スキャパレリ・プロジェクトの目標は火星である。
木星トカゲの侵略により、人類の防衛圏は地球まで後退。
その中で、結果として見捨てられた火星を救いにいく。
火星がどうなっているかは、一年前から定かではない。
地球から出来る観測だと、表面上に人の生活は見られない。
けれどシェルターに避難している可能性を否定出来ない。
ま、シュレディンガー程度のあれなんだけどさ。
今までの木星トカゲたちの行動パターンからして。
人類の生存圏と命を狙ってることは間違いなく。
実際に生きているかどうかは、さてはてってことで。
よく考えなくても、これって人類滅亡の危機なんだよね。
地球こそビッグバリアで守られてはいるものの。
火星とその周辺コロニーの損失はどれだけ大きかったことか。
単純な死亡者と行方不明者だけでも相当数。
資源回収プラントが全部使えないってのも、爆発的。
人類の持ってる対抗手段が量しかないってのもアレ。
経済的には、とっくに破綻をしかけてるような感じ。
地球が無事だからなんとかなってるけど、それもいつまでか。
実際、結構色んな場所で終末論が流行るぐらい。
日々頭上で連合軍が命を賭けて木星トカゲと戦って。
それで負けても、大した感慨は得られない程度だけれど。
いつか破綻するってのは、充分みんな理解はしてる。
ただ、それが自分の命と結びつくか。
そこまで実感がある人は、多分極小なんじゃないかなって。
どうしても皮肉ってみてしまう俺だったりもするのである。
勿論、日々命を賭けてる連合軍はそんなわけではない。
彼らだって自身の命を無駄にしたいわけじゃない。
幾ら発達した脱出装置でも、エラーがゼロにはならないし。
会ったこともない誰かの、戦う理由なんて判らない。
誰かを守りたいっていう使命や、或いはお金のためなのかも。
個人個人で色々な理由があるのは当然である。
しかし組織としては、“防衛する”という機能的使命があり。
現状の攻め込まれている状況は、彼らの面子がボロボロなわけで。
解決するのに、持ってる命ってリソースを投げ捨ててるのだ。
そんな中で現れた、空気読まない実験艦ナデシコ。
まともに対抗できて、勝利という戦果を上げてしまった。
使命から、そして立場的にも、見逃すことなんて出来ない。
というわけで、今、ナデシコは連合軍に接収されそうである。
艦長のご父君、ミスマル提督まで出張っての直接交渉。
艦内も連合軍の人たちに制圧されて、脅し以外の何者でもない。
艦長も作動キー抜いちゃったし、どうなることやら。
「――起動シーケンス請求、は許可ー。
要求パスの照会、は回答プログラムを返答ー」
ただし、回答プログラムの起動パスは個人情報。
個人情報であるならば、ここは不許可でお渡し出来ない。
いやあ残念なことである、ぼくにはきょうりょくできない!
例えブリッジクルーは全員知ってても個人情報だ。
これはネルガルさんの所有情報ではないから、渡せない。
何せ、相手が個人情報を閲覧するのは違法であるからね。
「おっと兵器群の情報請求もきましたかー。
カタログスペック閲覧どうぞー」
「……ねえ」
「実際の整備データはアウトー。
クルーの個人情報も含まれておりますー」
名前とかシートの位置とか、その程度だけど。
あ、IFSパターンと脳波パターンもあるから超アウトだね。
これは連合軍の皆さんにはお見せできない。
飛んでくる閲覧請求を、許可非許可に別けていく。
大体許可しつつ、個人情報が絡むのは適当に弾いていく。
……おや、大抵相手が知りたそうなものは非許可である。
は?個人情報のみマスクしてお出しする?
そんな権限は、俺には与えられておりませんが故に。
俺のお仕事は請求に対しての返答のみを求められております。
「ナデシコの戦闘データの請求はー。
通信記録全アウトー、命令内容も抜きでならー」
「……ねえちょっと」
「備品搬入記録も、購入記録も不許可ー。
監視カメラの映像を許可出すわけないじゃないですかー」
基本的に特別な事情がない限りは、俺すら見ないのにね。
彼らのアカウントでは、残念ながら見れないのである。
情報管理の担当者としては、個人情報は十分注意しております。
事務的に、本当に事務的に個人情報のみお出ししません。
ただ、個人情報をマスクしてお出しする権限も俺にはありません。
含まれている情報を全てお出しできないだけであります。
「次は」
「ちょっとタキガワさん」
「なんですか副長」
「僕がここにいる意味なくないか」
そんな感じで、大体大雑把に仕事をしてた俺。
――と、隣に座っている副長、アオイ・ジュンさんである。
向けられた瞳はうんざりとしている気がした。気のせいだ。
ここは、クルーが集められたナデシコ食堂の片隅。
他の人たちからかなり離れたカウンター席の隅っこだ。
みんなは思い思いの長テーブルとかに集まっている。
「意味ありますよ。
軍の人が使ってるアカは副長のですし」
「申請弾きまくってるじゃないか」
「弾かれる申請する方が悪いです」
「ユーザビリティが欠片もないな……」
俺とアオイ副長がここで何をしているかっていうと。
連合軍さんからの情報照会にお答えしているわけである。
……あんまりお答えしていない気もするけれど。
連合軍の皆さんは、ナデシコを接収しにいらしたが。
それは単純に“モノ”だけではなく、当然情報もご入用。
戦闘データから設計など何から何まで、回収しに来たのである。
ただし、ここで何が問題になるか。
それはナデシコが民間の戦艦で、民間人ばっかということ。
連合軍は“ネルガル重工”のナデシコを接収しにきたのだ。
当然、彼らが持っている権利では個人情報を請求できない。
もしも勝手に持っていったら大問題になってしまう。
それが公権力の強さであって、公権力の弱さなのであったり。
それはともかく。
接収時に、情報請求への対応をプロスさんに任された俺。
その立会人となっているのが、副長のアオイさんなのである。
副艦長のアクセス権限を渡し、後はその権限内で申請。
その申請に対して、提供の可否を判断してお出しするお仕事。
それが接収成立前の、正当な情報請求への回答事情である。
それに何故副艦長が関わっているか、と申しますと。
第三者立会人として、相当の配慮を持ってる人というわけで。
ぶっちゃけ他に該当しそうな人が忙しかっただけである。
――っていうか、この人。
艦長とプロスさんが艦を離れた時に普通についていこうとしたし。
上位権限者の上から三人が抜けていってどうするというのか。
良くは知らないが、艦長不在時の代理とかが職務じゃねとか。
情報請求や艦内統制のために残ってくださいと言ったら残った。
……俺、情報管理だけど、流石に責任なんて持てないしね!
「――それにしても。
随分と、軍に非協力的なんだね」
「そうですかね。
俺としては中立の積もりなんですけど」
いや、ネルガルに雇われてる時点で中立ではないが。
それでも、これがお互いにとって最適の行動だと思ってる。
ま。俺が判る範囲だけでも、色々ときな臭いっぽいしね。
しかし、副長さんは納得していないらしい。
それもそうだ。どう見たって敵対的な行動だし。
でもこれはこれで、後に引かせないためなんだけど。
「まだ、接収は成り立ってないですし。
どう転ぶか、判んないですからねぇ」
「……君も、火星に行くべきだと思ってるのかい?」
「どうでしょう。
ネルガルの人間なんで、なんとも」
一応、ネルガルの組織内に所属しているからね。
個人の思惑は、あんまり意味がないというか。
俺自身の行動としては、ネルガルに味方せざるを得ない。
かと言って、ネルガルに味方し続ける理由もあまりない。
他に俺を引き取る所があるならば、別にそこに合わせるだけで。
……そして、この状況は俺を絶対に必要としているわけで。
「どうなっても、俺はナデシコを降りませんし」
「え?」
「なんだかんだで。
ナデシコを動かすのに俺も必要ですからね」
「……ああ、そうだね」
結局は、IFSオペレータというだけで希少なのである。
ナデシコがホシノ・ルリとオモイカネを前提としているのも。
普通の人間が何人揃っていても、前に進ませることも出来ない。
オモイカネ無しで動かせるように再構築しようとしたら。
多分、俺だったとしても3ヶ月は頂きたいと素で思う。
それだけの時間を掛けてる余裕は、きっと誰にもない。
それと同じで、ナデシコのデータベースもね、アレだから。
センスと技術で構築されたメインシステムと違ってね。
俺は体力と時間とテンションとその日の天気で作ったからね。
……要は、すぐさま入れ替えできるパーツではないのだ。
データベースのシステムも、動かせる人型インターフェースも。
それなのに、軍もきっとすぐさま継続して使いたがるだろう。
それだけの戦艦であり、それだけの戦力なのだ。ナデシコは。
副長として戦力把握している分、アオイさんも判っているだろう。
だからこそ、色んな思惑が働いちゃったりするんだけど……。
「ま――でも。
多分、火星に行くことになるんじゃないかな」
「……え?」
「怪しすぎますもん、この艦。
強すぎるし、裏がないわけがない」
何さ、実験艦ナデシコって。
人類の窮地に、いきなり現れた敵と対等に戦える戦力。
そんなものが、ぽんと作れるなんて有り得ない。
そんな技術があったのならば、ここまで追い込まれていない。
ならば僅かな時間の間に、実用化したとでも言うのか。
言うだけならタダだけど、幾らなんでも現実的ではない。
それなのに、機動戦艦ナデシコは華々しい初戦の戦果をあげた。
木星トカゲを圧倒し、そして一切の被害なく勝利を遂げた。
思い返したのか、副長は目を細めてから、また俺を見た。
「……確かにね。
主砲も、バリアも、どう見たって敵の技術だ」
「そうそう」
「こんな技術があったなんて、聞いたことないし。
……裏があると考えない方がおかしいね」
そう。何がおかしいって、技術の系統が一切不明な所だ。
今までの流れとは無縁だけど、敵の模倣で出来るものでもない。
だって、それだとしたら研究期間一年未満だよ、実際。
ナデシコの着工を考えたら、開戦時に計画があっても普通。
その時には、実物に作られるぐらいの技術がなければおかしい。
……一部の天才が、一晩でやってくれでもしない限り無理。
「最先端を詰め込んだ実験艦。
それを、デモじゃなくて最前線にブチ込むもん」
「……この情勢で、ね。
ネルガルは何を握ってるのかな」
「流石にそこまでは俺も知らないけど」
ただ単に、ネルガル重工が覇権を握りたいのなら。
ナデシコは、地球圏をぐるぐる回っていればそれでいい。
後続艦は続々と採用されて、ネルガル一強になることだろう。
人類の危機なのだ。対抗できる戦艦があれば採用される。
それなのに、ネルガルはナデシコを火星にまで行かせようとする。
これが合理的な思考の下に行われたとすれば、大体二択。
侵略に対抗する手段なり物資が火星に存在しているか。
或いは、木星トカゲの侵略では人類が滅ばないと考えているか。
どちらにしろ、普通じゃ知らない何かを知っているということ。
ならば、軍との交渉手段を用意していないわけがない。
有利なのは接収する連合軍ではなく、持ってるネルガルなのだ。
情報なり、技術なり。或いは建造されるだろう戦艦で話はつく。
っていうか、駄目元でお駄賃せびりにきたとかさ。
或いは以前からの対価を受け取りにきたのかもしれない。
どう足掻いても、まともに考えたら火星に行くことになるよね。
――ま、ナデシコは色んな意味で空気読めてないのである。
技術的にも情勢的にも、どう考えてもイレギュラー。
だけど、詰まりそれが適切と考えた誰かもいるって言うことで。
謎技術と資源ぶちこんでまで火星にいく理由がネルガルにはあり。
それが一体なんなのかまでは、推測の仕様もないけれど。
決して利益という言葉とは無縁というわけではないだろう。
火星にある何かは、地球圏のヒーローになれた可能性を失い。
連合軍と表面上険悪になる、悪役になるマイナスを足したよりも。
ネルガルにとっては利益のあるものでなければ、おかしい。
そんなのはともかくとしても、ネルガルの余裕と行動を見ていると。
まるで、人類が絶滅することがないって判ってるみたいでさ。
案外、黒幕は近くにあるのかも……なぁんて邪推をしてみたり。
――ただの暇つぶしの陰謀論なんだけどね!
「ま、そこらへんの大人の事情はさ」
「事情は?」
「……ボクこどもだからよくわかんない!」
――――ってことよ!
組織行動読めるほど賢くないし、情勢も把握なんかしてないし。
知ったかぶりの机上の空論。賢いフリした中学生だよこれ。
流石にちょっと驚いたのか。
急にテンションを上げた俺に、副長はなんだか一瞬固まって。
そのあと、再起動した彼は割と素っぽい感じの声で聞いてきた。
「……いや君、僕より年上だろう」
「は?
一向に永遠の17歳ですが?」
俺17歳から歳を重ねた記憶なんて一切ないし。
時間を重ねても、精神的に成長してないから17歳のままだし。
5歳までは誤差の範囲だから22歳までは17歳だし。
「……冗談はおいといて」
「一向に本気ですが」
「僕はそれ、悪くない読みだと思うよ。
このままナデシコに乗るのも、悪くなさそうだ」
……スルーされたッ?!
こやつ、見た目から真面目一辺倒かと思いきや、案外やりおる。
ともかく、何だかよく判らんが心変わりしたようで。
――いや。まあ、これに関しては推測出来るけども。
ネルガルの思惑にも意味があると踏んだんだろうけれども。
見極めてやろうとでも思ってるかもしれないのだけども!
なんというか、こんな使命感に満ち溢れてるのは辛い。
何が辛いって何も考えずにのうのうと生きてる自分が辛い。
あんまり茶化せないと思って、思わず目を逸らした。
「――あ、なんか始まってる」
目を逸らした先では、なんだか人だかりが出来ていた。
ガチャガチャと、ウリバタケさんが何かを弄ってるようで。
何事かと見守っていると、古いアニメが始まった。
熱血って感じの映像は、俺の趣味とは離れていたけれど。
それを最前列で見る、若い2人の青年に。
副長を見るよりは心を癒されたのだった。馬鹿っぽくて。