P3―希望ノ炎―   作:モチオ

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Velvet Room
0-1 ベルベットルームと選択


 目を開けるとそこはにはなにもなかった。

 

 上も、下も、右も、左も、自分自身の存在さえそこでは不確かだった。うっすらと靄がかかっている感覚というのだろうか。すべてがあやふやな存在で輪郭を持たない。胡蝶の夢というものがあればこのことを指すのだろうと、不思議と思った。

 

「おやおや、今回はまた面白いお客人がいらっしゃいましたな」

 

どこからか好々爺のような声が聞こえた。

 

「誰だッ」

 

 咄嗟に声が出た。出た、というより、勝手に出ていたと感じだ。喉の感覚すらも声も出すという動作すらもわからない空間で、自分の意思だけが動いている感覚だった。

 

「ご紹介が遅れましたな。私の名前はイゴール。お初にお目にかかります、と言いたいところですが、あなた様とは一度だけお会いしたことがありましたな」

 

「一度会ったことがある、だと。どういうことだ」

 

「フフ、その説明はあとでいたしますので、そう焦りになさるな」

 

ではまず、とイゴールは説明を始めたが、物質世界がどうやら、内包する云々など、やけに抽象的だったり固有名詞が多かったりと今一つピンとこない。

 

「いろいろと説明してもらって悪いんだけどよ。俺、馬鹿だからさ、もうちょっと分かりやすい言葉で教えてもらってイイっスか」

 

「おおっと、これは申し訳ございせん。なにせ久々の客人でございますゆえ。私も年甲斐もなく興奮しているのかもしれませんな」

 

 こほん、と咳払いを一つ言葉を続ける。

 

「まず簡単な説明から参りましょうか。最初にこの場所のことですが、私どもは『ベルベットルーム』と呼んでおります。ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所。厳密には違いますが、簡単に言えば、あなた様が住まわれている世界とは異なった場所というところでしょうか」

 

ここまではよろしいですかな、とイゴールは言った。

 

「正直あんまわかんねーけど。ここは俺らの世界とは違う、不思議世界って訳だ」

 

「いかにも。それでは続けます。ベルベットルームは本来は、何かの形で”契約”を果たされた方のみが訪れる部屋でございます。そして、私の仕事はその契約のお手伝いをさせていただくこと」

 

「契約? 俺は契約なんかした覚えなんてないぞ」

 

「そう、だから面白いと申し上げたのです。先程も伝えました通り、ここは本来何らかの契約を交わされた方のみが訪れる部屋。失礼を承知で言うならば、本来ならばあなた様は招かれざる客人ということです」

 

「なんだそりゃ。勝手に呼び出しといて、招かれざる客人ってホント言いたい放題言いやがんな」

 

「こればかりは申し訳ございません。ですが、ここにおいでなさったのも何かの因果ゆえ。なにかしらの縁があってしかるべきなのです」

 

 再び意味のない問答が始まるか否かの最中に、主様、とイゴールを呼ぶ妙齢な女性の声がどこかしらか聞こえた。それまで聞こえなかった硬い地面にヒールを打ち付ける音を響かせながら、再び女性はイゴールを呼ぶ。

 

「この方は愚妹の想い人の関係者だそうです。さきほど愚妹から連絡がありました。この方が鍵だと」

 

「エリザベスのというと、件の。ふむ、なるほど合点がいきましたぞ。しかし、マーガレット。ここは客人の前だ。自己紹介をなさい」

 

 きつい口調だったが、さきほどの言葉が余程嬉しかったのか、イゴールの声色は嬉しさが滲んでいるようだった。

 

「申し訳ございません。私はここを主様と共に任されておりますマーガレットと申します。先のご無礼は何卒ご容赦頂きたく存じます」

 

 凛とした通る声。それだけで、見えはしないが、きっと教養を持った美しい女性と思う声だった。

 

「いや、別にいいけど、ホントどういうことなのこの状況」

 

 目の前は真っ白で自分すらもあやふやな世界。そして目の前(?)で繰り広げられた意味不明な、きっと当人たちにしかわからないであろう会話に、いよいよ頭のキャパシティは限界寸前だった。

 

「いえいえ、先ほどのことも含めましてもなんとお詫びしたらいいことやら。ですがあなた様がここへ来られた理由も判明いたしました。ですがそれを知るためにはあなた様には試練を乗り越えてもらわなければならないようです」

 

 渦中のはずの俺を置いていって話がどんどん進んだいることに若干の焦りを覚える。しかし、いきなり試練だとか言われて、はいそーですか、なんて言えるほど人間ができている訳じゃない。それくらいはわかっている。

 

「試練と申しましても、現し世でいうペーパーテストだとか、古き神を倒せだとかいう無理難題ではございません」

 

 俺の心境を掬ってくれたのか、イゴールは遠まわしに安心しなさいと伝えてきた。だけど、安心させるためっていうには些か話が物騒だ。前者はともかく古き神ってなんだよ。頭をパーンとはたいて突っ込みたい気持ちもあるが、今の状況じゃそれも叶わない。どうしても気になる試練の内容だけ聞いてみたのだが、それは受ける者にしか教えられないとのことだった。

 

 しかも、そうきっぱりと言い切るイゴールに嘘の感じはしない。

 

「もしも、もしもだよ。俺が試練を受けないって言ったらどうなるんだ。もしくは失敗したら死ぬ、なんてことはないよな」

 

「心配なさらずともそういったことはなにも起こりません。もともとあなた様はイレギュラーな存在。目が覚めればこの記憶は欠片も覚えておらず、元の生活に戻るだけでございます。失敗した場合も同様でございます」

 

「じゃあさ、ぶっちゃけ、俺が試練って受けるメリット無くない」

 

「そうかもしれませんな。逆を言うならば、試練に合格してしまった方が大変だとも伝えておきます」

 

 試練を受けてもメリットはなく、その反面合格したほうがデメリットはあるらしい。普通に考えれば受けないの一択だが、なぜかその時の俺にはそれが受け入れられずにいた。なぜだろうと自問自答してもその答えが返ってくるわけでもなく、その事実だけが答えを渋らせていた原因と言っても過言じゃない。

 

「僭越ながらお客様。ここは受けるべきだと進言致します」

 

 マーガレットと呼ばれる女性がそう言った瞬間に、イゴールがマーガレットと叱りつけた。まだ少ししか時間は経っていないが大分この爺さんのことは分かったつもりでいたが、こんな喋り方もするんだと正直驚いた。

 

「なあ、あんた、イゴールって言ったか。じゃあ、あんたはどう思う」

 

「私どもはお客様が選ばれた道をお助けすることのみ。選択とは自らの意思でするからこそ輝くのです。ですので、私にはその問いに答えることはできません」

 

 なんの迷いも感じさせず言い切るイゴール。きっとこれは本当のことなんだろうと思う。だからこそさっきのマーガレットの言葉が気になるのも確かだ。自分の仕事を放棄してまで俺に言った意味。それがわからないほど俺も鈍感に生きてきたわけじゃない。

 

 だから、ほんのちょっとだけ覚悟を決めてこう言った。

 

「ふーむ、じゃあ、いっちょその試練とやらを受けてみますか」

 

「……本当によろしいので。先も申し上げたとおり、他人に意思を委ねる限り本当の道は開かれませんぞ」

 

「別に彼女の言った言葉に感化されたわけじゃねーよ。受けなくても、そして受けて失敗しても俺にはデメリットがねーんだろ。だったら受けなきゃ損じゃん。こんな機会は一生に一度もないんだからさ」

 

「左様で。では今一度あなた様契約の内容をご説明しておきましょう。なに、そう身構えなさるな。契約とはいたって簡単なことでございます。みずから選んだ選択の結果を全て受け入れることのみにございます。そしてあなた様は試練を受けること選ばれた。その意味、その重さ、そして結果を全て受け入れられることを祈っております」

 

「勿体ぶらなくていいからさ。ほら、俺っちも緊張してるんだぜ。ぱぁーっと済ませちゃまおうぜ。早く終わんのなら、矢でも鉄砲でもきてみなさーいってヤツよ」

 

 少し考えてやっぱ矢とか鉄砲とか痛い奴は勘弁なと呟くと、マーガレットがクスリと笑ったのが聞こえた。だって嫌じゃん痛いの。

 

「ふふふ、頼もしいお方だ。では、試練に参るといたしましょう」

 

 そうイゴール言った瞬間に、なんだか嫌な予感がした。第六感というやつか虫の知らせとかいうヤツかは知らないが、とにかくなんだかヤバげな気配がした。

 

「ではお客人、あなた様のお名前を教えていただいてもよろしいですかな」

 


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