ネルガルの新型戦艦ナデシコは、実験艦だ。
真空の相転移によりエネルギーを得る相転移エンジン。
斥力を展開し、艦を防衛するディストーションフィールド。
重力を収束発生させる主砲、グラビティブラスト。
最新鋭の、系図すら知れない技術が大量に使われ。
膨大なコストが掛けられた、どうあがいてもワンオフの戦艦。
なるほど、そのスペックだけでも実験艦でしか有り得ない。
けれど、実験艦ナデシコの本質はそこにはない。
ナデシコはスキャパレリプロジェクトの為に作られている。
全ての機能は、プロジェクト完遂の為のものである。
ナデシコのコンセプトは、“最新鋭の戦艦”ではないのだ。
では、どこにあるかと言えば。
プロジェクトの中での役割は、とある場所に行き戻ってくること。
その機能さえ果たせるならば戦艦でなくとも構わない。
ただそれが、宇宙空間を越える必要があり。
木星蜥蜴たちとの戦闘を無事に切り抜ける必要があり。
そのどちらも単艦でこなさなければならないというだけだ。
画して、ナデシコは最新鋭の戦艦として作られた。
それも単独で戦闘をこなし、単独で長期航海できる戦艦に。
そして“そのように”運営されるべく作られたのである。
木星蜥蜴の圧倒的な数の暴力。
たった一艦で立ち向かわなければいけないナデシコ。
数の利という現実は、明らかに敵に味方していた。
量に立ち向かうのは、同じ量か、あるいは質でしかない。
最新鋭の技術は詰め込んだ。後は、それを活かしきるかどうか。
スペックが発揮しきらなければ、プロジェクトの成功は有り得ない。
故に。
ナデシコを運用するのは、最高の人材でなくてはいけない。
少人数で情報伝達を早め、単艦のメリットを活かさなくては。
実験艦ナデシコは、誰でも運用できるようには作られていない。
普通の兵器のように、一定の基準を満たす者なら使えるわけではない。
選ばれたたった一人を掛け合わせ、理論値を目指しているのだ。
ネルガルの新型機動戦艦ナデシコは、実験艦である。
そのコンセプトは、最高の人材で最適化された最強の戦艦。
それは兵器というよりは、ただの科学者のロマンの塊だった。
今後、ナデシコの技術を継ぐ艦は幾らでも出るだろう。
ナデシコの戦闘データも、多くの人に分析され利用されるだろう。
けれど、ナデシコのコンセプトが引き継がれることはない。
だからナデシコは実験艦でしか有り得ない。
まともな理念で設計されていないから、系図には入らない。
――――けれど、俺はそれを少しだけ寂しく思った。
ナデシコに乗艦し、俺はシステムの構築を始めた。
実際の、各設備各機能はインストール済み。
けれどそれを統合的に運用できるようにするのは俺である。
最初の頃は、俺も真面目にブリッジで仕事をしていたが。
まだ誰もいないブリッジで、一人だと寂しすぎた。
外に羽ばたき出すまでに、時間はさほど掛からなかった。
何が問題って、ブリッジでなくても仕事出来るのが悪い。
速度に限界こそあれど、コミュニケとグリップコンソールは便利だ。
なんと工場の外で遊びながらでも、アクセス出来るのだ。
実質思考の二割から三割程度。
それぐらいのリソースを回せば、まあ何とかなる。
外部からのアクセスで、回線自体が細いから限界でもあった。
っていうか、幾らなんでも防壁硬すぎである。
正規アクセスでも、ここまで入力絞られるとか馬鹿である。
メガネとIFSがなければ死んでいた所だ。俺コンタクト派だけど。
そんなこんなで遊び歩く日が続いてきた今日この頃。
佐世保グルメツアー2196☆8日目。
流石にバーガー10個目はきついと思いながら食す俺。
一人だと、遊ぶにしても食い倒れツアーしかない。
買い物ばっかりするにも、そこまで時間潰せないし。
無趣味に近いと、こういうときって本当に困るものだ。
そう思いながら、半ば自棄に暴飲暴食をしているが。
幸い俺は非制限IFS持ちである。頭悪いレベルで燃費がやばい。
常時起動しているのもあり、この程度なら体重も現状維持だ。
……それを知らない店員さんは俺をすごい目で見るけどね?
そんなこんなでバーガーに飽きてきた俺の頭の中で警報がなる。
これは勘とかそういうものではなく、リアルに鳴り響く。
コミュニケに繋いだコンソールを通して擬似電脳が叫んでいる。
ナデシコのデータベースに繋がっていた俺の意識が一瞬飛ぶ。
リソースとして3割が飛んだことで、IFSが警報を出したのだ。
すぐに立て直して、状況の把握を開始する。
――ナデシコの中に、誰かいる。
いや、元より作業員や整備班の皆さんはいるんだけども!
それとは違った、全くの異物が現実と電脳の両方に存在していた。
まず最初に、ナデシコの電脳の方に、異様な何かがいた。
俺もよく判らない、驚愕のスピードで何かを構築している誰か。
激流のようなアクセスで、あっという間に出来ていく砦みたいな何か。
そのアクセススピードで、外部アクセスではないとすぐ気がついた。
ナデシコ内部から、明らかに非制限IFSの速度で干渉している。
それにしたって、異様な速度だ。手出しの隙間が見当たらない。
作られているのが、領域を確保する為の城壁と気付いたときには遅く。
結局、俺が割り込むことも何かを潜ませることも出来ない内に。
その誰かはナデシコの中に、自分だけの王国を作り上げてしまった。
流石にやばいと思ったので、俺は全速力で帰った。
いや、大体誰がやったのかとかは想像は出来ていたのだけど。
それでも色々と、そのまま放置出来そうにはなかったのである。
絶対にナデシコの中からのアクセスで、間違いなく関係者。
その上で、こんな処理速度のIFSユーザーなんて一人しかいない。
……っていうか、ナデシコの関係者とか関係なく一人である。
その人が来ているならば、尚更俺は早く帰るべきだった。
だって常識的に考えて、職場が同じで同職の方なわけである。
微妙に職務が違うけれど、大体にして上司と言っても構わないのだ。
帰りがけで買ったクレープを食べながら、工場に入り。
そして早足にナデシコに乗艦し、俺はブリッジへと向かった。
そこに割と見慣れた姿を見つけ、思わず声を掛けた。
「――プロスさん!」
「ああ、タキガワさん。
帰ってきましたか」
そこにいたのは、いつもの赤ベストのプロスペクターさんだった。
訓練中も、ネルガルのIFS研究所に時々様子を覗きに来たり。
早めに乗艦してきたから、俺にとっては馴染みのある人だった。
「ええ、来たんですよね?
それで、どこに」
「把握されてましたか。
そちらにいらっしゃいますよ」
そうして、プロスさんが手で指し示したのは入口の奥。
艦長席に近い今の場所からは見下ろす位置。
俺の仕事場セカンドオペレータ席の、すぐ隣だった。
階段を転がるように降りて、背凭れ越しに背中を見つけた。
どう声をかけたものか、一瞬悩んで。
その間に、すっとこちらを振り返ってきた。
――その人は、座っていてもかなり小柄と判る女の子だった。
明らかに何かの調整を加えられた、ブルーシルバーに輝く髪。
白い肌は、人よりも熱の薄い、硬質な印象を俺に持たせた。
ただ、それでも。
人形でも、アンドロイドの類でもないと思ったのは。
彼女の全身と表情の倦怠感が、不釣合に人間臭かったからだ。
「ああ、ホシノさん。
こちらセカンドオペレータのタキガワさんです」
「タキガワ・トオルです。
主に電算管理を担当します」
俺を追いかけてきたプロスさんが、口止まる俺の紹介をする。
取り敢えずその助け舟にのって、テンプレ自己紹介。
興味のなさそうな、熱の薄い視線が俺を遠慮なく貫いた。
そも、きっと振り返ったのも、騒がしかったからだろう。
プロスさんが口を出さなければ、きっと目を逸していたはずだ。
微かに不安そうな色を浮かべたその瞳に、俺はそう思った。
「――――ホシノ・ルリ。
……………………よろしく」
「宜しくお願いしますね、ホシノさん」
付け足すように加えた言葉は、本当に付け足しだと思った。
一番当たり障りがなくて、その上で短い言葉。
端的に呟いたそれは、視線がなければ独り言と勘違いしていただろう。
そうして、銀髪の少女は顔を前に向けてしまった。
見る必要もあまりないだろう画面を、ホシノさんは見ている。
俺に興味がないのか、それとも一体どう思っているのか。
チラリと見たプロスさんは、なんとも言えない表情で。
どちらもフォローしにくいというか。
下手に何かを言えないというのが、俺にはよく判った。
「――それにしても凄かったです。
先ほどの領域確保と防壁には驚きましたよ」
「……オモイカネが、嫌がってたから」
むう。
そりゃ確かに、まだ整理が行き届いてはいないけれど。
というかそこは、納入してきた企業さんが悪いというか。
俺は取り敢えず外枠だけ固めて、後で片付ける派である。
というかまだまだ出航までに日にちがあるし。
……などというには、遊んでいたのも事実なんだけど。
それにしても人馴れしていないというか、なんというか。
どれぐらいの距離感にするかが掴めない俺には、反論も難しい。
そう思って悩む間に、ホシノさんは更に続けた。
「下手、でも。
雑でもいいけど」
「はい」
「オモイカネが嫌がるのは、やめて。
……しないでほしい」
淡々と。ホシノさんは、熱のない声で俺に告げた。
そも、きっとあまり声を出し慣れてないのだと俺は思った。
どこかもごもごとした感じと、言葉の区切りが変な感じ。
IFS適合強化体質。
俗に、週刊誌でマシンチャイルドと揶揄された実験の被験者。
プロスさんに、難しい方だと聞いていたけれど、本物かもしれない。
「それだけ……守って。
……後は、なんでもいいけど」
「……気をつけますね」
実力差が果てしない、10も歳下の人馴れしてない半上司。
距離を測りかねる俺と違って、そもそもそうする気もないらしい。
……これは流石に、思っていたよりも前途多難かもしれなかった。