ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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10.小手調べ

 

 

 ハリー・ポッターとマダム・ポンフリー。

 二人の女性はいま、魔法医学についてのお話をしていた。いや、説教だった。

 魔力枯渇を短期間にそう何度も引き起こせば、ふと何でもないとき急に魔力を練れなくなることがある。というお説教だ。

 ガラスのゴブレットを例に出せば分かりやすいだろうか。

 耐熱性のないそれに熱湯を注げば、ビキキと白くひび割れてしまう。一度だけならばまだしも、それを何度も続ければヒビは大きく深くゴブレットを侵食していき、ついには穴をあけてしまう。そうすれば注がれた湯はどうなるだろう。明快である。漏れ出でるのだ。

 それと同じことが、魔法族の身体でも起きてしまうのだという。

 幸いなのが、もしそうなったとしてもガラスのゴブレットとは違って治療法があるというところか。

 魔法というものには原理がある。

 魔法族の血液には、魔力が含まれている。これは血小板などと違って物質的ではない、精神的なエネルギーであり、これを含んだ血液の事をエーテルと呼んでいるのだそうだ。

 余談ではあるが、純血の魔法使いはそれだけで濃密なエーテルが体内に流れているということになる。それはつまり、それだけで優秀な魔法使いになれる可能性があるということだ。もっともそれはあくまで可能性であり、その魔法使いが日々を鍛錬するか怠けるかによって血中の魔力量が増減することを考えれば、必ずしもそうとは言い切れないのが不思議なところである。

 さて、この魔力を生成するのはもちろん血液と同じく、日々の食事と健康的な生活である。つまり睡眠や栄養摂取を怠ると魔法の力も弱まってしまうのだ。それは体力と何ら変わりのない、至極わかりやすい構造である。では健康的な魔力の詰まった血液を、魔法の源たるエーテルを全身に送り出すのは何か。

 決まっている、心臓だ。別名を魔力炉といい、全身の血管へエーテルを行き渡らせて、魔法のエネルギーとする。

 先ほどの例をこれに当てはめれば、心臓とはつまりガラスのゴブレットだ

 ではそのゴブレットがひび割れてしまえば、穴が開いてしまえばどうなるか?

 これもまた明快。死、あるのみ。

 

「わかりましたかポッター。魔力枯渇とは、それほど恐ろしく愚かしいことなのです。以降は余裕をもって魔法を使い、常に一定量の魔力を体内に残しておくようにしておきなさい」

「わかりました、ありがとうございますマダム・ポンフリー。……でもこれ試験前日にいうことじゃないですよね!? 明日は期末試験なんですけど!?」

「なにをいうのです! 試験など生きていればまた受けられます! たとえ試験に落ちて来年もう一度一年生をやることになろうとも、健康であればそれでよいのです!」

「心が死んでしまう!」

 

 そうなのだ。

 今は学年最後のテスト期間、その真っ最中であった。

 禁じられた森での罰則にてまたもやその体内魔力を枯渇させてしまったハリーは、肩の傷を癒すためにも保健室へ赴いたのだが、そこの主によって巨大な雷を落とされてしまったのだ。

 ロンはそれに憤慨して荒い鼻息を噴き出したが、ハーマイオニーは当然だとばかりに鼻を鳴らした。

 彼女によって一定期間中は授業内外問わず、魔法使用を禁じられてしまった。つまり実技点が得られないということだ。彼女は、成績を取り戻すために普段よりも勉強量を増やす必要があった。

 もともと座学においてはまじめに勉強していただけに、そこまで大変な所業ではなかったのが不幸中の幸いというところか。これで実技便りにたいして勉強をしていないなんてことがあったならば、本当に留年の危機が待っていたことだろう。

 そして待ちに待った、恐怖の期末試験。

 不安感から若干ノイローゼになったハーマイオニーと、それに巻き込まれて勉強に勤しんだ死にかけのロンはふらふらと寝室に戻っていった。まだ眠るには早すぎる時間だが、ホグワーツの試験は数日を要して座学と実技をみっちり行う、厳しいものだというので明日に備えてしっかりと脳みそに休息を与えようと考えたのだろう。

 

 魔法薬学は悪辣で引っかけ問題の多い試験で、変身学は小難しい魔法理論ばかりを記述する……のかと思っていたが、実はそうでもなかったことをハリーたちは知った。

 どうやらこのテスト問題、魔法省が発行しているらしい。

 スネイプやマクゴナガルのように特徴的で本人の趣味や性格が滲みでたような問いではなく、淡々と必要な知識を習得しているかどうかの問いかけばかりが目立った。

 魔法史のテストについては、製作者にハリーのファンでも居たのかと思いたくなるほど、近代魔法史の半分以上がハリーのことについて占められていた。試験時間も後半になり、皆が近代魔法史の問いに挑み始めたころ会場での雰囲気が妙なものに変わってしまった。この瞬間、ハリーは皆が自分のことを考えていることに気付いて、赤面しっぱなしだった。

 しかし会場の監督は、ホグワーツの教師だ。

 ハリーの得意科目は闇の魔術に対する防衛術、変身術、妖精の魔法、飛行訓練。苦手な教科は魔法史、そして魔法薬学。

 特に恐ろしいのが、よりにもよって苦手である魔法史と魔法薬学の試験だった。

 魔法史については言わずもがな。いつもの教室プラス、ビンズ先生プラス、試験特有の静かで張りつめた空気。これはいったい何の睡眠呪文かと叫びたくなるような睡魔が教室中を飛び交っており、幾人かは情けないことに試験開始直後には机に突っ伏していびきをかいていた。

 ハリーは頑張って頑張って、己の太ももを何度もつねりながら最後まで必死に起き続けた。内容は知っているものばかりだったので、試験結果については心配ない。心配が必要なのは誤字脱字をしていないか、だ。後半はほとんど夢の中から現実へ腕を伸ばすようにして羽ペンをガリガリ動かしていたので、ミミズがのたくったような文字になっていたかもしれない。

 魔法薬学は最悪の一言だった。

 試験内容は悪辣ではない。問題を解くことだってできた。

 だが。だがしかし。試験監督はかの蛇寮寮監、セブルス・スネイプ。

 生徒一人一人の背後をじっくり、ゆっくり、ねっとりと練り歩き、カンニングの疑いをかけられたくないがために背後を振り向けない生徒たちの解答用紙を覗き込むような気配を漂わせ、最後に、「ふん」と小ばかにしたような鼻息を残していく。

 回答が間違っていたのか? なにかひょっとしてマヌケな回答を書いてしまっていたのか?

 そんな不安感を刺激するには十分すぎるほどの悪魔の所業であった。もちろんやり過ぎである。気の弱い生徒、特にスネイプ教授を苦手とするネビル・ロングボトムなどは、椅子から転がり落ちて気絶しかねない風であった。

 

 若干の騒動がありながらも、ハリーたちは無事に期末試験という試練を乗り越えることができた。

 お祝いというほどのことでもないが、彼女たち三人はハグリッドの小屋へお茶をしにきていた。

 ハリーは胡桃入りロックケーキをバゥゴシャボギャァオと食べながら、ロンとハーマイオニーが試験内容について頭を悩ませている様を眺めている。どうやらハーマイオニーが一問ずつズレて回答したかもしれない、と半泣きになっているのを、ロンが気にするなよ僕なんてほぼ白紙だから、と慰めているのか煽っているのかよくわからないことを言い、今まさに口喧嘩が勃発したところだった。

 ごぎゅんと飲み込んで、ハリーは自分もテストについてハグリッドに聞いてみることにした。

 

「ねえハグリッド。ゴブリン反乱軍のリーダーの名前ってグリップフックだっけ」

「いんや、ハリー。そりゃグリンゴッツ銀行で世話んなったゴブリンの名前じゃて。お前さんごっちゃになっちょるぞ」

 

 しまったなあ、一点逃したか。などと言っているハリーは、試験官がビンズ先生ではなくグリップフックだったら捗ったかもしれないのに、と笑う。

 そんな都合のいいときに都合のいい奴が来てくれるものか。とハグリッドも笑う。

 せっかくの魔法界なのだから、そういう展開があってもいいんじゃないかな。とハリーは考えたが、ふとそこで、思考の端っこに生えた木の根にローブの端っこが引っ掛かった。

 なんだろう? いまぼくは、変なことを言っただろうか?

 

「どうしたんだハリー? なんかまた間違いでも思い出したか?」

 

 ああ、なんだろう。

 ハグリッドの面白がっているような、ほほえましいような、そんな顔を見つめながらハリーは考える。

 間違い……? あれ、ちょっと待て。

 なんだ。何が……、

 

「……都合のいいときに都合のいい奴は来てくれない」

「うん? どうしたハリー」

 

 ハグリッドの言った言葉を再度、口中で繰り返す。

 それに対して訝しげに覗きこんできたハグリッドの顔、その口髭をハリーは掴んだ。

 

「何するんじゃい」

「ハグリッド。あのさ、ノーバートの事なんだけれども」

 

 ヒゲを掴まれたまま、ハグリッドは傷付いた子犬のような目をした。

 それもそうだろう。

 彼は危険な生物が大好きで、目を抉ろうとしてくるような生物が多いが、それこそ目に入れても痛くないほどに、だ。

 だがそんな彼でも、ついこの間の事件は随分と反省したらしい。

 なにせ自分のせいで、ハリーに傷を負わせてしまったようなものなのだ。

 孫と親友を一度に持った気分だったぞ、とでも言って消えてしまいたいくらいであった。

 ハリーは彼がそんな罪悪感を持っている事を知っていて尚、問いかける。

 

「ノーバートのタマゴ、誰に貰ったって?」

「んあ? おー、誰だったかな。パブでトランプして……あー、誰だったか……。ああ、いや。知らん奴だな。フードを目深にかぶってたし、覚えがないわい」

 

 ああ。

 この時点でハリーは、嫌な汗が止まらなかった。

 ギシギシと、脳髄の奥を刺してくるような頭痛までしてきた。

 雰囲気が変化したのを気取ったか、ロンとハーマイオニーも口論をやめて此方を向く。

 

「それで、他には何か話した?」

「おお、したぞ。ドラゴンについて、どう可愛いかどれほど美しいか、そりゃー延々と朝までな。奴さんも興味を持ってくれたようで、話が弾んだぞ」

「ドラゴンの話だけ?」

「いんや。奴さんは他の生き物についても興味津々でな、フラッフィーたちの話もしたぞ。あいつらに比べりゃー、ドラゴンの世話なんて軽いもんだってな」

 

 さて。

 都合のいい時にやってくるのは、いつだって都合の良くないものだ。

 森での罰則でやってきたのは元気なユニコーンの姿ではなくその無残な死体。そして悪の帝王ヴォルデモート、もしくはその賛同者。

 与えられたのは罰則を終えた安息ではなく、肩への激痛と恐怖、二日の入院。

 さて、さて。

 違法なドラゴンの卵を欲しいと願ったとき、やってくるものは何か?

 実際に手元にやってきたのは、お望みの品であった。 

 では、それを与えたのは何か?

 名も知らぬ、顔も知らぬ、さらには違法品であるドラゴンのタマゴを持ち歩いているという、不審者という名では足りぬほどの怪しい人物。

 疑わしきは呪わずという言葉もあるが、こればかりは変だ。

 厄介払いをしたかったのだろうと考える事も出来る。しかし、それにしては賭けで譲るという手段はあまりにも遠回りだし、何より不自然かつ危険だ。もしその賭け相手が闇祓いだとしたら、などという懸念を考えていなさすぎる。

 危険な代物を手元に置いたままにしてはいけない、と考えられる程度の危機感を持っている人間が、ちょっと軽率すぎやしないだろうか? いくら焦っていたのだとしても、だ。そう、あまりにあんまりな手段だ。たかだか十一年しか人生を経験していない程度の少女に断言されるほど、稚拙にすぎる。

 さて、さて、さて。

 ならば考え方を変えてみよう。

 違法なドラゴンのタマゴをパブまで持ち歩いている不審人物。

 それを欲しがっていたハグリッドに、都合よくお目当ての品を持って話しかけてきた。

 闇祓いか、またはその類ではと警戒もせず、賭けの品に違法品である竜卵を提示してくる。

 その無警戒さは、ハグリッドが闇祓いではないと知っていたからではないか?

 いや、むしろ、ハグリッドが危険な生き物大好き野郎だと知っていたのでは?

 違う。きっと、順序が逆なのだ。竜卵を持っていたからハグリッドに接触してきたのではなく、ハグリッドと接触するために竜卵を手に入れたとしたら?

 そもそもドラゴンについての話をするつもりはなく、それが切っ掛けに過ぎないとしたら。

 その後の、フラッフィーについての話がメインだとしたら。

 たとえば、そう。四階の廊下を攻略するための――

 ――手懐け方とか。

 

「ハグリッド。以前フラッフィー達を大人しくできるって言ってたけど、本当にそんな方法あるの?」

「おう、ちゃんとある。まぁ、教えてはやらんがね。お前さんらが無茶しちまったらいかん」

「いや。僕に言わなくてもいい。その、パブで賭けをした人には言ったのかい?」

「内緒だ」

 

 ハグリッドは首を横に振った。答えないつもりらしい。

 もっとも、答えなくても十分だ。その目は、実に正直者のそれであった。

 そこまで露骨にそらさなくてもいいだろうに。

 

「……、……ヤバいぞ二人とも」

「……ええ、そうねハリー」

「え、何が?」

 

 今の話で理解できなかったロンを放っておいて、ハリーとハーマイオニーは弾かれたかのように走りだした。

 ハグリッドが止める声と、ロンが待ってくれと叫ぶ声を置き去りにして、二人は城の庭を突っ切って廊下を疾駆する。

 目指すは、ダンブルドア校長の部屋。

 ここまで来ては、もはや自分たちの手には負えない。

 校長に助けを求めなくては。

 足音高く走り続けていると、廊下の隅からマクゴナガル先生がすっと顔を出した。

 彼女の後ろで管理人のフィルチがにやにやと笑っているあたり、どうやら廊下を走っている姿を彼に見られてしまい、それでマクゴナガルを呼ばれてしまったようだ。

 行く手を遮られてしまい、ハリーたちは立ち止まる。

 しかし、彼女でも問題はない。むしろ好都合だ。

 

「マクゴナガル先生っ!」

「なんです、ポッター。廊下を走るなど淑女にあるまじき――」

「ダンブルドア校長に会う必要があるんです! 彼が、彼がいま必要なんです!」

 

 息せき切って矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 罰則が与えられるのを今か今かと待ち侘びて、にたにた笑いが大きくなるフィルチの顔が憎らしい。

 今はそんなもの気にしている場合ではない。

 説明しようにもハリーは泡を食っているために、代わりにハーマイオニーが口を開いた。

 

「賢者の石のことなんです」

「……なぜ、それを」

 

 相も変わらず、ずばっと核心から攻める女だ。

 

「あれが危ないんです。誰かが石を盗もうとしているんです! 先生方の仕掛けた守りも、三頭犬やら何やら、きっとその全ての突破口を掴まれています!」

「そんなばかなことがありますか! あなた方がどうやってそれらを知ったかは分かりませんが、守りは堅固にして厳重です。少々やりすぎたかと思っているくらいなのですよ!」

「でも先生! それならせめて、校長先生に警告を!」

 

 ハーマイオニーが喘いだ。

 しかしマクゴナガルはふっと表情を変えると、ぱちんと指を鳴らす。

 彼女の持つ羊皮紙の書類に挟まれてあった羽ペンが、見る見るうちにメンフクロウへと変身した。

 

「では念のため。彼に手紙を運ばせましょう。運が良ければ、途中で会えるでしょう」

「途中……? ちょっと待ってくださいマクゴナガル先生! 校長先生はいまどこに!?」

 

 杖で描かれて空中に浮かぶ魔力文字をさらさらと羊皮紙に移しながら、マクゴナガルは澄まし顔で答える。

 

「ロンドンです」

「ろっ!?」

「今朝方、魔法省からフクロウ便が届きまして。緊急の要件だそうなので、お昼前にはここを発ちましたよ」

 

 校長が、ダンブルドアがいない?

 この大変な、一大事に。世界最強と呼ばれる男が、いない?

 ハリーやハーマイオニーはもとより、これにはロンも青ざめた。

 そしてその焦りが、致命的な間違いを呼び込んでしまう。

 

「スネイプだ!」

 

 ロンが叫ぶ。

 ハーマイオニーがまずいと思うより先に、彼の舌は動いてしまった。

 

「なんですって?」

「石を狙っているのはスネイプなんだ! 間違いない、ダンブルドアがいないなら、もう侵入してるはずだ!」

 

 マクゴナガルの顔色が、訝しげなそれから憤怒のそれに変わる。そして、最終的には呆れのそれになってしまった。

 ここでハーマイオニーに続いてハリーも、ロンの失態に気がつく。

 ハーマイオニーが、いやハリーでもいい、彼女らが言えば、まだ何かしらの理由があると思われただろう。

 しかし、ロン。

 ロン・ウィーズリーは、マルフォイ他スリザリン生と、散々喧嘩だの口論だのといった問題を引き起こしている、典型的なグリフィンドールのやんちゃ坊主である。

 そしてセブルス・スネイプ。彼はご立派なグリフィンドール嫌いだ。

 ウィーズリー家のスリザリン嫌いことも、スネイプのグリフィンドール嫌いの事も、両者の生い立ちや、そうなってしまう経緯を知っているマクゴナガルとしては、ロンがこう叫ぶのも止む無しとも思ってしまったのか。呆れた顔のまま呆れ果てた声を絞り出した。

 

「……寮へ戻りなさい。フクロウ便は、一応出しておきましょう」

「マクゴナガル先生! でもスネイプが」

「くどいですよミスター・ウィーズリー! セブルスは確かに意地悪な面もありますが、そのような愚かなことをする男ではありません! 寮へ戻らないというのなら減点してさしあげましょうか!」

 

 マクゴナガルの大声に、ショックを受けた顔をしたロンは口を噤んだ。

 ハリーらもそれは同じ気持ちだったし、何よりへまをやらかしたロンの向う脛を蹴り飛ばしてやりたかった。

 だが今この時ばかりはそんな時間すら惜しい。

 今朝方届いたフクロウだって?

 ダンブルドアが出かけたのは昼ごろ。

 途中で引き返して来たりといった不慮の事態を避けて、ちょうどいい頃合いといえば何時くらいか?

 ハリーは腕時計を覗く。午後四時二〇分だ。

 きっと、今だ。

 

「ではマクゴナガル先生、失礼します。ロンったらテストが終わって浮かれてるんです」

「ちょっ、全部僕のせいか!?」

「だまれ。そうだねハーマイオニー、行こう。失礼しますマクゴナガル先生」

 

 渋るロンを引きずるように、ハリーとハーマイオニーは寮への道を歩きはじめた。

 フィルチが罰を与えないことに抗議をはじめたが、禁じられた森での行き過ぎた罰についての話を持ち出したマクゴナガルに大声で説教を受けていた。どうもアレは彼の独断で決められた罰だったらしく、マクゴナガル以下教師たちは相当お冠だったようだ。

 まあ、死ぬとまで脅かされた禁じられた森なのだ。たかだか生徒への、それも一年生の罰で使われるような場所ではないだろうとは思っていたが、まさか独断とは恐れ入る。

 大人しくなったロンを連れて、三人は廊下を歩き続けた。

 三人で顔を見合わせ、ひとつ頷く。

 角を曲がり、マクゴナガルとフィルチの姿が消えてからも歩き続ける。

 ちらちらと後ろを見るロンの尻をつねって、ハーマイオニーが深呼吸した。

 そして彼女の説教の声が届かなくなった途端、背中を蹴飛ばされたかのように走りはじめた。

 

「ハリー! ハーマイオニー!」

「ええ、たぶんお察しのとおりよ」

「行かなくちゃ。これはきっと、ぼくたちがやらなきゃならないのかもしれない。……奴が賢者の石を手に入れるっていうのは、ぼくにとっても都合が悪いんだ」

 

 風のように廊下を駆け抜け、階段を駆けあがり、薄暗い廊下へと飛び出す。

 魔法仕掛けの蝋燭がひとつひとつ点火されて足元を照らしていく中、彼女らは立ち止まる。

 禁じられた廊下。

 黴臭い木製の扉を前に、ハリーたち三人は立ち尽くしていた。

 

「ハーマイオニー、ロン。覚悟はいい?」

「いいけど……ねぇ透明マントかぶっていかない? 三頭犬にみつからないように」

「もちろんよハリー。あとねロン。相手は犬なのよ、匂いでバレるわ」

 

 ハーマイオニーが諭すようにロンに言ったが、ハリーは首を横に振る。

 それに驚いたハーマイオニーが何かを言おうとするが、ハリーが懐から杖を出すのを見て口を閉じた。

 

「いや、一応被っていこう。一瞬見えないだけでもお得な気分だ」

「そうかしら……」

「『クェレール』、取りだせ」

 

 ハリーが軽く縦に杖を振ると、空中にはまるでナイフで裂いたかのような跡が残っていた。

 目を丸くするロンの目の前で、ハリーがその裂け目に左手を突っ込んだ。ずるりと引き出されたのは、流水のような美しい布。透明マントだ。

 ハリーはそれをかぶって姿を消すと、杖を額の前に構えて集中しはじめた。

 そして鋭く言い放つ。

 

「ハーマイオニー、扉を開けて」

「うーん、わかったわ。『アロホモラ』!」

 

 渋るような反応を見せたものの、何か策があるのだろうとハリーを信じて頷くハーマイオニー。

 彼女の振るった杖によって、扉の錆び付いた鍵穴が魔力反応で仄暗く光った。

 その光が収まるや否や、ハリーは特殊部隊よろしく扉を蹴り飛ばして中へと飛び込んだ。ハーマイオニーとロンにはその姿が見えていないので何とも言えないが、独りでに扉が開いたように見えただろう。

 しかし透明化したハリーが扉の中に入って目にしたのは、三匹の三頭犬が眠りこけているところ。透明マントを被る被らない以前の問題であった。

 自動演奏の魔法がかけられた竪琴が放置されている。優美な音楽が、いまこの場にまったく似つかわしくなかった。

 

「……これは……」

「そんなに警戒することなかったみたいだね」

 

 ハリーが呆然とそれを眺める中、ロンとハーマイオニーも扉を開けて入ってきた。

 念のため扉を開けっ放しにするつもりらしく、ロンの抜いだローブが丸めて挟み込んである。

 しばらくは竪琴に込められた魔力が切れる様子がないので、ハリーらはこれ幸いと部屋の探索を始めた。

 探すは仕掛け扉。

 数分ほど部屋を探しまわり、そうしてハリーたちは部屋の中央に集まった。

 結論から言って、仕掛け扉は案外すぐに見つかった。

 

「見つかったねハリー」

「ああ、見つかったねロン」

「どうしましょうかハリー」

「ああ、どうしようかハーマイオニー」

 

 三人の視線は床に集中している。

 仕掛け扉は見つけたのだ。

 見つけたのだが、

 

「どぉぉぉして、わざわざ扉を枕にして寝るのかなぁぁぁ……」

 

 ロンが盛大なため息とともに、その場にしゃがみ込む。

 ハリーたちの力では、三頭犬の頭を持ち上げることはできない。

 よしんば魔法で何とかできたとしても、今度は操っている者が此処で脱落してしまうことになる。これだけの重量物に浮遊呪文をかけて、かつ持続せねばならないとすると、一年生という幼い身体で生成される魔力では圧倒的に量が足りない。

 ではどうしたら良いのか。

 決まっている。

 

「どいてもらうしかないな……」

「でも、どうすればいいんだい? こんな重い物、僕らの力じゃどうにもならないよ」

「君はもうちょっと自分の頭で考えたらどうだい」

「……ハリー、君ちょっとスネイプに染まってないかい」

 

 ロンが嫌そうな顔をしてハリーを見る中、ハーマイオニーは顎に手を当ててぶつぶつと何かを呟いていた。

 攻略への糸口を探っているようだ。

 

「そうだわハリー。なにか、てこの原理とかを使ってどうにかならないかしら……」

「てこ、かぁ。……だとして、長い棒とかがないしなあ……魔法で出そうにも、魔法式を知らないし……」

 

 ロンが竪琴を見る。

 彼の視線を追っていたハリーは、眉間にしわを寄せて考えていたが、溜め息を漏らした。

 

「やっぱり……起こすしかない、か」

「起こすだって!? 何考えてるんだよハリー」

 

 とんでもない、といった風に両手と首を振るロン。

 しかしハリーも、嫌そうな顔を隠そうともせずに伝える。

 

「でも、彼ら自身に動いてもらわないとダメだ。前足が乗っかっているとか、そんな程度の話じゃないんだ。ぼく達から何もできないのなら、こいつら自身にやってもらおう」

「でも、どうやって起こす? できるだけ穏やかに、それでいて怒らせずに」

 

 ロンが心底怯えながら、といった風におずおずと申し出る。

 

「あら。そんなの簡単じゃない」

 

 ハーマイオニーがあっけらかんと言うので、ロンの表情は太陽のように明るくなった。

 勉強好きなハーマイオニーなら。ハーマイオニーならなんとかしてくれる。まだあわてるような時間ではなかったということだ。

 期待に輝いたロンと、なにをするつもりだこいつという訝しげな表情のハリーを尻目に、ハーマイオニーはその懐から自身の杖をするりと抜いて、

 

「『レダクト』、粉々!」

 

 竪琴を吹き飛ばした。爆発四散、慈悲はない。

 ぱらぱらと軽い音を立ててあたりに散らばる木片と糸を呆然と目に目にして、ロンは大口開けて、ハリーは目を点にして驚愕を露わにしていた。

 やりやがった、この女。

 知識を豊富に詰め込んだその頭脳は大変頼りになる少女だが、その実やることなすことが大味なところがある。今回はそれがよく表れていた。

 というか思い切りが良すぎだ!

 

「ハァァァーマイオニィィィ――ィイ! なにやってくれちゃってんですかァーッ!?」

 

 ロンが絶叫したくなる気持ちもわかる。

 竪琴が奏でている間、フラッフィーズは赤子もかくやというほどぐっすり眠っていた。

 おそらくあれがハグリッドの言わなかった、フラッフィーズの対処方法なのだろうことは明白。

 つまり、音楽が鳴らされている間は起きなかった。だが竪琴はもうない。

 起きるのだ。怪物が。

 

「だけど君はそれをぶっこわした! 起きちゃうじゃないか!」

「あら。起きないと退かせられないじゃない」

「心の準備ってもんが必要なの、心の準備ってもんがァ!」

 

 ケルベルスというのは、古代よりその存在を確認されている古い魔法生物である。

 古代ギリシアの魔法使いが作り出した人造魔法生物とされる説もあれば、はたまた未確認神的存在による創造物という説もある。そのどちらかだとしても、それ以外の何かがルーツだとしても、相対する魔法使いにとっての驚異は然程変わらない。

 彼らの毛皮は魔法耐性の性質が宿っており、その原理はドラゴンの外皮と変わらない。長い月日の中で幾多の魔法使いから数多の魔法をその身に受け、まるでウイルスに対する抗体のようにさまざまな魔法耐性を手に入れた。というわけだ。

 おまけに頭部が三つもあるという、恐ろしい特徴まで備えている。

 彼らは脳を三つ持っている。つまるところ、下手な呪文は効かないことが多いということだ。

 たとえるならば、睡眠呪文。うまく当てて眠りへ落とすことができたとしても、三つある頭のうちの一つだけしか夢の国へ誘えないだろう。ただでさえ魔法耐性を持つ毛皮を備えているため体を狙いにくいというのに、そんな特徴まで持っていては手に負えない。

 いわゆる、魔法使いの天敵とも言うべき魔法生物のひとつである。

 

「起きたぞ! いいか、合図したら撃つぞ!」

「ロン! 手首のスナップだけを利かせるのよ! 肘に力を入れちゃだめ!」

「わ、わわ、わかってるよ! 大丈夫、いける、いける」

 

 未だに眠そうにとろりとした目つきをしたケルベルスたち。そのうち一頭の三頭犬が、ぐぐ、と強張った体を伸ばすように起き上がる。

 胡乱な目のまま、起き上がったフラッフィー(ブラッフィーかもしれないし、プラッフィーかもしれない)が鼻をひくつかせて、侵入者たる三人を発見する。

 唸り声を腹の底から響かせることで完全に覚醒した頭で、重いまぶたを開いて獲物を見たとき。

 彼(彼女)の意識が吹き飛ぶ直前に見たのは、杖をこちらに向ける三人組であった。

 

「「「『ステューピファイ』、麻痺せよ!」」」

 

 三人の一糸乱れぬスペルが重なり、ひとかたまりとなった魔法反応光がまばゆく輝き、フラッフィーの視界を奪う。

 外皮に魔法耐性があるとはいえ、決してそのすべてを無効化できるというわけではない。三頭犬に炸裂した失神呪文は頭のひとつに吸い込まれ、バツン、とゴムが千切れたような音とともに意識を刈り取った。

 しかしこうべを垂れたのは、ハリーらからみて左の頭だけ。

 他二つは、兄弟がやられたことに怒り狂って唸り声をさらに激しくしただけだ。

 その威嚇の声は、どうやら残りの二頭にとってちょうどいい目覚まし時計になってしまったようだ。ゆっくりと、眠気を振り払うようにゆっくりと起き上がってくる。

 これは非常にまずい。

 ただでさえ一頭で命の危険を感じているというのに、それが三倍になっては手に負えない。

 

「だめだ! 左側の頭が気絶しただけだ!」

「三頭犬ってそれぞれの意思が独立してるのね! 脳は三つあるのかしら? 肉体への命令系統がどうなってるのか興味深いわ!」

「ハーマイオニー、きみいまそれ言うこと!?」

 

 三人は今しがた魔法を使ったばかりで、連続して使うには少々の無茶が必要になる。

 それはハリーの得意分野だ。マダム・ポンフリーに怒られたばかりだが、この際そんなものは知ったことではない。スイミングで苦しくなって、さあ息継ぎをしようと思ったがもう少し頑張って潜る、という感覚に近い。

 ハリーはホースを潰して中に残った水を押し出すように、体内エーテルから魔力を無理矢理にかき集めて呪文を叫ぶ。

 

「跪け! 『スポンジファイ』!」

 

 杖先から飛び出したカナリアイエローの魔力光が、三頭犬の前脚の付け根に命中する。

 何も起こらなかったことに、二つの頭が怪訝な顔をしたかのように見えた。再び唸りはじめ、驚かせた憎々しい黒い頭のちんちくりんを引き裂こうと、一歩前に出た、瞬間。

 関節を外されたかのように、三頭犬がよろけた。

 

「……っ!?」

「ふふ。君は果たして、肩がスポンジになっても立っていられるかな」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべたハリーに、ロンが後ずさった。ドン引きである。

 生き物が立つという状態を維持するには、意外とかなりの力を入れているということがわかる。先程ハリーがかけた呪いは弾力化呪文という魔法であり、魔法反応光に触れた対象をスポンジ状に変化させる、変身術の一種である。

 では、力を入れねばならぬ部分が柔らかいスポンジになれば、どうなるのか。

 そうすると自然、重力に従って巨体が崩れ落ちることになる。

 

「やったわ、ハリー!」

「まーぁねん」

 

 三頭犬のうち一頭を無力化した賛辞に、ハリーは振り返って得意げな顔を披露した。くるくるくる、とガンスピンのように杖を回して口を吊り上げている。

 ロンがため息をついたその時、ハーマイオニーにぐいっと肩を引っ張られて、彼女の隣に引きずり出される。何をするんだよ。という間もなく、彼が見た光景は、残りの三頭犬が完全に敵意をむき出しにして此方を睨みつけているという恐ろしいものだった。

 ひゅい、とロンが息を飲む。

 それを合図にしたのかどうなのか。

 残りの二頭が、攻撃を開始した。

 片や刃物のような牙を並べた大口を開けて飛びかかり、片やヒトの骨など粉微塵にできるであろう凶悪な爪を振るってくる。

 魔法使いの天敵のひとつたる、ケルベルス。

 だが。

 人間という生き物には、天敵など存在しない。

 

「『ステューピファイ』ッ!」

「うぃっ、『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

 

 素早く杖を抜き放ったハーマイオニーの唱えた失神呪文が口中へ飛び込んだと同時に、幾分か遅れてロンの放った浮遊呪文が顎を持ち上げて強制的に口を閉じさせる。

 結果的に、そのタイムラグが命運を分けた。

 逃げ場のなくなった呪文が真ん中の頭の口内で暴れに暴れた結果、噛みつこうとした三頭犬の瞳がぐるりと上を向き、そのまままぶたの裏へ消えていく。どうやら、身体への命令権は真ん中の頭にあるらしい。左右二つが、驚きながらも未だ吠えていることから、それが予想できる。

 ハッと気づいた二人があわててその場から飛び退くと、身体を動かせなくなった三頭犬が先ほどまで二人のいた位置に倒れこみ、盛大な音と埃を撒き散らした。

 もう片方はどうなった。とロンが振り向くと、そこには三つの頭すべてから牙が、二本の前足から爪が抜け落ちて情けない鳴き声を漏らす三頭犬がいた。

 ハリーが杖を構えたまま息を整えている姿を見て、ロンが驚きと心配の声をかける。

 

「ハリー! だいじょうぶかい?」

「大丈夫……だよ。ちょっと、さすがに怖かったからね……。一頭仕留めたからって、調子に乗るもんじゃないな」

 

 額には汗が浮いている。

 ハーマイオニーが推測するに、恐らく武装解除呪文を極限まで魔力を込めて射出したのだろう。力を込めて物を殴れば相応の破壊が起きるように、魔力を込めれば相応の威力を持たせることができる。同じ呪文でも人によって効果のほどが違うのは、こういった理由も大きい。

 更には、魔法耐性のある外皮に阻まれないよう、眼球めがけて魔法を放ったのも疲労の原因となっているようだ。ぎりぎりまで引きつけてからの、武装解除。さぞ緊張したことだろう。

 三頭の三頭犬を無力化したハリーたちは、仕掛け扉に粉々呪文をかけて、木製の扉を粉砕する。

 無力化したとはいえ殺害していない以上、攻撃手段のひとつを奪ったにすぎない。

 現に、最初に無力化したはずの三頭犬などは這ってでも此方へ近づこうとしているではないか。

 きっとショックから回復した彼らがその気になれば、ハリーたちの小さな体はたちまちのうちに八つ裂きにされるか、本日のディナーになっていることだろう。

 

「飛び込め!」

 

 ハリーの鋭い声を合図に、三人はかつて仕掛け扉だった床の穴へと躊躇なく飛び込んだ。

 せいぜいが地下一階ぶんくらいの高さだろうと思っていた三人は、落ち続ける感覚に恐怖を覚えた。まさか。いったいどこまで落ちているんだ。

 ひょっとすると、三頭犬たちを突破するという無理矢理な手段で仕掛け扉を降りた者には、永遠に落ち続ける呪いがかけられる。などという自動起動式の魔法陣てもしかけられていたのではないか。と豊かな想像力でハリーは頬を引きつらせる。

 なにやら紫がかった色をした地面が見えてきた。この速度でたたきつけられれば、仮に床にクッションがあっても意味をなさず、汚い花火となるだろう。悲観したロンが早くも「もうおしまいだ!」と叫んでいるが、ハーマイオニーは一人落ち着いていた。落下しながらも苦労して体勢を整え、杖腕に持ちっぱなしだった自分の杖を床に向け、叫んだ。

 

「『スポンジファイ』、衰えよ!」

 

 それは先ほどハリーが唱えた呪文であり、対象をスポンジのように弾力のあるふわふわしたものに変じてしまう魔法である。一年生で習う呪文の中では、なかなかに難易度の高い呪文だ。

 ハリーが使ったときは杖先から魔法反応光がビームのように飛び出す、光線射出型の魔法だった。

 しかしハーマイオニーの使った弾力化呪文は、はたしてどのような細工をしたのかスプレー状に光が広がっていく。ハーマイオニーが広範囲をスポンジ化したおかげで、三人はクッションのような床に叩きつけられた。

 かなりの衝撃を殺す事ができたが、それでも痛いものは痛い。

 しばらくの間痛みを紛らわすために三人が三人ともごろごろとのた打ち回っていたが、どこか安堵して弛緩した空気が蔓延している。それもそうだ、十一年の人生で頭が三つある犬を三匹相手にするなどという、奇妙かつ危険な体験を終えたのだから。

 

「痛ってぇぇぇ~~~……けど、これでようやく助かっ」

「――って、ない! 助かってなんかないぞロン!」

 

 緊張と恐怖から解放された、軽い調子のロンの声を遮ってハリーが叫ぶ。

 なんだろうと億劫そうに振り向いたロンが見たのは、何がなんだかわからない、太くてぬるぬるした触手のようなものに巻きつかれたハリーとハーマイオニーだった。

 これはいったい何だ? と心底驚いたロンだったが、次の瞬間には自分も同じ目に逢っていた。

 ロンが叫ぶ。

 

「ら、乱暴する気なんだな!? 魔法薬学の教科書みたいに! 魔法薬学の教科書みたいに!」

「ロンおまえちょっと黙ってろ!」

 

 どこからか電波を受信して頬を染めて絶叫するキモチワルイ赤毛のノッポに罵声を浴びせ、ハリーは自分の太ももをまさぐる触手を引き剥がす。

 彼女はこの触手の正体を知っていた。

 《悪魔の罠》。

 魔法植物の一種であり、不用意に触れた生物を触手のように動く極太の蔓で巻き上げて、そのまま絞め殺す。事切れた獲物はそのまま簀巻きのようにぐるぐる巻きにして保存食とし、栄養が必要となったら蔓の表面から溶解液を滲ませて獲物を溶かし、吸収する。そうして地中から得られなくなった栄養を摂取するという、食虫植物ならぬ食ナンデモ植物だ。その性質上、魔法史によれば、十二世紀あたりの魔法使いが宝を守りたい時などの罠として設置していたそうだ。ゆえに、悪魔の罠などという名前がついてしまった。

 その大きな特徴は、動物だろうが植物だろうが問わない恐ろしいまでの雑食性。数年間は栄養を摂取せずとも生存可能で、たとえ粉微塵に千切れても生命活動に支障のない異様な生命力。植物のくせに葉緑体を持たず、紫外線や熱にことさら弱く、日の当たらない地下空間などに生息すること。

 そして、捉えた獲物は逃がさないということ。

 

「はっ、ハーマイオニーぃ! どんどん巻きついてくるよぉ!」

「わかってるわよ! ロン、落ち着いて! これは悪魔の罠っていう魔法植物なのよ。スプラウト先生がおっしゃっていたわ。というか今日のテストに出たでしょう? 何やってるのよロン」

「へぇー。君が名前を知っていて実に幸いだよ、ああ! 名前よりこいつをどうしたらいいかを知りたかったなぁ前から思ってたけど君らちょっとズレてるよ本当!」

 

 ロンが涙ながらに絶叫する。

 しかしそれに対するハーマイオニーは、ずいぶんと落ち着いたものだ。

 それもそのはず。対処法を知っている者にとって、悪魔の罠とは脅威になりえないのだ。

 恐ろしいほどの雑食性を有する魔法植物、悪魔の罠。そんな彼らでも、食べられないものはある。それは無機物だ。元来が抵抗すらしない石ころやらゴミやらを捕縛して、さらにそれを溶かしたとして、そんなものが彼らにとっての栄養になるだろうか。もちろん答えは否だ。むしろエネルギーの無駄遣いである。

 それを逆手にとった攻略法が、動かない事。ただそれのみだ。

 自らを無機物と誤認させることで、悪魔の罠に見逃してもらうという単純かつお手軽な防衛術があるのだ。他にも、植物の宿命として火を放たれれば燃やされてしまうし、紫外線が苦手という特徴を利用して太陽の光を当てて縮こませる、という対処法もある。

 だが魔力を消費しない方法があるならば、この先も試練は続く以上それを選ばない手はない。

 そういった理由でじっと石のように静止していたハーマイオニーが、ハリーの鋭い叫び声で身じろぎしてしまった。そのせいで悪魔の罠に生物であると認識されてしまい、ハーマイオニーの細い腰に触手が巻き付き始めた。

 ロンはもう簀巻きだ。

 

「は、ハリー!? なにするのよ!」

「だっ、だめだハーマイオニー! 動き続けるんだ! とにかく動かないとだめだ!」

 

 ひどく焦った様子で、ハリーが暴れている。

 もはや服の中まで触手に巻きつかれているようで、不快げな顔をしているのが見て取れる。

 しかしそれでも激しく抵抗し、その分だけ悪魔の罠に締め付けられていた。

 ハーマイオニーが叫ぶ。

 

「ハリー! あなた悪魔の罠を知らないわけじゃないでしょう!?」

「知ってるさ! 知ってるけど……説明の手間が惜しい! ええいぬるぬるして鬱陶しい! 『インセンディオ』、燃えろぉっ!」

 

 ハリーは燃焼呪文を唱え、杖から真っ赤な炎を吹き出す。

 熱に弱い悪魔の罠は、火の粉から逃れようとして蔦を縮ませる。少しでも表面積を小さくして、着火しないようにするためだ。

 それにより獲物を手放した悪魔の罠は、ハリーを中心にざざざぁっと引いていく。

 触手に捕まっていたハリーもハーマイオニーも、ロンも解放される。二階分の高さを持つ部屋の、二階の床に相当する位置に悪魔の罠を敷き詰めていたようだ。天井から床に落ちるかのような高さで三人は落下し、腰を打ったり尻をぶつけたりと痛い目に逢っていた。

 

「どうしてあんなことしたのハリー! 危ないじゃない!」

「そう怒らないでよハーマイオニー。ほら、足元を良くみて」

 

 掴み掛らんばかりに怒っていたハーマイオニーが、はっと息を呑む。

 足元に転がっていたのは、暗赤色の植物だった。ハリーの放った火でくすぶっているものや消し炭になっているものもあるが、この特徴的な棘だらけで、しかも歯の生えた奇妙な植物は見間違いようがない。

 冷や汗を流して、ハーマイオニーが震えた声でハリーを抱きしめた。

 

「ああ、ああ! ありがとうハリー! 助かったわ、こんな、こんなのって……」

「は、ハーマイオニー? いったいどうしたのさ?」

 

 ハリーの言わんとしていることがわからないロンが、急に震えだしたハーマイオニーを訝しんで声をかける。

 自身が危険な状態であったことに気づいてしまったハーマイオニーの背中を撫でて落ち着かせながら、代わりにハリーが彼の問いに答えた。

 

「燃え尽きかけてる植物、あるだろう。赤っぽいやつ」

「う、うん。これがなにか? 悪魔の罠だろう?」

「違うんだ。それは《毒触手草》、または《有毒食虫蔓》っていう魔法植物で、かなり悪質なやつなんだ。具体的にいうと、後ろから掴み掛ってきて、鼻の穴や耳の穴に蔓を突っ込んできて、中に種を植え付けるっていう」

 

 ロンの顔がゆがんだ。想像してしまったのだろう。

 説明しているハリーの顔も苦々しげで、これの存在を知ってしまったとき、できるならばこんな知識を得たくはなかったと思っていた。

 魔法省からC級取引禁止品に指定されているため、取扱いには省の許可と専門のライセンスが必要となる危険な植物である。もちろんホグワーツ一年生たるハリーらがそれに対する術を持っているはずがないので、毒触手草の毒を注入された時点で、終わりだ。

 他にも棘だらけの茨のような蔓で突き刺してこようとする肉食植物《スナーガラフ》や、ハリーたちが今立っている地面には泣き声を聞いた者は命を落とすと言われている成体の《マンドラゴラ》が生えているなど、完全に殺しにかかっている構成である。 

 震えあがったロンは、早く扉の向こうへ行こうと催促する。

 ハリーたちにも異論はなかった。

 部屋の隅に生えている木の根元にいる、ボウトラックルを警戒しながら、ハリーたちは扉に手をかける。

 ここまでで、試練はたった二つだ。

 

「か、カギだ……」

 

 扉の向こうで、ロンが呟くのが聞こえる。

 手をつないだハリーとハーマイオニーが、誘い込まれるように扉をくぐる。

 するとそこには、大量の鍵が飛び回るという異常極まりない光景が広がっていた。

 

「なんだこれ? 変身術……じゃないな、妖精の魔法っぽいな。フリットウィック先生か?」

 

 風を切って飛び回る鍵たちは、まるでクィディッチで使われる金色のボール、スニッチのような翼を忙しなく羽ばたかせていた。

 スニッチは高速飛行する黄金の鳥、スニジェットという魔法生物を模して造られている。

 ならばスニッチの羽を生やした鍵は、何と呼ぶべきなのだろう。

 ロンが次の部屋への扉を見つけ、開錠呪文で開けようとするも、失敗する。ハーマイオニーが代わりにやってみたが、これも無意味だった。どうやら扉に魔力そのものが通らないようになっているようだった。

 ハリーに向けて二人がお手上げだ。とジェスチャーを見せてきたので、ハリーは部屋を観察した。

 飛び回る無数の鍵鳥。異様に天井の高い灰色の部屋。そして――

 

「ハリー、それ……。ああ、そんな……」

 

 ロンが情けない顔で、情けない声を出す。

 彼の指差す先にあるのは、立派な台座だった。

 なにかを乗せていた跡がある。ハリーはそれを、そこに乗っていたものがいったい何なのか、即答することができる。なにせ毎日のように見ているのだ。見間違うわけがない。

 

「ああ。……箒だね」

 

 彼の問いに答えたハリーは、台座の周りに散らばった木片を眺める。

 執拗なまでに破壊されており、一番大きな欠片でもハリーの腕程度の長さだ。とてもではないが、それに乗ることはできないだろう。

 もはやそれは箒ではなかった。元箒の現ゴミだ。

 鍵を見るうちに、この部屋での試練がわかってきた気がする。

 天井の高い、今までよりも少し広めの部屋。

 スニッチ。……モドキの、金鳥が飛び回る。

 そして箒。今では木片だが、この部屋を作ったホグワーツ教師の思惑は明白だ。

 飛んで、鍵を手に入れて、開けろ。箒なしで。

 そういうことだろう。

 

「どうしようこれ」

 

 ハリーが引きつった笑顔で、二人を見る。

 おい。目を逸らすんじゃない。

 




【変更点】
・実技の試験受けちゃダメよ宣告。慈悲はない。
・ネビルなんていなかった
・過激な女、ハーミーちゃん。女は度胸。
・フラッフィーズは実力で突破。帰りのことは度外視。
・悪魔の罠単体だと試練にならないので。
・オメーの箒ねえから!

【オリジナルスペル】
「クェレール、取りだせ」(初出・10話)
・別空間に仕舞った物品を取りだす魔法。物品は片手で持てるサイズと重量に限られる。
 元々魔法界にある呪文。反対呪文は「リムーヴァ、仕舞え」。

「スポンジファイ、衰えよ」(初出・PS2ゲーム『賢者の石』)
・不安定な魔法で、術者の認識により効果が若干変動する。今回はスポンジ化。
 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。PC版・秘密の部屋における効果。

【賢者の石への試練】
・第一の試練「三匹の三頭犬」森番ハグリッド
 三頭犬三匹を出し抜いて仕掛け扉をくぐる必要がある。

・第二の試練「悪魔的な罠」スプラウト教授&スネイプ教授
 悪魔の罠に混じって毒触手草(棘だらけの暗赤色の植物。長い触手に触ると危険。原作2巻登場)等が混じっており、焼却以外の脱出を選ぶとほぼ確実に死亡する。


魔法生物やら魔力やら勝手に色々付け足していますが、だいたい独自なのでご注意を。
人間同士のバトルだと私の心が燃えて筆もタラントアレグラなのですが、不思議なモノです。はやく対人戦を!
ハリー達は生き残れるのか! 賢者の石を狙う何者かは無事最後の部屋に辿りつけるのか! がんばれ何か色々と!
ここから試練ラッシュ。更新速度もイモビラス! 頑張れ私! Cheering Charm!

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