こんな望めばすぐに手に入りそうな光景を、オレはずっと待ち望んでいたのかもしれない。集団の先頭で桐条先輩と真田サンが談笑し、その後ろから眠そうな誠とそれに話しかけるゆかりッチ。普段はばらばらに登校しているが、まだ転校したてで不慣れな理のためと理由はあるが、それでも誰も欠けることなくいられることだけでも、嬉しく感じてしまう。
「何してんの順平。電車くるよ早く来なって」
放心していたオレにゆかりっちが早く来いと手招きする。本当はここに荒垣サンや風花、アイちゃんに、天田少年は……違うか。けれどいつか、この道をみんなでただただ笑い合っていける日が来る。オレひとりの力じゃ難しいかもしれないけどきっと叶えてみせる。そういえば本当に叶えたい願い事は口に出しちゃ叶わないなんてことを聞いたことがあるから。今のこの想いはオレの胸だけに仕舞っておくことにした。
そして何事のなく授業は滞りなく進み、気づけばもう放課後だった。
今日の夜のことに思いを馳せていると、桐条先輩に携帯で呼び出しをくらった。17時に理事長室に来るようにとのことだった。なにかやらかしたのかなと、こんな時すぐ考えてしまうのオレはやはり問題を起こす側の人間らしい。内容の大方予想はついているが、桐条先輩から小言をいただくのは過去の教訓で十分と黙って従うことにした。
「あれ、真田サンまで。一体全体どうしたっていうんですか」
てっきり桐条先輩だけと思っていたが、扉の前には普段ならまだ部活動中の真田サンの姿もあった。
「お前も仮とは言え、特別課外活動部の一員になったからな」
「そこで私たちの顧問に会わせておこうと思う。君も、いや、もうメンバーの一員なんだ。そんな他人行儀じゃあれだから、これからは伊織と呼ぶとしよう」
真田サンの言葉を繋ぐように桐条先輩が口を開く。コンコンと他の部屋とは違う一際重厚な扉をノックすると、中からどうぞと聞こえだ。
くれぐれも失礼がないようにだぞと念を押されて中に入る。部屋の白壁の両端にはそれぞれ様々な資料や本が入った本棚と、月光館学園の全体模型があり、奥には理事長が常日頃使用しているだろう高価そうなデスクが置かれていた。調度品と呼べるのは理事長のデスクの左上の壁にかけられたアンティークの振り古時計と、模型の上にあるこれまた高そうな油絵だけで、思った以上に落ち着いた雰囲気が醸し出されていた。
「理事長。今回は昨晩メールで報告していました、伊織順平を連れてまいりました」
「ああご苦労様。あと、よしてくれよ桐条くん、そんなかしこまった言い方は。柄じゃないっていつも言ってるじゃないか。あ、そうだ。そこで立ってるのもなんだからそこに早く座るといい」
幾月サンは照れくさそうにしながらも、部屋の入り口付近にある応接用の長椅子に座るように指示する。
幾月修司。この月光館学院の理事長でもあり、特別課外活動部の顧問を務めている。その柔和な物腰と親身な性格から、特別課外活動部のメンバーからの信頼は厚い。恒例のさむいギャグ以外は表立った欠点の見当たらない人物だ。本当ならば。
「どうも初めまして。もう僕の名前は知ってると思うけど、一応紹介させてもらうね、幾月修司です。ん、どうしたのかな。僕の顔に何かついてる」
「えっ。ああ、どうもすみません。なんかこういう場所に来ることに慣れなくって、もし来たとしても碌なもんじゃなかったなーって記憶があってっすね」
過去の記憶がマイナスの感情として表に出ていたのか、ハッとして苦笑いを浮かべた。哀れなものを見るような顔の美鶴先輩と、笑いを押し殺している真田サンの顔が、何とも言えない感情にさせる。とはいえ、ここで殴りにかからなかっただけ実は褒めて欲しい気分だ。コイツは一緒に闘ってきたオレたちのことを道具としか見ておらず、最終的には桐条先輩の父親もろともオレたちを葬ろうとした実績すらあるのだ。とはいっても今はその片鱗も見せずに、桐条先輩も全幅の信頼をおいているので、そんなことは口が裂けても言えるはずもなく、クラスでのお調子者という仮面を被ってこの場を乗り切ることしかできなかった。
「なかなか面白い子が入ってきたじゃないか。伊織順平くん、だっけか。でも僕も面白さなら負けない自信があるぞ。えっーと」
「今はそんなことで張り合わないでください。今日は時間が押しているので本題に入りましょう」
「折角、面白いギャグを今思いついたんだけど。仕方ないね。じゃあ今度代わりに秘蔵のギャグを見せてあげるよ」
と残念そうに首を振った幾月サンは、コホンと一つ咳払いをして影時間や自分の経歴のことについて説明を始めた。もう何度か聞いたことがある話だったので、適当に相槌を打つ。途中で、理事長室の見えないところに設置されていた冷蔵庫から、出来合いだけどと缶コーヒーを渡されたのでそれで喉を潤すことにした。
しかし自分なりに色々なことを考えてつもりでいたが、幾月サンのことは完全に失念していた。そう考えると、やはり目標達成にはえらく敵が多いようだ。しかもそのどれもが今思えば綱渡りだったようにも思える。しかし今の自分は一介の学生過ぎず、その影響力は無いに等しいからまた面倒くさい。場所が場所なだけにイラつきの発散に貧乏ゆすりをすることもできずに、代わりにギリっと握った手のひらに爪を喰い込ませた。
そんなに気負うことないさと、オレの行動を好意的に解釈した目の前の幾月サンが肩を叩く。イラつきや色んな感情で、つい肩に置かれた手を振りほどきたくなるが、先輩たちの目やら今後の活動のことも考えてやめた。まだ少し残っているはずの缶コーヒーに口をつけたが、記憶違いでもう飲み干していた。
話はいつの間にか終わっていたようで、気づけばオレは扉を丁寧に閉める桐条先輩の後ろ姿を眺めていた。二人の顔を見るに、記憶はないがアレ以上の非礼はしていないようで、ホッとする。礼儀だろうと脱いでいた帽子を被り、場所を変えて談話するも、流石は学園の二代有名人。場違いのようなオレを含んだこのメンバーの関係性を推察するようにすれ違うざまに、チラチラと晒される生徒の視線がいちいち気になってしまう。
それに気付いたか気付いてないか、桐条先輩が解散と告げてこの集まりは終わった。慣れないことをしたせいか小腹が減っていたこともあり、帰りにはがくれにでも行って、夕食がてらにラーメンでも食べようと思ったが、部屋の中に荷物を乱暴に入れただけの惨状を思い返し、素直に変えることに決めた。完全下校時間まであと僅かに残した校内では、日も既に沈みかけていて、オレ以外に生徒の影は見当たらなかった。
校庭で活動している運動部の威勢のいい掛け声を背後に受けながら、そういえば今日は満月かと、空に浮かぶ、そろそろ自己主張し始めようとその輝きを放ち始めたまん丸い月が見えた。
最初に試練についで、これからが本当の始まりかなと、長いようで短い一年を思うと溜息が出そうになるが、それでも今朝思った願いを現実にするために出来る限りのことをしよう。そう思うと自然に足も速くなって、別に電車の出発時間が気になるわけでもないくせに、一人、二人と歩く生徒を抜き去りながら駅のホームへと駆けていくのだった。