機動戦艦ナデシコは、極少人数で運行可能である。
機能としての話に限定すれば、最悪一人でも動く。
人間がしなければいけないことは、最小限に収められている。
これは、少数先鋭を目指したことの副産物だ。
本来戦艦とは、十人単位のオペレーターで運航するものである。
情報伝達は口頭で行い、正確を期すために復唱を繰り返す。
正確さと迅速さは、相反こそしないが同じ方向には向いてない。
両立することは難しく、完璧などは絶対に有り得ない。
複数人による情報伝達は齟齬と能力差によるエラーから逃れ得ない。
それでも実験艦ナデシコは、最善を目指していたのである。
情報伝達の齟齬。各クルーの能力差によるボトルネック。
ナデシコのカタログスペック発揮の為に、排除する必要があった。
戦艦内の情報伝達を最小限にするために、人員を削減。
オペレーターの命令復唱を極少化、艦内の意思決定は最速に。
最高の人員だけで、最小限かつ最高精度の情報伝達を目指した。
普通なら、当然有り得ない。
オペレーターが複数いたのは、絶対的に必要だったからである。
能力のぶれも命令時間も、作業量という現実には勝てない。
その現実を越えたのはAIオモイカネと、ホシノ・ルリだ。
人工知能オモイカネに、艦内の制御の大部分を任せ。
オモイカネとIFSにより直接接続したホシノ・ルリの高速制御。
最高のオペレーターによる、単独制御が実現されたのだ。
勿論、人工知能による制御が今までなかったわけではない。
通常の戦艦でも、10人単位まで減らせたのは技術の恩恵である。
それでも完全に単独制御が出来ないのは簡単な理由だった。
AIは結局人間が作るもので、人間が制御するものである。
多数に渡る必要な制御を、全て自動化できるプログラマーの存在。
そして複雑なAIに統合的な指示を出来るオペレーターの存在。
ま、結局はいつも通り機械より人間の方が限界が早かったわけで。
人間としての器を持った、機械として作られたIFSオペレーター。
その最初期の最高傑作にして、完成品であるホシノ・ルリ。
同時期に一緒に作られ、共に育てられた人工知能オモイカネ。
ホシノ・ルリとオモイカネならば、他にオペレーターは必要ない。
幾重に渡る復唱などせずとも、たった一度だけの受け答え。
それだけで、世界でトップの速度と精度のオペレートが為されるのだ。
実験艦ナデシコの目指す少数先鋭化。
その内、機械技術でフォローされる範囲の最適解。
それがホシノ・ルリという存在であった。
……それで済めば、なんで俺はいるのかって話なんだけどね。
視界の端に、小さな影が動くのが見えた気がした。
長い間座っていて、動くのが億劫なので首だけ動かして見る。
恐らく全クルー中一番小さい少女が、立ち上がった所だった。
「ホシノさん、休憩ですか?」
「……上がり。
調整、終わったから」
「お疲れ様です。
……ちゃんと休んでくださいね」
声を掛けた俺に、抑揚のない返事が返ってくる。
その声は、感情がないように見えて、案外篭っているものだ。
……少なくとも、今現在は疲れというものが明確に。
元々白い顔色が、ほんのり青白い。
微かにつくため息も、空気が抜けるようなもの。
細身の身体が、くたりと萎れそうな感じすらする。
意識してそうしたのか、判らない程度の頷きを返して。
ホシノさんは姿勢よく、ゆっくりと静かにブリッジを出た。
それを最後まで見送ったとき、別の場所からため息が聞こえた。
「――超クールですね、ルリちゃん。
小さいのに、プロって感じ」
「そうよねぇ。
顔色悪いのが心配だけど」
その出元は、ブリッジを縦半分に切った向かい側。
俺と同じブリッジクルーの並ぶ席、俺とは反対側の通信士席。
そこに座る、10代後半の少女と俺と年の近い女の人だ。
通信士、メグミ・レイナード、17歳。元アニメ声優。
操舵士、ハルカ・ミナト。23歳。元証券会社社長秘書。
勿論ナデシコの誇る、一流のエキスパートたちである。
数日前に、同時にナデシコに乗艦してきたこの二人。
それぞれセンサー類と通信システムの基礎設定をするメグミさんと。
シミュレータってるミナトさんが現在ブリッジで仕事中だった。
きゃぴきゃぴとしたメグミさんと、大人びたミナトさん。
女子率の高い空間で、居心地が悪いようなそうでもないような。
取り敢えず、普通の会話ぐらいだったらこなせる俺である。
「――ま、多分大丈夫だと思いますよ。
オペレーターIFSの副作用みたいなもんですから」
「そう……。
ならいいんだけどねぇ」
正直、心配は心配だけれども。
心配しすぎるのは、多分きっとやめといた方がいい。
俺も経験があるけれど、非制限IFSは体力を使うものだから。
この体力ってのは、比喩のようでいて比喩でない。
もっと具体的な言葉で表現すれば、所謂カロリーってやつで。
非制限IFSに限り、起動してしまうと物凄いバカ食いするのである。
元々まだ11歳の幼い身体に、遺伝子調整の影響で生育が遅く。
そこにトップランクのIFS処理速度なのだから、燃費もお察し。
最高で一時間2000キロカロリーとか言われても俺は驚かない。
俺がほぼ常時アクセス出来るのも、基礎体力があるからだし。
それにしたって、結局7000キロカロリーとか取らないと足りないし。
なので、多分ホシノさんは今バカ食いの真っ最中だろうと予測される。
――女の子がさ、そんなの人に見られたくないよね。
なんて、俺は半上司に気を使ったり使わなかったりする。
そこらへんのフォローも含めて“セカンドオペレーター”だったり。
正しく俺はホシノさんのサポート役だったりするのだなぁ。
「……ねえトオルさん。
なんでルリちゃんをホシノさんって呼んでるの?」
「いや、まあ。
実質上位職権者みたいなものではありますし」
などと思っていると、メグミさんが俺を見ていた。
この二人、初対面からルリちゃんと呼び始めた強者である。
ホシノさんは微妙そうだったが、結局定着してしまった。
そんな中で俺がホシノさんと呼ぶのは、なんというか。
ちゃん付けって子ども扱いみたいかなーと思ったからというか。
俺の微妙な立ち位置を反映していると申しますか。
――俺の契約時点での所属は、命令系統外のナデシコ運営班。
ハッキリ言うのなら、俺はナデシコクルーとして雇われてない。
俺はスキャパレリ・プロジェクトの運営員として雇われているのだ。
ネルガル重工が計画しているスキャパレリ・プロジェクトがあり。
その統括をしているのが、当然ネルガルのプロスペクターさんである。
ナデシコはあくまで、プロジェクト内にある一組織という立場。
まだ乗艦してないけれど、ホーリーさんがプロスさんの補佐。
プロジェクトの機密管理と、機動班を担当。
そこにアドバイザーとしてフクベ提督始め軍人さんがつく。
俺も、“ナデシコ運営班”と呼ばれるその一員だったりするわけで。
そしてその全員が、ナデシコに乗艦するので系統下に入るのだ。
その結果、俺の派遣先となってるのがセカンドオペレーターなのである。
俺にとって明確に上司なのはプロスペクターさん。
それに、ナデシコでの勤務時に限り、ナデシコ艦長と副長。
後はオペレーター内の上下で、ホシノさんも該当する感じだろうか。
とはいえ俺の通常業務、電算処理は運営班の仕事。
ホシノさんが俺の上司になるのは、ナデシコ戦闘時だけである。
かといって普段から上司でないかと言われると、微妙すぎて。
どっちかに合わせるなら、常識的に丁寧な方になるわけですね。
それを纏めて一言で答えると、実質上位職権者という言葉。
しかし、それを聞いたメグミさんはそうなんだ、と微妙な顔。
なんというか、大体にして、熱を失ったと判る感じ。
あ、判る。判るよ俺。この反応よく知ってるよ俺。
俺何度もこの反応経験してきたからね、何を思ってるか判るよ。
興味を失ってはないけれど、恐らく何かの対象からは外れたんだね。
まあ判るよ。10歳歳下の女の子が上司の男が見えるかぐらい。
それでも、正直実力差も激しいし、バイト気分の俺より真面目である。
さん付けも敬語も、俺にとっては当然の話だと認識している。
ホシノさんも俺をどう扱えばいいのか判らないんだろうな、と。
経験が希薄な上で、距離感が掴めないのでは、なんとも仕様がない。
突き放した言い方もそうだろう。ゆっくり慣れてもらえばいいと思う。
なんか、これを保護欲というのかしら、などとじんわり思ったり。
「――う~ん。
気持ちと立場は判るけど、ホシノさん、はないわねぇ」
「……じゃあ、なんて呼べば?」
「ルリちゃんでいいじゃないですか」
「馴れ馴れしくないですか……」
そんな俺に、ミナトさんは微妙に不服のようである。
いやしかし苗字にさん付けが普遍的な感じがする敬語だし。
……ホシノトップオペレーターとか役職は、単純に言いにくいな。
11歳の女の子が、21歳の男に馴れ馴れしくされるのは嫌だろう。
普通、あの頃の女の子なら子ども扱いされるのは嫌がるだろうしさぁ。
あれだけ賢い子……賢いじゃ済まない子なら尚更だと思う。
「いいじゃない、馴れ馴れしくても。
こっちから壁を壊してあげなきゃダメよぉ」
「そんなもんですかねぇ」
しかし、残念ながらミナトさんは俺と意見が違うらしい。
ん~……あくまでそれは同性だからって感じがしなくもないが。
もうちょっと俺としては、丁寧に接したいというか。
そも妹も彼女もいない俺には単純に荷が重いっつーか。
どうやって心を開かせたものかねと思ってる内に。
ミナトさんは一つの結論にたどり着いた様子であった。
「ルリちゃんにはぁ……
何かかわいい呼び方が必要なんじゃないかしら」
名案だ、と言わんばかりに瞳を輝かせるミナトさん。
その場で色々とあだ名を考慮し始める彼女を横目に見ながら。
そういう問題かなぁ、と常識人の俺は思ってしまうのであった。