実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー   作:向日 葵

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第七話 "七月二週~三週" 躍進 vs友沢

「全治一週間でやんすかぁ」

「はぁ、はぁ。あ、あ。幸い、はぁ、関節には、異常が、なかった、みたいだから、はぁ、その間のメニューも決めたし、大丈夫、だ」

「他の場所の筋力が落ちないようにトレーニングだろ。お前の場合体幹がまだまだだから体幹鍛えるメニューが中心か。二週間くらいだったら肩の筋肉は落ちないから、すぐ回復出来るだろう。チームも新人戦までに力をつけないと甲子園なんてとても無理だぞ」

「分かってるって。だから、こう、して、ぜぇっ、お、前たち、の前、で、腹筋をっ……ぜはっ!」

「次は背筋五〇回だよー。まだ六セット目だからね。後四セットあるよ」

「うわぁ。あおいの笑顔怖っ。たしかに心配させただろうけどそろそろ許してあげなよ」

 

 グラウンドで矢部くんに足を抑えられながら、俺は必死で上体を起こす。

 敗戦から既に数日、俺達は新しい大会に向けて動き出した。

 俺の肩は全治約一週間。酷い打撲だったが幸い関節には異常が見られず、結果打撲の腫れが引けば練習に参加してもいい程度のケガで済んだ。

 肩を動かしたりボールを投げることは禁止されたが、それ以外の練習になら参加しても良いとの医者のお墨付きを得て皆に報告したのが試合の翌日。

 それから何故か分からないが激怒している早川をなだめるため、矢部くんや新垣の協力を得てニッコリと笑った早川から貰ったお言葉は、

 

『パワプロくんはノックとかキャッチボールとか出来ないからはるかと彩乃ちゃんと一緒にスコアつけたり色んな指示をしたりするんだから楽だよね。だったら――ボクたちの休憩中に腹筋背筋五〇回ずつ一〇セット、肩のケガが治るまでやるって言うんだったら許してあげる』

 

 との有り難いものだった。

 

「はい、腹筋終わりでやんす~」

「次は背筋だな。肩を痛めないようにサポーターを巻いているんだ。張り切ってやれ」

「お、お前ら……っ」

 

 パワリンを飲みながら友沢は楽しそうに俺を見下している。ちくしょう。

 俺が羨ましそうにパワリンを見つめているのに気づいた早川は、くすりと笑って、

 

「大丈夫、パワプロくんの分も用意してあるから。速く終わらせようよ」

「早川……ありがとな。はぁっ、で、でもき、キツイ……ちょ、ちょっと休憩を」

「だぁめ♪」

 

 早川は何故か上機嫌になりながら椅子に座る。

 くそー、ご機嫌でもやっぱり厳しいぜっ。

 俺が指示通り一〇セットずつ終わる頃に、丁度休憩が終わって皆が歩き出す。お前ら容赦ねぇな。

 

「いてて……お前らと一緒にもう一〇セット先に終わらせてたんだぞ、追加はきついだろ」

「お前は主軸だぞ。人以上にトレーニングさせるのは当然だ。俺が四番だがお前もクリーンナップを打つんだからな」

「へぇい……」

 

 この四番冷たすぎんだろ。なんでそんなひんやりしてんの。

 でもまあたしかに友沢の言うとおりか。チーム全体のレベルアップはもちろんなんだから、それよりも真ん中を守ろうってんならもっと上手く強くならねぇと。

 ――さて、んじゃチームの中心であるエースさんにももっと良い選手なってもらわないとな。

 

「早川、ちょっといいか」

「あ、うん、パワプロくん、ボクもそろそろ、話そうと想ってて……」

「お前も? どんなことだ?」

「その、ボク今のままでいいのかな。帝王にあれだけ打たれちゃったし……」

「そっか。実はそれに関係することなんだよ」

 

 まあたしかにエラーもあったけど、たしかに十五失点ってのは思うものがあるだろう。

 早川自身調子も悪くなかった。それなのにアレだけの失点をしてしまって、ただ単に実力を付けても必ず打たれてしまうようになるレベルがある。

 それ以上に行こうと思ったら、球速や変化球を成長させる以上に工夫が必要だ。

 

「……フォーム改造してみないか?」

「フォーム改造……? もしかして、アンダースローをやめる、ってこと?」

「いや、そんな大掛かりなもんじゃない。俺が言いたいフォーム改造ってのは、アンダースローのままもう一段階フォームを良くしようってことだ」

「もう一段階?」

「ああ」

 

 早川が不思議そうに小首をかしげる。

 漠然とこう言われたんじゃ分かる訳ないよな。此処は順序立てて話さないと。

 

「早川は良いフォームってどんな事を言うと思う?」

「え? ……うーん、見てて綺麗なフォームだと最近まで思ってたけど、打たれてからは"打たれづらい球を投げれるフォーム"だって思ったんだ」

「そう、そういうことだ」

 

 早川もいろいろ考えてるんだな。

 ……帝王に負けてよかったのかも知れない。あれだけの敗戦をしたことで、確実に俺達は前に進む方法に気づけたんだ。

 負けて学ぶ事があるとは良く言ったもんだぜ。

 

「今の早川のフォームはリリースが少し速いんだ。ついでに腕は遅れて出てくるけどリリースポイントが隠れてる訳じゃないから、二打席目、三打席目――レベルが高ければ一打席目の途中にすらもうタイミングをアジャスト出来てしまう」

「うん。でもそれは緩急で何とかできるんじゃないの?」

「帝王戦でも分かっただろうが、一段階レベルが上がるとストレートを待ちながら変化球にも対応出来るようになっちまうからな」

「なるほど……だから、フォームを改造するの?」

「ああ、リリースポイントを体に近づけることで体でボールを隠してリリースポイントを見づらくし、更に球持ちを良くすることで相手のタイミングをズラす。球持ちが良くなるとストレートのキレも上がるからな」

「わかった。やってみるよ」

「うし、ポイントは足を踏み込んでからだ、リリースポイントを体に近づけるには体の開きを限界まで我慢して腕を振るんだ。早川はアンダーだからな」

 

 左投げで手本を見せながら説明をする。

 それをみて、早川は早速ネットに向かって投げ込みを始めた。

 やっぱり早川は飲み込みが速い。既に形になってるじゃねぇか。

 今まで横から出ていた腕が、体の下――更に低位置から出てくるようになってる。

 体が目隠しになり、隠れていた腕がいきなり出てくるんだ。これだけで相手は振り遅れるだろう。

 それに加えて球持ちまで良くなれば相手は相当攻略に苦しむな。それだけ利点のあるフォームだが習得は難しい。それをまだ身には付いていないとは言え形にするなんてな。流石だぜ早川。

 にしても俺の言う事が間違ってるかもとか思わないのかな。信頼されてるのはうれしいけど、こりゃ責任重大だぜ。

 

「球持ちを良くするには、リリースを我慢しなきゃいけない。それには下半身の粘りが必要だから、自然と足腰は必要になってくる、というわけで当分は走りこみだな」

「うん、分かった。頑張るよ」

「ああ。早速走りこみだな」

「うん」

 

 早川は投げ込みをやめて、グラブを置くためにベンチへともどって行く。

 これだけ信頼されてるんだ。俺もその信頼に答えてやらないと。

 

「……早川は肩の可動域が広く、柔軟性がある。それを踏まえた上で今最も早川に適切で尚且つ必要な要素は"打ちづらい球を目指す"ということ。それに適切なのは球持ちを良くしてボールのキレ、打ちづらさを追求することと、出所を隠しタイミングをズラすということだ。……早川の特徴を捉えたからこそ出来るアドバイスだ。よく見ているな、早川のことを」

「あん? 当たり前だろ。バッテリーなんだから」

 

 後ろからいきなり話しかけてきた友沢に答える。

 そりゃそうだ。俺と早川はバッテリーなんだ。よく見てるのは当然だ。

 

「ふん、そうか。……お前も一緒にランニングいってきたらどうだ?」

「……ああ、そうする。さんきゅな」

「ああ」

 

 友沢の奴、わざわざそれを言いに来たのか? 暇な奴だなー。

 まあ、ありがたい事だよな。気にかけてくれるってのはさ。

 うし、んじゃ早川と走るか。

 

「早川、一緒に走ろうぜ」

「あ、うん。丁度良かった。僕もパワプロくんと話したいことがあったんだ」

「ん? なんだ?」

「さっき新しいフォームにした時にリリースポイントを体に近づけて出処を見づらくするってやったよね?」

「ああ」

 

 それに加えて球持ちを良くすれば打ちづらい、って話だからな。最初の割には大分フォームも安定してたし、いけるはずだ。

 

「今さっき投げた感じだとちょっとフォームが小さくなっちゃって、上手く球に力が伝わらないんだ。どうすればいいかわからなくて……」

「ああなるほど、腕を伸ばしてた部分をたたんでしまうわけだからな。体の後に腕が出てくるように視えるフォームになるわけだからそうなっちまうのは仕方ないことだ。それを改善するにはそうだな。テイクバックを大きくすればいい」

「テイクバックを大きく?」

 

 きょとんとこちらを見る早川に教えるように、俺は投球フォームをやって見せる。無論左腕だけど。

 早川のフォームは横に広かった。アンダースローでリリースの位置は低いが、投げる際は利き腕方向の右側に腕をのばしている。それによって腕を振れるようにし、球速を伸ばしていたのだろう。

 それを俺が教えた要素を取り入れるフォームにすることで、腕が体の下から出るようになった。それでは腕をふる距離を稼ぐことが出来ないのだ。

 なら、その距離を作ってやればいい。

 

「ああ、こういう風に後ろを大きくとって投げるんだ。トルネード投法のように体をひねるのもそのテイクバックを大きく取るためなんだぜ」

「そうなんだ?」

「ああ、だから早川もテイクバックを大きく取ってみればいい」

「分かった、やってみるよ」

 

 俺の助言を覚えるように早川は何度もこくこくと頷く。

 その後も早川は俺に技術的な質問をしながら、一緒にグラウンドを走った。

 早川なら次の大会までにこのフォームを完璧にモノにしてレベルアップするはずだ。

 俺も負けないように上手くならないと。今のままじゃ――猪狩に顔を向けできないぜ。

 

 

 

 

 

              ☆

 

 

 

『さぁ、大変なことが起こりました』

 

 準決勝第一試合。

 パワプロたちが敗れたその大会の準決勝が、此処、第一市営球場で行われていた。

 あかつき大付属vs帝王実業――名門校同士の"実質決勝戦"と言われたその試合。

 後攻、あかつき大付属高校の守備でマウンドに立ったのはエースナンバー"1"を背負う一年生エース猪狩守。

 現在八回の表、準決勝以上ではコールドゲームが無くなるという規定で始まったこのゲームも終盤を迎えていた。

 だが、グラウンドに対する歓声は殆どない。

 バッターボックスに立つのは蛇島。今日は全くいいところなしで全ての打席を三振で終えている。

 

「お前にだけは、打たせない」

 

 ぽつりと守はつぶやく。

 目には闘志。溢れ出す威圧感はバッターが怯んで手を出せない程だ。

 ギュンッ! と守が腕を振るう。

 同学年で一年生の二宮はそれをしっかりと腕を伸ばして捕球した。

 

「っー、まだこの威力かよ、守」

 

 二宮がヘルメットを直しながらバックスクリーンを見る。

 一四七キロ――高校一年生が出す球速じゃない。

 これが他の有力選手を差し置いて"世代ナンバーワン"の名を欲しいままにする超高校級投手、猪狩守。

 今の一年生が三年になる時、あかつき大付属は過去最強のメンバーになると言われている。

 

 一番センター八嶋中。

 二番ショート六本木優希。

 三番レフト七井アレフト。

 四番ファースト三本松一。

 五番サード五十嵐権三。

 六番キャッチャー二宮瑞穂。

 七番ピッチャー猪狩守。

 八番ライト九十九宇宙。

 九番セカンド四条賢二。

 

 すべてが一年生である。

 そう――なんと今年のあかつき大付属高校のレギュラーは全員が一年なのだ。

 

『全員一年のあかつき大付属高校は初! そしてその一年のみのあかつき大付属が何と――十四対〇! しかも未だにランナー一人出せず! 七回パーフェクト! そしてこの八回も先頭打者の四番福家がファーストフライに打ち取られました!』

 

 猪狩守は蛇島から視線を外さない。

 その目には闘志。相手に対する敵愾心がはっきりと宿っている。

 

「な、なんなんだ貴様……! 俺にそんな目をしやがって……!」

「はぁっ!!」

 

 ゴッ! と猪狩から放たれたボールは針の穴を通すかのようにインローに突き刺さる。

 ストライク二つ目。猪狩は二宮からボールを受け取りながらバックスクリーンへと目をやった。

 

 あかつき大 421 131 11

 帝王実業  000 000 0

 

 そう記されたスコア。もしも蛇島が姑息なことをしなかったならばそこに記されたであろう、此処で相まみえたはずの男の率いるチームを思い浮かべる。

 

「……パワプロ」

「……は? 俺達が負かしたチームのキャプテンがどうしたんだい?」

「貴様は一番やってはいけないことをした。進を誑かした挙句、僕の最も近しいライバルをラフプレーで傷つけたんだ。その報いは受けてもらう」

 

 グンッ、と猪狩が振りかぶる。

 そうして投げられたストレートは空を切り裂きながら凄まじい勢いで二宮のミットを叩いた。

 

「トラックバッターアウトォッ!!」

『三振十五個目!! 恐ろしい選手が現れました! その名は猪狩守ー!』

「――三振に打ち取られる事でな」

 

 猪狩の言葉に、蛇島はギリリと歯を食いしばる。

 厄介な男に火をつけてしまった。

 あのパワプロに何故ここまで固執してるのかはわからないが、今の自分ではこいつには及ばない。

 

(まぁ。いいさ……今回は負けてやる……。……だが、次は負けない。次はお前を潰してやるから覚悟しておけ……)

 

 不敵につぶやいて蛇島はベンチに下がる。

 この先の展開は見えた。どうあがいてもこの投手を崩して一四得点をするなんて不可能。準決勝前に当たっていたらとっくの昔にコールド負けしているのだから。

 六番打者も三振に取られ、九回の攻防へと入る。

 もう殆ど決着はついているようなもの。それでも観客席の面々はそこを離れようとしない。

 観客たちは待っているのだ。恐らく来るであろう歴史的瞬間を。

 一年生同士のバッテリーが甲子園優勝経験もある帝王実業という名門相手に"完全試合"を達成するというその歴史的瞬間を、今か今かと待ち望んでいるのだ。

 九回表が終わって点差変わらず、一四対〇。

 そうして迎える九回の裏。もちろんマウンドに立つのはここまでランナー一人すら許していない男、猪狩守――。

 打順は六番から、もちろん帝王実業の監督も黙ってはいない。ここまで控えに甘んじていた代打要員達を惜しみなく投入する。

 だがそれでも届かない。猪狩守は七番打者の初球から、一四六キロのストレートを膝下に投げ込んだ。

 球審の手があがる。

 ストライク。いや、それ以上に凄い。

 この炎天下、九回まで猪狩守は一〇〇球以上のボールを全力で投げ込んできた。

 にも関わらずまだ一四六キロの球をこのコントロールで投げ込めるという。

 その瞬間客席達は皆確信した。

 

 ――この投手は伝説を作る。

 

 猪狩守はプレッシャーが掛かるわけでもなく、その端正なマスクに滴る汗を拭っただけで、再び腕を振るう。

 今度はスライダー。一二〇キロ程度の速度だが、切れ味と変化量は天下一品だ。たちまちバッターボックスの三年のバットが空を切る。

 続く三球目、今度はインハイに力一杯投げ込まれたストレートが再び一四五キロを計測する。

 バッターは手が出ない。ワンアウト。後二人で完全試合。

 

『ば、バッター八番。篠田に変わりまして、与那嶺』

 

 ウグイス嬢の声が震える。

 バッターボックス立った与那嶺は短くバットを構え、じろりと猪狩を睨んだ。

 だが猪狩は動じない。先ほどと同じ調子で腕をふるうだけ。

 結局与那嶺も三振で終わる。

 

『バッター九番、猫神くんに変わりまして、大沢くん』

 

 ラストバッターは代打の大沢。打力ならば帝王実業ナンバーツーと言われながら、守備走塁に難があり代打に甘んじた必殺の仕事人だ。

 それでも当たらない。猪狩の直球は唸りを上げて二宮のミットを叩く。

 二球目は外れるも三球目はカーブでアウトローに決め、カウントを2-1にした。 観客は固唾を飲んで見守る。

 そのなか、猪狩守はぐぐっと腕を上げて投球フォームを取った。

 

(パワプロ、お前は見ているか? 見ていなくてもニュースなどで知るだろう)

 

 ライバルに心の中でメッセージを送りつつ、

 

(僕は今此処に居る。お前はまだまだ階段の下にいるだろう)

 

 戦うことが叶わなかった男に対して、最大のエールを送る。

 

(……登って来い。パワプロ――僕は高みで待つ)

 

 猪狩守の腕が振るわれる。

 

 ――その瞬間、彼は自分の名を観客の頭の中に刻みつけた。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

「完全試合……」

 

 ラジオを聞いていた俺は、立ち尽くす。

 早川がフォーム改造をし始めてから数日。

 俺達がコールド負けをした相手に、猪狩はパーフェクトゲームを達成した。

 一緒にやってたときから猪狩は凄かった。モノが違う。俺はあいつに引っ張られるように成長したんだ。

 ……でも、成長してたのは俺だけじゃない。

 そして自意識過剰かもしれないが、この完全試合――これは俺に対するメッセージな気がする。

 

 "パワプロ、この高みまで登って来い。――そこで、僕はお前を待っている"。

 

 そう伝えたいのか? 猪狩。

 ……わかんねーけど、そう受け取っておくぜ。猪狩。

 待ってろ、言われなくてもお前の高さまで皆と一緒に登ってやる。

 次にお前らを倒して甲子園に行くのは俺らだからな。

 さて、肩にまだ痛みはあるが腫れはひいたし、今日からボールに触って良いからな。本格的な実践練習も可能になるってもんだぜ。

 

「よーし!! んじゃフリーバッティングやるぞ。早川、さっき話したとおりに投手はお前だ」

「うん」

「部内対決でやんすね」

「最初打っていいか?」

「ちょっと友沢、あんた遠慮しなさいよね、フォーム改造中なのに慣れる前にいきなりあんたが打ってどーすんのよ。最初は私が行くわ!」

「だめでやんすよ! オイラが先でやんす!」

 

 そう、フリーバッティングの投手を務めるのはマシンじゃない。早川だ。 

 フォーム改造中の早川には実践が圧倒的に足りない。練習では大体前のフォームと同じ感覚で投げれるようになったっていってたけど、本番だとどうなるか分かんねーからな。

 それにしても、まだ練習中だけとは言え前と同じ制球を維持したまま新フォームを会得出来るってどんだけセンスあるんだよ。

 パッと見た感じ球威もキレも上がってるし、フォーム改造は今のところ大成功だぜ。

 

「んじゃまずは新垣か?」

「そうよ。あおい! 全力でやるわよ!」

「うん! ボクもだよ!」

 

 ライバル意識を燃やす早川と新垣。

 いい事だぜ。競争意識の無いチームは成長しづらいしな。

 こうやって相手を意識しあうのはいい事だぜ。

 防具を久々に付け、キャッチャーミットを左手に付ける。

 

「うーし、んじゃ投球練習いっとくか!」

「うんっ、パワプロくんに久々に受けて貰えるしね。……じゃ、行くよ」

 

 早川がフォームに入った。

 体で隠れていた腕が遅れて出てくる。

 足がついてギリギリまでリリースを我慢して――ストレートが放たれた。

 

 ッパァァンッ!!

 

 ミットを打つ音。

 そして同時にするミットが打たれる感触――ビリビリ来るぜ。やっぱこうでなくっちゃな。

 

「……な、なんか速くなってない? 球」

「かもな」

 

 そう視えるのも仕方がない。

 所謂"ノビのある球"って奴になってるわけだからな。球速以上の速さを感じても不思議じゃないぜ。

 とかいう俺も実際に早川のボールを受けたのは約一〇日ぶりだ。

 一球だけじゃ分かりかねるが――それでもこの一球はどれよりも"取りづらかった"。

 

「早川、五球ずつだ」

「うん」

 

 ピュッ、とストレートを投げてくる早川。

 腕を下から出すようにしたはずなのにやはりボールが速い。このフォームは早川にしっかりとマッチしているようだ。

 パァンッ! と音を立ててボールがミットに突き刺さる。それを友沢たちはどこか頼もしそうに見つめていた。

 ストレートの軌道は殆ど変わってないはずなのだが、キレが増したせいか出所が見えないせいかは分からないが全くの別物になっている。この球――俺、打てないぞ多分。

 

「次、カーブだ」

 

 この分だと他の球種も変化の仕方が変わってるかも知れないな。しっかり把握しとかないと俺が早川の足を引っ張っちまうぜ。

 早川がカーブを投げる。

 やはり微妙に角度が違うからかカーブも前のフォームとは違いがあるな。

 前回は横への変化が大きかったが、今はどちらかと縦方向への変化が強い。ドロップカーブまでは行かないものの、やはり前回とは違う軌道で落ちている。変化のし始めも前までとは違って遅いから、見極めが難しいだろう。これなら空振りを取れそうだ。

 

「次、シンカー」

 

 こくん、と頷いて早川が投げる。

 浮かび上がる軌道のシンカーは途中で逃げながら斜めに落ちた。

 軌道としては途中まで遅い"第三の球種"のような感じだが後半の変化はまるっきり違うな。このボールを狙って居ない限りこのボールを当てる事は難しい。

 打者視点として見れば浮かぶと思ったボールが落ちながら逃げるんだ。正面から立つ俺でもノーサインだったら捕球を迷うような変化をするんだからな。バッターボックスに立つ打者は打ちづらいだろう。

 それでも恐らく一定レベルの打者だったらカット出来るか。そこは他の球とのコンビネーションで俺が何とかしないとな」

 

「ラスト、高速シンカー」

 

 予想としてはシンカーに比べて浮かび上がりが大きく、その分沈みが浅い球になると見た。

 さあ、どんな球が来るかな。

 早川が腕を振るう。

 そこから放たれるボールに、俺は――

 

 ――驚愕した。

 

「っ!」

 

 びしっ、と思わず後ろに逸らす。

 なん、だ……? 今の球は……。

 

「わ、悪い。もう一球だ」

 

 後ろに逸らしたボールを拭いて早川に返しながら、俺はミットをぱしぱしと叩く。

 今の球。

 早川の腕から放たれたボールはほぼストレートと同じ軌道でホップした。

 そのホップの仕方は普通のシンカーとは違う。まさにストレートと同じように浮かび上がって――その後、シンカーと同じような変化で更に大きく変化したのだ。

 その高速シンカーを今度は捕球しながら考える。

 高速シンカー。多分、それが角度が下から放たれることで球速がストレートと同じな事と関係し、ストレートのようにホッピングするんだ。ただし回転はシンカーだから、そのせいで途中から急激に変化してあのような独特の軌道になる。

 

「これは……」

 

 予想以上だ。

 キレ、出所の見辛さ――どれをとっても天下一品といって差支えがないだろう。特にこの高速シンカーはこの先の早川の生命線になりうるほどのボールだぞ。

 

「……うし、じゃ、始めるか。矢部くん」

「ふふん、ま、一番バッターはオイラでやんすからね」

「ああ、三打席勝負だ。頼むぞ」

「了解でやんす」

 

 さて、矢部くんか。

 外角の球を左方向に打ち返すのが上手い矢部くんを抑えるには内角を上手く使うことが先決だ。まずは内角低めにストレート。

 早川がぐん、と新しいフォームで投球を開始する。

 体の位置は同じ。

 ただし腕の位置が体の下から。

 いきなり飛び出してくるように視えるそのフォームに矢部くんは一瞬ピクリとバットを動かすが、タイミングがあわなかったようで振ってこなかった。

 コントロールも良い。俺の構えたところにドンピシャだ。

 

「これは……凄いでやんすね」

「まだ一球目だよ。次」

 

 次はカーブ。外から逃げるように落とす。

 ピュッと投げ込まれるカーブに矢部くんはバットを出すがタイミングが合わなかった上に落差が大きかったせいで当たらない。

 これで2-0。追い込んだ。

 

「む、ぐ。これは厄介でやんす」

「ああ、だろ?」

 

 一球外に構えてストレートを外す。

 外した球にすら矢部くんはバットを僅かに動かした。球持ちが良いせいで見極めが難しいんだろうな。俺がバッターでも恐らく同じような反応をしちまっただろう。

 さて、四球目――これが決め球だ。

 高速シンカー。これを矢部くんに見といてもらいたい。

 矢部くんは選球眼もなかなかにいいからな。その矢部くんの感想を聞いておきたいぜ。

 早川がそのフォームで投げる。

 矢部くんは恐らく"第三の球種"だと思っていただろう。内角高めに狙いを定めてバットを振るい――空ぶった。

 

「なっ……ど、どういうことでやんすか!!?」

 

 矢部くんが俺の捕球した位置を見ながら大声を出す。

 伸びてきた筈のボールが目の前から消えるように落ちたのだ。そりゃ驚くに決まってるよな。

 

「一打席目は三振だぜ」

「……まるで水面からはねたイルカのようでやんすね」

「ん?」

「水面からこちらに向かってはねたと思ったら直ぐに水の中に潜り海の中へと消えていく――聖タチバナのみずきちゃんのクレッセントムーンと同じように他の変化球とは全く違う変化でやんす」

 

 なるほど、難しい例えだがたしかにそんな感じだ。

 打者の手前でホップしたと思ったらそのまま落ちて行く。ホップしてくると思い目線を上げたところでその目線から消えるボール。変化球だけでの上下の揺さぶりを可能とする変化球。

 

「さしずめ"マリンボール"でやんすね」

「マリン、ボール」

「そうでやんす」

 

 マリンボール、か。なんかしっくり来るな。早川のこの変化球に。

 早川も何かしっくり来たのか、ボールを受け取ってじっとそれを見つめている。

 流石矢部くん、ネーミングセンスもあるとは恐れいったぜ。

 

「じゃ、マリンボールで」

「うん、ありがと矢部くん、ボクだけの変化球に名前をつけてくれて!」

「てれるでやんす」

「ストラーイク」

「今はタイムでやんすよー!!」

「ほらほら1-0だ。次行くぞ?」

「お、おーぼーでやんすー!」

 

 マリンボール。

 早川の新しい決め球。

 俺達の進む道が間違ってないとでも言ってくれるかのように生み出されたその変化球。

 それはきっと俺達が強豪に勝つために必要なパーツだったんだろう。

 突き進むぜ早川。このマリンボールと新しいフォームを引っさげて秋季大会に!

 だが、その前にどれくらいまでこの投球が通用するのか確かめてみないとな。それにうってつけの奴がチームに居ることだしよ。

 矢部くんを三打席凡退に打ち取り、俺はちらりと横を見る。

 目があったのは友沢だ。

 分かってんだろ。次に俺達が要求することはよ。

 

「……すまない、新垣。パワプロからのご指名だ」

 

 ニヤリとほほを釣り上げて、友沢がバッターボックスへ向かう。

 ――こいつを抑えれるかどうかが本物かどうか確かめる為の指標になる。

 今まで大きく自分を助けてくれた四番を打ち取ることで早川も自信を持てるはずだ。

 

「頼むぞ友沢。真剣にな」

「分かっている。――チームを支えてきたバッテリー相手だ。楽しみながら本気でやらせてもらう」

 

 す、と構える友沢。

 やはり威圧感が凄い。

 帝王実業戦で福家に感じたのと通ずるものがあるぜ。この呑まれるような感覚といい打たれる鴨知れないと思わせる威圧感といい、やっぱりコイツ。名門校の四番を一年から張れるポテンシャルを持ってやがる。

 だが、こういう奴と気軽に対戦出来る環境ってのはなかなか望んでも持てない。それを幸運にも俺達は持ってたんだ。ならそれを最大限利用しないとな。

 

(初球、ストレートをアウトローに入れる。友沢の打撃の傾向は甘い球が来たら打つだ、甘い球じゃなきゃ見るはずだ。打席で早川の球を見るのも初めてだしな)

 

 しかし友沢の恐ろしい所はその選球眼の良さだ。

 いいところの球でもボールの球は完璧に見極める。だからバッテリーサイドはカウントを悪くしてしまい、苦し紛れに投げたカウントを取りに行くボールを痛打されるというパターンが多い。

 更に言えば厳しいコースでもヒットにする技術も持っている。コントロールが良く狙ったところに投げられる投手でも、何も考えずにボールを投げていれば友沢の餌食というわけだ。

 

(にしてもこの打者が味方とはな。頼もしい話だぜ)

 

 思いながら早川のボールを待つ。

 早川はロージンバッグを手につけた後、ヒュンッと腕をふるってボールを投げ込んで来る。

 パァンッ! と構えた場所へと吸い込まれるように投げられたボールを俺は捕球した。

 

「ストライク。1-0な」

「……たしかにこれは骨が折れそうだ」

 

 友沢が言って、再びバットを構える。

 チッ、骨が折れるとか行ってる割には全く動じてねぇな。

 色んな投手が打たれた理由が分かるぜ。集中力、判断力、選球眼にミートセンス、飛ばすセンスに技術力――全てが抜きん出てやがる。

 こんな打者を三打席、多ければ四、五打席と抑えなきゃならないってのは相手に取っては苦行そのものだな。こいつが同じチームでよかったぜ。

 さて、二球目だ。

 

(外角低めは使った。次は内角低めだ。マリンボール行くぞ)

 

 これは試合じゃない。温存しても意味はないしな。配球に手段は選ばずしっかり抑えるぞ。

 内角から変化するマリンボール。

 友沢はそれを待っていたばかりにスイングした。

 

 だが、当たらない。

 

 友沢のバットをすり抜けるようにしてボールは俺のミットに収まる。

 すげぇ、あの友沢にも有効なのかこのボール。

 友沢はちらりと俺のミットの位置を確認し直ぐに早川へと視線を戻した。

 感覚と実際の変化球のギャップを確認したんだろう。こうやって冷静に対応してアジャスト出来るのが天才たる所以かもしれないな。

 

(これで2-0。練習の延長線みたいなもんだが、この勝負は勝ちたい。なら一球外に外す)

 

 パシッ! と早川が大きく外す。

 しっかりとそれを受け止めてボールを早川に投げ返した。

 一緒に戦ってきた奴だ。俺の配球も大体分かっているだろう。相手校の四番……この場面だったら、前の俺ならば"第三の球種"を使ったかもしれない。

 だが、それだけじゃだめなんだ。ワンパターンのリードは選択肢を狭める。早川がせっかく新しい武器を手にしてくれたんだ。なら俺はそれを最大限に引き出せるようにしないとな。

 

(アウトローにストレート)

 

 それもギリギリ。インハイを意識している打者にとっては手を出しづらい聖域だ。

 しかも出所が見づらく球持ちが良いとくれば、次に来る甘い球を期待して見逃すという選択をしてもおかしくないコースだ。

 そこにもしも百発百中で投げることが出来たのなら――それは大きな武器になる。

 そして早川はその大きな武器を持っているんだ。

 だったらそれを俺がうまく引き出してやらないとな。

 早川が腕を振るう。

 友沢がそれを見て僅かにバットを動かすがスイングはしなかった。

 ビシッ、とボールを受け止めた格好のまま、俺は確信する。

 "早川は甲子園に行ける投手"だと。

 

「一打席目、見逃し三振だな」

「! ……入っていたか」

「ああ、ギリギリな。さあ二打席目だ。早川! お前のボールは友沢にも通用する! 三タコで終わらせてやろうぜ!」

「……それは聞き捨てならないな」

 

 再び友沢が構え直す。

 さあ二打席目。

 試合なら色々な状況で思考は変わるだろうが、連続で打席に立つこの練習方式ならば友沢は恐らく次は見逃し三振だけはしないと思っているはずだ。

 ならば追い込まれる前に勝負を掛けてくる。だったら初球から厳しい所をついて行こう。

 ただ友沢レベルの打者になれば、厳しいコースでもヒットコースに飛ばすくらいならば出来るだろう。

 それを鑑みてリードするとするならば――

 

(――"第三の球種(インハイのストレート)"からだ)

 

 決め球に使うことが多かった"第三の球種(インハイのストレート)"。

 だが、マリンボールや他の球も決め球になるとなれば話は別だ。

 これからはいかに決め球で決めるか、ではなくいかに追い込むかに重点を置けばいいんだからな。それならある程度楽だ。

 追い込むまでならばファールを打たせても良いし積極的に来る打者ならボール球でもポンポン振ってくれる。それで追い込んだ後見せてない球種や緩急、上下左右の揺さぶりで打ち取ることが出来る。つまり選択肢が激増するわけだ。

 早川が頷いてインハイへのストレートを投げてくる。

 そして、その選択肢の中でも強烈に輝くウィニングショットであるマリンボールと"第三の球種"。

 女性だからエースにふさわしくないとは誰にも言わせない。早川は絶対的なエースの力量を持っているのだから。

 

 ッパァンッ! とインハイの球を受け止める。

 

 友沢も負けじとバットを出してきたが当たらなかった。

 フォーム改造前までのストレートならば或いはヒットに出来たかも知れない。

 

 だが出所が見づらくなった上に球持ちまでも良くなりキレが増した早川の浮き上がるストレート。それを初見で捕らえる事は流石の友沢でも不可能だったようだな。

 

「当たらないものだな」

「余裕だな?」

「そうでもないさ」

 

 友沢が軽口を言って再び構えを取る。

 これで1-0か。ストライク先攻になってるが、さてどうするか。

 マリンボールを使っても良いが此処はカーブを使ってみよう。緩急がつけれるしな。

 ビュッ、と早川が投げる。

 投げられたボールはカーブ。アウトローへの緩い球。

 友沢はそれを逆らわずサード方向へ流し打つ。

 が、タイミングが合わない。

 キンッ、と乾いた音を響かせて、ボールはふわりと浮かび上がってサードベース後方へとポテンと落ちた。

 

「サードフライってとこか」

「異論はない。……最終打席か」

 

 ふぅ、とため息をついて、友沢が構えを再びとる。

 打席の度に集中力が増して入っている感じがするな。アジャストもだんだん出来てきてるし、こうして実際に戦ってみると厄介この上ないぜ。

 

(ま、もう小手先は無用か。……外角低めストレート)

 

 アウトローにミットを構える。

 いかに友沢といえど、このコースには手を出しきれないはずだ。

 投げられたボールに対して友沢は僅かにバットを動かすが見逃した。

 

「ストライク」

「……そのコースにこの球威で狙って投げれるか」

 

 感心したような声を出す友沢。

 だよな。俺もびっくりだぜ。まさか早川がこんなにすげぇ投手に早変わりするなんてな。

 たしかに早川は球速やスケール感は山口や久遠には及ばない。だが早川には前二人にはない武器がある。

 "制球"と打ちづらさ――それこそが現代において投手に求められるモノ。

 別に一五〇キロを投げれなくたっていい。神がかり的な変化球だって投げれなくてもいい。

 早川には早川の武器があるんだからさ。

 

「1-0だぜ。友沢」

「ここから打つさ」

 

 さぁ二球目。

 選択したボールはマリンボール。

 ボールは高めに向かってホップすると思いきや、逃げるように落ちる。

 友沢はそれをフルスイングした。

 カァンッ! と鋭い音を残してボールはファーストの横を抜けてファールとなる。流石友沢だ。ここはマリンボールを読み打ちしたな。

 

「……頭で分かっていても外角の後内角の緩い球を投げられると振れすぎるな。タイミングに気を取られているとバットがボールに当たらない。……良いボールだ。早川のコントロールで投げれば特に、な」

「ああ、これで2-0だぜ?」

「分かってるさ。……コントロールがいいからボール先行にならず打者は打ち急ぐ。その打者の打ち気から躱すようなピッチング。……これがウチのエースか。……ふ。面白い」

 

 友沢が構え直す。

 目線は早川から外れない。饒舌だが友沢の集中力は切れていないのだ。

 一球外す。

 無意味な球と呼ばれることも多いランナーなしのウェストだが、打者の反応や考え方をリフレッシュさせるのに役に立つことも多い。

 特にピッチャーがコントロールのいい投手なら尚更だ。2-0より2-1の方が投手は投げやすい。なぜならば、2-0からならば打たれたら勿体無い、という意識が働くが2-1になれば慎重に攻めた結果打たれたのだから仕方ないと思えるのだ。

 更に追い込んだ球はマリンボール。決め球を使ってしまったし、ここは一球外に見せ球のストレートを投げさせるのも悪くない選択だ。

 

「うっしゃ、球来てるぞ! これなら打ち取れる!」

 

 早川にボールを返しながら考える。

 これで2-1だ。ここから先――どうしても抑えたい場面でどのような武器を使っていくのか、リードを通して早川と俺が決めなきゃいけない。

 

 変化球(マリンボール)で打ち取るのか。

 第三の球種(ストレート)で空振りを狙うのか。

 それとも他のものを選択するのか。

 

 俺達が選んだ球種は――、

 

 ――早川が頷く。

 きっとこれが俺達にとってベストな選択になるはずだ。

 

「第三の球種か、マリンボールか。どっちでも来い。打つ」

 

 早川がピッチングに入る。

 それに合わせて友沢がぐぐっとバットを引いた。

 リリースされたボール。

 それはインハイへの球ではない。

 

「何っ……!?」

 

 かと言ってマリンボールでもない。

 俺達が選んだボールはアウトローへのストレート。

 マリンボールで打ち損じを狙うのではなく、第三の球種で空振りを狙う訳でもない。

 この二つのボールも間違いなく早川の武器だろう。

 だが、早川の一番の武器はきっとこのコントロールだ。

 だからこそ――このアウトローのストレートを俺達は武器に使っていく。

 友沢がボールを見逃す。

 友沢にしては珍しい追い込まれてからの見逃しだ。インハイのボールと緩い球に意識を割いていたのだろう。このボールは完全に予想外だったといって間違いない。

 そしてその見逃したボールはストライクゾーンを通った。

 

「ストライク」

「や、やったっ! 友沢くんに勝った……!」

「……ッ、まあ、いい。エースだし華を持たせてやるさ」

 

 負け惜しみを言って友沢がすごすごと打席を後にする。

 そんな後ろ姿を見送って、俺はニヤリと頬を釣り上げた。

 早川、俺達はこの"制球力(コントロール)"で――甲子園を目指すぞ。

 

                 ☆

 

 

 練習を終えて。

 俺達は帰路に着く。夏で日が暮れるのが遅いとは言え、十九時過ぎまで練習してれば帰り道は暗い。

 そんな暗い夜道を一人で歩かせるのはどうか、という審議のもと早川の護衛に任命された俺は早川と共に帰路につく。ちなみに新垣は矢部くんといつも喧嘩しながら帰っているそうだ。仲良しだなぁ。

 制服姿の早川はちらちらとこちらの様子を見ながらも、何故か俺とは目を合わせてくれない。

 まあ気恥ずかしいよな。俺だって女の子と二人で一緒に家に帰る――なんて漫画のようなシチュエーション、早川と一緒に帰るようになるまでは味わった事なかったし、未だに慣れないし。

 

「……あの、さ。パワプロくん」

「ん?」

 

 そんな早川がおずおずと俺に話しかけてきた。

 どうしたんだろう。目も伏せがちなのだが、その瞳からは何かを伝えようとする確固たる意志を感じる気がする。

 

「すー、はー、すー、はー……あ、あのね。ありがとう」

「ありがとうって何が?」

「フォームのこと。友沢くんだけじゃなくて、七人全員を打ち取れて……中学校だったら完全試合だったね」

「ああ。そうだな。七回までなら完全試合か。……まぁ打つ方も初見だし、打順で回ってくるわけじゃないから抑えやすいだろうけど、フォアボール一個も出さなかったのは凄いよ。……何より、友沢から見逃し三振をとれたっていうのが、な」

 

 そう、あの後矢部くん友沢以外のチームメイトと対戦したのだ。

 皆驚いた顔してたっけ。打席で立つと見辛さが変わるというが、早川のフォームはそれを追求したようなフォームだ。このフォームでなら名門校のセレクションにだって受かるかもしれない。それくらいの好投手に早川は成長したんだ。

 

「…………パワプロくんのおかげだから」

「あ? そんなことねぇよ。早川が努力して、早川の才能が花開いて得たフォームだ。俺がやれっつってマネ出来るもんじゃないしさ」

「それでも、パワプロくんが居たから僕はあの投球が出来た。ううん。きっとキミが誘ってくれなかったら――僕は野球すらやってなかったと思う。……だから、ありがとう」

 

 それは。

 早川が必死に紡いだ御礼の言葉。

 その"ありがとう"という言葉は多分、バッテリーとして、そのパートナーに対して言われたものだろう。

 それを感じて俺は一瞬口ごもる。

 どうしたんだろう。俺は。

 キャッチャーズサークルではあんなに早川の気持ちを理解したいと思っているのに、今ここでは――早川の気持ちを理解したくない。

 普通にありがとうといっているだけなのに、俺はそれ以上の感情が込められていることを"期待している"。

 ……あれ? 期待してるって、何に?

 

「パワプロくん?」

「あ、ああ、いや、どういたしまして」

「変なパワプロくんだ。……行こ?」

「ああ」

 

 早川と連れ立って、俺は歩く。

 良く分からない自分の心の変化を不思議に思いながら、俺は早川を送った。

 

「おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 早川と別れた後、俺は一人家へと向かう。

 その途中にある河原。

 そこは昔俺が素振りに励んだ場所でもある。猪狩に猪狩スポーツジムを紹介されるまではずっとここで素振りをしてたのだ。

 

「……ん?」

 

 ビュッ、という風切り音が聞こえた。ただの風じゃない。無風なのにそんな音が聞こえたのだ。

 音の出所を探すと、河原で一人バットを振る男。

 あれはパワフル高校のユニフォームか。尾崎じゃない。尾崎はあんな明るい色の髪の毛じゃなかったしな。

 フォームを見つめる。

 癖の無いフォーム。体にまきつくように振られるバット。そして驚くべきはそのスイングスピードだ。

 ここからあの素振りしている男までは恐らく十メートル程。そんなに離れているのにバットが風をきる音が聞こえるって、どういうことだよ。

 

「……誰だ?」

「や、ただの帰りだけど。……お前は?」

「……何でもいいだろう」

 

 俺の答えにそっけなく答えて、彼は再び素振りに熱中する。

 こいつ、只者じゃない。

 その素振りから見て取れるほどの実力――こいつは名門で主軸を打てる。

 俺がじっと見つめていると、こいつも気になったんだろう。ふぅとため息ついて俺を一瞥し。

 

「東條小次郎だ。……名は名乗った」

「……ああ、パワフル高校だな。俺は葉波風路」

「……スパイか」

「あ?」

「葉波風路……有名だぞ。世代ナンバーワン、猪狩守の女房役」

「う」

 

 やべぇ。最近知らない人が多かったから普通に名乗っちまった。

 これだけのスイングをしてるんだから普通に野球経験者って分かるだろ。アホか俺!

 

「まあいいさ。……俺は部活には入っていないからな」

「……入って、ない?」

「ああ、そうだ。俺は野球部には入っていない。だから俺を見ていても無駄だぞ?」

「へぇ、そうなのか。……なら丁度いいな」

「?」

 

 東條が不思議そうな顔をする。

 俺はに、と笑って。

 

「俺にバッティングを教えてくれないか。俺は代わりに他の事を手伝ってやるよ。ノックとかな」

 

 そう、提案した。

 東條は少し思案するように顎を持つ。

 これほどまでのバッティングが出来るやつが、他のことをおろそかにしているわけがない。なにか理由があって野球部には入らないが、練習は続けたいんだろう。

 だったらそれを利用する。卑怯だが、俺もこのバッティングをする男に打撃理論を学んでみたい。

 今までで分かったこと――それは、今の俺のバッティングでは高校野球には通用しないということだ。

 球威も変化球も中学校とは比べ物にならないほどのレベルの高さ。それは根本的な意識改善と打撃技術が必要だ。

 それを、目の前の男は持っている。

 この男からその技術を教えてもらえればきっと――俺はもっとチームに貢献出来るはずだ。

 

「……ふ。ギブアンドテイク、というわけか。いいだろう。ただしお前が俺の練習に付いてこれないようなら、容赦なく置いていくぞ」

「ああ、それでもいい。頼む」

「時間は今日と同じく八時から二時間。その間にお前に打撃を教える。ステップはどんどん進めていくからな。ついていけなくなっても同じことは言わないぞ」

「了解。うっし、んじゃ頼む」

「分かった。ではまずは――」

 

 この日から俺は東條に打撃指導をしてもらうことになった。

 東條が何故野球部に入らないのかは分からない。だが、それでも東條の打撃論や技術は友沢と同格のものを感じる東條から打撃を学べることは俺にとって大きなプラスになるはずだ。

 待ってろよ猪狩。直ぐにお前の待つ高みに俺も行くからな!


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