ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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5.マローダーズマップ

 

 

 

 ハリーは一人、談話室で本を読んでいた。

 ギルデロイ・ロックハート著の『私は誰?』である。

 どうやらハリーの手によって徹底的に記憶を抹消された後でも、魂に染みついた作家魂は消えなかったらしい。病室で繰り広げられる癒者との面白おかしい会話や、隣のベッドにいる元魔法戦士のおじさんとの掛け合いが絶妙にコミカルで、ハリーは周りに秘密にしているが、この本はかなり愛読している。

 いつもは日曜になればハーマイオニーやロンと一緒に散歩したり、図書館で勉強したりと三人一緒に過ごすのだが、二人はホグズミード村という魔法使いしかいない村へ行ってしまった。

 ホグワーツでは、三年生から城の敷地外に出る外出許可が出る。保護者から許可をもらった生徒のみが許される息抜きの時間で、日々の勉強で硬くなった脳みそをほぐしてしまおうという試みだそうだ。

 だがハリーは、許可をもらっていない。

 マージおばさんを膨らませたことについては一切後悔していないし、次に顔を合わせたその時は殺さないでいる自信がない。さらに言えばあのあとバーノンを杖で脅してサインを書かせるという手もあったのだが、それはハリーの小さなプライドが許さなかった。

 ゆえにハリーは許可がもらえず、二人を見送ることしかできなかった。きっと二人が帰ってきたときは、こちらに気を遣いながらもホグズミードがどれだけ楽しかったかを聞かせてくれることだろう。

 その時に嫌そうな顔をしたり、嫉妬していたりしたら二人ともいい気分はするまい。というわけで、とにかく心が楽しくなるような本を読むようにしていたのだ。

 まあつまり、今日は特別なにもすることがなかったというわけだ。

 

「あれぇ?」

「わっ!? ああ、なんだ。ネビルか」

「なんだとはなんだ。ハリー、君はホグズミードへ行かなかったの?」

「んー、許可がもらえなくてね」

「僕と同じだ」

 

 おばあちゃんにお前はもうちょっと落ち着いてからにしなさいと言われちゃったんだ、と照れ臭そうに笑うネビルは、実に愛嬌があった。

 内情は違うのだが、別にわざわざ言ってやることはあるまい。

 仲間を見つけてうれしそうな彼の顔を曇らせるのも、あまりいい選択とは言えないだろうから。

 

「それにしてもネビル、ずいぶん背が伸びたよねえ」

「え、そう? ロンにはまだまだ届かないんだけど……」

「あんなひょろひょろのっぽの魔法生物と一緒にしない方がいいよ」

「魔法生物て」

 

 自然な動きでロックハートの本を隠しながら、ハリーはネビルとお喋りを続ける。

 ネビルは本当に背が伸びた。

 一年生のとき操られてハリーと戦った頃は、まだハーマイオニーと同じくらいの背丈で、顔もぽっちゃりしていた。顎もぷにぷにして柔らかく、ロン曰くお風呂ではたっぷりしたお腹がお湯に浮いていたとのことだ。

 だが今のネビルは、余分な脂肪を消費して成長でもしたのか、横に伸びていた分が縦に集約されてしまったようだ。ハンサムとは言えないけれども、愛嬌のある優しげな眼とほがらかな笑顔、薬草学の意外な博識っぷりなどが彼の人気の礎となっている。

 実をいうとネビルは、下級生の女の子に人気がある。学年が下に行けばいくほど彼を好意的に見る子は多くなっているので、きっと年下にモテるタイプなのだろう。……と、いうことをパーバティとラベンダーが噂していた。

 まあそんなことはどうでもよろしい。

 問題は暇なときに友達が来てくれたという、ただそれ一点である。

 

「ところでネビル」

「うん? なんだいハリー」

「ネビルは好きな子とかいるの?」

「げふっぽ、ぶふぉぁ――――っ!?」

「うわァァァネビルが紅茶を吹いたァァァ」

 

 ハリーの唐突な問いかけに、げほげほと咽込んだ。

 ネビルの紅茶を顔面に受けたハリーがウエーッとした表情で、杖を取り出して汚れを消し去る。

 しかし汚れは取れても思い出までは消えない。忘却呪文しようかとも思うが、やめておこう。

 

「ご、ごめんよハリー。……でも、なんでそんなことを?」

「え? いやあ、ラベンダーが男女の話のとっかかりはこれしかないって」

「ラベンダーァ……」

 

 脳内ピンク(ラベンダー)()お花畑女(ブラウン)

 それがグリフィンドール男子の間で囁かれる、ラベンダーのあだ名である。

 ネビルはいま身を以ってその言葉の意味を痛感したのだった。

 

「で、居るの? 好きな子」

「う、うーん。僕たちまだ十三歳だよ? そういうのはちょっと早いんじゃないかなぁ……」

「そうなの? ジニーはボーイフレンドがいるそうだけど」

「マジかよ」

 

 ていうかディーンだ。

 ジニーはどうやら年上がタイプのようで、ディーンの前は五年生の男の子と仲良くしていたらしい。もっとも、ディーンがボーイフレンドということはその五年生とは何もなかったのだろう。

 ハリーとて一人の女の子である。一年生の頃ならともかく、今ならそういった話もちゃんと耳に入れるようにしている。誰かが狙っている男の子と不用意に仲良くしようものなら、女子のネットワークによって簡単に捕捉されて面倒事に巻き込まれてしまうからだ。

 純粋に好敵手としてドラコと仲良くなりたいと思っているハリーだが、かなり多くのスリザリン女子が彼のハートを射止めようと躍起になっている。ゆえに、「アンタなにドラコに色目使ってんのよ!」だの「ドラコを狙っているならやめておくべきだわこれは忠告よ」だの「『ステューピファイ』!」だのと、色々と面倒なことになるのだ。

 正直言って、ハリーに異性として気になる男の子はいない。

 ずっと一緒にいるならどの男の子がいい? と問われれば、迷うことなくきっぱりロンと答えるだろう。だが、きっとそういう意味ではないことくらいハリーとてわかるつもりだ。

 スリザリンの女の子から思われているようなこともない。ドラコは異性として見るには、あまりに心に飼っている獣が獰猛すぎる。いわゆる同族嫌悪というのが近いのかもしれない。ハリーにはヴォルデモートを叩きのめすという目的があるものの、ドラコが掲げる目的がなんなのかまったく知れないのも、そういう目で見れない理由の一つなのだろう。

 では、他はどうか? ウィーズリーの双子。ジョージはどうか知らないが、フレッドはアンジェリーナに気があると思う。というのが、アンジェリーナ自身の推察だ。迷うことなくアイツは私に気があるわと言えるのは尊敬に値するが、確かにそういう前提でフレッドを見てみればそんな気がしないでもない。そして二人をいつもセットにして考えてしまうという時点で、ジョージもなしだ。

 他は、パーシーか。あれはないな。

 すると他に居るのはディーン……は、ジニーのモノだからないとして。シェーマスはどうだろう。少し子供っぽすぎる気がする。恋人にするという視点で見れば……ああ、考えられないな。というよりそもそもロンの友達として知り合ったわけだから、実をいうと二人ともそこまで親しいわけではないのだ。

 では……。

 

「な、なにハリー?」

 

 ネビルか。

 うーん、ネビルかぁ……。

 

「な、なななな何なんだ? 顔、顔が近いよハリー!? ええええ!?」

 

 ……、確かに顔のパーツは悪くないし、痩せればハンサムとはいかなくても魅力的な男性になるだろう。体形も案外がっしりしているし、どちらかと言えば骨太な方が好みであるハリーとしては結構いい感じになるかもしれない。

 勇気もある。優しさもある。ちょっと情けないところもあるが、そこはなんだか世話を焼きたくなってしまうので問題点どころかプラス要素だろう。

 案外ネビルはいいかもしれない。

 なんつって。

 

「わはは」

「なんかすごい失礼なこと考えなかったかいハリー」

「そんなこたぁないよ。ふははは」

 

 いったい何を考えているのだろうか。

 ないわ。ネビルはちょっとないわ。

 いくらいい子でも、いくらいい男でも、ネビルは絶対にない。

 自分が迷いなく殺そうとした者を愛することなど、まずできるはずがない。

 

「いやー、ネビル。うん、君にもきっといい女の子ができるよ」

「ハリーきみってばいきなり何を言いだすのさ!?」

 

 確かに似合わないことを言っているのはわかる。

 血と杖が似合う女ナンバーワンと陰口を叩かれていることくらい知っている。

 ホグワーツミスコンなるもので危ない香り系女子の部門を作るらしいから、是非参加してくれと失礼な頭でっかち野郎(パーシー・ウィーズリー)に言われたときは、ついカッとなって杖を使わず拳でぶん殴ったことさえあるのだ。そういうことを言われても仕方がないだろう。

 ではなぜ今さらになってこんな話題を出してみたのか。

 それは別にネビルをからかうためだけではなく、思うところがあったからだ。

 

「ねぇ、ネビル?」

「もうからかわないでくれよぅ」

「違うよ。……ネビル、君は人を愛したことがある?」

 

 またからかっているんだろう、とジト目で見てきたネビルもハリーの表情を見て、本当にからかっているのではないと気付いたネビルはソファに座りなおした。

 両膝に両肘を置いて、手を組んで顎を乗せる。

 妙に様になっている恰好のまま、ネビルはハリーの問いに答えた。

 

「あるよ。パパとママを愛している。怖いけどおばあちゃんも愛している。家族は基本、みんな愛しているよ」

「……それの中に、友達は入る?」

「入る……かなぁ。うん、入るね。ロンもディーンもシェーマスも、ハリーもハーマイオニーも、友達みんなを愛しているって言えるかもね。みんな僕の大事なお友達だよ」

 

 ネビルの笑顔は本当に朗らかなもので、本心からそう言ってくれているのがわかった。

 ハリーは浮かない顔のまま、問いを続ける。

 

「じゃあ、もう一回聞くよ。ネビルは好きな子、居る?」

 

 ネビルは少し悩み、答えた。

 

「ウーン、……実を言うと、気になる子はいるよ」

「じゃあ、その子に対する愛と、家族や友達に向ける愛。それってどう違うの?」

 

 ハリーの問いがここまできて、ネビルはようやく合点が言った顔をする。

 小さく微笑んで、問いに答えた。

 

「それはきっと、ハリーが恋をしたらわかるんじゃないかな」

 

 しばらくのち、大急ぎで帰ってきたロンとハーマイオニーが見たのは、大笑いするハリーと悶え転がるネビルだった。

 聞いてみればあまりに真面目な話をしていたというのにネビルが真顔でカッコいい台詞を言ったものだから、つい耐え切れなくなって笑ってしまったとのこと。

 ついに怒ってしまったらしいネビルに笑いながらも謝るハリーを見て、ハーマイオニーとロンは寂しがっているのではないかという心配が杞憂に終わったことを悟り、小さく安どのため息をついたのだった。

 

 太った婦人(レディ)の修復が完了した。

 しかし婦人はどうやらまだ恐怖心がぬぐえていないらしく、しばらくは別の廊下に飾られることになった。その間、グリフィンドール寮の門番を務めるという勇気ある役目を買って出た絵画はカドガン卿という騎士の絵であった。

 カドガン卿はなにやら自らをドン・キ・ホーテと間違えているのではないかと言われるほど、おっちょこちょいな騎士だった。合言葉を言い間違えた生徒を他寮のスパイではないかと疑って大騒ぎし、正しい合言葉を言えたとしても卿が疑えばしばらくは寮に入れないなど常であるから、生徒たちからは不満が爆発した。

 一刻も早くレディに戻ってきてほしいと嘆願されるも、最近のレディはご近所の絵にこもってばかりで生徒たちはなかなか会うことができない。これではもうしばらくカドガン卿が続きそうだ。

 

「よぉハリー!」

「なぁハリー!」

「やあ、フレッドとジョージ。どうしたの。っていうかO.W.L.試験の勉強はマジでどうしたの」

「あんなもんフクロウみたいに飛んでいっちまったさ! ぷーっ、だぜ!」

「どのみち僕らに関係ないからね! テストなんて知ったこっちゃない!」

 

 相も変わらず息の合ったやり取りである。

 ここまで来ると見事とも言えるだろう。

 

「テストがどうでもいいってどういうことだよ、おばさんに怒られちゃうぞ。……まあいいや、それで何の用?」

「ママの話はしないでくれ。さーってさてさて、僕たちの用事が分からない? おいおいハリーちゃんよぉ、そりゃ本気で言ってるのかい? 僕らが何をしに来たのかがわからない? そりゃーないぜ。成績優秀者様はいうことがちっがーう!」

「平和な時に鬼の話はなしだ。うんうん、僕たちの用事は実に簡単、君に関わることだよハリー! 君がホグズミードに行かないでネビルとあっつーいランデブーするしかなかったと聞いてね! そいつぁ可哀そうだと思って参上仕った次第に御座い!」

「ネビルに失礼だぞ」

「「君自分の評価低くない?」」

 

 笑いながら背中をばしばし叩かれ、いったい何のつもりでやってきたのかがさっぱりわからない。ただからかって遊びたいだけなのかもしれないが、それにしたって上機嫌だ。

 ジョージが何やら羊皮紙の襤褸切れを取出し、フレッドがハリーの肩を組んでくる。

 フレッドがなかなかがっしりした体をしていることに気付くが、まぁいまそんなこと言ったらこのおちゃらけた雰囲気が変になってしまうだろう。

 踊るようにリズムに乗って左右に揺れながら、歌うように双子は言う。

 

「ホグズミードに行けないのはだーっれだ!」

「ホグズミードにいけないのはハリーぃっ!」

「だったらなーんで行けなーいんだっ」

「フィルチのハーゲが見ってるっから」

 

 両方から肩を組まれ、まるでミュージカルのように左右に揺れて歌われる。

 ゆらゆらと揺らされながらハリーは、だんだんと苛々してきた。

 煽っているのはわかる。怒ったら負けなのもわかる。

 だが感情は別だ。

 ちょっとだけ仕返ししたって別に構うまい。

 

「アンジェリーナがこの光景見たらなんて言うかな」

「「ごめん本題に入ろう」」

 

 ぼそっと呟いた言葉に対し、ウィーズリーズはわざわざ真面目な顔で返してきた。

 仕返しされようともふざけることを忘れない態度には尊敬に値する。

 

「さーて、実を言うと俺たちとこれからデートしないかい」

「アンジェリーナ」

「ストップストップ! 別にそういう意味じゃないって!」

「フレッドおまえ慌てすぎだぜ。ハリー、ハリー、ハリー。ほら、こんなハンサム二人とデートできるんだぜ? 女の子にとっちゃ役得だとおもうんだけどなあ」

「ハンサムっていうとロックハートを思い出すからやめてくれ」

「「本当悪かった」」

「それで? デートっていう名目で本当はどこへ何しに行くの?」

「「ホグズミードに悪戯用品を買い足しにさ!」」

 

 自信満々に言い放たれたその言葉に、ハリーは目を丸くする。

 週末でもないのに、そんなことできるのだろうか。

 万が一できたとしても、校内すべてに目を光らせているフィルチが学校から出ていく生徒を見逃すはずがない。かつてホグワーツが体罰に寛容だった時代に、フィルチがもっとも辛い罰を与えることのできた格好の口実なのだからなおさらだ。

 ハリーは彼が猫好きとしてサークル《ホグワーツ猫狂いの士》を運営していることを知っているが、そういうところは好かなかった。

 

「フィルチのおやっさんなんて怖かない!」

「俺たち二代目悪戯仕掛人の手にかかっちゃあ、フィルチも形無し!」

「悪戯仕掛人?」

 

 二人がフィルチを屁とも思っていないことは承知している。

 ゆえに、そちらよりも奇妙なチーム名らしきものの方が気になった。

 

「「よくぞ聞いてくれました! 『我、よからぬことを企む者なり』!」」

 

 何やらスペルを唱えたらしい。

 羊皮紙の襤褸切れは魔法具だったのだろうが、魔力が送られている様子はない。

 いったい如何なることかと思っていると、羊皮紙の表面に文字が浮かび上がった。何事かと見守れば、それは地図の様相を呈してきて、しまいには人の名前さえ浮かび上がってくる。

 現在地を中心点として地図はリアルタイムに更新されているようで、《ハリエット》《フレッド・ウィーズリー》《ジョージ・ウィーズリー》と表示されている点がゆらゆらと揺れている。

 廊下を一本はさんだ向こうでは《ポモーナ・スプラウト》が《アーロン・ウィンバリー》と共に歩いているし、スリザリン寮では《ドラコ・マルフォイ》と《スコーピウス・マルフォイ》がソファに座って《アンジェラ・ハワード》と向かい合っている。その後方の柱に隠れて《パンジー・パーキンソン》が居るようだ。

 すごいな、他寮の中まで構造がばっちりわかるじゃないか。ふっと上の方を見てみれば、校長室には《アルバス・ダンブルドア》の名前が《ミネルバ・マクゴガル》と《セブルス・スネイプ》と共にあった。

 なんだこれは。こんなものがあれば、すぐにでもよからぬことが始められるではないか。

 

「な、なにこれ?」

「「よくぞ聞いてくれました!」」

「これこそは悪戯仕掛人、ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズの四人が造りだしたる《忍びの地図》!」

「高度な魔法技術がギュッと詰まった優れモノ! その割には魔力を送り込む必要がないから、とにかく見つからない! だって魔力を使ってないんだから、魔力探知に引っかかるわけがないんだよね!」

 

 それが事実ならば、とんでもない代物だ。

 はっきり言ってハリーの脳みそでは、何かバグが起こったとしても作り出せるはずがない。きっとハーマイオニーですら無理だろう。

 これだけの代物を作れるのならば、ホグワーツの警備体制は万全も万全、シリウス・ブラックとかいう頭のおかしい殺人鬼などという侵入など許さなかっただろう。いやはや、この四人組は努力の方向性を盛大に間違っている。

 

「これ、先生方は知ってるの?」

「「とんでもない!」」

「いや、でもダンブルドアは知ってるかも」

「たまに地図の名前をメッセージに変えて俺たちにお使い頼んでくるしな」

「……どゆこと?」

「名前が変わるのさ。《アルバス・ダンブルドア》が《ペロペロ酸飴を一ダース》とかにね。僕たちがハニー・デュークスに行こうとするときに限ってそうなるから、まあ多分間違いないと思うよ」

 

 あのボケ老人はいったいなにをやっているのか。

 いや、違うか。フレッドとジョージにそういった指示を出すということはつまり、二人の行動を、ひいては安全を把握していることを知らしめているということか。

 しかもわざわざ双子にも分かるように細工しているあたり、自分たちの行動が校長側にバレていると匂わせることで、ある程度の悪戯を認める代わりに過ぎた悪戯をさせないための防止策にもなっていると見た。

 意外と考えている。というよりは、なぜそこまで把握できるのかと不思議に思う。

 恐ろしい老人だ。

 

「さあ、ハリー。一緒に行こうぜ!」

「ホグズミードへ、いざや行かん!」

 

 双子に連れられて、透明マントを三人でかぶって城の中を移動する。

 すぐそばを通ったせいでフレッドに背中を小突かれたパーシーが不思議そうな顔をしていたものの、バレることはなかった。リー・ジョーダンの背中に糞爆弾を入れるという悪質な悪戯を終えて、三人はホグワーツ開校以来誰も使っていないのではないかという倉庫を通過、抜け道を通ってしばらく歩くとホグズミード駅に着いてしまった。

 本当に学外に出てしまった、と目を丸くするハリーを引っ張って、ウィーズリーズは一軒のお店の中に入っていく。そこは甘ったるい匂いが漂う店内で、透明マントによって誰もいないのに勝手にドアが開いたように見えたのか、店員が目を丸くしていた。

 

「僕たちだよ、ジョニー!」

「おおっ、フレッド! ジョージ! なんだぁそりゃ。透明マントか? これまた随分といいものを手に入れたじゃないか!」

「違うよ、僕たちのじゃあない。この子のもんさ」

「んん?」

 

 ジョニーと呼ばれた顎髭の目立つ青年が、ハリーを見つけたのかまじまじと見てくる。

 ちょっと恥ずかしくなって目を逸らしたが、彼の視線が額に向かっているのを感じた。

 

「こりゃあ驚いた。ハリー・ポッターじゃないか! え、なに? 女装させてるのか?」

「ぶっ殺すぞヒゲ野郎」

「落ち着けハリー。おいジョニー、レディもどきに対してそりゃねえだろう」

「早まるなハリー。ジョニー、膨らみかけだからって男に見えるってのか?」

「ぶっ殺すぞ双子野郎」

 

 二人の尻に全力で蹴りを入れてから、ハリーは店内を見て回った。

 ハニー・デュークスとはお菓子の専門店らしい。マグルのお店でも売っているような普通のお菓子もいろいろあるが、一番多いのは魔法のかかったお菓子類だ。フィフィフィズビー、ドルーブルの風船ガム、蛙チョコなどのお馴染みのお菓子を初め、食べると舌に穴が開くという何がしたいのかさっぱりわからないペロペロ酸飴、食べようとすると手に噛みついてくるという食べさせる気のないゴソゴソ豆板など、はっきり言って考案者の正気を疑うようなお菓子まである。

 さすが魔法界、『まともじゃない』な。と思いながらハリーは、とあるコーナーで足を止めた。《恋占いキャンディ》。舐めている間に見た幻が、あなたの運命の人です! どうぞおひとつご試食を。とあった。……ごくごく小さな字でジョークグッズと書いてある。

 ためしに一つ、と口に放り込んでみれば、すぐに幻覚が始まった。

 ……。……、……。視なかったことにしよう。

 鼻息がかかるほどに近いうえに後ろにピッタリついてくるビキニ水着の上にコートを羽織ったスネイプを極力無視しながら、ハリーは双子のもとへと戻っていった。双子はハリーのげんなりした顔を不思議に思っていたが、それはハリーの背後で腰を振って踊っている怪物を見ることができないからだ。

 いやほんと、さすが魔法界。『まともじゃない』ね。

 

「いっぱい仕入れたな」

「ああ。財布がすっからかんだな」

「二人とも、ひょっとしてお菓子や悪戯用品にお小遣い全部使ってるの?」

「「もちろん」」

「……本とかは買わないんだ?」

「「とんでもない」」

 

 買うものが女の子だねぇなどとからかってくるジョージを小突きながら、三人は城へと戻る。確かにこんな楽しい体験ができるのならば、ホグズミードへ行くというのも悪くないのかもしれない。

 もう日も暮れて、三人は談話室に入る。双子は、

 

「その《地図》、しばらく貸してやるぜ。しばらくっていうのはずっとって意味さ。僕らはもう隅々まで覚えっちまってるし、正直言っちゃうともう必要ないのさ」

「それに、君が卒業するころには、誰か貸してやりたくなる奴ができるかもしれないだろ? そしてだなぁ、そいつを使い終わったら、バレないようにこう唱えるんだ」

「「《いたずら完了》!」」

 

 フレッドとジョージと別れた後、ハリーは興奮した様子でベッドに入った。

 ハーマイオニーがどうしたのと聞いてきたが、明日の土曜日までは内緒だ。

 んふふ、と変な笑い声だけを残して、ハリーは夢の中へと旅立った。

 

 土曜日の朝、ハリーは水着姿のトム・リドルから逃げ切って起床することに成功した。

 酷い夢だった。と溜め息をついて、パジャマを脱ぎ捨てる。

 シャワーを浴びて汗を流し、バスローブ姿で自分の机の横に干してあった下着を手に取る。上下をさっさと着用し、適当な私服を選ぶ。厚めのレギンスの上にショートパンツを穿いて、ボーダーシャツの上に妖女シスターズがデザインしたという上着を羽織る。起きたばかりでいつもより髪がふわっふわになったままのハーマイオニーに、それじゃ寒いわよと言われたので上着を暖かいコートに変えることにした。せっかく買ってみたのになかなか着る機会がない。寮内でお洒落したところで全くの無意味であるし、普段は制服なので着る機会もない。ペチュニアはふりふりしたリボンやレースのついた少女趣味な服を着ていると上機嫌になるので、ダーズリー家でも着る機会はないだろう。

 淡いクリーム色のムートンコートを着て、前を閉じる。

 うーん、可愛くない。

 

「あらハリー、どこかいくの? ホグズミードでのお土産、何がイイか教えてくれない?」

「んー? ああ、いや。んふふ。今回はいらないや。んっふっふー」

「?」

 

 ハーマイオニーとロンを見送って、ハリーは城へと戻る。

 ミトンの手袋なので杖が持ちづらいが、なんとか《忍びの地図》と共に取り出した。

 年頃の少女がしてはいけないような顔でにやにやしながら、ハリーはスペルを唱える。

 

「『我、よからぬこ――」

「「おういたずらっ子! 周りをよく見ろよ」」

「ふぎゃああああ!?」

 

 尻を軽く蹴飛ばされてあられもない悲鳴をあげて振り向けば、ウィーズリーズがにやにやしていた。

 何をするんだ、と怒鳴りつけようとしたところ、唇に人差し指を添えられて黙り込む。

 

「言い忘れてたけど、そいつはフィルチの保管庫から失敬したものなんだ」

「だから周囲の目は気を付けて使ってくれよ。起動も終了も、決して見つからないように」

「君が盗んだものと思われちまうからな。そうなったらコトだ。お分かり?」

「君が見目麗しい女の子だからって、やっこさんは全く容赦しないだろうね」

 

 忠告は有り難いが尻を狙うのはやめてほしい。

 手を振って去って行った二人を見送りながら、ハリーは改めて周囲を気にする。

 誰もいないのを確認してから透明マントを羽織って姿を消し、再度スペルを唱えた。

 

「『我、よからぬことを企む者なり』」

 

 羊皮紙に文字と地図が浮かび上がる。

 おっ、とハリーは呟く。どうやら壁を隔てた向こうの廊下にダンブルドアがいるようだ。

 静かにこの場を離れようとした時、ダンブルドアの名前がぐにゃりと歪む。

 

「……名前が《程々にのう》に変わった……」

 

 完全にバレている。

 というかこんな近距離に居ることからして、ハリーが今日やることは彼にとってオミトオシだったに違いない。まぁ学年末に会うときの話ぶりからするに、老獪な面があるとは思っていたが、ここまでくるとちょっと怖い。

 しばらく道なりに進んでいると、ハリーは「あれ?」と声を漏らした。

 壁の中を誰かが進んでいるのだ。

 名前はどうも擦りきれているようで、頭文字の《H》しかわからない。

 《忍びの地図》はそこそこ年月の経っている代物だという話であるし、不調かなとも思ったが、はたと考えが浮かんで足を止める。

 透明になったまま歩きながら、ハリーは小声で口を開いた。

 

【……バジリスクかい?】

【この声はハリー様。よくお気づきになりましたね】

 

 やはりそうか。

 壁の中を移動できる、つまりパイプの中を移動しているのは彼女しかありえまい。

 なんだか数ヵ月ぶりに会話した気がする。

 

【お姿が見えないようですが……】

【透明マントだよ。ちょっとこれから悪戯をしにね】

【……お戯れも程々になさってくださいね。姫様なのですから】

【……な、なんだその呼び名は……】

 

 姫様て。

 彼女はハリーを敬ってくれているようだが、ちょっと行き過ぎではないだろうか。

 まあ、嫌われるよりはずっといい。

 トム・リドルの制御が完全で、もしハリーの蛇語に耳を貸さないよう命じられていたら、下手をしなくとも彼女とは殺し合っていた未来すら有り得たのだ。

 ハリーは蛇が好きだから、そんなのは困る。

 

【これからホグズミードってところへ行くんだ。何かお土産でも買ってくるかい】

【では、土産話を。ヒトの食べるものは口に合いませんからね】

【まるでおばあちゃんみたいなことを言うね】

【まるで、ではなく老体そのものですよ。まぁ、あと数百年は余裕ですが】

【それでは老いているとは言えないな】

 

 しばらく談笑したのち、悪戯の予定があるので。と二人は別れた。

 地図を見ながら誰にも会わないようにして、バカのバーナバス像をすり抜けてゆく。

 しばらく暗い通路を歩けば、そこはもう銀世界……ではなく、地下倉庫だ。

 ハニー・デュークスの地下は甘ったるい匂いがする。お腹が鳴らないうちにさっさと出てしまおう。

 ホグズミードではもう完全にホワイト・クリスマス気分のようで、生首ストラップが歌っているジングル・ベルなどが聞こえてくる。そういえばあのストラップは夜の騎士バスにもあったな。もしかして流行っているのだろうか?

 さくさくと雪を踏みながら、ハリーは目当ての人物を探し回る。途中、まるでマフィアのボスのように振る舞うスコーピウスとその取り巻き達が騒々しく歩き回っているのを見た。

 悪戯専門店ゾンコで買い物をしたらしく、それを試す相手を探しているようだった。普段はあまり騒いだりしないスリザリン生も、こういうお祭り騒ぎのような場所では羽目を外すのだろう。もっとも、迷惑をかけられるつもりはないので放っておくことにする。

 枯れ木となっている林を抜けると、見えてくるのはホグズミード最大のホラースポットである、《叫びの屋敷》だ。

 それを眺めている二人の男女が目に入る。ああ、見つけた。

 しかしそんないい雰囲気の二人のところへ、邪魔が入ってしまう。先のスリザリン悪たれズである。スコーピウスとクライル、そしてスリザリン生の男の子が、にやにやしながらハーマイオニーとロンへ近づいてきた。

 

「よぉう、ウィーズリー! お熱いねえ! そうでもしないと暖が取れないほど貧乏なのかい?」

「マルフォイ、あっち行ってろよ空気読めない奴だなあ」

「何の話だ? まあいいや、君たち家畜にはお似合いだね。新居のご相談かな? あそこはいいよぉ、なんたって呪われてる! 血を裏切る者達にはピッタリさ!」

「……何だと。もう一回言ってみろマルフォイ!」

 

 以前から思っていたが、スコーピウスは人を煽る天賦の才でもあるのではないだろうか。

 バックビークの件でもそうだ。ロンが彼に挑発されてカッとならなかったことはない。

 嫌な才能だなと思いながら、ハリーは面白いことを思いついて忍び笑いを漏らした。

 どうやら漏れたそのくすくす笑いが、聞こえてしまったらしい。

 ぎゃーぎゃーと騒いでいた五人が、一斉に静かになってしまった。

 

「……、……おい、ウィーズリー。今の聞こえたか」

「……そ、空耳じゃないの? 女の笑い声って……」

 

 ああ、なるほど。と合点がいった。

 今のハリーの笑い声。そしてこのホラースポット。

 確かに勘違いしてしまうのも無理からぬことかもしれない。

 

「ひょえっ!? うっ、うわぁぁあ!?」

 

 ハリーは透明マントで姿を隠しているのをいいことに、スコーピウスに向かって雪玉を投げつけた。思い切り顔面で受けてしまったスコーピウスは、驚いた顔のまま恐怖に駆られて逃げ出そうとする。

 だが調子に乗ったハリーがそれを許すはずがない。

 無言呪文で『脚縛り呪文』をかけると、彼の両脚がくっついてしまったかのようにぴっちりと閉じられて倒れ込んでしまう。くぐもった悲鳴を漏らすスコーピウスの足に杖を向ける。

 

「おんぎゃあああああああ!? なんかいる!? なにかいるよおおおおおおおお! ママァァア! パパァァア! 助けてドラコォォオオ!」

 

 まるで巨大な腕に掴まれたような感覚が彼を襲っただろう。スコーピウスの喉から甲高い悲鳴を上がるも、腕はずりずりと彼の身体を《叫びの屋敷》の方へと引っ張ってゆく。

 ついに涙目になってしまったスコーピウスの顔を見て、やりすぎたと思ったハリーは彼を開放することに決めた。ぱっと手を放し、呪文を解くと自由になった途端に弾かれたように走ってゆく。

 薄情にも子分たちを見捨てて逃げ去ったスコーピウスをクライルが慌てて追いかけ、恐怖に固まっていたもう一人の取り巻きが突き飛ばされて雪だるまになってゆく。それを見たロンは大笑いで、ハーマイオニーも苦笑いを浮かべていた。

 そんな二人を見ると、またもむくむくと悪戯心が湧いてくる。

 

「いやー、なんだあの逃げっぷり。ママァァアだってさ!」

「笑っちゃ悪いわよロ……ぷっふ。くく……ロン笑っちゃ駄、わきゃう!?」

 

 ハーマイオニーが悲鳴をあげると、ロンがびくりと笑いやんだ。

 脇腹を突っついただけなのに返された反応を見てハリーは、フレッドとジョージが自分にセクハラ染みた悪戯をやってくる理由がわかった気がした。なるほど、これは面白い。

 ロンの着ているジャケットをつんつんと引っ張り、彼の引き攣った顔を間近にしながら息を吹きかけた。ぞわぞわするような感覚にたまらずロンは悲鳴を上げて飛び退く。

 くすくすと笑い声を零しながら続きをやろうとした時、ハーマイオニーのジト目が目に入った。まさか、見えているはずがない。

 そう思って油断していると、突然ハーマイオニーが両手を突き出してきた。

 

「ひぎゃああう!?」

 

 あられもない悲鳴……というか、尻尾を踏まれた犬のような悲鳴を上げたのはハリーだ。

 なんと、ハーマイオニーの奴。人の胸を鷲掴みにしてきやがった。

 何故場所が分かったのかという叫び声も、続けざまにわしわしと揉みしだかれては口から出るのは文句ではなく悲鳴になってしまうのも仕方のないことだ。

 

「くっ、くすぐったい! ごめん、ごめんってハーマイオニー!」

「びっくりしたんだからね! このっ、この! あなた一月前に新しいの買ったばかりじゃないのよ! 栄養の差じゃないわよね、これ確実に遺伝よね! この!」

「あーっ! もげるもげる! 痛い痛い痛い!」

 

 しばらくもみくちゃになって暴れ回った後、ハリーたちはすっかり脱げてしまった透明マントを雪の上で探し回った。

 顔を真っ赤にして茹蛸のようになったロンを笑いながら、三人はベンチの上に座って話をする。

 せっかく暖かい恰好をしてきたというのに、二人して雪の上でプロレスみたいな真似事をしていては台無しだ。ハーマイオニーが出した青い魔法火を瓶詰にしたものがとても有り難かった。

 

「それじゃあなに? その《忍びの地図》があれば学内のだれもが筒抜けってわけ?」

「おったまげー。……ていうかあの二人、そんないい物を隠し持ってたわけか。弟の僕にすら内緒ってどういうこった! 弟だぞ、弟! ハリーを妹扱いでもしてるのかあいつらは!」

「お、落ち着けってロン。二人とも別にそういうつもりじゃないだろう。面白いと思ったんじゃないか?」

「ハリー、お兄さんができた気分になって嬉しいのはわかるけど笑顔は隠すべきだわ。あとロン、たぶん二人はあなたなら悪用しかねないと思ったんじゃないかしら?」

「あの二人なら悪用乱用ウェルカムなはずだろう……ほんとマーリンの髭だよ、もう」

 

 珍しくハリーに嫉妬してしまったロンを、二人して宥める。

 女の子の嫉妬ならある程度はわかるが、男の子の嫉妬はちょっとよくわからない感覚である。ロンも面と向かってハリーに羨ましいとは言わない上に気付かれていないと思っているものだから、鎮めるのには本当に苦労した。

 ハーマイオニーに背中をさすられ、ハリーに肩を組まれて少し涙目になっているロンを少し可愛いと思ってしまったのは、仕方のないことだと思う。

 その日の夜、パーバティに面倒くさい男だわねとばっさり切られるまでは本気でそう思っていた。

 

「ねえハリー、それは先生方にお渡しするべきよ。たとえダンブルドア先生が知っていても、他の先生は知らないかもしれないじゃないの」

「えー……? でもこんなに便利なもの、手放すには惜しいだろ。それにフレッドとジョージに悪いと思うぜ。あいつらがフィルチの保管庫からかっぱらってきたって話なら、芋づる式にその件がバレちまう。そうなったらひどい目に遭うぞ……」

「……フィルチって縛るのが趣味らしいしねえ」

「……それ誰からの情報?」

「ミセス・ノリスからだよ」

「倒錯し過ぎだろあのハゲ」

 

 ロンが落ち着いた後、歩きながら話していると人が増えてきたので、ハリーは透明マントを被り直した。

 ハリー・ポッターが外出していたなんて話が厳格なマクゴナガルの耳に飛び込めば、ヒヨコに変えられたハリーの身体が大鍋の中に飛び込む羽目になるかもしれない。

 マクゴナガルには絶対の信頼を寄せているが、その分だけ彼女の厳しさは身に染みて分かっている。悪行がもっともバレたくない人の一人だった。

 

「オー! ハーマイオニーにロンじゃねえか!」

「ハグリッド!」

「どうしたの、こんなところで?」

 

 人通りが多くなってきたところで、三人(ハリーは姿を隠しているので気づかれていない)は巨大なお友達とばったり出会った。

 大衆パブ《三本の箒》の前だ。ここは子供も入れる酒場であり、ちょっと大人な気分を味わえるということでマセた女の子の多いホグワーツでは人気のお店だ。

 もちろん、お酒は出ない。代わりに美味しいものを飲めるのだ。《バタービール》という、甘くて暖かい飲み物だそうで、アルコールは入っていないのにビールと呼ばれているのは、黄色い液体の上に白い泡が乗っているという見た目が、ビールそっくりだからである。

 これらは全て、ハーマイオニーとロンの受け売りである。ホグズミードに行けずに少し悔しい思いをしていた日に聞かされたので、ちょっぴり八つ当たりしておいたのは許してもらいたい。

 

「俺ぁ待ち合わせだな。……っと、ちょうど来た見てぇだ。ヨーゥ、ファッジ! 久しぶりだの!」

「やあ、ハグリッド。去年ぶりだね。いやはや、君には恨まれていると思ったのだが」

「あの時は仕方のねえことだ。あんたは大臣としてやるべきことをやったにすぎねぇ。そうだろう。ん?」

 

 恐らく去年のことを言っているのだろう。

 透明マントに隠れたハリーとロンは直接聞いていたが、冤罪であるとわかっていながらハグリッドをアズカバンへ拘留しなければならなかった秘密の部屋騒ぎのことだ。

 ……そういえば、ハグリッドはバジリスクのことを知らない。絶対に知られないようにしなくては、彼女の心の平穏がなくなってしまうだろう。忘れがちではあるが、危険な生物ナンバーワンだ。

 

「そういってくれると助かるよ。……子供たちとはもういいのかね?」

「ああ。そんじゃロン、ハーマイオニー、また城でな!」

 

 陽気にそう言い放つと、二人は身を縮ませてせかせかと三本の箒へ足を動かす。

 その後になされた会話から察するに、二人の飲みは魔法大臣の奢りらしい。恐らく先ほどの会話でも出た、アズカバンに収監してしまった事への簡単な侘びだろう。

 ハグリッドも意外と気遣われているなと感心していた三人は、友達が皆から好かれていることを知って暖かい気持ちに浸っていた。

 次の言葉を聞くまでは。

 

「にしても、ハリーがいなくてよかったわい」

「確かに。ジェームズとリリーの不幸話など、万が一にでも聞かれてはコトだ」

 

 ハーマイオニーとロンがハッと気づき、左右からハリーの腕を掴もうとしたが遅かった。

 透明化しているがゆえに、二人は予想したハリーの腕の位置に手を伸ばしたのだが、そこにはすでに何もなかった。するりと空を掴んだ二人がまず見たのは、地面。つまり、降り積もった雪である。

 いったい何に影響を受けて如何なる練習をしたのか、まるでニンジャのように雪を踏む足音すらなしに、ハリーのものらしき小さな足跡が素早くハグリッドとファッジの後ろを追っていた。

 ロンが「ハリー!」と叫ぼうとしたのを、彼女の存在がバレることを危惧したハーマイオニーが止めると同時。ハリーの足跡は、店内へと消えていた。

 

 ハグリッドが開けた扉が閉まる前に、小柄で薄い体をすべり込ませてパブ《三本の箒》へ侵入する。入る際に少しだけ胸と尻が擦ったので、成長からくる体形の変化を把握しておくべきかとハリーは頭の隅で思った。

 ハグリッドとファッジが、あまり楽しくない様子で酒場の主人らしき女性と話している。

 どうやら連れがいるようだ。

 ロスメルタというらしい女主人に案内される二人の後ろを、ハリーは出来る限り気配を殺してついていくことにした。

 

「おお、ミネルバ。会うのはお久しぶりですな」

「ああ大臣。……できればこのようなお話で会いたくはなかったです」

「尤もなことだ。ああ、ご尤もで」

 

 これは驚いた。

 マクゴナガル先生に、フリットウィック先生、スプラウト先生までいる。

 これでスネイプ先生もそろっていたらホグワーツの寮監が全員いたとスプラウトが言っているあたり、彼が寮監同士の集まりに来ないのはいつものことのようだ。

 ファッジが椅子に座り、ハグリッドが椅子に座る(椅子が悲鳴をあげてあまりの重さに抗議した)と、話が始まる。ただし、他の客に聞こえないよう極力声を潜めていたので、姿を隠している状態をいいことに、ハリーは堂々と誰にもぶつからない壁際、それも彼らの目の前に陣取ることにした。

 

「バタービール六人前、どうぞ」

 

 女主人ロスメルタが、白く泡立った黄色い飲み物をジョッキに注いだものを持ってきた。

 ……六人前? ここには五人しかいないはずだ。

 ロスメルタがひとつひとつ、盆から一瞬たりともバランスを崩さず器用にジョッキを一人一人の前に置いてゆく。そして最後の六つ目は、ハリーの目の前に置かれた。

 よもやバレたのだろうか。とハリーは腰を沈めるが、皆の沈んだ雰囲気からどうもそうではないらしいことに気付く。 

 おそらくあれは、いい意味で置かれたのではない。

 ファッジがジョッキを掲げるも、口から洩れたのは「アー」という困った呻きだけ。

 

「……なにに乾杯なさるのです?」

「……うむ、ここは彼しかおるまい」

 

 皆が目を閉じ、十数秒黙り込む。

 ああ、これは本当に聞かないほうがいい話だったかもしれない。

 ハリーが実際には行わず、心の中だけで溜め息をついた時、皆が斉唱した。

 

「我らが友、ピーター・ペティグリューに」

「「ピーター・ペティグリューに」」

 

 皆がジョッキに口を付ける中、ハリーは誰もいない席がピーターなる人物の分であることを察する。

 ロスメルタが立ち去ろうとするものの、ファッジが呼び止めた。

 マダムが作ってくれたバタービールを残されるのは、甘いものとマダムにお熱だった彼が許すまい。という理屈で、彼女に飲んでもらおうということだった。

 察したハリーがその場を離れると同時、寂しげに微笑んだロスメルタが席に着いた。

 多少は慣れてしまったが、話を盗み聞く分には何ら問題ない。

 

「ピーターは優しく、そして意外なほど勇敢な子だった」

「ええ。ポッターたちの腰巾着のように思っていましたが、のちにポッターから聞けば頼れる切り込み隊長のような存在だと言っておりました。教師として生徒を見る目がないと反省させられましたよ」

 

 どうやらピーターという、かつての生徒を悼む集まりのようだ。

 ほぼ無関係であるハリーからすると多少美化されているような物言いであるが、それでも概ねピーター・ペティグリューという男性の情報は集まった。

 気の弱い小柄な男の子で、いつもジェームズ・ポッター率いる連中の後ろを着いて歩いていた腰巾着のような位置づけ。要領が悪く、授業は筆記も実技も苦手だった。しかし何か一つのことをさせれば意外なほどの力を有するダークホースで、当時開かれていた決闘クラブでは優勝こそしなかったものの、時折ランキング上位に食い込んでグリフィンドール生らしさを見せつけていたとのこと。臆病で自分の意見をはっきり言えない子であったため、はきはきして元気の塊であったジェームズ・ポッターやその仲間たちに憧れている様子で、彼らの言うことは何でも聞いていた従順な子。

 そして、

 

「かつての友に、シリウス・ブラックに対峙して……」

「あんな臆病な子が、なぜ。どうしてあんなときに限って……」

「それでも、なけなしの勇気を振り絞ったのだろう。彼も立派な男だったということだ」

「……、……失礼。少しハンカチを……」

 

 そして、十一年前。

 ヴォルデモート卿の配下であったとされるシリウス・ブラックを止めるべく、たった一人で彼に立ち向かったが力及ばず、殺害されてしまったこと。

 そして学生時代、ブラックとピーターはまるで、近所に住んでいるの兄貴分と弟分のような関係であったこと。そんな親しい関係であった二人が殺し合い、あまつさえ片方を殺害せしめてしまったという悲劇に六人は悲しげに目を伏せた。

 

「俺は、俺はブラックに会っとった。可愛らしいお人形みてぇだったハリーを、マグルの家に預けるときに。あんときに会っていたんだ」

「それは本当ですか、ハグリッド」

 

 ハリーはついに自分自身の名前が出たことで、身を強張らせた。

 フリットウィックがその微かに息を呑んだ音に気付いたのか、ハリーの方を見る。しかしその時ちょうどその間を横切った老魔法使いの息遣いかと勘違いしてしまったのか、首を傾げて話に戻った。

 危ないところだったと冷や汗を流して、ハリーはハグリッドの言葉の続きを待った。

 

「ハリーを送り届けるときに、俺は空を飛ぶバイクを借り受けた。ありゃーブラック家のシリウスっちゅー若者のもんだった。つまり、あ奴だ。あの野郎は言ったんだ、俺がダンブルドアからの任務だっちゅってもしつこく、しつっこく! 『ハリエットは僕が育てる。僕が育てて見せるから』だ、ってな!」

 

 スプラウトが小さく悲鳴をあげた。

 それもそうだろう。逮捕前であり、ヴォルデモート配下と知られていないその当時であればハリーを預かった彼は高笑いと共にハリーを殺しただろうから。

 それに思い至ったのか、フリットウィックとファッジがけしからんと憤る。

 しかし、とハリーは己の記憶に待ったをかけた。

 漏れ鍋の前で、ハリーはシリウス・ブラック本人と意図せずして二人きりで出会っている。

 確かにあの身体能力は狂的なまでに至っていたが、闇祓いたちに囲まれる前は違った。そしてハリーと目が合った瞬間の、あの顔、あの眼は確かに狂気が宿ってはいたものの、その中には困惑と逡巡の色が多く占められていたような気がする。

 あれは目の前の人物を、ご主人様のために嬉々として殺すような人間の目だろうか?

 

「もしハリーを彼に預けていたかと思うと、ゾッとしますわ……」

「ああ。ハグリッドもよく彼の言葉をはねのけてくれた。彼に渡してしまう理由は十分以上にあっただろうに」

「ハリーを見ているようで見ていない、あの眼を見ちゃあ……渡せんわな……」

 

 ハリーがシリウス・ブラックの、あの黒い眼を思い出している間に、話は進んでゆく。

 その中でもっとも目立った言葉は、『裏切り者』という単語だった。

 ブラックが裏切り者というのはどういうことだろうか。

 

「しかしあの男がグリフィンドールなどと。どうして我が寮に振り分けられたのか……」

「人は己の心の闇とは、誰しも一度は向かい合うもの。いくら騎士道精神あふれるものが配属される寮とはいえ、己の闇に呑まれてしまうこともあるということでしょうな……」

 

 シリウス・ブラックがグリフィンドール寮?

 それでは彼は、ピーターと同じ寮生だったということになる。

 それでいてもなお殺害せしめたというのは、なるほど、如何にも『まともじゃない』。

 

「それにしてもブラックの奴め。あやつは一度に三人もの親友を裏切ったということになる」

「ええ……ピーターとも常に一緒にいたというのに、粉々になるまで吹き飛ばしてしまうだなんて。人面獣心とはこのことです」

 

 はた、とハリーは気づく。

 しかし気付きたくなかった。

 ブラックとピーターが常に一緒にいた。

 それは、それはつまり。

 

「ああ、思い出してしまった。ピーターの死にざまは、そのような残酷なものでしたかな」

「その通りですファッジ。親指一本しか残されておらず、彼の老いた母親にはその欠片しかない肉片と、英雄的な勇気を称えてマーリン勲章が送られたとのことです。……そんなものより、生きた息子を返してほしかったでしょうに。あまり良い母親ではなかったようですが、それだけはぽつりと呟いていたことを覚えていますよ」

 

 ハリーはここから立ち去るべきかどうかを迷い始めた。

 あまり情報の入ってこない、自分の両親の死についての話。

 咄嗟に行動してしまったということもあるが、知りたいと切実に思ったのもまた事実。

 だがこれ以上聞けば、ろくな目に遭わないことはわかっている。

 だというのにハリーの足は、その場に根を張ったかのように動いてくれなかった。

 

「あの男のせいでハリー・ポッターのご両親が亡くなったのだろう。まったくとんでもない悪党だ」

 

 血が沸騰する。

 ポッター夫妻の死には、シリウス・ブラックが関与しているということか。

 なるほど、いかにもヴォルデモートの配下らしい。

 両親も殺すことができたのなら、その娘を殺してしまうのも道理ということか?

 

「うむ。彼が、『あの人』にジェームズとリリーの居場所を密告したと推測されております。彼が《秘密の守り人》だったのですから、彼以外に下手人はおりませんし、不可能ですぞ。推測と言っても、我々の想像の埒外のことがない限りほぼ十割事実と思ってもらってもよいでしょうな」

「フィリウス、それはまことか」

「真実ですぞ。ゆえに、彼が裏切り者。親友を裏切った愚か者です」

 

 ハリーは。

 己の想像が、妄想ではなかったことを確信する。

 マクゴナガルが唇を開くさまが、まるでスローモーションのように見える。

 まずい。この先を聞いてしまっては、己の感情を制御できる気がしない。

 ハリーは自分がかなりの激情家であることを自覚している。 

 この場を離れなければ。

 足の裏から床に張られた根を引きちぎって、逃げるようにハリーは歩みだす。

 しかし、行動するのがあまりにも遅すぎた。

 マクゴナガルの言葉は、背を向けたハリーの耳に飛び込んでくる。

 

「ジェームズとブラックは、まるで兄弟のような親友だったのに。何故殺そうなどと……」

 

 ハリーの足は止まらない。

 もはや気配を殺すことも忘れ、人にぶつかろうと全く気にならなかった。

 親友? 親友だと?

 頭の中で渦巻く激情が、唇からこぼれてしまわないように、左手で口を強く抑える。

 代わりに熱い絶望が、頬をはらはらと伝ってゆく。

 ハリーは今の話を、自分に置き換えて考えてしまった。

 ジェームズが自分で、ハーマイオニーがブラックだとして。芯から信じている、心から愛している親友に、死を以って裏切りを告げられる様を想像してしまった。

 それはどれほどつらい事だろう。

 どれほどに悲しかったのだろう。

 ハリーは両親がどのようにして殺されたのか、実はよく知らない。

 だがその絶望は、苦痛は、悲哀は、心が引き裂かれそうになるほどに理解してしまった。

 大量殺人犯……いや、両親の仇、シリウス・ブラック。

 彼女の手によって乱暴に開け放たれた扉が、抗議するようにベルを鳴らす。

 その窓ガラスが映した涙があふれるハリーの両目は、汚泥のように紅く渦巻いていた。

 




【変更点】
・恋バナ…の、真似事。愛って何だ?
・酷い目に遭うのはスコーピウスに変更。
・何がとは言わないが三年生後半で既に、ハリー>ハーミー。
・死んだ人間は美化される。

マローダーズマップ、つまりは忍びの地図。
今回はほとんど原作通りの進みとなりました。性別が変わろうと大しておおきく変動するイベントがないんだもの! 忍びの地図なしで頑張れというのも考えましたが、ええ。その場合この学年で詰みます。故にボツ。
ハリーがピーターとシリウスとジェームズの事を知ってしまいます。原作よりジェームズ達への情が薄いように見えるハリエットちゃんですが、かつて蔑んでいた自分はまっとうに愛していいのかなと思っているだけです。なので他者からどうのこうの言われたり、今回のようなことになれば普通に怒ります。
シリウスおじちゃんは無事ハリーに箒を贈れるのか? あなた()がいないと案外後々のストーリーに支障が出るのよ! 次回「マルフォイ死す」。 デュエルスタンバイ!

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