだがなにせこの狡猾な女のことだ。このネタで脅すんじゃないかと思うとどうにも得をした気になれない。

 

「妹をネタに脅す、とかないよね?」

 

「するに決まってんじゃん。ある意味人質交換みたいなものだからねぇ」

 

笑顔で肯定した目の前の人物を物凄く殴りたくなった。

 

寂しい廊下に本名不詳の爽やかな笑い声で満たされていた。

 

「死ね」

 

「なんか、グサッときたねぇ。さて、携帯携帯。……あった」

 

全ての憎しみを込めた言葉も本名不詳には届かない。他の意思を尊重はしても思いやりはしない彼女はフレンダがなぜ、そんな事を言ったのか理解は出来ないだろう。

 

だから悠長に電話を誰かにかけ始めた。

 

「あれ? それって麦野の携帯だよね?」

 

しかし、手の中にある薄いピンク色の携帯が目に止まった。

 

「そうだよ。借りてんの……出ないな滝壺ちゃん」

 

しかも掛けているのは滝壺らしい。

 

「しかし麦野さん友達少ないねぇ。電話帳スカスカだよ」

 

「アンタにいる訳、友達とか?」

 

「私個人の友人は友と書いて同業者と読むんで、ちゃんとした友人はいないよ」

 

携帯に耳を当てながら本名不詳は困ったように笑う。きっと電話帳はかなりの数の人物が登録されているはずだが、友人のカテゴリーはないのだろう。そしてこんな曰くつきの人物と友達になれる人は、同じレベルの要注意危険人物に登録してもいいはずだ。

 

「なんか寂しい人だね」

 

「君に哀れみの眼差しを向けられる日が来るとはねぇ。………あ、繋がった」

 

何回目のコールか分からなかったが、漸く出た滝壺は電話口からでも分かるくらい疲れきった声だった。

 

「だれ?」

 

「本名不詳だ。フレンダは預かったから、この研究所の居住区にこい。因みに時間制限とかないから心配せずに」

 

相手の返事を聞かず、電話を切ると電源を落としてしまう。来ることは疑っていないのか携帯をポケットにしまうとフレンダの腕を掴み歩き出した。

 

「ちょっと!」

 

何の説明もなしに誘拐せれていくフレンダ。踏みとどまろうとしても本名不詳の力は強く、平均的に見ても身長の小さいフレンダでは敵わなかった。

 

流石に戸惑っている事に気づいた本名不詳は、頭を軽く叩くと手を握って歩くスピードを落とす。

 

「今は黙って付いてきて。君の洋服もどうにかしないといけないし。背中とか腕とか丸見えでしょ」

 

「え? そんなことのために」

 

「うん、それに君に合う武器の一式をそろえないといけないしねぇ」

 

最後の不穏な台詞にフレンダは体を硬くした。

 

武器一式をそろえる。なんのために、と聞かれたら戦うためと答えるのが普通で、もし戦うためならばなんのために必要なのかとても気になる。気になったが、とても聞けない雰囲気がそこにあった。あの本名不詳がどこか思いつめた表情をしていたからだ。

 

沈黙という名の重圧に耐え切れなくなったフレンダは白衣の裾を引っ張る。

 

「なんで無言なの?」

 

「なにかお話しする? 質問あるならどうぞ」

 

「はい! ならどうしてアンタは時々口調とか変わるの? ………もしかして、痛い人な訳?」

 

「なんでそうなるッ?!」

 

理由を知らない人から見れば、あれはただの変人だと言うことを本名不詳は知らない。

 

「私の口調とかが変わるのは、絹旗ちゃんが他人の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)と演算パターンを移植されたのと同じなのさ。私の能力は他人と繋がってそのまんま、能力を自分にトレース出来るの。“自分だけ現実”の移植みたいなのすると人格に影響が出るんだ。実際、絹旗ちゃんが本気で怒るとさっきみたいな口調になるでしょう?」

 

「へぇ、思ったより不便な訳よ。変人に見えるし」

 

「………」

 

このクソガキを簀巻(すま)きにして海に棄てようか? と本名不祥は考えたがどうにも、後が面倒臭そうなのでいつか泣かすと心に誓う。

 

そもそも、このフレンダという少女は人を怒らせるのが上手い。もちろん本人は無自覚である。

 

そんな事を考えているとは知らず、フレンダは本名不祥の情報をどう聞き出すか考えていた。

 

暗部の『アイテム』よりも秘匿性の強い人間と言うことは、絶対に自分達より色の濃い闇を知っているはず。つまり、この人物からさらに情報を得られれば『アイテム』にも貢献でき、尚且つ目の前の人物と交渉権を得られることも夢ではない。

 

だが、その情報の真偽は分からない。さっきの質問は嘘かどうかは、ある意味関係ない。大切なのは本名不詳は滝壺を除外した誰からでも能力を借りられると言うことだ。

 

「それじゃ、さらに質問! LEVEL0から能力借りたらどうするの? 能力使えるの?」

 

やはり希少な能力から聞いておくのがいいだろう。

 

「ふむ、使えるよ。私が“自分だけの現実”に馴染んで、その能力にあった演算を行う。すると発動出来ます。でも馴染みすぎると私のAIM拡散力場と“自分だけの現実”が変わっちゃって大変なんだよねぇ。まぁ、そうすると滝壺ちゃんと拒絶反応は出ないけど」

 

「器用貧乏な能力で大変そう。LEVELで例えるならどこまで出せる訳よ?」

 

「あぁ、LEVEL5までしか出せないや。どんな人でも私が“自分だけの現実”を弄って強化して、誰からか知識を借りたりすれば大抵、なんでも出来る」

 

LEVEL5をまでしか、と答えた。全学生のうちたった七人しか辿りつけない悠久の高みをその程度と斬って捨てる。それは、本名不詳の見ている世界がどこか常識を逸脱していることを指していた。

 

しかしそれは純粋な戦力として考えるなら、なぜ彼女はこんな所で燻っているのだろうか。LEVEL5級の能力を複数操れば、軍隊など蟻の行進となにが違う。世界を牽制することなど雑作もないだろう、とフレンダは思う。

 

その考えは科学の世界しか知らない正常な考えとも言えた。

 

「どうして、学者なの? だってそんな力があれば世界征服だって楽勝な訳じゃん」

 

「私は、出来損ないだから。一応これでもLEVEL4なんだけどねぇ。御偉方はもっと上の存在になって欲しいらしい。その条件は、自分の“自分だけの現実(パーソナルリアリティ)”を知ることだそうだ。その在りかさえ知れれば、LEVEL5になれるとさ」

 

つまり、本名不詳は自分の能力の研究をしながらLEVEL5を目指しているということになる。

 

「それだけの能力でLEVEL4だなんて詐欺もいいところって訳よ」

 

「うん、LEVEL5になれば能力の生産が出来るとか。なんかよく分からんが」

 

少しだけ本名不詳の表情が陰る。どこか遠くを見つめているその目は、ガラス球のように風景をただ映していた。

 

下から覗くように見つめていたフレンダと視線が合うと、いつものように何を考えているのか分からない微笑を浮かべた。

 

なんとなく沈黙が続くが、最初の時のように気軽に質問できない。しかし気まずいとは思えなかった。それは、たぶんこの掴み所のない人物の人間らしい感情が見えたからだろう。

 

「あ、着いたよ」

 

どうやら随分と歩いていたらしい。本名不詳が目的の部屋まで早歩きで行くと、扉を引く。

 

中は無機質な廊下に似合わず、普通の家のようなつくりになっていた。どこか落ち着ける空間とも言うべきか。生活感のある雰囲気にフレンダは少しだけ驚いていた。

 

「もっとこう、科学室みたいな部屋を想像してた」

 

「職場も寝泊りするところも実験のオンパレードだったら気が滅入るでしょうねぇ。だからこんな家庭的な雰囲気があるの」

 

適当に座っておくように言うと本名不詳は、廊下に続く扉を開けっ放しにしたままどこかに行ってしまった。

 

「結局、自分勝手な奴」

 

他人の意思を聞くことの無い態度では、どんなに寛容な人物だって腹の一つはたてる。

 

本名不詳の言う事を聞くしかないフレンダは、怒りもあるがどちらかというと憮然してしまう。

 

これがあの木山春生が語った自己犠牲の精神で死んでいった木原神無と同一人物なのだろうか。皮肉もありながら、最後まで人を思いやり負債の全てを背負った人間の到達点とは、思えないくらい本名不詳は自分を優先する。

 

それとも、優先するように意識をしているからか。

 

残念なことに、フレンダがどんなに考えても真実は出てこない。

 

なにもすることの無いフレンダは、半ば癖になっている動作で、携帯を開いた。待ち受けにされているのは、可愛い妹の寝顔。それを見るたびにフレンダは、どこか心が温まる気がした。

 

たった一人の家族。

 

おそらく家族が大切なものだと思っているのは、『アイテム』のメンバーでは、フレンダだけだろう。他の者は家族について話さないどころか、その家族に捨てられた者だっている。必然的にタブーな話題なのだ。

 

「あぁ、早くこんなこと終らせてフレメアと電話したい訳よ」

 

死にかけたせいで一層家族が恋しくなったフレンダは、弱気な事をいってテーブルに突っ伏した。

 

その干された布団みたいになっている彼女の背中を少し大きな手が叩く。

 

「起きろ。そんでこっちの服に着替えて頂戴」

 

振り向いた先に居たのは、洋服一式を片手に携えた本名不詳で、フレンダを覗き込むように見ていた。

 

そのときフレンダは、不覚にも本名不詳の玲瓏とした美貌に息を呑んだ。

 

「……わぁ」

 

「うん? どうした?」

 

さらさらとした漆黒の髪が流れ落ちる。切れ長の黒曜石の瞳は、鏡のようにフレンダの惚けた顔を映し出していた。

 

フレンダの反応に本名不詳は、どこか納得したように頷くと、形のいい唇が綻んだ。

 

「見惚れているところすまないが、私はこれでも三十代だよ」

 

「おばさんだったの!?」

 

「あぁ、おばさんだよぉ。でも、本名不詳として生まれてまだ六、七年だからねぇ。ぶっちゃけ精神年齢と肉体年齢がズレてるんだ」

 

前のめりにしていた身体を起こすと肩や腕を擦って、ため息をついたりする。

 

「歳を取ったなぁって思っても私の時間は、まだそんなに経ってない。無駄死にした木原神無とか言う女は、好きになれないなぁ」

 

「アンタねぇ、結局産まれたんだから、良かったじゃん」

 

「なに言ってるんだ。産まれなかった方が良かったに決まってるじゃないか」

 

そのとき、本名不詳がいつもの調子でどこか自嘲していたなら、フレンダも言い返す事が出来ただろう。

 

しかし、本名不詳が見せた顔は、真剣そのものであった。真っ直ぐで、それが正しいのだと微塵も疑っていない声の響き。故にフレンダは、気になって仕方なかった。

 

「ならどうして死なないの?」

 

「自殺をしないように設定されているのさ。残念な事に私は、死ねない」

 

自分の胸に手を置いて本名不詳は、悠然と語る。

 

「死ぬような相手とは、この学園都市じゃ巡り会えんだろう。なんせ能力者に対して絶対優勢なんだから」

 

「確かにアンタを殺せる人間は、居ない訳よ。でも、結局手を抜いて戦えばいい訳で」

 

「ははは。確かに手を抜いてわざと殺されればいいだろうさ。でも私に仕掛けられた自殺防止は、願いの成就までは、死ねない。そんな類のものさぁ。私には、人生の全てを捧げても叶えたい願いがある」

 

自分勝手すぎるとフレンダは、思う。本名不詳も自覚しているのだろう。そんな自分を非難しているように見えた。

 

本名不詳は、持っていた服をフレンダに押し付けて、もう一方の手で持っていたアタッシュケースを床の上に置いて蓋を開いた。

 

フレンダの視界の端に見えたのは、手榴弾に閃光弾、片手拳銃や重たそうな両手拳銃、それから見知った爆弾の数々。

 

その装備の凄まじさに、フレンダは喉が干上がった。

 

武装をしなければ、今の麦野に会うことが出来ないと言うのだろうか。本名不詳と戦わなければならないのであれば、彼女がこうして武器の調子を確かめるはずが無い。敵に塩を送るほどこの女は、甘くない。それどころか敵には、苛烈どころの次元ではない。

 

フレンダは、この後が非常に不安になってきた。

 

「ねぇ、結局どうして武装しないといけない訳?」

 

「うーん。麦野さんが今、危険な状態だからかな?」

 

一度解体して、油で滑りを良くした拳銃をまた組み直していく。手際のよさが、彼女がどれだけ武器に触れていたを雄弁に語っていた。

 

「さて整備は、終了した。この中から必要なものを持っていくといい。あと……」

 

そこで言葉を切ると本名不詳は、麦野の携帯を起動させ、自分が持っていた端末とケーブルで繋げる。

 

何かの情報を送っているのだろうか、本名不詳は両方の画面を交互に見比べながら操作を進めた。

 

携帯から着信音のようなものが聞こえると、ケーブルを抜き取り携帯を閉じる。それをフレンダに押し付けた。

 

「そこに、ここの研究所の地図を送った。赤く塗りつぶされた部屋に麦野さんが居るから」

 

たったそれだけを言うと、本名不詳の姿は、部屋から消えていた。空間移動をしたのだろう。

 

フレンダもこんな扱いに慣れたのか、文句も言わずただ、小さく本名不詳への感想を漏らした。

 

「嵐のような奴だった訳よ。それにしても、麦野の携帯かぁ。へっへっへ、どんな情報が詰まってるのかな? オープン!」

 

本来の目的そっちのけでフレンダは、麦野の携帯を開いた。

 

期待に満ちた瞳が直ぐに不安の色に変わる。

 

「パ、パスワード……だと?」

 

麦野の居場所に辿り着くには、前途多難であった。

 

 

 

 

 


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