暗闇に包まれた部屋に、一瞬たりとも途切れることなくキータイプの音だけが響く。
それがどうしようもなく落ち着くような気がして、そんな自分が嫌になる。画面に映し出される数字の羅列は絶えず流動し、その横に設けた小型モニターに映し出される人型――――MSのパラメータもまた、絶えず変動していた。
と、マナーモードで放置していた特別製の携帯端末が振動し、意識を向けると同時に勝手にホロウインドウが開かれ、黒髪の美女の顔が映し出される。
『――――ごきげんよう。調子はどうかしら』
「王留美……今、こちらが何時だと思っているのですか?」
溜息とともにタイピングを一旦打ち切り、机の上に転がっていた早朝を示す腕時計をウインドウの前に突き出す。すると、美女はさして悪びれた風もなく言った。
『あら、失礼。私としては貴女が一番よく起きている時間帯にかけたつもりだったのだけれど』
「実利と礼儀はまた別、です。というより、その言い方では私がいつも寝ているかのようです」
不服ですので訂正を求めます、と仏頂面で言うと「大変申し訳なく思いますわ」と白々しい笑顔で答えられた。何も知らないヒトなら見惚れそうだけれど……鳥肌が立った。
昔から思っていたけれど、私とこの人はとても相性が悪い気がする。
『そう? 世のおじさま方からは大変好評なのだけれど』
「……同姓にやるのはオススメしないです」
絶対この人はそれを快くは思っていない。脳裏に「悪女」という言葉が浮かぶ。
そして実際、この人がやっていること、望んでいる「変化」というものは悪になりうるものだろう――――そんなことを考えていると、王留美はとても楽しそうな笑みを浮かべた。
『貴女も、“変化”を望んでいた1人だったと記憶しているのだけれど』
「……顔に出ていましたか」
感情が表情に出る――――今まで幾度と無く言われてきたことだ。
苦い顔で目をそらすが、それでも首は横に振る。
「簡単に言うのなら紅茶をとにかく甘くしたいのが私。あなたは味わい尽くした紅茶の違う味を楽しみたいヒトです。特に、予測もできない味がほしいとみました」
『あら。それだと目的は合わないかもしれないわね』
「そうでしょうね」
無感情な声で切り捨てる。
ウインドウ越しの彼女は物騒なくらいに冷たい目をしているけれど、目的が分かっている相手を恐れるような神経はどこかに失くしてしまった。というか、王留美もそれくらい理解して言っているだろう。
『まぁ、いいわ。貴女は私の目的のために力を貸す。私は貴女の目的に力を貸す。……お互いに力を必要としていることは変わらないのだから』
「………わたしは、したくないことはしないですけど」
『そんな貴女に朗報よ』
――――近々、動きがある。
そう語った彼女の目に浮かぶのは期待か、あるいは現在への嫌悪か。
『――――…全て盤上のことと嗤う天上人(イノベイター)は、貴女のようなイレギュラーにどう対処するのかしらね?』
「……というより、私は無視されてるだけだと思いますけど」
泳がされてる、とも言えるかもしれない。
本格的に動くわけにはいかないのは分かりきっているのだし。なにより、今は迷いがないなどと言うことはできない。
『ふふっ、それもいいわ。慢心して足元を掬われたイノベイターはどんな顔をするのかしら? ――――ねぇ、イリア・ステイシア?』
ミッションが決定したらまた連絡する、と言って通話が切れる。
再び数字と設計図が映るモニターの明かりだけとなった部屋に、ぽつりとつぶやいた言葉が虚しく響いた。
「―――――来るべき対話。もしも、この戦いすらもヴェーダの思惑の内だとしたら……」
不可解な要素は多い。まだ分からないことも多い。
けれども、これまで全てを“誤差”の範囲に収めてきた“計画”は本当に――――…。
「………刹那」
小さく呟く。
いつもは胸にぬくもりをくれる言葉が、どうしてか不安を煽った。
お久しぶりです。原作通り4年あけようかと思ったのですが(さすがに冗談ですけど)、もういい加減忘れられてるかなーということで続編を出してみることにしました。そんなわけでストックとか新しいプロットとか存在しないので、大幅な修正が入る可能性があります。
拙い文ですが、もしよろしければお付き合い下さい。
おまけ:設定
イリア・ステイシア
年齢不詳・住所不定・無職(?)な王留美の部下らしき人物。