肉の焼ける香ばしい香りが嗅覚をくすぐる。鉄板の上に敷かれた分厚い肉はどれも食べごろで、まばゆく光る肉汁が自己主張している。そのうちの一つを箸でつかみ、たれにつけて口に放る。
「うん、まあまあ」
「そう?結構おいしいけど」
口いっぱいに頬張った肉を飲み込み、レアが首をかしげた。
「悪くはないよ。ただ、これで敷かれてるのが肉じゃなくて魚肉だったらなってどうしても思っちゃうから」
「ああ、納得」
うなづきながらもレアは手を止めず焼かれた肉を皿いっぱいに盛る。俺の魚好きはレアの中ではすでに常識のように当たり前の認識になっていた。そもそも出会った当初すら俺はシーフードカレーをバカ食いしていたのだから。一度腐りかけの魚を食べようとして止められたこともある。
俺が白米を片付けている間にも、肉の山はみるみる減っていく。
「……レア、よく食べるようになったね」
「食べないとやってられないから」
口を開くのも煩わしげにレアは肉を貪っている。修業を始める前は小食だった彼女だが、今では俺とほとんど遜色がないくらいの大食いになっていた。
食べることに夢中の彼女から視線を外し、部屋を見渡す。見た目はどこにでもある定食屋の一室だ。だが、店に入るときに合言葉を口にすることで、この部屋へと通される。ここは部屋自体がエレベターになっており、現在進行形で試験会場へ向けて降下しているのだ。この下に巨大な地下通路とあわせてどれだけ大がかりなのか。これが年一回のハンター試験のために作られたのだから、ハンターとはどれほど儲かる職業なのか。少なくとも倍率一万超というのは伊達ではないらしい。
やがて部屋の微細な振動が止まった。
「着いたみたいだ」
「ちょっと待って、最後の一切れをやっつけるから」
「……食い意地もほどほどにね」
「フェルに言われたくないわよ」
小気味よく言葉を返しながらも、あっという間にステーキ肉を平らげてしまった。席を立ち扉へと向かおうとするレアに待ったをかける。
「最終確認。原作組とは?」
「なるべく関わらない。ただし最低限の礼儀は忘れずに」
「目立つ行為は?」
「起こさない。ただし必要なら試験官にきちんとアピールする」
「念能力は?」
「使わない。ただし危険を感じた時だけ使う!」
ここに来るまでに何度も確認した注意事項。レアはしっかりと記憶しているようだ。
「よし、それじゃあ行こうか」
「おけ!」
やたらテンションの高いレアを引き連れ、扉を開く。彼女ほどではないが、俺もそれなりに気分が高揚していた。
入ってくるときに頭が豆のような人から渡されたナンバープレートをくるりと回す。327番。ここに来るまでに土産店やレストランで時間をつぶしていたため、それなりに遅い番号だ。レアは一つ数字が上の328番。彼女はプレートをリュックサックに閉まっていた。プレートをポケットにしまい、次いで周囲を見渡す。強面の男たちが、ピリピリとした空気を放っている。その中に、ちらほらと見た顔があった。
レアなら涎をたらさんばかりに喜ぶかもしれない。だが、彼女は今少し困ったことになっていた。
「ね、あなた出身は?」
「よ、ヨークシンよ……」
「へぇ、有名な場所ね。もしかして、実はマフィアのお嬢様だったりする?」
「いやいや……」
レアに絡んでいる、というより話し相手ができて嬉しそうな女性は、ふくらみを持った特徴的な帽子をかぶっていた。蜂使いポンズ。このハンター試験において、数少ない女性の受験者。どうも男ばかりの受験者たちの不躾な視線にイラついていたようだ。そこで女性、というより女の子なレアを見つけ、仲間ができたと思ったらしい。楽しそうにおしゃべりをするポンズに、レアはひきつった顔を浮かべつつ相槌を打っている。俺もまさか、向こうから話しかけてくるとは思わなかった。話しかけてくるとしたら、もっと別の……
「よっ」
軽く腕を上げて、身長が低く鼻のでかい男が話しかけてくる。そう、まず話しかけてくるとしたらこの男だと思っていた。
「君、新顔だね。あの娘もそうだろ」
人付きのする笑みを浮かべてレアのほうを指で示してくる。一見お人好しな彼。振る舞いも友好的で、何も知らなければあっという間に騙されてしまうだろう。
「ええ、まあ。」
「だろ?何せ俺はハンター試験の大ベテランだからな。去年まで試験を受けてたやつの顔は全部覚えてるんだ」
ふふんと、自慢げに男が胸を張る。
「それはすごいですね。ええと……」
「トンパだ。よろしくな」
「はい、トンパさん。俺はフェルです。あっちで話し込んでいるのはレア」
握手をしつつ、互いに自己紹介する。
「フェルに、レアね。まあ、これから気楽にやってこうぜ。っと、そうだ」
がさごそと荷物をあさり、3本の缶ジュースを取り出してきた。
「乾杯しようぜ。お互いの健闘を祈って」
差し出されるジュースを、しかし俺は受け取らなかった。
「すみません」
「どうした?アレルギーでもあるのなら他の飲み物もあるが」
「下剤入りのジュースなんて飲めません」
……さっきまで和やかだった空気に亀裂が入った音が聞こえた。
「は、ハハハ。まさか、下剤なんて入れるはずがないじゃないかフェル君」
トンパは分りやすいほどに顔をひきつらせている。対して俺はサングラスの奥から微笑んでトンパを見ていた。
「ええ、そうですよね。俺もまさか、新人を騙して下剤を飲ませるような人がいるとは思えません」
「だよな、あはははは!」
「でもそのジュースは飲みません」
「……」
しばらくの沈黙。
「そ、それじゃあ俺、他の新人にも挨拶してくるから……」
「ええ、試験ではお互いに頑張りましょう」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、トンパは小走りに去っていった。
「……フェル」
いつの間にか近くに来ていたレアが恐る恐る話しかけてきた。
「なあに?レア」
「その微笑みやめて! めちゃくちゃ怖いわよ!」
レアの後ろのほうではポンズまでもが冷や汗をかいていた。
失礼な。懇切丁寧に気持ちを込めたイイ笑顔だと言ってほしい。
しばらくするとゴン、クラピカ、レオリオがエレベーターから降りてきて、トンパが絡みに行くのが見て取れた。レアはまだポンズと談笑している。もう一端の友人のようだ。
「レア、そろそろ」
「え、もう?」
きょろきょろと辺りを見渡し、ゴンたちの姿を見つけるレア。
「あ、ほんとだ。そろそろか」
「レア、そろそろって何が?」
不思議な顔をするポンズ。
「――そろそろ、試験が始まりそうってことよ」
まるでその言葉を待っていたかのように、やかましく響くベルの音。パイプの上に、そのベルを鳴らした男が立っていた。
特徴的な口髭に執事のような服装。
「ただいまを持って受付時間を終了いたします……」
続く言葉に、ポンズは彼が試験官だと気が付いたようだ。
「あ、ほんとに始まりそう。なんで分ったの?」
「企業秘密!」
腰に手を当てて胸を張るレア。子供のようなその姿がおかしかったらしく、ポンズはクスリと笑った。
「ふふっそれじゃあ、頑張ってね、レア。そっちの怖~い彼氏さんも、ね」
そう言って、ポンズは髭の曲がった試験官のほうへと歩いて行った。
いよいよ、ハンター試験が始まる。期待と、幾つかの不安をはらんだ試験が。俺は気を引き締めて、口髭の試験官、サトツさんのほうへと歩いて行く。
……その前に、俺はレアに問いかけた。
「……ねえレア。ポンズに俺のことなんて言ったの?」
「何も言ってないんだけどなぁ……」