北アイルランドの郊外。とある小さな緑地公園の、十五年前の自爆テロの被害者たちの慰霊碑を眺める小柄な少女がいた。
腰まである長い黒髪を白いリボンで束ねて帽子を被り、白と蒼を基調にした服を着たその少女は、年齢に見合わないだろう沈痛な表情を浮かべ、何かを憂うかのように空を見上げる。
「……迷子じゃねぇだろうな」
そこから少し離れたところに立つ茶髪の男、ライルが小さく呟く。男の足元には吸い終えたタバコの吸い殻が転がっており、かれこれ1時間近くもここにいる。……そして、少女は男が着た時点であそこに立っていたのだ。
そんなライルのつぶやきが聞こえ――――るような距離ではないのだが、何を思ったのか、少女は唐突に振り返ると、僅かに笑顔を浮かべて近づいてきた。
「こんにちは。あなたも、誰か待っているのですか?」
「………ま、そうだな。お嬢ちゃんも、誰かと待ち合わせかい?」
まさか馬鹿正直に「見知らぬ誰かからメールで呼び出された」などと答えるわけにもいかない。もちろん、行方しれずの兄のことを教えると言われた―――などと言うつもりもない。
少女は僅かに考えこむかのように小首を傾げ、ズレた帽子を直しつつ言った。
「そう、ですね。私が勝手に待っているだけなのですけど……」
一瞬、ほんの一瞬だけライルの脳裏に自分を呼び出したのがこの少女なのではないか、という疑問が浮かんだのだが、すぐに打ち消す。それならもっと早く声をかけてきていいはずだし、この無邪気そうな少女はそんな回りくどい真似をしそうにはなかった。
少女は困ったような顔になると、考えをまとめようとするかのように呟いた。
「……会いたい、というより、一目見たいんだと思います。会うわけにはいかないですし………はずかしいので」
何か複雑な事情でもあるのかと思えば、色恋沙汰だったようだ。
ライルはほんの少し脱力するような、安堵するような思いを抱きつつ、軽薄そうに見られるいつもの笑みではなく、出来る限り優しい笑みを浮かべて言った。
「会える時に会っちまったほうがいいぞ。人生のお兄さんからのアドバイスだ」
「………そう、ですね。ありがとうございます」
頑張ってみますね、と微笑む少女はとても可愛らしく、恋人なんだろう相手のガキは幸せだな、となんとなく思う。と、なにやら上着のポケットを漁りだした少女が、真剣な表情で何かを取り出した。
「……すみません。ちょっと用事があって行かないといけないので、もう一つの用事の方をお願いしたいのです」
この後すぐ、二十歳くらいで黒髪の、無愛想で無口な男の人が来ると思うのですけれど。と少女は前置きしつつ、データチップをライルに渡した。
「これを、王さんから、と言って渡していただけませんか…?」
「別に構わねぇが……俺なんかに渡しちまっていいのか?」
見ず知らずじゃねぇか。と言うライルに少女は「以前お会いしたと思いますよ」と意味深な笑みとともに呟き、それから思わず瞠目するほどの速さで走り去っていった。……実は陸上選手か何かなのだろうか。とてもそうは見えないのだが。
ライルは記憶を思い返すが、やはりあんな少女と会った記憶はない。とすると、
「……まさか、兄さんと会ったってことか?」
呟きに返答はなく、その代わりに視界に無愛想で無口そうな黒髪で二十歳くらいの青年の姿が映った。
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イリア・ステイシアは自然公園から離れた物陰から、それを窺っていた。
記憶の中よりずっと背の伸びた、黒髪の青年。相変わらずくせ毛なのは変わらないようだけれど、いつもの赤色のマフラー…ではなく、かつて贈った蒼色のマフラーが巻かれている。
「……刹那」
王さんかららしい、とライル・ディランディからデータチップを渡されて無表情ながら戸惑っている刹那を見ながら、小さく笑みを浮かべる。と同時に、心の奥底がギシギシと痛むのを感じて頭を振る。
「………そろそろ、戻らないと」
けほ、と咳込みながら携帯端末を取り出し、ひとりでに起動した端末に、赤毛の少女――――女性の顔が映る。女性は悪戯っぽい笑顔を浮かべ、気安く片手を挙げた。
『――――ハァーイ。元気してる、アイシスのパイロットちゃん?』
「……今、外なのですが。平然と機密事項を口に出さないください」
自分でも顔が引き攣るのが分かる。
画面越しの女性――――ネーナ・トリニティはむしろ楽しそうな笑みを浮かべていたけれど。
『アナタって、とんでもなく若々しいでしょ? 私もちょっと羨ましいかも』
肩もこらなそうだし、高機動戦も有利そうね。と勝ち誇った顔で言われても全く褒められている気がしない。間違いなく遊ばれているのだろうけど。
「………それより、首尾はどうですか?」
『えー、つまんない。エクシアのパイロットくん―――刹那、誘惑しちゃうよ?』
「多分、無駄ですよ」
『随分余裕ね?』
何を思ったのか剣呑な瞳のネーナを見ていると、実は本当に刹那に思うところがあるのかもしれない。けれども私は僅かに肩を竦め、言った。
「刹那の恋人はガンダムですから」
『………アナタはそうだったと思うけど』
「あの頃、私はガンダムだったのです」
『ふぅん。………ところでアンタ、マイスターとして“今”をどう思う?』
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。
画面越しでも感じ取れる殺気に一瞬だけ怯むのを自覚しつつ、意識して表情を消しつつ答えた。
「………まだ、時期じゃない。というところです」
『そう、なら許してあげるね』
え、笑顔が怖いです…。
フェルトやスメラギさんに癒やされたいな、と切実に願う。ハロでもいい。あの黒いHAROは嫌だけれど。なんだかティエリアは任務さえしっかりすればすごく優しかったような気すらしてくる。
「………それより、そろそろ限界なのですが」
『ハイハイ』
すごく不安な返答だけど、どうしようもない。
目を閉じる。眩暈のような感覚とともに、拡大していた知覚を手放す―――――。
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目が覚めると、どこかのベンチで携帯端末を眺めていた。
端末の向こうでは赤毛のお姉さんが手を振っており、そのあまりに見覚えのある光景に思わず叫んだ。
「――――またなのです…っ!?」
『ハァーイ、イリア。元気してる?』
元気かと言われても、ベッドで寝て、目が覚めたらいきなり外のベンチに座っているような状態が元気なのか甚だ疑問である。ということをつっかえながらもなんとか伝えた。
『大丈夫ね、さっきも元気だったし』
「そ、そうですか…? ………それより、おはようございます。ネーナお姉さん」
『うん、おはようね』
ぺこり、と頭を下げるとネーナお姉さんは少しだけ嬉しそうにオトナな笑みを浮かべると、一瞬手元に視線を落としてから言う。
『もうすぐ迎えに行くから、ショッピングしてていいよ? 地図は送ったから』
「ほ、ほんとですか…っ!」
「お姉さん大好きです」と思わず口走りつつ、立ち上がって端末に映る地図を便りに駆け出す。お買い物。だってお買い物である。新しいお洋服を見るのは大好きだし、おみやげを選ぶのも楽しい。
『よしよし。端末は切らないようにね。お姉さんが見ててあげるから』
「はいっ――――あっ! お姉さんもいっしょにお買い物しませんか…っ?」
『……そういうの、けっこう好みね』
お姉さんが来る前におみやげを買わないと!
思わず弾む心につられるように足を早め、意識をお店探しに集中させ。黒髪の青年の横を駆け抜けて、半ば飛び込むようにお菓子屋さんに入った。
ネーナの口調が分からない…っ。
お客様の中にネーナマイスターの方はいらっしゃいませんかー。