嗚呼、無限に広がる大宇宙!
――なんて言葉が、20世紀には流行ったこともあったらしい。
その言葉に秘められた思いが叶ったのは、21世紀も半分を過ぎてだが。
なるほど、確かに宇宙は無限とも言えるほどに広い。
拡大し続けているのも事実ではあるし、現状の技術ではそれに追いつけない。
そういった意味では、人間が限界にはたどり着けないし、無限だろう。
とはいうものの、実際に無限であるかどうかを意図した言葉ではない。
寧ろ、もっと差し迫っていた“限界”を強く認識しているのである。
つまりは、当時の人類が持っていた地球というたった一つの資源だった。
21世紀中旬の時点で、人類は行き詰まっていたという。
増える人口や、発達する技術は、同時に多くの資源を必要としていた。
地球は、小さい。いつかパンクしてしまうことは、明らかだったという。
そんな彼らが求めたのは新天地。
地球から得られる資源では足りない。地球だけでは場所が足りない。
実益もロマンも、そして現実的にも、宇宙進出は避けられなかったのである。
その宇宙進出が成功に至ったのには、当然色々な分野が関わっている。
人類を乗せる方舟には、当然工学系やマテリアル関係が大きな位置を占め。
人間を管理する医療などの生体系の学問だって、関わらないわけがない。
まさしく、人類がその存亡を賭けたプロジェクトだったのである。
その苦難は筆舌に尽くしがたい、なんともXなプロジェクト。
これらは、ある一点の人類のブレイクスルーによって達成されたのだ。
“ナノマシン”。つまりは、極小サイズの機械の総称。
用途も動力源も様々な、ただサイズだけで決められた名称だ。
ナノマシンの実用化、余りにも小さなそれは、人類の大進歩だった。
開発の歴史や、それが学問に与えた影響を語るのは今は避けよう。
けれど、テラ・フォーミングの根幹技術として選択され、成功した。
医療用にも通信用にも、革命を起こしたのは想像に容易いことである。
既に人類には欠かせない。そこまで達した技術であった。
――とは語ってみたものの、今となっては当たり前の技術である。
感染症を防ぐ、医療用のナノマシンを入れていない人間の方が珍しい。
大抵の人が赤ちゃんの頃に、生まれた直後に注射するものだ。
例え成人までナノマシンを体に入れない人がいたとしよう。
そういう人がいても、宇宙に旅行するときには必要になるのである。
パスポートを取るのに必須なのだから、入れないわけにも行かない。
中空に浮かぶウィンドウだって、元はと言えばナノマシンの関係技術だ。
ナノマシンを空中に撒く、というのは批判が多く中止されたけれど。
結局は同系統の技術系統を持って実用化されたものである。
だというのに、地球の上ではナノマシンに対する風当たりは強い。
ナノマシンというか、IFS。イメージフィードバックシステム。
機械を直接制御する為に、脳に擬似電脳を構成する割と新しい技術だ。
見方によっては、人体改造とか、人間の機械化だとか部品化だとか。
というか、一般的な見解でそう言われているので、どうしようもない。
火星や月ならともかく、地球上では本当に好かれていない技術である。
そんなものを、普通の大学生である俺が入れている理由は……
余りにも大したことがなくて逆にビックリされたりする程度のものだった。
21世紀中旬に行き詰まっていたのは、地球の資源だけではない。
発達し続ける技術に反して、人間の限界はもっと早くに訪れていた。
道具を使う側が、道具よりも先にその全力を使い果たしていたのである。
大体の人の手は二つしかなく、そして指はそれぞれに五本しかない。
人の目は二つしかなく、耳は二つあっても別々のものを捉えられない。
どれだけ成長したデバイスであっても、人間には使いこなせない。
人に使えるように簡易化すればするほどに、道具は全力を果たせない。
果たして、成長した技術は無駄になっていく。
どの産業分野でも抱えてしまっていた、悲しい現実だった。
その現実とかなり早くから直面していたのは、ゲーム業界だった。
よりリアルに、より華やかに。より想像する世界に近づいていく中で。
現実にプレイする人間は、結局はコントローラーを持っていた。
誰でもプレイできるように作られたコントローラー。
当然、入力のパターンなんてそう多くは作れない。作れても作らない。
だとしたら、技術的に出来ることは多いのに、結局は出来ない。
これはプレイヤーだけの問題ではない。作り手も、そうだ。
技術的には作れても、予算と時間が追いつかない。
リアルなのは見た目だけで、実際の限られた操作とは離れていった。
技術が成長すればするほどに、その乖離は凄まじくなっていく。
発達する技術は、根本的な問題を更に悪化させていく一方なのだ。
よりリアルになっても、“これはゲームに過ぎない”のだから。
進歩の限界に達したところで、ゲーム業界は2つの答えを出した。
昔に戻り、簡略化された画面と入力で“ゲーム”らしいゲーム。
大きな筐体を使い、VR化した世界を体感していくより専門的なゲーム。
この答えは、売上という明確なラインで示された。
もっと言うのなら、予算と倒産という言葉で現実が決定した。
他に、生き残る道なんて、もう既になかったのである。
そうして、まだゲーム業界は生き延びている。
延命をして、未だに若い青少年たちの娯楽としては欠かせない。
ああ、欠かせない。俺の青春はいつだってゲームとともにあった。
俺はゲームが好きだ。勿論、作る側の話ではない。
プレイするのが好きだ。VRではなくて、レトロゲーが大好きだ。
ああ、二次元に入れるなら入りたい。当たり前である。
そんな俺は、IFSに昔から目をつけていた。
理論は20年ほど前に成立しつつも、実用化から時間が経ってない。
俺はこれがあれば二次元に入れると思い込んでいたのだ。
人間が機械に入力するのに、IFSまで何もなかったわけではない。
脳波入力なんて、150年ほど前にできたシステムである。
手よりは早い。少なくともキーボードに打ち込むよりはずっと早い。
ただ、これには残念なことに限界があるのだ。
まず最初に、各個人の脳波に合わせた入力機の調整が必要になる。
当然、早さを求めれば求める程に、高額になっていく。
そして何よりも、機械側からの出力を人間が受けることは出来ない。
脳波に直接流し込むだなんて、ただの自殺行為である。
あくまで、出力を理解するのは人間の目と耳でしかないのだ。
勿論、個人の脳波に調整すれば、全くできないという話ではない。
ただもの凄い設備が必要になるし、バイタルデータの管理も必要だ。
その上でも、少し間違えれば神経を焼き切られるので、危ない。
妥協に妥協を重ねて、ヘッドセットにガントレット。
それが人間が機械に入力する、最適化された姿である。
プログラマと言えば、そんな姿を想像するのが一般的だろう。
それに大して、IFSは出力を受けられるというのが最大の特徴だ。
擬似電脳に一時データを移し、そこから微細電流に変換している。
人間を部品化しているとの批判を受ける、最大の理由である。
IFSならば、機械との間に双方向の通信が出来る。
それだけならば、色々な人にとって、ある意味夢の技術だ。
嫌悪感どまりの倫理など、実益の前には無力である。
……要は、機械の思考は人間にとっては早すぎるのだ。
初期のIFSは、そのままデータ出力していたから、死人も出た。
IFSで脳神経が焼き切れたのは、流石に色々と問題だった。
しょうがなく。本当に、技術者にとってはしょうがなく。
人間が扱いきれるように、死なないように機能を制限したのだ。
出力速度を限定し、そして入力を簡略化し、余裕を作った。
それが、所謂ノーマルタイプIFSである。
機動兵器のパイロットしか使わないため、パイロットIFSとも呼ばれる。
今現在、地球人類の使っているIFSの殆どはこっちである。
もう一つだけ。諦めきれない科学者は、逃げ道を作った。
人間と機械の相互通信は、やはり人生の夢とまで思う人がいたのだ。
その人たちは、「耐え切れる人間ならいいよね?」って言った。馬鹿だ。
機械思考に耐えられるほどの思考能力を持ち。
機械思考と齟齬を起こさない適合した思考を持ち。
その上で、最大限の調整をすれば、許されると思ったのである。
要求される思考速度は人類のほぼ限界値、上位0.001%。
極度に整理された思考を持っていることを最低基準とした。
それこそ、その為に作られでもしない限り、滅多に出ない素質である。
――俺は初めて、賢く生んでくれた親に感謝した。馬鹿である。
成人してすぐに、親に隠れて検査を受けにいった。
事前の検査で、若しかしたら通るかもという期待はあった。
サラリと通った時には、流石の俺もガッツポーズした。
簡単な手術を受けるときにも、後悔はなかった。
俺は二次元に入って、好きなキャラときゃっきゃうふふするのだ。
バイトで貯めた40万なんて、微かにも惜しいとは思わなかった。
非制限IFS保有者としては、下から数えた方が早い年齢。
能力的には中の上層。技術はほぼゼロの下の下。
そんな術後の検査にも、一喜一憂することなんてなかった。
俺が求めていたのは、ただ一つ。きゃっきゃうふふである。
もらった折りたたみコンソールを抱えて、全速で家に帰った。
家に帰ってゲーム機にコンソールを突き刺して、起動した!
――――そして、すぐに絶望した。
IFSを得たからと言って、ゲームの中に入れるわけではない。
入力と出力を脳内で出来るからと言って、二次元には入れない。
そのことに、脳裏に浮かぶゲーム画面を見て、ようやく気付いた。
いわば、画面が頭の中にあるだけなのである。
当然触れたり?匂い嗅いだり?舐めたり?揉んだり?出来ない。
…………人生で初めて、挫折した。
悔しくなったので、諦めて自分で触れられるようにパッチを作った。
自分の3Dデータも構築して、色々なことをできるようにしてみた。
大学の講義中であっても、ウィンドウなしで作業できるのが幸いだった。
――半年後。
データの中で楽しく第二の現実を遊びつくした俺に、現実で迎えがきた。
残念ながら美少女でも美女でも美少年でもなく、変わったおじさんだったが。