とある奇跡の平行世界   作:雨宮茂

14 / 26
答えを聞かせて

本名不詳(コードエラー)からの一方的な攻撃を受けた場所から一刻も早く遠ざかるために、上条は頭から流れ出る鮮血を拭くことなく歩き続けた。

 

最後の〈原子崩し〉は上条を消し去る目的と言うより、圧倒的破壊力の余波で吹き飛ばしたものだった。目論見どうり上条はビルの壁に叩きつけられる事になったが、こうして軽傷なのは、それでも本名不詳が手加減したからに他ならない。

 

しかし、手加減された事より己の無力を噛み締めた。

 

あの時、本名不詳を捕まえていたなら、彼女の言うゲームはそれこそ終わったはずなのだ。

 

なのに結果は惨敗。

 

何もかもが足りなかった。単純な腕っ節の強さも、心構えも、そして相手の能力を知ったという事実が上条に慢心をもたらした。

 

「畜生、なんで、俺は……。足りねえ、麦野を助けるには、アイツの言った覚悟だって」

 

つくづく思い知らされる。

 

だが、本名不祥の言った言葉が上条の心の中に違和感を植え付けた。彼女はなんども、麦野がこんな状態になったのは上条のせいだ、と罵った。

 

糾弾するのは自分で、されるのは本名不詳ではないだろうかと上条は思ったが、本名不詳の気迫がこの思いを揺るがす。

 

「かみじょう!」

 

「滝壺! もう大丈夫なのか?」

 

「うん、あの時はこーどえらーと私のAIM拡散力場が干渉し合ってちょっと気持ち悪くなっただけだから」

 

その一言に安心した上条は膝から崩れた。寸殿ところで滝壺は彼を支えると、既に上条当麻は気絶していた。

 

滝壺は傷だらけの体を抱き締める。皮膚が切り裂かれ右腕は軽度の火傷。よく見れば脚には瓦礫の破片だって刺さっていた。

 

「……かみじょう」

 

命に別状はなくとも早く病院に連れて行かなくてはいけない。滝壺は携帯を手に取り病院に電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区のとある病院の一室にツンツンとしたウニ頭の少年は寝ていた。あの戦闘からだいぶ時間は経ったが、未だに彼は目覚めない。

 

心配そうに表情を曇らせる少女三人。

 

「すみませんフレンダ、滝壺さん。私、みんなが戦っているなんて超知らないで」

 

夕暮れの部屋に光が差し込み絹旗の頬を赤々と照らす。

 

「結局それは仕方ない訳よ。それなら私、本名不祥に知らない内に精神をいじられてた訳だし…」

 

フレンダは悔しそうに唇を噛む。

 

あの時、フレンダが異常なまでにパニックなったのは彼女の恐怖心を本名不祥が何らかの能力を使い増幅させた結果なのだ。

 

なんと返したらいいか分からない滝壺は視線を泳がせていると、病室に控え目なノック音が響く。

 

滝壺が返事をすると、スライド式のドアから木山春生が小型の端末機を操作しながらやって来た。

 

「本名不詳の居る場所を特定出来たが、今から行くのは止しなさい」

 

電源を切って白衣のポケットにしまう。

 

「……でも」

 

「一度は彼女に負けたんだ。策を錬るくらい時間はあるだろう? それに、恐らく君達が時間内に本名不詳を見つけたとしても、彼女ならゲームの参加者は上条君だけだと言って麦野さんを大人しく返さない筈だ」

 

尤もな意見に『アイテム』の皆は閉口する。

 

滝壺は時計を見ながらそっと呟いた。

 

「明日の8時が来たら、もう時間が一日も無いんだね」

 

「そうだ。だから今はしっかり休みなさい」

 

木山はそう告げるとポケットの端末機をサイドテーブルに置いて病室から出て行った。

 

なぜ置いていったのか気になったフレンダは、端末を手に取ると起動させる。

 

小さな起動音が鳴り終わり、表示されたのは学区と研究所の名前だった。さらに操作していくと地図まで表示された。

 

「これって」

 

「超どうかしましたかフレンダ?」

 

「これって本名不祥の居る研究所なのかなって思った訳よ」

 

絹旗はフレンダの手元を覗く。

 

「ここに行けば本名不祥が……」

 

「かみじょうを置いていくの?」

 

不安そうに囁かれた滝壺の声に二人は一瞬だけ迷うと、肯定するように頷いて見せた。

 

「怪我した上条は結局邪魔になるだけ。時間以内なら本名不詳は動かないから、叩くなら戦闘後の今って訳よ」

 

「今回はフレンダに超同意です。明日までに上条が恢復するとも限りません。それに」

 

一度区切る。短い静寂の中、絹旗はこの四日間のことを駆け巡るように思い出した。

 

上条当麻には不思議な力がある。異能を打ち消す右腕ではない。彼自身の本質と言うべき力だ。本当にこの四日間は長かったと絹旗は思う。廃屋に侵入したり、時には警備員(アンチスキル)に見つかって捕まりかけたり、研究所の警報を作動させて大変な目にあった。

 

だが、そんなことより絹旗の心に残っているのは、上条の一生懸命な後ろ姿。自分はお世辞にも頭がいいとは言えないからと、行動力で欠点をカバーしたり。一日中パソコンと向かい合った滝壺や絹旗を労わった気の利いたところに救われたと思う。いつの間にか上条に肩を預け寝ていたことなんて少なくない。

 

信頼している。その事実に唐突に気がついて絹旗は改心した。

 

「彼ならきっと」

 

最初、絹旗は上条が麦野に対して自分の思いを告白した時は心の中では猛反対だった。闇に生きる自分たちが光の住人と一緒に居ては息が出来なくなってしまう。いや、それ以上に恐かったのかもしれない。

 

血に汚れた自分たちを見られるのが。軽蔑されるのが。なぜ彼が光の住人なのだろうと、誰も居ないところで独白した事だってあった。いっそ闇の住人なら気が楽でもっと素直に甘えられたんじゃないかと。こっちの人間なら化け物呼ばわりしないんじゃないかと。しかし上条当麻は、最初からそんな垣根を無視して自分たちと付き合っていてくれた。

 

初めから人間として接し、個人として見てくれた。

 

「来てくれます。上条は超そんな人ですよ」

 

きっと麦野も最初の頃の自分のように恐がっているだけだ。だから麦野にはちゃんと向き合ってもらわないといけない。

 

上条当麻に出来て、自分たちが出来なかったこと。それは―――――

 

麦野沈利をたった一人の女の子として見てあげられなかったことだ。

 

「そうだね。かみじょうを信じよう。必ず来てくれるって」

 

「ついでに先に麦野を救出して上条をぎゃふんと言わせる訳よ!」

 

「それじゃ、一人足りませんが『アイテム』出陣です!」

 

端末機を置いて三人は病室から出る。廊下にはもう人工の光が煌々と灯っており明るかった。

 

面会を終えて帰る集団に紛れて三人も病院から抜け出す。一番近い隠れ家への道を思い浮かべながら足早に歩く。

 

木山には悪いと思いつつ振り返る。病院はもう遠く後戻りは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり行ったか」

 

むしろそれを見越していたがな……、と呟く木山は上条だけしかいない病室で溜め息をついた。

 

忠告を聞いてしっかり準備していてくれたらと思う。

 

「失礼するよ?」

 

温厚な声音でカエル顔の医者が入って来た。

 

木山は医者が通りやすいように端に寄る。医者は上条の脈を計り腕を布団の中に戻すと、ゆっくりと腰を掛けた。

 

「まさか君達があの子と関わっていたとは思わなかったよ。僕は本名不詳の時代しか知らないが、木山君は昔の彼女を知ってるね?」

 

「ええ、研究者として先輩と後輩関係にありました。今回の事が起きるまで、私は彼女が死んでいたものだと」

 

「そうか。本名不詳には厄介な事情があると踏んでいたが、まだまだ隠している事がありそうだね? 因みに僕と彼女の関係は医者としての師弟関係だったんだよ」

 

何気なく木山に椅子を勧めると彼女は軽く頭を下げて座った。

 

そして遠くを見るようにして尋ねた。

 

「本名不詳としての彼女はどんな人でした?」

 

「難しいね。一言で言うなら、自分を探している子かな。記憶が飛び飛びで継ぎ接ぎだらけだったそうだ。だから僕が一度見てあげようか? と言ったら断られたよ」

 

「記憶……。神無にそんな事が」

 

「うん、それから彼女は医学を学び、かなりの腕を身に付けたが、その技術は木原に流れ人体実験に利用されてね。破門したんだ」

 

悲しげに語るカエル医者はほろ苦く笑った。

 

「だが木山君の話を聞いてある仮説が出来てね。出来れば話したかったんだが、あの女の子達行っちゃったみたいだね?」

 

「はい、彼女たちも友人が心配なようです」

 

「それは仕方ないね? では君に託すよ。僕の仮説では木原神無の人格は制御されていると想うんだ。そう、例えば脳に機械を埋め込んでね?」

 

予想していた事より残酷な言葉に木山は息を止めた。

 

しかしその可能性を否定出来ない事が悔しくて爪が手のひらに食い込むほど力を込める。

 

「……言いにくいが学園都市はそんな世界がある。全て黒い訳じゃないけど、非道な時はとことん非道だね? 木原の闇が特別濃かったのは確かだよ。そして幻生なら本名不詳にそんな事をするだろうね」

 

「……もしそうなら、取り除く方法はありますか?」

 

「僕を誰だと思っているんだい? 医者は患者さんの幅広いニーズに応えるのが仕事だからね? だから、彼女が助けてと言うなら僕は何があっても助けるよ」

 

そして医者としての彼は木山にチョーカーに似た機械を渡した。しかし一部分にスイッチのようなものが付いたそれは単なる飾りではない。

 

「特定の機械の働きを止めるものだね? 昔の彼女と話しがしてみたいなら試してみるといいよ」

 

「あ、ありがとうございます。ですがどうしてここまで親切に?」

 

「あぁ、それは僕が医者だからさ。……さて、他の患者さんを見に行こうかな」

 

カエル医者は病室から出て行くと窓の外の闇を凝視した。深く暗い学園都市の闇は今日も変わらずそこのあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう直ぐだと、本名不詳(コードエラー)は直感した。

 

このゲームの終わりは案外早いらしい。それは単に時間が来るからではなのだろう。もっと明確な終わりが来る。恐らくそれは本名不詳が待ち望んだ終わりだ。

 

ゲームは勝ち負けがある。引き分けもあるが、それは一種の幻想と呼べるだろう。じゃんけんでさえ勝者と敗者が決まるまで繰り返されるのだ。他の物になればさらに入り組んだ勝ち負けになる。このゲーム最初から本名不詳を見つけるのが勝ちではない。

 

全体的に埃っぽい研究所と思わしき一室に本名不詳と木原数多が机を挟んで向き合っていた。

 

「このゲームは、自分の望みを叶えた方が勝ちだ。望みが無いならある意味その時点で勝ちであるし、負でもある。ねぇ数多、君は不肖不出来のこの私が勝つと思うかい?」

 

絡みつくような抑揚のある声に木原数多はあからさまに渋面になる。

 

「話しかけんじゃねぇよ。はっきり言ってお前の思考回路がわかんねえなぁ。勝ちは奪い取るもんだろう?」

 

「ああ、それもあるね。奪い取るか……どうしたら彼女は私の望みを叶えてくれるかな? これは奪えないし、やっぱり別の視点が必要かねぇ」

 

「それより0次元の極点はどうなった? 進んでんだろうな」

 

木原にしてみればそっちの方が遥かに大切なことである。本名不詳の望みなんぞ知った話しではない。

 

彼が興味を持つくらいのぶっとんだ理論は難解で、どういった理屈や計算式で成り立っているのか説明は不可能だった。

 

故に木原は直接赴いて少しでも0次元の極点で分かった事や、能力の範囲について本名不詳からの説明を求めた。

 

それに対して本名不詳は、頬杖を付いてだらしなく答えた。

 

「せっかちだな。進んでるよ。今なら地球くらい移動させられるね」

 

出てきた答えは、世界が滅亡しても可笑しくは無い規模での事だった。普通の研究者や、木原の関係者でなければ卒倒してもいい。

 

だが、残念な事にここにいるのは必然的に歪んでしまった木原の科学者二人。

 

思った以上に進んでいたのか木原数多は、猛獣のような歪んだ笑みを浮かべる。

 

「へぇいいじゃねえか。他の次元についてはどうなんだ?」

 

「うん、空間を切り裂くと同時に物体を切り裂くこともやったよ。切り口はどんな刃物より優れてるんじゃないのかな?」

 

そう言って本名不詳は金属製の鉄の棒を白い机の上に転がした。それはまるで竹を立てに割ったかのようにまっすぐ切り裂かれ、断面には押しつぶされたような跡は無い。

 

「まぁ、空間移動なら彼女、LEVEL6に認定されてもおかしくないよねぇ」

 

三次元の掌握。0次元への介入。未開の次元を解明することのできる能力。

 

「0が始まりだと言った奴を褒めてやりたいよ。全くその通りだ」

 

「この実験でLEVEL6が作れるならそれでいい。しかし傑作だよなぁ、本来ならオマケ程度の副産物の方がLEVEL6になれるんだからよ!」

 

それは空間移動系能力者への言葉かそれとも、本来の曖昧な電子を活かすことの出来ない麦野沈利に向けた皮肉か。

 

「化け物、ねぇ。そうなって欲しくはないんだけどなぁ」

 

本名不詳の声は誰の耳にも入らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

木原数多を帰してから本名不詳は手元の資料を食い入るように見ていた。

 

木原数多に渡した奴とは違う書類。

 

それは、AIM拡散力場の成長は内部、特に能力者として必要な強固な妄想であり別の名称で〈自分だけの現実〉の発展を意味していたということ。

 

 

 

能力を生み出す核でありながら、それだけでは成立は出来ないのは何故か。

 

どうして能力を行使するのに演算という面倒な工程が必要なのか。

 

どうして強い思い込みが無ければ、能力は育たないのか。

 

 

 

その謎を様々なパターンの人の精神をデータを集め統計しても解決する事はできなかった。

 

恐らく、普遍的な精神構成のパターンでは見つからないのだろう。よくある変化では、見えてくるものも少なくなってしまう。

 

だからこそ麦野沈利のように、突発的で異常な精神構造の人間の大きな変化は科学者である本名不詳にとって恰好の研究材料だ。彼女の最も知りたい自分だけの現実、AIM拡散力場の発展を可能にし、自身の能力の理解、そして能力の先にあるものの獲得。

 

夢を実現させる鍵は、麦野沈利と原子崩しの関係にあった。

 

なぜ演算が必要なのか。なぜ思い込みが、能力を育てるのか。

 

能力から得られる物に執着する貪欲な科学者には、どうでもいい研究であったために本名不詳はこの事を木原数多には知らせなかった。

 

それ以上に本名不詳にも思うところがある。

 

木原はどんな研究者達よりも天上の意思に辿りつく事に執着してる。どんな代償を支払っても、どんな危険性が付き纏っても彼ら彼女らは止まる事を知らない。

 

故にその段階に辿り着く鍵を麦野が持っていたら、研究倍率は跳ね上がる。それでは、過去の木原神無と同じ過ちを繰り返すだけだ。

 

そうならない為にも秘匿しなければならないデータなのだ。非人道的な研究が横行する社会の影から引き離すべく。

 

手に持っていた資料を、はらりと本名不詳は全て落とす。

 

事故でなく故意に床に向かって落としたが、床に落ちる前に、全てが燃え上がった。灰一つ残さず綺麗に消滅した資料はパソコンにも、どこにも保存されていない。

 

学園都市の科学者、研究者の夢の鍵の一欠けらは、こうして世界から失われた。

 

本名不詳の記憶を除いて。

 

椅子に深く座り込んで、何もしない時間を過ごしていたが、監視カメラの映像を見て嬉しそうに立ち上がった。

 

「あ、お茶の準備しないと」

 

漸く来た友人の来訪を喜ぶ声だったが、その表情は冷たい微笑を湛えていた。

 

白衣を手に取ると素早く腕に通し、ポケットの中身を確認する。幾つかの物を確認した。

 

その中には、シャーペンの芯を入れるケースのような物も含まれていた。

 

「さて、みんなは何が好きかな? ダージリン、ベルガモット、いやコーヒーかもねぇ」

 

濃い赤色をした縁の眼鏡を掛けて彼女は部屋を出る。広い研究所を知り尽くしたその人は迷うことなく、道を進んでいく。

 

階段を上がり、白いコンクリートで囲まれた道を歩いていく。同じ風景だけが続く。こんな場所に長々と居ればいつか気が狂ってしまうだろう。

 

そんな漂白された一階のとある廊下の真ん中に三人の少女が立っていた。

 

「やぁ、遅かったねぇ。『アイテム』の人たちにゲームを申し込んだわけじゃないから、このゲームは続行するけど構わないでしょ?」

 

「……だから私たちにの前に姿見せるって? 結局、ふざけてる訳よ」

 

「まぁねぇ。本気でゲームしたら君たちの負だからさ。ゲームマスターの中には自身に枷をしてわざとスリルを楽しむ者と、優位な位置に君臨してゲーム盤の場景を見下し手のひらで遊ぶ者の二種類ある。君たちは私がどちらか分かる?」

 

にこやかに問いかける本名不詳に絹旗は罵るように答えた。

 

「そんなの超簡単です。貴女はどっちでもなくどちらとも、超両方の遊び方をする人。貴女の問いに答えなんて超ありませんでした」

 

「そうさ無いよ。だけど君は答えを見つけた。この問いは簡単すぎて違和感さえ無かっただろうけど、本来なら君たちはこのゲーム自体に違和感を抱くべきだ。する必要があると思うかい? うん、もちろん無いさ。本来ならねぇ。はいこれプレゼント」

 

話を続けるより本名不詳は、行動を起こした。ポケットから物を取り出し絹旗に向かって投げる。絹旗は片手で受け取ると、その正体を確認して息を飲んだ。

 

強張る仲間にフレンダは視線を本名不詳から外さず、押し付けられた物が何なのか尋ねた。

 

「結局、なに貰った訳よ?」

 

「超有り得ない。……一介の研究者やその辺の奴じゃ、絶対に手に入りません。麦野がこれを貰うときだって、きちんと全部消費したか、どこでどれだけ超使ったか事細かに報告して信用性が確立されて超初めて貰うのに」

 

「あぁ、簡単だよ。頂戴って言えば私の場合貰えるんだからねぇ。だって『体晶』を造った一族でもあるし、その一族の中でも私に逆らえるのは数少ないもの」

 

絹旗達からしてみれば、こんな劇薬を言葉一つで手に入れるのは深遠の底の様に思えたが、本名不詳には闇の始まりでしかないようだ。

 

一族という規模で歪んだ闇を形成した世界で育まれた彼女には所詮、ちっぽけな事なのかもしれない。

 

純粋に、漠然と規模が違うとフレンダは歯噛みした。

 

「真っ暗過ぎて恐ろしい訳よ。この街の真の闇ってそんなに桁違いなの……」

 

「んー、単純に私の知っている闇と君が知っている闇は大きさや規模ではなく、対象違いさ。君の世界はただ単純に狭いからそう認識するのであって、本当の闇を形成してる奴から見たら私だって序の口なのよ。『闇』って見えない分からない理解出来ないから『闇』であって、故に」

 

口紅をしてない割には赤く色付いた唇を蠱惑的に動かし、三人の鼓膜を震わせた。

 

「それを全て知ることは不可能。私もなんであの人がこんな事してるのか知らないのさ」

 

『アイテム』メンバーよりも深遠の底に位置する者でさえこの街の全貌は見抜けない。まさしく底無しの闇に、滝壺は恐怖を覚えた。

 

自分達は一体どこまで堕ちたのだろう? きっとこの問は意味をなさない。際限のないものに“どこ”という基準点は存在しないのだから。

 

だが、確実に表現出来ないほどの濃密な闇に染まった人物の側に大事な仲間を置いておけない。

 

その思いが滝壺を突き動かした。

 

「むぎのを返して、でないと戦う事になる」

 

「……そう、麦野さんの為ならなら戦うしかないねぇ。だけど君らに彼女は救えない」

 

「それって、超どういう…」

 

続くはずの絹旗の問いは、本名不詳が取り出した長い棒のような武器を突きつけられた事により止まった。

 

蛇腹のように節のあるデザインが施され、銀色の表面が蛍光灯の光を鈍く反射する。どこにも刃が突いていない純粋な棒は人を殺す用途ではなく、殴りつける程度が限界だが絹旗やフレンダは身構えた。

 

「結局、何が飛んできても可笑しくない訳よ」

 

「でも狭い廊下だとあの武器は超不便です。フレンダは援護射撃を超よろしくお願いしますッ!」

 

言い終わらぬ内に絹旗は爆発的な勢いで疾走する。

 

小さな身体からは想像も出来ないほどの速さは、二秒で10メートルの距離を無意味にした。

 

しかし本名不祥の視線は未だに絹旗に向けられてはいない。余裕なのか反応が追い付かなかったか分からないが、好機とばかりに絹旗は大きく右足で踏み込むと渾身の左ストレートを本名不詳の腹目掛けて叩き込む。

 

廊下に破裂音が響く。

 

それは絹旗の拳が見事に決まった訳ではなく、フレンダが懐から取り出した拳銃の発砲音。

 

「うわっ!!」

 

当の絹旗は本名不詳の棒で足元を払われ、そのままの勢いで床を殴りつけ、白いコンクリートとで出来た床は無惨に砕け散った。

 

本名不詳は澄ました顔で頭を右に傾けるだけで、人の目には目視できない程速い打ち出された弾丸を避ける。

 

もとより弾丸の軌道など予測しやすい。彼女は弾丸を見たのではなく、フレンダが狙う位置とタイミングを測っていたにすぎない。

 

それでも弾丸に意識を殆ど持っていったために距離があるが絹旗に後ろを取られるのを許してしまった。

 

「……絹旗、大丈夫?」

 

「えぇ、でも超侮れないですよ」

 

「あら、研究室に閉じ籠もって運動不足な人だと思った? 全盛期には遠いが、これでも現役なんでねぇ。殺し合いの回数は君らより遥に多いかもよ」

 

まさしく底の見えない彼女の本領に絹旗とフレンダは背筋に薄ら寒いものを感じた。隙が無い。どこを見ても本名不詳はすぐに動けるように、反撃できるように構えられてある。

 

一手が打てない二人に、息苦しそうにしている滝壺が叫んだ。

 

「気を付けて、こーどえらーは次に能力を使ってくる!」

 

咄嗟に反応したのは、絹旗だった。

 

何よりも先に絹旗は直感だけで右に飛んだ。それは正解と言える判断。もし彼女が動かなかったら―――

 

今頃は縦に真っ二つ、引き裂かれていただろう。

 

不健康な青白い光線が絹旗の頬を掠め、耳元に空気を焼き切る音を置き土産として向こうの壁を無慈悲に溶かした。自分が動かなかったら、そんな可能性を考えてしまい絹旗の胃には重苦しい何かが圧し掛かる。それは純粋な恐怖であり、一切の甘い考えを捨てた殺し合いの世界に自身を投じる事への微かな疑問だった。

 

恐らく、考えてはいけなかっただろう。しかしもう遅い。絹旗は思ってしまった。

 

―――麦野を救う事に、超命がけになる必要はあるんでしょうか?

 

すぐにかき消せるものではない。片や自分の命。片や助けずとも奪われることの無い命。天秤にかける必要性も感じないほどに、自分たちにメリットはない。確かに麦野沈利と言う人材は魅力的だ。

 

彼女が居るか居ないかでこうも戦局が違い。彼女の能力をそのまま借りた本名不詳は強大な力を行使している。

 

戦力や知力ならまさしくトップクラスの逸材だと認識しているが、そこまでする義理はあるのか?

 

疑問が迷いが螺旋状に複雑に絹旗の中で複雑に絡み合った。

 

「なら私に頂戴よ」

 

少し焼けた左の頬に慈しむ様に指先が添えられていた。

 

「え?!」

 

「だって必要ないんでしょ?」

 

瞬きを絹旗はしてはいない。なのに一瞬で距離を縮められた事に気づかなかった。突然、本名不詳が目の前に現れた。こんな感覚、可能性を挙げるなら。

 

「空間移動……!」

 

「そう、ねぇ質問に答えてよ」

 

「………」

 

答えることはないと絹旗は無言で提示した。

 

そんな絹旗に少しばかり不満足そうに眉宇を吊り上げたが、興味が失せたのか絹旗の頬から指を離し、フレンダに向き直った。

 

「絹旗、時間稼ぎありがとう!」

 

重たい何かが床を転がる音を鳴らす。楕円形に近い丸みを帯びたそれは、手榴弾。

 

複数の爆弾が足元にある状況に本名不詳が取った行動は、

 

「これ、返すね」

 

空間移動の能力を使い全ての手榴弾を音もなく飛ばした。慌ててフレンダは周りを見渡したが手榴弾は一個も見当たらない。

 

手榴弾が見えない事に不安を隠せないフレンダを本名不詳は可笑しそうに笑いを押し殺しながら、フレンダのその後ろを指差した。

 

「そうだ、後ろ危ないから」

 

「まさかっ!!」

 

振り向いてしまった。本名不詳に誘導されフレンダはコンクリートの壁を見た瞬間、突然壁の一部分が爆発し大小様々な破片が少女の白い肌を引き裂き、突き刺さり、高熱の爆風が突き飛ばす。

 

「フレンダ!!」

 

「あぁ………ぐ、はぁ……ッ!」

 

至る所から血を流すフレンダは必死に立ち上がろうとするが体に力が入らないのか指先を動かすのが限界だった。

 

そこに本名不詳が覗き込むようにやって来た。

 

「あらら、大丈夫? 手榴弾から色々繋げて自慢のトラップ地獄に誘い込むつもりだったみたいだけど、無駄だったねぇ」

 

痛みで呻くのが限界のフレンダは最後の抵抗として澄まし顔の本名不詳を睨む。

 

その非難する眼差しを一蹴すると本名不詳は、顔を真っ青にして小刻みに震えている滝壺を見た。

 

しかしよく観察すると不自然に汗をかいている。まるで風邪の症状だ。

 

「さて、滝壺ちゃん。交渉しようか。多分君が一番私の欲しい回答をくれそうだからね」

 

辛そうにしているが本名不詳にとっては関心のない事だ。明らかに具合の悪い滝壺を気遣う事もない。

 

「今回の事から手を引いてくれるかい?それともまだやる?」

 

「……まだ、負けてない!」

 

「負けだよ。絹旗最愛だってもう動けない。ねぇ絹旗ちゃん」

 

廊下の奥から虚ろな声が木霊した。

 

「はい、『動くな』と言う命令は続行中です」

 

「きぬ、はた?」

 

様子がおかしい。絹旗は立っているだけで動こうとしない。そしてどこか生気のないのっぺりとした無表情な顔は、本当に生きているのか不思議なくらいだ。

 

心ここに有らず。

 

意識だけを忘れてきたかの様な絹旗は虚空をただ映していた。

 

「常盤台の女王って知ってる? その子の能力を使って絹旗ちゃんお借りしてるって訳だ」

 

「なにが望みなの?」

 

「回りくどいのは嫌い? ……そうだね、それじゃ私の質問に答えてくれたら、仲間も麦野さんもかえしてあげる。フレンダの方は先に治療するねぇ。でないと逝っちゃうかもしれないし」

 

それだけ言うと本名不詳は口元に笑みを浮かべてフレンダの前にしゃがみ、背中辺りに触れる。

 

どんな能力かは分からないが、触れただけでフレンダに刺さったコンクリートの破片が体から綺麗に取り除かれた。空間移動の一種なのだろうと滝壺は仮定する。

 

そしてピクリとも動かないフレンダの顔色を見て本名不詳は景気よく頷いた。

 

「傷跡は残らないだろう。でも血液の量はちょっと多くする程度で、全快にはしないから」

 

「ならきぬはたも開放して」

 

「いやだよ。正気に戻って突進されるじゃないか。それに私は滝壺ちゃんの答えが聞きたいの」

 

未だ見えない本名不詳の思惑に滝壺はため息をつく。その拍子でツキン、と頭痛が走る。口から零れて痛みを押し殺す声に、背を向けてフレンダを治療する本名不詳が感情の読み取れない低い声で囁いた。

 

「ごめんね。私たちのAIM拡散力場が反発しあって体調不良を起こしているんだ。能力的に言えばお互い干渉する力だし、剥き出しのAIM拡散力場同士が拒否して脳にダメージを与えてしまう。勿論、私も例外じゃない」

 

「でも、平気そうだね」

 

「痩せ我慢だよ。と言いたいけど、鎮痛剤を使ってんのさ。あといろいろ」

 

治療に専念するために本名不詳は言葉を濁す。

 

意識を頭の中に持っていく。数え切れないほどの選択肢のうち、たった一つを引き当てそれを自分に結びつける。そして流れてくる力を増幅させるとそれをまた別の者に流し込む。

 

接続援助(リンクサポート)〉の能力は際限なく能力者と繋がること。繋がりその効果を誰かに分け与えることが出来る。彼女は今まさにそれを実行している。

 

肉体再生(オートリバース)〉の効果をフレンダに移すと、彼女の裂傷や火傷はビデオを早送りしたように尋常では有り得ないスピードで恢復した。

 

「すごい……」

 

似た能力として、いや似ているからこそ、その能力の技術に驚嘆の意を隠せない。

 

素直に尊敬する。

 

「君も自分と向き合えば、これくらい可能さ。向き合えば、気づけば、立ち向かったらねぇ」

 

「あなたも、立ち向かったの?」

 

「いや」

 

短く本名不詳は否定した。

 

「そんな事をしたのは木原神無さ。私みたいな欠陥品じゃない。完成された完璧な人が、そうだった」

 

独白の声には無情の悔しさが滲む。

 

本名不詳(コードエラー)なんて馬鹿みたいな名前は私が使えないから付けられたんだ。完成品じゃないから。私じゃ『天使』に、なれないから。名前なんて、存在なんて必要とされないから本名不詳(できそこない)なんだ」

 

フレンダの治療を一通り終えると、うつ伏せの状態から呼吸がし易い様に仰向けにして、顎の位置を調整する。

 

その後に脈拍を計ると、異常はないとみてフレンダから視線を外して滝壺に向き直った。

 

「だから私は“自分だけの現実”が知りたい。私は無意味なんかじゃないんだ。そのためか君にも興味がある。能力が似てると“自分だけの現実”も似てるって言うしねぇ」

 

眉唾なものだけど、と本名不詳は小さく続けた。

 

「だから、私を攻撃しなかったの?」

 

「しても良かった。でも予想より君は疲弊してる。………限界が近いんだろうねぇ。そこに追い討ちをするのもどうかなって思ったから」

 

「攻撃をしても最初から、殺す気はなかったんだね」

 

「能力者は皆等しく私の宝だからねぇ。出来る限り殺しはしない。まぁ、例外はあるけどさ」

 

殺す時は、きちんと殺す。

 

そう語る本名不詳の顔は真剣なものだった。どこかふざけた様子も無い。

 

「だから質問なんだ。君はどんな思いでここに来た? 理由はなに? 私と戦うことを見越していたなら、それ相応の決意だってあった筈だ。なにが君を突き動かした」

 

「私にとって『アイテム』は居場所だった。こんな能力だから、暗部に流されて後が辛いけど『体晶』まで使って必死に生きてきた。……私は使い捨てられて消える運命だった筈なの。誰の記憶にも残らずに」

 

でもね、と彼女は笑った。

 

「いつからか『アイテム』が、むぎのやふれんだ、きぬはたが居る場所が私の居場所であると同時に、帰る場所になったの」

 

短いようで長かった『アイテム』の皆と過ごした記憶が蘇る。

 

「だから、私の帰る場所を、居場所を返してもらう。私のために、私の勝手な願いのためにむぎのを返して」

 

『体晶』を使用していないにもかかわらず、滝壺の瞳には力強い光が灯っていた。そして、見た目に反した強引な意思と覚悟を聞いた本名不詳は心地のいい歌を聴いたような穏やかな微笑みを浮かべる。

 

「合格だ。行くといい、麦野さんの所に。その意思を麦野さんに伝えてくれる? 今の彼女には必要なんだよ」

 

「大丈夫。私だけの思いじゃないから」

 

『アイテム』の心はもう揺るがないだろう。

 

 

 

予想よりもいい答えに本名不詳にも、この“ゲーム”がどうなるのか分からなくなった。

 

全てを仕組んだ本人の意志をどんどん無視して進んで、展開していく。

 

「やれやれ、これじゃゲームマスターの椅子は返上しないとねぇ」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。