ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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9.闇の帝王

 

 ハリーは油断なく杖を構えた。

 クィリナス・クィレル。元ホグワーツ教師であり、闇の魔術に対する防衛術の教授。

 鷲寮出身の優秀な魔法使いにして、吸血に依ってヒトから変異した第二世代以降の吸血鬼。

 そして。闇の勢力、ヴォルデモート卿の臣下たる《死喰い人》。

 いまハリーの目の前で殺意溢れる様子で揺らめいているのは、そういう男だ。

 

「……どうやって生き延びた」

「聞いてくれて嬉しいな。それは苦労したよ、ポッター。本当に……苦労した……」

 

 顔面の左側を覆い隠すように巻かれた紫のターバンがゆらゆらと揺れ、腕の代わりに身振りを表現する。相変わらずクィレルの両腕はない。原因は分からないが、ハリーが触ったことによって灰と化して消え失せてしまったからだ。ここから生きて戻れたら、ダンブルドアに問うべきかもしれない。

 ハリーの問いかけに人間とは思えない怪物そのものである顔を歪ませて、クィレルは嗤う。

 

「貴様に顔を砕かれたあの直後、ご主人様は私の身体を捨てて何処かへと消え去った。そして私は、貴様に頭部の四分の一を損壊させられたことで死へと向かっていた」

 

 それはそうだ。

 いくら強靭な生命力を持つ吸血鬼といえど、脳を破壊されてなお生きていられる道理はない。

 ではいったいどうやってその不可を可能と変えたのか。

 

「《簒奪の呪文》という魔法がある。知っているかね、ポッター」

「……、…………許されざる呪文か」

「然り。グリフィンドールに十点」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、クィレルはターバンで握る杖をジニーに向けた。

 

「なッ、やめ――」

「『ディキペイル』、寄越せ!」

 

 冗談のようにドス黒い、それでいて深紅の燐光を放つ魔力反応光がジニーの脇腹に直撃した。

 そしてその深紅の燐光は闇のような魔力反応光を辿って、まるでジニーから何かを吸い取ったかのような瘤をクィレルまで運ぶ。杖を通じてそれがクィレルのターバンに辿り着くと、彼の全身がうっすらと紅く発光し、そして霧散した。

 俯いたクィレルが顔を上げると、そこには彼が失ったはずの左目が在った。紅色に鈍く輝く瞳孔。人を越えて外法に手を染めた魔導の者特有の眼だ。

 クィレルが満足そうに頷くのに対し、ハリーは杖を向けてどうするべきかを考える。

 しかしその前に彼は言葉を発した。

 

「見よ、そのガキの顔を」

「……」

「安心していい。お前が絶望するまで、私は攻撃せんよ」

 

 その言葉は真実その通りだ。

 奴はハリーに対して山よりも高く海よりも深い憎悪を抱いていることだろう。

 それでもなお警戒しながら、ハリーは数歩後ずさってジニーの様子を確かめる。

 見て、見てしまって、ハリーは怒りと憎悪、そして焦燥に汗を流す。

 ジニーの閉じられた左の眼窩から鮮血が溢れている。

 これは。これはつまり、()()()()ことなのだろう。

 

「眼、が……ッ」

「そうだ。そうなのだポッター。《簒奪の呪文》は文字通り何もかもを奪い尽くす呪文。当然、人体であろうと例外ではない。そら、出血を止めねばガキは死ぬぞ」

「くそッ! 『エピスキー』、癒えよ!」

 

 ハリーは慌てて治癒呪文をジニーにかける。

 ポンプで押し出されるように溢れていた血は治まったものの、恐らくこれで視神経は閉ざされた。

 こうなってしまった人体欠損を治せる魔法は、ハリーの知る限りはない。マダム・ポンフリーの奇跡に頼るくらいしか方法は思いつかないのだ。

 親友の妹という大事なジニーに、自らそのような仕打ちをしたことにハリーは苦い顔をする。

 それを見て大喜びするのはクィレルだ。

 

「ハッハハハァハハ! いィィィ――い顔だァ、ポッタァーッ! いい顔をしているぞォ! そうだ、私はこの調子で生徒たちから()()()()奪っていた! ダンブルドアにバレると怖いからな。少しずつ、少しずつ、蝙蝠に化けて少しずつ奪っていった。苦労したぞぉ、ポッター。それもこれも貴様のせいだからな」

「き、きさま……!」

 

 憎悪のこもった視線を向けるも、まるで心地よいシャワーだとでも言うような表情をするクィレル。

 それがさらにハリーの心を激しく揺さぶる。

 彼の話が本当ならば、なぜヌンドゥの病以外にも風邪がここまで大流行したのかもわかる。生命力を奪われれば、当然体力も減る。そんな免疫力の低下した体では、通常の健康状態とは比べるべくもなく体調を崩すことだろう。

 何なんだ、この男は。本当に、なんなんだ。

 

「おまえ、仮にも元教師だろうが! 生徒にそんなことをして、なんとも思わないのか!?」

「『仮にも元教師だろうが』ぁ! 『なんとも思わないのか』ぁ! ぷっは、ギャハハハハハ! いやはや、ミス・ポッターは御冗談がお上手で! 教師がなんだっていうんだ、ただガキどもに講釈垂れてストレスと金を貰うだけの仕事だろう? ああ、それとも私の腹を捩れさせて殺すつもりなのかね? それは実に効果的だ! グリフィンドールに五点やろうじゃないか!」

「ふざけるな! 『エクスペリアームス』!」

「おおっと『プロテゴ』。短気はいけないぞポッター、グリフィンドールから一〇〇点減点だぁ」

 

 激昂したハリーの攻撃も、いとも容易く防がれる。

 腕がないというのに元気な奴だ。いや、ひょっとするとその腕もジニーから奪えば手に入るのか?

 まるで悪ガキが女の子をいじめて遊ぶような光景に、リドルが溜め息を漏らした。

 

「クィレル、クィレル、クィレル。ぼくも暇じゃあないんだ。さっさと用件を済ませてくれ」

「ちぃ、いいところだったのに。あまり邪魔をしてくれるなよリドル」

 

 諌めるような青年の言葉に、舌打ちで返すクィレル。

 それに対して肩を竦めるのみで終わらせたリドルは、石像に背中を預けて傍観の姿勢を取った。

 にやにやといやらしい笑みを浮かべているあたり、面白いショーとでも思っているのだろう。

 

「さて、急かされたことだし。始めようかポッター」

「……、…………何をだ」

「当然。――殺し合いだ」

 

 ハリーの肩に降りかかる重力が、途端に増した。

 クィレルのぎらついた殺気が押し寄せる中、ハリーはその刃のような殺意で以って返す。

 それに驚いた顔のクィレルと、口笛を鳴らして喜ぶリドル。

 

「ほほう、なかなか。この一年だいぶ苦労したようだねハリエット・ポッター。いい憎悪だ」

「黙れリドル! 今は私のお楽しみの時間だァ!」

「はいはい。さっさとやられてきなよ」

「ガキが! 行くぞポッター! 恐怖に塗れた顔を見せてくれ、汚物に沈んで私に殺されろ!」

 

 床を蹴り砕く勢いでこちらへ跳んできたクィレルは、爪のように鋭くなったターバンを振り下ろす。

 ハリーはそれを後ろに倒れることで避け、両手を床について両足を振り回すように回転した。

 それに足を蹴られたクィレルが体勢を崩すと同時、ハリーは杖を突きだす。

 クィレルの鳩尾に風穴が開き、口から赤と銀の血液がごぼりと溢れる。

 無言呪文による《刺突魔法》だ。抉るように杖を捻ってさらに傷口を広げると、寝転がった状態のハリーは「『アニムス』、我に力を!」と叫んだ。身体強化の呪文である。

 反動をつけて起き上がる際、ついでとばかりにクィレルの顔を両足で思い切り蹴飛ばす。強化された脚力で蹴られたクィレルは驚愕の表情を張り付けたまま仰け反り、宙へと吹き飛ばされた。

 両手で跳びあがったハリーは重力に従って落下し始めたクィレルの真下へ駆けると、更に強烈な蹴りを加えてより高く放り上げる。同じく地を蹴って宙に跳びあがったハリーは、空中でクィレルの心臓目掛けて足刀を放つ。まともに受けたクィレルは回転しながら激しく吐血し、ハリーは嫌そうな顔をする。

 だが攻撃の手は緩めない。空中に居ながらにして魔力を射出し体勢を整えたハリーは、クィレルに向かって全力で魔法を乱射する。

 

「『エクスペリアームス』! 『ディフィンド』! 『インセンディオ』! 『グレイシアス』!」

 

 武装解除によりクィレルのターバンから杖が弾き飛ばされ、切断呪文によりクィレルの首から鮮血が撒き散らされる。炎呪文で両足を焼かれ、氷結呪文で胸から上を凍結される。

 散々な扱いを受けたクィレルはそのまま床へ叩き落されると、ハリーはとどめとばかりにクィレルの上へわざわざ着地し、乱暴に蹴ると空中で数回転して距離を取った。

 リドルが嬉しそうにはしゃぐ中ハリーは、首から血をあふれ出させて血の池を作る、地に倒れ伏したクィレルを睨みつける。手ごたえは十分以上にあった。だが、彼の感情が消えた気配がない。

 怒涛の瀑布のように押し寄せる憤怒の感情が。

 

「ポッ……タァァァアァァァァ――――――ッ! きさま! よくも、この私にィィィ!」

 

 口元の氷を顎の力のみで砕き、クィレルが絶叫した。

 ごぼり、ごぼりと首から溢れる血液に気泡が混じっている。理由はわからないが、どうやら再生していないようだ。

 ハリーは冷たい目で激昂するクィレルを見下ろすと、更に杖先から呪文を放つ。

 その魔力反応光を避けるため、クィレルは両足で地面を叩くことで宙に舞いあがる。身動きの取れない宙にいるうちに当てようと、続けて魔法を放つもクィレルは身を捻ってそのすべてを回避する。

 手負いの獣がそうするように、着地したクィレルは身を低くして構える。口元からどろどろと垂れる血もまったく気にしておらず、既に見る影もない高級そうなスーツをさらに汚していた。

 

「ごぼ。侮っていたよポッター。そこまで、ごぶ。そこまで、強くなっているとは」

「それはどうも。そのまま死んでもいいんだよ」

「抜かせ。いまここで貴様を殺してやる」

 

 ボロボロの状態のクィレルの目が細められる。

 奴の杖は武装解除のせいで、どこかへいってしまった。ならば奴はその身体能力を活かした攻撃をするはずだ。いったい、どう攻めてくるのか。

 

「SYAHッ!」

「――ッ!」

 

 獣のような叫び声と共に、意外にもクィレルはまっすぐ突っ込んできた。

 その素早さたるや、普通の人間では視認するのがやっとといった程である。

 だが今のハリーは身体強化魔法の影響下にあり、例え吸血鬼であろうとそのスピードに対抗できるだけの知覚と肉体を持っている。ハリーの脇腹を抉ろうと伸ばされたターバンの槍を、左手で掴んで思い切り引き寄せる。

 ハリーの思惑としては、そのままこちらに寄せられたクィレルの顔に強烈な拳を打ち込むつもりだったが当てが外れた。するりとクィレルの頭からターバンが脱げ落ち、逆に勢い良く引っ張ったハリーが体勢を崩すことになってしまう。

 自分の腕替わりであったターバンを奪われたことに多少動揺するものの、クィレルはそのまま攻撃を続行する。腕がなくなったので、ハリーの腹にそのまま頭突きを加えた。

 吸血鬼の強靭な肉体と異常なまでの速度、その相乗。クィレルは自らの触感から、ハリーの肋骨をいくつか砕いたことを確信した。

 少女が桜色の唇を真っ赤に染める血を噴いたのを見て、クィレルは勝利を確信してほくそ笑む。

 直後。その眼は驚愕と恐怖に染め上げられた。

 目だ。

 ハリーの目が、真っ赤に染まっている。

 明るいグリーンでありながら泥のように濁った瞳をしているのが、ハリー・ポッターという少女だ。

 だが今のハリーの瞳は、紅く染まっている。

 かつて恐れ、傀儡のように従った主人である闇の帝王と、同じ瞳の色。

 そして色が同じなのは、何もカラーだけの話ではなかったのだ。

 落胆と怒り。

 ハリーの紅い瞳に色濃く表れた色もまた、主人と同じ色だった。

 

「ヒッ――」

「――ここで死ね、クィレル」

 

 怯えを見せたクィレルの首に、右手を素早く動かして杖を突っ込んだ。

 既に切断呪文によって裂かれていた傷口に杖先が突き刺さり、赤と銀の血が噴き出す。

 ジニーから奪ったクィレルの左目が、ハリーを見る。

 言葉はない。

 だがまるで命乞いをするような視線を、しかしハリーは冷酷に嘲笑った。

 

「『ランケア』、突き刺せ」

 

 ぞぶり。

 水の詰まった皮袋にナイフを突き立てたような、そんな感触が伝わってくる。

 ハリーの杖にまとわれた螺旋状の魔力は、クィレルの首と胴を泣き別れさせた。

 銀の血液と赤の血液を撒き散らし、回転しながらクィレルの首が吹き飛ぶ。

 バウンドする生首。秘密の部屋の床が水浸しであったため水の中に首が半分沈んだ状態で、クィレルの頭部は床に転がった。リドルは足元まで転がってきたクィレルをただ面白そうに見下ろすだけだ。

 一瞬遅れて残された体が倒れ込み、抉られた首からびゅるびゅると血液が溢れてハリーの靴を汚す。

 冷たく見下ろしたハリーの瞳が、紅から緑に戻るころ、首だけになったクィレルがようやく悲鳴を漏らし始めた。心を折られ、心底恐怖した傷ついた犬のような悲鳴だ。

 

「ひいっ、ひいいいい……っ、化け物、化け物ぉ……」

「おいおい。お前がそれを言うか?」

 

 半笑いでリドルがそう言うも、クィレルは返す気力もないようだ。

 いまだに冷たい目でクィレルを見るハリーに、リドルは嬉しそうに声をかける。

 

「やあ、ハリエット。お見事だよ、クィレルを斃すなんて、なかなかやるじゃないか」

「…………、……」

「おやおや、意識して人を殺すのは初めてかい? 女の子の初めてって何かいい響きだよね。うん。っていうか、こんな雑魚っぽくても吸血鬼だよ彼は。君、ひょっとしてそこらへんの闇払いよりも力あるんじゃないの?」

「……だまれよ、リドル」

 

 荒い息を整え、ハリーは呟く。

 肩を竦めたリドルはにやにや笑ったまま、ボールのように足をクィレルの頭に乗せる。

 びゅくびゅくと痙攣するクィレルの胴体を眺めていたハリーは、リドルのその行動を見た。

 人を人とも思わない、まるでおもちゃのように扱うその行動。

 眉を潜めて、ハリーは問うた。

 

「……おまえ、何者なんだ。単に五〇年前の記憶がなにもなしに、ぼくの前に現れるか?」

「んんーん。やぁっとぼくのお話ができるねえ。この有象無象(ゴミクズ)が時間をかけすぎるからいけないんだ。これだから出来そこないはいけないんだ」

 

 ユニコーンの血のせいだろう、首だけになっても死ぬことができず怯え続けるクィレルの頭を、何度も踏みつけるリドル。

 その行動は、およそ血の通った人間のできる所業ではなかった。

 黒真珠のように美しい瞳をこちらに向け、楽しそうに歌うようにリドルは言う。

 

「ぼくはね、君だよ。ハリエット・ポッター」

「ふざけているなら殺すけど」

「おおっと怖い怖い。本当のことをお話ししましょう、ハリエットお嬢さん」

 

 リドルはいつの間にか拾い上げていたクィレルの杖を掲げると、空中に文字を刻み始めた。

 杖を一振りさせて反転させると、ようやくハリーにも読みやすくなる。

 どうやら、リドル本人の名前らしい。

 

――TOM(トム) MARVOLO(マールヴォロ) RIDDLE(リドル).

 

 トム。

 男の子によくある、平凡で親しみやすい名だ。

 それを忌々しげに眺めるリドルは、ハリーに向かって自嘲気に言う。

 

「どうだい、この平々凡々とした名前は。反吐が出るだろう」 

「そうか?」

「そうだよ。冗談じゃないね、ぼくにはもっと、偉大な、相応しい名前がある」

 

 リドルはそう言うと、ひゅんと杖を振る。

 すると文字がばらけて、うねうねと動き回った挙句に別の文字列に変わった。 

 それを読んだとき。ハリーは息を呑む。そして足元のクィレルは恐怖に目を見開いた。

 

――I AM(わたしは) LORD VOLDEMORT(ヴ ォ ル デ モ ー ト 卿 だ).

 

 アナグラム。

 ある文章で使われているアルファベットを入れ替えて、全く別の文章とする言葉遊び。

 リドルは自身の名を崩すことで決別(ころ)し、新たな自分へと生まれ変わるつもりだったのだろう。

 ハンサムさと物腰の柔らかさ、人懐っこさから初対面の人間のほとんどが好印象を抱くであろう青年は、いまや英国の誰もが名を口にすることすら恐れる大悪党へと変身せしめたのだ。

 ハリーは驚き半分、そして自分でも意外なことに納得半分の気持ちで、リドルに問う。

 

「じゃあ、そうか。君がヴォルデモートなんだな」

「そうさ。正確には未来のぼくがね。この名前は在学中でも親しいものにしか名乗っていなかった。だって考えるのに結構苦労したからさ。どうせなら誰もが恐れる、素敵な名前がいいじゃないか」

死の飛翔(vol de mort)。うん、お洒落で悪趣味なネーミングだと思うよ」

「ありがとう。君ならそう言ってくれると思っていた」

 

 ハリーの答えに満足げな顔をするリドル。

 驚きもあるが、なにか納得が強い。自分の中の何かが、彼を闇の帝王だと肯定している。

 しかしやはり疑問もある。

 五〇年前のヴォルデモートだというのならば、ハリーを知っていることはおかしい。

 

「記憶とは、所詮記憶にすぎない。じゃあなんで君はぼくのことを知っているんだ、リドル」

「そりゃあ、聞いたからさ。ジニーからね」

 

 ここでジニーの名が出るとは。

 ハリーは驚きを隠すように頷いた後、どういうことかと問う。

 それに対する答えは実に簡潔なものだった。

 

「そりゃあ、君。ジニーが秘密の部屋を開いた者だからに決まっているじゃないか」

「ジニーが?」

「うん。ぼくの日記、アレを最初に所有していたのはジニーなんだよ」

 

 ジニーははじめ、どうやって手に入れたかわからない日記を届出ようとしたらしい。

 誰かの荷物が混じっていると思ったのだろう。

 しかしリドルがそれを阻止した。

 本に文字を浮かべ、ジニーの気を惹いたのだ。

 所詮は十一歳の少女。リドルにとって口八丁で籠絡するのは実に容易なことだっただろう。

 美辞麗句を並べ、彼女の悩みを聞き、時には親しい友として想いを綴られる。

 それはなんと甘美で、そして滑稽か。

 リドルは言う。「思春期女子の悩みってのはばかばかしいね。やってられなかったよ」と。

 聞けば恋愛ごとの悩みだとか、仲良くなれるかだとか、そういった相談ばかりだったらしい。

 だがそれでもリドルは、彼女の悩みを聞く必要があった。

 正確には、ジニーに日記を所持していてもらわねばならなかった。

 リドルはジニーが日記に文字を、思いを書き込むことで魂を削り取る術式を日記に仕込んでいたという。自身の記憶を封じ込めた魔法式の応用だそうだ。それを用いて、ジニーから少しずつ、少しずつ、魂という生命エネルギーを刻んで、己が胃袋へ放り込んできたのだ。

 そしていつしか。魂の容量が崩れてバランスは変わり、主従は逆転する。

 持ち主は道具へ、道具は支配者へ。

 ジニーの身体を操ることに成功したリドルは、次々と行動を起こした。

 まずは秘密の部屋を開け、バジリスクを解き放つ。そして蛇語で操れないヌンドゥが不用意に出てこれないよう、バジリスクに命じてパイプ通路へと誘導した。

 愛しいお友達であるジニーからの話でハリエット・ポッターという存在を知った。

 闇の帝王となった未来の自分を打倒したらしい。

 たかだか一歳児に敗北するなど、有ってよい話ではない。だが、実に面白い。

 ここでリドルは、ハリーに興味を持った。

 だがハリーと出会うには手順が必要だ。

 さて、どうするか。

 暇を持て余したリドルは、前座が必要だと感じた。

 自分とハリエットが出会う感動的なシーンに至るには、無様な前座が必要だと。

 役者を求めてバジリスクに校舎内の下水パイプを通して探し回ってもらったところ、灰に埋もれ憎悪に震えながらも生き延びている生ごみを見つけたそうだ。

 それが、クィレルだ。

 現代の自分が乗り捨てた玩具であることを察したリドルは、クィレルに救いの手を差し伸べた。

 一も二もなくその手に飛びついたクィレル。

 こうしてリドルは、便利な手足(腕はないが)を得ることができた。

 マグル生まれである穢れた血がはびこる校舎内を掃除しようと思い立ったらしい。

 クィレルに生命維持のための魔法をかけ、校舎内の生命力を吸い取らせて生き残らせた。

 すべてはハリー・ポッターに倒されるためだけに。

 

「そんな……、ご、御主人さま……?」

 

 リドルの説明を聞いていた生首クィレルは、絶望的な声を出した。

 やっと伸びてきた救いの手が、実は悪魔のそれだったのだからさもありなん。

 楽しそうに笑うリドルは、氷のような声で説明を続けた。

 これだけ寒いのに吐く息が白くならないその姿も、また悪魔染みた雰囲気に一役買っている。

 

「そしてぼくは、ジニーの生命力を吸う形で復活しつつある。つまり彼女の命をぼくの物として置き換え、代わりとして彼女に死んでもらうというわけさ。復活したならば十六歳とはいえ、ヴォルデモート卿が二人に増えるんだ。その絶望感たるや、魔法界のゴミどもが歪ませる情けない顔を見てみたいよねえ」

 

 だけど、とリドルは続ける。

 

「このままではジニーの魂を削り切って死なせない限り、ぼくは現出できないし、魔法だって使えない。受肉してないから、魔力が通ってないんだよね。それに彼女がいくら純血とはいえ、学校内での評判を聞いてみれば、穢れた血と通ずる裏切り者どもじゃないか。まったくもって、ぼくの糧にするには役不足だ」

「……どういうことだ。何が言いたい?」

 

 リドルはからからと笑うと、サッカーのリフティングのようにクィレルの頭で遊び始めた。

 ぽんぽん、ぽーんとクィレルの頭がリドルの靴の上で踊り跳ねる。

 ヴォルデモートという自分の主人たる帝王の前で無様を見せてしまったクィレルは、ただ怯えるのみ。血の混じった涙を流し、口の端から英語にならない嗚咽を漏らしていた。

 そんなクィレルの頭を、ひと際高く蹴り上げたリドルは、それを鷲掴みにする。

 

「ヒィッ! イヒャァ――ッ!?」

「うるさいなあ」

 

 恐怖のあまり奇声を上げるクィレルを、リドルは右手だけで持ち上げる。

 

「どうだい、ご覧よ。この闇に染まって醜い顔を」

「……、お、おい。まさか」

「うふふ。こんなにどす黒いなら、糧にぴったりだとは思わないかい」

 

 クィレルの顔を自分の真横へ寄せるリドル。

 いつ殺されるかわからず、ただ泣き続けるクィレルの顔が、ハリーに向けられた。

 ジニーから奪った左目から、死への恐怖により滂沱と涙を流すクィレルはあまりに哀れだ。

 クィレルの頭を掴むリドルの手に、力が入る。

 

「ひィ、やめて。助け――」

 

 クィレルが悲鳴のような制止の声を上げるが、リドルは嘲笑った。 

 愉悦とばかりにリドルは頬まで裂けんばかりの毒々しい笑みを浮かべて、右手に魔力を込める。

 途端、柔らかいパン生地のように顔を歪ませたクィレルは、次の瞬間水風船が破裂するような鈍い音と共に、その頭部を肉塊と血の滝に変えた。

 ぼたぼたとリドルの指の間から零れ落ちる。ピンクの何か。及び白とオレンジの何か。

 ぐちゃぐちゃと生々しい音と現物を前にして、ハリーは思わず嘔吐した。

 少女のもたらす液体音と、死がもたらす液体音。そして陶酔しきったリドルの吐息。

 苦しい時間を乗り越えたハリーが汚れた口元を袖で拭いながら顔をあげると、そこではリドルが汚れきった手を舐めとっている姿が見えた。

 ――狂っている。

 

「失礼だなあ。これもひとつのお食事だよ」

 

 リドルはそう囁くと、喉を鳴らして脳漿を呑みこんだ。

 またえずきそうになるが、こんな危険人物を前に少しでも隙を見せる気にはなれない。

 胸からこみ上げるモノをぐっとこらえて、ハリーはリドルを睨みつけた。

 すると彼の輪郭がはっきりし、向こう側の風景も見えなくなった。

 んんー、と彼が伸びをして大きく息を吐く。

 白い、寒さによって白く変化した吐息が彼の唇から滑り出す。

 頬にも赤みがさして、まるで、まるで生きているかのような――

 

「ヴォルデモート卿、復ッ活ぅ~~~ッ」

 

 一人の少年が、その両腕を広げて深呼吸する。

 陶酔した、己に酔いきった顔。それは異様なほどに醜悪であった。

 

「うーん、どうだいハリエット。変なところないかな」

「な、何を……?」

「んー? ああ、ほら。せっかく()()()()()んだから、感想くらい欲しいと思ってね」

 

 受肉できた。

 それは、それはつまり。

 

「……ッ!」

「おっと、ジニー・ウィーズリーならまだ大丈夫だよ。まだ、ね」

 

 ハリーがジニーに目を向けると、確かに微かながら胸が上下している。

 本当に微かだ。あと、もっていくらだろうか。

 恐らくリドルは、まだジニーから魂を削り続けているのだろう。

 

「まー、相応しくないとは言ったけどさ。女の子の魂って案外おいしいんだよね。やみつきってやつ?」

「……サイテーだな」

「おや。やっぱり女の子にはこの感性わからないかな?」

 

 肩を竦めるリドルに、ハリーは杖を向けた。

 どの道、彼をどうにかしなければジニーを救える手立てはないのだ。

 やるしかない。

 

「おや。ぼくとやるつもりかい? ただの二年生ごときが、このヴォルデモート卿に?」

「まだヴォルデモートじゃないだろう? それに、どうやら五〇年の間に新しい知識は増やしてないみたいだからね。その間に開発された魔法も、ぼくはよく知っているんだよ」

「へえ、そうかい」

 

 リドルは不愉快そうに、しかし興味深そうに頷く。

 そうしてハリーを再度見据え、杖を構える。

 

「試してみるかい、ハリエット」

「望むところだ。さっさと倒して、ジニーと共にここを出る」

 

 にま、と。

 まるで新しいおもちゃを与えられた子供のような、無邪気な笑顔を浮かべるトムを見て、ハリーは心底気持ち悪いと感じた。

 なぜあのような純粋無垢な笑顔に、そのような感想を抱いたのか。

 わからない。だが、危険を感じた。

 あの笑顔は、絶対何かよからぬことを企んでいる。

 たとえば、そう。

 予想の斜め上にナイフを突き立ててくるような。

 

「さぁいくよハリエット! ついておいで!」

「黙れ! 八つ裂きにしてやる!」

 

 二人で啖呵を切って、構えた杖を二人同時に大きく振り回す。

 魔力を練り、魔法式を構築し、杖先から魔力反応光があふれ出し、

 

「「『アニムス』、我に力を!」」

 

 全く同じ魔法を行使した。

 ハリーは青白い光に包まれ、リドルは赤黒い光に包まれる。

 その光景に、ハリーはやはりと内心で舌打ちした。

 この魔法、《身体強化呪文》は。ヴォルデモートが世間を絶望に突き落としていた暗黒時代に、一人の闇払いが創りあげた魔法だ。五〇年前の学生であるトム・リドルがそれを知っている道理はない。

 ただ先ほど、クィレルとの戦闘でハリーが使って見せたきりだ。

 もしそこで視て、解析し、理解し、習得したというのなら彼は間違いなく怪物だ。魔法使いという種族を逸脱し、人間の殻を脱ぎ捨て魔人の域に足を踏み入れている。

 魔人化した元人間は、肉や血から他者の魂情報を摂取することで自身の魔力を補強しようとする性質があるとされている。いくら中身が小物臭いクィレルであろうと、彼は曲がりなりにも吸血鬼である。吸血鬼自身他者から血という魂を取り込んでいる存在なのだから、その魂情報の濃密さときたら他とは比べ物にならないだろう。

 先ほどのカニバリズムにも抵抗がないことから、もしかするとリドルはひょっとするかもしれない。

 赤黒い光が、美しくも毒々しい軌跡を描いて跳ね上がる。青白い光もまたそれに続いて跳び、追いすがるように壁を蹴り柱を蹴り追いかける。

 リドルの楽しそうな哄笑が秘密の部屋に響き渡った。

 

「いィィィーい魔法だねえーっ! 魔力運用が難しいね? んー、んん、ハリエット、君もまだ十分な運用ができてないんだろう? だったらまぁぴったりかもしれないな」

「黙れ! その口を縫い合わせてやる!」

「ヒューッ、怖い怖い」

 

 二人は壁を駆け上がりながら、子供のような言い争いをする。

 おちょくるリドルに我慢できなくなったハリーは、その挑発に乗ることにした。

 まるで拳銃のように杖を突き出す、無造作で単純な魔法式。

 魔法式の容易さを見れば杖を持った赤子でもできそうな魔法だがその実、要求される魔力と度胸が尋常ではない、完全に相手を攻撃し害するためだけに編み出された魔法。

 

「『フリペンド』、撃て!」

 

 《射撃魔法》である。

 ハリー特有の、明るい緑色をした魔力反応光が銃弾の形に固められて杖先から射出される。

 射出される音も、杖先で一瞬だけ光るオレンジと黄色の魔力反応光も、マズルフラッシュに似ている。

 それもそのはず。これは中世魔法界にて、マグルの扱っていた当時のマスケット銃を見たとある魔法使いが考案した魔法だからである。似ているのも当然と言ったところだろう。

 固定した魔力(だ ん が ん)を、杖先に収束(リロード)、爆発的な魔力(かやく)射出する(う つ)

 そんな単純明快な仕組み。魔法式らしい魔法式と言えば、杖内でちょうどよく魔力を爆発させる程度か。それも一度プログラムしたならば寝惚けながらでもできるほどの容易さ。

 だがそれは、完全な攻撃に用いられる魔法である。

 魔法使いや魔女がその魔法を使うときは、相手を殺すとき。

 当然だ。他人に拳銃を撃ち込んでおいて殺す気はなかったなどと言えるのは相当な阿呆か相応の殺人鬼かといったものなのだ。相手にこの魔法を向けられる度胸を持った魔法使い魔女は、なかなかいない。

 かの暗黒時代では、自衛のためにこの魔法を覚えるようにと魔法省から勧告されていた。

 しかし《死の呪文》が最大の禁忌とされるような魔法界での道徳観念では、いざ襲われた際にこの魔法をきちんと使える者は滅多にいなかった。なにより使える者が限られるとはいえ、《死の呪文》が強力過ぎるのだ。

 《射撃呪文》は弾丸となった魔力反応光で肉を貫き、心臓を止めて殺す。

 《死の呪文》は一方、魔力反応光を当てる。すると相手は死ぬ。

 そういった理不尽でばかばかしい効果を持つのが《死の呪文》である。何のプロセスもなしにただ死ぬ。などという異常が生物にはあってはならないのだ。外傷はない、病気もない、なのに体は死んでいる。死んでいるということを除けば極めて健康体であるなどというふざけた結果になるのだ。

 そういう事情もあって、この魔法を英国魔法界で使う者は少ない。

 だがハリーは、セブルス・スネイプという優秀な教師からこの攻撃手段を教わっていた。マグルにあまりいい感情を持たない彼ではあるが、その有用性は何故かよく知っていた。ただ魔力弾を魔力爆発で撃ちだすだけ、という仕組みだけではなく、弾丸を回転させるという手法を取ったのだ。空気を切り裂いて射出される魔力弾は、通常ただ撃ちだしただけの魔力弾よりもはるかに威力が高く射程も長い。それは、マグルの悪魔的な知恵が生み出した銃の構造と同じモノであった。魔法を持たぬゆえ頭脳を捏ね繰り回すようなマグルの技術は、魔法にすら応用可能なのだ。

 そういった背景もあるこの魔法、これをハリーが躊躇いもなく使ってきたことに、リドルは少しだけ感心した。スネイプによって改良、もとい改悪された殺しのための魔法を見て、リドルはハリーへの評価を上方修正したのだ。

 

「『プロテゴ』! んんん。いい魔法だね、人を殺す為だけのいい魔法だ」

「そりゃそうだ。君を殺す為だけに使ってるんだから」

「素敵な殺意だ。フツーの子供じゃ、そんな目はできないよ、ハリエット。君は魅力的な女の子だ」

「うるさいな。黙って殺されてろよ」

「そいつは御免被る」

 

 ハリーは無言呪文で《射撃魔法》を乱射する。

 狙う個所は眉間、心臓、鳩尾、股間。そのすべてが人体の急所。

 盾の呪文を張っていても伝わってくる、確殺の気迫。

 その殺意が嬉しくて、外法に手を染めてまでこちらに向かってくる姿が美しくて、血に塗れてでも杖を振るうその少女が可愛くて、リドルは興奮し、頬が裂けるほど嗤った。

 未来の己がこのような少女を作り上げたと知った、この躍るような歓喜は素晴らしい。

 平穏無事に暮らせるはずだった人間を、このような外法と修羅の舞い踊る地獄に叩き落とす、(かばね)に満ちた光り輝く未来を与えてやれる。血の海を啜らせて、肉の山を食ませる楽しみを教えてやれる。

 トム・リドルがヴォルデモート卿となった暁には、このような愛らしい復讐鬼を幾百も幾千も。

 彼のもとへ大挙して押し寄せて、そして杖の一振りで無と消えるのだ。

 そんな素敵なことって、あるだろうか。マジで勃起もんですわ。

 想像するだけで心が軽くなるではないか。

 そう、この左手のように! ……左手のように?

 リドルの思考がそこまで至ったとき、彼は自分の左掌が穿たれている事実に気付いた。

 不思議に思ってハリーを見てみれば、彼女の杖には魔力が螺旋を描き集まっているではないか。

 あれは、いったいなんだろう?

 

「『フリペンド・ランケア』! 刺し穿て!」

 

 ハリーが叫ぶと同時、螺旋の魔力が杖先から射出された。

 それはこの戦いでハリーが編み出した、《射撃魔法》と《刺突魔法》の複合呪文。

 つまるところ、投槍である。

 螺旋の槍となった深紅の魔力反応光は、迷うことなくリドルに直進、飛来する。

 リドルが慌てて盾の呪文を三重にして構えるも、そのすべてが引き裂かれて光と消えた。

 

「あ」

 

 ぐじゅり、と。

 螺旋に回転し続ける魔力の紅槍は、リドルの腹を突き抜けて背後の壁を穿つ。

 リドルは自分の腹が穿たれてようやく、ハリーの力に思い当たった。

 五〇年前、リドルは一番だった。

 ホグワーツでは全生徒で一番の成績と実力を持っていた。

 監督生、主席は当然。時には魔法理論を間違えて演説している教授の間違いを指摘し、代わりに弁論を振るって嫌われ者の無能教師を辞職に追い込んだことさえあった。

 ヒーローだったのだ。

 生徒にとっては目指すべき目標、頼れる仲間。優秀な監督生。

 教師にとっても問題児に対処できる頼もしい生徒。学生の鑑。

 唯一力が及ばぬと感じたのは当時の副校長ダンブルドアのみであり、己の力は当時の校長すら凌駕していたと自負していた。そしてそれは紛れもない事実であった。 

 ゆえに。

 リドルは格上と戦ったことがない。

 ヴォルデモートと名乗ってからはダンブルドアや闇払いなど、幾度か恐るべき強者たちと殺し合うこともあった。命と命を削る戦いと殺しの中で研鑽され、闇の帝王が冥府の底より這い出でたのだ。

 だがリドルには、その命がけの戦いがない。まだ経験していないのだ。

 所詮は記憶。所詮はバックアップ。

 学生としては破格のトム・リドルであったが、それは目の前のハリー・ポッターにも言えること。

 入学前から命の危機に陥るような状況の中、刃物のように心を研ぎ澄まし。

 一年生の時から殺し合いの場に身を置いて、実戦の中で命のやり取りを覚えた。

 二年生になってからはこの秘密の部屋騒動だ。彼女の実力は、リドルの埒外のそれである。

 事ここに至って、リドルの計算違いはただ一つ。

 ハリー・ポッターが既に、下手な闇払いよりも強大な実力を得ていたことだった。

 

「ぐ。ごぼ。がぁ。ぁぁぁあああああああああああああああああああああァ――――――――ッ!? い、痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い! なんだこれは! 痛い、なんて。そんな。記憶である、ぼくが、痛い!? そ、そうか。受肉! 受肉したから痛覚神経が通って魔力エーテルがエーテルがエテルルルウルウルウルぎぃぃぃあああああああああああああああああああああああああああ!」

「やかましい奴だ。『シレンシオ』!」

「お腹! お腹に、穴がァ、痛い! 畜生、ちくしょう! このメスガ――、……、…………!?」

 

 五〇年ぶりの痛みに絶叫するリドルに、声が出せなくなる呪文をかけるハリー。

 口をパクパクさせて、言葉でなく少量の血液のみを吐き出すリドルをみて、冷たく笑う。

 それは、美しかった。

 戦場で微笑む剣士のような美しさ。

 幼いながらに命を削ってきたからこその美が彼女にあった。

 リドルは思う。

 これは完全に自分の落ち度だと。

 相手をなめてかかって、遊び半分で挑んでいい相手ではなかった。

 この少女は。

 敵だ。

 

「……、………………。うん、解除。『エピスキー』、癒えよ」

「ちっ、無言呪文か。対応が早い」

「そうだ。そして悪かったね。ぼくは君を侮辱していたことを謝罪する。子供と侮っていた」

 

 リドルが優雅に頭を下げる。

 ハリーは応えることなく、その頭頂部に失神の呪文をかけた。

 見越していたかのようにリドルが飛び退り、身体強化の影響により煙を残しその姿を消す。

 影響を受けているのはハリーも同じであるため、同じく足元の水を飛沫と変えて高速の世界へと足を踏み入れる。

 居た。スリザリン像のところだ。

 高速で動くハリーは、《刺突魔法》によって杖を一振りの短槍へと変じる。

 紅色の魔力反応光を放つその槍は、先ほどリドルを貫いたそれである。

 これを選んだ理由は彼への威嚇と威圧も兼ねているということと、確実に近接戦になるということ。

 槍術の心得があるわけではないが、有ると無いとでは大違いだ。

 

「――っりゃぁア!」

 

 突撃(チャージ)

 槍と化した杖の後部より魔力波を放射し、それをブースターとして加速しての突き。

 狙うは心臓。……だが、そうするためにはいささかチャンスがなかった。

 リドルもハリーと同じ魔法を使い、己の物としたクィレルの杖に、黒い槍を纏わせたのだ。

 槍を振り回し、ハリーの突きを迎撃しようとリドルが構える。

 ハリーはリドルの直前で槍を床に突き刺し、急制動をかける。迎撃しようとしたリドルの槍が空振り、リドルが体勢を崩した。タイミングを合わせたのか、勢いよく突っ込んでいったところで床へ槍を引っかけたことでハリーの身体は強烈な勢いで回転する。

 その勢いのまま、リドルに向かって暴風が如く突っ込んでいった。

 

「ごォあああああ!?」

「……ッ、く!」

 

 回転したままリドルに突っ込んだハリーの攻撃は、その半分が失敗だった。

 槍の穂先で切り裂くつもりが、当たったのは反対側である石突の方。それでも十分な打撃ではあるし、リドルの鎖骨を確実に砕いた感触を得た。

 だが、浅い。足りない。殺しきれていない。

 ハリーを叩き落とそうという魂胆か、槍を掴んできたリドルの顔面を両足で蹴りつけて、ハリーは距離を取る。ついでとばかりに宙返りの最中に槍の魔力部分のみをリドルに投擲して、短槍を杖へと戻した。

 よろめいたリドルを魔力波で吹き飛ばすと、彼の身体はスリザリン像に叩きつけられる。

 少なくない量の血を吐き出したリドルへさらに追撃しようとハリーは身をかがめて、ふと恐ろしい悪寒を感じてその場を飛びのいた。果たしてそれは、ハリーの命を救う英断であった。

 

「―――ッ、『プロテゴ』ォッ!」

 

 ぎゅっと目を閉じたハリーは、即座に盾の呪文をで全身を防御膜で包む。

 途端、まるでトラックに跳ね飛ばされたかのような衝撃を受けてハリーの小柄な体は吹き飛んだ。

 糸の切れた人形のように手足を泳がせ、轟音を立てて床に叩きつけられる。

 石造りの床を大きくひび割れ陥没させても勢いは止まらず、駒のように回転しながら水にぬれた床を滑っていった。背中から激しく壁にぶつかってようやく止まったハリーは、何があったのかを確かめることができなかった。

 直観である。

 目を開けたら死ぬ。

 それがわかる。

 

【よくやった、バジリスク】

【継承者様、勿体なきお言葉に御座います】

 

 シューシューという声が聞こえる。

 あれは蛇語だ。つまり、リドルが使っている。

 蛇語で操れるものと言ったら? ああ、それはだめだ。

 

【リドル……】

【おお、ハリエット。君も使えるんだね】

 

 嬉しそうに語るリドルの言葉は、多少水っぽい音が混じるもののある程度は平気そうだ。

 いくつか骨が折れたかもしれないハリーとしては腹立つばかりである。

 しかし、バジリスクらしき声まで聞こえる。

 囁くような美しい声でちょっとうらやましいが、ひょっとしてメスなのだろうか?

 

【ご覧よバジリスク。あれが前に話した女の子さ】

【成程、彼女が。……しかし、よろしいのでしょうか】

【何がだい? 殺すか否かでいうなら、是だ。ぼくは彼女を認めた。本気で相手せねばならない】

【いえ……そうではなく、】

 

 バジリスクがリドルに対して言い辛そうにしている。

 それはジャパニメーションでよく出てくる主人を気遣う気弱なメイドのようなイメージをハリーの脳裏に浮かべさせた。ダドリーの悪影響は根深い。

 杖を握りしめ、身体強化へ回す魔力を落ち着ける。いつでも爆発的な動きができるように身構えたハリーの耳に飛び込んできたのは、あまりにも予想外な言葉であった。

 

【――彼女も、継承者です】

 

 時が止まったような錯覚を覚える。

 バジリスクは今、とんでもないことを言わなかったか。

 

【……なんだと】

【継承者です。それに相応しい血をお持ちです】

【どういうことだ!? スリザリンの継承者は、ぼくだ! このヴォルデモート卿だけだぞ!?】

 

 この部屋で出会ってから、ハリーに腹を貫かれた時以外は常に余裕を保っていたリドルが激昂する。

 その勢いにハリーは驚いたが、バジリスクが恐縮したような声を出すのが聞こえた。

 

【事実です。私の中に刻まれたサラザールの術式が、彼女にも資格があると定義しています】

 

 どういうことだ。

 ハリーが、サラザール・スリザリンの継承者?

 それはつまるところ、ハリーの身体に流れる血にはスリザリンの物が入っているということになる。

 ポッター継承者説が流れ、ハリーがスリザリンの子孫なのではとのたまっていた生徒たちが正しかったということになる。ハーマイオニーやロンが言っていたように、数千年も前の人間ならば確かに可能性はあるだろう。

 ハグリッドから聞いた話であるが、ハリー・ポッターの父親であるジェームズ・ポッターは古くから伝わる純血の家系なのだという。ただ、ジェームズの両親がヴォルデモート一派によって殺されてしまったために系譜があやふやになってしまったのだそうだ。

 ジェームズと結婚した母リリーは、マグル出身の、ペチュニアと同じエバンズ家の出である。ただのマグルの家であり、何かしらの系譜があったという話ではない。ハーマイオニーと同じく、マグルの中に生まれ魔力を覚醒させた突然変異である。

 ではやはりポッターの家か。それがスリザリンの子孫だったのだろうか? 直系か分家かは分からないが、先のように可能性はゼロではないのだ。

 だが、しかしそれでいうならばスリザリン寮の子たちのほうが適性は高いと思えるのはなぜだろうか。これはロンから聞いた話で、純血とは親戚間などで近親婚を繰り返すことでしかもはや血を保てないのだという。驚くべきことに、ウィーズリー家とマルフォイ家ですら親戚なのだとか。それどころか純血一家のほとんどと血縁関係にある。血を存続させるためとはいえ、なんとも業の深い話である。

 そうなると、全員仲良く継承者などというわけにはいかないだろう。だが血がどうのという選定基準ならば、委細は違うにしろ似たようなことになるはずだ。誰が継承者であるとはっきり言えることはないだろう。

 ならば、選定基準は血ではない。

 

【どういうことか説明しろバジリスク! これは継承者としての命令だ!】

【申し訳ありません継承者様。私には魔術の知識がありません。その質問にはお答えすることが――】

【もういい! くそっ、あの女をその魔眼で殺すのだ!】

 

 顔を真っ赤にしたリドルが、何やら叫ぶと、ひゅんひゅんという空気を裂く音が聞こえる。

 ハリーがこれは杖を振る音だと気付き、まずい、と思った時はもう遅かった。

 

「『アペィリオ』、抉じ開けろ!」

 

 ハリーは見えない手が無理矢理顔を掴み、自分の瞼を力尽くで開けられる感覚を覚えた。

 それが死に至る所業だと理解しているハリーは全力で抵抗するも、及ぶはずもない。

 視界が開け、目の前にはリドルとそれに追従する巨大な蛇が見える。

 一〇メートルはあるだろうか。そして太さも、ハリーが一人両手を広げたそれよりも太い。

 ぬらぬらと輝く鱗に包まれた体の先には、蛇というよりも海竜のような顔立ちがあった。

 大きく長い牙を隠した口。蛇独特の模様を持った顔。そして、黄色く異質な魔眼の瞳。

 

「――――、――」

 

 視て、しまった。

 ばっちりと目が合ってしまった。

 バジリスクの魔眼は、視線それ自体に魔力が宿っている。

 その人間には濃密すぎる魔力は、視神経を通って脳に命令を送る。

 それが何の命令なのかはわからない。今回の事件で被害者が石化したように固まったことから、対象を餌とするべく『動くな』というものだったと判明するかもしれない。だが、とりあえず何を命令されるにしろ、バジリスク以外の生物にその支配命令は重すぎるのだ。

 あまりに強烈な命令に脳の処理機能が限界を超え、危険を感じた脳は破裂しないために活動を停止する。すると脳という司令塔を失った生物はショック死してしまう。 身を守るための体内の反応が過剰に動いてしまい、本末転倒なことに結果死に至るのである。

 そういった目。バジリスクの魔眼を、ハリーは真正面から見てしまった。

 

「……どういうことだ、ハリエット・ポッター」

 

 しかし。だというのに。

 これは如何なることか。

 ハリーは驚いた顔のまま、二度三度と瞬く。

 それを見てリドルは驚愕と焦燥の表情を浮かべたまま、絶叫した。

 

「答えろポッター! なぜ、――何故バジリスクを見て、死なないんだ!?」

 




【変更点】
・簒奪の呪文。初見殺しなコレによってかつて多くの犠牲が出ました。
・十二歳の女の子を襲うハゲ再登場、そして退場。
・ワイのレッドアイズ・ハリエット・ドラゴンや!
・初のハリー創作呪文。物凄い戦闘特化。
・余裕のあるときは紳士、追いつめられると小物っぽいリドル。
・バジリスクの視線が効かないハリー。

【オリジナルスペル】
「ディキペイル、寄越せ」(初出・14話)
・《簒奪の呪文》。視覚情報内に在る指定したモノを奪う魔法。内臓や魔力なども可。
 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ベラトリックス・レストレンジが開発。

「フリペンド、撃て」(初出・ゲーム全作品)
・射撃呪文。死の呪文にお株を奪われる前は、ごく一般的な殺人の方法だった。
 元々魔法界にある呪文。ゲームでは主に学友や善良な市民に向けられる。

「フリペンド・ランケア、刺し穿て」(初出・24話)
・投槍呪文。刺突呪文と射撃呪文を合成した、貫通力に優れる魔力槍を射出する魔法。
 1992年、ハリエット・ポッターが開発。螺旋状に回転する事で殺傷力もあげている。

「アペィリオ、抉じ開けろ」(初出・24話)
・対象を無理矢理開く魔法。鍵に限らず、閉じられたものなら全て対象になる。
 トム・リドルの創作呪文。解錠呪文の改悪。普通に施錠された扉に使うと壊してしまう。

残酷な描写タグがお仕事した、クィレル戦とリドル戦でした。
吸血ハゲはあれだけやられたのに舐めてかかって惨敗。リドルも子供と油断したため痛手を負いました。お前らは悪くない、この女がおかしいんだ。
次回は秘密の部屋編の最期にして、ついに秘密の部屋のラスボスたるバジリスク戦です。そしてジジイは出番があるのか!そしてドビーの運命や如何に!
そして十二歳で怪物扱いされる少女の風評や如何に。

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